散歩
「町へ?」
「散歩がてら行ってみないか?」
翌日朝食後、お茶を貰ってまったりしている所、リジルはノアルから散歩に誘われた。
「あの、お仕事は」
「報告なら済ませてきた。俺なら今日から有給だから、気にするな。それより、行くか?」
ぶっきらぼうに聞いてくるノアルに、リジルは笑みが溢れる。
「行きたいです!」
部屋に帰り、エルダとサンティエに散歩に行くと伝える。
「まあまあ!それは私たちの腕の見せ所ですわね!サンティエ!」
「はい、エルダ!」
お出かけ情報を得た侍女2名は、やはりというか、かなり張り切っていた。特にサンティエは鼻息が荒い。
「あの…シンプルにお願いします…」
毎回圧倒されつつも、2.3日関わると、それが当たり前だと思うくらいに、リジルはこの日常に洗脳されつつあった。
準備が整い玄関へ向かえば、シャツにズボン姿のノアルが出迎えた。いつも白衣を着ていたので、なんだか新鮮である。
御年28歳だが、髭面だったときは老けて見えた顔も、剃った今では年相応の雰囲気だ。
癖っ毛のあるゆるい髪型に眼鏡をして、欠伸を噛み殺しているのを、やっぱり猫みたいだと思いながらリジルは笑った。
「お待たせしました」
「大丈夫だ。その服似合ってるな。じゃ、行こうか」
「あの」
「町は人が多いから。腕を組むか手をつなぐか。どっちがいい?」
ノアルにそう言われて、リジルはおずおずと腕に手をかけた。
「じゃあ行ってくる。昼は外で食べるから」
「承知いたしました。お気をつけて」
笑顔のクロードに見送られて、来たときに歩いた道を、今日は二人で下っていく。
爽やかな風が頬を撫でていった。
大通りに出ると、一気に喧騒が大きくなる。通りには露店が立ち並び、店主が通りの客へと声をかけている。香ばしい香りが辺り一面に広がっていて、リジルはキョロキョロと辺りを伺っていた。
「何か気になるものがあるか?」
「この良い匂いは何ですか」
「ああ、こっちだ」
そう言って、右奥の隅へと歩いていく。それは露店で売っている鳥の串焼きだった。
「おお、ノアル坊いらっしゃい。いい具合に焼けてるよ。おや、今日は素敵なお嬢さん連れたぁ…。
って、ええええええ!!!」
「…おやじ、驚きすぎだ」
「いや、だってよぉ…」
「それより2本くれ」
店主は驚愕を浮かべた顔で、それでも焼けたばかりの鳥の串焼きを手渡す。
「ほいよ。熱いから気をつけてな」
「ありがとうございます」
リジルがお礼を言って、ふうふう息をかけてかじると、甘辛いたれが柔らかい肉に絡まって口の中に広がっていく。
「おいひい」
その様子を優し気に見つめるノアルと、美味しそうに食べるリジルを交互に見つめて、店主はにやりと笑った。
「よかったなあ。遅い春だが、応援するぜぇ」
「は?」
「?」
「ぶはっ!当の本人は気づいてねぇんか。おもしれぇ。いや、何でもねぇよ。お嬢さん、また連れてきてもらいな。今度はとびきり美味い肉用意しとくよ」
「え?これ以上美味しいんですか?」
「もちろんだとも」
「リジル、口車に乗せられるなよ。客引きの常套句だ」
「へえ、リジル嬢ちゃんか。ノアル坊をよろしくな」
「え、はい…?」
よくわかっていないリジルに店主はけらけらと笑う。リジルは頭の上に疑問符を浮かべながら、ノアルをそっと見上げた。
「おやじ、からかうのはその辺にしてくれ。今日は散歩がてら町を案内してるんだ」
「おや、セルフィーユは初めてかい?」
「あ、はい。ユダーから来ました」
「ユダーから?」
「病院が放火されてな。逃げるときに俺がそのまま連れてきた」
「それは大変だったねぇ。以前は避難してくる人間も多かったけど、最近はそれもほとんどなくなっていたから。少しは落ち着いたのかと思ってたけど、違うみたいだねえ」
「どこで監視されているかわからなくて。避難できなかったんです。もしばれたら、即銃殺ですから」
国王軍も、国民軍も、どちらに見つかっても処罰は対して変わらなかった。状況を察して、すぐに逃げた人々はよかったかもしれない。
逃げ遅れた民は、逃げ場所もなく、ただ怯えながら暮らしていた。それがサジエヴァルという、リジルが生まれた国の現状だ。
「なんというか、聞いていた以上に酷い国だねぇ。リジル嬢ちゃん。セルフィーユはきちんと税金納めてりゃ、結構いい生活できるくらいには治安も人も良いぞ。しっかり体を休めて英気を養うんだよ」
「あ、ありがとうございます」
「おやじ、何泣かしてんだよ」
ノアルがハンカチで、いつの間にか流れていた涙を拭く。
「ノアル先生も、ありがと」
「どういたしまして。さ、食べ終わったことだし、行くか」
「気いつけてな。いくら治安がいいとはいえ、町ン中は結構物騒だったりするからね」
遠ざかっていく二人を見送りながら、店主は思い出し笑いをする。
「あれで何も気づいてなきゃ、どれだけ鈍感なんだよって言ってやりたいねえ。しかし、あの女嫌いで有名なノアル坊がねぇ…。いやぁ。先が楽しみだなぁ」
当の二人はしばらく通りの店を見て回り、ノアルが行きつけの店ではことごとく店主や働いている人を驚愕させ、そのたびにリジルはノアルをよろしくと頼まれた。
「こんなに人に何か頼まれるのは初めてなんですけど。ノアル先生、何かしたんですか」
昼ごはんに寄ったオシャレなカフェで、リジルはぼやいた。ノアルは頬杖をついてメニューを見ていた目をリジルに向ける。
「まあ、女嫌いで有名な俺が、お前を案内している時点で、町のやつらはビビるんだろな。そして、あわよくば俺とお前が付き合えばいいと思っていると」
「ブッ」
思わず飲んでいたレモン水を噴きそうになる。リジルはナプキンで口元を拭きながら、ノアルに言った。
「ノアル先生。先生は私のことどう思ってるんですか?」
「患者」
「ですよね」
「お前はどう思っているんだ?」
「私ですか?先生であり、兄のような存在…ですかね?」
それから店員が持ってきたパスタを食べつつ、他愛のないことをしゃべりあった。
「そういえば、病院から逃げるとき、どうやったんですか?次、目を開けたら丘の上で、すごく驚いたんですけど」
「あー、あれな。ジルベール家は昔から特殊な能力を持って生まれる人間が多いんだが、俺もその一人なんだよ。一応機密扱いなんだが、俺は転移が使える」
「転移?」
「そう。一瞬で違う場所へ移動したりする能力。けど、万能じゃない」
「先生、実はすごい人だったんですね。いつもぼさぼさ頭で患者の間を歩き回ってるイメージしかなかったから意外です。サジエヴァルでも、能力者は聞いたことありますけど、転移できる人って初めて聞きました」
「そんなにぼさぼさだったか?」
「え、突っ込むところそこ?というか、気づいてなかったんですか?髪も髭も伸び放題で、浮浪者のように、いつも眠そうにしながらウロウロしてましたよ?」
「毎日忙しくて、身なりどころじゃなかったからな…。そうか、かなり怪しい医者だったろうな。道理でいろいろ上から言われたわけだ。言われた内容は聞き流して覚えてもないが…。そういえば、お前は怖くなかったのか?」
「何がです?」
「浮浪者みたいだったんだろ?」
「怖くないですよ。先生はいつも優しかったですよ」
「…そうか」
帰りがけ、家の人たちへのお土産を買いたいというリジルに、ノアルは「とりあえず甘いものを買っておけば間違いない」と、今流行りのショコラケーキを人数分買って帰ったのだった。




