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1.

 大学時代の友人が亡くなってから、随分経ちます。10年ちょっと前の秋の日に、彼は自らの手でその生涯を閉じました。今では彼のことを思い出す回数も、自然と減ってきました。しかし、いまだに秋になると、わけもなく、恐怖に身体がすくんだり、焦燥と不安に炙られて動けなくなったりします。

 私は数か月前になろうにユーザー登録したのですが、あの頃と同じように執筆に戻ってきたせいか、今年は、頻繁にそのような状態に陥るようになりました。幸い、私自身は、時にはお薬の力を借りながら、日常生活を送ることができています。ただ、私の中で、彼に関する記憶が語られたがっている――直接的に言えば、無意識のうちに、彼と向き合うことから逃げていたツケが回ってきたのだと考えています。


 そんなわけで、今から語ることは一義的には自分のためであります。ただ、もしも今、生から逃げたいという方がこの文章を見たときに、最後の一歩を踏み出してしまわないための抑止力の一つとなればいいとも考えております。

 読んでくださる方に、一番弁明したいことは、決して自分は、自殺というものを考えている方や、それを成し遂げてしまった方を責めているわけではないということです。「残された人が悲しむから、自殺をしてはいけない」と言われることがありますが、それは時に、傷つき悲鳴を上げている人をさらに痛めつけてしまう言葉となります。そういうことを言いたいわけではないということを始めにご説明したいと思います。


 当時の日記を引きながら、記憶を整理していきます。なるべく冷静に書くよう努めますが、もしかすると、途中で本稿を削除してしまうかもしれません。書ききる自信が無いのなら、個人的な場所で書けという話ですが、どうにも自分を抑えられませんでした。

 こうして彼について書くことが、彼の誇りを傷つけることにならないよう、細心の注意を払うつもりです。その手綱を握れないと判断したときには、大変失礼ながら、本稿を削除させていただきます。



 ◎      ◎



2007年10月●日


友人が亡くなりました。

こんなときどんな気持ちになればいいのか分からない。

とりあえず今、恋人のところにいる自分が、めちゃめちゃ情けない。


あの人は演奏会に二度も来てくれたし、

お菓子とお花をくれたし、

後期の授業が始まる日にちをメールで教えてくれた。

なのに私は、演奏後あわただしく彼の前から立ち去ってしまったし、

贈り物のお礼もまだだったし、

メールの返信もしないまま後期のはじめの授業には行かなかった。


そういうことと彼の死が直接結びつくものではないにせよ……

死ぬひとにとっても周りのひとにとっても死んだら終わりなんだ、

お礼をいうことも謝ることもできない。



 ◎      ◎



 あれはまだ、長女がおなかの中にいる頃、2014年のことだった。

 父の運転する車に、お古のベビー用品を積んで、運んでもらっていた。取引先の方が、私が妊娠していると知ると我がことのように喜んで、もう自分たちには必要ないからと、山のように譲ってくださったのだった。私たち夫婦は車を持っていなかったから、近所に住む実家の父が、車を出してくれた。


 帰り道、父は、自分の仕事の都合で私に何度も転校を強いたことを謝っていた。確かに、ローティーンの頃を、あちこちせわしなく移動していたことは、私の生い立ちに少なからず影響を与えたと思う。転校により初恋が破られたつらさは、私の思春期を支配していた。でも、それが私にとって悪いことだったと、今は考えていない。

 父にその全てを仔細に説明したわけではない。「色んな場所に行けたのは良い経験だったし、新しい環境や初対面の人ともそれなりにうまくやれるのは、転校体験のお陰だと考えている」と、当たり障りのないベールに包んで言った。

 そういう会話をしながら、私はまったく別のことを思い出していた。


 2007年の……秋だったか、冬だったか、覚えていないが、とにかく寒い時期、私は着ていたコートを脱いで、近所の、私鉄が谷間を走り抜ける小さな橋のすぐ脇、フェンスを乗り越えたところに立っていた。幾つか電車を見送ったところで、若いお兄さん二人が私に声をかけてきた。それから婦警さんがやってきて、気が付いたら警察署にいた。いつの間にやら警察の方が私の財布から免許証を検めていたようで、しばらくすると父が迎えに来た。そして、父の運転する車で、自宅(そのころは実家住まいだった)へと帰っていった。


 父の運転する車に二人きりで乗っていると、きまってその時のことを思い出す。2016年に、下の子、長男がおなかにいた間、妊娠状態が不安定で大量出血したときにも、父が産院へ車を出してくれた。あのときも、赤ちゃんが流れてしまうかもしれないという強烈な恐怖の中、後悔と祈りがないまぜになった渦の中で、警察署からの帰り道のことを思い出していた。

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