第3話 そして妹がやってきた
翌日の朝、食堂でレイズナーと顔を突き合わせ食事を取っていた。
だんだんと、何が起きているのか分かってきたように思った。
「前の世界でのパーティでは、エルナンデスは殺されなかったの。なぜなのか、考えていたんだけど、分かった気がする」
私が言うと、レイズナーがちろりと顔を上げる。
「ハンがエルナンデスを殺したんだわ」
「なぜだ」
「ヒースはあなたを嫌っているんでしょう? あなたと一緒にいるエルナンデスを目撃したから、罪を着せようとしたと思うと、筋が通るように思うの」
「あの男なら、そのくらいのことはやりそうだ」
ため息を吐くレイズナーに、私も目を伏せた。
「私が思っているヒースと、あなたが思っているヒースは違うのね。周りが思っているレイズナー・レイブンと、本当のあなたが違うように」
私は初めから、見たいものしか見れなかったのかもしれない。
ヒースの愛という幻想は美しかったけど、レイズナーの愛という現実は、決して美しいだけではない。痛くて辛くて切ない。それでも求めるのは、後者だった。
はっと、レイズナーが私を見るのが分かった。何かを言いたげに口を開いた瞬間、使用人が朝食の席に現れる。
「ポーリーナ王女がお見えです」
私はレイズナーと目を合わせ、頷き合った。
*
レイズナーを部屋の外に追いやった客間の中で、テーブルをはさみ向かい合うポーリーナは問う。
「暮らしはどう?」
「アイラはレイズナーの愛人ではないし、もうこの屋敷を辞めるのよ。それにポーリーナ、婚約パーティーはやめた方がいいと思う。私たち、騙されているわ」
間髪入れずに言うと、ポーリーナは目を丸くする。
「誰に? 誰に騙されているっていうのよ?」
「ヒースよ。ヒースは多分、私のことも、ポーリーナのことも愛していないわ」
見る間に、ポーリーナの顔は赤く染まる。昔から、怒るとすぐに真っ赤になる子だった。次に言う言葉は、なんとなく予想が付いた。
「嘘よ! ヒースはヴィクトリカお姉様に愛されていなかったって言っていたわ。本当の愛をくれたのは、この私だって!」
驚くほど私は冷静だった。いつかレイズナーに言われたように、ポーリーナに言う。
「それを誰から聞いたの?」
「……ヒースよ!」
「私もヒースに、レイズナーに憎まれていると聞いたわ。だけど本当は逆だったの」
「馬鹿げているわ! お姉様こそ、レイブンに騙されているのよ!」
「いいえ、そうは思わない」
きっぱりと言うと、ポーリーナの大きな瞳が揺れた。
「ポーリーナ。私たち、いつだって支え合って生きてきたでしょう?
ルイサお姉様が嫁がれて、お兄様は冷たくて、周囲の人たちの誰も信用できなかった中で、あなただけはいつだって私の味方だった。私だってそうだわ。いつだってあなたの味方よ」
私と同じ色の瞳が、瞬きもせずに見つめ返してくる。手を握ると、抵抗はされなかった。
「私、あなたが幸せならそれでいいの。だって姉妹よ? たった一人の、かけがえのない妹だわ。あなたは違う?」
「……違わないけど」
小さく、呟くようなポーリーナの声に、私は勇気づけられた。
「私、ヒースのことが本当に好きだったわ。彼も愛してくれていると思ったの。だけど、結婚式の一日前に、彼はあなたと婚約をした。そのことを、私には言わなかったのよ。
ヒースは、もしかすると思っているような人ではないかもしれないわ」
瞬時に手が引き抜かれる。
「そんなこと……そんなことないわ! 彼は素敵な人よ! 私を愛してくれているって、ヴィクトリカお姉様よりも好きだって、言ってくれたもの!」
どん、とポーリーナがテーブルを叩いたためカップが揺れ、紅茶がこぼれた。勢いよく開いたのは扉の方で、レイズナーが飛び込むように入ってくる。
私の側に駆け寄ると、点検するように体を見る。
「君が紅茶をかけられたかと思った」
「平気よ。どうしてそう思ったの?」
「……さあ。言われてみれば不思議だな。どうしてだろうか」
戸惑ったように笑うレイズナーに、怒鳴ったのはポーリーナだった。
「レイブン! やはりあなたは野良犬ね。盗み聞きしていたなんて! お姉様と結婚したのも、奇跡の王女を手に入れたかったからなんでしょう!?」
レイズナーはポーリーナを一瞥すると、どかりと、私の隣に腰掛け、肩に手を回してきた。彼の熱に包まれる。
「いかにも俺は育ちが悪い。だが少なくともグリフィスとは違い、愛のない結婚はしませんよ」
ポーリーナは、愕然とした表情になった。
「ヴィクトリカを愛している。それ以外に、結婚の理由はありません」
レイズナーの声色には、明らかな苛立ちが含まれていた。
「あなたを愛するお姉様と、自分だけしか愛せないあの男と、どちらを信頼するかなど、目に見えていると思いますが」
それから、私の手をつかみ立ち上がらせると、ポーリーナに笑いかけた。
「では今から、ヒース・グリフィスの本性を確かめに参りましょうか?」
* * *
薬草が立ち並ぶ城の温室は、ヒースが所有しているものだ。婚約していた時度々見慣れていた光景だったけど、中ではヒースが世話を使用人に任せ、優雅に本を読んでいた。
レイズナーが温室の扉を開けると、ヒースが顔を上げる。
「グリフィス。少しいいだろうか」
「なんだレイブン。なんの用事だ?」
声色が、明らかに侮蔑を含んでいた。
「薬草を分けてもらえないか。魔道書に書かれていた方法を試したいんだ」
「ふん、君に文字が読めるとは驚きだ」
驚いたのはこっちだ。ヒースがこんなひどい物言いをするところを初めて見た。一方のレイズナーはいつものことなのか、涼しい顔をしている。
「急いでくれ。薬草は君の専売特許だろう?」
「おい、言葉に気をつけろ。この僕に命令か? 最下層の出のくせに。
陛下がなぜ君に、ヴィクトリカを捧げたのか理解できない」
私は、自分の顔が引きつるのを感じた。隣のポーリーナも同じように、信じがたい表情で二人を見つめていた。
レイズナーは言う。
「陛下とは、十代の頃からの友人だからね。妹を任せるには適任だと思っていただけたと言うことだろう。……君よりも」
ち、とヒースが舌打ちをした。
「貴様のような貧乏人が、僕たちと肩を並べることさえおぞましい」
それから、にやりと嫌な笑みを浮かべた。
「彼女は、この僕をまだ愛しているぞ」
「いいや、あいにく彼女はもう、この俺のものだ。心も、その体もね」
レイズナーはあくまでも冷静に振る舞うが、目の前のヒースに嫌気が刺しているのは表情から明らかだ。
ヒースは敵意を隠そうともしない。
「上手くやった気になるなよ」
「まあ確かに、奇跡の王女は素晴らしい。俺の地位と名誉を底上げしてくれた。あえて言わなくとも皆知っていると思うが、実のところ、愛などないさ」
レイズナーが、私の方を見た。彼に見えるはずがないけれど、私は頷き返す。大丈夫、嘘だと分かっている。
レイズナーは続けた。
「だがグリフィス。君もポーリーナ王女と婚約をしたじゃないか。君に不足はないだろうに、なぜ俺に突っかかる? ヴィクトリカに未練があるのか?」
「あるはずがないだろう。ポーリーナは僕にぞっこんだ。小賢しいヴィクトリカより、あれは扱いやすいからな」
「王女二人をよく手懐けたものだ」
「ポーリーナは簡単さ。ヴィクトリカへ抱く劣等感を、刺激してやったんだ。愛していると囁けば、容易く心を開いてきたよ。所詮、世間知らずの王女様だな」
ひ、とポーリーナが後ずさり、レイズナーがかけた結界の、外に出てしまった。その気配に気がついたのか、ヒースがこちらに目を向けた。
「ポーリーナ?」
ヒースの目が見開かれる。仕方なく私も結界の外に出て、姿を現した。
「ヴィクトリカまで。い、いつからそこに」
彼への答えは、ずっといた、だった。
開け放たれた温室の扉のすぐ外で、私とポーリーナはレイズナーが地面に描いた魔方陣の中で姿を隠していたのだ。
ヒースは狼狽えたように立ち上がった。
「違うんだこれは! これはこの、レイブンが仕組んだ罠だ!」
「レイズナーが何をしたというの? 全部、聞いていたわ」
私の声は震えていた。
ヒースが怒りに顔を赤くし、レイズナーの胸ぐらを掴んだ。
「こ、この僕を罠に嵌めたのか!? 覚えておけよレイブン! 貴様を殺すための手段は選ばない!」
「はははは!」
頓狂な笑い声を上げたのはレイズナーで、腹を抱えて、目には涙さえ浮かべていた。
顔をヒースに向かい、未だ口を左右に広げながらレイズナーは言った。
「いやすまない。君があまりにもおかしくて。そういや、ハンと言ったかなあの男は。
誰が差し向けたのか、調べればすぐに分かるだろう」
「この……下衆野郎が――!」
ヒースがレイズナーに片手を向ける。
「レイズナー!」
私は夫に駆け寄ろうとしたが、彼が手で制するのが見えた。「来るな」と、そう言っている。
ヒースが手から炎を放った――ように見えた。だが即座、炎なんて遙かに上回る濁流が、温室を駆け巡っていった。




