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最期の夜が近い。俺はソアレの養父、ヴァルターさんが憎しみを以て人を殺め、結果誓約を違えてしまうまで着ていたという、教会騎士の装束に袖を通している。
白のシャツ、革のズボン、長い旅に耐えうる靴、胸当てに籠手。ここを出た先で苦労しないようにと、ソアレが用意してくれた。
よりコスプレじみた衣装に着替えたことで恥ずかしくなるのかと危惧したが、違っていた。特別な想いのこもった衣服を与えられては、服に着られているような別種の気恥ずかしさがある。
「だいじょうぶ。とてもかっこいいですよ」
ぎこちない表情を見て察してくれたのか、腕をからませるソアレがフォローをいれてくれている。こそばゆい。
もう何度目かのありがとうを告げて、最後の確認をする。
「ソアレ、俺は、君が迎え入れてくれた稀人としての役割を果たす。これが最後の確認になるよ。君の望みを教えてくれ」
「はい。稀人様。カイトさん。わたしがあなたに願うのは、ここで眠る魂たちの安息です。わたしがそれを与えられるように、わたしに力を貸してください」
「その救済に、君自身は含まれない。俺の力は代償を求める。それでも、いいんだね?」
いったいこれ以上ソアレに何を要求するのだろう。しかし俺に溶けた力、ミトスの権能はそう俺に告げている。
自分がなぜこうなったのかは未だ理解できていない。だが、俺の身体や認識深くに影響を与えてきた力が、俺にソアレを救えると、そう主張している。
俺自身の力だけで足りなかった。
ソアレと身体を暖めあい、ここで暮らしていくことだって出来たかもしれない。けれど、それではソアレや、ここで眠る彼女の家族たちを真に救うことは出来ないのだ。
「はい。わたしはもう……カイトさん、あなたが生きることを選んでくれた時、あなたに救われています」
微笑をたたえ、こちらを見つめるその瞳は真剣だ。青灰色の双眸が真っ直ぐ俺を射抜いている。
感謝と慙愧、そして愛情が複雑に絡まったこの気持ちを言葉にすることができない。
代わりに最後の口づけを交わす。一生忘れることはない。忘れたのなら自分自身を許せない。
「では、ソアレ。ミトスの権能を以て君の魂を聖別する。きっと今は不可逆だけど、いつか必ず、君ともう一度話が出来るようにするよ」
「いつまでも、待っています。でも忘れないでくださいね。たとえこの姿が失われても、わたしはいつもあなたのそばに」
「君に救われてばかりだな。俺は……」
「愛していますからっ! いつでも甘えてくださいね」
自分はいつでもこの優しい声を思い出すことができる。彼女からの最期の贈り物だ。
ソアレの魂に触れる。
剣の神として彼女の魂を聖別するとはすなわち、神が振るうカタチに作り変えるということ。
形而上の存在を物質世界に顕現させる、神の秘蹟。
魂の性質を映した形状に、その願いを叶えるための剣能を備え、死者の太陽は新生する。
まっすぐに伸びた薄い純白の刀身、刀身を中心に花びらを模るようにして左右対称に伸びた鍔、柄頭から伸びた陽色の飾り布。
君が剣に姿を変えるならこのカタチだろうと思っていた。
泥中に咲いた白百合。
この吹き溜まりを聖域たらしめた光の花。
その表象には、フルール・ド・リスの剣十字が相応しい。
銘は曙光。迷える者に差しこむ優しい希望。
聖剣を手に墓地へと向かう。
長く痩せさらばえた腕が、虐殺された村人のなれの果てが、群れをなし熱を求めて殺到する。
曙光を握る俺にはその姿が視え、その声が聴こえている。
暖かな身体が羨ましい。鼓動する心臓が妬ましい。呼吸する喉が憎らしい。
ソアレは毎夜これを聞かされていたのだろうか。悪意の奔流に飲み込まれてもなお、彼らを救いたいと、そう心から願ったのか。
愛した少女の美しさに、改めて息を飲む。
霊魂に損傷を与えることは通常の器物では不可能だ。
しかし、曙光はそれ自身の誓約により、物質を切断できない代わりに霊魂に干渉することを可能としている。
例外に対して例外的に強力な対霊装置。死した魂がこの世で惑うことを許さず、慈愛を以て行くべき場所へ送り出すのがその基底剣能。
突出した腕の一本を切り払う。魂一つに対し、一振りで充分だった。
軌跡を彩る陽色の残光に導かれるようにして、幽鬼が、彼女の友人だったアナが消えていく。
デバイスドライバもインストールされているのか、剣を振るにあたっての不自由はなさそうだ。
いや、違うな。この世界では剣が剣として存在している以上、それらはすべて俺のための器物だ。俺に使役されるために生まれたモノを手にして、その使い方を考える必要はない。
憎悪を以て切断するのではなく、慈愛を以て救済するように振るえば、この聖剣は彼らすべてに行くべき道を示す。
救いを求めて押し寄せる腕を、その名を呼ぶとともに一本ずつ祓っていく。右手に握りしめた輝きは誘蛾灯のように彼らを惹き付ける。死者の魂を抱きしめたいと、彼女の願いが叫んでいる。
曙光の誘導も完璧とまではいかなかったのか、彼らにもう熱源がなんであるかの判断がつかなくなっているのか、隙を突くように左腕に組み付かれた。
しかし、俺の動きを阻害することはない。右腕に絡みついた飾り布が、俺を霊体の干渉から守っている。
虚しいことだ。いくら熱を奪ったところで、器がないのだから満たされることなどありはしないのに。あの湧水地への道を舗装してくれた職人の一人を、尊敬と共に送り出した。
最期の一人になっていた。枯れ木のような青白い腕のみを遺しているのは彼らと同じだったが、右腕は赤子を抱いている。二人……に訂正する。生まれたばかりの息子を庇うようにして、諸共に火をかけられた女性……エルダさんだ。
手先が器用な人で、歌が上手で綺麗で優しくて、村の女の子たちの憧れだったとソアレは教えてくれた。針仕事を、唄を教わったのだと言っていた……。
そうだ。彼女も含めあの村の人々は皆、ソアレを愛してくれていた。
そんなことはあの娘を見ればすぐにわかることだった。
疑ってしまったことへの謝罪と、ソアレを慈しみ育んでくれたことへの感謝を込める。
向かった先でも母子が分かち難く共にあれるように、夫と再び結ばれるように、曙光を解き放つ。
「……ソアレ、全部……終わったよ」
手にした器物は応えない。その機能は既に失われている。
これがミトスの聖別だ。俺に貸し与えられた権能だ。
他者の魂の流れを堰き止め固定することで力を与える権利。
犠牲を前提として成立する奇跡。
陽光を思わせる金髪も、柔らかな肌も、まっすぐ俺を見てくれた瞳も既になく、声帯がやさしい音色を奏でることもない。
すべて残さず俺が奪い取った。俺は愛した女性をその手にかけた。御堂戒斗はその意思でソアレを殺害した。すでに彼女が死者であったことなど、何の言い訳にもなりはしない。
贖罪をはじめよう。彼女との約束を果たそう。
俺をこの世界に呼び、力を与えた者を探そう。彼女を聖剣の軛から解放しよう。
触れた刀身の冷たさが、あの時と同じように教えてくれている。
俺はまだ生きている。ソアレのくれた繋がりが、体温が、俺を生かしている。
人生全てを燃焼させる覚悟は、彼女と過ごした最後の一日に固めていた。
異界を囲う柵が取り払われる。ソアレと過ごした迷い家が消えていく。
罪の証、彼女の願いと同じ名を持つ光が背を照らす。
あとは立ち上がり、歩き出すだけだった。