わたしにとっての"神様"
みんなは神様って信じる? わたし? わたしは信じるよ、神様。信仰するかは別にして。
日本の古典文学には神様、またはそれにまつわる何かがよく書かれている。古事記や日本書記が結構有名かな。天地開闢の始神にして多くの神々を産んだ伊邪那岐と伊邪那美。その始神の1人伊邪那岐から産まれた現最高神の天照大神、対の月読、そしてかの八岐大蛇伝説で有名な須佐男。その他にも治金の建御名方、国造りの大国主命、神様の使い八咫烏と実にさまざま。
そしてそれに関係する史実が意外にもある。あくまでも推測なんだけどね。例えば、天照大神が洞窟に閉じこもった天岩戸の神隠れ。太陽神の天照が須佐男の横暴に悩み洞窟に閉じこもったお話で有名だよね。もうわかった人もいるかな。太陽神である天照が洞窟に隠れる。太陽が隠れる。そう、日食だ。しかも皆既日食。実はこの話が伝えられ始めた時期にちょうど皆既日食が起きていたみたいなの。今じゃ珍しい天体ショーだけど、当時の人たちはさぞかし驚いたろうね。それにとてつもない恐怖も味わったはず。太陽が昇っているのに暗くなっちゃうんだからね。
えっとつまりここまでのことで何が言いたいかというと、神様っていうのは人々が人知の超えた現象を説明するのに用いた一種のキャラクターなんだよ。太陽が隠れた、川が氾濫した、地震が起きた、これら全ては自分たちじゃ説明つかない。じゃあ、これらは全部神様がやったんだってね。
「何それ、適当じゃん!」
って思う人いるよね。絶対いるよね。わたしも思ったもん。
でもいいんだよ、適当で。納得するなら、しっくりくるならそれで。当時は科学なんて発展していないから、きちんと証明できるものは少なかったの。だからさっきも書いた通り、結局神様に頼る他なかったわけです。
神頼みってあるでしょ?"お願いします、神様〜"みたいな。あれって結局、このことがないとこんなことなかったと思うよ。そしてそのことが起きる度にこれは神様の力じゃ〜って感じになってきて、いつしかそれが信仰に変わっていく。そしてそれが形になったのが神社ってわけ。宗教って考え方もあるけど、わたしは人々の思いが塊になったものと考えてる。つまり無形。これは神様だけにとどまらないと思う。仏様もイエス様もアッラー様もヤーブェ様もみんなそう。宗教はあくまでも無形であり、それが形になったものが像だったり神殿だったりするんじゃないかな。
少し話がズレちゃったね。つまりここでわたしが言いたいことは、神様って言うのは人の心の中にある強い思い……絶対的な信頼なんじゃないかってこと。さっきも言った通り、信仰して、宗教と化して、そして形作る。それってやっぱり強い思いがないとできないことじゃない?軽い気持ちじゃ、こんなとこまで行かなかったと思う。古事記や日本書記にも記さなかったと思うよ。
じゃあ、全員で神様を信仰しましょうだなんて言わないよ、絶対。人それぞれ違うものなんだから、信じるのものが違うのなんて当たり前。だから自分の信じたものを信じてみましょう?
とここまでわたしの神様論を語ってきたけど、なんで俗であるわたしが神様のことを語っているのか気になる人はいると思う。俗のわたしが神様を語る理由があるのかと問われるかもしれない。そこ時の答えは"ある"だ。当たり前でしょ。何せ物事には必ず理由があるんだから。因果はあるんだから。その因果がなければ成立しない。今回のことも。無論、例外もあるかもしれないけど。
じゃあその理由はなんだと問われれば、わたしはこう答える。
「わたし自身、神様と関係があるから」
ってね。
今、おかしな奴と思った人いるでしょ?まあ確かにこんなことをいきなり言い出したら誰だってそう思うよね。でもわたし自身そうは思ってないよ。だってほんとのことだから。わたしと神様が関係しているってことはね。実際そのことでちょっとした騒動があって、大変だったんだから。
どうなるのかな……、わたしの"じんせい"。
神様ってなんでしょうね。
こんにちは、Hieiです。
神様の存在自体はいろんな国でもありますよね。ヨーロッパのギリシャ神話や北欧神話、それにインドらへんの各ヴェーダなどに書かれた神様は結構有名ですよね。もちろん日本神話も。
それは結局は人の思想でしかなくて存在はしないと思っているけど、でもこれが本当にあったらなって思うと少しロマンがありません? あれ、ないですか? もしかして自分だけです?
一応今回は、この物語の主人公の彼女が神様について考えたことを書いています。どうぞ、作者共々暖かく見守って下さい。
で、次書こうかと思いましたけど、今年受験生でして……。次回がかなり後になります。すいません。