Once You Get Started
ザ・ライトイヤーズの面々を乗せたバンは、玉造を出て鉾田を抜け、大洗町の海岸線沿いを北に向かっていた。
「さすがに寒くなると、海沿いは交通量も少ないね」
マヤは、人も車もいない道路と、見晴るかす太平洋を眺めた。すると、何気なくつけたTVのバラエティ番組に、見覚えのあるような、ないような3人の少女が出演していた。
「なんだか既視感があるけど、あの子達ではないわね」
マヤが呟いた"あの子達"とは"COSMICATION"と名乗る、ミチル達の話題を受けてメジャーレーベルが企画したガールズフュージョンバンドである。だが、よく見ると今映っているのは、似ているが別人らしかった。少女たちは司会に促され、演奏スペースに移動する。キラキラした衣装で、単なる新手のアイドルかと思っていたミチル達は、3人の少女が手にした楽器を見て驚いた。
左のウェーブヘアの子がベース、右のショートの子がエレキ。そしてセンターのロングヘアの子は、アルトサックスである。バックバンドのキーボードとドラムスは少女ではなく、プロのスタジオミュージシャンらしかった。
「何よこれ」
ミチルはわずかに眉をひそめた。始まった曲は、ちょっとスカ風のフュージョン。要するに、以前現れたミチル達の二番煎じバンドに続く、三番煎じガールズフュージョンバンドだ。
ときおりサックスは手を休め、ボーカルも入れている。アイドルの歌とフュージョンの融合、といった路線で差別化をはかるのだろう。もう完全に「ガールズフュージョンバンド」の流行フェーズに入っているようだ。明らかにそのブームの発端はミチル達なのだが、もはやミチル達より、少なくともTVでは後発組の方が目立っている。
ミチル達もメジャーレーベルと契約していれば、今頃こんなふうにTVに出ていたのだろう。誰かが作った楽曲を、譜面とプロデューサーの指示どおりに演奏して、アイドルまがいというより、アイドルそのものの衣装で。
5人は特に何の感慨もなく、その上手でも下手でもない演奏が終わるのを聴いていた。ザ・ライトイヤーズが火付け役の、ブームに乗っかっただけのバンドだが、火付け役より表面的な人気はある。
「同じような路線のが出てくる、って誰か言ってたけど、その通りになったわね」
マヤはクールだった。
「そういうもんだろ。流行ってのは、”誰かの発想や成功をみんなでシェアしよう”ってことだ。ポリシーはゼロだけど、商売としては正解だよ。文句を言っても仕方ない。黙々と、自分達の表現を磨く以外にないだろ」
ジュナはどこか悟っているようにも見えるが、内心では面白くないんだろうな、ミチルは思った。だが、自分達の表現を磨く以外にない、というのは真実だ。自分で創り上げている者だけに、それができる。流行を追っているだけの者は、流行が終わった時に表現する術を失うのだ。
曲が終わってCMに入ったタイミングで、クレハはTVを消してオーディオに切り替えた。
「リハーサルってわけじやないけど、一応ステージのセットリストを流しておきましょう」
流れていたキャンディ・ダルファー"Once You Get Started"を止める。クレハはスマホとカーオーディオをBluetoothでつないで、ジャズフェスのセットリストと同一に並べた自分たちのオリジナル曲を流した。1曲目は、イギリスでの某コンペに最終選考で落選したという曰く付きの16ビートナンバー、"Detective Witch"。
「イントロがハリー・ポッターすぎるかしらね」
自らアレンジしたマヤが、頭のシンセサウンドについて少し首をひねった。ジャズフェスは今日なので、アレンジしている暇はないが。
「そういう、わかりやす過ぎるのもたまにはアリだと思うよ。何度もやったらアレたけど、私はこのアレンジ好きだな」
フォローというほどでもないが、ミチルは一応リーダーとして言った。他のメンバーから特に意見はない。
2曲目、3曲目。もう何度も演奏したので、次に流れるフレーズまでわかる。ステージでの演奏は、機材トラブル以外に心配はなさそうだ。
「ねえ、小鳥遊さんてどういう音楽聴くの?」
ミチルはふいに、何となく思い付いた事を訊ねた。そういえば、小鳥遊さんのプライベートは謎である。別れた元カノがいるような話は、おぼろげには聞いたが、もっとプライベートな、つまり趣味だとかについては一切わからない。
「意外にアイドルとか好きだったりして」
「それはねーだろ」
ジュナが手を振って否定した。エージェント・スミスみたいなお兄さんがアイドルオタクなわけがない。小鳥遊さんは、少し強張った表情でニヤリと微笑んだ。肯定も否定もしないのはなぜだ。
「漫画とか読むの?」
「読むわよ。以前お付き合いしてた方の影響で、少女マンガにはまっちゃったのよね」
唐突にクレハが詳細までご丁寧に解説すると、一瞬バンはブレーキをかけて減速した。シュッとしたターミネーターみたいな小鳥遊さんに、動揺の色が浮かぶ。またしても小鳥遊さんは、クレハを制するように静かに言った。
「お嬢様」
「そうね、うっかりアクセルとブレーキを間違えたらいけないわ。私達の安全のためにも、あまり踏み込まないでおきましょう」
クレハは意地悪な笑みを浮かべた。どうもクレハの本質は、まるっきりの優等生というわけでもないらしい。
「なに?小鳥遊さんて結構、昔を引きずるタイプ!?」
「やめなさい、運転中に追求するのは。私達の命に関わる」
マヤはそうジュナを制したが、それは車を降りたあとでじっくり追求してやる、という含みもあった。
その後しばらくは何もない、穏やかな道のりが続いたが、左手の斜面と右手の海岸線以外は何も見えないところで、小鳥遊さんは異変に気付いて減速した。クレハが訊ねる。
「どうしたの」
「申し訳ありません、停車します。人が倒れています」
「えっ?」
どこだ。何も見えない。ミチルも他のメンバーもそう思っていると、前方左手の歩道に、倒れている人影らしきものが確かに見えた。車道には壊れた自転車と、中身が散らばったバッグが投げ出されている。サングラス越しでどんだけ視力がいいんだと驚きながら、まさかの事態にミチル達は戦慄した。
倒れているのはどうやら、ミチル達と同世代の少女のようだった。セーラーカラー風の襟がついた、ツーピースの制服。ハザードランプをつけ、バンを停止させると、全員が即座に車を降りて少女に駆け寄った。
「お嬢様、お願いします。私は救急車を呼びます」
「はい」
てっきり小鳥遊さんが少女を介抱するのかと思っていたら、小鳥遊さんの指示でクレハが少女に駆け寄った。
「ジュナ、手伝って。他のみんなは周囲の安全を確認して!」
いつものクレハからは想像もつかない鋭い声に4人は驚く。まるで指令を受けた軍隊のように、キビキビと動いた。
「大丈夫ですか?聞こえますか」
クレハは投げ出されている少女の傍らに跪くと、脈、呼吸、意識の有無を素早く確認した。黒い長髪の少女は汗を浮かべて呻きながらも、クレハに目を向けた。どうやら意識はあるようだ。
「右足をケガしているわね。痛む?」
「はっ…はい」
「よかった、声は出せるようね。ジュナ、そこの草地に寝かせるわ」
クレハは迷わず自分の上質なジャケットを脱いで丸めると、枕にするため草むらに置いた。
「龍二さん、伝えて。呼吸も意識も正常、自転車の壊れた状況から、自動車に追突されたもよう。右足に負傷、骨折の疑いあり。頭を打った可能性もある」
「わかりました。…もしもし、倒れている方の状況ですが…」
小鳥遊さんは、クレハから受け取った情報を電話の向こうの救急に伝えた。すでにこちらには向かっているだろう。だが、ここは市街地から離れている。いくらかは待つ事になりそうだった。
「いたっ!!」
少女をクレハとジュナが運ぼうとすると、少女は右足に激痛が走ったらしく、2人はいったん下ろした。
「骨折しているようね。マーコ、ミチル!タオルと、それから添え木になるものを!」
「はっ、はい!」
ミチルとマーコは慌ててバンのハッチを開けると、まずマーコがライブ用に持って来たタオルを何枚もクレハに届けた。ミチルは車内に、添え木になる物がないか探す。だが、いざ探すと適当なものがない。小鳥遊さんなら、どこかに何か入っているか知らないだろうか。
だが、探しても丁度いいものがない。たかが添え木代わりの棒切れひとつ、なぜないのか。ミチルは慌てた。早く足を押さえなくては、症状がひどくなる。
「…仕方ない、人命優先だ」
ミチルは、ひとつのケースを開け、その中身を迷わず取り出した。
「クレハ、添え木!」
「ありがとう」
クレハは、駆け寄ったミチルが迷わず差し出した物体を見て、一瞬我が目を疑った。
「こっ、これ…」
「早く!人命優先でしょ!」
「はっ、はい!」
今度はミチルに一喝されて、クレハは受け取った物体を負傷した少女の右足にあてがい、タオルでぎっちりと固定した。その手慣れた様子からどうやら、応急手当を学んでいるらしい。
「ジュナ、運ぶわ。右足をクッションの上に乗せて」
「おう!」
クレハとジュナは、足に応急手当をした少女をゆっくりと、細い草地に寝かせた。クッションがわりのクレハのジャケットに、少女の足からにじんだ血が染み付いた。
「救急車を呼んだから、それまで頑張ってね」
「はっ、はい…ありがとう…ございます」
「黙って。エネルギーを使ってはだめ」
クレハは、少女の額に浮かぶ汗を拭ってやった。それから骨折した脚を支えている、ミチルに手渡された”添え木”を見た。
「…さすがね。参ったわ」
敬服したように溜息をつく。小鳥遊さんもちょうど連絡を終えたところだった。小鳥遊さんは車から取り出したハザード表示板を組み立てて、バンの背後に置く。
「お嬢様、具合はどうですか」
「精密検査は必要だけど、意識はハッキリしているわ。足の骨折も、たぶん重度ではないと思う」
少女を安心させる意味もあって、クレハはそう付け加える。ジャケットを脱いでトップスだけの上半身に、秋の冷たい海風が響き、わずかに身震いした。
「どうぞ」
「…ごめんなさい」
クレハは、小鳥遊さんが差し出した黒いジャケットを羽織る。男物のジャケットはサイズが余ったが、気持ちが温かい。
ほどなくして、救急車とパトカーがやってきた。救急隊員の手際は当たり前だが鮮やかで、素早くかつ丁寧に倒れていた少女を担架に乗せた。
「応急手当が的確で助かりました。後は我々にお任せください」
プロというのは頼もしい。アタフタしていた少女たちは、救急車に乗せられる少女に声をかけた。
「頑張ってね!」
「良くなるように、祈ってるよ!」
メンバーが口々に励ますと、少女はクレハに汗が浮かぶ顔を向けて、精一杯微笑んだ。
「ありがとう…ございました」
「お礼は、この”添え木”を持って来てくれたミチルに言って」
クレハが、ミチルの背中を押して前に立たせた。ミチルは、困ったように手を振る。
「何でもないよ。さあ、行きなさい」
ミチルの合図で担架が救急車に載せられ、ゆっくりと発進した。クレハが、不安そうにミチルを見る。
「いいの?ミチル」
「ん?」
「あんなもの添え木に使って」
「ああ。仕方ないよ、急いでたんだし。足にあれ以上ちょうどいい長さの物なんてないよ」
それはそうだけど、とクレハは呆れた。話が見えないマヤ達が訊ねる。
「何の話?ただの添え木でしょ」
「バンに積んで来た、足の長さに丁度いい物…」
「ん?」
マヤとジュナは、「まさか」という顔でミチルを見た。
「そう。EWI」
「なに考えてんの!?ステージで使う機材じゃない!」
マヤが、”信じられない”という顔でミチルに詰め寄った。他に使えるものがあったんじゃないのか、と。
「どうって事ないよ」
ミチルは、自信たっぷりに腰に手を当てて胸を張った。向こうでは、小鳥遊さんが警察の聴取を受けている。小鳥遊さんが少女の自転車をはねた可能性もあるためだ。だが、走り寄って来た一人の警官から、担架に乗せられたあとで少女が、自分をはねたのは黒塗りのセダンだったと証言している事が判明した。
「では、あなた方がここを通りかかった時、すでにその加害者は走り去った後という事ですか」
「そうだと思われます」
小鳥遊さんは、どうやら車が少女を避けようとして車体をぶつけたらしい、ガードレールの凹みを見た。よく見ると、ヘッドランプらしき部品が散乱している。小鳥遊さんのバンが無傷であることからも、こちらの容疑は晴れたようだった。
「わかりました。被害者の保護と応急処置に感謝します」
警官が敬礼すると、小鳥遊さんは「とんでもない」と言ったあとで付け加えた。
「たいへん僭越ですが、あの散乱しているLEDがついたバンパーグリルの形状からして、車種はメルセデスのCクラスではないかと思われます。そして」
小鳥遊さんは、スマホで付近のマップを示して言った。
「もし加害者に土地勘があれば、おそらく少女以外に目撃者がいない以上、車を隠す事ができれば事故を隠蔽できると考えるでしょう。そうなると、人目がある通りは避け、成田町付近の田畑がある一帯を抜けて、本来目指していた北方向とは逆の方角に逃げた可能性があります」
「な…なるほど」
「あくまで一般市民としての意見ですよ。たとえば、このルートを使ってUターンして…この、城跡だとかの付近の人目につかない山中に、いったん車を隠している可能性はないでしょうか」
小鳥遊さんは、あくまで市民としての協力という形で犯人の逃走経路を推測する。それがあまりに真に迫っていたせいか、警官たちは聞き入って、なんと驚くべきことに、それをそのまま無線で通達したのだった。
「犯人は北上したと見せかけて、成田町の田畑を経由し、城跡近辺に車を隠している可能性もある。付近のパトカーは調査に向かわれたし。車種はバンパー部品形状から、メルセデスCクラスと推測。色はブラック」
『了解しました!』
威勢のいい声が、無線の向こうから返ってきた。無線を閉じると、警官は小鳥遊さんの連絡先を控えたあと、敬礼する前に質問した。
「あなたは一体、何者ですか」
「小鳥遊龍二。探偵です」
どこかで聞いたふうな返しだが、本当に探偵だから始末が悪い。おまけに弁護士の資格持ちのスーパーマンである。
ようやく警官の聴取から解放されて、ミチルたちが事故現場を発った時には、もう1時を過ぎていた。ジャズフェスには十分間に合う時間だが、他のバンドの演奏を聴くような余裕はなさそうだ。
「小鳥遊さん、ごめんなさい。バイパス沿いに服屋さんがあるから、寄ってもらえるかしら。代わりになる上着を買って行くわ。血のついたジャケットで、現場入りはしたくないから」
クレハの言う事ももっともだ。ついでに、足の固定に使ったタオルも補充しよう。ちょっと出費がかさむが、仕方ない。
「ミチル、どうするの。EWI、必要でしょ。少なくとも2曲目は。他の曲はアルトでいけるけど」
マヤは、添え木代わりに病院に行ってしまったEWIをどうするのか訊ねてきた。以前はアルトサックスで演奏していた曲だが、アレンジを見直したため、アルトサックスでは最高音が難しいのだ。
「アルトでカバーしてみるよ、何とか」
「あの音域までアルトで、カバーできる?出せたとしても、変な音にしかならないよ」
「何とかするよ」
ミチルは力なく笑った。マヤも、呆れたように溜息をつく。
「…わかった。あんたはそういう人間だものね。助けなきゃって思ったら、自分の事なんか考えない」
「バカなだけよ。…ごめん。心配かけて」
「そうね。尊敬しちゃうくらいバカだわ」
マヤは、仕方なさそうに笑った。
「…でも、人を助けるプロってすごいな、って思う。私がEWI差し出した事なんか、問題にもならないよ」
ミチルは、自身が過労や難聴で医師の世話になった事を思い出していた。
「私たちは、ステージで演奏するだけ。まあ、チャリティーでお金を集める手助けはできるかも知れないけど…演奏そのものは、人を助ける事はできない」
そんな事は考えるまでもない事だ。音楽そのものは、人を助ける事はできない。EWIを添え木に使ったのは、楽器としては間違っているが、人を助けるという意味では正解である。
「…音楽は、飢えを満たす事も、傷を癒す事もできない」
ミチルは、危険な思考が自分の中で大きくなり始めるのを感じた。それは、自分達の存在意義を否定するにも等しい思考だ。音楽は、食料やエネルギー、医療技術のように、直接人を助け、支える事はできない。だとすれば、自分達の活動には何の意味があるのか。ミチルが思考の袋小路にはまりかけたその時、襟首をつかまえて大通りに引き戻す者がいた。
「バカか、お前は。そんなこと当たり前だろうが」
その、誰よりも頼もしい声の主は、ミチルの相棒ジュナだった。
「音楽には何の力もねえよ。ステージで3時間ギターを弾いたって、乱開発で故郷を追われた先住民に土地を取り戻す事もできないし、食料不足で飢える人間の腹を満たす事もできない。飛んでくるミサイルに怯える子供たちのシェルターにもならない。そんなのは、当たり前の話だ」
その喩え話は、ジュナの心の奥底に潜む思想性だったかも知れない。彼女は本質的にロックミュージシャンだ。
「けどな。ジャズフェスに集まる何十万もの客は、普段何やってる人達だ?」
「あっ」
ミチルは、その一言に目から鱗が落ちる思いがした。ジュナの一言で、ミチルは気付かされた。
「そうだよ。医者も料理人もトラックの運ちゃんも、みんな音楽を聴きに来るんだ。”サウンド・オブ・ミュージック”はミチルなら知ってるだろ。歌がトラップ一家の支えになる。一方で、独裁者を讃えるための歌は拒否する。音楽は何の力もないけれど、人の気持ちを動かす事はできるんだ。そこに音楽の”意味”があるって、あたしは思う」
ジュナの言葉はミチルだけでなく、バンドメンバー全員の心に響いているようだった。ジュナは一見すると荒っぽいロック好きに見え、事実そういう側面もあるが、意外に文学的でもある。迷いかけたミチルの目に、わずかに力が戻って来た。
「…そうだね。音楽には、音楽にしかできない事がある。それでいいんだ」
「まっ、お前らしい悩みだよ。ふつうの人間は、そんな事で悩んだりしない。けど、お前が今考えなきゃいけないのは、とりあえず病院にレンタルしちまったEWIの抜けた穴を、どうするかだな」
「うーん…」
一瞬、道路の段差で車体が揺れた。そのとき、ミチルは背後の比較的小さな機材ケースがひとつ、固定するのを忘れて滑ったのに気付いた。
「ん?」
ミチルは、そのケースに何か違和感を覚えた。おかしい。あんな細長いケース、持って来ただろうか。だがそこで、自分がとんでもないバカだった事をミチルは悟った。
「ちょっ…ちょっと、ごめん小鳥遊さん!止めて!」
ミチルは、路肩に停まったバンを飛び出して、後部ハッチを開け、謎の細長いケースを持って座席に戻った。
「ありがとう!出していいよ」
再び、バンは発進する。ミチルの表情には、完全に自信が戻っていた。全員の視線が集中するなか、円筒状の革製のケースを開ける。そこに納まっていたのは、ソプラノサックスだった。
「ソプラノか!」
マヤが目を瞠る。ミチルはクレハを見た。
「クレハが、持って行ける物はみんな持って行けって言ったでしょ。それでソプラノサックス持って来てた事、すっかり忘れてた。これなら、EWIがなくても何とかなる。クレハのおかげだよ、ありがとね」
シルバーに輝くソプラノサックスを手にして、ミチルは力強く微笑んだ。