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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第一章    戦乱の大地    《紫電清霜》

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~断章~    紫苑色の伝承 上



「マリア様、飲み過ぎです。自重するべきかと」


 リシアの諫言に、マリアベルは杯を机に置いて小さく笑う。


 己に諫言するものは、マリアベルが今まで行ってきた所業を考えれば当然であるが極めて少ない。だが、最近ではザムエルやリシアだけでなく、トウカまで加わるに至り肩身の狭い思いをしていた。嘗ては、マリアベルに正面切って物事を言うものはイシュタルともう一人くらいのものであり、苦情や進言は必ずと言っていいほどイシュタルを経由してマリアベルに伝えられた。だが、ヴェルテンベルク領初期の領邦軍編制の半数が憲兵であったことを踏まえると、それを決して怯懦(きょうだ)と一笑に付すことはできない。


 マリアベルは恐れていた。背後からの一突きを。


 最近では心境を変化させるだけの要因が幾つかあり、その猜疑心と恐怖心は薄れた。それは異邦人の到来によって齎された精神的な余裕に依るところである。軍事面と政治面で自らに並び立つものがいることは、マリアベルの負担を実質的に半分近くにまで減らした。軍事面でトウカが飛躍することにより、マリアベルは政略面に集中することができ、効果はマリアベルに静かなる隔意を抱いていた一部の北部貴族の切り崩し始めたことからも分かる。


 卓上小刃(テーブルナイフ)と突き(フォーク)をホルシュテインの仔牛(カルブ)の厚焼き(ステーキ)から離したリシアが、マリアベルを見て首を傾げる。


「何か喜ばしいことでも?」


「おお、若しや妾は笑ろうておったかの? まぁ、今ほど妾が輝いているのは、人生でも初めてであろうの」心の底からマリアベルはそう思っていた。


 ――例え、妾が死したとしても、彼奴(あやつ)が何とでもしてくれようて。


 総てが上手く回り始めた。


 何よりも悲願を果たすための手札を手に入れたことが大きい。

 マリアベルは視線を机に立て掛けられていた古ぼけた直剣へと向ける。



 テペヨロトル。



 ケーニヒス=ティーゲル公爵家が私蔵していた神剣である。


 夜の神々の九柱の内の八番目で、その名が“山の心臓”を意味する神性は、大地を揺るがし、山の如き獣の心臓をも刺し貫く一振り。元来、虎種は、旧文明時代後期に他世界から渡ってきた種族の一つであり、奉じる神々は天霊神殿が祭る天霊の神々の一柱となってはいるものの、本来はこの世界の神々ではなかった。そんな神々が紡ぐ神話にあって、最高神のナワル(転化後の姿)の肉食獣として描かれたテペヨロトルの神性は、肉食獣的な側面がテペヨロトルという神とされている。


 最高神の先祖……始まりの神虎の一部にして、神の一柱。その魂を封じたとされる一振り。


「その小汚い神剣が役に立つとは思えませんが……」


 畏まった口調であるが、同時に興味を宿した瞳で、リシアもテペヨロトルに視線を向ける。


 神剣に分類されるテペヨロトルだが、その例に漏れず扱い難い代物であった。魔導資質に優れた者であることは当然であるが、文字通り英雄でなければ扱えないという性質を持っている。神虎の血縁であるレオンディーネが辛うじて扱える程度でしかなかったことから、リシアもテペヨロトルが神剣の中でも群を抜いて扱い難いものだと察することができた。


 マリアベルは、汎用性を軽視した兵器を忌避する。


 万人が扱えることを前提とした兵器こそが、兵器が兵器である為の大前提であると考えるマリアベルからすると、神剣の類は総じて受け入れ難い兵器であった。神龍でありながら、その力を振るえないマリアベルからすると、その思いは狂気じみた固定観念となっており、圧倒的な質が量を優越することを美化する傾向にある皇国人の気質と相反していた。その結果として装甲兵器開発に傾倒したのだが、その評価が高まり始めたのはこの内乱が始まってからである。特にベルゲン強襲成功を見た他の北部貴族の領軍内でも装甲兵器の増強を求める声が届き、更には他地方の貴族から求める声もあり、蹶起軍側への合流を促す材料として活躍しつつあった。


 そんなマリアベルが、使えもしない神剣を手に微笑む。


 多くのヴェルテンベルク領軍軍人から見れば、目を疑うような光景であることは間違いない。


「あのセリカと呼ばれた女性ですか? いえ、クロウ=クルワッハ公を殺し得る武器を手に入れたからでしょうか?」リシアの推測に、マリアベルは顔を顰める。


 一瞬にして顔色の変わったマリアベルを見て、リシアが失言だったのか計りかねて表情を強張らせるが、マリアベルは決してその問いに気分を害した訳ではなかった。


 ――トウカめ……まさか、リシアにも剣聖の正体を教えておらんのか? 銃を突き付けられたとも聞くし、やはり距離を取りおったか。


 戦闘詳報などにも記載されていない為、ベルセリカの正体は未だに公式なものではない。そして、リシアの極限られた交友関係ではそうした噂を得ることは難しい。意外なことに、そうした噂に敏感なザムエルは装甲部隊の指揮官として多忙であった。


 二人の仲が進展することを強制するわけではないが、その目論見を抱いていたことは否定できない。ヴェルテンベルクとトウカを繋ぐ鎖としての役目もあるが、それ以上に才気溢れるリシアを正面から相手に出来る数少ない男性であると判断したからこその人事だったのだ。


 下手をすると本音が出てしまいかねないので、マリアベルは話題を逸らす。


「あの不意打ちの接吻では落とせる男も落とせぬであろうて」


 内心ではリシアがトウカに対して好ましい感情を抱いたことを、マリアベルは喜んでいた。



 何故なら、リシアはマリアベルの母なのだから。



 いや、正確に言うならば母の身体を持つ少女なのだ。


 それを話そうと今、この時、リシアとマリアベルは対面しているのだ。


 顔に朱を散らしたリシアを眺めながら、マリアベルは小さく微笑む。


「似ておるの……本当に」万感の想いの籠もった一言。


 薄れ往く記憶の泡沫の中に在って、尚も燦然と胸中で輝き続ける幾許かのそれら。


 幼少の頃、寒さに震えるマリアベルの手を優しく包み込んで温めてくれた母。


 誰も友達ができず、一人きりだったマリアベルと何時も共に居てくれた母。


 一族からの冷たい視線に晒されるマリアベルを身を挺し護ってくれた母。


 無条件で好意を寄せ、マリアベルが心を許せた唯一の血縁。



 母、エルリシア・スオメタル・ハルティカイネン



 遠い日の記憶だが、それは紛れもなくマリアベルの支えであり、根底を成すものであり、強いて言うなれば、エルリシアこそがこの叛乱の源流と言えた。


「似ている……ですか?」


 首を傾げたリシアが話を逸らされたと感じたのか、不満げな感情と興味の感情が入り混じった声音で問う。確かに神剣から話を逸らす意味合いもあったが、この案件から逃げ続ける事は許されないというマリアベルの静かなる決意もあった。


 視線を扉の両端に立つ二人の侍従を向けて、無言で退出を促す。


 最重要機密以前に、この話をマリアベルは一度としてしたことはなく、知る者は一人しかいない。マリアベルは政治的も弱点を晒す訳にはいかなかった。


「御主は妾の母に似ておる……否、生き写しと言うべきかの」


「……だから取り立ててくださったのですか?」


 一拍の間を置いて尋ね返してきたリシアに、マリアベルは改めて優秀だと感じた。動揺しつつも、相手の言葉を推し量るその行いを当然の様に成せるからこそ大成できるとマリアベルは判断しており、それは政治的才能の片鱗である。


「だとしたら……何とする?」


「優遇なさるのなら、直ぐにでも領邦軍司令官にしてくれると有り難いのですが」


 至極真面目に返してきたリシアに、マリアベルは顔を引き攣らせる。


 トウカに感化されたのか、ふてぶてしさが増大したリシアにマリアベルは良い傾向なのか宜しくない傾向なのかと判断に迷った。ここに皮肉まで合わされば取り返しのつかないことになりそうだが、既に手遅れであると判断して無視する。思案する時間が長ければ相手に主導権を取られるので、余計な口約束をしてしまいかねない怖さが現在のリシアにはあった。


「優遇されているのが確かなら、遠回しに周囲が知るように仕向けて、昇進の障害を牽制できるので好都合です」


 続けて口にしたリシアの言葉に、マリアベルはいよいよトウカに似てきたと冷笑を浮かべる。


 リシアの“冗談”に付き合わず、マリアベルは話を続ける。


「御主には親がおらんの」


「……はい、そう聞いています。ラムケ神父からは、領主の館の前に捨てられていた、と。それをマリアベル様が拾ってくださったと聞いています」


 つまるところそれが、リシアの出自の公式見解。


 だが実際は違う。


「リシア・スオメタル・ハルティカイネンを作ったのは妾に他ならん」


 ヴェルテンベルク伯マリアベルに後継者はいない。


 だか、それは血縁がいないという事を意味しない。少なくともそれがマリアベルの常識であった。無論、魔導技術が進歩している皇国にあっても、人為的な生命の創造に対する研究は禁忌とされており、もしそのような研究が露呈すれば皇立魔導院の私設部隊が動員され、徹底的な粛清が実行されることは間違いない。過去にはそう言った事例も何件かあった。


 その意味を計りかねたリシアの表情に、マリアベルは苦笑する。


「シュットガルト湖には幾つもの島があるのは知っておるの?」


「勿論です。大小一五〇近い島があります」


 リシアの言葉に、マリアベルは鷹揚に頷く。


 シュットガルト湖は皇国最大の湖だが、同時に幾つもの島々を擁する自然豊かな湖でもあった。有人の島もあり、その立地を利用して色々な施設が作られた。女神の島を筆頭として、領軍水上部隊の泊地や航空部隊の飛行基地、商船の補給港、工廠などがあり、ヴェルテンベルクの軍事と経済を支えている。


 だが、そんな島々の中に一際、異彩を放つ島があった。


「ステア島は知っておるかえ?」


「あの巨大な直剣が刺さった島ですか? 立ち入りが禁止されていると聞いていますが……」


 リシアの困惑は、眼前に立ち入り禁止を命じた者がいるからであるが、マリアベルからするとそれは当然のことであり、それに対する反論は認めていなかった。


「あの島に刺さった巨大な剣はの、旧文明時代に神々と人々が衝突した際、人間……否、《大帝国》側の機巧女神が手にしていたものでの」


「それはッ! でも、いや、そんな話は聞いたことありませんが……」


 リシアの驚き様に満足しつつ、マリアベルは要点を掻い摘んで話す。


 《大帝国》の作り出した兵器である機械仕掛けの女神と、天霊の神々が最終衝突した土地こそが、ヴェルテンベルク領周辺であることは広く知られており、シュットガルト湖がそれらの衝突によって生じたものであることも有名だった。


 だが、巨大な直剣の刺さったステア島の秘密を知る者は少ない。


 長年……マリアベルがヴェルテンベルク伯に就任後、最初に指示した膨大な数の法令の中に、“旧文明の遺跡が確認されている地域、或いは島への上陸と接近を禁ずる”というものがあった。これは表面上では旧文明時代の遺跡の保護、保全を目的としたもので、軍用艦艇の接近すらも非常時でない限り禁止し、幾つかの島はそれを見ることが叶わない程に広域を航行禁止水域としている。


 特にステア島はその傾向が顕著で、巨大な直剣が島に刺さっている為に全高が極めて高く、接近禁止距離の外からであっても見ることが出来るが、島自体は見ることが叶わず、遠目にはシュットガルト湖を大剣が貫いているようにも見える。


「あの島と私の出自に関係が?」


「大いに関係があっての。……なれど、直接見た方が早かろうて」


 硝子杯に残った果実酒を一息に飲み干し、マリアベルは立ち上がる。


 着物の袖を翻し、マリアベルは扉へと進む。


 リシアが追随する気配を背に、時が来たとマリアベルは小さく息を吐く。


 過去が、軋みをあげて己に追い付こうとしていた。








「あれが……」


 リシアは湖風に揺れる自身の紫苑色の長髪を右手で押さえ、揺れる船上から島に突き刺さった巨大な直剣を眺める。武骨な大剣で、〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉の兵士が好んで運用している両手大剣(ツヴァイヘンダー)と類似しているが、刀身の根元には”リカッソ”と呼ばれる刃を付けず、革を巻いた部分がなかった。この為、柄に対して異様に刀身が長い直剣に見える。


 つまり、これを扱ったとされる機械仕掛けの女神なる“人造兵器”は、リカッソがなくとも長柄武器(ポールウェポン)の様に、より高い破壊力を発揮する形で振り回すことができたということになる。両手大剣(ツヴァイヘンダー)は、長大で重量のある巨大な剣を取り回しし易いように柄を長く改良した武器と言える。そして、同時にリカッソが必要とされないということは、それがなくとも身体の規模に似合うだけの斬撃を放てるという事に他ならない。


 ――一撃で湖が形成される程の穴ができて当然という訳ね。次元世界大国が幾つも滅亡するだけの戦争なんだからそれくらい普通なのかしらね。


 揺れる水雷艇の前甲板の手摺を左手で掴み、リシアは非現実的な光景を、ただ見上げる。


 マリアベルの考えていることは分からない。


 自らの出生の秘密を知ると言われた以上、リシアとしては断れるはずもないが、同時に尋常ならざるものであることも、マリアベルの気配を察して理解できた。所詮、何処かの貧乏人夫婦が捨てたか、或いは相手の分からぬ娼婦が臆病風に吹かれ育児放棄したか、その程度だろうと多寡を括っていたリシアだが、ここにきて胡散臭い展開となってきた。


 人払いをした上で、旧文明時代の遺跡も関係しているとなると最早、リシアの想像に余る。


 マリアベルがリシアを優遇していたのか否か、それは当人であるリシアにも分らない。


 確かに貴族の一存で人事を決められる領軍に在っては、能力が伴わずとも領主の一存で昇進と重職への就任が可能となる。確かにリシアの少佐……否、ベルゲン強襲での獅子姫捕縛と特務空挺大隊の指揮を認められて二階級特進で大佐となったリシアだが、〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉指揮官であったザムエルも同様で二階級特進によって准将となっている。領軍司令官のイシュタルもクラナッハ戦に於ける総攻撃の功によって昇進して中将の階級を与えられていた。そして、フルンツベルク率いる〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉は名称をそのままに、正式に領軍に組み込まれる形となっている。


 だが、トウカだけは少し違った。


 トウカが与えられた階級は代将であり、それは新設された階級でもあった。職位としては准将と同等としているが、その目的は准将とは全く違うものであった。


 水上部隊の指揮官職なのだ。


 本来は皇国海軍にはない階級である。他国では艦長或は大佐が艦隊、戦隊等の司令官の任に当たる場合、その期間のみ与えられる職位であり、それを真似たものであろうことは疑いない。元は臨時としての意味合いが大部分で、戦闘時の指揮混乱を避ける為”大佐の艦隊司令官”を“大佐の艦長”よりも上位に位置付ける必要があり、将官ではないが“大佐の司令官”に将官の名代として代将の階級が設けられている。マリアベルは、この職位を准将と同じ役職として、領軍水上部隊と陸上部隊の指揮系統を、正規軍が陸海軍に分かれている様に完全に分割したのだ。


 実質、シュットガルト湖を、トウカが支配しているに等しい。


 領邦軍水上部隊の最高位としての側面もある代将の職位にあるトウカが、水上戦力の指揮ができるか否かで議論が起きたが、マリアベルは“どの道できるものがおらんのだから使えそうな者を推挙して何が悪い”とそれらを封殺した。現に哨戒や海賊討伐ばかりで、有力な水上部隊との戦闘経験すらない領邦軍水上部隊には艦隊司令官の資質を有する将校はいない。海軍の予備役を勧誘するにも、蹶起以前から北部貴族の領軍の戦力増強を危惧していた中央貴族と陸海軍は、予備役であっても将兵を引き抜かれることを忌避し、阻止し続けていた。自らの意志で北部に舞い戻ったリシアなどは例外である。


 この人事に驚いた者は多いが、同時にリシアやザムエルなどのトウカの指揮を目の当たりにした者達は、(おぼろ)げながらにマリアベルの意図を理解していた。


 水上部隊の積極的な活用。つまりは通商破壊、或いは海上封鎖を意図したのだろう。


 特に前者の通商破壊は恐ろしい一手だとリシアは感じた。実はこの点に於いては、トウカに事前に聞いていたのだが、それを耳にした時、リシアは戦慄した。


 通商破壊とは、戦時に通商物資や人員を乗せた商船を攻撃することによって海運による物資の輸送を漸減、妨害する事であるが、それは蹶起軍も征伐軍も行わなかった一手でもある。海運とは国内に留まらず、海外……つまりは他国との貿易も担っており、それらへの攻撃はこの内戦への介入の可能性を示していた。


 トウカが意図しているのは《瑞穂朝豊葦原神州国》の介入。


 そう見せかけた中央貴族への牽制であった。神州国は海洋国家であり、世界第一位の海軍戦力を擁している。しかし、鉄鋼、魔導資源は他国からの輸入に依存しており、その割合は皇国……特に北部に大きく傾いていることから、海運の混乱は経済に大きな影響を齎す。海軍の水上打撃艦隊に匹敵する艦隊が運河を下り、大星洋を航行するだけで猜疑心を撒き散らすことになる。征伐軍に与する貴族の港と商船を襲う通商破壊の上、北部からの海運停止は経済に甚大な被害を齎す事は疑いない。


 《瑞穂朝豊葦原神州国》は、戦争の早期終結を意図した介入を《ヴァリスヘイム皇国》に対して行うだろう。


 その時、神州国はどの様に介入するか?


 恐らくは蹶起軍に付くだろう。


 少なくとも、そう見せることで皇国の叛乱が引き分けで集結するように仕向けるはずであった。当初は優勢と思われた征伐軍が苦戦して内乱が長期化しつつある上、総司令部が壊滅したことで、加勢しても更なる長期化を招きかねない。その上、本格的な介入は叛乱の長期化を招きかねず、神州国としては武力衝突の即時停止を求めるだろう。無論それは国家としての要求であり、皇国政府に伝えられ、中央貴族の知るところとなる。


 故に、中央貴族は神州国に対する対応に追われることとなる。神州国の要請と現状を鑑みて、征伐軍と中央貴族が合流する可能性を減らせることとなる可能性もあった。


 それこそが、トウカが水上部隊を指揮する目的なのだ。その目的がトウカの口から語られ、それに必要とされる代将という職位を与えられたということは、マリアベルとトウカの繋がりを暗に示している。


 他の貴族領の海上護衛や救難まで請け負うヴェルテンベルク領軍は、貴族の保有する領軍としては極めて大規模な海上戦力を保有していた。内訳としては、重巡洋艦二隻に、軽巡洋艦六隻、駆逐艦二一隻を中核として、哨戒艇や水雷艇、掃海艇、砲艦、河川砲艦を多数保有した強力な水上打撃戦力であった。ここに艤装中の二隻の戦艦が加われば、ケーニヒス=ティーゲル公爵家に匹敵する海上戦力となる。しかも、これ以外にも非公式な艦艇や、再武装を行えば、再就役できる駆逐艦や巡洋艦も多数存在する。


 それらを、年若いトウカが統率するのだ。


 恐ろしい昇進速度である。海軍であれば、これほどの規模の艦隊を指揮する職位は最低でも中将であり、水上部隊の実質的な指揮官に任じられたことは、実質的な四階級特進とも考えられる。


「……トウカ」


 気になる。サクラギ・トウカの総てが。


 それは、恋愛感情なのだろうか? 

 それは、好奇心なのだろうか?

 それは、畏怖なのだろうか?


 リシア自身にも分からないが、何故か胸が張り裂けそうだった。


故に自らの出自などという過去など然したるものではなく、重要なのはこれからという未来であった。


「ふむ……出自や出世より、トウカが気になると見えるの」


「ッ! ……マリア様ッ」リシアは姿勢を正して敬礼する。


 水雷艇は既に減速を始め、ステア島の桟橋への航路を目指し始めていたので、甲板の揺れは収まりつつあった。マリアベルも島への上陸が近いと判断して甲板に現れたのか、着物の上から将校用大外套を肩に掛けた姿でリシアの横に立つ。


「戦乱の時代ですので。最悪の状況で最善の手を打ち続ければ、それに似合った栄達は容易いかと。……それに」


「階級など所詮、目的の為の手段でしかない、かの?」


 マリアベルの笑みに、リシアも笑みを浮かべる。


 それはトウカの、目的の為に階級という手段を選択すればいいという発想からであった。階級を選択するのは、常人には難しいが、トウカはマリアベルを相手にそれを成した。運に恵まれたという点もあるが、それだけでマリアベルの歓心を買うことに成功するほど、マリアベルは容易い女性ではない。


「そうか……ならば目的を見つけねばの。装虎兵指揮官など最早、興味などなかろう?」


「ええ、前線での鍔競り合いなんて、ザム……ヴァレンシュタイン准将に任せておけばよいので」


「ほう、分かっておるのぅ。確かにザムエルは使い易いしの」


 リシアはマリアベルの言葉に苦笑する。ザムエルがマリアベルの軍事的な面での尖兵を努めていた。トウカがこの場にいれば“小間使いの間違いでは?”と冷笑を浮かべていたであろうが、ザムエルの階級が年齢に比して高いのは完全にマリアベルの都合でしかなかった。


 桟橋への接舷による小さな衝撃に、リシアはステア島に到着した事を悟る。


「そう言えば、この辺りの湖底には月水華が咲いていると聞いていますが、事実でしょうか?」


「うむ、この世のものとは思えぬほどに幻想的ではあるの」


 水上部隊の最高指揮官になったトウカと夜の水上散策も悪くないわね、とリシアは薄く笑う。幸いにして、建造途中で放棄されていた軍艦も建造と艤装が再開され、そこには二隻の戦艦も含まれており、艦船には事欠かない。


 不意に見上げた巨大な直剣。


 島に斜めに突き刺さった巨大な直剣は過去。


 果たして、過去は未来に対して如何様な関わりを見せるのか。

 リシアには分からない。


 だが、瞼を閉じれば広がる輝かしい光景を、リシアは疑っていなかった。








 桟橋から上陸したリシアはマリアベルの後に続き、ステア島の中心部に向かって歩き続けていた。


 木々が鬱蒼と生い茂るが、石畳は侵食されることもなく一本道となり、二人の往く手を指し示している。整備されていることには驚いたが、その石畳には相当の風化が見られ、罅割れて一部が損なわれたものも多く、見るも無残な佇まい醸し出していた。


 総てが終わった島。リシアには、そう思えた。


「あれじゃ……まぁ、相も変わらずよのぅ」


「ヒトが住んでいるのですか、ここに?」


 一昔前であれば、邪悪な魔女などという眉唾物の存在も大いに恐れられたが、近代化が進むに連れて国家にとっての不安定要因はあらゆる手段を以て排除されている。皇国という国家機構に取り込まれるか、民衆となるか、討伐されるかという選択を迫られたことから、最早、絶滅したに等しい。


 ――でも、この島が封鎖されたのが、マリアベル様がヴェルテンベルクの地に訪れて四〇〇年だから、魔女がいてもおかしくない?


 リシアは益体もない事を考えつつ、マリアベルの背中越しに小さな石造りの建物を見上げる。二階建ての随分と古い建築方式であった。思い出してみれば、それは中等学校(ギムナジウム)で学んだ皇国黎明期のものであり、皇都の歴史的建造物に通じるものがあった。


 その上、巨大な直剣の根本に、建物は建っている。小さな一軒家にしか見えないが、何処か懐かしさを感じる光景にリシアは首を傾げる。


 ――私はここに来たことがある?


「御待ちしておりました」


 気が付けば、マリアベルの前に一人の女性が立っていた。リシアは建物に気を取られていた一瞬で、何処からか距離を詰めてきた女性に視線を向ける。


 外見は完全に人間種でしかないが、マリアベルに似た厭世的な雰囲気と柔らかな陽光の如き相反する印象を併存させる美しい女性。蒼を基調とした衣裳……控えめなフリルの付いた白い襯衣(シャツ)に蒼い短外套(ケープ)を纏い、青の長い腰部裳(タイトスカート)は何処かの御嬢様と言った風体であり、この場には不釣り合いな女性であった。


 リシアよりも幾つか上の年頃であろう外観をしている女性に、マリアベルは真摯な表情を向ける。


「約束は果たしたからの」


「ええ、感謝します、マリィ」


 淡く微笑んだ蒼の女性に、リシアは眉を顰める。


 マリアベルは“マリィ”という愛称で呼ばれることを酷く嫌がることを知っていた。無論、憲兵無双と陰口を叩かれる程、強権的なマリアベルを可愛らしい愛称で呼ぶものはいない。親友として有名なイシュタルでさえそう呼ぶことは少なく、そう呼ぶ勇士は現れないというのが一般的な評価だったが、その前提が眼前で崩れてリシアは唖然としていた。


「久し振りです……そう言っても貴女はわたしを覚えていないかな」


 何処か悲哀を含んだ淡い微笑に、リシアは黙って頷く。


 蒼の女性の正体を計りかねたリシアだが、促されるままにマリアベルと共に建物の中へと導かれる。


 屋内は、生活に必要な最低限の物だけが用意されただけで、生活感が辛うじて感じられるほどでしかなく、物欲に乏しいことが見て取れる。


 指し示された木製の椅子に座り、リシアは腰に下げていた曲剣(サーベル)を机の端に立て掛ける。基本的に平時も軍装で行動するリシアには、私服が殆どない。その上、匪賊が跳梁跋扈している現状もあり、曲剣(サーベル)と拳銃は最低限の装備と言えた。


 例え、それを見た蒼の女性が悲しそうな表情を浮かべていたとしていたとしても。


 対面に座ったリシアとしては、マリアベルの安全を断じて確保せねばならない立場にある。座した膝の上に輪胴式(リボルバー)拳銃を乗せたとしても異議を唱えられる筋合いはない。


 隣に座るマリアベルは、そんな二人の様子を見て苦笑するだけ。


「さて、何処から話しましょうか?」


「全部、御主に任す。妾では誤解を招きかねんからのぅ」


 そう言ってマリアベルは立ち上がると部屋の隅にある階段を上り、二階へと消えてゆく。


 残された二人。


 護るべき対象だと思っていたマリアベルが勝手に離れていった現状に、リシアは溜息を吐くが、それを見た蒼の女性は小さく笑う。


「改めて久しぶりです、リシア。わたしの名前はステア。この島に刺さる“女神の大剣”の巫女」


 突然の言葉にリシアは、マリアベルへの意識を青の女性……ステアに戻す。


 島と同じ名前、否、マリアベルとの付き合いが長そうな雰囲気を見る限り、それは逆かも知れないとリシアは思い直す。その場合、凄まじい年齢となるので人間種ではないということになるが、マリアベルに負けず劣らずの厭世的な佇まいは、或いはあり得るかもしれないと思わせるに十分であった。


「巫女……この島に土着した渡り巫女ということですか?」


 渡り巫女は、旅をしながら祭りや祭礼などを助け、禊や祓いを行い、そして時には遊女の側面を持つことすらある巫女である。後に寺社のお抱えとなる渡り巫女もいるが、嘗ての群雄割拠の時代にあっては有力者の情報を売り買いし、時には客と閨を共にすることもある特殊な巫女であった。しかし、法治国家として躍進と効率化が図られ続けている皇国に在っては、神祇府が全ての巫女を統括し、渡り巫女は現在では政治的な理由から認められておらず、間諜の温床になる可能性があることから法律で禁止されてすらいた。


「わたしはそんなふしだらな女性じゃ……そう見える?」


「い、いえ、そうは見えないかと思います」


 少し傷付いたような表情のステアに、リシアは慌てて取り繕う。マリアベルとはまた違った遣り方で翻弄してくれる女性にリシアは溜息を吐く。


 ――ここは下手に出た方がいいわね。変に言質を取られちゃ敵わないわ。


 リシアは、沈黙を以てステアの言葉を促す。


「せっかちさんですね……ほんとそっくり」呆れたようにも嬉しそうにも見える表情をしたステア。


 効率的な行動を心掛けるリシアの軍人としての姿勢は受け入れられなかった。


「では、昔話を始めましょう」


 机に用意された紅茶を啜り、ステアは天井を見上げる。


「そうね、あれはマリィの未練とわたしの孤独から始まった物語……」


 懐かしむ様に、それでいて何処か憐れむような声音で呟くステア。


 そして過去が始まった。




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