戦場のギタリスト
南條科学技術工業高校の敷地内に、突然現れた謎の巨大トラック。すでに学校には連絡は行っていたが、知らない生徒達はその威容に驚いていた。
「うおお、何だあのトラック」
「めっちゃカッコよくね」
「"Green Energy"ってなんだ」
その現代的なフォルムも手伝って、主に男子生徒の驚嘆の的となったシルバーに青いラインのトラックは、ゆっくりとクラブハウス方向にステアリングを切ると、フュージョン部の部室前のスペースに停車した。部室で練習していた1年生達は、何事かとゾロゾロ出て来た。
「なんだよこれ!」
「先輩達じゃない?」
薫は、サトルと対象的にクールだったが、それでもやはり男の子であり、巨大なメカには興味津々らしかった。アンジェリーカとリアナは唖然として見上げている。
「凄いね」
「あれっ!?先輩だ!」
キリカとアオイは、助手席側からマヤ、ジュナ、マーコの3人の先輩が降りてくるのに気付いた。どうやら、座席数も確保されているらしい。
「おかえり」
薫がいつもの調子で出迎えると、マヤはさっそく指示を始めた。
「1年生、悪いけど手伝って!薫とサトルはジュナに、残りはこっちに来てちょうだい!」
また先輩達が何か始めたんだな、と悟った1年生6人は、もはやライフワークのようにマヤの指示で行動を開始した。先輩達なら仕方ない。その様子を、トラックから降りてきた南條工科大の教員2名が目を丸くして眺めた。
「軍隊かな?」
東京都内にある16階建てのビル最上階では、あまり趣味がいいとは言えない調度品に囲まれた部屋のデスクに、縞のスーツを着た老年の男性が葉巻きをふかしていた。
「追い払ったんだな、うるさいガキどもは」
「へい」
オールバックの男性が、恭しくデスクの男性にお辞儀をした。
「ふん、くだらない邪魔を。マサ、ちょうどいい。ガキどもがくだらんライブを開こうとしてた日に、あの界隈の奴らを黙らせてしまえ。そのほうが、奴らへのダメージは大きい」
「わかりやした」
「お前もこの機会に勉強しとけ。くだらない愛郷心なんか、金でひねり潰せるんだ。愛郷心で腹は満たせないが、金はそれができる。土地への愛着なんぞ、金の前ではただのゴミだ」
「へい」
「よし、後はお前らに任せる。俺はその日、バカな議員どものご機嫌取りをせにゃならん」
老年の男性は、ゴルフクラブをスイングするジェスチャーをしてみせた。
市橋菜緒は、佐々木ユメから報告を受けてもさして驚いてはいないようだった。
「彼女達なら仕方ないわね」
菜緒は笑う。そこへ2年生の酒井三奈、桂真悠子がやって来た。
「市橋先輩、ミチルから言われた通り進めてますけど」
「ご苦労さま」
「…ホントにやるつもりなんでしょうか」
「あの子達に冗談や脅しが通用しないの、知ってるでしょ」
菜緒は笑ったが、三奈と真悠子は怪訝そうに顔を見合わせた。
11月27日、本来ザ・ライトイヤーズが自主企画ライブをやる筈だったライブハウス"ネッシー"のドアには、"休業"の札が下げられている。その真正面に、黒塗りのセダンが1台乗り付けた。
降りてきたのは、世間一般にはあまり趣味がいいとは言い難いシャツをインナーに着込んだ、ティアドロップサングラスの男性2人だった。シャツのピンク、水色でしか区別がつかない。
「おうい、いるんだろ。鷹山さんよ」
ガンガンと、多くのバンドマンがくぐったドアが無造作に叩き鳴らされた。ほどなく、ゆっくりとドアを開けて、白髪交じりのマスター、鷹山が顔を見せた。
「今回の火事は気の毒だったなあ」
しれっと水色のシャツが言ってのけた。ピンクのシャツはニタニタと笑っている。
「なんだ、ありゃあ。土塁が崩れないようにしてんのか」
水色シャツは、ライブハウス裏手の斜面に見える補強桟のような梁と、その上に被された黒いシートを見た。
「あんなもん、もうやらなくていいよ。なあ鷹山さん、あんたも、この界隈の人達もよく頑張った。もう、いいんじゃねえのかい。こっちだって、裸で出てけって言ってんじゃねえんだ。金は払うさ。こんな辺ぴな湖畔より、千葉あたりのマシなところに越した方がいいんじゃねえかな」
ほんのわずかに情けのような表情を見せつつ、水色シャツは半焼したハウスの外観を見やった。だが、ハウスの裏手に見慣れない、巨大なシルバーのトラックが停まっているのに気付くと、怪訝そうな視線を向けた。
「なんだ、ありゃあ」
「ああ、ここの地主さんが許可しましたので問題ありません」
「あ?」
水色とピンクは、狐につままれたような顔をした。
「地主さんだと?この土地はあんたのもんだろうが。まああと数日だろうがな」
「いいえ、違います」
鷹山は、妙に自信ありげに胸を張って言い放った。
「この土地はもう、売ったんです。いまの所有者は別な方で、私は借りているんです」
「ああ!?」
いよいよ、水色も憤りを隠さず、頭を突き出して凄んでみせる。
「冗談に付き合ってるヒマはねえんだよ!さっさとこんな土地手放して、こっから消えろっつってんだ!痛い目見てえんなら見せてやるぜ!?」
水色が凄んでみせるも、鷹山は全く怯む様子がない。水色が、鷹山の胸ぐらを掴んだ、その瞬間だった。
「その方の仰る事に間違いはありません」
ライブハウスの仕切りの陰から、突如として細いサングラスの黒スーツが現れ、一瞬水色とピンクは狼狽えた。
「なっ、なんだ、てめえは」
「申し遅れました。私、株式会社千住組の顧問調査士、小鳥遊と申します」
悠然と近付いてきた小鳥遊と名乗る男は、気味の悪いほど優雅な手付きで名刺を差し出した。その物腰を見ただけで、2人はこの黒スーツが只者ではない事を一瞬で悟った。こいつは"マジモン"だ。
「せっ…千住組?」
「なにぶん、それほど知名度はございませんもので、存じ上げないのも無理はありません。顧問の立場で申し上げるのも何ですが、そこそこ稼がせて頂いております」
そう言って小鳥遊と名乗った男は、土地の売買を証明する書類一式を、ジュラルミンケースから取り出して見せた。一目見ただけで、本物だとわかる。買ったのは間違いなく、千住組という会社だ。
「ということですので、この土地の購入については、千住組にお問い合わせください。こちらの鷹山様に仰られても、対応は致しかねるということです」
「なっ、なんでお前の所がここを買う必要がある!?」
「それを申し上げる必要も道理もございません。売りたい者が自由な値段で売り、買いたい方がそれを呑む。まこと自由経済、資本主義とは単純で良いものです」
「いくらだ!」
「はい?」
「てめえら、俺達にふっかけるつもりで先にここに手を付けやがったな!?いくらで売り付けるつもりだ!」
「その決定権は私にはありません。取引そのものは当然、外部顧問の私ではなく、千住組の担当者が行いましたので。重ねて申し上げますが、千住組に直接お問い合わせください」
全くもってその通りであり、どれだけこの男に凄んでも何の意味もない。水色とピンクは、やむなく一旦引き下がる事にした。どのみち、このライブハウスが営業できないのは確かだ。本社に掛け合って、千住組とかいう聞いた事もない奴らもひねり倒してやろう。
すると、小鳥遊は神妙な顔でドアの外に目を向け、ひとこと言った。
「ちなみに、さきほどそちらがマスターの鷹山様の襟首を掴まれた場面は、そちらの監視カメラで収めてありますので」
その言葉に、まさかと思って天井を見ると、そこには真新しい監視カメラが確かにこちらを向いていた。どこから電源を確保しているのかわからないが、稼働している。今ので、正面の顔もばっちり映っているに違いない。どうやら、まだ若いように見えて、だいぶ老獪な男だ。小鳥遊は、さらに不穏な事を言った。
「お帰りであれば、道中お気をつけくださいませ」
なんだ、それは。脅しのつもりか。さすがにここまで周到な相手だと、自分たちでは手に負えなさそうだ。出直そう、と車に乗り込もうと外に出た、その時だった。
「うおっ!?」
「なんだ!?」
2人は、予想外の光景に驚いた。ついさっきまで、まるで人がいなかった湖畔に、人間が津波のように押し寄せているのだ。見たところ10代、20代が中心だが、もっと上の世代も少なくない。学校の制服を着ている連中もいる。
「なっ、なん…」
「うわああー!」
2人は文字通りの人波に飲まれ、その場を流されてしまったのだった。
湖畔に突如として出現した謎の集団は、ひとつの場所を目指して集まっていた。それは、ライブハウス"ネッシー"となりの広い空き地と、その奥に広がる、先日の山火事で焼けてしまった草地だった。
人波は途切れる事がない。ついには道路をはみ出して、湖岸にまで達してしまった。いくらか落ち着きを見せた時点で、ざっと見て5千人は下らないと思われた。
"ネッシー"のマスター鷹山が、この湖畔でこんな光景を見るのは、ライブハウスを開いて以来初めてだった。
「すげえ…」
焼けたライブハウスの二階から、鷹山は感嘆と興奮の眼差しで、その光景を見た。すると、ライブハウス裏に停めてあった大きなシルバーのトラックの、ウイングパネルが悠然と開く。作業服を着た男性二人が降りると、一人は何やら四角いボックスを、もう一人はそれに繋がった、極太のケーブルを抱えて、山の斜面に向かって駆け出した。
バッ、と斜面にかけられていた黒いシートが勢いよく剥がされる。その下から現れたのは、高さ2mはあろうかという、フルレンジスピーカーユニットが縦に直列した巨大なスピーカーだった。その間にはドラムス、キーボードやモニタースピーカー、いわゆる"返し"が置かれている。
スピーカーは斜面の高台に足下をがっちりと固定され、その下には機材を満載したマウントラックが2台鎮座しており、何やら細身の眼鏡の少年の指示で、さきほどの作業服の二人がラックの電源をボックスに接続していた。
「音出しおねがーい」
少年の指示で、同じ年頃の少年少女が斜面に楽器やマイクスタンドを持って駆け上がる。スピーカーからは電源が入った事を示す、トランスの唸りが一瞬聴こえた。
少年少女がサックスやギターで音出しを始めると、集まった群衆から歓声が起こる。
『俺達出演者じゃないんで!出番これだけです!』
ベースの少年のアナウンスで、爆笑が起こる。中央のサックスは、日本人離れした赤毛の長身の少女だ。ただの音出し、というわりには上手い。
『サックス聴こえませーん』
『ベース聴こえませーん』
それぞれが、慣れた調子で下の少年に注文を飛ばす。少年も慣れたもので、コンソールを鮮やかな手つきで動かした。
「これでどう?」
『オッケーでーす』
『オッケー』
「じゃあもう一回全員で音出ししてみてー」
なんとも場当たり的な音響チェックだ。すでにオーディエンスが集まっているというのに。しかし、一体あの電源車は何なのか、と鷹山は思った。まるで静かなので、稼働しているとは思わなかったが、あのマウントラックの機材は確かに動いているし、スピーカーからも音は出てくる。
驚くのは、その音質だ。今まで野外イベントは何度も経験しているが、こんなにクリアな音のメインスピーカーは経験したことがない。白木のままであり、どうやら自作スピーカーのようだが、JBLやアルテックのプロ用スピーカーでさえ及ばないほどクリアな音なのだ。
「オールオッケー!」
一見すると女の子かと見紛うような少年が、張りのある声をステージに響かせると、音響チェック役の少年少女たちはゾロゾロとステージから引き揚げた。
◇
その日の朝、文房具企業の企画開発部勤務・西村美穂は、仕事は休みだというのに早起きしてしまい、寝直そうと思ったのだが、どうも目が完全に冴えてしまっていた。仕方ないので、ツイッターアプリを開く。暴露系動画チャンネルにまた誰だかの裁判沙汰の話がすっぱ抜かれた、という話で盛り上がっている。暴露系の人達っていうのは、起きて寝るまでずっと、赤の他人のプライバシーを暴くのに血道をあげているのだろうか。そういう自分の姿を客観的に想像してみて、自己嫌悪に陥らないのだろうか。他人を叩いて憂さを晴らしつつお金も儲けよう、という自分を誇らしく思えるのだろうか。まあ私には関係ないが。
そんなどうでもいい話題に混じって、ひとつの驚きのツイートが拡散されて回ってきていた。投稿時間は早朝だが、あっという間に4千リツイートを超えている。それを読んだ直後に、大急ぎで身支度を整え、29kmの距離を大急ぎで走ってこの湖畔までたどり着いた。
焼け野原としか表現できないというか、実際に焼け野原である。そこに、一体どれだけのオーディエンスが集結しているのだろうか。会社のカレンダーの集合写真が1500人くらいなので、ざっと比較して5〜6千人はいそうだ。湖の反対側の高台には遊園地があるが、たぶんそこからでもこの人波ははっきり見えるだろう。暴動が起きたのではないか、と思う人もいるに違いない。
目の前にあるのは、山火事で土がむきだしになった土塁だ。そこに、無造作に巨大なスピーカーが固定してある。見知らぬ少年少女が現れて音響チェックをしたかと思うと、さっさといなくなった。オーディエンスのざわめきは、だんだん大きくなる。自分と同じ20代くらいの人と、10代とおぼしき少年少女、30から40代以上の大人もいる。全員の視線が、まるで爆撃に遭った跡のような土塁に向けられていた。
すると、何やら仰々しいBGMが流れて、左手からパンキッシュなファッションに身を包んだ少女たちが現れ、土塁の上の”ステージ”に上がった。ざわめきは一瞬にして、湖が揺れるのではないかと思えるほどの歓声に変わった。ヘアバンドのギター、ゆるふわロングのベース、背が低くてかわいいドラムス、サングラスにお団子ヘアがミスマッチなキーボード。そして、同性でもうっとりするような、すらりとしたモデル体型のロングストレートのサックス。そう、それは確かに、今日のライブ企画が頓挫したはずのガールズフュージョンバンド、ザ・ライトイヤーズの5人だった。
【ザ・ライトイヤーズ・アンド・フレンズの野外ライブ決行!】
本日午後1:30くらいから、龍膳湖ライブハウス”ネッシー”横の焼け野原でライブ決行します!来れる奴は集まれ!近隣の許可は取ってるから心配いらない!カネ?そんなもんいらねー!NNNK-Energy、肩甲骨脱臼楽団、DRS、ホワイトアウト、Erectric-Circuitも出るぞ!
突然の完全無料野外ライブ。なぜ、当日朝に突発的に告知したのだろう。それはわからないが、とんでもない面子だ。これを聴き逃したら絶対後悔する。トップバッターはザ・ライトイヤーズ自身が務めるらしい。オリジナル曲だろうか。そう思っていると、なんだか聴き覚えのないドラムのイントロが始まった。そして、ハードロックそのもののディストーション強めのギター。サックスの子はアルトを脇に置いて、EWIでトランペットみたいなシャープなブラスサウンドを鳴らしている。
それは、驚きの選曲だった。野外ステージのオープニングナンバーは、なんとロックバンド”THE ALFEE”の2003年のアルバム、”Going My Way”に収められたハードロックナンバー”戦場のギタリスト”!焼け野原に、これ以上ふさわしいナンバーがあるだろうか。
特筆すべきは、大原ミチル、折登谷ジュナ、千住クレハのコーラスが聴ける事だ。フュージョンバンドを標榜していながら、まさかTHE ALFEEのコーラスまで、ほとんど完璧にコピーしてみせるとは!折登谷ジュナが、実は高見沢俊彦も驚くハイトーンボイスを出せるシンガーである事も、千住クレハが低く、セクシーなボーカルを出せる事もわかった。もはや、全国の高校の軽音部の立つ瀬がないほどの完成度だ。底知れない彼女たちの実力に、私は戦慄すら覚えた。
意外に見落としがちだが、ブラスサウンドが使われたロックナンバーは多い。ブラスサウンドを演奏できるメンバーがいるフュージョンバンドは、それを難なく再現できてしまう。驚くべきは、EWIを吹きながら、そのままコーラスにも参加してしまう、大原ミチルだ。どれだけ肺活量があるのだろう。
大原ミチルが歌っている場面では、キーボードがブラスのパートをカバーしている。このスイッチングも実にナチュラルで、バンドの連携のほどがわかる。ドラムは、あの小柄な子が叩いているとは思えないほど力強く、鮮烈だ。フュージョンバンドが、一瞬でハードロックバンドになってしまった。間奏のギターソロは、折登谷ジュナが水を得た魚のようにレスポールをかき鳴らす。最後のサビでは、ミチルとジュナがひとつのマイクで、キス寸前まで近づいてコーラスを聴かせた。あれはキスしているのではないだろうか。誰か動画をアップしていたら確認しよう。
火事の陰鬱さを吹き飛ばすどころか、彼女たちは、火事で焼けた跡をそのままステージにしてしまった。演奏が終わった時、天をも揺るがすような歓声が、秋の空に響き渡った。