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文書12 決意

その日は朝礼が終わって、授業が始まってからも楓はぼんやりとしていた。

朝に見た光景が頭から離れなかったのだ。

いや、正確には細見の悲しげな背中。

さらには、自分がその原因に関わったかもしれないということ。

それが楓の頭にへばりついて離れなかった。

ここ数日楓は怪奇現象に頭を悩ませていた。

でも、少なくとも被害にあっていたのは楓だけで他の誰かが傷つくことはなかった。

しかし、これは違う。

細見は何も悪いことなどしていない、傷つけられてはいけないはずの人だ。

その人が、あんな目にあった。

もし、今後こういうことが続くのだとしたら。

そして、楓がその原因であろう何かに心当たりがあり、なおかつ限定的とはいえ超常的な力を持つのならば。

果たしてこのまま見過ごしていいのだろうか。

将来の神社の神主としてすべきことをしなければいけないのではなかろうか。

楓は一人、決心したかのようにぎゅっと拳を握り締めた。


         ◆◆◆


「いいか、高校までの化学反応は十中八九中和と酸化還元で説明がつく。

必死こいて全部の化学反応式丸暗記すんのはお前らの勝手だけどよ、半反応式いくつか覚えるだけで無機はなんとかなるぜ。」


丸椅子に腰を下ろしていつも通り簡潔な説明をするラディムはやる気があるんだかないんだか分らなかった。

窓の外では呑気に小鳥がさえずっている。

澄んだ青空が広がっていた。


「おい、だいたい理解したな? じゃあ、後は実践あるのみだ。」


教卓の前の席の生徒の机の上にどさりとプリントの山が投下される。

しかし、もう慣れたものでそのプリントの山はあっという間に切り崩され解体され、教室中にバケツリレーの要領で広がっていく。


「適当にまわしてやっとけ。俺はその間ゆっくりと休憩しとくわ。」


教卓の上で怠惰に頬杖をつきながら、ラディムが興味なさげにそう言い放った。

教室が静寂に包まれる。

カリカリという鉛筆が紙の上を走る音とギシギシと椅子が軋む音がその静寂を少しだけ賑やかなものにしていた。


「あ、そういえばお前らに言い忘れてたな。」


ふと思い浮かんだかのようにラディムが口火を切った。


「昨日の検査の結果、家庭科室が使えねぇことになった。だから、しばらくの間家庭科実習はなしな。」


声にならない悲鳴が生徒たちの間を駆け巡った。

昔パティシエを目指していたらしい家庭科の先生が家庭科の調理実習でいろんなお菓子を作らせてくれるのでみんな楽しみにしていたのだ。


「はいはい、お前らうるせぇ。お前らが悲しいのはわかったから、今は授業に集中しろ。」


ラディムがぼやく。

そんな教室の騒めきの中、表情が固くなるのが楓自身よく分かった。


家庭科室。

昨日の出来事がまざまざと楓の脳裏に蘇る。

不気味な繰り返しを続けていたあの家庭科室での出来事が。

ぞわりと鳥肌が立つ。


そのまま心が恐怖で飲み込まれてしまう前に、楓は腕を抓った。

今、怪奇現象をなんとかできるのは自分だけだ、そんな自分が怖気ついてどうする。

必死に自身の心に発破をかける。

家庭科室は、この怪奇現象の正体に挑むと決心した以上避けることはできない場所でもある。

冷静に考えて、あのクチナシの祠のほうが家庭科室より圧倒的に怪異の規模が大きく危険だ。

もしこの異常現象を解き明かすために危険を冒すなら、リスクが低い家庭科室のほうがいいに決まっている。

幸い、さすがに山の中のクチナシの群生地のあたりは慣れ親しんでいるわけではないが、学校の周りは裏道も含めて勝手知ったものである。

そういう意味でも家庭科室のほうが好ましかった。


今夜、家庭科室に忍び込んでその正体を探ってみよう。

そう意志を固める。


ふと、視線を楓は感じた。

ばっと前を見上げるとラディムと目が合う。

驚いて楓はすこし目を見開いた。

普段生徒にむけるようなものとはどこか根本的に異なっていて、まるで楓を探るような視線だ。

その瞳からはいつもの無気力は影を潜めていて、どこまでも落ちていってしまいそうな底なしの冷徹で空虚な雰囲気が漂っていた。

次の瞬間、ラディムがニチャアと気持ちの悪い笑顔を浮かべる。


「おうおう、楓さんよ。俺をそんなに情熱をこめて見つめないでくれよ。

分かったさ、このプリントの答えは楓にお任せしよう。」


「えっ」


         ◆◆◆


終礼が終わると同時に楓は制鞄を背負って教室を飛び出した。

うだるような暑さの中、駆け足で家にまで帰る。

居間のちゃぶ台の上に友人の家に泊まるという嘘の書置きを残しておく。

食パン二三枚とハム、チーズで即席のサンドウィッチを作り、制鞄に詰め込んだ。

………万が一の時のために道場から木刀を一本隠し持っていくことにする。

大慌てで支度を済ませた後、楓は慌ただしく学校へもう一度向かった。


すれ違いざまに帰宅途中の生徒が不思議そうに逆方向に向かう楓を見てくる。

時折顔見知りから声をかけられるが、忘れ物をしたの一点張りで押し通した。

幸いにもその焦ったような様子が逆に説得力を持ったらしい、その嘘に疑問を持たれることはなかった。


学校に着くと、もうかなりの生徒が帰ったらしく、閑散とした雰囲気が学校を包んでいた。

自教室のある二階は、幸いなことに部活動で使われている教室が家庭科室だけで、しかもその家庭科室が使用禁止になっていたので、人影が全くなかった。


それでも一応そっと廊下を見回し、誰かに自分が家庭科室に侵入するところを目撃されないように注意する。

誰もこちらを見ていないことがわかると、楓はどきまきしながらそっと家庭科室の扉に手をかけた。

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