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文書3  異能と日常

楓とグレイスとは二人とも高3の園芸委員で、各学年持ち回りで何日かごとに高校の花壇の草木に水やりをするのが仕事だ。

職員室に行って担当の先生から鍵を貰い受け、校舎裏のじめじめとした学校菜園の一角にある庭小屋に入る。

相変わらず、(ほこり)と土が入り交ざったような独特の匂いだ。

手前に無造作に置かれているホースと散水ノズルを手に取って校門前に急ぐ。

そこではグレイスが立水栓の調子を確かめていた。


楓はグレイスに先端の散水ノズルを手渡しホースを立水栓に繋げる。

グレイスは散水ノズルを手に持って校門すぐ横の大きな花壇の脇に駆けていった。


「じゃあ、水流すよ。」


一言声をかけて、楓は固く締められていた蛇口を力任せにグイっと(ひね)る。

放出された水道水が勢いよくホースの中を伝わってグレイスの手元のノズルへと向かっていった。


「………………うん? 水が出て来ないよ。」


(しばら)くして、準備満タンで待ち構えていたグレイスが不思議そうに声を上げる。

何度もレバーを引くが、そのノズルから水が噴き出てくる様子は一向にない。


「もしかして、ノズルの水量調整のところがゼロになっているんじゃない?」


もしやと思って楓は予想を口にする。

グレイスは散水ノズルを構えるのをやめて観察した。


「そうかも。………………あっ! 本当だ。ここが駄目だったのか。」


どうやら予想は当たっていたらしい。

この幼馴染には少々おっちょこちょいなところがあった。

散水ノズルと格闘するグレイスを楓はハラハラしながら見守る。

グレイスはようやく調整方法を把握したようで、はしゃぎながら散水ノズルを勢いよく弄り始めた。


………散水ノズルを自分のほうに向けたまま。

本当にグレイスは時々とんでもないポンコツぶりを見せつけてくれるものだ。


「ちょ、ちょっとまって! ちゃんと構えてから水を出さないと………………!」


「えいっ!」


楓の制止も虚しく、グレイスは水量調節を最大にしてしまった。

水量調節を全開にされたノズルからすさまじい勢いで水が噴き出す。

当然、その勢いのまま水道水はノズルを自分の方に向けていたグレイスに降りかかっていった。

思わずグレイスがぎゅっと目をつぶってしまう。


■■■■■■■(あっという間に)■■■■■(グレイスは)■■■■■■(びしょ濡れに)■■■■■■■■(なってしまった。)


グレイスが恐る恐る(まぶた)を持ち上げる。

そして、自分の着る制服が濡れていないことに気がついてひどく驚いた顔をした。

(しばら)くの間制服を手で触れて目で見て確認した後、グレイスは(いぶか)しげに声を上げる。


「あれっ、服が濡れてない?

確かに水がこっちにむかって噴き出てきたと思ったんだけど……。」


楓は内心ドキマギしているのを隠してなんでもないように返事をした。


「何寝ぼけたことを言ってるの。全然水かかってないよ。」


「あれ?」


楓の言う通り、グレイスのシャツには染みひとつない。

不思議そうに小首をかしげるグレイスを急かす。

………………ご先祖様、幼馴染の為だったらすこしばかり異能を使ってもいいですよね?

楓は心の中で誰に対してでもなしに弁明する。

一族の持つ異能で、少しばかり先の未来を否定する力。

それは、先祖代々世のため人のためになることにだけに使うと定められてきた力。

(おご)り高ぶり私利私欲に走らないよう先祖様が後世に向けて(いまし)めた力。

しかし、そんな思慮深い先祖様も幼馴染がびしょ濡れになるのを防ぐためだけに異能を使う愚かな子孫が現れるなどとは想像すらしていなかっただろう。


         ◆◆◆


学校中の花壇に水やりを終えた頃にはとうに日が高く昇っていて蝉の声が(やかま)しかった。

教室に戻ると、大半の生徒はもう登校していてあちらこちらで夏休みの間の話に花が咲いている。

楓やグレイスも友人に呼び止められて話をしていると、あっという間に始業時間になってしまった。


「お前ら、始めるぞ。」


教室の引き戸が大きな音を立てて開けられる。

まず目に飛び込んでくるのは白髪交じりでぐしゃぐしゃにされた鼠色の髪。

次には無精ひげにどろりと濁ったその瞳に目がいく。

目元には隈があり、分厚い瓶底眼鏡がずり落ちかかっていた。

草臥(くたび)れたベージュに黒のストライプネクタイとしわだらけの白カッターシャツ、ダボダボによれたカーキのチノパン、染みだらけで黄ばんだ白衣。

(およ)そこの世全ての怠惰を詰め込んだような恰好。

心が擦り減った腐った大人が一人、重い足を引きずりながら教室に這いずり込んできた。

驚くべきことに彼こそが名物化学教師にしてクラスの担任、ラディム=ラシュカだ。

ちなみに東欧出身なのだそうだが、日本語が流暢(りゅうちょう)すぎてよく忘れられがちだ。


「あ~、一人ずつ名前を呼んでいくから、返事しろ。大声は出すなよ、二日酔いに響く。」


何気に教師としてあるまじき言葉を吐き出しながら、ラディムがギシリと悲鳴をあげる教卓にだらりともたれかかり、懐から名簿を取り出す。

川床に長年蓄積されてきたヘドロのように気怠げな声。

彼が立つ教卓の一角だけ、異界であるかのように陰鬱な重圧がたちこめていた。


無論、夏休みが終わってすぐの元気が有り余っている高校生にとってそんな教師もどきに対する配慮は眼中にないわけで。

教室中が元気に溢れた声で満ちる。

すると、一人ずつ名前を読み上げる度、ラディムは少しずつ顔が歪んでいく。

最早真ん中辺りに差し掛かった頃にはラディムの視線は空中を飛び回る幻覚を追うように泳ぎ始め。

最後の生徒が元気よく返事し終えた後には半ば白目を向いていた。

頭を抑えながら、ラディムが教室中を睨みまわす。


「………おい、俺今二日酔いだっつったよなあ。」


ラディムが低い声で(うな)る。

が、一人の生徒が手を挙げて正論をぶちかます。


「はいはい! 学校始業の前日に二日酔いになるぐらいお酒飲んだ先生が悪いと思いま~す。」


ぐうの音も出ない真っ当な反論にたじろぐと、サボテンでも気がつくほど思いっきり目が泳いだ後、ラディムが負け惜しみのように小声でポツリと逆恨みを口にした。


「俺、ほんとお前らのこと嫌いだわ。」


         ◆◆◆


始業式は古びた小さな体育館で少ないながらも全校生徒が一斉に集まって行われる。

無論空調設備などあろうはずもないので、高い気温と湿度に悩まされることになり、快適さもへったくれもない。

体育座りをしながらあまり要領の掴めない校長の話に耳を傾ける。

多くの生徒がだらけて姿勢を崩す中、グレイスは背筋をきれいにのばして熱心に聞いていた。

視線をその脇にずらすと、舞台上の演壇に立つ校長からは絶妙に見えないように解放された扉の前でラディムがこくりこくりと舟を漕いでいる。

どうやらラディムはちゃっかりこの地獄の体育館の中で一番気持ちのいい位置に陣取ったらしい。

羨ましそうに自身を見つめる生徒の視線に気がついたのか、ラディムは居眠りをやめると嫌味な顔でこちらを嘲笑う。


こういうことをするから今朝のように生徒から思いっきり(いじ)られるのだ。

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