葉桜に君を想ふ
僕は今、歩いている。
ひたすらに歩いている。
鶯が鳴いてもう春が終わってしまうよ、と告げる。
蝉が控えめに鳴いてもう夏が始まるよ、と告げる。
僕にとってはどうでもいいことだった。
山の木々も、舗装されていない獣道も、急な傾斜も全く苦にならない。
だって君がこの先にいるんだから。
まだ暖かい初春の頃。
君はこんなことを言っていた。
「ねえ、桜夏。いきなりですがクーイズ!」
僕はうざったるそうに君へと振り向くと君はその端正な顔をずん、と僕に近づけてきたんだ。
振り子の要領で顔に当たった君の黒髪はシャンプーのいい香りがして、少しむずがゆかった。
「ええと……。五月くらいかな。桜の花と葉がごちゃごちゃになっているのをなんと言うでしょーか!」
舌足らずな君の言葉をなんとか理解して、僕は答えた。
葉桜だろ、常識だ。
「せーかい!さすが名前に桜と夏が入ってるだけはあるねー」
それ、関係あるか?
僕はいつも明るい君の話に冷静に返していた。
けど心の中ではとても嬉しかったんだ。こうして君と話していられることが。
僕はきっと、君に恋していたんだ。
葉屡だって名前に葉が入ってるだろ。屡の中身は桜って漢字の右側だし。
「わあ。ほんとだ。気づかなかった!」
いや、気づけよ。
葉屡が傷一つない白い手を頭の後ろにやって、てへへ、とはにかむ。
春の陽気みたいに暖かい笑顔だったことを今でも思い出せる。
「でね、近くの裏山に桜の木があるじゃん!」
君は話題の転換も下手だった。なにもかもが唐突で、まるで台風のようだった。
ああ、あれか……。そういや、そろそろ桜の時期だな。
「うん!でね……、もし、良かったらなんだけど……。桜夏と葉桜を見に行きたいな〜、って」
……別にいいけど。なんで葉桜?
「あ……、うん。それはね……ええと……。…………ないしょ!」
君は片目を閉じて、細い指を桜色の唇にあてて微笑んだ。
少し頬が赤かったのを覚えている。
その時の君の笑顔は今まで見たどの桜よりもずっと綺麗なものだった。
とても眩しくて、とても可愛くて、とても儚い。
そしてすぐに桜が咲き始めた。
君はしょっちゅう僕に楽しみだねえ、とかきっと綺麗だよ、とか言ってきた。
僕もとても楽しみだったけど、それを気取られないように曖昧な返事をしていたんだ。
そして、桜が散り始めた頃。
君は交通事故で亡くなった。
それからすぐに僕は葉桜を見る意味を知った。
君の遺品の日記を見ちゃったんだ。ごめんね。
そしてそこにはこう書いてあった。
“葉屡の葉と桜夏の桜が入ってるから告白は葉桜の下でするんだ。
ドキドキしてるけどきっと結ばれるよね。
だって葉桜の下だもん!”
僕は今、山を登っている。
葉屡と見に行くはずだった裏山だ。
そこにはとてもとても大きな桜の木が海に面した崖の先にある。
昔は観光客も多かったけど、人が崖から落ちてからはすっかり誰も近寄らなくなっているらしい。
君ももう少し手前の開けた場所にある桜を見るつもりだったんだろうね。
でも大きい桜の木の方が君に会えそうだから。
だから、もう少し頑張って登ってみるね。
夏の足音を感じるようなオレンジ色の風が周りの木々を揺らす。
僕は足並みを止めることなく、歩き続けた。
今は葉桜の見える季節だ。
だから、君に会えるよね。
君と、結ばれるよね。
だって、葉桜の下だから。
追い求めた葉桜は満開の桜よりもずっと拙く、でも今の僕にはとっても綺麗に思えた。ピンクと緑がちょうど半々くらいだった。
僕はその葉桜に歩み寄る。
運動用のスニーカーが一つ一つ、柔らかい土に足跡をつけていた。
そして僕は君の姿をすがるように探した。
開けていて、探す場所なんてほとんどなかったけど、それでも何度も何度も同じ場所だとしても探し続けた。
君がいるはずだから。
けど、君はそこにはいなかった。
なぜか半々の葉桜も満開の桜のように思えてしまって。
そっちの方がとっても綺麗なはずなのに、僕は身体中の水分を絞り出すようにして泣いた。
ずっと泣いた。
このまま干からびるまで泣いていてもいいと思った。
ねえ、桜夏。
でもそうはしなかった。君の声が聞こえたからだ。
弾かれたようにして僕は葉桜の方を見る。
君は葉桜の向こう側にいた。
悲しげに微笑みながら僕をまっすぐ見つめ返してくれた。
「葉屡!」
君の名前を叫ぶ。
冷静ぶった態度もなにもかもを捨てて君を精一杯に叫ぶ。
桜夏、ごめんね。
でも、もうどこにも行かないよ。
君とずっと一緒にいる。
「ああ。僕も、ずっと一緒にいる」
あんなに遠かったのに。今は葉屡をとても近くに感じる。僕は一歩ずつ、確かに一歩ずつ葉屡に駆け寄った。
ごめんね。
こんなところまで来させちゃったね。
ごめんね。
「いいんだ。君がどこに居たって、僕は君に会いに行くよ。」
ありがとう。
でも大丈夫だよ。
これからはずっと一緒だから。
絶対に、離れないから。
僕は二度と放さないように強く葉屡を抱き締めた。
君も二度と放さないように強く僕を抱き締める。
大好きだよ、桜夏
「僕も、大好きだよ。葉屡」
強い風が僕の顔に当たり、流した涙をどこかへ持っていく。
その風に煽られ、一枚の桜の花びらと、一枚の葉が絡み合いながら落ちていった。
五月四日早朝、××県 ○○市、△△山の崖の下の岩礁で少年の飛び降り死体が発見された。
身元は市内に住む中学二年生、羽ヶ内桜夏さん(13)と判明した。
羽ヶ内さんは前日の昼、自宅を出てから行方がわからなくなっていた。
また、幼なじみのAさんが数日前に交通事故で亡くなっていたことから警察は自殺の面で捜査している……。
〜〜新聞記事より抜粋〜〜