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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第一章    戦乱の大地    《紫電清霜》

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第九〇話    分裂する意志




「摘まみ出しなさい。船倉にでもぶち込んでおくの。早くしなさい」


 リシアは、あからさまに舌打ちし、昼戦艦橋に詰めていた士官を促す。


 しかし、トウカがそれを視線で遮り、リシアは益々と不機嫌になる。これは密航であり艦隊参謀としては看過し得るものではなく、そもそも座乗している戦艦はリシアにとって外敵のいない聖域であらねばならないのだ。恋敵が、害獣が侵入して良いものではない。


「構わない。狐一匹紛れ込んだところで本艦の(くろがね)の城たるの真価に支障はあるか?」


 ミユキを艦隊司令長官席に座らせたトウカが、リンデマンに向き直り、片目を瞑って問う。


 対するリンデマンも紳士的な笑みを浮かべて応じる。


 リンデマンは皮肉屋であるが、同時に紳士然とした人物でもあり、トウカの言葉に対して茶目っ気を感じさせる言葉を口にした。


「本艦の砲は当たらず豆鉄砲同然にして、装甲も真に胡散臭く霞の如き有様。天狐の姫君が加護に御縋りすれば、初弾命中と堅牢無比の奇蹟が叶いますやもしれませんな」


 幸運を運ぶと嘗ては信仰されていた天狐だが、無論それは迷信である。しかし、現在でも信心深い者の中には天狐を見て拝む者も少なくない。天狐自体が人里に現れることが少ない希少な種族であることもその傾向と神秘性に拍車を掛けていた。実際、ミユキは食い倒れ狐に過ぎず、御利益に肖りたい者達に餌付けされた姿を良く見られる為、その真実に気付いている者も少なくないが彼らはその事実を知らない。


「非戦闘員を巻き込むのは軍機に抵触します。艦隊司令長官がそれでは将兵に示しが付きませんが? そもそも電纜をかじれては……」


 そんな鼠のような真似はしないと唸るミユキを余所に、リシアは全力で食い下がる。


 筋は通っているので誰も抗弁しないと判断して、リシアはミユキに手を振り失せろと邪険に扱ってみる。「むぅぅぅぅ」と唸るミユキだが、トウカの右手の袖を掴んでその翳へと隠れる仕草がまた腹立たしい。まるで自分が悪いみたいで居心地が悪くなり始めたリシアは、軍帽を目深に被り直し、窓際へと移動して距離を取る。トウカとミユキの笑いあっている姿を見るのは酷く不愉快であった。


 そんな様子に苦笑するリンデマンを一瞥し、リシアは首に掛けていた将官用の双眼鏡を手に取り周辺を眺める。双眼鏡に凄まじい力が入り、みしみしと鉄が軋むような悲鳴を上げ、それを見た、近くで進路上の警戒を行っていた航海科の水兵がさり気なく距離を取る。


「主様、マリア様からの書状です。読んでくださいね」


 ミユキが思い出したかのように、腰の小物入れを弄り、萎れた紙を取り出す。上質な紙に見えるが、保管方法が雑だったのか萎れている上、一枚の紙を折りたたむという簡素なものでしかなく、一伯爵の書状にはとてもだが見えない。


 しかし、出した主がマリアベルとなれば話は変わる。


 マリアベルは煩雑な手続きを嫌い、屑籠から取り出した紙を取り出して裏紙に命令を書いて命令書とした逸話もある。寧ろ、窓から付近の兵に投げ付けて、届けろと言うことすらあった。イシュタルがその度に正規の命令系統を無視するなと激怒することも有名であり、確かに機密上宜しくない行為で、リシアもイシュタルに賛成であった。


 ――この状況で? とっとと出せばいいのに。それを届ける為に残った?


 長官公室に居た際に手渡せば済む話で、二人だけの時間もあったはずである。現に多くの兵士や士官の見ている中で手渡している以上、機密性のない文面であることは疑いようもない。


 トウカが書状を開き、目を通す姿を横目で見やり、リシアは言葉を発するのを待つ。リンデマンの楽しげな笑声が零れているが、それに気を逸らされることはない。


「これは……まぁ、何というか。そう言うことか?」


「はい! そんな感じで御願いしちゃいます!」


 ミユキの元気な声に頭を撫でてやるトウカの表情には深い苦笑と、止むを得ないという感情の入り混じった笑みが浮かんでいるので、或いはミユキに関わることかも知れない、とリシアは考えた。


 即決と果断に富むトウカが曖昧な感情を前面に押し出すことは少なく、特に命令などの軍事行動に於いては躊躇う素振りを見せない。例え、取りようによっては弱みに見えることを強みのように見せてしまう様に演出しているのは、大いに倣わなければならない点である。そして、それを可能にしているのが、“それが事実にして最善のように思わせる既定を述べるかのような言動”と“泰然自若にして卑怯未練な態度“であった。情報をどの様に解釈するかは受け手の印象によるが、この部分で損害を被らない為に、欠点であっても堂々と振る舞ったほうがよく、相手に弱点と思わせないことが肝要である。


 トウカは自身を偽ることを得意としている。


 野戦指揮官の顔に、艦隊司令官の顔。

 戦争屋としての顔に、政治屋としての顔。

 異邦人としての顔に、私人としての顔。


 それが兵に与える影響を斟酌しての偽りの人格であるとはリシアも理解できるが、それを自身ができるか否かとなれば話は別である。そして、あまりにも隙なく演じているので、トウカの本質や私生活は未だ見えてはこない。寧ろ、銃口を突き付けてきた際の怒りすらも、演技ではないのかと疑い始めていた。


 そんなトウカが、曖昧な態度を見せたことに、リシアは驚いていた。とても演技をしているような表情ではなく、穏やかで隠すことすらされていない感情であった。


 その原因が眼前の少女に関連しているとなると思うと、リシアとしては不愉快極まりない話である。しかも、マリアベルまで関わっているとなると、ミユキの我儘を一領主が許しているとも取れるので、リシアは不利になる一方であった。


 リシアは歯噛みする。


 ――情報ね。情報が足りないわ。そう言えばあの害獣、情報部の軍属だったわね……


 情報戦で負けていると、リシアは苦虫を口内で大量虐殺したような表情を浮かべる。最早、周囲に警戒活動中の水兵はおらず、士官もそれを咎めなかった。


「艦長、諜報部からの特務の様だ。観戦武官として扱え。東部貴族にも中央の侵食が表面化し始めているようだぞ?」


 楽しげに笑ったトウカの言葉に、リンデマンが右手を胸に当てて一礼する。執事の様な佇まいも相まって似合ってはいるが、リシアは逃げたと嘆息する。


 トウカが萎れた手紙を無造作に手放した瞬間、仔狐の手が青白く光り、手紙を灰も残さずに燃やし尽くす。熱量を伴わない蒼い燃焼は、一見すると機密保持のようにも見える。


 しかし、それは擬態だろうと、リシアは見当を付ける。


 トウカの口にした、東部貴族に対する中央貴族の浸透は、蹶起当初から危惧されていたことであり、今回の作戦にはそれらに対する牽制と掣肘を加えることも意図していることは想像に難くない。そして、それは諜報部の職分であり、対応に姿を現す事もまた不思議ではなかった。


 ――任務なんてあるはずがないわ。


 もし、任務が事実ならエイゼンタール少佐が出てくるはずである。情報部の実働戦力の指揮官として彼女ほどに辣腕を振るっている者はいない。東部貴族に対する調略よりも優先度の高い任務があるとも思えない。


 マリアベルがミユキを気に入っているらしいことはリシアも知っていたが、ミユキをこの場に派遣する理由が分らなかった。もし、諜報部による扇動と暗殺を東部で意図しているならば、直接東部地方に諜報員を派遣するであろうことは疑いない。諜報員を、それも軍属でしかないミユキを戦艦に搭乗させる意図は見えなかった。


 ――トウカも害獣の任務を口にした訳ではないから、きっと周囲を誤解させる為ね。


 トウカは“東部貴族にも中央の侵食が表面化し始めているようだぞ?”とは口にしたが、ミユキの任務がそれに対するものであると口にした訳ではない。前後の言動から限りなくそう思えるだけであり、トウカはそう思わせたかったのだ。


「……下らない口実ね」


 恐らく書状が燃やされたのは、その中身が意味のない、或いは白紙であったからであろうと、シリアは見当を付ける。トウカの困惑を見れば、それがトウカの書いた筋書ではないことは理解できる。


 ――害獣もそれなりにできるようね。注意しないと。


 特にトウカが庇いだてしたという点が気に入らない。ミユキもトウカがそう出ると理解していたからこその行動であることは疑いなく、二人にはリシアの把握していない信頼関係が形成されているとみて間違いはなかった。


 ぎろり、とミユキを見据えたリシア。周囲の士官は全力で視線を逸らし、意味もなく軍装の身形を気にする仕草を以て話し掛けられない様に振る舞う。


 そんな視線に気付いたミユキは、尻尾を揺らして小首を傾げると、何かに思い当たったのか、理解の色を瞳に移す。


 そして、仔狐はトウカに抱き付いた。


 トウカの右手を抱き、無駄に大きな胸を押し付けるかの様に抱き締めて、その腕に頬擦りをするミユキ。


 尻尾が忙しなく動いて、狐耳も半ばでだらしなく下へと折れ曲がり、全力で甘えていることを示している。無邪気な笑みに、無駄に大きな胸がトウカの腕に押し付けられて形を変える様に、周囲の男性士官の視線が集中するが、リシアの盛大な咳払いに視線を逸らす。


 ――この獣女は敵よッ!!


 リシアの咳払いが予想だにしない出来事だったのか、何が不満なのだと唇を尖らせるミユキ。


 そんなリシアの手中で、みしりと双眼鏡の透鏡(レンズ)に罅が入った。











「ラウラ御嬢様……」


 自らの名を呼ぶ声に、少女は意識を取り戻す。


 寝てしまっていたのね、と少女は朦朧とした意識を振り払うかのように頭を左右に振る。


 日課の昼寝が長すぎて呆れられることは多いが、この御時世に在っては何時最後の安らぎとなるかは分からない。いや、そもそも少女としては、その御時世を考えていた末に眠ってしまったので、咎められるのは回避したいと(つたな)い思考で思っていた。


 東部貴族側に付くか、或いは北部貴族側に付くかで多いに揉めていることに加えて、周辺貴族と共に中立の道を模索するかで家臣達は日夜激しい言い争いを繰り広げていた。


「――初代天帝陛下の言うところの小田原評定というものですね」


 深い溜息を吐く美貌の若き女子爵。


 白磁の様な肌と、白みがかった金の長髪は腰まで届き、犯し難い雰囲気を放っている。そして何よりも、愁いを帯びたかのような深い深い瑠璃色をした瞳がその少女を際立たせた。


 実際は、眠気に堕ちて行きそうな瞼を必死に持ち上げているだけに過ぎないのだが、周囲にそう思わせない顔の造形に皇国子爵の爵位を持つ少女は深く感謝していた。



 エルラウラ・ルル・フォン・バルシュミーデ子爵。



 シュットガルト運河に面し、大星洋を望むハルバーシュタット地方、バルシュミーデ一帯を拝領するバルシュミーデ子爵は光龍族の少女で、御年五六歳と中位種の龍の中でも抜きん出た若さで子爵位を継承した異例の貴族であった。


「眠気覚ましの紅茶を用意しております」


「それなら――」


コンフィテューレ(ジャム)も用意して御座います。昨日、虹苺が城下の者達によって届けられましたので、砂糖をふんだんに使い、御嬢様の好みに合わせておりますれば」


 温厚な佇まいの老執事は往年の家臣に一人であり、歳経た人間種であった。


 魔導資質や身体能力などの多くの面で劣るとされている人間種だが、少女……エルラウラは、寧ろ人間種のほうが、高位の種族に比べて多くの幸せを掴む資質を生まれながらに与えられていると考えていた。


 眼前の老人は、エルラウラの幼馴染でもあった。


 若々しい……十代後半の佇まいであることに対して、老執事は既に初老に差し掛かっており、見ようによっては孫娘と祖父と見えなくもない。


 然して変化のない自身と、自らを差し置き、老いさらばえて往く幼馴染。


 それは悲しくもあり、羨ましい事実であった。


 ヒトは優しく、そして気配りのできる生物だ。そして、文明を築き上げ、時には殺し合い、時には慈しみ合って時代を築き上げる。高位種というのは、総じて精神的な強さも有しているが、逆にその精神が折れた時、ヒトとは違い、限界まで総てを擦り減らせて死んでゆく者が余りにも多かった。人は肉体の欠損と限界によって死ぬことが多いが、高位種や中位種は精神の負荷や倦怠によって死ぬことが多い。


 確かに、それだけを見れば、長命な高位種や中位種が優れているようにも思えるかもしれない。


 だが、それだけなのだ。


 長生きしてどうなるのだ?

 長生きして意味があるのか?


 人間種の様に限り在る命を全力で燃やし、それ故に苛烈に最善を求めようとする姿勢こそが生物として正しい在り方ではないのか。


 エルラウラはそう考え始めていた。


 文明を作ったのは人間種であり、名立たる高位種すらも、今ではその文明から生じた国家という概念の枠組みの中で生きている。


 紅茶を磁器茶碗(ティーカップ)に注がれた紅茶にコンフィテューレを入れる老執事の仕草を眺め、エルラウラはその気配りに想う。


 ――こうした配慮ができるからこそ人間種は文明の担い手になることが出来た。


 龍や獅子、狼であれば文明など興り得なかったかも知れない。もし文明が築き上げられていなかったならば、エルラウラは未だに原始的な生活を送っていた可能性だってある。だからこそ、ヴェルテンベルク伯の人間種を重用する姿勢は正しいが、余りにも急進的で誰にも理解されず、その上、危険視される。


 磁器茶碗を手に取り深い紅の色彩を眺め、エルラウラは、視線を碧い蒼い大空へと視線を投げ掛ける。窓越しとはいえ、果てなき蒼空は、手にした磁器茶碗の中で揺れる紅茶の水面と相対する色合いを以て、ただ静かに広がっていた。


 慈愛と安寧を求める蒼き意志は、鋼鉄と弾火薬の紅に染まるか。


 それは、エルラウラにも分からなかった。


 紅茶を口元に運び、いつも以上に甘いその雫に喉を潤おすエルラウラに、老執事は優しげな笑みを湛えて一礼する。外見上で見れば幼馴染とは言えなくなってしまったが、こんな形の主従関係であるならば、それもまた悪いものではない。


「良い……かな」


「それはよう御座いました。こちらにオプストクーヘン(フルーツケーキ)を用意して御座います」


 色鮮やかな何種類もの果実が乗せられた生菓子を小刀で切り分ける老執事に、エルラウラはこくこくと頷く。


 旬の果実を綺麗に盛り付けられた生菓子は、コンフィテューレ入りの紅茶に合わせたものであろう。


 切り分けられたオプストクーヘンに乗った果実に、突き(フォーク)を突き刺し、エルラウラは口へと運ぶ。


 何時も通りに美味しい御菓子に、舌鼓を打つエルラウラの耳に、人間種には分からない程度の小さな足音が聞こえる。未だ遠いものの、それは確りとした足取りで、男性のものであることが分かる。


 ――二人? この時間に来客はなかったはずだけど……


 扉へと視線を向けたエルラウラに気付いたのか、老執事が思案の表情を浮かべる。


「今日は、来客の予定などありませんでしたが……東部貴族の勧誘でしょうか?」


「勧誘も何も、地政学上はハルバーシュタットも東部地方なのですけど」


 無論、東部貴族と称しても、その全てが東部貴族を主体とした派閥に属しているとは限らない。地方の境界線を引くのは行政機関であって、貴族の連帯や風習は無関係であった。地政学に基づいての区別なので、東部地方が全て東部貴族として連帯を見せている訳ではない。反骨精神と辺境根性から地方で異常な程に纏まりを見せている北部貴族こそが異常なだけで、他地方の連帯はそれほどに強固なものではなかった。


東部貴族の連合は内戦が飛び火することを恐れて陣営の結束強化と、北部貴族との前線の一つとなるであろうハルバーシュタット地方に属するバルシュミーデ子爵領を引き込むことを意図している。


 ――また、ですか……中立を維持するがこんなに大変なんて。


 武装中立と言えば聞こえはいいが、皇国内の貴族領は各々が私設軍たる領邦軍を保有して高い独立性を持っている。政治的にも行政的にもそれは同様で、独自の税や法すら有する以上、独立性は元より有しているも同然であった。


 《ヴァリスヘイム皇国》とは天帝を信奉する貴族による連邦国家なのだ。


 未だ姿を見せない今代天帝が優秀であることは、歴代天帝と神代に世に於ける天霊の神々の采配を見れば疑いはなく、貴族は名君としての天帝を求め、不確実な主君の到来を望んではいなかった。不確定要素を排除しようとする傾向は、貴族という統治者としては決して不誠実なものではない。


 ――天帝陛下の御世であれば、貴族が互いに牽制し合うことなんてなかったのに。


 遊戯のような内戦程度で済んでいた最近までが奇蹟だったのかも知れないと、エルラウラは思い直す。貴族も心の何処かで内戦に現を抜かすことに対する忌避感と危機感があったのかも知れない。


 深窓の若き女子爵は、その表情を曇らせる。


 しかし、全ては変わったのだ。



 サクラギ・トウカ、ヴェルテンベルク領邦軍代将。



 恐らくは一連の内戦に己の意志を大きく介入させた人物であり、皇国貴族であれば名前だけでも耳にしていることは疑いない。良くも悪くも有名なヴェルテンベルク伯の影で、近頃盛んに戦闘を繰り広げていることからその名は知られるようになった。無論、ベルゲン強襲やクラナッハ戦線突破に於ける大勝もあるが、匪賊の処刑を戦車の履帯による轢殺という手段を用いることや、政務官に対する苛烈な言動からも名を馳せていた。そんな理由もあり、エルラウラはトウカをマリアベルの懐刀だと睨んでいた。


 ――内戦後から目立ち始めた点が気になりますね。まさか見つけて行き成り将校に抜擢したはずは……ないとも言えない……かな?


 エルラウラとマリアベルに直接の接点はないが、内戦勃発と同時に陣営に加わるようにとの手紙が一度だけ来たことがあった。この手紙は、極めて個性的な、端的に言うなれば明け透けな物言いの文面であった。


 鉄道路線の敷設に伴う資金及び技術提供と、物流の活性化による繁栄を代償とした陣営への加入。武力による同調を求められた訳ではなく、経済的な連携による連帯であり、ケーニヒス=ティーゲル公爵に見るような武断的な性格の多い東部貴族の、正義や大義を振り翳しての連携を求める者達と比しては評価できた。


 経済的に依存させることで傀儡にしようとする思惑さえ見えていなければ、であるが。


 確かに、バルシュミーデ子爵家は領地開発に多大な資金を投じていることや、社会保障も手厚くしている代償として金銭的には苦しい状況にあった。領民を慈しむだけで経済対策や商業政策が疎かになっていたこともあり、緩やかとは言え増加傾向にあった領民に対して投じる資金は、一人あたりの量が減り続けていた。


 マリアベルはそこに付け入ろうとしていた。


 ――受け入れていれば繁栄はしたかも知れないけど、やはり敗戦側に立つことになってしまう。


 近づきつつある荒々しい軍靴の音を耳に、エルラウラは流麗な眉を顰める。


 軍人の訪問が少ない訳ではなく、バルシュミーデ子爵家は代々優秀な軍人や騎士を輩出しており勇名を馳せていた。残念ながら直系は前回の対対帝国戦役であるエルライン回廊防衛戦で戦死しており、エルラウラしか子爵家を継承する者が居なかった。


 無論、バルシュミーデ子爵家は一個大隊で一個聯隊相当の活躍を見せると言われる二個大隊を基幹とした領邦軍を保有しており、有する戦力としては強大であった。故に軍人然とした、騎士然とした者も多いのだが、父でもある先代当主とは正反対の性格であることも相まって遠慮されることも多い。


「入って下さい」


 扉越しに歩みを止めた相手……恐らくは二人組に対して、エルラウラは入室を促す。既に扉の前にまで移動していた老執事が、その言葉に合わせて扉を開ける。


 そこには背筋を伸ばして敬礼する海軍提督の姿があった。


「御初に御目に掛かります、バルシュミーデ女子爵殿」


「確か、シュタイエルハウゼン提督でしたね? 如何様な理由で此方へ赴かれたのでしょうか?」


 立ち上がり、緩やかに微笑みシュタイエルハウゼンを部屋へと招き入れるエルラウラ。


 シュタイエルハウゼンの背後には、参謀飾緒を付けた士官が続く。その袖章(カフタイトル)の艦隊名を見て取り息を呑む。


 ――〈第八艦隊〉所属、〈シュタイエルハウゼン分艦隊〉……


 シュットガルト運河開口部を閉塞している艦隊の一つである。閉塞作戦を展開している艦隊の中でも特に有力な艦隊であった。


 老執事に椅子を促されたが、シュタイエルハウゼンは固辞すると、エルラウラに敬礼して直立不動で応じた。


「〈ヴェルテンベルク領邦軍艦隊〉が迫っております。大艦隊です」


「戦艦二隻に重巡洋艦二隻、軽巡洋艦四隻、駆逐艦は一〇隻以上、ここに砲艦が一五隻前後、輸送艦も三乃至四隻……他に見慣れぬ艦も多数とのこと。砲艦に関しては既に陥落させた貴族領の警備に割かれている様子」


 参謀の捕捉に、エルラウラは絶句する。


 〈ヴェルテンベルク領邦軍艦隊〉は広大なシュットガルト湖に於ける警備と防衛を主任務する艦隊であり、正面切って艦隊戦をする為の艦隊ではない。少なくとも表面上はそう言われていたが、戦艦まで配備され始めた以上、防衛主体の行動を取り続ける道理もなかった。


 しかし、戦艦の戦力化は未だ遠いと有識者の間で判断されていおり、エルラウラもそう油断していた。戦艦の戦力化は内戦に寄与しない。間に合わないと見る者は多い。


 顔を真っ青にしたエルラウラを無視し、参謀は言葉を続ける。


「既にシュットガルト運河に面していたエーゼル子爵領とバイルシュミット伯爵領がこれによって陥落。後者は頑強に抵抗したようですが、艦隊の砲撃支援によって屋敷諸共破砕された模様です。我が艦隊の偵察騎によって確認されています」


「……まさか、海上でも衝突を始めるなんて……領民の避難の準備を進めて」


「畏まりました、御嬢様」


 老執事は厳しい表情と共に一礼すると、音を立てずに扉の向こうへと消えた。


 〈ヴェルテンベルク領邦軍艦隊〉司令官に、トウカが就任したことは周知の事実であるが、これほどに早く行動にでるとは予想だにしていなかった。無論、バルシュミーデ領邦軍も、間諜を放ってヴェルテンベルク領邦軍の動向を探っていたが、それは主に陸上部隊に対する警戒であり、奇襲上陸による占領を恐れていたからであった。


「輸送艦を伴っているという事は上陸部隊も?」


「はい、バルシュミーデ子爵殿。バイルシュミット伯爵領では、装甲擲弾兵(グレナディーレ)と思しき集団が市街地周辺で制圧行動を行っています。突然のことであった為、碌に防衛体制を敷くこともできず、多くが瞬く間に制圧されたようですが」


 何かしらの手段で、間諜の目を誤魔化して陸上部隊を移動させた事は予想できるが、事此処に至っては最早、それに対する追及に意味はない。老執事から敵性戦力接近の報を告げられた領邦軍司令官に作戦行動は一任することになるが、この場に海軍提督がいることからも無抵抗での降伏が難しいことは見て取れる。海軍としては大星洋に面するシュットガルト運河開口部を臨むバルシュミーデ子爵領は海上交通の要衝である。周辺諸国の感情悪化を配慮して、蹶起軍も征伐軍も商船などには手を出さないことが暗黙の了解となっていた。


 それに付け入り、可及的速やかな作戦終結を望む〈ヴェルテンベルク領邦軍艦隊〉は一気呵成に攻め入ってきたのだ。長期化して商業に支障が出ることを恐れていることは疑いなかった。


「時間を……時間を稼ぐ必要がありますね」


「正に。長期化すれば、蹶起軍艦隊も引かざるを得なくなるでしょう」


 商業活動に支障が出かねない可能性を孕んだ一手であるからこそ今まで行われなかった戦術であり、エーゼル子爵領邦軍とバイルシュミット伯爵領邦軍は油断していたのだ。無論、それはバルシュミーデ子爵領邦軍も同様で、気付いたのはシュットガルト運河の大星洋側……地政学上、ヴェルテンベルク領と最も離れていたからに過ぎない。海軍偵察騎が索敵網を展開していたことも大きい。早期発見と、それを知れたことはエルラウラにとって偶然の産物に過ぎなかった。


「現在位置まで分かるのですか?」


 領邦軍司令部まで赴く為に部屋を出たエルラウラは、シュタイエルハウゼンと参謀を従えて廊下を進む。幸いにして領邦軍司令部は屋敷に隣接しており、連絡路で接続されているので移動は容易であった。


「残念ながら正確な位置までは。偵察騎は直掩騎に手当たり次第に撃墜されておりますれば」


 エルラウラに軍用騎のことは詳しくは分からないが、海軍の航空騎でもヴェルテンベルク領邦軍航空隊を圧倒することはできなかったのだろう。継続的に敵情を知るのが困難であることに不安を覚えた。


「まずは私の領邦軍の駆逐艦で退避勧告を行いましょう。海軍が背後にいることを知れば大人しく撤退してくれるかも知れません」


 バルシュミーデ子爵領邦軍が保有する艦艇は駆逐艦一隻に砲艦二隻、哨戒艇五隻に過ぎないが、全力で出撃して進路を塞ぐ形で展開して退避勧告を行えば有効かもしれないと、エルラウラは淡い期待を抱いた。海軍騎が触接していることから、〈ヴェルテンベルク領邦軍艦隊〉も海軍艦隊が接近していることは察しているはずであり、安易に攻撃を行うとは思えなかった。


 しかし、シュタイエルハウゼンは「なりません」と反対する。


「指揮官はベルゲン強襲戦のサクラギ代将です。彼の作戦の傾向を見る限り、必ず何処かに勝算を用意しているかと。重ねて申し上げるならば、此方が率いてきた艦隊も、運河での艦隊運動を考慮して戦艦二隻を中心とした同程度のものに過ぎません。それでも尚、近づきつつあるというならば何かしらの勝算があると見て間違いありません」


 運河の幅がサクラギ代将隷下の艦隊の総数を制限しているからこそ、バルシュミーデ子爵領まで進出してきたのは二〇隻前後に過ぎない。


 だが、それは海軍側も同様であり、投入艦艇数は同程度にまで減らさねばならなかった。海戦中の衝突事故など目も当てられない。


「当初は戦艦のみで編成された戦隊を三つ……六隻投入して圧倒するという作戦もあったのですが、駆逐艦に対する防備が手薄になるので却下されました。恐らくは正面からの撃ち合いになるかと」


 シュタイエルハウゼンは、小細工や策を弄するといったことが難しいと語る。


 確かに運河という限定空間では奇襲など望めるはずもなく、進路も制限されている事から正面から遭遇することとなる。迂回や分進合撃などという手段も取れず、互いに敵艦隊を正面から望むこととなり、しかも敵味方がすれ違いながら戦闘を行う反航戦は避けねばならなかった。相対速度が速く、照準を付けることも難しい。すれ違う時期しか交戦できないので戦闘時間が比較的短いという理由以上に、互いに敵の支配水域に閉塞される可能性があるからあった。互いに増援艦隊が出現すれば挟まれる形になるので、共に反航戦は避けようとするはずである。


 軍事に明るくないエルラウラだが、自領が陥落した場合、海軍の哨戒網が大星洋まで後退することになる点は理解できる。


 シュットガルト湖開口部の哨戒だけで済む以上、手間が増える訳ではないが、陸軍部隊を擁する征伐軍の敗北に加え、海軍までもが地方の一領邦軍に敗北したとなれば正規軍の権威は大きく傷付くことは避けられない。アリアベルの後ろ盾となったはずの陸海軍府長官の進退問題にも発展しかねなかった。陸海軍には北部に対して同情的な者や同調する派閥もあり、これらが退任を迫れば状況が混乱することは間違いなかった。


「意地のぶつかり合いですね……この一戦による死者は報われないでしょう」


「軍人が報われるのは国家を護ってこそです。決して国民を護るからではありません。それを踏まえると蹶起軍には同情したくありますが」


 シュタイエルハウゼンは、小さく嘲笑を浮かべる。


 幾代か前の天帝から続く、平和主義路線で軍は不遇を強いられてきた。しかし、暴発しなかったのは一重に天帝に対する忠誠と、他国と比して高い民度によるものであるが、長きに渡る不遇の時は一つの主義を生み出した。


 国家社会主義(ファシズム)


 初代天帝が言及した無数の主義の一つであり、それは幾多の変遷を経て、その本質と主張を変えながらも存続し、近年に至って軍人を中心にその支持者を急速に増やしていた。特に当代天帝が顕現されず、国家元首不在という状況に在って躍進する国家社会主義を掣肘し得る法はなく、また人物や組織もなかった点もその躍進の最大の理由と言える。


 国粋主義と社会主義、反帝国主義の混合物である国家社会主義が、国民の権利守護に関しては、その国益と国防が保障される限りと明言している。軍の本質を国民防衛ではなく文字通りの国体護持に据えているのだ。国体とは即ち天帝招聘による皇権神授に連なる系譜と、それを中心とした国家の在り方であり、貴軍官民はそれを取り巻く要素に過ぎず、最優先とされるのは天帝の意志とその器となる《ヴァリスヘイム皇国》という国家の護持という主張であった。


 ならば天帝不在の時に在っては、器たる国家護持を如何なる手段を以ても断行せねばならない。


 これを最も忠実に行使しようとしているのが、貴族や征伐軍も危険視する越権行為も辞さない将校達の集まりである義烈将校団という集団であった。


 ツェーザル・ルサ・フォン・シュタイエルハウゼン海軍中将の様に、国家社会主義を公言していないものの、それに対して肯定的である人物は非常に多い。


 軍人もまた国民を護ることに対して疑念を抱き始めているのだ。


 対帝国戦争では常に勝利し続けていた故に、国民はそれを当然だと思い始め、近年の歴代天帝の平和主義路線による国防費削減によって装備の更新などにも影響が出ていた。兵士にとっては武装や装具などは任務を遂行する以上に、自身の命を繋ぐ上でも極めて重要なものであった。それらの更新が遅れる理由が国民の無知であるならば、国民と軍人の間に横たわる価値観の違いもまた大きかった。


 分裂する人々の意志。


 《ヴァリスヘイム皇国》という国家は、一体どこへ向かうのか?


「いえ、今は義務を果たしましょう。初代天帝陛下より賜った領地繁栄という義務を。……シュタイエルハウゼン提督」


「はっ、我が艦隊は、既に近傍にまで進出しております。シュットガルト運河の閉塞と、民間船舶の退避も完了しておりますれば。どちらにせよ、交戦は今日中に始まるかと」


 応じたシュタイエルハウゼンに、エルラウラは歩みを止めずに頷く。


 決戦の時は近い。








小田原評定


戦国大名の北条家に於ける重臣会議である。月二回開かれた会議の様なものである。


小田原合戦時の最、戦術を巡る論争で、老臣が籠城を主張したことに対し、北条氏邦は箱根に展開しての野戦を主張して意見が分かれ、また降伏も仲介者の選択で結論が出るまで意見が分裂したという逸話がある。この故事から、現在では小田原評定という言葉は「いつになっても結論の出ない会議」という意味の表現として使用される。


「いつになっても結論の出ない会議」

 

 ここ重要!


 私の職場は小田原評定が多くて多くて、「会議で何を話すかを話し合う会議」をするレベルである。会議をすると仕事している感がでるので、能力がない上司程こうした意味のない会議を乱発して自らの権威を誇示しようとする傾向がある。月二回どころか週何回であるので、正直なところ小田原評定を越えている。歴史に勝利していると言える。


 ちなみに私はマッカーサーの「戦術会議というものは、臆病と敗北主義を生む」という名言が大好きです。何時も彼らに言って差し上げています。


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