SURPRISE-DRIVE
その週も、ご多分にもれずフュージョン部2年、ザ・ライトイヤーズの面々は忙しなかった。土曜日に控える、他県でのパシフィックオーシャン・ジャズフェスティバルの準備である。
主催者に演奏曲のリストを送り、そのあとで演奏曲のうち1曲を覚えるという、相変わらずの綱渡りプランにジュナは「もう一種のマゾだな」と自嘲した。誰も否定しないところを見るに、みんな自覚はあるらしい。
「うん、いいね」
2日後にフェスを控える木曜日の放課後、全曲を通して演奏したあとで、ミチルは自信ありげに胸を張った。新曲もこなれてきて、他の曲ほどスタミナを必要としないが盛り上がるバラードが出来た、と、少なくとも当人達は思っていた。そうでないとしても、もう時間はない。このまま当日やる以外にないのだ。
演奏はもうとりあえずOKという事にして、あとは実務的な準備に取り掛かる。まず車を出してくれる小鳥遊さんに支払う、5人分の運賃をクレハに手渡す。公共機関を使えば全員で2万5千円はかかる所を、半額以下で乗せてもらえるのだから御の字である。
そしてステージのために、クリーニングしておいた予備の制服の準備。当日は現地で着替える。風対策で、スカートの下はパンストの上にスパッツなりショートパンツなりを履く、という事になった。そのほか、参謀というよりは指揮官といった様子でマヤが指示を飛ばす。
「明日は一回だけ通して演奏したら、全員すぐ帰宅すること!早目に寝て、土曜日は早く起きて、午前9時には全員小鳥遊さんのバンに乗れるようにね!」
仕切る仕切る。ミチル以下4人は思わず「了解!」と姿勢をただした。クレハが挙手して付け加える。
「酔い止めとかも念のため私が持つわね」
「そういや、クレハに頼まれて百均でエチケット袋買い込んでおいたけど、名前が"ゲロエチケット"だったんだよ!あの手の商品って、なんで商品名にゲロってつけるかな!」
ケラケラ笑うジュナの二の腕を、クレハは眉間にシワを寄せて小突きつつ、準備のチェックリストをひとつ埋めた。積み込む機材は今からまとめておく。ここでマヤが、参謀長として注意を促した。
「念のため、機材も持っていける物は余分に持って行ったほうがいいよ。シールド類は向こうに揃ってるそうだけど、ジュナのエフェクターとかは大丈夫?」
「いちおう、マルチエフェクターも持って行くつもりだけどな。何かあった時のために」
「ギターとベースは予備を積んでおいてよ。万が一ってこともある。ミチルは、サックスとEWIだけで大丈夫?」
マヤに言われてミチルは少し考えたが、その2つがあれば事足りる。だが、クレハの言う事も形だけ聞いておこうと思い、あまり出番がないソプラノサックスのケースを引っ張り出した。
「使わないだろうけど、まあ念には念を入れるか」
そういえば、オリジナル曲ではソプラノサックスは使っていないな、とミチルは思った。せっかくあるのだから使わないのも勿体ない、とは思う。
それから30分くらいしてようやく、準備のチェックリストは片付いた。11月にもなると日が暮れるのも早く、窓の外はもう暗い。すると、何やら部室の外に人の気配がした。一人二人ではない。
「1年生かな」
てっきり第2部室で課題曲の練習中の1年が戻って来たのかと思っていたら、そうではなかった。ドアが開いて、現れたのはまったく意外な人達だった。
「ごきげんよう」
それは吹奏楽部3年生の市橋菜緒先輩と、2年生のアルトサックス酒井三奈、桂真悠子だった。その後ろには、フュージョン部の3年生5人に、顔は知っているが名前は知らない吹奏楽部のバリトンサックス、おなじみ我らが”鈴木雅之と具志堅用高のハイブリッド”こと竹内顧問、清水美弥子先生、吹奏楽部顧問の浦賀先生、教頭先生に、校長先生までいる。何だ何だ。
「明後日は、朝早く出発でしょう。今日しかないと思って」
「えっと…これは」
市橋先輩に招かれるまま部室の外に出ると、何やらソウヘイ先輩はサブで使っているグラスルーツの黒いForest、ショータ先輩はいつものジャクソンの5弦ベースをポータブルPAに繋ぎ、清水美弥子先生がヴァイオリン、そして吹奏楽部の4人がアルトサックス2本とトランペット、テナーサックスを構え、残りの人達がまるで合唱でもするように整列した。
「大原、そしてみんな、夏から色々と頑張ってきたな。大舞台に立つ前に、ささやかだけど俺たちから、激励の歌を贈らせてくれ」
顧問の合図でソウヘイ先輩が超絶ギターソロのイントロを奏でると、カリナ先輩がPAに繋がった音楽プレーヤーを操作して、どうやら打ち込みらしいドラムが流れ、それに合わせてショータ先輩も、地を這うような安定感のベースを響かせた。
どうやら応援歌を贈ってくれるらしい、とようやく5人は理解したものの、その選曲がだいぶ斜め上を行くものだった。藤林聖子作詞、tatsuo作曲、松岡充が編曲にも参加しボーカルを務めた、「仮面ライダードライブ」オープニングテーマ ”SURPRISE DRIVE”。選んだのは間違いなくソウヘイ先輩だろう。なぜなら、ほぼ全編にわたってテクニカルなギターが流れるナンバーだからだ。
いかにも即席の合唱だった。それなりに歌い慣れているフュージョン部のメンバーはともかく、先生方は慣れないロックナンバーを練習してくれたのだろう、多少外しながらも頑張って歌ってくれている。でも世代で言うならそもそも、松岡充とかSOPHIAって先生達の世代だよな、ともミチルは思った。
ホーン隊やストリングスと多重コーラスが入るので、全体の雰囲気は原曲とは大きく異なる。原曲のスピード感に雄大なスケール感が加わって、圧巻のサウンドだ。
みんな、ミチルたちと最初は色々あった人達だ。その人達が、大舞台に向かう5人をこうして歌で激励してくれる事に、全員胸が熱くなった。
すると、たまたま通りかかった生徒たちが続々と集まってきて、しまいには30人くらいの大合唱になってしまう。突然の、まさにサプライズにミチルたちは思わず涙ぐんでしまった。今まで聴かせる一方だった自分達が、こうして歌を贈られる立場になるというのは、想像もしていなかった。
歌い終え、ソウヘイ先輩の超絶ギターが締め括ると、盛大な拍手の中で校長先生が進み出てくれた。
「みなさんの活躍は、とても誇らしいものです。ジャズフェスという大舞台で悔いなく演奏されるよう、教員一同願っています。頑張って来てください」
いかにも堅苦しい、校長らしい挨拶が、これほど嬉しいと思えたのは初めてだ。ミチルは涙を浮かべながら、差し出されたしわだらけの手をがっちりと握った。
「はい。頑張ってきます」
ミチルは一歩下がって、他のメンバーの前に立つと、直立して言った。
「我々フュージョン部2年、そしてザ・ライトイヤーズは、明後日のジャズフェスティバルで精一杯演奏することを、ここに約束します。一同、礼!」
「ありがとうございました!」
5人が深く頭を下げると、再び盛大な拍手が送られた。夕暮れの中、思いもかけないプレゼントに励まされ、ミチルたちはこれまでの努力がひとつ報われたような気持ちだった。あの、6月の部員勧誘からの数々の出来事が、スライドショーのように眼前によみがえる。今立っているこの部室前のアスファルトで、何十曲も弾いて、歌った。ラジオも取材に来た。先生たちを納得させるため、体育館を借りて演奏した。夏休みに入っても、音楽から離れる事はなかった。市民音楽祭。雑誌の取材。プロの世界の、嫌な大人との接触もあった。そこからステファニー・カールソンのオープニングアクト、アメリカのインディーレーベルとの契約。
あの夏の出来事が、今のミチルたちをここまで導いてきた。全ては、あの夏から始まったのだ。それは、ひとつの伝説だった。あの夏はいつまで経っても、いつもミチルたちの心の奥底に存在し続けるだろう。
先生たちや通りすがりの生徒たちが去り、市橋先輩たちが歩み寄ってきた。
「ミチル、頑張ってきてね」
「吹奏楽部のみんなで、TV中継見てるからね」
三奈と真悠子は、ミチルの手をそれぞれ握った。あれほどいがみ合っていた相手と、今こうして手を取り合える。もちろん、世の中にはどうやったって手なんか握れない相手もいるだろう。けれど、この二人は確かに今、気持ちが通じている。それがミチルには嬉しかった。
「ありがとう。みんなの分まで、吹いて来るね」
ミチルは、アルトサックスを提げたままの市橋先輩を向いた。
「先輩、いただいたリガチャー、あのステージで使わせていただきます」
「あら、そんな事ここで言っていいの?後ろで面白くなさそうにしてる人がいるわよ」
菜緒先輩は、後ろでガヤガヤ騒いでいるフュージョン部3年の、佐々木ユメ先輩を親指で肩越しに差した。案の定、ユメ先輩はわざとらしく目を細めてミチルと菜緒先輩の間に割り込んでくる。
「ふーん、知らないうちにあんた達、そういう関係だったわけだ。ミチルも案外、浮気者ってことね」
「そういうんじゃないですよ!」
「じゃあどういうのよ」
ミチルがしどろもどろになっている所へ、第2部室に引きこもっていた1年生たちが、またしてもゾロゾロと戻って来た。
「あれっ、なんだか賑やかですね」
ようやくフュージョン部の空気に馴染んで来たアンジェリーカが、部室前で楽しそうにしている一団に声をかける。菜緒先輩は文化祭で共演した少女に、いつもの優雅な微笑みを向けた。
「おひさしぶりね、アンジェリーカ」
「あっ、どうも」
「聞いたわよ。ラリー・カールトンの練習してるんですって?」
そこから、話題は1年生の演奏についての話に移った。ミチルはユメ先輩からの追及を逃れる口実ができて、ホッと胸をなでおろす。
1年生は吹奏楽部のアルトの3人と、フュージョン部の2年・3年、そして薫を加えた、総勢14名の前でラリー・カールトン”Minute By Minute”を演奏してみせる事になった。想定外の審査員が現れた事と、自分達を含めて19人が部室に入れる事に、1年生の演奏チームは驚いていた。ユメ先輩いわく、最多記録では過去に27人入った(詰め込んだ)事があるらしいが、最前列のオーディエンスとは「定規で測れる」ほどの距離だったそうだ。
突然集まった大勢の前で、緊張しながらアンジェリーカ達はセッティングを完了し、リアナの合図でキリカがキーボードのイントロを奏でた。ここ数日、何度も何度も練習してきたイントロだ。マヤ先輩の真剣な視線が、キリカに向けられている。アンジェリーカは、サックスがそれほど忙しくない曲のため、他のパートの演奏が気になって仕方なかった。
だが、キリカやサトル、アオイはついに覚えた。今まで理解できなかったイントロの構成を、ほぼ完璧に理解したのだ。イントロのややこしい3連符からリズムが切り替わる箇所を、ものの見事に演奏してみせた。やった、とアンジェリーカ、リアナは心で喝采を送り、キリカたちがこなしてみせたバックに合わせて、サックスとギターを気持ちよく演奏できたのだった。
マヤは、1年生の目覚ましい成長に驚いていた。正直に言うと、この5人がここまでまとまったバンドになるとは、100パーセント信じきれないところがあった。3年生や自分達のような一体感は達成できないのではないか、と。だが、それが全くの杞憂どころか、全く読めていなかった事を認めざるを得ない。
キリカ、サトル、アオイの3人は、この曲のリズムを、おそらく完璧に理解している。まだ理論立てて理解し切れてはいないだろうが、全く破綻なく演奏し切ってみせた。演奏を終えた5人に、一斉に拍手が贈られた。
「お見事。完璧じゃない」
ミチルは、我が事のように満面の笑みを見せた。マヤも、キリカの肩を叩いてその努力に報いてやった。
「よく頑張った。次の課題曲は本田雅人でもいけるね」
「やめてくださいよ!この1週間くらい、頭がパンクしそうだったんですよ!」
キリカの8割方は本気の抗議に、無責任なオーディエンスは爆笑で応えた。
「うん、でも真面目な事言うと、フュージョンは面倒くさいリズムの曲も多いからね。難解な曲を覚えると、普通の曲は寝ながらでも演奏できるようになる。実際、”OMENS OF LOVE”を仰向けで演奏した変態がそこにいる」
マヤがソウヘイ先輩を指差すと、全員の視線が集中した。ソウヘイ先輩は「寝ながら弾いて何が悪い!」と意味不明の抗議をする。誰も悪いとは言っていない。変態だと言っただけだ。吹奏楽の3人は、涙目になって爆笑している。
「あははは!おかしい」
「何なの、この人達!」
三奈と真悠子は腹を抱えている。どうやら、吹奏楽部の感覚では考えられないらしい。それはそうだろう。当の部員であるマヤから見ても、この部員達はどこか基本的におかしい。
「まあ、でもホントによくやったと思うよ。最高の応援だ。明後日、私たちも精一杯やってくるからね」
マヤの言葉に、1年生は感極まったらしく、少しだけ目が潤んでいた。演奏を覚えるという事の楽しさを、身をもって知ったらしい。それは、1年前のミチルたちの姿でもあった。
その後、訪れた8人が退出すると、部室はいつものメンバーが残った。1年前はユメ先輩達5人と、ミチル達5人がこの部室で活動していたのだ。来年は、まだ見ぬ新入生がやって来るだろうか。その頃、自分達はどういう進路に向けて歩んでいるのだろう。1年生のレパートリーは、どれくらい増えているだろうか。
「色んな事があったなあ、この5カ月」
ミチルの何気ない呟きに、アンジェリーカが「何ですか、突然」とツッコミを入れた。ミチルは訊ねる。
「そう思わない?」
「…まあ、色々あったのはそうでしょうけど、私は一番最後に加入しましたから」
「あんたが入ってからも、もう色々あったじゃない」
アンジェリーカは否定しない。彼女が入部して早々に、例の海での飛び込み騒動が起きている。そのあと、文化祭のステージに駆り出され、さらにはチャリティーコンサートへのリモートライブにも参加してもらった。もう十分にこの不思議なサークルの一員だ。
「私、今年の夏からここまでの事は、一生忘れないと思う」
ミチルがぽつりと言うと、一瞬部室がしんと静まった。
「起こった出来事を、私達の手でまとめておこうか。文章でもいいし、何なら動画にしてもいい」
「なんてタイトルですか」
アンジェリーカが訊ねると、ミチルは少しだけ考えて、すぐに答えた。
「"Light Years"」
「そのまんまですね」
「いいじゃない。1年生のみんながつけてくれたバンド名だよ」
すると、帰り支度を始めたジュナが苦笑した。
「あのな、まだ過去を懐かしむ余裕なんてないんだぞ。明後日はジャズフェス、その次の日は街角ライブ。それが終わったら、また何か起こるかも知れない」
「何かって、何?」
「そんなのわかるわけねーだろ」
ジュナは、少しニヒルに笑ってみせた。
「まっ、何が起きるかわからない部活なんて、あたし達だけだろ。あとあと笑い話にできるかも知れないけど、今はまず目の前の事に取り組もうや」
ジュナは、いつものようにみんなの気持ちを引き締めてくれた。今までそうだったように、彼女はきっとこれからもそうなのだろうな、とミチルは思った。