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Light Years  作者: 塚原春海
Independent
127/187

歩いて帰ろう

『さむっ!』

 演奏が終わってMCになると、寒風が吹き付けて、ジュナは思わず身震いした。マーコはドラムを叩いて体温が上がっており、ケロッとしている。

『あたし丁度いいよ』

『お前湯気出てるぞ、すげえな!』

 体の熱気が冷たい空気と反応して、さながらオーラのようにマーコから湯気が立っていた。ジュナはすかさずスマホを取り出して、マーコを撮影する。もう、部室でダラダラしている時と変わらない。ロックバンドならともかく、ジャズ、フュージョンバンドがこんな事してたら、頭の固い音楽ファンは激怒するかも知れない。そこへ、ミチルが優しい声で曲紹介をした。

『えー、次はこの間ジャズフェスでやった新曲です。バラードなのでドラムもほとんど仕事がありません。メンバーは身体冷やさないようにね』

 マーコはわざとらしく身震いしてみせたが、一番汗をかいた以上、このあと一番冷えるに決まっていた。


 湖の周囲は山地なので、すでに陽は隠れてしまった。急場のLED照明を持ち出してステージを照らすものの、手元がまるで見えない。ジュナやクレハはほとんど手探りでエフェクターを切り替えていた。

 本当に、なぜか自分たちは野外で演奏する事が多いな、とミチルは思う。さすがにこれから冬になれば、そういう機会も減るだろう、と考えた直後に、このバンドは何に巻き込まれるかわからない、という困ったジンクスを思い出した。

 今年の春までは、そんな事はなかった。ふつうに部活で練習して、初めてのライブハウスを経験し、いくつかのバンドと知り合いになって、フュージョンというジャンルは特殊でも、バンドとしては何の変哲もない活動をしてきたのだ。

 そこに変化が起きたのは、部活がなくなるという話が現実味を帯びてきた、あの初夏だ。そこから、目まぐるしいスピードで、色んな事が起きるようになった。何がきっかけだったのか。

 ミチルは自分のパートが空いたタイミングで、会場をぐるりと見渡した。そのとき、一人の人物がミチルの目にとまった。

(…こいつか)

 間違いない。ミチルはそう思った。そう、それはマウントラックで音響をチェックし続けている、村治薫少年である。

 この少年と出会った時期を境に、フュージョン部2年生は激動の数ヶ月を迎えている。薫のせいにするつもりはないが、もし時系列で見れば、少なくともデータ的には間違いなく一致する。

 薫は知ってか知らずか、結果的にミチル達を動かしている。今回の、焼け野原を野外ステージにするという発案もそうだ。確かに実行したのはミチル達だが、アイディアは薫のものだ。

 もう断言してもいいが、薫がいなければ、少なくともこんなペースで、ミチル達が前に進む事はなかった。逆にミチル達がいなければ、薫は抱えていた問題に区切りをつける事もなかったし、レコードファイル誌にコラムを書く事もなかっただろう。オーディオ同好会の部室は、遠からずただの物置きになっていたはずだ。

 薫とライトイヤーズは、出会うべくして出会った。今、疑いもなくそう思う。ライトイヤーズのメンバーが奇跡的に出会ったように、薫もまたその、不思議なうねりの中のひとつのピースだった。

 

 まるで、海浜公園でのジャズフェスの再現だった。市東レイネは、ディスプレイの向こうで演奏するライトイヤーズのサウンドを聴きながら思った。傍らには、両親が買ってくれたAKAIのEWIがある。学校のアルトリコーダー以外では、生まれて初めて買った楽器だ。

 どうしてあんな場所でゲリラライブを、と思ったが、ネットから入ってきた情報で全てわかった。あの湖畔の街と山を更地にして、巨大なエネルギー研究施設を建てる計画があるのだという。その反対運動がある事もわかった。賛否両論あるが、市民側からは反対の声の方が大きいらしい。

 ジャズフェスで披露し、まだ配信されていないバラードの新曲が終わった。とても、これを同世代の女の子たちが作ったなんて信じられない。お世辞ぬきに、例えばTV番組のテーマ曲として使われたとしても何の不思議もない。

 さて次はなんの曲だろうと思っていたら、突然ステージ左下から、真っ白なパンツスーツの女性が現れ、颯爽とステージに上がった。なんだ。ゲストミュージシャンだろうか。


 バラードの演奏を終え、次の曲のセッティングを進めようとしたメンバーは、突然ステージに現れた人物に驚いた。その女性は、いつもは結い上げている長い髪をまっすぐに下ろし、トレードマークの眼鏡もかけていなかった。左手にはヴァイオリン、右手には弓を持ったその人物は。

「清水先生!?」

 ミチルは、突然ステージに上がってきた清水美弥子先生に驚きを隠せなかった。なぜ先生がここに。先生は狼狽えるミチルをよそに、マイクの前に立った。

『南條科学技術工業高校、理工科の清水美弥子です。エネルギー研究施設建設反対運動の、代表の一人を務めております』

 凛とした声が、暮れゆく湖畔に響き渡る。

『私達が始めた運動に、こうして生徒が自主的に参加してくれた事は嬉しく思います。ですが』

 いったん言葉を切ると、先生は背筋を伸ばして言った。

『これは本来、大人が率先してやらなくてはならない事です。若い人間に代弁させて、大人が引っ込んでいるのは卑怯です。そこで、組織としてこの活動の責任を負うために、私が代表して挨拶に伺いました』

 そう宣言する先生の姿は美しかった。わざわざ、それを言うためにここに来たのか。

『もともと、この大原さんに、反対運動について説明したのは私です。結果的に大原さんが独自に動いたとは言え、その切っ掛けを与えた責任は私にあります。私はこの野外ライブを全面的に支持するものであり、また反対運動組織として、その責任を負う事を表明します。この運動に意見がある方は、反対運動組織あてにご意見をお願い致します。彼女や、出演されたアーティストへの直接の意見は絶対にしないで下さい』

 その、公明正大で真摯な態度は、オーディエンスにも好意的に受け取られたようだった。パラパラと拍手が起きる。

『当組織の意見は、すでに出演されたアーティストから語られております。繰り返す必要はありません。私もステージに参加することで、ライブを中断させたお詫びといたしましょう』

 そう言うと、清水先生はヴァイオリンを肩にかけ、ミチルを向いた。

「残りのセトリは?」

「えっ?」

「あと3曲あるでしょう?曲順を教えて。私も一緒に演奏するから」

 先生は勝手知ったるといった様子で、余っているシールドケーブルをヴァイオリンのピックアップマイクにつなぐと、音出しをして薫を見た。薫は、両腕でOKのマルを作ってみせる。本気だ。すると、マヤがセトリのメモを先生に素早く手渡した。

「任せていいんですね」

 マヤが若干怪訝そうに確認すると、先生は胸を張った。いまさら気付いたが、年齢のわりに詐欺じゃないかと思うほどスタイルがいい。

 先生がいいと言うのだから、大丈夫なのだろう。マヤは多少訝りながらも、ポジションに戻った。残りのセトリは次のとおりだ。


 4.Seaside Way

 5.Shiny Cloud

 6.Dream Code


 4曲目は秋の終わりに夏をイメージしたナンバーもどうかと思ったが、湖も海辺の親戚だろう、ということでメンバーは了解した。軽快で爽やかな、王道のフュージョンナンバーだ。作曲のミチルは、70から80年代の日本のフュージョンをイメージして作った。具体的にはMALTAとかカシオペアなどだ。そこに、アコースティック・アルケミーだとかのエッセンスを加えて独自に解釈している。

 たびたびマヤと話す事だが、フュージョンというのは一歩間違うと、”スーパーマーケットのBGM”になってしまう。当たり障りのないフュージョン。軽快な王道のフュージョンを作ろうとすると、”当たり障りはなくても耳には残るクオリティ”という、微妙なさじ加減が求められるのだ。

 いつものように、シンセサイザーとサックス、ギターのライトなサウンドが流れる。だがそこへ、飛び入り参加した清水先生が、まるで最初から打ち合わせしていたかのように、見事なヴァイオリンを重ねてきた。

「!」

 サックスを吹きながら、ミチルは驚いていた。清水先生は、ミチルたちザ・ライトイヤーズの楽曲を全て頭に叩き込んだうえで、他のパートの邪魔にならないヴァイオリンのフレーズを独自に考えてきたのだ。ヴァイオリンが入ったことで、いつもの楽曲がゴージャスな響きに変わった。

 改めて、清水先生の音楽的才能に敬服せざるを得ない。もし若い頃、家庭の経済的な問題が起きずに音楽の道に進んでいたら、今ごろひとかどのヴァイオリニストとして活躍していたのではないか。モニターから聴こえてくるサウンドに、作曲したミチルはこれが完成版でいいんじゃないか、とさえ思い始めた。


 5曲目は高速のベースから始まるストレートなロック調ナンバーだが、シンセの煌びやかなサウンドがアクセントになっている。先生は、リズミカルなシンセの音を壊さないように、スピード感がありながらも伸びのあるヴァイオリンを重ねてきた。わずかにポルタメント奏法を用いて、シンプルなサウンドに情感を加えているのは見事というほかない。ギターでいうところのチョーキング、スライドにあたる奏法だ。

 演奏が終わるたびに、起こる拍手は、もう清水先生に向けられているのではないか、とさえ思えてくる。今からでもミュージシャンに転向するべきではないのだろうか。清水先生がステージに立つのを見るのは初めてだが、まるで緊張している様子がない。


 想定外のゲストミュージシャンとの共演は楽しく、気が付いたらもう最後の曲になってしまった。いつになく長丁場だったので疲れてもいるが、名残惜しい気持ちもある。ミチルは、最後のMCを始めた。

『えー、ここまで長時間お付き合いくださって、ありがとうございます。最後にひとつ、みなさんにお願いがあります』

 ミチルの言葉に、会場が静まり返る。

『先日の火災で、この隣にあるライブハウス”ネッシー”さんが半焼してしまいました。マスターの鷹山さんにお話を伺いましたところ、再建は難しいかも知れない、という事です。そこで、クラウドファンディングで再建のための費用を集めてみよう、という私達バンド側の提案を、受け入れてくださいました』

 ここで拍手が起きる。すると、袖から鷹山さんが出て来て、頭を下げた。ミチルが代弁して続ける。

『クラファンのお礼については、まだきちんと決めていないのですが、改装記念ライブの招待チケットだとかを考えています。詳細が決まりしだい、WEBで案内しますので、みなさんどうか、この湖畔のライブハウスの再建に、お力添えをよろしくお願いします!』

 メンバー全員と、いつの間にかステージ下に並んでいた、これまで出演した全バンドの面々が、一斉に頭を下げる。ミチルは、マイクに向かって1人のメンバーに呼びかけた。

『アンジェリーカ、おいで!』

 突然指名されたアンジェリーカは、驚いてどうすればいいかドギマギしていたが、キリカとリアナに肩を背中を押されて、あたふたとミチルの所までやってきた。ミチルはアンジェリーカに、置いてあったEWIを手渡す。

「あんたも参加しなさい、最後の曲」

「ええっ!?でっ、でも」

「アドリブでいいから。あんたの使ってるモデルと違うけど」

 突然の指名に驚いていたようだったが、このバンドは何が起きても、何を依頼されても驚くにはあたらないバンドである。どちらかというと諦めがついたような表情で、アンジェリーカはミチルのEWIを手に取った。


『それじゃいくよー!』

 ミチルの合図で、マーコのドラムのフィルインから最後のナンバーが始まった。シンプルなベースとキーボードに続いて、ほんの少しディレイのかかったギター、そしてリズミカルなヴァイオリンが入る。

 ミチルはアンジェリーカと目線を合わせて、斜めに向き合いながらメインのメロディーを吹いた。アンジェリーカは同じ音を重ねてくるかと思ったら、3度上の音程でハーモニーを重ねてきた。狼狽えていたわりには、ずいぶん度胸がある。ヴァイオリンと合わせて、ザ・ライトイヤーズの代表的ナンバーは、それまでにない広がりのあるアレンジとなって、陽が暮れゆく湖畔に響き渡った。

 このライブはゲリラライブだ。環境保全の呼びかけでもあり、ライブハウスのクラウドファンディングの呼びかけでもある。ミチル達には、少なくとも目に見える形での収益はない。むしろ持ち出しである。だが、ミチルはそれでもいい、と思った。チャリティーなら、もう経験済みだ。それに、頼んでもいないのにTVも取材に来ている。どこまでTVで流れるのか知らないが、それが結果的に後押しになるかもしれない。

 みんな、楽しそうだ。文化祭のステージを思い出す。そうだ、音楽は楽しめなくては意味がない。そこにどんな目的があったとしても。ステージもオーディエンスも関係ない。みんなでひとつの音を響かせるんだ。ミチルは、最後のサックスソロを限界まで吹き、その日の演奏はついに終わりを迎えた。

『どうもありがとーう!』

 ミチルは精一杯叫ぶ。メンバー全員、いつものように深く頭を下げた。もうおしまいです。だが、予想通りの反応がやってきた。アンコール、アンコール。ミチルは、待ってましたとでも言うように、相棒のジュナと目線を合わせる。

『ごめん!もう暗いから、アンコールはなし!だけど、この曲を贈るので、みんな気を付けて帰ってくださーい!』

 その合図で、ジュナがディストーションをかけたギターのリフを鳴らす。ジャッジャッジャッ、ジャッジャッジャジャッ。いわゆるモータウン・ビート。そして、ミチルが極めて珍しくボーカルを務めるその曲は、斉藤和義”歩いて帰ろう”。フュージョン部になぜか存在するレパートリーの中のひとつだ。

 軽快なリズムのなか、他のバンドのみんなも一緒に歌ってくれた。お客さんを帰すための曲ということで、実は最初からみんなで決めていたのだ。意図を察してくれたオーディエンスは、歌詞のとおり歩いて大移動を開始した。みんな知ってる歌なので、歌いながら歩いている。みんな、ここまでどうやって来て、どうやって帰るのか、ミチルたちにはわからない。明日は月曜日、早めに帰って、お風呂に入って、ご飯を食べて、歯を磨いて、夜更かししないで早く寝るんだよ。宿題忘れないでね。

 ジュナには、間奏で原曲の4倍の長さのギターソロを注文しておいた。水を得た魚のように、楽しそうにギターを奏でる。ジュナが幸せそうだと、ミチルは嬉しくなる。


 もう空は暗い。寄り道なんてしていると、すぐに道は見えなくなってしまう。自分達の道を、迷わないで歩いて行こう。人波が去り、もとの野原に戻った空間を見つめながら、ミチルは思った。

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