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 水浴びを終え、来た道を戻る。ソアレは往路のように前を歩くのではなく、隣にいる。

 簡単な道が形成されているとはいえ、やはり少女が俺を担いで歩けるはずもない。

 本当にこの身体は軽くなっていたのだなと実感する。まるで彼女が担いで帰れるように……。


 「戻ったら一度、小屋の周りを一人で歩いてみようと思う」


 「おひとりで、ですか? わかりました。森に入らないようにしていただければ、危険はないと思います。それと、夕刻までにはお戻りくださいね。夜はとても暗いですから」


 了承する。単独行動のお許しが出たので、今後は少なくともソアレの手を煩わせることなく散策ができる。

 仕事を任せられるほどには回復したと彼女に判断してもらうまでの間で、自分探しにけりをつけてしまおう。向かう先にあてがあるわけではないが、大きな災害というのを理由に放棄されたという集落があるはずだ。

 彼女に案内させるのはなんだか申し訳ない気がするので、自分の足で探してみるとしよう。手がかりの候補としては悪くない。


 「では、お気をつけて。あまり遅くならないようにしてください。でないと、心配しちゃいますから」


 「ありがとう。そんなに時間はかけないと思うよ」


 心配をかける度にこそばゆい思いを抱いているのはお見通しか。

 いたずらっぽく笑うソアレと別れ、墓守小屋の裏手にある小さな畑を背に歩みを進める。

 開けた視界に映るのは、あの小屋を中心に円を描くように、壁のように配置された背の高い木々のみだ。集落など、その痕跡らしきものも見当たらない。

 樹海に浮かんだ小島、ささやかな墓守小屋、たくさんの墓標。木々を分け入って森に侵入しない限り、この世界を構成するのはたったそれだけだ。

 端まで行ってもソアレから視線が通ってしまうほどに狭く、平坦だ。だから単独行動を許してくれたのだろうか。

 しかし、こんなにところに住まなければいけないのだから、墓守とはなんと大変な仕事だろう。もうずっと人に会っていないというのも納得がいく。ここはきっと、隠すように築かれた墓地だ。


 人と神に捨てられた者たちの、聖域にして吹き溜まり。

 そう彼女は呼んでいた。ならばここには、この墓地には特に隠すだけの理由がある。


 ここで眠る人たちには、本来ならあの墓標を立てることすら禁止されているのだろう。だが、迫害されたとて、死後の安息だけは自分たちを捨てたものに縋らざるを得なかった。だから隠した。

 そんなところだろうか。


 聖域の終端にたどり着いた。近くで見れば、樹海を形成する木々がどれも10メートル以上の高さを持っていることが理解できる。目の粗い樹皮、細長い枝、黒みがかった緑の葉。威圧感は相当なものだ。あてもなくこの中を歩き回れば遭難は避けられないだろう。

 無理に押し入る理由も、彼女の言いつけを破る理由もない。外周を回ることにした。あの湧水地への道のように、集落やその他の施設への連絡通路があるはずだ。


 小屋を目印にぐるりと一周したが、人為的なものの痕跡を新たに見出すことは出来なかった。

 まるで閉じ込められているようだ。不気味な妄想が過るが、きっとここで暮らしていた人にしかわからないよう、巧妙に隠されているのだろう。


 足を使うのは一旦このあたりで切り上げて、枝を拾う。もう一つ、確かめるべきことを確かめる。ソアレの目の前では絶対に出来ないことだ。

 枝を半ばほどでへし折り、尖らせる。これなら人体に傷をつけるのに不足はないだろう。

 左の手のひらに切先を押し当て、一気に引く。


 「……ッ!」


 少し深すぎたか、熱と刺すような感触が掌全体に広がる。汗が噴き出す。赤い血が流れる。が、血はやはりすぐに止まった。痛みは残るが、傷も既に見当たらない。

 形状こそ俺の知るものと少しも違わないが、この身体は自分のものではない気がしてきた。


 こんな便利な体質だった覚えはない。何かに、こういう身体に作り変えられたのか?

 吹き替え映画のような不自然さの残る翻訳機能も含めて、作為的なものを感じずにはいられない。

 でもいったい誰が? どんな目的で?

 ソアレを不憫に思ったミトス神とやらが、特別頑丈な労働力として俺を派遣した……。というのであれば、受け入れてやってもいいのだが、まさかそんなことはないだろう。


 少し休みたかった。日は傾いてすらいないが、戻るとしよう。


 ……いや、まだ戻れないな。

 取り囲むように並ぶ木々のなかに、刃物で切り付けられたような傷を見つけた。注意して見れば、同じような傷をつけられたものが他にもいくつか確認できる。

 符丁とみていいだろう。おそらくは、村に続く道を示すための。


 傷つけられた樹木をたどり森へ侵入する。

 ソアレの忠告を無視する形になったが、目的地が森の中にあるのだから仕方がない。


 歩みを進める。符丁を見つけた木に向かい、到達した先で新たな符丁を探す。何度も繰り返し、ジグザグとした軌道で樹海を縫う。


 ソアレのいない時間は嫌なことを考えてばかりだ。

 村から墓地への入口を隠すならともかく、こうして出口や経路まで複雑にしている理由……。彼女は閉じ込められているのだろうか。

 死体を処理して埋めるという行為が忌避されたのかもしれない。押し付けた役割を放棄されることを厭うたのかもしれない。どちらにせよ気持ちのいいものは一つだってありはしないだろう。


 開けた視界に映ったのは、かつて集落と呼ばれた焼け跡だった。

 炎上、倒壊した家屋の残骸と、それに潰された死体の数々。優しいソアレに見せていいものではない。最期の記憶が強制的に想起され、冷や汗が噴き出し、吐き気を覚える。


 しかし、これは別物だ。

 俺の死因と似ているが、決定的に異なる点が一つだけ。

 災害により解散……というのは嘘だろうな。

 地震や火事といった災害が、人間だけを選んで殺すものか。

 人の家だけが打ち壊されて、人間だけが燃やされていた。

 逃げる者も許しを請う者も立ち向かう者も、すべて剣で斬り付け炎で焼かれていた。

 火葬。ミトス神の教えでは死後が保証されない葬送になるのだろう。でなければわざわざ炎など持ち出さない。燻蒸消毒じみた執拗さで、人の手によって村一つが根絶やしにされていた。

 土地や財産を奪うための暴力ならここまではしないだろう。逃げ延びた先にも迫害の手が及び、ここで今度こそ滅ぼされたに違いない。


 胃の中を空にし終えた。できることは少ないが、せめて彼らの死後の安息を祈ることとする。

 日が傾き始めていた。そろそろ戻らなければいけない。


 何かが喉を通るような心持ではなかったが、ソアレに心配をかけるわけにはいかない。夕食をいただくときには普通にしていなくては。


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