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Light Years  作者: 塚原春海
Autumn Festival
100/187

Lucky Summer Lady

 ハルトが目の前で可愛い先輩とLINE交換する様子を、師匠のジュナと姉のミチルは微笑ましく、そしてバンドメンバーの男子3名は羨望と怨嗟の眼差しで見守っていた。ちなみに、当時”雲丹SON’s”と名乗っていたロックバンドがバンドの歴史上、解散の危機を迎えた唯一にして最大の瞬間がこの時で、これに比べたら音楽性の違いは、どうでもいい問題だったらしい。

「それじゃ、そろそろ放送室に戻らないといけないので…ミチルさん、ジュナさん、今日はありがとうございました。ハルトくん、それじゃあね」

 スカートのプリーツを風に揺らして立ち去る後ろ姿を、ハルトがニタニタと気色悪い顔で見送った。すかさずバンドメンバーから、温かいヘッドロック(ガチ仕様)が贈られる。

「うげええ!!」

「死ね!この場で!この校庭がお前の墓場だ!」

「俺にも殺させろ!」

「きさまの髪一本この世には残さん!」

 愛弟子と、ほどほどに最愛の弟が目の前でリンチに遭う様子を、ジュナとミチルはコーラとアクエリアスを飲みながら温かく見守った。ハルトがぐったりした所で、ジュナが声をかける。

「みんな、上手くなったな。よく頑張ったよ、ほんとに」

 ジュナとミチルは、雑草とホコリまみれの少年たちに温かい拍手を送った。我に返った4人は、自分たちがロックバンドだった事を15分ぶりに思い出し、師匠からの賛辞に胸を熱くした。

「ほんとっすか」

 ベースのマイトが、力の抜けた顔でジュナに訊ねる。ジュナは腕を組んで大きくうなずいた。

「当たり前だ。ミチルはともかく、あたしが嘘をつくような奴に見えるか」

「何だとこのやろう!」

 ミチルがヘッドロックをかけ、2人は芝生の斜面に転げた。プロレスのリングと化した芝生に、6人の笑い声が響く。

「上手くなったよ。あたしが中学のとき組んでたバンドより、たぶん上手い」

 セミロングヘアに雑草を絡ませたジュナが微笑むと、”雲丹SON’s”の4人はホッとしたような笑顔をのぞかせた。どうやら、師匠の採点を心配していたらしい。ハルトへの羨望も、ほんのいくらかは和らげてくれたようだった。

「これで、あたしらも土曜日のジャズフェス、思い切りできるな」

「ええ。カッコ悪いとこは見せられないわ」

「明日からみっちり、新曲の練習だ」

 ジュナとミチルは、がっしりと手を組んで微笑み合う。少年たちは、直立してミチルたちに激励の声をかけた。

「ステージ、頑張ってください!」

「現地に行けませんけど、TVで応援してるっす!」

 こんなふうに、ストレートに激励されるのも悪い気分ではない。ジュナ達は、立ち上がると4人に向かって胸を張ってみせた。

「おう。ちょっとばかり遠征してくるぞ」

「60kmなんて遠征のうちに入らないよ。ちょっとそこらへんに行くようなもん」

 すると、ミチルは「そうだ」と何かを思い出して手をぽんと叩いた。

「ハルト、啓おじさんのお店で当日、TV置いてフェスの中継を流してしてくれるらしいんだ。私の先輩後輩とか先生と、常連さんの貸し切りなんだけど、良かったらあんた達の席も取っといてあげるよ。手狭になりそうだけど」

「俺たちも行っていいの?」

「うん。バンドやってる先輩たちと、お話しておいで。3年生はだいぶロック寄りだから、話合うと思うよ」

 少年たちは、そう言われて嬉しそうだった。音楽をやっている先輩たちと、仲間扱いしてもらえたのが嬉しいのだろう。

 そのあと、ハルトがアリスといつデートするのかなどという話で騒いだあと、ジュナ達はミチルの母校をあとにした。久しぶりの母校を訪れたミチルは、去り際にも少し古くなってきた校舎を振り返った。


 同じ頃、金木犀マヤは自宅でひとり、DTMソフトを前にして唸っていた。ミチルから預かった楽曲のアレンジが、どうしても決まらないのだ。唸っていても仕方ないので、今できている曲をジャズフェス本番で演奏できるようにと、鍵盤の前に移動した時だった。

「ん」

 スマホに1件のLINEメッセージが入っていた。ベースのクレハだ。彼女は今日、家の用事で栃木に行っているはずだった。

『ごきげんよう。返事が遅れてごめんなさい、新曲のデータ受け取りました。いま帰宅したので、今夜からでも練習します』

 あいかわらず真面目だ。しかし、夜中にベースを練習しても、うるさいとか言われないのだろうか。もっとも、クレハの家なら練習できるスペースなど、いくらでもあるのかも知れないが。

『遠出してたんなら、無理しないでよ。明日から学校で練習すればいいんだから』

 いちおう親友として気遣っておくが、本音では練習しておいてもらった方が助かる。すると、ほどなくして返信があった。

『本音はたった今からでも練習しておいて、でしょ?』

 さすが親友にして”名探偵”クレハ、嫌になるくらい鋭い。いつもの、天使のような笑顔が目に浮かぶ。

『そうしてもらえると助かる。それほど難しい箇所はない筈だから』

『ちょっとアドリブ入れてもいいのかしら』

『任せるよ。あなたに』

 それは、親友としての信頼だった。


 マヤは、クレハと出会った時の事を思い出す。最初は物静かで、何を考えているのかわからなかった。ジュナとは正反対に見える。何かを隠しているのはわかったが、それがアニメ趣味の事だと発覚したのはつい最近だ。それまでは、主にゲームや小説の話題がマヤとクレハの接点だった。

 彼女と決定的に仲良くなれたのは1年の夏休み前。今の3年生、つまり当時の2年生も1年生も来ず、たまたまマヤとクレハだけが部室にいた時の事だった。他のメンバーもいないし、いても仕方ないので帰ろう、という事になった。

 暑い中を、木陰を選んで2人並んで歩いていた時だった。音楽の話をしていた時、マヤはミチルの演奏能力について、だいぶ深く掘り下げて話をした。すると、クレハが何の気なしに言ったひとことに、マヤは一瞬絶句してしまった。

「マヤって、ミチルのこと話してる時、嬉しそうよね」

 その指摘は、何故かわからないがマヤの心臓に突き刺さった。マヤは、ミチルの演奏能力に惚れ込んでいたのは確かだ。彼女のセンスは私の音楽に役立つ、そんなふうにだいぶ利己的に考えていた面もあった。

 だが、クレハの言葉はその感情の視点を変える事を突き付けてきた。マヤがミチルに対して抱いていたのは、単に演奏能力への称賛だけではなかったのだろうか。自分自身で、その感情を理解する事ができなかった。すると、クレハは申し訳なさそうにフォローを入れてきた。

「…もし、何かプライベートな感情に踏み込んでしまったのなら、ごめんなさい。聞かなかった事にして」

 何故かわからないがマヤはその時、クレハをストレートに、何ていい奴だ、と思った。表裏がないわけではないが、とにかくいい奴だ。この子となら残りの3年足らず、気持ちよく過ごせそうだ、と思った瞬間だった。そのときからマヤはなぜか心の枷が外れ、反りが合わないと思っていたジュナとも自然に話せるようになった。ミチルとジュナが意気投合している事も、素直に受け入れるようになった。

 ミチルへの自分自身の感情の正体が何だったのか、それはわからない。だが、かつて抱いていたその感情がまだ燻っていて、再燃する時が来たら、私はどうなるのだろう、という小さな恐怖がマヤにはある。だが、クレハがいてくれる限り、マヤの感情がハウリングを起こす心配はなさそうだった。あの夏の日、クレハという少女と心を通わせられた幸運に感謝している事を、マヤはまだ誰にも話してはいない。


 その日の夜。ミチルは、ドラムスのマーコから動画のリンクを唐突に受け取った。

『あんたたちの動画がネットに流れてる!』

「はあ?」

 ミチルは風呂上がりのオレンジジュースを片手に、添付されていたSNSの動画記事へのリンクを開いた。今までライブの動画なんか散々上げられてきたのに、今さらなんだろう、と思っていたミチルは、口にジュースを含んでいなかった事に感謝した。

「げっ!」

 それは、つい何時間か前の文化祭の、フリーステージの様子だった。スマホを縦にして録った映像らしい。ちょうど、ハルト達の演奏が終わった後だ。そう、ハルトが例のイジメ問題について問題提起した場面である。

『狂ってるだろ!』

 ハルトが叫ぶ様子が、SNSに拡散している。いいねの数がやばい。もう1万5千を超えて、まだ伸びている。投稿したのは生徒ではなく一般客らしい。狂ってるだの、病気だの、だいぶNGワードを連発しているが、コメントには「よく言った」「勇気あるな」といった好意的な反応が目出つ。

 問題はそのあとだ。一般客であるジュナとミチルが、ステージ上で”お説教”している様子がバッチリ拡散してしまっている。そのあと、ジュナがブルーハーツを歌ったところまで。

「…まずい」

 ミチルは背筋が寒くなった。母校でやらかした事が大ごとになってしまったら、何か責任を問われる事にならないだろうか。しかも当然ではあるが、2人がそこそこ話題のガールズフュージョンバンド、ザ・ライトイヤーズのメンバーである事もバレバレである。ミチルは即座にジュナに連絡を取った。だが、ジュナは平然としたものだった。

『だから何だ。この記事にコメントしたりいいね押してる人らは、半日経てばまた別な記事にいいね押してんだよ、構う事ねえよ』

 強い。強すぎる。あなた本当に16歳、もうすぐ17歳になる女子高校生ですか。

『どうせ拡散するならハルトたちの演奏を拡散しろってんだ。そいつの本分じゃない所は持ち上げても、主体の表現に関心は持たない。SNSで騒いでる奴らなんて、そんなもんだよ。人の本質には興味がないんだ』

 ときどきジュナは、メンバーの誰よりも達観した大人に見える事がある。それに、センテンスが豊富で的確なのも、意外と言ったら失礼だが、意外だ。でもそういえば、現国の成績はいつも優秀なんだよな、とミチルは思う。

『ねえジュナ、歌ものの曲を作るとして、歌詞を書いてみる気、ある?』

 ミチルは何気なくそう訊ねた。すると、ジュナからの返答は意外なものだった。

『興味はある。けど、今はお前のバンドに全力を注ぎたい。他の事やる余裕ができてからだな』

『ライトイヤーズに、歌ものは要らないってこと?』

『簡単に答えは出ないけど、あたしはライトイヤーズに関しては、インストに徹するべきだと思ってる。たまにコーラスが入るくらいはいいけどな。インストならインスト、って割り切った方が、個人的には好きだ』

 なるほど。ミチルは、例えばジャズファンクのキャンディ・ダルファーにもボーカルものは多いので、いずれそれに倣ってみようかと思っていたのだが、ジュナの言う事もなんとなくわかる。ジュナはフランクでワイルドな性格ではあるが、一方では非常にストイックでもある。

『ロックを歌いたいっていう気持ちはあるんでしょ』

 ミチルは念のため、そう訊ねてみた。

『もちろん。けど、この際だからハッキリ言っておくよ。あたしにとって、活動のメインはミチル、お前のバンドなんだ。そこは覚えといてくれ』

 その宣言に、ミチルは思わず涙ぐんでしまった。やめろ、まじで泣くぞ。

『ロックをやるなら、メンバーそのままで別バンドを結成すればいいだろ。THE ALFEEが”BEAT BOYS”やってるみたいにさ』

 BEAT BOYS。そんなコアな情報、今や30代でも知らないだろう。女子高校生で知っている自分達の方がおかしい。メンバーそのままで別なバンド。それはそれで面白そうではある。実際ストリートライブでは、J-POPもふつうにやっていた。フュージョンバンドは、やろうと思えば何でもできるのだ。


 フュージョン。改めてミチルは、自分の選択が大それたものであるように思えてきた。少なくとも日本では、フュージョンなど過去のブームの残照としか認識されていない。これに比べたらハードロックやパンクロックなんて、ほとんど市民権を得ているにも等しいだろう。レッド・ホット・チリ・ペッパーズが好きです、と言えば渋いね、の一言で終わりそうだが、「イエロージャケッツが好きです」と女子高校生が言っても、まず「誰?」と訊かれるに違いない。

 土曜日には、パシフィックオーシャン・ジャズフェスが待っている。公式サイトを見ると、すでに急病で出演できなくなったベテランバンドのピンチヒッターとして、ミチル達がステージに立つ事が発表されていた。ジャズ界隈ではそこそこ大きなニュースだが、日本の音楽シーン全体においては、アイドルグループやロックバンドの足元にも及ばない。話題になっているとは言っても、「ちょっと前まで無名の女子高校生フュージョンバンドとしては」という注釈はつく。

 だが今回のジャズフェスのように、なぜか仕事は次から次へとやってくる。不思議なのは、本来は予定外の出演が非常に多いという点だ。木吉レミの本人の不摂生によるドタキャンの穴埋め、ステファニー・カールソンの希望で急きょ招かれたオープニングアクト、そしてジャズフェス。

「ピンチヒッターバンドだな」

 ミチルは苦笑した。世の中には新しいホールのこけら落とし公演がやたら多いバンドだとか、妙なジンクスを持っているミュージシャンがいる。ザ・ライトイヤーズはひょっとしたら、そういうタイプなのかも知れない。

 明日は学校だ。ミチルはEWIによる新曲の練習を少しだけ行ったあと、歯を磨いて早めに床についた。以前に難聴を患ってから、ストレスや睡眠不足には注意を払うようになっていた。



 翌朝、いつものように部室に行くと、朝には珍しい人物がやってきた。3年の佐々木ユメ先輩である。まだ、ミチル以外は誰も来ていなかったので、久々に部室で2人だけの珍しいシチュエーションだ。

「どうしたんですか、朝早く」

「うん、ちょっとね。報告に来た」

「報告?」

 ミチルが訊ねると、先輩はなんとなく不安そうな表情で報告してくれた。

「私達、イギリスのアテナ・レコードっていう小さなインディーレーベルと、契約する事になった」

「ホントですか!?」

 ミチルに思わず驚きの笑顔が浮かぶ。以前そういう話は聞いていたが、それが実現したらしい。

「それほどビッグニュースってわけじゃないよ。中小レーベルと契約する駆け出しアーティストも、最近多いからね。プログレ系インストバンドなんて今どき珍しいから、興味を持ってもらえたみたい」

「良かったじゃないですか!あれっ、じゃあ今までアップしてた音源は」

「うん、マスタリングし直して、新たなレーベルから配信する事になる」

 そうだ。先輩達は何だかんだで、すでにフルアルバムを個人でアップしていたのだ。インディーとはいえレーベルに所属する事で、少なくとも今までよりは、発信力が期待できる。

「でも、見切り発車で契約しちゃった所もある。私たちメンバーは、進路がバラバラだからね」

「あっ」

「そう。バンドがコンスタントに活動できるかどうか、わからないの。ショータとカリナ、ジュンイチはそれぞれ県外に行く。会えない距離ではないけど、集合したいときにすぐ行き来できる距離でもない」

 それはなかなかリアルな話だった。物理的にメンバーが離れてしまえば、活動のしようがない。そしてそれは、そっくりそのままミチル達にも起こり得る可能性だった。

「いきなり音楽でやっていく、なんて言って親が納得するわけもないし。実際、難しいんだ」

「…何か方法、ないんでしょうか」

「あるにはある。私とソウヘイが進路を変更する、っていうね。カリナ、ショータとジュンイチの進学先は、40kmくらい離れている。その近辺に私たちが進学すれば、当初の予定よりは集まりやすくなる。けどね」

 そこで、ユメ先輩は少し暗い表情を見せた。

「進路なんて、どうなるかわからない。いずれ、それぞれが自分の道を見付けて、バンドも自然解消って事だってあり得る」

「そんな…」

「起こり得る事よ。どんなバンドにもね」

 それは、ミチル達にも向けられた言葉だった。ミチルは、思わず身を引き締める。ユメ先輩は、ミチルの肩をポンと叩いた。

「ミチル。私ね、あなた達だけは、そうなって欲しくないの。ずっと音楽を続けて欲しい」

「…はい」

「そこでね。勝手な事して申し訳ないけれど、菜緒が清水美弥子先生に話をつけてくれたから、先生の所に行ってちょうだい。昼休みでもいいから」

 どういう意味だろう。なぜそこで、理工科の清水美弥子先生が出てくるのか。先輩たちが目をかけてくれている事に感謝しつつ、ミチルは首を傾げるのだった。

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