5.
友人について考えるとき、後悔なんていうものはあまりに色彩に乏しく、ちゃちで、安っぽく、そんなもので彼の身を包んでしまうのはひどく失礼なことだと感じている。もちろん、ああすればよかった、こうすればよかったと考えることは山のようにある。一方で、こうも考えるのだ――私なんかが何か態度を変えていたら、彼はその道を選ばなかったといえるのか。それほど私は自惚れているのか。
彼は、既にその道を選んでしまった。二十二年の生涯を、そこに向かって積み重ねてきた。彼の選択を否定することは、彼が死に物狂いで歩いてきた道を否定することにつながりやしないか。それは、私が、周囲の人間が、何を言おうと何をしようと変わらなかったのではないか。彼は、選んだのだ。そこに彼の精神性、彼の覚悟、彼の誇りをみとめたい。
(本当に選んだのか? そこにしか行きようのない袋小路に追い詰められていたのではないのか? 選んだように見えて、それしか選べなかったのではないか? 他の選択肢を奪われていたのではないのか――?)
本当のところどうだったのかは、本人に訊いてみるしかない。
しかし、既にことが為されてしまった後となっては、「彼は自分の意思でそれを選んだのだ」。そう考えることで、彼の誇りを守るしかできない。十年以上が経過した今でも、私は彼に対する他の弔い方を知らない。そして、そう考えることは、自殺を美化することとはまったく異なると考えている。「自殺をしてはいけない」。特定の個人(=故人)を前にして、そんな綺麗ごとは、塵ほどの価値も無い。その人を攻撃する類の言葉だ。しかし、もしも――「もしも」を口にすること自体が既に死への冒涜だが――もしも、まだそれが為される前であれば、私は何度だって、どんな言葉を使ってでも、とにかく言いたい。「死んでしまわないで」と。
2011年2月●日
亡くなった友人のお墓参りに行った。
お寺にも墓地にも人っ子ひとりいなかった。
そのかわり生き物は沢山いて、リスまで見かけた。
お墓は奥まってしんと静かで、そこにひよどりやとんびの声が響く。
得体の知れない動物が藪の中でがさっと大仰な音を立てる。
友人は、案外にぎやかな場所にいるのかもしれない。
墓石はきれいに光っていた。
お花はなく、花瓶が伏せて立ててあった。
落ち葉を掃いた。
楓の種がたくさん溜まっていた。
黄色い菊の花びらが、色鮮やかなまま落ちていた。
やっぱりその人は自分の意志で死に向かったんだと思った。
誰が何を言ったところで、何をしたところで、
そのベクトルは彼の意志そのものだったんだ。
だから、ごめんなさい と感じるのは筋違いのうぬぼれなのだろう。
とは言っても、その状態をごまかしごまかし生を引き延ばしているうちに、
あぁ、こんなものなのかと生を許せる日がくるかもしれなかった。
若者が絶望する社会なんて、絶対におかしい。
平成19年というと、随分前であるような気がする。
享年22歳、こちとら25歳。
ご両親のお名前が真っ赤なのを見て、またやるせない気持ちになった。
曇り空がうす暗かった。
後悔になんの価値も無いと述べたが、それは彼が既に故人となってしまったからであって、生者に対しては、それはもう、大いに後悔をするしかない。
未だに後悔していることがある。
よく調べるために、当時使っていた二つ折り携帯のメール履歴を参照するべく、2018年の年末にガラケー用の充電ケーブルを購入したのだが、端末側の不具合があるらしく、メール画面を起動することができなかった。
だから、これは朧気な記憶を頼りとした記述にしかならないのだが――おそらく、時系列から考えて、訃報を受けた日の深夜。私は、どうにも自分の気持ちを抑えることができず、返信できずにいた彼のメールに、メッセージを送ったのだった。後期授業の日程を教えてくれた、あのメールに、「せっかく教えてくれたのに、授業をさぼって本当にごめんなさい」という趣旨のメッセージを返したのだった。
本当に馬鹿なことをした。考え無しだった。友人は死んでしまったが、端末はまだ生きているのだ。
翌朝、返信が来た。
「母でございます。生前親しくしてくださっていたようで、ありがとうございます。本日通夜がございますので、もしよければご参列ください」
あの馬鹿な行動が、どれだけ彼のお母様のお気持ちを揺さぶったかを考えるにつけ、今も、目の前が真っ暗になる。