ジルベール家
翌日、腫れぼったい目を見たジルベール家ナンバー2と3を自称する侍女二人は、手際よく冷水にタオルを浸し、瞼の上においてくれた。
食欲はあまりなかったが、子猫のような目でサンティエに見つめられ、断ることは叶わなかった。仕方なくスープに口をつければ、入っていた野菜は甘味があり、噛むほどにそれを増していく。無言で黙々と食べる。食べているうちに、何故だがまた目頭が熱くなってきた。
ホロホロと涙が出てくる。優しさが、体を包んでいくようだった。
「リジル様。泣いてはまた腫れてしまいますよ」
エルダが優しく涙を拭いてくれる
「だって、他人にこんなに優しくされたのは、初めてで。戦争が始まってからは、ずっと、緊張していて…スープも、美味しくて…」
「まあ。サンティエ、聞きました?私たち、褒められましたよ」
「もちろん聞きましたとも。ああ、リジルさまったら泣き顔もそそられますねぇ」
何か聞いてはいけないようなフレーズを聞いたような気がして、涙が引っ込んだ。
「あらあ、残念です。もうちょっと見ていたかったです」
本当に残念そうに言うサンティエに若干恐怖を覚える。横ではエルダは、まるでサンティエの存在がなかったかのようにふるまう。
「涙が止まってようございました。さ、食事が済みましたら、お召し替えしてご挨拶へ参りましょう。昨日は入浴の途中で気を失ってしまわれて、私たちの配慮が行き届かず申し訳ありませんでした」
「いえ、私もすみません。体力がなくて」
「事情はノアル様より伺っております。大丈夫です。ここで療養なされば、すぐにでも回復いたします。そのために、私たちはいるのです。だから、頼ってくださいまし」
「ありがとう…ございます」
「さあ、サンティエ!」
「ええ、エルダ!」
意気投合している二人はまるで水を得た魚のように生き生きとしている。それをさながら、人形のようにやり過ごすのは許してほしいとリジルは思った。正直、今まで自分で何でもしてきた身にとってこれは辛い。拷問に近いものがある。
昨日と同様に身ぐるみはがされ下着一枚になったリジルに、二人は嬉々としながら、服をあてがっていく。ようやく紺色の白いレースの襟が付いたシンプルなワンピースに決まると、次は髪に化粧に、上から下まで着飾られた。
小一時間かかったそれにようやく2人が納得し、解放されたのだった。
「ああ、リジルさま!まるで女神のようですわ」
「サンティエ、いい仕事をしたわね。これで殿方はイチコロですわ」
「あの、お二方は一体何を目指してらっしゃるのでしょうか…」
《もちろん、レディーを美しく輝かせることですわ‼》
ハモった。
エルダは右手の拳を胸元に、きらきらと輝き、サンティエはうっとりと明後日の方向を向いている。
リジルは遠い目になる。
ここの使用人、大丈夫なのだろうか。
一抹の不安のようなものを抱えながらエルダに促されて廊下に出ると、他の使用人に黙礼される。慣れない心地にむずがゆさを覚えつつ、ある部屋の前に来て先を歩いていたエルダが止まった。
「サイモン様、リジル様をお連れしました」
「入れ」
エルダに続いて部屋に入ると、執務室だった。右手には本棚にびっしりと本が詰まっている。左には客用に用意されたソファー。そして中央にその人はいた。
「ゆっくり休めただろうか。うちの使用人はエキスパートだが、時に自分の嗜好に走る者もいるため、気が抜けぬのだが。なあ、エルダ、サンティエ」
「サイモン様、抜かりなく。私どもの仕事ぶりをそう評価していただき嬉しい限りでございます」
笑顔で返すエルダ。光り輝くその笑顔に嘆息して、ジルベール家当主はソファに座るよう促す。アイスブルーの瞳にブラウンの髪色は、彼と一緒だ。少し年老いた顔には、統治するものの厳しさと優しさが見え隠れする。
「私はジルベール家当主サイモンだ。お初にお目にかかる」
「リジルです。助けていただきありがとうごさいます」
「事情は昨日あらかたノアルより聞いた。こちらとしては、このまま君をここにあずかりたいのだが、良いだろうか?」
「良いのですか?」
「良いか悪いかで言うと、良い。丁度、文官が一人高齢で辞めてね。人手が欲しかったところだ。働きながら、住まうというのはどうだろうか」
提案された内容に驚く。
「それは、身寄りもなく国にも帰れない私には願ってもないことです」
「では、承諾と受け取るよ。手続きをして来週からになるが、体調はどうだい?」
「実はまだ、体力的に余裕がありません」
「ならば、時間を調整しよう。仕事の進み具合なども見ながらね」
「重ね重ね、ありがとうございます。ところで、お聞きしてもよろしいですか?」
「なんだね?」
「なぜ、ここまでしていただけるのですか?」
「まあ、あのノアルが連れ帰ってきたというのも一つ。あとは、謝罪も兼ねている」
「謝罪?」
「君はなぜ辺境伯爵の3男坊が隣国の病院などに勤務していたと思う?」
「…情報、収集ですか?」
「理解が早くて助かる。あいつは3年ほど前から、身分を偽り滞在していた。辺境を守るものとしては情報はあればあるだけ良いからね。息子が志願してくれてまあ、助かったんだが。戦況が悪化し、そろそろ退却するという連絡があった矢先に襲撃を受けた。何者かが、正体を知ったようでね。病院にはすまないことをしたと思っている。君にもね」
「あの、その何者かは捕まったのですか?」
「ああ。調べはついて対処もしている。ノアルが狙われる危険はすでに無いよ」
それから少し雑談をしていると、ノックとともに入ってきた人物がいた。
「リリー、せめて入るくらい言ってから入りなさい」
「入りましたわ」
「…」
屋敷内でのパワーバランスを見た気がした。きっと気のせいではない。
「そちらの方がリジルさんね」
「は、はい。はじめまして。リジルです」
威圧されているかのような鋭い視線に思わず腰が引ける。しばらく吟味するような時間が過ぎていった。
「はじめまして。リリアンと申します。サイモンの妻です。職業は伯爵夫人。仲良くしてね」
急に砕けた言葉が返ってきて、視線を上げると、穏やかな笑顔があった。
「妻のリリアンだ。リリー、初対面なのに不躾な視線を送ってどうする」
「あらぁ。この視線に耐えられない人間は、屋敷に置くことは叶わなくてよ。リジルさん、ごめんなさいねぇ」
「いえ、良かったです。最初から嫌われたのかと思ってヒヤヒヤしました」
「ふふっ、素直な子は好きよ。屋敷のことは何でも聞いてちょうだいね。ああ、うちに娘ができるなんて、奇跡ね、奇跡だわ!リジルさん、一緒にご飯や買い物しましょうね。ああ、今から楽しみー」
「む、娘?」
目を輝かせて一人舞い上がっていくリリアンを呆然と見ていると、サイモンが苦笑しながら言った。
「うちは男所帯でね。妻はずっと女の子が欲しかったみたいなんだ。よかったら娘になってほしい。男には分からない機微も、君なら分かってやれるだろう」
「私で、大丈夫でしょうか?」
「私も妻も、君を気に入ったんだ。だから気負うことはないよ」
それからはリリアンに屋敷を案内すると連れ回され、気づけば夜になっていた。
クタクタの体で部屋のソファに沈んでいると、エルダが蒸しタオルを渡してくれる。お礼を言って顔に当てるとじんわりと顔がほぐれていく。
「やっていけるかなぁ」
疲れたように呟けば、エルダが言った。
「リジル様ならやっていけます。いえ!私たちが、きっちりお支えいたします。悩む必要はございません」
蒸しタオルをテーブルに置いて、横に立っているエルダにソファへ座るよう声をかけた。
座ったエルダの手を握って、こう伝える。
「エルダさん。私は、まだこの国のことも、お屋敷のことも何も知らない。もし、間違ったことをしていたらすぐ教えて下さい」
「勿論です。そのために私たちはいるのですから」
リジルは気づいていないが、この時、外堀は着々と埋められているのであった。