Can't Turn You Loose
そもそも当事者でありながら無関心というか、鈍感なミチルが悪いのかわからないが、とにかくその朝のミチルは、迂闊だったと言わざるを得なかった。主に問題点は2つある。
①ニュースをろくにチェックしていなかった
②想定できた事態であるにかかわらず対処を怠った
ミチル達は一昨日開催されたパシフィックオーシャンジャズフェスに、唯一の10代、しかも学校制服のガールズフュージョンバンド、さらには解散を発表したベテランジャズグループのピンチヒッターという、何もかも特殊なポジションで出演した。それは既に全国ネットで流れており、すでにミチル達の顔は知られてしまっている。
おまけにネットではどこから話がもれたのか、あの市東レイネという事故に遭った少女を助けたこと、EWIを添え木として差し出した事も、美談として語られていた。そういうバンドのリーダーが、何も考えずいつもの通りの女子高校生として、寝ぼけ眼で朝のホームに普通にパスを持って現れたらどうなるか。
「ミチルさんですよね!」
「ライトイヤーズの方ですよね!」
学生、会社員関係なく、もう唐突に人だかりが出来て、ミチルは身動きが取れなくなってしまう。なにぶん微妙に地方なので、東京なんかに比べたら列車の本数は少ない。ひとつ逃したら遅刻しかねない。
「ちょっと、ごめんなさい!通して!あんた達も遅刻するでしょうが!」
必死の訴えも、握手を求める女子高校生やOLには通じない。男性陣は距離を取ってスマホで撮影している。駅員さんが加勢して、場を収めるのに協力してくれた。
「危険ですのでホームでは騒がないでください!」
「白線から下がって!」
すると、入って来て停車した列車から降りてくる人の波から、1人の黒縁眼鏡をかけた短いポニーテールの女子高校生が出て来て、ミチルにがっしり腕を組んだ。
「おはよう、ミチル。遅刻しちゃうよ」
そう言って、女子高校生とは思えない腕の力で、ミチルを引きずったまま人波を押しのけ、列車に引きずり込んでしまう。残された人達は呆気に取られていた。
「あのっ、どちら様でしょうか」
吊り革に掴まりながら、ミチルは見覚えのないポニーテール少女を見た。同じ科技高の制服だ。だが、その眼鏡の奥の目を見てすぐにわかった。
「お前は警戒心がなさすぎるんだよ」
そう、それは他に誰あろう、フュージョン部2年の折登谷ジュナだった。ミチルは、その似合っているとは言い難いダテ眼鏡と、花火みたいに後頭部から咲いたポニーテールを見て吹き出した。
「なにそれ、変装!?」
「笑うな!それより、ほら」
ジュナはポケットからヘアゴムを取り出すと、ミチルの正面から腕を頭の後ろに回して髪を結い始めた。
「お前ぐらい長いと、結うのも楽なんだよな」
すると、ミチルの後ろにいた同じ制服の女子も、結うのを手伝ってくれた。
「あっ、ありがとうございます」
「いいのよ。大変ね、人気が出ちゃうと」
知らない顔だ。タイの色から3年生とわかる。どうやら、騒動を見ていたらしい。2人の協力で、ミチルは首の後ろで自慢のロングヘアを結い、"パッと見は別人"になった。スマホのフロントカメラで見ると、耳も出ているので一瞬誰かわからない。
「ニュースにも出てたし、ネットでも話題になってる。もう、腹くくるしかなさそうだな」
「それはそうだけど」
「まあそこらへんは、部室に集まってみんなで話し合うとしよう」
土日が濃密だったせいか、部室に来るのがものすごく久しぶりに思える。実際は2日ぶりである。ミチルたちの機材類はお昼に、ジュナの流星兄貴がまとめて届けてくれることになった。つまり、あの紫の改造ミニバンがまたしても学校にやって来るということだ。
「みんな早いね」
てっきり家が近いマーコが一番乗りで来ているかと思ったのだが、来ていたのは1年生の6人だった。しかも、なにやら全員それぞれの楽器を持ってスタンバイしている。リアナはもう、ジュナから借りている青いアイバニーズが板についてきた。
「おはようございます」
アンジェリーカは、サックスの状態を確認しているようだ。几帳面な性格なので、ひょっとしたら手入れはミチルより丁寧かも知れない。アオイもドラムスのセッティングを調整しているし、キリカは譜面とにらめっこしている。
「なあに、朝から練習してるの?」
「すげえな、去年のあたしらより身が入ってるんじゃないのか」
ミチルもジュナも、嬉しそうに後輩たちの顔を見た。サトルも心なしか、いつもより真剣に見える。
「ま、そんなとこっスよ」
「いま、レパートリーって何曲まであるんだっけか」
ジュナが訊ねると、サトルたちは指を折って自分達のレパートリーを数え始めた。まだそこまで多くはないはずだが、返って来た答えは少し予想を上回っていた。
「6曲ですかね」
「マジかよ」
「スクェアの定番曲が4曲に、このあいだ課題で出された"Minute By Minute"と…」
「あと1曲、なんだ」
おかしい。いま出している課題は5曲だったはずだ。
「なんか自主的に覚えたってこと?」
「そりゃあ偉いな!あたしらなんて、先輩たちから雨あられと課題曲を出されて、それを覚えるのに必死だったからな」
そこで、アオイが当然の質問を投げかけた。
「あの、ミチル先輩たちのレパートリーって、いったいどれ位あるんですか。前から気になってたんですけど」
「そうですね。いつも、当たり前のように色んな曲をやってみせるじゃないですか」
リアナも、他のメンバーも興味津々という様子だ。ミチルとジュナは顔を見合わせて、少し考えてみる。だが、そう簡単に答える事ができない。なぜかというと。
「わかんない。数えた事ないもの」
「50曲くらいあるんじゃないか?いや、もっとかな。最近はオリジナル曲もあるしな」
実際いろいろ練習しているうち、けっこうなレパートリーがミチル達にはできてしまったのだ。現在、約80曲がミチルたちのレパートリーである。もちろん中には演奏前に復習が必要な曲もあるが、音源を流して、一度通して演奏すればだいたいはできる。
「化け物っすね」
「先輩に化け物はないだろう」
「化け物っすよ。どうやれば、そんだけ覚えられるんすか」
「うーん」
ジュナは答えに窮した。コツを教えるというのは、けっこう難題である。自分で掴んだものというのは、他人に伝えるのが難しいのだ。悩んでいるところへ、クレハ、マヤ、マーコがぞろぞろとやって来た。マヤはコンビニの袋を提げている。
「おはよー」
「おっ、珍しいな。いつも早い3人組が一番最後なんて」
「あんたは元気そうね」
マヤは眠そうな目で定位置に座り込むと、紫の缶のレッドブルを飲み始めた。ふだんジュナの食生活に文句を言っているマヤだが、今日はさすがに体力がきついらしい。
「今日の練習はちょっとお休みしましょうか。みんな疲れてるでしょ」
クレハの提案に、マーコは「さんせー」と手を挙げる。だが、ミチルはひとつ提案した。
「1年のみんなが、また1曲練習してるみたいなの。せっかくだし、放課後それを披露してもらおうかしら」
ミチルの表情は真剣だった。1年生がまたひとつ曲を練習している、というのが嬉しいのだ。1年生のみんなは、PCの前に陣取る薫も含めて、なにやら目線を交わしつつ頷き合った。サトルは、ちょっと不敵な顔で振り向く。
「いいっすよ。丁度いいタイミングです」
「自信満々じゃない。あっ、曲のタイトルは言わないでね。私たちは放課後、第二部室で待機するから、準備ができたらスマホに連絡してちょうだい」
曲のタイトルは聴いてからのお楽しみだ。サトルは力強く頷いた。
ミチルたち2年生は、練習時間を与えるため、その朝は早々に部室を出た。ジュナはなんだか楽しそうだ。
「なんだろうな。この間、誰かが”次は本田雅人だな”って言ったのを真に受けて、本田さんの曲を練習してるんじゃないか」
「どのへん?」
マヤが訊ねると、メンバー全員が首をひねった。本田雅人の曲といっても色々ある。ソロはもちろん、T-SQUARE在籍時の数々の名曲もある。
「今までアップテンポな曲がおおかったから、ゆるい所じゃない?"JUST LIKE A WOMAN"とか」
ミチルが挙げたのは、1993年のスクェアのアルバム"HUMAN"の最後のバラードナンバーだ。本田雅人はトリッキーな曲のイメージもあるが、バラードも感動的な名曲がある。だが、クレハは首を傾げた。
「あの曲、難しいわよ。”演奏だけ”なら、そう難しくないけど」
「そうね。演奏するのと、聴かせるのは違うわ」
マヤの指摘ももっともだ。難しくないからと言って、聴き手を納得させる演奏ができるかどうかはわからない。シンプルな曲ほど、演奏能力が如実に反映されるのだ。
「"MEGALITH"じゃねーのか。何度もあいつらの前で演奏してるだろ」
「いやいやいや」
他のメンバーが、揃って手を振って”それはない”とツッコミを入れる。
「あれを弾けたらすごいわ」
「絶対ないとは言い切れないけど、間奏のリズムとか、無理でしょ」
結局5人はそれ以上考えるのを諦め、演奏が始まるまでのお楽しみ、としておいた。
その日の昼休み、ジュナの兄貴の流星から、機材を届けに来たので取りに来い、というメッセージが入った。校門の外に出ると、不審なメタリックパープルの改造バンがハザードをつけて停まっている。早く行かないと先生たちが出て来てしまうので、5人は慌てて校門の外に向かう。校内でも、すれ違う生徒や先生からも、ジャズフェス良かったよ、といった感想をもらったが、駅や道路で遭遇する一般人よりは落ち着いた反応だった。もう学校の人間は、だんだん慣れっこになっている。
「よう、みんな今日もキマってんな!」
運転席から出て来た流星兄貴は、上下紫のニッカポッカをペンキの飛沫で賑やかにデコレートしていた。そういえば、仕事着を見るのは久しぶりかも知れない、とミチルは思った。
「流星さんて要するに紫好きなの?」
ついミチルが訊ねると、流星兄貴は真顔で答えた。
「紫はいいぞ」
そうですか。ミチル達は自分の機材を受け取ると、一斉に「ありがとうございました!」と頭を下げた。要するに、運んでもらって申し訳ないが、この目立つ改造ミニバンをさっさと学校の前からどかしてくれ、と言外に言っているのだ。それを察したはずもないが、流星兄貴は白い歯をキラリと光らせて微笑んだ。
「おう!それじゃあな!」
爽やか塗装工の流星兄貴は、LEDがクルクル回るブレーキランプを一瞬光らせて、安全運転で学校前を走り去った。
「ジュナのお兄さまって面白いわよね」
「お前んとこの小鳥遊さんの方が面白いよ、クレハ」
「あっ、そういえば最近あの2人、一緒に飲みに行っているらしいわよ」
「マジ!?」
妹のジュナが知らないのに、ミチルたちが知るはずもない。市民音楽祭で知り合ったのは知っているが、そんな交流が生まれていたとは。どうもライトイヤーズの周囲にいる男性は濃いメンツが多いな、と思うミチルだった。
その時、ミチルは向かいの商店に数名のオバサンが、何やらビラを持って入って行くのに気が付いた。
「なんだろ。宗教の勧誘かな」
「違うと思うよ。なんか、開発反対とか書いてる」
「あんた読めるの!?」
ミチルは、道路の反対側にいるオバサンが手にしているビラの字を読める、と豪語するマーコに驚がくした。どんだけ目がいいんだ。ひょっとしてサバンナにでも住んでるのか。すると、マヤが思い出したように頷いた。
「ああ、龍神山の開発反対運動でしょ」
「龍神山?」
「ええ。エネルギー研究施設と、PRセンターだかが出来る計画みたい。石神遺跡を取り壊して」
「そりゃまた強引な話だね」
石神遺跡。小学校の頃、遠足で行ったはずだ。奇妙な形の石のモニュメントが林立し、中にはどうやって運んだのかわからない、500tとも推定される石のブロック等もある。何のための遺跡なのかは全くわかっていなかった。
「小鳥遊さんいわく、あまりキレイな事業ではないようね。県議会とゼネコンがつるんで、さして必要とも思えない施設を作って、動いたお金が誰かの懐に入る、という寸法よ」
「典型的ね」
クレハとマヤは溜息をついた。この2人は精神年齢が高めなので、そういう政治経済方面の話をすることがよくある。さすがに政治家とゼネコンの癒着構造くらいはミチルもわかるが。
「さ、とりあえず機材を第二部室に置きましょう」
クレハの合図で、機材を抱えた5人はゾロゾロと校門の中に入る。道路の反対側では、さっきのオバサン達がビラを持ってまた移動を開始していた。
放課後、ミチルたちが第二部室で寛いでいるところへ、ミチルのスマホに着信があった。1年生から、演奏の準備ができたので来ていい、という連絡だった。いよいよか、と期待をこめて5人は第二部室を出た。
1年生達は、どこか今までとは違う緊張の色を浮かべていた。キリカ、アンジェリーカ、リアナの3人は、何やら譜面を睨んで何度も確認している。そういえばこの3人は五線譜が読めるんだった。薫は相変わらず、PCの前で黙々とディスプレイを睨んでいる。お前今日、誰かと会話したか。
「準備いい?」
リーダーのアンジェリーカが、メンバー全員に確認を取る。他の4人は少し考える仕草のあと、無言で頷いた。ようやく、演奏開始らしい。これだけ勿体つけるということは、けっこう難曲をコピーしたのだろうか。
イントロは、軽快な8ビートのドラムスで始まった。そこへ、ちょっとロックンロールっぽいベース、スウィング・ジャズっぽいピアノが入る。なんというか、ラジオ番組のワンコーナーのBGMみたいな雰囲気だ。楽しいが、どうも聴いた覚えのない曲である。
さらに、リアナの軽快なカッティングギターが入ると、間髪入れずアンジェリーカのEWIによるトランペットが入った。何と言うか、ブラスロック調の雰囲気だ。一体この曲は何なんだ。だが、とにかく聴いていて楽しい。ジュナとマーコはリズムを取って首を振っている。そこでミチルははたと思い当たって、マヤを見た。マヤも無言でミチルに頷く。
これは、オリジナル曲だ。1年生によるオリジナルナンバーだ。以前、練習していると言っていたが、それがようやく完成したと言う事らしい。だが、ミチルとマヤはそれが、何の曲を下敷きにしたものか理解した。着想を得て、そこから自分達の音に昇華したのだ。ここまで来ると、ジュナもマーコもようやく理解したらしい。クレハはなんだか神妙な顔をしている。
演奏はさらに盛り上がる。間奏でアンジェリーカはEWIをハーモニカの音に切り替えた。上手い。これほどソロをテクニカルに吹けるのか、それともミチルに影響されたのか。どっちにしても、センスがいいのは確かだ。間奏が明けると、再びトランペットの音に切り替える。もうすでに、EWIを使いこなしている。ラストは景気良く、歯切れ良くスパッと終わった。2年生から、お世辞抜きの拍手が贈られる。
「良かったわ。…けど、なんて曲?聴いた事ないわ。聴いた事があるような気もするんだけど」
首を傾げるクレハに、ジュナが言った。
「お手本にしたのは、あの曲だろ。" Can't Turn You Loose"。ブルース・ブラザーズの曲だよ」
「あっ、そうか」
ようやくクレハも思い出したらしい。
「私も冒頭でわかった。あの曲をお手本にして、オリジナル曲を作ったのね」
マヤが訊ねると、キリカが「参りました」と拍手をした。
「さすがです。はい、これが私達のオリジナル曲、第1弾です」
「すごいわ、こんな曲を最初に作れるなんて」
ミチルは惜しみなく讃辞を送った。自分が1年前、オリジナル曲を作るなど考えもしなかった。
「先輩たちに負けてらんないな、って思ったんです。私達にも何かできるんじゃないか、って。それで、まず最初に考えたのが、私たちの動画のテーマ曲を作る事でした」
「動画のテーマ曲?」
ミチルたちは、その意外な説明に興味を持った。
「はい。私たちは動画配信をしています。今まではDTMでそれっぽいのを打ち込んでましたけど、こうしてバンドが揃ったから、それを活かさない手はない、って思ったんです」
「作曲は誰?」
「私です」
手を挙げるキリカは、どこか今までのキリカよりも大きく見えた。自信が感じられる。
「ブルース・ブラザーズを手本にしようと言ったのは、アンジェリーカです。ああいう感じの軽快な曲は、先輩達もあまりやってないと思ったので」
「言うわね。なるほど、自分達の持ち味を求めたわけか」
マヤが、リアナの手元にある譜面を見た。PCで出力したらしい。きちんとした譜面だ。
「…どうっすか」
サトルが、恐る恐る感想を求めた。こんなオドオドしたサトルも珍しい。だが、ミチルはもう一度拍手で応えた。
「うん、素晴らしいよ。素晴らしい」
ミチルの拍手に続いて、再び2年生の5人から、一斉に拍手が贈られた。