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 川で拾ったのだと彼女は言う。

 発見した時点で外傷らしい外傷はなく、だが見た目よりも極端に軽い漂着物。それが俺らしかった。

 生死を判別することはできなかったが、一縷の望みをかけて持ち帰り、血をふき取り服を着せあたためた。それから7日目が今日なのだという。


 信じがたい話ではあったが、他に信じるべきものもない。なにより今さら彼女を疑う気など一つも生まれてこなかった。

 俺自身のことも話して聞かせた。彼女にとっては異世界の、支離滅裂な、俺のもう会えない家族や友人の話を真剣に聞いて、疑わずに信じてくれた。


 あの後しばらくして互いに濡れた服を取り換え、冷めた食器を片付け、疲れて眠ってしまった。

 日の落ちた頃に二人して目が覚めたので、夕食を頂いた後ベッドに腰掛け、少しずつ現実を受け入れる手伝いをしてもらっているところだ。


 俺は彼女の養父が着ていたというシャツに袖を通している。

 俺が一体何者なのか、なぜ縁故も持たないこの異界に漂着、あるいは発生したのか。

 その疑問を解消するには足りなかったが、受け入れるべき事実を集積することはできた。


 稀人、神が遣わした異邦からの客人に違いない。と、ソアレは俺の素性に対してそう結論を置いているようだ。なにか神聖な使命を背負ってここに来たはずだろうという質問を受けたが、残念ながらそんな大層なものに心当たりはない。


 この身体についても、最期に計測したときには50kg代後半はあったはずだが、ソアレが見つけたときには水を吸った洗濯物程度の重さだったとか。

 現在では身体機能の急速な回復に伴って体重ももとに戻りつつある様子だ。昼前には歩くのもやっとというところだったが、今は既に少し倦怠感が残る程度までに回復している。


 事実として羅列すればするほど理解を拒む情報ばかりなので、俺について考えることは一旦中止する。彼女とこの世界について質問していこう。


 「君はここに一人で住んでいる。そうだよね?」


 「はい。もう3年ほど前から」


 「そんなにか。それで、墓守……というと?」


 「ここに眠る方々の亡骸を守護し、魂を慰撫するのがお仕事になります。夜回りと清掃、と言い換えてしまっても大丈夫です。」


 「一人で、少なくとも3年間も?」


 「はい。養父の遺した仕事ですから」


 医療者としての使命や職能、義務を持つわけでもなしに俺を治療した。微笑みながら、自信に満ちた瞳でそう言っている。

 返しても返しきれないほどの恩義を感じる。俺に神が遣わした使命があるとするならば、残りの生涯をかけてこの少女の手伝いをすることに他ならないだろう。


 「墓とは、あの剣のような……」


 「はい。ミトス神の僕の証、誓約の剣を模った墓標です。その下で眠るからこそ、信徒はこの地が楽園になった際には肉体を与えられるのです。ですが、わたしたちには……」


 「ああ、無縁墓地。神と人に捨てられたと聞いたね」


 「そう。誓約を違えた人やその末裔がわたしたちなんです。だから、あの下で眠っても安息は訪れず、再度肉体を与えられることもない……」


 宗教に詳しいわけではないが、少なくとも現代日本で信仰されている神ではない。

 捨てられた……破門されたと解釈するべきだろうか。そして破門されたとて慣習的な埋葬方法に代わるものはなかった……と。

 しかしあの墓標、俺は初見から剣と断定していたが、そのことに違和感を覚える。

 墓標として立つあの造形を見て、剣? 普通なら十字架とみなすべきだろうに……。

 いや、自分自身の考え方まで疑うのはよそう。今はまだ他に聞くべきことがある。


 「ミトス神とは、どういう神様なんだ? そして、君たちが捨てられたというのは?」


 「太陽と誓約、そして剣の神様です。太陽のもと剣によって行われる誓約を司り、守るものには恩恵を、破るものには罰をお与えになります。捨てられた……というのは正しくなかったですね。ごめんなさい。むしろわたしたちが捨てたと言うべきでした。神との誓約を違えたのです。結果として恩恵は反転し罰を受け、もといた場所から追放され、ここに小さな集落をつくって暮らしていました」


 神との誓約、それに違反するというのはやはり良くないことのようだ。彼女の表情が曇る。

 そんなものは見たくないし、あまり気持ちのいい話題でもない、軽々に触れるべきではないだろう。


 「集落というのは、今は?」


 「はい。わたしが成人する前に、大きな災害がありまして。解散、という形で、墓所とこの墓守小屋、それから畑以外には、もう残っていません」


 「成人? 君、もしかして年上だったりするのか?」


 「いえ? わたし、今年で16になりますから、きっとカイトさんのほうが年上ですよね?」


 「18と9か月。いや、ちょっと文化の違いを感じただけだ」


 彼女が首をかしげる仕草は大変愛らしい。揺れる髪がきれいだ。

 少々脱線したが、なるほど成人年齢も低いと。


 「ごめん。話をもどそうか。村がなくなってからも、君は一人で墓守をやっていたのかい? だれか、助けてくれる人とかは……」


 「はい。生きている人とお話ができるのは、たぶん2年ぶりです」


 ソアレのような娘をこんな場所に一人捨て置いた人間もろくでなしなら、原因を作ったミトス神というのも邪神に違いない。


 「ソアレ、これからはきっと、君に寂しい思いはさせない。墓守の仕事というのも覚えるよ。多分……いや絶対に、それが俺の使命ってやつだと思う」


 怒りと勢いに任せて全く自分本位な発言をしてしまった。

 恥ずかしくなって顔を逸らす。これでは愛の告白ととられてしまっても仕方がない。いや、違いはないのだが……。


 「あ、いや、忘れてくれ。いきなり困らせるようなことを言った。あーでも、そうだな。君を手伝いたいというのは本音だ。恩を返したいし、返せるようになりたい」


 まだ、口にするべきではない。助けられるままの自分ではきっと彼女に釣り合わない。

 そもそもだ。たまたま良くしてやっただけの怪しい行き倒れに好意など向けられては、彼女も悍ましいと感じるに違いない。

 そう思ったから、口を滑らせてしまった部分については訂正した。

 恐る恐るソアレのほうに向きなおる。


 「その……もし、ミトス様がわたしやこの墓所に眠る方々をお許しになって、そしてあなたを遣わしたのだとすれば、そんな運命だったなら、わたしもとてもうれしいです。でもわたし、旦那さんやお手伝いさんがほしくてあなたを助けたわけではありませんよ? ですから今、ここであなたが落ち着く先を決めてしまうというのは、ちょっとはやいのではないかな……と。」


 ソアレはさっきまでの俺のように顔を逸らして答えている。すこしばかり早口だ。頬が少し赤い。

 気遣って隠してくれているのか、その態度からは恐怖や困惑といった色を感じることはない。

 義務や報恩といったモノで俺を拘束することはしたくないと、そう言ってくれているのだろうか。

 そう都合よく解釈してしまっていいのだろうか。


 「それに、明日には外に出られるかもしれません。あなたを最初に見つけた沢にいってみませんか? カイトさん自身について、きっと何か手がかりがあると思うんです」


 確かに、俺の出自について、彼女以外からも得られる情報はあるはずだ。この異界をあたるとしよう。


 「そして、あなたが何者であるのかがわかって、どうしたいのかを選べるようになって、そのうえでわたしと一緒にいたいと思ってもらえるなら……」


 「変なこと言って、ごめん。そうだね、この感じなら明日、きっと歩き回れるようになってるはずだ。そこまで案内してくれれば、あとは勝手に散策しているよ」


 彼女の話を遮った。その先を聴くのは、もう少し後でいい。

 言わせてしまったような形になるのはきっと、俺たちにとってあまり良くない気がした。


 「はい。明日。すこし歩きますから、日の高くならないうちに出発しましょう。つかれたでしょうから、今日はもうお休みください」


 デートの約束まで取り付けてしまったが、ここで眠るわけにはいかない。


 「いや、仕事があるんだろう? 付き合ってもいいかな? 手伝いたいんだ」


 きっとイレギュラーな業務を押し付けっぱなしで疲労がたまっていることだろう。水まで被せてしまったことだし、できれば彼女の助けになりたかった。


「いえ、カイトさん、顔色がまだ悪いように見えます。大変なお仕事ではありませんから、カイトさんにはすこしでも眠っていただきたくて……」


 戦力外通告を受けた。引き下がってもいいが、また倒れて迷惑をかけるのも忍びない。

 ソアレを心配させないような身体に戻してから出直すとしよう。


 「それなら、甘えっぱなしな気がするけど、お言葉に甘えるとするよ」


 「はい! たくさんあまえてください」


 黒いケープのような外套を着込んでランタンに火を灯したソアレを見送った後、眠りにつくことにした。

 一度ソアレに対する好意を自覚し口にしてしまった以上、今までのように同衾するというのは憚られた。一つしかないベッドから少し離れた床面に身体を横たえ、目を閉じる。


 今夜ばかりはいい夢が見れそうだ。明日が楽しみで仕方がない。

 俺は確かに一度死んだ。生命活動は停止して、これまで築いた他者とのつながりは絶たれた。

 それでもこうして、この世界で命とつながりを再び手に入れた。すべてソアレが与えてくれた。

 今は休もう。そして、どんな形であれ、自分と彼女が納得する形で恩を返したい。

 人生を懸けた目的が生まれるというのはこんなにも心地よいものだろうか。

 この墓守小屋が完全には遮断することのできない夜風の冷たさも、背にした木材の固さも、まったく気にならなかった。


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