突如、僕の目の前に轟音を放つ女性の形をしたものが現れました
突如、僕の目の前に轟音を放つ女性の形をしたものが現れました。
それは深夜、ちょっとばかり帰り道をショートカットしようと通ったとある公園での事でした。ベンチの近くを通り過ぎようとしたタイミングで、轟音が鳴り響いたのです。それまでは夜の闇の所為で気付かなかったのですが、手にしていたスマートフォンの灯りで照らしてみると、なんとそこには大股開きでベンチにもたれ、天をも食らわんというばかりの勢いで大口を開けて寝ている女性によく似た形のものがいたのです。酔ってるみたい。
いえ、すいません。
こんな事を書くと、女性の権利を訴える団体の方々なんかに叱られてしまいそうなので一応断っておきますが、これは、まぁ、飽くまで僕の個人的な感想であって、それが世間一般に当て嵌るなどとは僕は微塵も思ってはいません。大股開きで轟音を放ちながら公園のベンチで深夜に眠るのを、全然平気と感じる人もこの広い世間にはきっといることでしょう。それを間違っているなどと言うのは、狭い世界観に囚われた底の浅い認識だと言わざるを得ません。
僕は“触らぬ神に祟りなし”とばかりに、できればその場を何も見なかった事にして通り過ぎたかったのですが、実は今の季節は冬でして、おまけに彼女は防寒具の類を一切身に纏っていなかったのでした。ぶっちゃけ、このまま放っておいたら下手したら低体温症で死にかねません。
それで僕は、かなりの勢いで嫌ではあったのですが、その女性に話しかけて起こそうと思ったのです。
ところがです。そこで驚くべきガーディアンが現れたのでした。
『警告です。ご主人に近付くのは止めてください』
見ると、そこには僕の膝の辺りまでしかないとても小さなヒト型のロボットがいたのでした。名前がないと不便なので、便宜上、そのロボットをロボットくんと呼びますが、そのロボットくんはどうやら彼の主人らしいベンチで眠っている女の人を守るべく、僕の前に立ちはだかったのでした。
物凄く可愛いです。どうしましょう?
僕はとても困りました。
“立ちはだかった”と言っても一跨ぎで軽く超えられそうですし、もし邪魔されたとしても簡単に倒せそうですが、僕にはこんな可愛いものに暴力を振るうなんてとてもできそうにはありません。
それで僕はしゃがみ込むと、彼にこう話しかけたのでした。
「あのね、僕は君のご主人を助けようとしているんだよ? こんな寒い中で寝ていたら、人間は死んでしまうから。どうか近づかせてくれないかな?」
それにロボットくんは首を横にフルフルと振ります。
もう、可愛い。
『駄目です。ご主人から、起きるまで守り続けるよう仰せつかっています』
「守るって、それなら大丈夫でしょう? 僕はむしろ君のご主人を助けようとしているのだからさ」
それにまたロボットくんは首を横に振ります。可愛いので何度でもやらせたくなりますが、我慢します。
『駄目です。男は嘘つきで乱暴で信用できないとご主人から教えられています。男は危険です。もしかしたら、あなたはご主人をさらう気でいるのかもしれません』
このロボットくんならばさらってしまいたいですが、混乱を招きそうなので、それは言いませんでした。
「んー それなら警察を呼んで保護してもらうしかないかなぁ?」
と、それを聞いて僕は言いました。するとロボットくんは何故か急に土下座しました。そして、
『警察だけは勘弁してください』
と言います。
どうも、何か後ろめたい事があるようです。
それから、ちょっと考えると「あのね」と僕は再び彼に話しかけました。
「“ご主人に教えられた”って事は、男が危険っていうのは、君のご主人の判断なんだよね?」
『もちろんそうです』と、それにロボットくん。
「なら、君のご主人の判断が間違っていたとしたらどうだろう? 僕を近づけても平気ってならないかな?」
『しかし、ご主人はこれまでの経験で男は危険と学習したと言っていました』
「うん。オーケー。それは帰納的思考だよね? 情報を集めて、そこから何らかの結論を得ようとする思考。この場合は、君のご主人が出逢って来たたくさんの男の情報から、男は危険だという結論を導き出した」
ロボットくんはそれに頷きます。
『はい。その通りです』
僕はそれに「うん」と頷くと、こう続けます。
「でも、そういう帰納的思考っていうのは、実はそれほど確実なものじゃないんだ。例えば、君はカラスを知っているかな?」
『はい。知っています』
「そのカラスの色はどうだった?」
『黒い色をしていました』
「うん。そうだね、カラスは“黒い”とだから一般的にも思われている。ところがどっこい、この広い世界にはなんと白いカラスだっているのだよ」
それから僕はスマフォで検索をかけると、彼に白いカラスの画像を見せました。彼はそれに驚きます。
『お、お、お』なんて言って。
すんげー、可愛い。
「ね? 白いカラスがいるように、世間には危険じゃない男だっているものなのだよ。どうか僕を彼女に近づかせてくれないかな?」
それで僕はロボットくんを説得できると思ったのですが、それでも彼は首を縦には振らないのでした。両手を広げて可愛く通せんぼをしながら、
『駄目です。それでも、あなたが安全な男である保証はありません』
なんて言います。
僕はそれに困りました。それで、「なら、やっぱり警察を呼ぶしかないかなぁ?」とそう言ったのです。
すると、ロボットくんは再び土下座をして、
『警察だけは勘弁してください』
と、そう言いました。
やっぱり、何か後ろめたい事があるようです。
――しばらく後、夜の街を、僕は先ほどの女性を背負って歩いていました。なんでそんな事になっているのかというと、実は僕は本当はこの女性をさらう気でいたから…… なーんてことはもちろんあるはずもなく、いくら声をかけても揺すっても、一向にこの女性は目を覚まさなかったからです。それで仕方なく、僕は相変わらずに轟音を放ち続けているその女性を背負うと、ロボットくんの案内で彼女の家まで運ぶ破目になったのです。
重い。
ロボットくんはさっきまではあれほど僕を警戒していたのに、今ではすっかり心を許してくれたようで、素直に僕の水先案内人になってくれています。
ああ、可愛い。
やっぱり、さらうならこのロボットくんでしょう。
そんな事を思ったタイミングでした。突然、背負っている女性が邪悪な魔王の強力な封印が今まさに解けようとしているかのような勢いで激しく蠢き始めたのです。「我、目覚めたり」とでも言ったらとてもよく似合いそうな感じですが、そうは言わずに彼女は「何よ、あなたわぁぁぁ!」とそう唸り声のような声を上げました。
それが耳元だったものですから、僕は激しく恐怖します。更に彼女はそれから暴れ始めてしまったので、僕は彼女を支えきれず、それで彼女は僕の背中からズルズルとずり落ちてしまいました。
これで魔王様は自由の沃野に解き放たれてしまったかに思えたのですが、どうやら魔王様は完全には復活し切っておられなかったようで、そのまま地面に溶けるように寝そべってしまいます。しかし、
『ご主人!』
と、言ってロボットくんが駆け寄っていくとその声に呼応するようにむっくりと上半身だけ起き上がりました。
「あなた、何なのよ? 私に何をするつもり?」
僕は厄介なことになりそうと思いながらも「公園のベンチで防寒具も着ないで寝ていたので、あなたの家まで運ぼうとしていたんですよ。ほら、あなたの家に近付いているでしょ?」と正直に本当の事を言いました。信じてくれないだろうな、なんて思っていたら「信じないわよ」とやっぱりそう言います。
「さては、この子をさらう気ね! さっさと、どっかに行きなさい!」
それからそう続けました。ちょっと図星だったので、ややビックリしました。それがちょっと図星だったからという訳でもありませんが、目覚めてくれたというのなら都合が良い、これで僕はお役御免かもしれない、なんて僕は思います。ようやく帰れそうです。
が、それから、「この子は、私がまもーる!」とか言いながら、彼女は再び溶けるように地面に突っ伏してしまったのです。これはあかん気がします。魔王様の完全復活は、まだまだかかりそうな感じ。
そんな彼女をロボットくんは心配そうに見つめ、それから懇願するように僕を見つめてきました。
そんな視線を受けてしまったなら、抗えるはずがありません。
仕方なく、僕はそれで再び彼女を背負おうとしたのです。が、僕が掴もうとすると彼女は「触るなぁぁぁ」と言って暴れるのです。それを受けて、
「これは警察に助けを求めるしかないかな?」
と、僕は言います。
すると彼女は、突っ伏した姿勢を変化させて、土下座をすると、
「警察だけは勘弁してください」
と、そう言ったのです。
見るとロボットくんも一緒に土下座しています。
彼女達には何か後ろめたいことがあるのだと、それで僕は確信しました。
そして再び僕は彼女を背負って歩き始めました。いい気なもので、僕の背中で彼女はまた眠ってしまっています。
なんとなく、僕は案内をしてくれているロボットくんにこう言いました。
「帰納的思考の話だけどね」
『はい』
「帰納的思考を行うには、情報を取得しなくてはならないのだけど、その為には観測者についても考えないといけないんだよ。観測者の目に何らかのフィルターがかかっていたら、それは自ずから歪められてしまうものだから」
それを聞くと、ロボットくんは首を傾げました。
『どういう意味ですか?』
「例えば、嗅覚での観測手段しか持っていない生物がいたとしよう。その生物は、白いカラスを観測したとしても、それが他の黒いカラスと違うとは気づかないのじゃないか? つまり、その観測者の世界では黒のカラスと白のカラスの区別はない事になる。色の違いが臭いに影響しなければ、だけど」
『はぁ』と、やっぱり分からないといった感じでそれにロボットくん。
「ま、君のご主人もそれと同じかもしれないって話だよ」
それに僕はそう言いました。彼に通じているかどうかは分かりませんでしたが。
やがて、女性の家にまで辿り着きました。寝たふりをしていたのか、それともタイミングが良かったのかは分かりませんが、彼女はそこで目を覚ましました。
どうやら、ようやく魔王様は完全復活してくれたようです。
「ありがとう。一応、お礼を言っておくわ。ま、身体に触れまくっちゃったから、貸し借りはなしだけどね!」
それから彼女は僕の背中から降りると、そう言います。「さいですか」と、それに僕。ま、これだけ言えれば、もう大丈夫かもしれません。
そこで不意に、ロボットくんが口を開きました。
『さっきの観測者のフィルターの話、分かったかもしれません。確かに、ご主人の目にはフィルターがかかっているのかも』
「だろ?」と僕はそれに返します。しかし、それからロボットくんはこう続けるのです。
『ですが、それはあなたも同じです。あなたの目にもフィルターがかかっています。もっとちゃんとご主人を見てください。見てくれれば、きっと“白いカラス”だって観測できると思いますから』
僕はそれを聞いて肩を竦めます。
「ご主人想いのロボットだねぇ」と、そしてそう言います。
「ま、君のご主人じゃなくて、君にならまた会いに来るよ。そうしたら、ついでに“白いカラス”も観測できるかもしれない」
ロボットくんはそれに『ありがとうございます』と返しました。が、それを聞いて彼女は「何の話をしているのよぉ?」と、喚くように言います。
観測者効果というのもあって、観測する事で対象が変化する場合もあるのですが、ま、僕にはそれほど魅力はないと思うので、今回は、多分、無理だと思います。
もっとも、ロボットくんが彼女にこれほど懐いているという点には、多少なりとも期待しない訳でもありませんが。