自覚
「ええ?それじゃあ、他のお二方はちゃんと転移されたんですか?」
岩の上に座ってノアルの野戦病院での話を聞いていたリジルは驚く。
「ああ。あいつらが降りるのが見えていたからな。ただ、自分だけが着地できなかった。降りる直前で出口が見えなくなったんだ。イメージとしては、霧だな。そこに出口があるのに、霞んで見えなくなる。それで、自分だけ移動空間にとり残された。今までにも何回かそういうことがあって、違う場所に降り立ったことがあったんだ。その時は馴染みの場所に降りて、すぐに帰れた。だから今回もと思っていたら、全然見覚えのない場所で焦った」
バツの悪そうな顔でノアルがそう言うと、リジルは笑った。
「せんせ…ノアルでも焦ることがあるんですね」
「そりゃな。自分にとって不明瞭な場所に降り立つと不安にもなるさ」
「転移の能力って、不安定なんですね」
「能力者にもよるらしい。きっちり使いこなせないと、俺みたいになる。俺の場合、見知った土地だったら何とか転移できる。だが、距離もそう遠くまでは無理だ。だから緊急時以外であまり使わないようにしていた」
「じゃあ、私をユダーから連れてきてくれた時も?」
「ああ。外には敵、火の回りも早くて、力を使った。緊急時だったからな。お前は今までどうしてたんだ?」
「ヴィルキスで静養していましたが、ノアルが行方不明だと知らせがあって、セルフィーユへ帰ろうとしたんです。そしたら途中で攫われて、今はモルダーにいます」
「は?」
「いろいろあったんです」
苦笑しながらリジルはこれまであったことを話した。その間、ノアルは渋面を作っていた。
「なんか、すまない。俺のせいだ」
「ノアルのせいじゃありません。私が、動きたくて動いただけです。だから、ノアルのせいじゃない。それに、なんだか吹っ切れました」
「?」
「生きていることを自分から止めなければ、良いこともあるって。生にしがみつこうって。そう思えるようになりました。生きたから、こうやってまた会えた。だから、感謝しかないです。ノアル、ありがとう」
リジルは笑顔でノアルに言った。それは素直な言葉で、ノアルは息を呑む。
その表情は今までのリジルとは一つも二つも違っていた。まるで蛹が蝶へ変わるような、そんな変化だった。
「そろそろ帰りましょうか」
「道が分かるのか?」
「多分」
帰りの道は青白く光った道なき道を、二人手をつないで歩く。それは幻想的な景色だった。響くのは風と二人の足音だけ。
歩くたびに灯される光を頼りに歩いていると、先の方に光の塊が見えた。
「出口?」
「そうみたいです。行きましょう」
そばまで来ると、光がさらに強くなった。あまりにまぶしくて目を瞑る。そうして二人は吸い込まれるようにして消えた。
翌朝、リジルの部屋を訪れたメルは、小さな悲鳴を上げそうになって、慌てて手で蓋をした。
一人ベッドで寝ていたはずの空間に、なぜか見知らぬ男が寝ていたからだ。
廊下に立っていたフォンを慌てて連れてくると、お互い顔を見合わせる。
とりあえず剣の柄で男を突くと、薄っすらアイスブルーの瞳がこちらをとらえた。
男は、リジルを見、そして二人を見て、状況を確認してから、リジルを起こさないよう静かにベッドから起き上がり、二人と対峙した。
とりあえずは不法侵入者だ。メルはリジルの傍に、フォンは顎で男を隣の部屋に連れ出すと、尋問を始めた。
「で?お前は誰だ」
「ノアル。ノアル・ジルベール」
「ジル、ベール?」
「セルフィーユにある辺境伯爵家の者だ」
「どこからこの宮に入った」
「リジルの夢の中から」
「は?」
ノアルが言うにはこうだ。モルダー側に捕まり野戦病院で働いていた。味方が襲撃したため、混乱に乗じて仲間と逃げようとしたら、見つかってしまい、自分の能力を使って移動した。
が、自分一人だけどうやら違う場所に移動してしまい、途方に暮れていた。
そんな時に、リジルが現れて、連れ出してくれたのだと。
「で、それが彼女の夢の中で、一緒に来たと?それを俺に信じろと?」
「信じられないのは分かる。俺でも未だに信じられないから」
しばし沈黙。頭を抱えてうなるフォンに、ノアルは苦笑した。
「できればリジルの傍に居たいんだが。ダメか?」
「…お前が彼女を傷つけない保証はあるか?」
「保証は無い」
「…お前、彼女の何だ」
「一応、片思い中だ」
二人が部屋に戻ると、リジルが取り乱していた。メルが落ち着かせようとしている。こちらに気づいて、リジルはようやく力を抜いた。
「先生…」
「先生じゃなくて」
「…ノアル」
迷子みたいに手を差し出すリジルに、ノアルは傍によって抱きしめた。背中を叩けば落ち着いたのかくたりとノアルの胸に頭を預けてくる。
そんな様子を傍から見ていたフォンとメルは、敵ではないようだと肩の力を抜いた。
「食事を取ってくるわね」
そう言ってメルはフォンを連れて出ていく。それを見送ってノアルはリジルに視線を戻した。
「リジル」
「また、居なくなっちゃったと思って、焦りました」
「もうどこにも行かない。お前の傍にいる。しかし、まさか、本当にあの世界から戻ってこれるとは思わなかった」
転移が失敗して、どこにいるかも分からない状態で途方に暮れていたのだ。あのままだったら川を渡っていたかもしれないと思うと、ノアルはゾッとする。
「こっちに帰れたのはお前のお陰だ。ありがとう、リジル」
「私も兄がいなかったらこちらに帰ってこれなかったと思います。だから、感謝するなら兄に」
「そうだな。落ち着いたら、墓参りしたいな」
「はい。きっと喜びます」
しばらくして帰ってきたメルは、リジルとノアルに食事するよう話し、そのついでにノアルが来た経緯を聞く。
「フォンに先ほど聞いたときは信じられなかったけれど、本人たちから聞くと、信じるしかないようですね」
「おいおい、俺を疑ってたのか?」
「フォン殿から聞くと、全て滑稽に聞こえて、ごめんなさいね」
「俺だって信じられなかったんだ。無理もねえ」
食事が済むと、ノアルはフォンに連れられてどこかに行ってしまった。リジルがメルにどこに行ったのか聞くと、風呂だという。
「あのままで宮をうろつかれては困りますから」
確かに、ノアルは薄汚れていた。髪も髭も伸び放題で、饐えた臭いもしていた。
「野戦病院で捕虜になっていたそうなので、仕方ないです」
「そうだったのね。まあ、なんにしても、この宮であのままは無理だから」
「メルさん、信じてくれてありがとうございます」
「今でも半信半疑ですけど。まあ、抱き合う二人を見たら、ああ、そういうことかと」
「え?」
「え?違うの?」
「あの、どういうことですか?」
「恋人じゃないの?」
「こい…びと?」
「…では、あの人のこと、どう思っているの?」
話が急に違う方向へそれて、リジルは困惑する。
「ノアルは、私の先生で、兄のような存在ですが」
その言葉にメルは天井を仰いだ。
「…今から質問するから答えてくださいね。彼といると安心する」
「はい」
「彼がいないと不安だ」
「はい」
「想像してください。彼が結婚して遠くへ行ってしまう」
その時初めてリジルの胸がチクリと痛んだ。これは何なのか。
「メルさん、胸が痛いです」
「そう。やはり」
「これは何ですか?」
「それが恋というものですよ。独占欲というやつです。一緒に居たい。一緒にいると安心する。離れるのは嫌だ。その人のことを想うと心が温かくなる。けど同時に不安にもなるし、嫉妬もする」
「恋…」
リジルはメルに言われて初めて自分の感情を自覚した。今まで感じなかった感情が、一気に駆け上がっていく。
「あらあら、まあまあ。もしかしなくても、初恋なのかしら?」
顔を真っ赤にしてメルを見上げるリジルに、メルももれなく当てられてしまう。
「う、初々しい。可愛い。なんですか、この可愛い生き物は…」
「ううう…」
「リジルさん、お、落ち着きましょう。そう、ゆっくり深呼吸して、はい、すってー、吐いてー」
落ち着いていないのはメルも同じである。リジルと一緒になぜか深呼吸。少し落ち着いたところで、リジルは切り出した。
「メルさん、私どうしたらいいんでしょう」
「告白するしかないわ!」
「…え、あの、でも」
「他の人に取られても良いんですか?」
「それは嫌です」
「だったら、伝えたいことは伝えられる時に伝えなければ」




