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Light Years  作者: 塚原春海
ようこそフュージョン部へ
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ペパーミントグリーン

 大方の女子高校生の目が輝くのは、話題のスイーツ店やファッション、シューズのブランド店、コスメやアクセサリー店といった種類のショップだと思われる。あるいはアイドル、アニメグッズだとかを買い漁る女の子もいるだろう。

 その彼女たちと変わらないか、あるいはそれ以上の眼差しで、大型リサイクルショップ「マルヨシ」の楽器コーナーにかれこれ30分居座っている女子高校生がいた。折登谷ジュナその人である。

「ねえ、これあたしに似合うかな」

 通常なら流行のワンピースだとかを体に当てて友達や彼氏に意見を求めるところを、その少女はフェンダー・ジャズマスターを腰のあたりに持ち上げ、キラキラ光る目でミチルに評価を求めた。

「あなたに似合わないギターは、高見沢俊彦のエンジェルギターぐらいだと思う」

 褒めているのか突き放しているのかわからない評価を、大原ミチルは下した。しかし、その感想は適当に言ったものではない。クレハならエンジェルギターもいけそうだが、あいにく向こうはベーシストだ。

「いいんじゃない、渋めで。まあ、あなたの預金残高がその値札に似つかわしいかどうか、それが問題だけど」

 ミチルが指差した、トレモロアームの根本に下がっている値札には「¥175,000」と、インクジェットプリンターで印字されている。ジュナは桁が間違ってるんじゃないかと目を近付けてみたが、本物のジャズマスターが1万7千5百円で買えるかどうか、ギタリストが解らない筈もない。ジュナはしぶしぶジャズマスターを元の場所に戻した。

「この間のアイバニーズに使えるパーツでも探したら?また壊れたんでしょ」

「あれで鳴らない筈ないんだけどな」

 ぶつくさ言いながら、ジュナは中古のピックアップ類が並ぶガラスケースに移動した。ちなみにジュナは基本的にハムバッカー党なのだが、最近フュージョン部の男子の先輩にシングルのストラトキャスターを弾かせてもらったところ、シャープに伸びるハイトーンも悪くない、と思い始めたようである。

 その後さんざん悩んだ挙げ句、税抜3,600円のシングルサイズ・ハムバッキングのピックアップと、ジャンクコーナーに積まれたボックスの中を掘り起こして見つけた300円のシールドケーブルを買って、ジュナの買い物は終わった。価格が軒並み予想外に高い事を除けばギターの品質と品揃えは良く、今回の新規開拓はジュナとしては成功であったらしい。


 店から出る間際、オーディオコーナーがミチルの目に留まった。アルミの巨大な塊に、78万という値札がついている。一体何の機器かと説明をみると、「CDトランスポート」と記してある。CDトランスポートってなんだ。薫くんに聞いてみるか。

 田んぼの縁で見かけた事がある蛇みたいな太さの、電源ケーブルがガラスケースの中に置かれている。価格は1万8千円。殴れば立派に凶器になりそうな、やっぱりアルミの塊の豪華なプラグが両端についていた。その隣には大判焼きみたいなサイズの、鋳鉄の平たい円形の物体が4つ、仰々しいケースに収められている。インシュレーター、とある。1個420グラム、4つで1.6kgを超える。それが8千8百円。これも、オーディオには必要なものなのだろうか。趣味の世界はわからない。


 もっとも、普通の女子高生がキンプリとかBTSとかを聴いてる中で、キャンディ・ダルファーの曲のコピーに勤しんでいる自分も、傍から見れば変わり者だろう。べつに普通のポップソングを聴かないわけでもないし、カラオケに行けば一緒に歌う。歌番組の話題に華を咲かせる事もある。ただ、それとは別に自分の世界がある、というだけの事だ。

 ところが、いざ自分の世界を認識すると、けっこう自分が孤立している事を自覚する。話が通じる人間がいない。これは、体験した人でなければわからないだろう。ひょっとしたら、オーディオ趣味というのもそうなのかも知れない。


「ミチル。そろそろ出るか」

 ジュナの声で、考え事は中断された。


 

 その頃、フュージョン部キーボード・ピアノ担当の金木犀マヤは、家族が用事で出掛けている事を確認し、トイレを済ませ、自室に食糧と飲料を持ち込み兵站を整えたうえで、ふた世代前のゲーム機の電源を入れた。インジケーターが青く輝き、HDDとゲームディスクが回る。

 現在攻略中のその3Dアクションは海外の10年以上前のタイトルで、スランプのベストセラー小説家が妻と気分転換に訪れた旅行先で、奇怪な事件や現象に巻き込まれるというホラーミステリーである。傑作、駄作が両極端の評価で、たまたまプレイ動画を見てゲーマー心を刺激されたのだ。

「この!」

 マヤはゲームパッドを手に、ゾンビと化した地元の住人達を拳銃で倒して行った。四方から襲いかかってくるので、回避は至難の業である。しかもこのゾンビ、懐中電灯の光でバリアを破壊してからでないと銃が効かないというオマケつきで、なるほど、駄作呼ばわりするプレイヤーもいるだろうとマヤは思った。が、君たちが下手なだけだゾ、とマヤは心で語りかけた。


 プレイしながら、やはりいいBGMだ、とマヤは思う。プレイヤーの不安感を増大させてくる。ホラーゲームはこうでなくてはならない。プレイ動画でもそこに惹かれたのである。PC版もダウンロードできるのだが、権利の関係で一部音楽の使用許可が降りなかったらしく、マヤはわざわざ実機用のディスクを中古で探して来たのだ。このへんが一般のプレイヤーとマヤの違いである。

 ゲームの本筋とは関係ないミニイベントも全て確実に拾っていく。ただ拾うだけではなく、ちゃんとその面白さを味わう。攻略するだけがゲームではない。攻略し、なおかつ味わってこそゲームだ。と、ミチルやジュナに力説してもあまり取り合ってもらえない。面白いのはマーコで、もともとゲーマーでもないのだが、マヤが貸してやったゲームはとりあえず攻略してしまう。それも、一般プレイヤーなら途中で投げ出すゲームでもきっちりクリアしてしまうのだ。自覚がないゲーマーなのかも知れない、とマヤは思った。


 マヤが音楽に目覚めたきっかけもゲームである。そのタイトルは「GRAVITY DAZE」。小学生の頃の話だ。田中公平が担当しているBGMの凄さに驚き、ゲーム音楽の世界にのめり込んだ事から、自宅のピアノに手を伸ばした。そのうち母親から、自宅の騒音対策のためにヘッドホンで練習できるキーボードを買い与えられ、楽譜の読み方も独学で勉強するまでに至ったのだった。南条科学技術高校はプログラミング系のスキルを身に着けるために選んだのであり、フュージョン部が存在する事は入学してから知った。ミチルの影響で、フュージョンという音楽にも改めて興味を抱き、スクェアに長年在籍したキーボーディスト、和泉宏隆を指標のひとつにしている。


 ゲームがだいぶ進んだので、いったんセーブして電源を切る。ふた世代前のゲーム機なので、夏場に酷使して寿命を縮めるわけにもいかない。

 クーラーボックスから取り出したコーラを飲み、ポテチをつまんで、またコーラを飲む。健康的とは言い難い。だが期末考査はひとまずの成績だったし、このところ部活の事で色々疲れてもいた。少しぐらい、背徳的なご褒美を自分に与えてもいいだろう。マヤは冷凍庫へチョコレートアイスを取りに、階段を降りた。お昼はカップの担々麺にレンチンのハンバーガー。ふだん食べ物には気を付けているので、たまにこういう事をやりたくなる。明日から節制しよう。



 ランチはミチルの希望で、一軒の喫茶店に行く事になった。アーケード街を外れて狭い路地に入ったところに、「カフェ・ペパーミントグリーン」はあった。昭和どころか大正、明治の香りさえ漂う純喫茶である。カラカラと古風なドアベルを鳴らして、ミチルとジュナはドアをくぐった。照明のランプもフィラメント管風の電球色のLED、と徹底している。深いブラウンと赤を基調とした、古風そのもののインテリアだ。

「こんにちはー」

 ミチルが声をかけると、カウンター奥でカップを磨く中年のマスターが振り向いた。長身で、やや白髪が目立ち始めた髪はきれいに後ろに流している。細面に眼鏡をかけた風貌はどことなく知的だ。

「おや、ミチルか。久しぶりだな、元気か」

 マスターであり、ミチルの叔父の大原啓だ。ミチルは子供の頃から、ハジメおじさんと呼んでいる。

「お友達かい。座りなさい」

「啓おじさんも変わんないね」

 カウンター席を勧められた二人は、赤いレザー張りの椅子に腰を下ろした。だいぶ歩いたので、けっこう脚が疲れている事に気付く。店内には、チェット・ベイカーの軽快なサウンドが小音量で流れていた。

「おじさん、この子バイトで雇わない?ジュナっていうんだ。17万円のギター買いたいんだって」

 出されたレモングラス風味のミネラルウォーターをひと口飲んで、ミチルはジュナを叔父さんに紹介した。

「何言ってんだ!」

「いいじゃない。私も実はたまにここで小遣い稼いでるんだ」

「お前なら様になるだろうけどな」

 ジュナは、後ろの席にコーヒーを運ぶメイド服のウェイトレスを見る。あんな格好してたまるか、という表情をしている。すると、啓おじさんはジュナを見て言った。

「うん、けっこう似合うと思うけどね」

「学校の制服にエプロンかけるくらいでいいなら来ます」

 ジュナは妥協案を提示する。どうやら、バイトしたいという意志はあるようだ。夏休み、ここでジュナと一緒にコーヒーを運ぶのも悪くないかも知れない。

「叔父さん、私ナポリタンとクリームソーダ」

「ちょっと待て。あたしまだ決めてない。初めてだもの」

 ジュナは革張りのメニューを開いて、何がお薦めか訊ねてきた。すると、マスターが笑って答える。

「食べたあとの匂いが気にならないなら、チキンカレーだね。早く注文しないと、たいがい12時30分くらいにはもうなくなっちゃうよ」

 ジュナは時計を見た。12時4分である。

「じゃあそれ!それと…コーヒーフロート」

「かしこまりました。飲み物は食後でいいかな」

 

 チキンカレーとナポリタンを片付けて、二人はソーダとアイスコーヒーの上のアイスクリームを口に運ぶ。ジュナと、こんな風にゆったり過ごすのも悪くない、とミチルは思った。ジャズはまだ年齢的なものもあるのか、アンビエントとしてはいいが、一曲一曲を吟味して聴くところまではいかない。ところが、ジュナが意外な事を言いだした。

「ふうん、ジャズギターってのも味わいがあっていいな。考えてみたら、フュージョンの前はジャズ・ロックなんてのもあったしな。ソフト・マシーンとか」

「おっ、ジュナちゃん詳しいね。ソフト・マシーン、かけてあげよう」

 マスターは棚からCDを取り出すと、ちょっと古いデザインのCDプレイヤーにセットした。ジャケットをジュナに見せてくれる。

「デビュー盤か」

「リマスター版だけどね」

「ちょっと喫茶店って雰囲気じゃないな」

 ジュナは笑う。それはそうだ、彼らはプログレ系のサウンドである。しかし、壁に埋め込んである大きなスピーカーのサウンドのせいか、落ち着いた”喫茶店の音”になっている。ミチルは薫の影響かオーディオに少しだけ関心を持ち始めたので、スピーカーのブランドが気になった。”TANNOY”とある。

「叔父さん、あれタンノイっていうの?」

「ん?ああ、そうだよ。なんだ、今度はオーディオに興味を持ったのか」

「うん、ちょっとね」

 ミチルは、学校にオーディオ同好会が存在していた事を説明した。自作スピーカーの事を話すと、「へえー」と感心した表情を見せる。

「今どき、そんな事やる高校生がいるんだね。叔父さんも若い頃挑戦したけど、音のチューニングが難しくてね」

「あのタンノイ、いくらしたの?」

「高校生は心臓に悪い値段だ。聞かない方がいい」

 ミチルとジュナは顔を見合わせて青ざめた。最低でも何十万、の世界だろう。しかし、出てくる音は柔らかく、部屋にふわりと広がって心地よい。薫のスピーカーとは対照的だ。

「タンノイはジャズには向かない、と大昔の人はよく言ったもんだけど、僕はタンノイで聴くジャズも好きだな。オーディオは、好きな音楽を好きな音で楽しめる所がいい」

 その言葉は、なんとなくミチルの耳に残った。

「好きな音で?」

「そう。メーカーごと、製品ごとに、スピーカーは本当に音色が違う。楽器と一緒さ。クリアで音の粗まで暴き出すようなのもあれば、アナログレコードのザラザラした音を、ミルクを入れたコーヒーみたいにクリーミーにしてくれるスピーカーもある。低音がふくらんでドカドカくるタイプが”ジャズ向き”なんて言われたものだけど、ジャズをクリアな音で再生したっていいんだ。好きなように鳴らせばいい」

 それは、薫が言うところのリアリティのある音とは対照的な考えだった。好きな音楽を、好きな音で聴く。


 その言葉が、ミチルの心に残る事になった。どうという事のない、当たり前の事だ。好きな音楽を、好きな音で。何も難しい事はない。なぜ、そんな事が心に引っかかっていたのか、その答えに気付くのは後々の事だった。


 叔父さんは、また別なCDをかけてくれた。レニー・ニーハウス、という大昔のジャズ・サクソフォン奏者らしい。

「アルトサックス奏者だから、ミチルの大先輩だな」

 小気味よいドラムスとサックスの音が、古風な喫茶店にふわりと広がる。こういう音楽の世界もあるんだな、とミチルは思った。隣を見ると、ジュナと目が合う。ジュナは小さく微笑んでくれた。

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