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Light Years  作者: 塚原春海
Autumn Festival
108/187

Shiny Cloud

 貸し切りの純喫茶"ペパーミントグリーン"で、パシフィックオーシャンジャズフェスの中継鑑賞会に参加しているフュージョン部の1年生と3年生は、ステージ上で思いがけず自分たちを紹介され、誇らしくもこそばゆい気持ちで60インチのディスプレイを観ていた。壁の凹んだスペースに埋め込まれたタンノイのスピーカーから、ミチル達の演奏が聴こえてくる。

「また上手くなったね、あの子達」

 佐々木ユメは、毎日数量限定のカスタードプディングをすくう手を止めて、演奏に聴き入っていた。

「この曲、マヤが作曲したんですって?」

「そう」

 マヤの師匠であるキーボード担当のカリナが、「ワシが育てた」と自慢げに胸を張った。

「メロディーやリズムそのものは難しい所はないけど、主旋律を各パートがシームレスに引き継いで行くっていうのは、よほど息が合ってないと無理だね」

「ここ。小節の途中でEWIからギターにメロディーが引き継がれてる。そんな構成、誰が考えるのよ」

 そこまで言って、ユメはおかしな事に気付いた。

「あれ?なんでソプラノサックス使ってるんだろう」

「そういえばそうだね」

 おかしい。この"Friends"というマヤが作曲したナンバーは、ギターやキーボードと音色を合わせるため、ミチルもアルトサックスではなくウインドシンセサイザー、AKAIのEWIをいつも使っているはずだ。それがなぜか今回はソプラノサックスを使っている。

「この音色も悪くないんじゃない?EWIと違う柔らかさがあって」

 カリナの感想にユメも同意したが、ミチルはソプラノサックスをそれほど積極的に使わないプレイヤーだ。どういう経緯で機材を切り替えたのか、明日訊いてみよう。

 曲は、ベースとドラムスそれぞれ単体のソロという、ひと癖ある間奏に入った。特にドラムスはそれだけで1分以上ある、マニアックな構成である。今回はだいぶアドリブをきかせていて、マーコの師匠ジュンイチがニヤニヤして聴き入っていた。

「どう?ジュンイチ。師匠としては」

「あいつはもともと師匠なんて要らないタイプだよ。俺はただ、練習の仕方を教えただけだ」

「またまた。嬉しそうな顔してるわよ」

 ユメがからかうと、ジュンイチは無言でアイスコーヒーのグラスを傾けた。



 ミチルが危惧していたソプラノサックスの音のマッチングは、意外なくらい問題なかった。それどころか、今後はソプラノサックスをリファレンスにしてもいいくらいだ。メインのメロディーがEWI、エレキギター、シンセと全て電子楽器なので、ひとつアナログ楽器が入るとアクセントになる。メンバーの表情を見てもおおむね好評のようだった。あの海沿いの道路で倒れている少女を発見していなければ、このソプラノサックスはバンか楽屋で眠っていたはずである。怪我の功名と言ったらあの少女には申し訳ないが、そういえば彼女は病院に運ばれて、安静にしているだろうか。

 2曲目が終わると、普通と言うのも変だが、1曲目のあとよりはストレートな歓声と拍手が届けられた。いよいよミチル達のエンジンにも熱が入る。ボルテージが高まる中、ミチルは再びアルトサックスに持ち替えた。あとの曲は全てアルトの曲である。

 3曲目"Seaside Way"は、もともと"気楽に演奏できて気持ちいいナンバー"として制作された事もあり、ステージの5人もオーディエンスも、特に身構える事なく楽しんだ。T-SQUAREでいえば"宝島"みたいなポジションの曲だ。

 まったくの偶然だが、演奏しながら5人とも、何かと自分たちは海辺での演奏に縁があるバンドだなと、このとき同時に考えていた。横浜でのステファニーのライブもそうだし、リモートコンサートも現地の会場はマイアミの海辺の公園だった。そして今回も海浜公園だ。しかも、全ての出演が本来はイレギュラーで、急きょ決まったというのも共通している。

「(海に縁でもあるのかな)」

 演奏しながらそんな事を考え、おいおい、ずいぶん余裕があるな、と自分にツッコミを入れるミチルだった。

 楽しい。ステージで演奏するというのは、こんなに楽しい事なのか。緊張の大きさはそのまま、興奮に変わっていた。出演前に話をした、ひと癖ありそうなブルースシンガーも、こんなふうにステージを楽しんでいるんだろうか。



 ミチル先輩楽しそうだな、と村治薫少年は、タンノイから流れる先輩たちの演奏を聴きながら小さく笑った。自分は、あんなに楽しそうにできる事があるだろうか。

 気が付くと、すぐそばのカウンター席の椅子に、店のマスターでミチル先輩の叔父さんだという人物が腰掛てコーヒーを飲んでいた。

「うちの店の音響はどうだい」

 40代半前半というところか、まだ若々しいマスターは、テレビに目を向けたまま訊ねた。

「まあ、いいんじゃないですか」

 薫は、それとなく無難に答える。だが、マスターは先輩と同じ血を引いている事もあってか、一筋縄ではいかない人物のようだった。

「どう、いいのかをレビューしてほしいところだね。君だろう、ミチルが言ってるオーディオ少年っていうのは。俺は大原啓。啓蒙思想の啓、と書いて、ハジメ。よく、ケイって呼ばれて困る」

「…村治薫です」

 やや困った顔で薫は返しつつ、壁の凹面スペースに埋め込まれた形の、タンノイのスピーカーを眺める。

「スターリングですね。最初に見たときは埋め込みセッティングからして、壁の干渉でボンボン鳴るのかなと思ってましたけど、案外すっきりした音で驚いてます」

「なるほど」

「こういう喫茶店だと、真空管アンプとかを好んで使いますけど」

 薫は、カウンターの奥に見えるアキュフェーズのプリアンプを見た。40万くらいのモデルだ。特に高い方ではない。

「パワーアンプは?」

「ラックスマンの中古だ。トランジスタだよ。真空管も好きだが、すっきりした端正な音を鳴らしたいもんでね」

「珍しいですね」

 薫がそう言うと、マスターは笑った。

「君こそ珍しいよ。高校1年生で、そこまでオーディオ談義ができるなんてな」

「そうですか」

「君はどういうシステムで聴いてるんだ」

 そこから、先輩たちの演奏をBGMに、オーディオファンどうしの語らいが始まった。薫の自宅のシステムは、中古で揃えた安いものだ。だが中にはジャンクの故障品で見つけた、定価だと10万を超えるプレイヤーを、学校で"完動品"に直した物もある。アンプも中級機だが部品交換や筐体の強化などで、オリジナルより音質は格段に上がっているはずだ。

「なるほど。さすが、科技高生といった所だな」

 心から感心したように、啓さんは笑った。

「それだけ知識や技術があるなら、そっちの道に進む気もあるのかい」

「…たとえば?」

「何でもあるだろう。オーディオメーカーに入るとか、音響エンジニアとか。ミチルは、マスタリングエンジニアになって欲しいそうだけどね」

 何を言いふらしているんだ、先輩は。外堀から埋めるつもりか。薫は眉をひそめた。

「…まだ、ハッキリとは決めてませんけど。でも、音に関する仕事をしたいとは思っています」

「若い頃はそんなもんだろう。それでいいよ。何か食べるかい」

 啓さんは立ち上がると、カウンターの奥に回った。薫はメニューを見る。先輩いわく、もとホテルのシェフらしい。

「じゃあこの、ベーコンと卵のホットサンドを」



 3曲目は間奏のドラムソロのせいで一番長いのだが、体感的にはあっという間に終わった。残り3曲、ようやく折り返しだ。ワンマンライブなら、この何倍も演奏してようやく折り返しである。ミチル達はまだ、プロの世界のドアに辿り着いてさえいない。ドアがどこにあるか、一応わかっただけだ。そこまで辿り着く気力と、ドアを叩く勇気はあるか。

 そのとき、ミチルを予想外のアクシデントが襲った。マイクの故障?違う。もっとシンプルな事だ。

「(…次の曲なんだっけ!?)」

 ミチルは焦る。だが、ステージはステファニーのライブの時同様に広い。いや、仮に近いからといって、メンバーに「次の曲何だっけ」と訊くのもカッコ悪すぎる。

 どうしよう。ミチルの心拍数が唐突に上昇した。だが、心臓の鼓動のようなベースがモニターから聴こえて、ミチルは一瞬で思い出した。

「("Shiny Cloud"だ)」

 イントロが流れたおかげで、ミチルは曲を思い出す事ができた。ミチルがイントロを吹く事はほとんどない。曲の頭を担当するというのはプレッシャーだろうな、と今さらミチルは実感した。みんながイントロやバックを奏でてくれるおかげで、自分はサックスに専念できる。それなら、精一杯みんなの演奏に応えよう。



「脛骨と、中足骨に同時に軽いヒビが入っています。骨折そのものは軽度ですが、二か所同時に起きていたので、早めに適切な添え木による処置を施された事は幸運でしたね」

 眼鏡の、ふっくらした年配の医師は、市東レイネにそう伝えた。レイネの右足はガッチリとプラスチックギプスで固定され、自由に動かせなくなっている。レイネは何時間か前、海沿いの道路を自転車で走っている時に、後ろからものすごいスピードで走って来た黒いセダンに追突され、激しくアスファルトに打ち付けられたのだ。春に祖父が買ってくれた自転車はぐしゃぐしゃにされ、レイネ自身も右足を負傷し、出血と骨折に見舞われた。

 救急車を呼ぼうと思ったが、スマホがどこかに投げ出されてしまい、足がひどい状態で移動することもできなかった。なんとか路肩に這って移動して、誰かが通りかかるのを待った。だが、呪われているのかと思うくらい、車一台通らない。絶望しかけた所へ、ダークシルバーの大きなバンが静かに止まった。

 バンから現れたのは、5人の同世代の少女たちだった。その中の、ゆるふわロングヘアが印象的な優しそうな子が、びっくりするような張りのある声で、他の子たちに指示を飛ばすと、ヘアバンドの子と一緒に介抱してくれた。サングラスに黒服の不審な男の人は、的確に救急にレイネの状態を伝えてくれた。

 そのあと骨折で苦しむレイネに、同じようなストレートヘアーで、同性ながらうっとりするような美人の少女が、バンから何かメタリックグレーの、プラスチックらしい棒状のものを持って来て、添え木にしてくれた。長さも太さも足を支えるのにぴったりで、足が楽になった。

「本当にありがとうございました」

 連絡を受けて駆け付けてくれた母親が、処置を施してくれた医師に深々と頭を下げる。だが、レイネはあの少女たちが気になって仕方なかった。学校で見た覚えはない。だが、何かどこかで見た覚えがあるような気がする。

「あの、私を助けてくれた女の子たちは…」

「ん?」

「私に、添え木をしてくれた子たちです。お礼を言いたいんですが、どこの子たちかわからなくて」

「たしか、車を運転していた男性の方が連絡先を伝えてくれたはずです。あとで、看護士たちに確認させましょう。ともかく、後ろから追突されたにしては、驚くほどの軽傷です。安静にしていればすぐ直りますので、安心してください」

 その言葉に、レイネはほっとした。だが寝かされた状態で、頭を下げる事ができない。

「ありがとうございました」

「お大事に」

 そう言って、先生は病室を出ていった。母親が、心からほっとした様子で頭をなでてくれた。

「心臓が停まるかと思ったわ。車にはねられたって聞いて」

「ごめんね、心配かけて。自転車がちょうどクッションみたいに作用したんじゃないか、って先生は言ってた」

「お祖父ちゃんが買ってくれた自転車に感謝ね」

 あの自転車はもう、再起不能だろう。そう思うと、乱暴な運転のセダンに腹が立ってきた。レイネは何か音が欲しくて、スマホを探す。

「私のスマホは?」

「草むらに投げ出されていたそうよ。はい」

 母親がスマホを渡してくれたので、レイネはまず動作することを確認した。友達からのLINEが数件入っているが、まだ事故の事は連絡していない。親友のミーナに、はやく連絡しなくては。すると、母親が立ち上がった。

「レイネ、ごめんなさい。私、どうしても外せない会議があるの。行くわね。夜、また来るわ」

「大丈夫よ、私は。来てくれて、ありがと」

 母親は微笑んで、時計を確認しながら足早に立ち去った。レイネも時刻を見る。16時52分。窓の外はもう、真っ赤な夕焼けだった。ひとり病室に取り残され、寂しさを紛らすためにLINEのメッセージを確認する。ミーナからはアイドルのカードがついた限定のスナックをコンプリートしたと、呑気なトークが届いている。ギプスの写真を送ってやろう。

 次々にメッセージをチェックしていると、また新たなメッセージが入った。クラスメイトで、軽音部のハルナからだ。

『ジャズフェス来てる!念願のライトイヤーズ生で聴けた!至福!』

 そういえば今日はジャズフェスだったか、と音楽にそこまで関心がないレイネは、何の気なしにトーク画面を開いた。だが、添付されていた写真を見て、レイネは全身に電流が走ったかと思った。

 それは、ステージの写真だった。だが、最初見た時は不思議な印象だった。どこかの学校の制服を着た少女たちだ。真ん中の子はアルトサックスを吹いている。ブラバンか?だが、両隣の子たちはエレキギターとベースを弾いているし、後ろにはドラムスとキーボードもいる。ロックバンド?ロックバンドにアルトサックスがいるのか?そう思って、写真を全画面表示した時、一瞬で理解した。

「あっ!」

 その長髪の少女は、間違いない。あの、添え木だと言って見た事のない、プラスチックの何かを持って来てくれた少女だ。ベースの子は、それを足にタオルで固定してくれた少女。ギターの子は、ベースの子と一緒にレイネを草地に寝かせてくれた。後ろのお団子の子、背の低い子も、安全確認だとかに動いてくれていた。

 彼女たちは、ジャズフェスに出演するためにあの道路を北上していたのだ。ハルナのメッセージからして、ライトイヤーズというのが彼女たちのバンド名らしい。

「ライトイヤーズ…」

 ふと、レイネはテレビをつけてみた。もしかして、このジャズフェスはTV中継していないだろうか。そう思って、BSに切り替えてチャンネルを変えてゆく。すると、映った。いまLINEで送られてきたステージだ。そこには、確かにいた。つい数時間前、レイネを助けてくれた5人の少女だ。

 あの、介抱してくれたゆるふわヘアーの少女は、その外見から想像できないくらい、アグレッシブにベースを奏でている。ピックを使わないで弾けるものなのかと、楽器に詳しくないレイネは思った。ギターの子は対照的に、外見どおりにダイナミックで、鮮烈なプレイを聴かせる。キーボードの子とドラムスの子は、踊るように楽しそうに演奏していた。

 だがレイネは、真ん中のアルトサックスの少女に、目が吸い寄せられてしまった。事故に遭った衝撃と不安の中に、突然太陽の光が差し込んだような気がした。

「…かっこいい」

 冗談ぬきで、レイネは心臓が高鳴るのを感じた。美しい。凛とした、という言葉がこれほど似あう少女が、他にいるだろうか。今までアルトサックスというのは、オジサンが吹く野暮ったい楽器だと思っていた。だが、この長髪の少女が奏でる音色、サックスを構える姿勢、眼差し、その全てが、レイネの心を射抜いた。まずい。この子を見ているだけで、心拍数が跳ね上がる。いま看護士さんが脈拍を測りに来たら、絶対に先生を呼ばれて精密検査をまた受ける事になるだろう。

 長髪の少女は時おり、ギターの子と身体を密着させて演奏している。2人の間に信頼と友情、あるいはそれ以上の何かがある事が、19インチの安っぽい液晶を通してわかる。悔しい。あの、ヘアバンドの子が憎たらしい。助けてもらった恩を忘れてしまうくらい、憎たらしいと思ってしまった。


 ザ・ライトイヤーズ、その名が一人の少女の胸に刻まれた瞬間だった。

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