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2.

 当時の日記の該当部分を探しながら、見つからない場合には記憶を頼りに書いているので、時系列があやふやになってしまっている。あとで日記が見つかって、日付が判明することもあるが、敢えて書き直さずに、そのまま書き連ねていく。読みにくい文章となることを、お許し願いたい。


 その時、何を思い、どう考えて行動していたのか、正直なところよく思い出せない。

 当時の日記をよくよく読み返してみると、警察に保護されたのは、友人の亡くなった2007年秋ではなく、2008年の年末のことだった。一年以上の隔たりがあるが、私がこのことを思い出すとき、どうしても友人の死と、線路際に立った時の冷たさを引き付けて考えてしまう。そう考えることは友人に対してひどく失礼なことだと分かっているのだが、因果関係が無いと言えばまるっきりの嘘になってしまう。そして、その間の一年間――いや、それ以降にわたっての数年間、私は立ち止まって歩けずにいたような気がしている。



 ◎  ◎  ◎



2009年1月●日


年末に、駅からちょっと離れた土手のあたりで線路へ飛び降りようと思いました。

コートを脱いで、ブーツ脱いで、ガードレール越えて…と、

もたもたしている間に眼下を一本目の電車が通り過ぎていきました。

(コートは借り物だったので汚してはいけないと思ったのだけど、どうしてブーツまで脱いだんだろう)

二本目が来るのを待っている間に、通りすがりの学生さんに見つかりました。

すぐに警察の方が何人も何人も駆け付けました。

パトカーだったのか普通の車だったのかよく覚えていないのだけど、とにかく車で署へ送られました。

女性のおまわりさんがとても親切にしてくださって、

保護されるって、こういうことなんだーと朦朧混濁ドドメ色の頭でぼーっと考えているうちに、

父親が迎えにきてくれました。

うちでは母親が待っていました。


これがドラマだったら号泣して母の胸にすがりついて画面フェードアウト、

その後刑事さんが噴水のある公園とかで父と語りあって何か決め台詞を吐いて、おはなしはそれでおしまい。

だけど現実ではとにかく生活しなくちゃいけない、

普通に会社行って普通におしゃべりして普通にご飯食べなきゃいけない、

そんなんじゃ終わらない、いつまでも終わらない。


翌々日にクリニックへ行きました。

それまでもらっていた抗不安剤のソラナックスに加えて、抗うつ剤のジェイゾロフトが処方されました。

一般的にこの種の抗うつ剤は年単位で飲み続けるものだと聞きます。

飲んでみたら食欲やら物欲やら性欲やらの一切の欲求が睡眠欲に変わりました。

死にたいと思っていた欲求まで。


迷惑をかけてばっかりで、あとは不貞寝だなんて本当に情けない。

土手に降りたときは確かにちょっとだけ抗不安剤を普段より多く服薬していた、

親はそのせいで意識が朦朧としてそんな行動に出てしまったのだと考えています。

でもそうじゃない。

ずっと死にたかった、小さなころからそう思い続けていた。

同時に、お母さんみたいなお母さんになりたいとも思い続けていた。

それらを全部踏みにじって、抗うつ剤は何も考えさせない時間をくれる。

これからどうしよう。

それさえ考えさせてくれない。



 ◎  ◎  ◎



2008年12月30日


「ごめんなさいお母さん」って言ったら「ま、親の通る道だ」って言われた。

お母さんみたいなお母さんになりたいよ。



 ◎  ◎  ◎



 友人は、2007年の10月に亡くなった。


 当時、私達は都内の大学に通う四年生で、二人とも文学部、それも創作の専攻で、同じ授業をいくつか履修していた。ここで「二人とも」という言葉を使うのには、違和感がある。何人かの創作専攻の仲間がいて、その中の一人と一人というのが的確な距離の表し方だろう。


 2007年というのは、リーマンショックの前年だった。私達は幸運にも、就職氷河期のあとの美味い雪解け水を啜り、金融危機の混乱が生じる前に就職内定を得られた世代だった。当時は大学三年の秋から就職活動を始めて、大学四年の春・夏までには、多くの学生が卒業後の進路を決めていた。

 ところが、今も昔もそう変わらないだろうが、文学部というのはとにかく就職活動に難儀する人が多い場所だった。企業の即戦力となるような学問を修めるわけではないためか。自己PRを苦手とする内気な学生が多いためか。他の学部と比べて、文学部の内定率は随分と低かった。とりわけ、私達の専攻では――企業に就職して会社勤めをするというのに、いかにも馴染まないというような学生が多かったように思われる。私もその一人だったし、彼もその一人だった。他にも似たような状況の友人が多くいた。


「内定が決まった」


 そう学友に報告すると、「お前、就職するのか」なんて驚かれるような場所だった。今、当時の雰囲気を思い出してみると、他の多くの学生が色々な企業の内定を勝ち得ていた状況と比べて、かなり特殊だったように思う。


 そんな環境だったので、友人がリクルートスーツを着ているのを目にすることがなくても、「ああ、彼は大学院に進むつもりなのかしら」とか、「専業の物書きを目指そうとしているのかもしれない」などと考えて、私はろくに気にかけることもしなかった。

 なんというか、彼は孤高の人であるというイメージがあったのだった。授業で意見を述べるときにも、彼独自の意見をしっかりとまとめて、分かりやすいよう構築して発言していた。人前で長くしゃべると、一般には、ついあらぬ方向へ話が流れがちなものだと思うが、彼の場合は違った。かなりボリューミーな意見を話していても、一貫して筋が通っていたのだった。

 それでいて、普段はシャイだった。とりとめもない話をしていると、身体を右に左に揺らして、「あー……それは……」とか、「うーん……」とか、一呼吸置いてから物を話し始める人だった。繊細な人なのだということは、一目でわかった。常にというわけではないにしても、彼は友人たちに囲まれていて、孤立しているというわけではなかった。ただ、彼が内に秘めていた思想の堅牢さから、孤高という言葉が似あっているように感じられた。


 そういう彼だったから、多くの学生が辿るような、「就活サイトに登録して、企業説明会に行きまくって、何十社もエントリーして、そこから数社の内定を得て、最終的に就職する会社を決める」というお決まりのコースを歩いていないのは、私の目にはさほど不自然なこととは映らなかった。

 実際には、卒業後の進路が決まっていないことが彼の心に暗い影を落としていたらしいというのは、通夜での親御さんからの話で知った。他の学友たちも、ぽつりぽつりと、彼のことを心配していたと語っていた。私には、意外に感じられた。それくらい、私は彼のことを何も知らなかった。


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