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第10話 姉からの手紙と兄からの呼び出し

 アイラに劇の感想を聞かれたけれど、あれほど楽しみにしていたにも関わらず禄に観てなどいなかったら、上手く答えられずに誤魔化した。


 まだ何かを言いたげな彼女を不思議に思い尋ねる。


「何かあるの?」

「いいえ……あの、奥様。こんなお願いは、非常識で、立場を弁えていないと分かっているのですが……、いえ、やっぱり何でもありませんわ。気にしないでください」


 いつもきっぱりと物を言う彼女が、まごついているのが奇妙でならない。


「どんなことでも怒らないから、言って欲しいわ」


 使用人に私的な感情を抱くのは城ではタブーだったが、この屋敷の中で私はアイラと友人でいたかった。


 意を決したかのように、アイラは言った。

 

「あの、ハンの国の言葉を、教えていただきたいんです。もちろん、お時間のある時、ちょっとだけでもいいんです! ……ごめんなさい。わたくし、どうかしていますわ、奥様にこんなことを言ってしまうなんて。忘れてください」


 そそくさと出て行こうとするアイラの手を、慌てて取った。


「もちろんいいわ! 大歓迎よ。ハンも一緒に三人でどうかしら。そうしたら、お互いの国の言葉を覚えられるでしょう? いつが空いている?」

「週末なら。もちろん、奥様がパーティから戻られての話しですが」

「週末……」


 週末が過ぎれば、私はこの屋敷にいないかもしれない。だけどその計画をアイラの前で言うわけにはいかない。


「そうね、週末、いいわ」


 これ以上ないほどの感謝の意をアイラは示した。もしも立場が同じだったら、私たちは抱きしめ合っていたかも知れない。そもそも、手を取り合っているこの状況だって、本来ありえないことだし、もっと言えば、親しく言葉を交わすことだって、あってはならないことだ。


 彼女の手を見つめていると、私は突然、いたたまれなくなって、彼女を抱きしめた。私と彼女は友人だ。身分が何だって言うの? 驚く彼女におやすみの挨拶をすると、そのまま離れる。

 彼女の手は水仕事で荒れていた。私の手は、疲れなんて知らないほどに綺麗だ。そのことに、恥ずかしくなった。



 *



 ベッドに横になりながら、二通の封筒を眺める。


 考えたいことが沢山ある。


 レイブンのキスを、拒まなかったのはどうしてだろう。頬が熱くなり、心臓が高鳴り、あろうことか幸福さえ感じてしまった。全部レイブンのせいにしてしまうのは簡単だけど、彼を押しのけなかったのは私だ。


 それに、レイブンが追い払ったあの男は何者なんだろう。見るからに柄の悪そうな男だったから、レイブンの悪い仕事の仲間だろうか。

 キンバリー・グレイホルム嬢を見つめるレイブンのあの瞳。まさか彼女があそこに座ると分かっていて、あの席を取ったのではないか。彼にとって彼女は何なのだろう。それとも全て偶然だろうか。


「疑念を確信に変えるのは早すぎるわ」


 口に出すと、心が落ち着いていく。

 考えることはまだあった。


 封筒の一通を開く。

 ポーリーナとヒースの婚約パーティの招待状だ。正直、行く気にはなれないが、断るわけにもいかない。王女として、ひいては姉としての責務を果たさなくてはならない。王家に失敗や惨めさはあってはならない。

 もし私がパーティに出席しなければ、自分の結婚に満足していないが故に、彼女たちの婚約を認めていないことになってしまう。


 それに――。


 もう一通の手紙を開いた。

 帰宅し、届いていたものだ。幸いレイブンは劇場での一件から口数が少なく、私宛の手紙に注意を払うことはなかった。

 

 差出人は、ルイサお姉様だ。結婚式の直後に私が出した手紙への返答だった。


 そこには、突然のレイブンと私の結婚とそれを知らされすら知らなかったカーソンお兄様への怒り、ポーリーナがヒースと結婚したことに対する怒り、最後に、レイブンへの罵詈雑言が書かれていた。

 数年前、友好国の国王に嫁いだお姉様は今身重で、だから元々、ヒースとの結婚式にも来ない予定だった。なのに、手紙の最後にはこう記されていた。


 ――週末に開かれるポーリーナの婚約パーティには出席します。そこであなたを連れ出すので、レイブンにはくれぐれも気付かれないようにしてください。


「どうしよう……」


 私は頭を抱えた。


 お姉様が婚約パーティに来れば、絶対に、何がなんでも私を国へ連れて帰るだろう。そうしたら全て解決だ。もうレイブンやポーリーナに煩わされることもない。

 だけど同時に、屋敷で暮らす人たちと、永遠に離れることになる。


 アイラやハン、テオ――


 ――レイブンは。


 彼らのことを、知りかけていた。

 私が去れば、悲しむんじゃないだろうか。交わした言葉や感情も、偽物だったと思ってしまわないだろうか。この屋敷に来てからのことは、城で過ごした時よりも、よほど私の本音だったのに。それに、テオとの約束はどうなるの。料理を一緒に作ると言ったわ。アイラとハンの意思疎通の手伝いだってしなくてはならないし。


 レイブンのことを考えると、知らない冒険へ出かける時のように胸が高鳴った。同時に穏やかな優しい気持ちが沸いてくる。心地がよくて、ずっとこの感情の中にいたいとさえ思ってしまう。

 慌てて否定する。馬鹿なヴィクトリカ。騙されてはだめよ。

 

 彼と離れるのが嫌なわけじゃない。アイラやハン、テオと心が通ったように思っているだけだ。私はそう、自分へと言い聞かせた。



 *



 お兄様からの呼び出しは翌日のことだった。別件で城に用事があるというレイブンと共に城に行く。


「帰る時、一声かけてくれ。タイミングが良ければ一緒に戻ろう」


 そう言い残し、レイブンは自らの用事を済ますべく去って行った。


 たった五日ぶりだというのに、城の雰囲気に圧倒されてしまった。この白亜の城は、こんなにも荘厳に、他人を拒むようにそびえ立っていただろうか。

 馬車を降りて、足早にお兄様のところへ向かう。さっさと会って、さっさと帰ろう。


「帰ろうですって」


 思わず呟いた言葉が、誰にも聞かれなかったか周囲を確認した。あの屋敷に帰りたいと思う日が来るなんて。

 だけどあの屋敷の人たちは、少なくともこの城にいる大勢の人たちのような目で、私を見はしなかった。


 護衛として着いてきていたハンを外に待たせ、お兄様の書斎に通される。

 使用人が用件を伝えると、入室を許可する静かな声が聞こえた。


「お兄様、参りましたわ」


 相変わらず無愛想な表情で、机に向かうお兄様は私を一瞥する。

 レイブンもお兄様と同類だと思っていたけれど、彼は意外と感情豊かだということが分かってきた。だから本当に感情がないのは、我が兄、カーソンだけなのかもしれない。


「ルイサに手紙を書いたようだな」


 立ち上がることなくお兄様は言った。なぜそれを知っているのだろうか。


「手紙を盗み見たの」

「当然だ」


 何が当然なのか分からないが、お兄様はそれ以上手紙について話すつもりはなさそうだ。


「国外に逃亡して、国際問題にでもなったらどうするつもりだ? 逃亡など企てずとも、お前とレイブンのままごとはすぐに終わる。今日はそれを伝えるためにお前を呼び出したんだ」

「どういう意味です」

 

 威厳のつもりなのかもしれないが、圧迫しか感じないお兄様の態度に、いつもは萎縮して終わるだけだった。だけど今日は尋ねずにはいられない。 


「近く、結婚生活は終わりだ」

「ではどうして、私は彼と結婚させられたんです」

調()()が間に合わないうちに、彼を逃すわけにはいかなかった」


 お兄様は静かに言う。

 私は心の中の怒りに気がついていた。理由も告げられず一方的に結婚させられ、希望を見いだした途端、今度は取りやめさせようとするなんて。だが怒りを見せたところで、お兄様には何も伝わらないだろう。


「調べってなんです?」

「あの男の過去の悪行についての調べだ。近く逮捕し、処刑する。安心しろ、王女を犯罪者の妻にはさせん、当然お前との結婚は無効にさせる」

「処刑ですって!」 


 悲鳴に似た叫びを上げた。心臓を握りつぶされた気がした。

 結婚の無効よりも、そちらの方が気がかりだった。レイブンが殺される?

 頭がくらくらして、息が止まりそうだった。

 私の様子を不審に思ったらしく、お兄様がじろりと睨む。


「……お前ほどの人間が、まさか体を許したとは言うまいな?」


 首を横に振るので精一杯だった。体の問題ではなく、心の問題だ。でもきっと、私のこの胸の内の思いをお兄様に言っても分かりはしない。


「過去の悪行とは、どんなことなんです」

「知ってどうする」

「私の夫ですわ。知りたいと思うのは当然でしょう?」


 大きなため息を吐いた後で、お兄様は平然と言った。まるでそれ自体は、大した問題でもないとでも言うように。


「私欲による貴族の殺しだ。さあ、もう十分だろう? お前の家に帰りたまえ」

お読みいただきありがとうございます!

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