文書23 情報共有
「ここが私の部屋。先に入っておいて、飲み物用意してくるから。」
「あ、ちょっと。」
グレイスは呼び止める暇もなくさっと廊下を走っていった。
異性を一人きりで部屋に残すなんて、なんというか。
グレイスが警戒心がなさすぎるのか、それとも意識している自分が煩悩まみれなのか、どちらなのだろう。
躊躇うが、ここで突っ立ったままでいるわけにもいかない。
そっと扉を開ける。
部屋の中は思っていたよりも片付いていた。
隅にベットが一つと箪笥、勉強机と小さな丸テーブルがあり、他は本棚で埋められていた。
本棚には書類でパンパンになったファイルと共にハードカバーの本がびっしりと並んでいた。
グレイスってこんなに本が好きだったんだ。
意外に感じてどんな本を読んでいるのか、さっと背表紙のタイトルを見てみる。
太宰治の『人間失格』
ロバート・ルイス・スティーブンソンの『ジギル博士とハイド氏』
ドストエフスキーの『罪と罰』
自分も知っているような有名な作品が並んでいる。
しかし、それはどこか暗澹たる雰囲気を漂わす作品ばかりだった。
引き寄せられるようにして一冊手に取る。
長い間開きっぱなしにしていたのだろう、癖のついてしまっているページをめくろうとした所で、ドタドタと階段を駆け上がってくる音が聞こえた。
慌てて本を本棚に戻し、丸テーブルの椅子に腰かける。
バタリと勢いよく扉があけられる。
「ごめん、待たせちゃったね。はい、どうぞ。」
ジュースが入ったガラスのコップが目の前に置かれる。
扉が閉められ、
グレイスは勉強机の椅子をゴロゴロと引きずってくると、丸テーブルについた。
「それで、楓はどれぐらいのところまでシャマシュさんに教えてもらったのかな?」
次の瞬間、グレイスの纏う雰囲気がガラリと変わった。
どこか厳格な老教師を思い起こさせる仕草でテーブルに肘をつき、こちらに鋭い眼光を向けてくる。
思わず唾を飲み込んでしまってから、シャマシュさんとの会話を話した。
「じゃあ、大体の事情は分かっているってことでいいかな。」
こちらが話し終えた後、グレイスは感心したようにそう呟いた。
「うん、本当に私が言っておかなくちゃいけないことはなさそうだね。
ああ、ただ一つだけ。始業式の日みたいに大儀がないのに異能を使わないこと。
これは異能者の間での掟、規律だから必ず守るように。」
気づかれていたことに今更驚きはしなかった。
恐らく異能者としてはるか格上の目の前の少女があんなこと見逃すはずがない。
深く頷いた自分を満足げに見つめたグレイスはコホンと咳をした。
「それじゃ、ここからは本題に入っていこうか。
まずは君から話を聞こう。君はいったいどういった経緯で今回の事件に巻き込まれたんだい?」
話を振られ、口を開く。
祠で怪異現象に遭ったこと、
家庭科室で再びそれに遭遇したこと、
恐らく現実の出来事であったのだろう夢を見たこと、
夜の家庭科室に忍び込んでおけさ笠の不審者と対峙したこと。
包み隠さずこの一週間の行動を語った。
「………恐らく君が追いかけられたのはシナリオの影法師のようなものだね。」
グレイスが顎に手を当てて呟いた。
「影法師?」
楓は意味が分からず、オウム返しをしてしまう。
「シナリオは降臨が近づくにつれ歪みが酷い場所限定であるけれど現実に干渉することが出来るようになってくるんだ。
君を追いかけたのはそういった存在ってことさ。
シナリオは降臨に万全を期すために周囲の異能者を排除しようとするからね。」
グレイスが詳しく解説してくれる。
そして、一度言葉を切ると、こちらに呆れたような表情を向けた。
「それにしても、夜の学校に一泊、その後二階の窓から花壇にダイブって………。
君結構大胆なことするね。」
少し引いた目で見られる。
心外だ、グレイスだって異能者なんだから、もっと映画みたいな無茶をしてきたに違いない。
「んんと、じゃあ、次は私からだね。」
目の前に村の地図がさっと手渡される。
「私がこの件について指示を受けたのはだいたい一週間ぐらい前。
つまりはシャマシュさんが君に最初に接触した始業式の日あたりだね。」
始業式の日、思い返すと楓は何か胸につっかえるものがある気がした。
………そういえばあの日、グレイスが話しかけてきたのはもしかして。
楓は思わず口を出してしまう。
「じゃあ、もしかしてあの日に話があるって言ってたのは………。」
もしかして、異能絡みの話だったんだろうか?
楓の推測は予想外の方向性で当たっていた。
「君の家はシャマシュさんから聞いている通り代々異能者を輩出してきてる。
君が異能を覚醒させている可能性は大いにあって、それと同じぐらい君が犯人である可能性もあった。」
犯人………!?
楓は目を見開いた。
「なっ!」
自分に疑いがかけられていたと知り、驚愕する。
グレイスはわずかに苦笑した。
「今だから否定できるけど、あの当時一番怪しかったのは君だったんだよ。
だからあの日の放課後、私は探りを入れる意味合いも含めて君と接触した。
シャマシュさんが直々に君と対峙すると言っていたから私は途中で手を引いたけどね。」
淡々とした口調でグレイスが続ける。
「そんな………。」
自分に対する疑惑がそんなに深いものだったなんて、とショックを受ける。
それが隠し切れず表に出ていたのか、グレイスがフォローを入れるように続けた。
「あくまで最初は、だよ?
記述を見れば正体なんて一発で看破できる"怪奇現象"に君があんなに慌てふためいていたから、君が記述も見ることのできないド素人だって分かったし。
それからは容疑者から外されたよ。」
それはそれでなんだか、といった気持ちが湧き上がるのを楓はぐっとこらえた。
そして、疑問をぶつけた。
「記述を見れば正体なんて一発で看破できる"怪奇現象"、ってどういうこと?」
ジュースのストローを咥えているグレイスに尋ねる。
「ああ、この村で起こっている怪奇現象はたった一つの異能によって実行されているの。
記述にその痕跡があったから、そこからの推測になるけど………。
恐らく、相手はとある現象を繰り返し続ける異能を持っている。
それによってこの村にじわじわと異能の負荷をかけ続けていくつもりなのかな。」
楓はくらくらした。
この一週間でいったい何人の異能力と出くわしたことになるのだろう。
自分がひた隠しにしてきた異能という秘密が実は世界の常識だったなんていう突拍子もない錯覚すら覚えてしまう。
そして、何より自分が追いかけてきた怪奇現象の正体が実に単純だったことにちょっとしたやるせなさを感じた。
誤魔化すように目の前のジュースを飲む。
ブドウの爽やかな風味が気分をすこしましにしてくれた。
「私はその後もこの村を調べ続けた。
そして、君が家の外にまで誘い出されたあの夜。
私は初めて敵の姿を視認することになる。
いわゆる君が言うところの"おけさ笠の不審者"にね。
その後は君が夢に見た通り、私はそいつに異能ではるか遠方に飛ばされた。」