7.
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2007年10月●日
気付いたら10月●日が始まってる。
彼より6日長く生きてる。
時間が経ってもどうかあのひとが亡くなったことが過去になりませんように。
昨日はその友人と共通だった授業に出てきました。
先生も学生もみんな彼の話を知らず、
彼を欠席扱いとしたまま授業は進んでいきました。
グループを作って好きな短編小説について調べて発表する授業だったのだけど、
そのひとの班の発表の番は昨日だった。
しかも、初回の発表授業。
リーダー的存在だった彼を欠いたまま、戸惑いを含みながら発表は進められました。
先生はそのひとをとても可愛がっていらしたから、
親愛をこめて「あいつが出てきたらしばいといてください」って冗談を言った。
みんな笑った。
それがとても切なかった。
夕方に先生の研究室にお邪魔したら、
既に学生がふたりと助手の方がいらしてて、みんな同じ用件でした。
報告を受けて先生、とてもつらそうだった。
私たまたま訃報を受けたかたと親しかったから、情報がすぐに入ってきた。
式にも参列させて頂いた。
…私、日曜に先生に連絡回すべきだった…
ぼーっとしてた。
事務的な作業を友だちに押し付けたまま。
昨日はいろんな友だちにお世話になりました。
親友のMちゃんと甘いものを食べました。
高校の同級生と、あのひとに関して共通の友人で会ったことを今日知って、電話で話しました。
また別の共通の友人とmixiでつながりました。
バランスが大事って言われました。
そのひとのことは乗り越える必要も糧にする必要もなくて、
ただ他愛のない何気ない会話をする時間は必要なのだって。
そうかもしれないね、
今日はサークルの友人と新宿で遊んできます。
◎ ◎
その先生の授業を登録していたけれども、卒論を担当して頂いていたわけではなかったので、先生との接点はさほどなかった。前期の打ち上げで、先生と授業を受けていた学生たちとでコンパをやったことはあったが、教室を離れての交流はそれくらいのものだった。先生は教授ではあったけれども、決して明確な正解を語ったり、持論を押し付けたりしない、ごく謙虚で控えめなお人柄だった。学生たちからも慕われ、学友たちはコンパの席でも和気あいあいと先生を囲んでいた。そのとき友人はロングアイランドアイスティーを飲んでいて、私は、「意外と可愛いお酒を飲むのだな」などと思ったのだった。
そんなわけで、先生の研究室に行くのは初めてだった。先生はその年大学へいらしたばかりで、部屋は綺麗に整頓され、物が少なかった。私がそれまで抱いていた「大学教授の研究室」のイメージからはかけ離れていた。
夕刻、黄色みを帯びた光が窓から差し込んでいた。狭い部屋に五人も入るともういっぱいだった。
報告を受けると、先生は深くため息をついて、ぐしゃぐしゃと髪を掻いて「そうですか……」と言葉を失った。
沈黙が柔らかい帯状の形をもって、その場にいた五人を締め付けているような、圧迫感と痛みを伴う静かさだった。暮れなずむ日の光が先生の眼鏡の金属フレームに反射してちかちか輝いていた。その奥の目はあちらこちらへゆらゆらと揺れていた。
長い沈黙のあとに先生はおっしゃった。
「本に持っていかれてしまったのかな」
先生の目は私たちに向けられていたが、ずっと遠くの方を見ているかのようだった。
「文章には、人を死に誘うような側面も確かにあるんですよ。でも、そこから人を救い出すというのもまた、文章の持つ力なんじゃないかな。彼には、そっちに向かってもらいたかったな……」
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ぽつりぽつりと語られた先生の言葉は、色を失っていた私の頭の中に、透明なインクになって染みこんでいきました。そのインクは、随分と時間が経ってから発色しはじめます。
本好きな人間には、繊細なひとが多いと感じます。文章は生き物であり、同じ文章が白にも黒にもなるし、必然的に死の香りを孕みます。その甘やかな死臭が、読み手あるいは書き手の湿った鼻腔をくすぐることは、確かにあるのです。そうして数多の文豪が死んでいったじゃありませんか。
でも、生きる力を与えてくれるのも、やはりまた文章なのです。したためられたものがたとえ分かりやすい救済でなくとも、暗闇の中をもがくこと自体が生です。私は、その力を信じていたいと願っています。
友人が亡くなったあと、当時流行していたmixiの彼のページから、彼の作品をいくつか見つけました。彼の死の一か月ほど前に書かれた詩には、「棺桶」や「レクイエム」といった死を想起させる言葉が散見されました。「無限に続く不眠にはもう飽き飽きした」とも。到底救いの見えるような作風ではありませんでしたが、今思うと、そのような詩を書き連ねること自体が、暗闇の中で救いを求める行為だったのかもしれないなと感じます。
そして今私がこうして彼について書いていることも、同じく暗闇の中をもがいているということなのでしょう。目の見えないなかで手を動かし、生と死の感触を確かめている、そんな気がいたします。
この文章のはじめに、彼について書くことは一義的には自分のためであると申しました。彼の死を乗り越えるなどというつもりもなく、ただ、彼に、そして自分に向き合いたい、そんな気持ちです。
ただ、もしも今死にたいと願っている人がいるのなら、この極めて私的なエッセイが、最後の一歩を踏み出してしまう前の抑止のひとつになればいい。そうしたら、あの時先生がおっしゃったように、文章に人を救いあげる力があることの証になる……そうも思うのです。
本稿を書くのに二年以上の月日がかかりました。時間はどんどん過ぎ、来年の秋になれば彼の死から十五年が経過することとなります。彼の享年と私の年齢は随分離れてしまいましたが、こうして彼について書いてみて、彼の存在が過去のものとなっていないことに安堵しております。
ここまで読んで下さりありがとうございました。繰り返しとなりますが、本稿は自分自身のために書いたものですので、一定期間ののちに非公開とさせていただく予定であることを、どうぞご容赦ください。
2018年6月、友人のお墓にて。