表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/11

2

 はじめに目を覚ましてから3度、日が落ちるのを確認した。

 この間、意識を保っていられる時間は徐々に増えていった。

 そして気づいたことがある。

 今も隣にいる足音の主……陽と土の匂いのする少女の存在だ。

 少女、というのは時折こちらをのぞき込んでくる幼気な顔や、肩ほどまで伸ばした色素の薄い金髪、時折こちらを優しく諭すように、包むように語り掛ける声、そして布越しに体温と共に伝わる柔らかさからそう断定した。

 国籍の違う人間の年齢は特に判断がむずかしいが、間違いはないだろう。

 少女は一日の多くの時間を俺を暖めるために使ってくれている。

 夜の寒さが体温を奪うのは彼女も同じはずだろうに、かまわずその熱を分け与えてくれている。風変りではあるが、目的は治療と考えていいだろう。

 その証拠に、あの日から寒さに震えることがなくなっている。


 焼けたはずの喉が動く気がした。

 俺を抱きしめていてくれる少女に感謝を伝えるべく唇を動かす。が、擦れた音が漏れるばかりで、意味を結ぶことはなかった。

 だが、音は届いたらしい。


 「だいじょうぶですよ」


 幼児に語り聞かせるような声だった。シンプルな意図を充分以上に時間をかけて伝える、優しい声。

 擦れた音で答えても要らぬ心配をさせるだけだな。と思い、返事は控えることにした。



 主観の上でだが、明けて翌朝。目を開けると少女に顔をのぞき込まれていた。

 青灰色の大きな瞳に映る自分は酷くやつれて見える。


 「おはなし、できそうですか?」


 少女が口を開いた。唇の動きと、聞こえてくる音に少々ズレがあり、違和感を覚える。

 昨日までと変わらぬやさしげな音色の前では些細なことだが。


 「むずかしそう、ですか?」


 言葉を続ける。陽色が揺れる。首をかしげている。問いに答えなくては。


 「いえ。おかげさまで、大丈夫みたいです」


 空咳が先行する形にはなったが、喉から出した音は今度こそ言葉を伝えることに成功した。


 「よかった! すこし身体を起こせますか? お手伝いしますから」


 頷いた後告げられた言葉から、治療行為があらかじめ用意していた次のステージに移行したことを理解した。

 少女が差し出した細い腕を頼りに身体を起こす。喉ほどではないが、四肢にも力が戻っている。

 今まで自分はベッドの上に寝かされていたようだ。壁を背もたれにして腰掛ける格好になる。

 贅沢なことこの上ないが、寝心地があまりよくないと感じたのは藁かなにかにシーツを被せているからだろう。

 あの……と、質問につなげようとした唇の動きを人差し指で制止される。


 「まずは食べてからにしましょう。 きっとお腹が空いているはずです」


 もう何日も食事らしいことをしていないことに思い至る。

 水については今まで水差しかなにかで定期的に口に入れてもらっていたが、燃料がなくては身体は動かせない。

 病院食だろうか、木製の椀によそわれた粥のようなものが用意され、少しばかり湯気を立てている。

 忘れていた食欲は素直に喚起されてはくれなかったが、従うことにした。


 「すこしずつ飲み込んでください。 でないとお腹がびっくりしてしまいますから」


 少女が息を吹きかけて冷まされた粥が、木製の匙に乗って口に運ばれる。

 麦のような味を咀嚼し飲み込んでいく。僅かずつだが、俺という内燃機関に燃料が注ぎ込まれていくのを感じる。

 少女は俺の隣に座り、食事を飲み込むこちらの様子を伺いつつ、テーブルの椀から粥を掬い、冷まし、口に運ぶという作業を繰り返してくれる。

 まるで雛鳥になった気分だ。寝たきり生活を卒業した俺が未だ要介助者であるにしろ、年下と思しき少女に食事の世話をさせているのはバツが悪い。


 そう、少女は18の俺に比べて年下に見える。座っているから正確にはわからないが、きっと背丈も頭一つと半分ほど小さいはずだ。

 それに服装も医療者といった趣ではない。白衣ではなく、ポケットや所属を表す表示も見当たらない。

 ちょうど今尻に敷いているベッドのシーツのような、オフホワイトをした簡素な貫頭衣は、むしろ患者のための服といったほうが納得がいく。

 彼女自身が持つ陽の色をした髪や青灰色の瞳とあわせ、往年のRPGを想像させる時代錯誤な出で立ちであった。

 だが、このロッジに似た木製の家屋にいる分にはむしろ似つかわしい姿なので、こちらをさらに混乱させる。

 そして被災当時のものに代わり俺自身が着せられているこの服も似たようなものだった。患者と医療者が同じ服装をするというのは不自然だ。

 情景を整理すれども、彼女の正体を推理することはできない。

 ここも彼女も、真っ当な医療機関とその所属ではなさそうだが、それでは何故、こうまで献身的に自分を助けてくれるのか。


 口に運ばれる匙が止まる。椀は空になっていた。

 まずは名前を名乗って、感謝を告げて、それから山ほどある質問にひとつひとつ答えてもらうとしよう。


 「助けていただいて、本当にありがとうございます。あなたがいなければ死んでいました。私は御堂戒斗といいます。あなたのお名前を伺ってもいいでしょうか?」


 未だ自分のものでないような声だが、偽りない謝辞をまっすぐに伝える。

 受けた少女が微笑し、少しの戸惑いを滲ませた表情で口を開く。白すぎる肌にわずかばかり朱が差した。

 口元には人差し指が添えられている。


 「口元、お拭きしますね」


 恥ずかしい。

 硬直し無抵抗のまま、口元を布で拭ってもらう。雛鳥というか、これでは赤ん坊そのものだ。


 「はい。これで大丈夫です」


 これでよし!といったような弾んだ仕草を見せ、言葉が続けられる。


 「稀人様のお名前はミドウカイトさん……というのですね。こちらからも、あきらめずにいてくれたことを感謝させてください」


 マレビト、民俗学の語彙を披露した後ではちぐはぐだが、いかにも日本人名の発音は不慣れですといった感じで名前を呼ばれる。

 加えて、死ななかったことを感謝されるというのは不思議な感覚だ。

 彼女の立場や職務といったものを外見から判断しようとしたことは、口元を年下の女性に拭われるよりもずっと恥ずかしい。

 人を助けておいてこんなことが言えてしまう人物なのだ。医療者としての精神性は、きっとどんな名医と比べても遜色ないのだろう。

 さらに、助けることができてほんとうによかった。と結び、彼女は胸に手を当て、自身の名前を教えてくれた。


 「ソアレと呼んでください。 それから、できればもう少しだけ自然に接していただけるとありがたいです。 ご友人になさるようで結構ですから……年上のお客様にそのような話し方をされてしまうと、少々据わりが悪いのです」


 自然にと言われても命の恩人に接する以上は失礼のないようにするべきとは思うが、恩人の頼みとあれば可能な限り希望に沿うよう努力しよう。


 「ありがとう。ソアレ。では俺のことはカイトと呼んでほしい。もちろん呼びにくくなければ……だけど」


 「はい! カイトさん……これなら呼びやすいです!」 


 花の咲いたように笑う娘だと思った。それからさん付けも必要ないのだが、これを指摘するのは少し自分本位な気がしたので訂正はしない。こちらがあわせるべきだ。


 「では、ソアレさん。聞いてほしいことが……」


 「どうか、ただ、ソアレ……と」


 フムン。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ