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Light Years  作者: 塚原春海
Autumn Festival
118/187

四季「春」第1楽章

 ミチルがレイクサイド・プレジャーパークで心身をリフレッシュさせ、帰宅した夕方にその驚くべきメッセージがスマホに届いた。ジャズフェス当日に事故で倒れていた少女、市東レイネである。その後、怪我の様子はどうなったのか、気にかかっていたのだ。

『ミチルさん、お久しぶりです。その節は本当にお世話になりました。おかげさまで足も、松葉杖つきですが通学できる程度には回復しました』

 その報せを受けて、ミチルは心底ほっとした。だが、その後に続くメッセージがミチルをもっと驚かせた。

『ミチルさんから紹介していただいたフュージョンのプレイリストですが、いま仲のいい友達と3人で聴いていて、こんな音楽の世界があったんだ、と驚いています』

 どうやら、それこそジョー・サンプルだのといったコアなフュージョンナンバー群、トータル168曲におよぶプレイリストは気に入ってもらえたようだ。もっともリップサービスもあるだろうな、普通の女子高校生がそうそうフュージョンに関心を持つわけもないか、と思いながら、続きを読んでミチルは仰天する。

『添え木として貸してくださった楽器について調べて、ウインドシンセサイザーというものがある事を知り、両親に話したら、無趣味のお前が趣味を持ってくれるならと買ってもらえる事になりました。病室でも、ヘッドホンをして練習していました。意外に吹けるものですね。友達と3人で、ひょっとしたらいつかバンドを組むかも知れません』

 

 そいつは良かった、とジュナは電話口で一緒に喜んでくれた。

『意外に吹けるもの、か。はたしてどの程度で言っているのやら』

「ひょっとしたら本当に上手いのかもよ。無趣味だって言ってたけど、今まで才能が眠ってただけかも知れないじゃない」

『それなら歓迎だけどさ。なんだ、ガールズフュージョンバンドの輪が広がってるのか』

 2人は笑った。ガールズバンド、ではなくガールズフュージョンバンド。女の子がジャズをやる映画があったと思うが、フュージョンという題材の作品はあっただろうか。

『まあ、助けた子が音楽を始めてくれたってのは、嬉しい事だよな。あたしらも頑張ろうか』

「そうだね。…といっても、しばらくライブの予定はないけど」

 そこで、珍しくジュナがひとつ提案をした。

『なあミチル。そろそろ、自主企画のライブやってみないか』

「…そっか。そうだね」

 ミチルは考え込んでしまった。今までのライブは、ずっと誰かのライブが先にあっての事だった。自主企画をできないようでは、一人前のバンドとは言えない。

「やっぱりライブハウス?」

『"亀さん"あたりなら、顔は利くから話もしやすいだろ』

 亀さん、とは市内の比較的小さなライブハウス"亀ハウス"の事である。亀、とか亀さん、とか略して呼ばれている。ミチル達も何度かステージに立っている顔なじみだ。だが、ミチルはちょっと疑問があった。

「あのさ。自惚れで言うわけじゃないけど、私達、少なくともフュージョンバンドとしては、けっこう知名度高くなっちゃってるよね」

『まあ、そうだな』

「亀さんには悪いけど、あそこのキャパだと大変な事にならない?」

 ミチルは、寒い時期の年季の入ったライブハウスがどういうものか知っている。内外の寒暖差がものすごく、人が多いほど湿度がやばい。マヤなんかは眼鏡が曇るほどだ。暑いなと外に出ると、寒気の刃にさらされる。

「"マグショット"ならどう?」

『別にいいけど。あたしらの、なけなしの活動予算を使っていいなら』

「うっ」

 マグショットというのは、同じく市内のわりと広いライブハウスで、比較的集客力の大きなバンドでもなんとか対応できる。ミチル達が自分自身を過小評価していない限りは、たぶん余裕だろう。だが、ひろくて設備もまあまあ新しいぶん、料金は高く付く。

『まっ、人を集められるならそれなりに収益は見込めるか。ハコの借り賃と、レーベルの取り分を差し引いて、どれくらい残るかだな。トントン以上なら御の字ってとこだ。対バンを呼ぶなら計算はややこしくなるけど、今のあたしらでワンマンライブも無理だろ。コピーナンバーもやるなら、著作権料も発生するし』

 さすがにライブハウスに出入りしているジュナだけに、そのへんはきっちり考えている。自主企画と言うのは簡単だが、特にインディーバンドは準備が色々と大変なのだ。

『ワゴン1台で全国回ってる人達とかいるけど、凄いよな。昔のジャパハリネットの、インディー時代最後のツアーとかもそうだし』

「あんた、自分が生まれる前の事を見てきたみたいに知ってるわよね」

『それこそ、ライブハウスのおっちゃん達が色々話してくれたりもするしな。あたし、なんでかロック系のおっちゃん達と話が合うんだ』

 それはなんとなくわかる。ジュナは、女子高校生の皮をかぶったロックおじさんではないかと時々思う。それがなぜか今は、そこそこ有名なガールズフュージョンバンドのギター担当である。

『ま、やるならみんなで相談しないとな。マネージャー役の小鳥遊さんにも話通さないといけないだろ、レーベルにライブやります、って伝える事になるし』

「そうだね。先輩たちのアドバイスも聞きたいし」

 

 その夜、ミチルはベッドに入ると、なんとなく多くの物事に、ターニング・ポイントが訪れようとしているのを感じていた。何かが終わりつつある。気のせいだろうか。

 だが、休みが明けて学校に出た時、それが気のせいでないと思わされる報告があった。

「あれっ」

 珍しい人物が朝、フュージョン部の部室を訪れていた。最近はたびたび訪れるが、朝にいるのは滅多にない。

「ごきげんよう」

 すでに来ていたマーコ、クレハ、そしてこれも珍しいユメ先輩と話をしていたのは、吹奏楽部を引退した市橋菜緒先輩だった。

「おはようございます。珍しいですね」

「お邪魔してるわ」

「どうしたんですか」

 ミチルはいつもの定位置に座ると、保温ボトルのお茶をひと口飲んだ。

「ま、単なる報告なんだけどね。とりあえず、音大で受験してもいい、って正式に家族から許可が降りたの」

「わあ、良かったですね!先輩なら、東京藝大でも行けるんじゃないですか」

「買いかぶりすぎよ」

 謙遜するように先輩は笑うが、先輩レベルなら普通に行けそうだ。才媛という言葉をそのまま具現化したような人物である。

「ランクがトップだからって、結果が保証されるわけではないわ。それに、私は自惚れるつもりはないもの。チャンスを与えられたことに感謝して、やれるだけやってみるわ」

 立派だ。そこらの人間が言えば薄っぺらいセリフも、この人が言えば様になる。

「ところで、報告するのは私だけじゃないわ。ユメもあるんでしょ」

「まあ、似てる内容だけどね」

 黙っていたユメ先輩が、ミチルに向き直った。

「ミチル、ごめんね。私とソウヘイも、卒業したら県外に行くことになりそう」

「えっ」

 それは、いくばくかの寂しさを伴ってミチルの胸に届いた。

「バンド活動を考えると、やっぱりショータやジュンイチ、カリナといくらか近い場所に行くべきだ、ってソウヘイと相談したの。多分だけど、静岡あたりの理系大学に行く事になりそう」

 ミチルが露骨に寂しそうな顔をしたので、ユメ先輩はその肩に手を置いた。

「そこまで大変な距離じゃないし、会えなくなるわけじゃないわ。まあ、LINE送って明日駅で、ってわけにはいかないけど」

「…そうですね」

「ま、東京近辺でライブやる事になったら、教えてちょうだい。みんなで行くからさ」

 東京近辺でライブ。また誰かのライブに参加するのだろうか。やるなら、きちんと自分たちで企画を立てられるようにならなければ。ミチルの表情があまりに真剣だったからか、菜緒先輩は呆れたように笑った。

「なにも地球の裏側に行くわけじゃないでしょうに。それに、あなた達が今より売れて、東京が活動拠点にでもなれば話は変わるわ」

「この子達が売れたら売れたぶんだけ、忙しくて私達に会ってるヒマもなくなるでしょうけど。今のうちに、サインもらっておこうかしら。100枚くらい」

「なあに、フリマサイトで売るの!?」

 菜緒先輩のジョークで、全員が笑った。ミチルも落ち込んでいるのが馬鹿馬鹿しくなり、一緒に笑う事にした。そうだ、地球の裏側に行くわけではない。百キロ単位で離れる事なんか、離れたうちには入らない。今は、今やるべき事を考えよう。

 そしてミチルは、相談しようと思っていた自主企画ライブの件を、切り出すのを忘れてしまったのだった。


「ふうん、みんなそれぞれ、これからの活動が見えてきたのね」

 今朝は部室に来なかったマヤが、教室でミチルにプリントした譜面を手渡した。

「はい。この間の、1年生の曲を譜面に起こしたの。まあ、演奏する機会があるかはわからないけど、いちおう持っておいて」

「ありがと。…未定、ってなによ」

 ミチルは、タイトルが書かれているはずの欄に"未定"と小さく記されている事を訝った。まさか、という顔をマヤに向けると、そのまさかの答えが返ってきた。

「そのまさかよ。あの子たち、この曲のタイトルをまだ決めてないの」

「信じられん」

 タイトルというのは内容を表すとともに、必要だからつけるものでもある。M-1だのM-2だの番号を振っても、混乱してしまう。マヤは苦笑した。

「曲の進行そのまんまでいくか。ヘ長調1番、とか」

「面白いけど一回しか使えないよ。本田雅人は"サックスのためのソナタ"ってのがあるけど。っていうか、タイトルなんて作った本人が決めなきゃ。キリカでしょ、あの子もあんたと同じでタイトル決めるの苦手なのかな」

「あんたと同じ、は余計だ」

 マヤは憮然としてミチルを見た。そろそろ時間なので、マヤも無言で席に戻る。1時限目は現代国語である。太った福沢諭吉みたいな教師が入って来て、全員が起立した。

 

「ちょっと音程に乱れが出てきてるわね。しばらく弾いてなかったせいかしら」

 清水美弥子先生は、ミチルの久々のヴァイオリン演奏を聴いて、さっそくダメ出しをした。

「もう一度、曲の前に正確な音程の練習ね」

「うえー」

「何事も基礎をおろそかにしない。そうそう、最近いいチューナーアプリを見付けたの。ギターもヴァイオリンも全部対応してるわ。まず、チューナーで正確に音を合わせる所からやり直しね」

 厳しい。あなた本当に理系高校の教師ですか。けれど、音楽というのは実のところ、理詰めで考えなくてはならない要素も多い。ヴァイオリン教室を開いてもやって行けるんじゃないか、とミチルは思った。


 その後、清水先生はヴィヴァルディ"四季「春」第1楽章"を、事実上の初心者であるミチルに弾かせるというムチャブリをしてきた。ミチルは泣く泣く弾いたが、弾けているなどというレベルには程遠い。この人も顔はきれいだが中身は悪魔の部類か、と半ば本気で考えた。

 地獄の鬼も憐れむのではないか、と思える30分ほどの講習がようやく終わり、ミチルは燃え尽きた様子でケースにヴァイオリンを仕舞った。

「ま、弾けると期待はしていなかった事を加味すれば、けっこう頑張ったわね」

「もちっと優しい曲でお願いできますか」

 ミチルの懇願に、清水先生は笑う。

「わざとよ。まず、弾けない状態がどういう事かを体験しないと、弾ける、とはどういう事かわからないでしょ。自動車教習で制限速度内で練習していても、鈴鹿サーキットのセバスチャン・ベッテルのコースレコードを更新することは出来ないわ」

 どういう喩えだ。ミチルは、次回からはもうちょっと優しい曲である事を期待しつつ礼をした。

「本日も、ありがとうございました」

「お疲れ様でした。明日は会議があるからお休みね」

 そう言われても、ほっとしたのか残念なのかわからない気分である。だが戻りがけにミチルは、例の湖付近の開発工事の件を思い出して、先生に訊ねた。

「あの、先生。龍膳湖のエネルギー研究施設の件って、知ってますか」

 その質問に、清水先生はハッとしてミチルを見た。

「…どうして、その事を訊くの」

「えっと、一昨日バンドのみんなと、湖畔のプレジャーパークに行ったんです。そこで、龍膳湖を挟んでちょうどパークの反対側あたりが、その開発予定地だって、クレハが教えてくれたんです」

「…なるほど。あの子、建設企業の娘さんだったわね。お家の人が、同業者から伝え聞いていても不思議はないか」

 先生は、腕組みして窓の外を睨んだ。そういえば、クレハの所はお父さんが社長なんだろうか。まだ詳しい話は聞いていない。

「南條工科大に勤務してる友人の男性が、開発反対の急先鋒の1人なの」

 先生は、ブラインドを閉めながらそう説明した。

「エネルギー研究施設の誘致の説明会には、その人の案内で私と夫も参加したの。夫は精密電子機器メーカーの技術者だから、無関係でもないからね」

 それはまた初耳だった。夫婦で理系なのか。

「私達の関心はひとつ、それが環境に与える影響だった。誘致される研究施設の説明では、発電施設の冷却のために湖の水を利用するらしいわ」

「それって…」

 ミチルの質問を察して、先生は頷いた。

「当然、企業側は湖への悪影響はない、としている。また有害物質の空中への飛散も安全基準を下回る、とね。でも、友人やその学者仲間の試算では、施設の稼働で湖の生態系に10年以内に影響が出る、という結果が出たの。廃熱によって生き物の分布が変わってしまう事と、有害物質の二重の影響で」

「そこまでして、造らないといけない施設なんですか」

「端的に言うなら、不要ね。コストと資源を消費するだけよ」

「じゃあ、何のために…」

「お金よ」

 静かに、鋭く先生は言った。

「大原さん。お金がかかる施設とかからない施設、関わっている人達の懐に入るお金が、大きいのはどっち?」

「あっ」

「そう。この施設はエネルギーではなく、お金を動かすために造られるの。正確に言えば、一部の人達だけの懐にお金を入れるために。コストが高い、つまり動くお金が大きいほど、裏にいる人達は儲かる。設備は、エネルギー料金に転嫁されて市民から集められる。そのお金を企業は政治家に渡す。政治家はその見返りに、企業に便宜を図る。最悪の円環が完成する、というわけね」

 先生は、悪魔的な笑みを浮かべた。心の底から軽蔑している様子が伝わってくる。

「SNSで、この件について調べてごらんなさい。開発賛成派、反対派の論争が起きているわ。そして賛成派のバックには企業が、企業のバックには政治家がいる。偉い人達に自分達が裏で利用されているとは、夢にも思っていないでしょうね。権力者の肩を持ったところで、飴玉ひとつ見返りがあるわけでもないのに」

 ミチルは、背筋が薄ら寒くなるのを感じた。社会とか、政治とかについて、そこまで真剣に考えた事はない。実際、いま急にその問題をリアルに考えろと言われても、考えをまとめるのは難しい。

「湖周辺で生活してる人達には、強引な立ち退き要求が出ているそうよ。もちろんお金を積まれて、さっさと引っ越した人もいる。一方で、断固として反対している人達もいる」

「…大企業相手に戦ってるって事ですか」

「大企業と政治家よ」

 ミチルは清水先生の人間性に、初めて触れる気がした。クールな人だと思っていたが、実は反骨精神が旺盛な人なのではないか。だが、確かに深刻な問題ではあるものの、ミチルは自分などにはどうにもできない問題だ、と思っていた。女子高校生一人が憤ったところで、何が変えられるだろう。だが、子供の頃から親しんで来た湖の景観が大きく変えられてしまう事には、ミチルも許せないという気持ちはあった。

 自分に、何ができるだろう。

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