分かれ道
リジルは毎日リハビリを続けた。出された食事もしっかり時間がかかっても食べるように努力した。その結果、1か月後にはだいぶ体力もつき、以前よりもふっくらとしてきた。血色もよく、たまに付き添いの侍女と二人でお菓子を作ってはノアルに差し入れたりしていた。
ヴィルキスは国の中心ということもあり、戦争の二文字が遠いなとリジルはぼんやりと考えていた。そして、ジルベール家の本邸にいる面々を思い出し、ため息をつく。
「リジル様、どうしました?」
「シェリーさん。本邸の皆さんはどうしているかなと思って」
「ああ、今のところ大丈夫みたいですよ。この間エルダから手紙が来ましたから」
「え?エルダさんから?」
「はい。実はエルダと私はジルベール家の訓練所の同期でして。定期的に近況報告しあうくらいには仲が良いのですよ」
「そうだったんですね」
「ええ。最近はそれはもう、リジル様のことを根ほり葉ほり聞こうとする手紙でですね。愛されてますね。リジル様」
「う?え?ねほりはほり?」
「ええ。それこそ、朝から晩までのスケジュール、何をして何を食べたかなど、事細かくです」
嬉々として宣うシェリーに、リジルは一歩後退る。
ジルベール家に携わる人間は、どうやら一癖も二癖もあるらしい。
新たな事実に、リジルは戦慄を覚えた。
伯爵家に慣れるためにと、セオが家庭教師をつけた。今日は午後から座学だ。ヴィルキスは今日も平和で、他国が攻め入ろうとしてきているなんて思えない静かさだ。
「なかなか覚えがよろしいようで何よりですわ」
「いえ、まだ右も左もよく分かっていません。リュシー様の教え方が良いのです」
今は国史の授業を受けている最中だ。少し休憩しましょうと彼女は笑って言った。
リジルに宛がわれた教師は、子爵家夫人で名をリュリーティスという。リジルとは違い、付くところにはついている所謂ナイスバディである。年は24歳。すでに2人の子供を持つ母親で、才色兼備とはこういう人のためにあるんだろうなあと、リジルは息をつく。
「どうしたらリュシー様のように素敵な方になれるんでしょうか?」
「まあ、リジル様は人を喜ばせるのがお得意なのね。でも私、昔はこう見えて結構お転婆だったのですよ」
「え?そうなのですか?」
「なにせ弱小子爵家の3女。家の手伝いもしましたし、男の子に混じって魚釣りやら木登りやら。毎日、帰るころには泥まみれでしたわ」
昔を思い出しているのか、その目はどこか遠くを見ていた。
「そんなある日、隣に今の旦那様の家族が引っ越してらっしゃったの。12歳くらいだったかしら。同じ年頃の貴族の方とは、それほど関わる機会がなかったのもあったのだけど、彼に一目惚れだったわ。見た瞬間、目が離せなかったの」
うっとりと語る彼女に、リジルは魅入った。
「そこからはもう、嫌いだった勉強も作法もまじめに取り組んだのよ。自分磨きもしたわ。恋をするって、それだけで力になることもあるのよね。それで、彼にも一生懸命アピールしたの」
侍女が入れてくれたお茶を優雅に飲みながら、リュリーティスは微笑んだ。
「リジル様」
「はい」
「結局は自分の心がけ次第で、良いにも悪いにもなれるのですよ。客観的にみて、素敵だと思えるのであれば、それは成功ということです。私はよく才色兼備と言われることがあります。ですが、それは人の一部分でしかない。それ相応の努力や経験が、裏にはあります。私はかれこれ12年、自分にできることをコツコツとしてきたに過ぎません」
優しい微笑みの裏に苦労と努力を見た気がした。
「じゃあ、私もリュシー様みたいに素敵な方になりたいです」
「では、勉強を頑張りましょうか。基礎が一番大切なことは貴女もわかるでしょう?」
授業が終わったころにはすでに日が傾き始めていた。オレンジに染まっていく室内で、リジルはリュリーティスを見送り、授業で使った本を整えて隅に置くと、庭のほうに目を向けた。
椅子に長時間座っていたため、体が凝っていた。そっと庭に出て深呼吸する。整えられた小さな園庭には小さな薄ピンクの花が咲いている。それが夕暮れに染まって、まるで燃えているようだった。
そよ風に花が揺れているのを見ていると後ろから声をかけられた。
「リジル、一人で庭に出るなんて不用心すぎるぞ」
「ノアル先生、お帰りなさい。お仕事終わったんですか?」
「夕飯を食べて、また出る」
「疲れているみたいですが、大丈夫ですか?」
「お前は大丈夫か?」
「なんだか、お互い心配してばかりですね」
それがなんだか可笑しくて、リジルはプッと噴出した。
「笑えるくらい元気なら良かった」
「皆さんのおかげで、元気いっぱいです。っくしゅ…」
小さなくしゃみにノアルは来ていた上着をリジルに羽織らせた。
「言ったそばから。少し冷えてきた。中に入ろう」
「先生、私、頑張りますね」
「ほどほどにな。お前はいつでも頑張りすぎる気がある」
肩を支えられながら部屋に戻ると、シェリーが口をとがらせてお茶の用意をしていた。
「リジル様、次回からはちゃんと呼んでくださいね。一人で行動されていたのがばれると、セオ様に怒られちゃいます」
「シェリーさん、ごめんなさい」
ノアルと二人、ソファに座る。お茶を飲むと、じんわり体が温まっていった。
「リジル」
「はい?」
「しばらく俺はここには戻らない」
「え?」
「本邸から招集がかかった。明日早朝に発つ。セオには言ってある。お前はここで体を治すことに専念して…」
「い、嫌です」
最近涙もろいと思う。すでに目頭が熱い。見上げれば、困ったようなノアルの顔があった。
「すでに決定事項だ。すまない」
そっと肩を抱かれて、ノアルの胸の中にリジルはすっぽりと収まった。堪えていた涙が堰を切ったようにあふれて、ノアルの胸元を濡らしていく。
思えば、ユダーの病院から、ノアルと共にいた。リジルは、涙が枯れるまで泣いた。泣きつかれて眠るまで。
腕の中で寝てしまったリジルをノアルはのぞき込む。たくさん泣いたため、目元は赤く腫れていた。
「すまない」
ノアルにはそれしか言えなかった。傍で見ていると約束したのに、その約束は1か月しか持たなかった。セルフィーユに戻れば、こちらに来るのは、領地を守り切った後だ。それが明日か、一週間後か、数か月後か。
ノアル自身もリジルを置いていくことを心苦しく思っていた。
相変わらず華奢な肩をかき抱く。離れがたいのはどちらか。しばらくそうして、やがて寝てしまっているリジルをベッドへ寝かせる。半年で少し伸びた髪を梳いてやる。そして、そっと額に口づけた。
早朝、ノアルとリジルは玄関にいた。
「リジル、これを持っててくれ」
そう言ってノアルが取り出したのは、ネックレスだった。そっとリジルの首にかける。青い小さい宝石がかかっていた。
「必ずここに。リジルのところに戻るから」
「じゃあ、私、先生が戻るまでにもっと元気になって、もっと勉強して。先生の役に立てるように頑張ります。だから、必ず帰ってきてくださいね」




