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Light Years  作者: 塚原春海
Autumn Festival
109/187

Stars and the Moon

 4曲目の演奏が終わった頃、すでに陽は沈みかけ、空はバイオレットカラーに染まり始めていた。ミチルたちザ・ライトイヤーズの演奏も、残り2曲。だがここでミチルたちは、機材トラブルだとかの問題ではない、もっと単純な問題に遭遇していた。

 今は11月。そしてここは野外ステージであり、それも海浜公園である。つまりどういう事か。

「(…寒い)」

 そう、単純にステージの上が寒いのだ。ただでさえ一段高い場所であり、冷たい空気が演奏で汗ばんだ身体を締め付ける。学校のワンピース制服の下には保温性のアンダーウェア、スカートの下には厚手のパンストの上にハーフレギンスという重装備で来たのだが、そんなものでは11月の海沿いの風の冷たさに、大して防御力はなかった。他のメンバーを見ると、マーコとマヤはステージの奥側で多少風は防げるようだが、ミチル、クレハ、ジュナのフロント組はきつい。とくに辛いのはミチルである。何がというと、アルトサックスという2.5kgの冷たい金属の塊を手にしているのだ。

 ミチルはこのとき、プロのミュージシャンには様々なハードルがあるんだな、と思い知らされた。夏の野外は羽虫がたかってくる。秋冬は羽虫のかわりに、身体を突き刺す冷気が襲ってくる。それでも、オーディエンスには笑顔で演奏を聴かせなくてはならない。対処法はたったひとつ、「演奏する」それだけだ。


 

 ディスプレイの向こうで、ミチルが再びマイクの前に立った。

『私が音楽の道を志したのは、子供のころ、叔父の車で聴いたキャンディ・ダルファーのサックスの音がきっかけでした』

 冷たい空気を伝わって、姪の声が響く。

『その頃は当然、ジャズファンクなんて言葉は知りませんでした。ただ、輝くようなアルトサックスの音が、私の中の何かに火を点けました』

 語りながら、ミチルは後方のメンバーの準備が完了しているのを確認する。叔父の贔屓目もあるが、もう一端のプロだ。

『いつか、もしキャンディと同じステージに立てたなら、それは私にとって、千光年の彼方に到達するにも等しい事です。この素晴らしい仲間たちと、夢を追える幸せに感謝します。残り2曲、お付き合いください。"Dream Code"、そして"Twilight In Platform"』

 カメラが気をきかせて、ミチルの顔をクローズアップする。これが、あの道端を走り回って土だらけになっていた姪っ子か。いや、そうではない。ミチルはあの時と何も変わっていない。川の向こうだろうと、ステージだろうと

行きたい場所に何がなんでも行くのがミチルなのだ。

 カメラは再び、ステージ全体を映しだした。シンセの少し不思議なイントロが流れ、ベースギター、ドラムスのシンプルなイントロに移行する。ジャズから黎明期のクロスオーバー、それこそマイルス・デイヴィスがエレキを取り入れた頃の作品から、あらかたの作品を聴いている啓だが、あまり聴いたことのないサウンドだ。強いて言うならリッピントンズに近い気もするが、作曲したミチル本人は、なんと夢の中でメロディーを聴いたのだという。そこに肉付けして出来上がったのがこの曲、”Dream Code”らしい。編曲はあのお団子のキーボードが主に担当しているそうなので、サウンド全体の雰囲気は彼女によるものなのだろう。今さらだが驚くべきは、彼女たちはまだ16や17の女子高校生だという事だ。

 あるいは、若いから未熟だという大人の感覚が間違っているのだろうか、と啓は思う。始めるのに遅すぎるという事はない、というのはいくらか真実かも知れないが、早すぎるという事もないのかも知れない。



 オーディエンスのうち3割くらいは、ザ・ライトイヤーズの配信している音源をすでに聴いている。その中の一人の少女、高見沢ハルナは、今まで映像やサブスクの音源でしか触れられなかったガールズフュージョンバンド、ザ・ライトイヤーズが目の前にいる事に感激していた。もう、サブスクの曲のギターは完全にコピーできる。それまでロック一辺倒だったハルナは、ロックの姉妹、親戚であるフュージョンを追及する少女たちがいることに、衝撃を受けたのだ。もちろんジャズやフュージョンをやっている女子高校生は、全国にいくらでもいるだろう。あるいは、ステージの彼女たちより”上手い”子たちだっているかも知れない。だが、彼女たちは普通ではない何かを間違いなく持っている。

 あの、ギターの子と友達になりたい。ハルナはそう思った。彼女の隣で、愛用のポール・リード・スミス(中古)を一緒に弾きたい。軽音部のみんなには申し訳ないが、本当にそう思ってしまう。正直に言ってしまえば、自分達とザ・ライトイヤーズの演奏レベルは違いすぎる。

 それにしても、なんて爽やかで希望的な曲だろう。”Dream Code”。作曲は大原ミチル、あの真ん中のサックスの子だ。編曲は金木犀マヤ。クールそうに見えるが、お団子ヘアが可愛らしい。編曲はほぼ全て、この子がやっているみたいだ。おそらくだが、音楽の基礎を学んでいるのだろう。

 この曲の特徴は、無音部分、いわゆる”ブレイク”が使われている点だ。完全な無音のブレイクが3回、パーカッションだけのブレイクが2回。これが、爽やかだけれどどこか夢幻的なサウンドの中に、絶妙なアクセントを加えている。およそ信じがたい事だが、これを作ったのはハルナと同じ歳の少女たちなのだ。正直、最初は”負けた”と思った。だが、ハルナはそれ以上に、音楽の世界に垣根はない事を思い知らされた。興奮して、中のいい友達にステージの写真を送り付けた。音楽にさして興味はなさそうな、レイネにまで送ってしまった。

 間奏、ギターソロが始まった。聴くだけだとそれほど難しくは感じないが、コピーしてみるとその難しさに気付く。あの折登谷ジュナという少女のギターは、ハルナが練習してきたギターテクニックと何かが違う。上手い下手ではなく、たぶん奏法だ。何と言うか、曲と一体感がある。コピーしていても、なぜそうなるのかがハルナにはわからない。彼女とじかに話をして、訊いてみたい。そんな機会があるだろうか。



 ”Dream Code”のギターソロは、ジャズのコードソロ奏法を部分的に取り入れてある。これはジュナのアイディアだ。コードソロ、ものすごく雑に言うと読んで字のごとく、コードで弾くソロ。中学で組んでいたバンドでは、ごく普通のロックのソロを弾いていた。高校でフュージョン部に入ると、田宮ソウヘイ先輩から最初に叩き込まれたのが、ジャズの奏法だった。

 特に練習したのがジャズギターの巨人、ウェス・モンゴメリーだ。コードソロ奏法もそうだし、オクターブ奏法というのも先輩を通して身に付けた。先輩はパッと見、うちの兄貴と同じ系統のチャラ男に見えて、実際そういう側面もあるが、こと演奏に関しては人が変わったようにストイックになる。飄々としているせいで忘れそうになるが、実のところ基本的なテクニックを習得している範囲は、現在のジュナも及ばない。へたにレクチャー動画を探すより、先輩に訊いた方が早いくらいだ。

 テレビで見ている先輩は、ジュナの演奏をどう聴いているだろう。もう教える事は何もない、などと少年漫画の師匠キャラのモノマネで誤魔化しているが、本当はもっと教えたい事があるんじゃないだろうか。そんな事を頭の片隅で考えながら、ジュナは間奏明けのミチルのサックスにつなぐソロを弾いた。



 もう、教える事は何もない。ソウヘイは、スピーカーから聴こえる弟子のジュナのソロを聴きながら、そう思っていた。というより、もう放っておいても自分なんか簡単に超えるだろう。まったくもって信じられない思いだった。1年前の彼女は、安藤まさひろのギターを一生懸命に練習していたと思う。情感とテクニックの両方を兼ね備えた、ギターの神だ。それを高校1年がコピーしようというのだ。キャンディ・ダルファーのサックスにこだわるミチルといい、今年の1年はなんだか面倒な奴が多いな、と思いながら、それもまた楽しいと思い始めたのが、ちょうど去年の秋くらいからだ。

 ジュナは最初、目つきは鋭いが可愛い子だと思った。デートに誘おうかと思った事も、正直に言うとある。だが、どうもギターを教えているうちに、そういう考えがどこかに消え去ってしまった。この子とは、ずっとギターの師匠と弟子でいたい。そう思うようになったのだ。恋愛感情が介在したら、純粋にギターを楽しめなくなるかも知れない。それよりは、ギターで繋がっている方が楽しいと思ったのだった。もう、それも遠い過去のように思える。あいつは今でも、俺を師匠と思ってくれているだろうか。そんな事を考えると、ソウヘイの心の片隅に、わずかに寂しさが去来した。



 ジュナが、すぐそばでギターソロを奏でている。体温が感じられるくらい近くで。冷たい風が吹き抜けるステージで、相棒の眼差しはいつもと変わらず熱かった。出会った頃を思い出す。最初はロックをやっていたというから、好きなバンドの話で盛り上がった。マイケミは特にお互いの共通項で、音源を流しながら一緒にギターとサックスを演奏したのを、今でもありありと思い出せる。ミチルはギターを知らなかったし、ジュナもサックスなんか知らなかったので、逆にそれが互いを認め合う要素になった。ロックとジャズ・フュージョン、ギターとサックス。関連しながらも別々のルーツを持つ2人は、すぐに意気投合した。

 ジュナに、プロを目指していると打ち明けられた時は、驚きと納得の両方の気持ちがあった。嬉しかったし、同時に怖くもあった。プロを目指す。ミチルは、漠然と思い描きながらも、はっきりと言葉にできないでいた。けれど今、こうしてプロの世界に足を踏み入れようとしている。あの夏から、4カ月足らずの時間しか流れていないというのに。

 ジュナの視線がミチルに投げかけられる。さあ、あたしのソロは終わるぞ。あとはミチル、お前の仕事だ。頼んだぜ、相棒。ミチルは、唇が触れそうなくらい近付いて、強く頷いた。任せろ、相棒。


 ミチルは再びステージの中央に立つと、アルトサックスをマイクに向け、息を吸い込んだ。ギターソロを受けて、サックスのソロを吹く。この曲でもっともパワフルなパートだ。ここで一気に盛り上げて、ラストのサビに持って行く。構成としてはT-SQUARE”夜明けのビーナス”の展開を意識したものだ。オーディエンスが盛り上がっているのがわかる。楽しい。そして、信じられない。いま、自分はサックスのソロで数十万のオーディエンスを沸かせているのだ。それは、まるで夢のような光景だった。本当に、夢でも見ているのではないか。

 ソロが終わって、マヤのキーボードとマーコのドラムスが、曲のラストへと導く。もう、5曲目が終わる。その後は、いよいよラストの新曲だ。


 ミチルのソロが終わる。本当に、どこまで上手くなるんだろう。誇張抜きで、1週間刻みで演奏レベルが上がっているとマーコは思う。1年前から、ミチルは努力家だった。どうしてここまで真剣にやれるんだろう、と思った。

 フュージョンって何だろう。マーコは、高校に入って何となく部活を決めあぐねている時、音楽系の部活が吹奏楽以外はそこしかない事に気付く。中学の時、いちおう軽音部に所属してはいた。だが、流行りの曲をやるだけの、まあまあ楽しくはあったが面白味に限界もある活動だった。マーコとしては正直、あまり身を入れていたとは思えず、あれを音楽活動の経験に数えていいのか、とさえ思えた。

 フュージョン部に誘って来たのは、クラスメイトのジュナだった。何かの話の流れで”一応”ドラムやってたよ、と打ち明けたところ、そんなら一緒にフュージョン部に見学に行こうぜ、と連れ出されたのだ。

 ドラムセットを見るのは久々だったが、じゃあちょっと叩いてみるか、と当時2年生のジュンイチ先輩にスティックを貸し出された。そこで適当に、ほんとうに適当に叩いてみせた所、先輩達が拍手もせず、真顔で近付いて来た。お前はうちに入るべきだ、という。ジュナはジュナで、その時もうすでに田宮ソウヘイ先輩とギター談義を始めていた、と記憶している。

 フュージョンって何なんだ、という疑問は、その見学では解けなかった。そもそも、ドラムが好きなのに音楽の事はあまり知らない、という奇妙な存在の自覚がマーコにはあった。8ビートとか16ビートも、その時は全然わかっていなかった。この曲のリズムはこう、と耳と腕で覚えていたのだ。

 その後、ミチルたちとの練習は楽しかった。聴いた事もない音楽をたくさん知った。タイトルは知らないが演奏はできる曲もかなりある。それじゃダメだとマヤからは言われているのだが。ドラムしか知らない自分に、居場所ができた事が何より嬉しかった。メンバーの中では、たぶん一番主体性に欠ける人間だろう。それでも、ドラムを叩くのは楽しいし、みんなと一緒にいる事が何より楽しい。マーコは、ドラムでみんなの演奏を繫ぐのが好きだった。今やっている、この曲もそうだ。最後のサビが終わって、サックスとギターの交互のソロで締める、その繋ぎの役割がマーコだ。ミチル、ジュナ、あとは頼んだよ。


 マーコのドラムを受け、ミチルはラストのソロを力強く吹いた。もう、ここからは勢いだけだ。ジュナのギターと、ミチルのサックスのバトル。ジュナは感情のままフレーズを紡ぎ出す。彼女のサウンドと、自分のサックスが絡むこの瞬間、ミチルはいつも背筋がゾクゾクする。ジュナと自分が一体になっているような感覚だ。演奏が終わった時の心地よさは、きっと説明しても伝わらないだろう。

 全員のプレイが最高潮に達し、弾けて、ザ・ライトイヤーズの代表曲の演奏が終わった。

『どうもありがとう!!』

 ミチルが叫ぶ。オーディエンスから、怒涛のような拍手と喝采が押し寄せた。もう、陽はほとんど見えず、西の空だけが赤く染まっていた。次の1曲で、ミチルたちのステージは終わる。空には星と月が見え始めていた。

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