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Light Years  作者: 塚原春海
ようこそフュージョン部へ
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Anything You Need

 それは本当に「ばったり」というオノマトペが相応しい瞬間だった。啓叔父さんの喫茶店を出て、その近くにあった古書店に立ち寄ったあと、裏路地から再びアーケード街に入った、まさにその瞬間である。二人の目の前に、見覚えのある顔が現れたのだ。

 わりと最近会っている。というか、つい昨日も会ったし、なんなら一昨日もその前も。

「ごっ…ごきげんよう」

 若干引きつった顔で強張った笑みをこちらに向ける、ベージュのワンピースをふわりと着こなした、フワフワ髪のその美少女は、フュージョン部のベーシスト、千住クレハだった。クレハは、それと気付かない動作で青いビニールの袋を背後に移動させた。"a"で始まる店名らしきロゴが一瞬見えたが、読み取る事はできなかった。腰には、ワンピースに似合っているかどうか何とも言い難い、大きなレザーのバッグを下げている。

「クレハじゃんか。お前も出かけてたのか」

 ジュナが無邪気に声をかけるものの、クレハの顔はまだ引きつっていた。普段クールで知的な美少女の、なかなかお目にかかれない表情である。

「どうせなら一緒に歩かない?」

 ミチルは笑顔でそう提案したが、クレハは食い気味に手を振って遠慮した。

「おっ、お邪魔したら悪いから」

「そんなことないよ。ねえ」

 ジュナに振ると、あっけらかんと頷く。だが、クレハはすでに足を後退させていた。

「ごめんなさい、ちょっと、用事があるから…ふふふふ」

 その笑みの奥底に「近寄るな」という波動を感じて、ミチルとジュナは後退りして立ち去るクレハを、怪訝そうに見送った。

「なんなんだ、あいつ」

 ジュナが眉をひそめた。明らかに、何かを隠している。隠しているという意志がバレバレだった。

「そもそも、あいつの生態も謎なんだよな」

「フュージョン部最大のミステリーよ。小説を読んでる以外は趣味もわからないし、そもそもあの娘の家に行った事がある人間が一人もいない」

「それそれ。前にみんなで遊園地行った時、地理的にクレハん家で集合するか、行った事ないし、って言ったら、なんか理由つけて上手に回避してただろ」

 回避。つまり、そもそも家に近寄らせたくない、ということだ。

「つまり、家を見られたくないって事なんかな」

「家というより、彼女自身のプライベートを見られたくない、って事でしょ」

 ミチルはそう判断した。なるほど、とジュナは頷く。

「さっき下げてた袋とバッグか」

「そうね。それとなく隠してたし」

「そういや、あいつの家って婆さんが華道の家元だか何だかなんだろ?そこそこ由緒正しい」

「そうなの?わたし、茶道の裏千家だか何だかって聞いたけど」

 何やら情報が錯綜してハッキリしない。そう、クレハは家からして謎なのだ。身なりや立ち居振る舞いから、育ちがいいのはわかる。なんとなく、メンバーの中で次元が違う雰囲気である。

「まあ、そういう格式高いお家なのは間違いないって事なんでしょうね」

「けどな、そんな家の娘が、なんでベースギターなんか弾き始めたんだ。それも、5弦ベースもフレットレスも弾きこなしてるんだぜ。茶道の家元って、ベース弾きながら茶を立てるのか」

 そんな、芸人の漫談みたいな茶道があってたまるか、とミチルは鼻白んだ。

「謎だな」

「謎ね」

 二人はそう締めくくる以外になかった。それを本人に追求したら、何となく無言でジャズベースで殴られそうな気もする。ひとまずクレハの件は保留ということで、二人は何となくゲームセンターに入った。


 その後も地下鉄で遠くまで出かけ、初夏というにはもう熱い日差しの中を、二人はあちこち歩いた。今度は自転車で出かけようか、などと話しながら。

 そうして夕方、ちょっと早めの夕食をファミリーレストランでとっていた時だった。ミチルは、熱いラザニアをスプーンでつつきながら、ぽつりと呟いた。

「楽しかったね」

 その言葉と裏腹に、なんとなく不安を押し殺しているのがジュナにはわかった。一足早く食べ終えた皿を脇に寄せて、アイスミルクティーを傾ける。カラン、とグラスが鳴った。

「そのわりに不安そうな顔してるな」

 ジュナはかすかに微笑んでいる。ミチルは苦笑いした。

「あのね。実はあなたが今日誘ってくれて、助かった」

 助かった。嬉しかった、ではない。それがミチルの正直な気持ちだった。フュージョン部の今後のことで、不安と責任感がミチルを追い込んでいたのだ。ストリートライブも今のところ、さしたる効果は見られない。オーディオ同好会の薫には、1年生の入部希望者が現れたらLINEを入れるよう頼んでいるが、今のところメッセージは来ていない。

 もう実質10日あるかないか、という残り時間で、部員5人獲得など無理な事くらい、誰にでもわかる。事実上すでに「詰んだ」というところだ。プロ棋士の藤井聡太くんなら、ここから打てる手を見出してくれるだろうか。

 ジュナは、汗をかいたグラスを置いて言った。

「あたしが何を言おうとしてるか、ミチルはひょっとしたら、察してるかも知れない」

 やや下向き加減に、ジュナは言った。

「だいたい察してるなら、それで正解だ。だから、ことさら言葉にしては言わない事にする」

「うん」

「そのうえで、あたしの選択はひとつだ。ミチル、あんたが今やりたい事を、あたしも支える。どんな結果になっても」

 ジュナは、ごく真剣な表情でそれだけ言った。余計な事は何も言わない。不意に、ミチルの視界がにじんで見えた。

「泣くな。傍から見ると、失恋の報告されてるようにしか見えねーぞ」

「泣いちゃうような話しないでよ」

 抗議するミチルの涙を、ジュナはナプキンで拭ってくれた。サバサバしているようでいて、情に厚い少女だ。

「ありがと」

「ああ」

「コーヒー持ってくる」

 立ち上がろうとするミチルを、ジュナは手で制した。

「あたしが持ってくる。モカの濃いめ、ストレートだろ」

「なんでわかるの」

「どんだけ一緒にいると思ってんだ」

 やめろ、また泣くぞ、とミチルは心で抗議しつつ、笑って頷いた。


 ジュナが持ってきてくれたホットコーヒーを飲みながら、ミチルは少しだけ気持ちを取り直した。

「まだ、可能性はゼロじゃない。…だいぶゼロに近いけど」

「ああ」

「それでね。昨日からずっと、引っ掛かってるんだ。市橋先輩が言ったこと」

 ミチルは、吹奏楽部の後輩の暴言を制して謝罪したあと、意味ありげな言葉を残した3年生、市橋菜緒を思い出していた。

「なかなか気風のいい人だよな。ああいう人、嫌いじゃない」

 ジュナは、ついでに注いできたホットココアをひと口飲んだ。アイスティーで体が冷えたらしい。もともと男勝りな性格のジュナにとって、市橋菜緒のようなハッキリした女性は好意的に映るようだ。

「うん。けど、あの人にしては妙に思わせぶりだったよね。最後のセリフ」

「フュージョンなんて音楽は存在しない、ってやつか」

 脚を組んで、渋い顔をしてカップを傾ける。ドラマに出て来る、事件について考え込む刑事みたいだとミチルは思った。

「それ、吹奏楽部だったら"吹奏楽なんて存在しない"って事になるのか」

「うーん。ちょっと違うような」

「まあしかし、さっきお前の叔父さんの店で、大昔のフュージョンを聴いてて思ったけど、フュージョンってのも曖昧なジャンルではあるよな。ソフト・マシーンなんて、プログレジャズとか分類されてるけど、単に"プログレ"って言っても文句はない。それなのに、大枠ではフュージョンって事になってる」

 その、ジュナの意見にミチルは何か感じるものがあった。

「お前の好きなキャンディ・ダルファーだって、当たり前のようにボーカル曲がある。ロックって言ってもいいけど、ジャズ・ファンクって事になってるし、もっと大雑把にフュージョンって扱われたりもする。そう考えると、フュージョンって何なんだ、ってなってくるな」

 ミチルの思考はさらに刺激された。フュージョン、とは何か。今更に、根源的な問いかけだった。ミチルは、考え込むタイプである。それをよく知っているジュナは、カップを置いて言った。

「ここで考えたって答えは出ないだろ」

「…そうだね」

「明日はゆっくりしてなよ。あたしは、アイバニーズをなんとか直してみる」

 まだ直すのを諦めていないらしい。その往生際の悪さも、ひとつの才能だなとミチルは笑った。


「じゃあね。今日は楽しかった」

「また学校でな」

「うん。バイバイ」

 列車のドアが閉まり、ホームに立つジュナの姿がだんだん遠くなる。夕焼けをバックに立つジュナのシルエットが格好良い。ミチルはスマホを開き、今日撮ったジュナとのツーショットをスライドしていった。



 その夜、ミチルはシャワーを浴びたあと、ベッドに寝そべりファッション誌をめくっていた。ジュナの、音楽祭での衣装がやや心配なので、早めにコーディネートをみんなの圧力で決めておく必要がある。でなければ、取って置きの変な日本語Tシャツを着てくるに決まっている。最悪、現場でまともなTシャツに着替えさせよう。ジュナの脳内には小学3年生男子が棲んでいるのだ。

 そんなことを考えていると、ドアを誰かがノックした。

「お姉さま、いらっしゃいますか」

 弟のハルトだ。なんだその口調は、気持ち悪い。

「口調を直して出直すがよい」

「失礼つかまつった。あのさ姉ちゃん、ちょっと文化祭のことで頼みがあるんだけど」

 なんだ、突然。ミチルはドアを開ける。いかにもスポーツやってます、という髪型のハルトが立っていた。白地に「明日は風呂入る」と極太ゴシックで書かれたTシャツを着ている。風呂なら今日のうちに入れ。

「文化祭?」

「うん。うちら、バンドやる事にしたんだけど」

「ほう」

「機材一式貸してもらえたらな、って。俺はギター担当予定」

 なるほど。音楽系の姉に楽器を借りて、費用を軽減しようということか。しかし、甘い。

「機材一式って、まじで言ってるの」

「うん」

 真顔だ。事情というものを知る気持ちが全くない。これが中学2年男子というものか。

「貸せるわけないでしょ!あたし達の機材の半分は部費で買った、半分学校のものなの。ドラムスとか、モニターとか。あたしはサックス系しか持ってないから、貸せないよ。ロックバンドでしょ」

「ちぇー、けち。なら、姉ちゃんの友達のジュナさんとかに、ギターくらい頼めない?」

「けちはあんたでしょ。今どき、ギターなんてそこそこ使える安いやつ売ってるわよ」


『って、弟に言っちゃったんだけど』

「あー、ギター弾かない奴らしいセリフだね」

 ミチルからの電話に、ジュナは呆れ半分で笑って返した。

「確かに今の激安ギターはバカにしたもんじゃない物もある。目利きと調整ができればね。けど、まあ初心者だろうから音質は別として、演奏中にチューニングが狂いやすい物もあるし、下手をするとケガしちまう」

『ケガ!?』

「稀にだけど、フレットの端が飛び出てたり、バリが残ってたりする。マジで流血するよ。というかあたしも経験者だ」

 ジュナは、それこそ中学の頃に安物ギターで左手をケガしたことを思い出していた。ミチルが絶句している。基本的にミチルはサックス、EWI、フルート専門であって、ギターもキーボードもからっきしである。ジュナは笑った。

「そんなの買うくらいなら、あたしが家にあるやつ貸してやるよ。安物だけど、調整してるから大丈夫。何なら格安で売ってやってもいいよ、もう使わないし。そうだな、4千円ってとこでどうだ。ボロいソフトケースもくれてやる」

『ほんと?あーちょっと待ってて、いま弟に聞いてくる』

 ドタドタという足音がスマホの向こうから聴こえた。我ながら絶妙な価格設定だとジュナは思う。すでに改造してあるから、どうせリサイクル店でも二束三文でしか売れない。中学2年なら、4千円はどうにか捻出できる範囲だろう。へたに1万2千円だとかの変なセットを買わせるよりは、良心的というものだ。

『おまたせ。うん、買うって。どうすればいいかな』

「明日ヒマなら取りにくれば?弟くん連れてさ。アイスとドリンクくらいなら出るよ」

『ふふ、じゃあお邪魔するね。おやすみ』

「ああ。おやすみー」



 我が弟ながら持っている奴だ、とミチルは思う。機材一式というムチャブリを持ちかけて、格安で使えるギターを確保した。

「ハルト、あんたギターはいいけど、なに弾くの」

「amazarashiとか、ユニスクとか、バンプとかやろうって事になってる」

「デイリーランキングからそのまま持って来たようなチョイスね。でも、ちゃんとやれる自信あるの?」

「いいだろ、下手でも。みんな好きなんだから」

 そう言って、ハルトは自分の部屋に戻っていった。その最後の言葉がまた、ミチルの心に何かを訴えた。そのとき、ミチルは昼間に啓叔父さんから言われた言葉を思い出していた。

『好きな音楽を、好きな音で聴けるのがオーディオのいいところだ』

 なぜ、その言葉が気になっているのか。それについて考えた時、脳裏によみがえったのは市橋菜緒先輩から言われた一言だった。


『そんな音楽をやっているようでは、部員なんか一人も獲得できないわね』


 そんな音楽。音楽に対して公平な熱意を持っている、市橋先輩らしくない。そんな音楽、とは何に対して言っているのか。フュージョンそのものに対して言っているのか。

 ちがう。市橋先輩が言っていたのは、フュージョンというジャンルに対してではない。ミチルたちの演奏に対して言ったのだ。だが、その直前に先輩はミチルの演奏を称賛してくれた。それなのに、演奏に不満があるという事なのか。きちんとできている演奏に、何が足りないというのか。


 その時、ミチルは雷に撃たれた思いがした。


「あっ」


 ミチルは立ち上がり、部屋の隅に立てかけたEWIをしばらく見つめていた。頭の中で、様々な音楽が鳴り響く。そして、ミチルはひとつの結論に辿り着き、スマホを開くとLINEを立ち上げ、フュージョン部2年生のグループにメッセージを送信した。文面は、次のようなものであった。


『みんなが演奏したい音楽、曲目を教えて。何でもいい。この世界にある音楽なら、どんな音楽でもいい。自分が心の底から演奏したい音楽を、遠慮なくリストアップして、みんなでそれを共有しよう』


 それは、ミチルがチェックメイト寸前のボードに見出した、賭けの一手だった。

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