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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第一章    戦乱の大地    《紫電清霜》
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第七八話    ベルゲン強襲 中篇



「ッ――――――――――!」



 声にならないリシアの声に、トウカは笑声を零そうとするが失敗する。


 不愉快極まりない浮遊感に晒されたトウカは、噴き出る冷や汗と激しく揺れる身体に言葉が出なかった。無理に口を開けば舌を噛みかねない程の激しい揺れに耐える兵士達を一瞥し、軍刀を握る手に力を入れる。


 トウカとて幾度かの実戦を経験しているが、空挺任務は初めてであり経験したことのないものであった。元より特殊任務の前線指揮を執ることなど、トウカの人生計画では想定してすらいなかった事態である。空挺兵などの特化した兵種を選択すれば、昇進しても野戦指揮官止まりとなり、軍中央への影響力行使が難しくなりかねない。運用方法の理解に努めることはあっても、自らが実演することなど悪夢に等しかった。


 だが、事此処に及んで作戦を選択できる程の余裕は蹶起軍にはなく、トウカも短期決戦を意図していた。


 故に、この世界最初の空挺作戦は実施されようとしている。


 戦闘爆撃騎の牽引から解き放たれた滑空輸送機が低空を飛来し、ベルゲンへと迫る。漆黒に塗装された機体は曙光を吸収して光の照り返しを最低限に抑えているが、その規模が大型であることもあり迎撃は避けられない。


 撃ち上げられる対空砲火と対空砲撃型魔術に機体が煽られる。これこそが機体を激しく揺らす原因であり、窓から覗く翼に目を向ければ小さな穴が開いており対空砲火の熾烈さを物語っていた。これに応じるかのように護衛の戦闘爆撃騎が降下し、対空陣地に大口径機関砲を撃ち込む。


 降下し始めた輸送滑空機。


 眼下に臨むベルゲンの街並みはこれでもかと言わんばかりに人の営みを、その無数の光源を以て示している。未だ航空攻撃に対する灯火管制の有効性が実証されない以上、光源対策が実施されていないことは当然と言えた。皇国の主要都市は、犯罪抑制の為、無尽灯……魔導式の街灯などの設置が進んでいたことも仇となる。


 トウカはそれらの点にも付け込んだ。大通りの確認は容易いと。黎明時という視界に難のある時間帯でも突入は容易と見た。


「衝撃に備えろ、若造共!!」


 滑空輸送機の操縦桿を握る古参兵が叫ぶ。機長を務めることを許されただけあり、その度胸に曇りはなく、操縦桿片手に拳を振り上げる。操縦席越しであるが、その裂帛の意志だけは痛いほどに伝わりトウカは内心で苦笑した。


「着陸するぞ!!」


 その声にトウカは身を固くする。座席に身を押し付け、軍刀を抱き締めて頭を下げる。痛いほどに強く喰い込む固定帯革(ベルト)すら、遠く忘却の彼方に押し遣るが如き緊張感。


 そして、衝撃が突き抜ける。


 足元から頭へと幾度も駆け抜ける衝撃。奥歯を噛み締めてトウカは耐える。


 ベルゲンは市行政府がある中央部から放射状に延びた幾つもの通りによって根幹を成し、それに合わせて発展する形で規模を大きくしてきた。その中でも市行政府の市庁舎正面から伸びる大通りは、軍の行進を前提とした規模を誇っており、これは皇国の城塞都市建設に於ける基本的な構造でもある。


 滑空輸送機は、大通り上を滑るように胴体着陸を敢行する。


 石畳を破砕する音と、断続的な衝撃に視界が揺れる。


 機体下部に装備された(そり)によって大通りを滑走する滑空輸送機。時折、響く鈍い接触音は爆撃による火災の消火活動を行っていた人員と、対空陣地に弾火薬を輸送する人員など轢いているのかも知れない、とトウカは揺れる機体の中で思考を続ける。


 徐々に滑走速度が低下し、辛うじて意識を外に向けられる状況となりつつある。隣席のリシアが頭を上げて状況確認しようとしていたが、トウカは軍帽の上から頭を鷲掴みにして無理やり下げさせた。


 一際大きな衝撃が襲う。


 壁に衝突したかのように、前方へ投げ出されるかのような浮遊感は、何かに衝突し機体の尾翼が持ち上がったからである。そして再びの僅かな浮遊感は、尾翼が再び大地へと叩き付けられたからに他ならない。


 あまりの衝撃の連続に対して張り裂けんばかりに早鐘を打つ心臓を押さえ、トウカは固定帯革(ベルト)を外そうとするが手が震えて中々に上手くいかない。トウカは舌打ちすると脚部に装備していた戦闘短刀(コンバットナイフ)を抜き放って固定帯革を切り裂く。隣で呻いているリシアの頭を小突いて、戦闘短刀の刃を人差し指と中指で挟み、柄の部分を差し出す。


「起きろ、降下猟兵(ファルシムルイェーガー)諸君! 戦争の時間だ!」トウカは肺活量の限りに叫ぶ。


 時間に追われている身としては、手早く機体の機首がめり込んでいる市庁舎へと突入を果たさねばならない。幸いにして邀撃騎が飛来せず、友軍の戦闘爆撃騎が制空権を保持している様子から、長距離通信設備を有した鉄塔の破壊は成功したのだろうと見当を付けつつ機長の下へと走る。機長も降下猟兵(ファルシムルイェーガー)であり立派な戦闘要員であった。


「ベルゲン急行の御利用、真に有り難うございました! またの御利用をお待ちしております!」


 機長の言葉に、「そりゃ勘弁だ!」「機内で死にたくはないな!」「次は龍都だな!」「なんの、皇都かもしれんぞ!」と返す特務降下猟兵一向。過激な空の旅を経ても閉口しないのであれば戦意に不足はないとみて間違いはない。


「機長……いや、地上に降りれば曹長か? 取り敢えず死んでいないようだな」


「……できれば、ハルティカイネン少佐の罵声で起こされたかったんですがね」


 機長改め曹長が切れた口元の血を袖で拭い、しみじみと呟く。個人的嗜好に対してトウカは聞かなかったこととする。


 罵声云々は別としても、確かに起こされるのは野郎よりも美少女の方がいいという点は大いに同意できる、とトウカは違いないと笑う。無論、叶うならば狐耳と尻尾が付いていれば文句はないのだが、とは胸中だけで続ける。


「サクラギ中佐! 準備はできています。負傷者はいますが四二名全員、戦闘及び移動に支障なし! 何時でも!」


 リシアの背後からの申告に、トウカは振り向いて降下猟兵(ファルシムルイェーガー)一同を見回す。戦意に不足なし。


 この戦闘は、単なる大御巫の捕殺を意図した作戦に留まらない。航空優勢の原則の証明と陸空立体戦(エアランド・バトル)という戦闘教義(ドクトリン)に加え、降下猟兵(ファルシムルイェーガー)による空中挺進戦術(エアボーン)という新しい試みが無数に存在する。その上、クラナッハ戦線では部分的ながらも電撃戦(ブリッツクリーク)の先駆けとなる戦闘教義(ドクトリン)を運用した。


 戦野に吹く新しき風。


 数々の新兵器を生み出し、既存の戦術とは全く違う戦術で敵軍を次々に撃破する新進気鋭の領邦軍中佐。


 多くの戦闘団将兵にとって、トウカに対する認識はそう変化しつつあった。


 期待されないはずがなかった。信頼と期待の眼差し。


 トウカは自身の理解できない色の感情が、降下猟兵(ファルシムルイェーガー)達の眼差しにあることを察して首を傾げる。トウカにとっては自身に行える限りの効率的な戦争をしているに過ぎず、それは他者から賞賛を受けるべきものではない。ましてやそれらはトウカの発案によるものですらなかった。


「まぁ、いい……諸君、任務は至って単純だ。大御巫を()るぞ!!」


 歪んだことで外の景色が垣間見える扉を蹴り開けたトウカ。


 目的は一つ。故に事は単純である。


「往くぞ! 我に続け!!」


『『『『『『『『『『『『『『『『『『応ッ!!』』』』』』』』』』』』』』』』』


 四〇名余りの応ずる声。


 軍人と称するよりも任侠者に思える姿。


 そして、異邦人と降下猟兵(ファムルムルイェーガー)達は戦火の燻ぶるベルゲンに降り立った。










「そこの貴方、状況は?」


 アリアベルは執務室の扉を開け、慌ただしく歩いていた将官を捕まえる。見てみれば〈中央軍集団〉砲兵参謀の任に就いているオスカー・ウィリバルト・バウムガルテン中将で、マリアベルは知らない仲でもなかった。


「大御巫……我が方の守備隊は極めて劣勢なるも、未だ師団に準ずる規模の装甲戦力を近郊にて押し留めております。なれど敵の一部戦力がこの市庁舎内に侵入しているとのこと」


「ッ!? 外周防護壁が突破されたの?」アリアベルは眉を顰める。


 城塞都市ベルゲンは建造以来、一度たりとも外敵の突入を許したことがない。無論、それは永く平和だったこともあるが、何よりも強固な防護壁が何者の突破も許さなかったことが大きかった。故に幾度かの大規模な戦闘に巻き込まれた際も、被害の大部分は防護壁が吸収するに留まっている。


 外周防護壁を突破しようと思うのならば、複数の列車砲や重砲による集中攻撃が必要となる。


 だが、前線では未だ激しい戦闘が続いているという報告が届いており突破されてはいない。寧ろ防禦から攻勢に転じつつあると耳にしていた。蹶起軍は高い機械化率と砲兵戦力にものを言わせた火力戦で初戦こそ優位に立っていたが、弾火薬の欠乏に伴う砲兵火力の減少に伴って徐々に戦線を縮小し始めている。


 何故、この場にいるのか?


 それ故に遙か後方のベルゲンに在って攻撃を受けるなど、征伐軍総司令部は予想だにしていなかった。無論、それはアリアベルも同様であり、決して責められる立場ではない。


「敵の侵入経路は?」


「空です、大御巫。既にこの総司令部へ浸透を開始してきております」簡潔に述べたバウムガルテン。


 アリアベルは絶句する。


 空は龍だけのものであり戦争の主役となるのは大地であった。飛行することはできても、戦争の大部分が陸で行われている以上、陸戦主体となることは極めて自然な流れである。航空偵察や防空任務に航空騎は運用されるが、大地に降り立って群がる陸上戦力と交戦できるだけの強大な龍でなければ陸戦に参加することはできない。そうした経緯もあって強大な種族としては認識されているものの、実際に戦場で猛威を振るうことは稀であった。


「龍騎兵が飛び降りたの?」


 そうであるなら軍用魔導障壁の展開が間に合わなかった事も納得できる。平時の要塞都市はヒトが容易く突き抜ける事ができる強度の魔導障壁による気温管理を行っているが、それ故に航空騎の突入を阻止できない。


「いえ、特殊な機体による……強いて言うなれば空中輸送かと」


 その言葉にアリアベルは首を傾げるが、バウムガルテンの詳しい説明に表情を曇らせた。


 特殊な機体……人員搭乗可能な貨物室に翼を装備した機体を航空騎に牽引させて市庁舎に突入させてきたと聞き、先程の振動はそれによるものだったのかと納得するアリアベル。執務室から顔を出した理由がそれだったので理由に辿り着いて心を落ち着ける。


 窓から窺えるベルゲン上空を乱舞する戦闘爆撃騎の群れにアリアベルは腹を決める。自分一人で逃げる気などは元よりないが、どちらにせよ制空権は蹶起軍側にあり、転化したアリアベルが龍になったとしても群がり撃墜されることは傍目にも明らかと言えた。神龍族とはいえアリアベルは未だ年若く、単騎で一個軍団を相手にできるであろうアーダルベルトは例外中の例外と言える。


「そう……なら私は執務に戻ります」


「それはッ! 避難下さい! ここは我らが引き止めますゆえ」


 バウムガルテンの言葉に、アリアベルは小さく笑う。


 今更である。


 アリアベルとバウムガルテンがいる場所は市庁舎の最上階であり、そこには征伐軍総司令部と執務室が配置されていた。征伐軍が市庁舎を接収した理由は幾つかあり、大型通信設備を展開できる大庭園がある点や大規模となる総司令部要員を全員収容できる施設である点。そして何よりも敵の砲撃を受け難い地点にあるという点であった。


 市庁舎はベルゲン中央にあり、全周囲からの砲撃距離が最も遠くなる地点でもある。建物自体が魔導障壁を展開可能なように建設されており、元より籠城戦の際の司令部として機能するようにもなっていた。そして、幾度かの改修が列車砲の長距離砲撃に対する防護を前提としている以上、上空を乱舞する戦闘爆撃騎の爆撃であっても耐え得る能力を有している。


 市庁舎が征伐軍総司令部にしてアリアベルの居城となったのは自然な流れと言える。


 だが、その形状が宜しくない。


 今、現在、市庁舎は敵兵の侵入を受けているのだが、それが一階からであり征伐軍総司令部や執務室のある最上階にいるアリアベルは逃げ道を失っていた。強引な手段ならばあるかも知れないが、上空の戦闘爆撃騎が目を光らせている以上、不用意な手段は死に繋がる。まさか将兵が見ている中で転化して飛び去るわけにもいかず、戦闘爆撃騎に撃墜される危険性も高い。


「私は大御巫……貴方は私に思うところがあるかも知れない。でも、いえ……だからこそ私は大御巫として振る舞わないとならない。多くの者達を死に追い遣る判断をした者として」


 アリアベルは千早を翻す。


 そう、背を見せることは許されないのだ。


 総ての皇国臣民がアリアベルを見ている。故に大御巫に相応しい振る舞いをせねばならない。死に至るその時まで。


 或いは自らの存在の定義が大きく変わるその日まで。


 最敬礼で応じたバウムガルテンに背を向け、アリアベルは執務室へと消えた。









「擲弾筒を使いなさい! 一々、相手の銃撃に構わないで!」


 トウカは、リシアの指揮を見て不足はないと判断する。


 リシアは装甲部隊将校だが、基本的には歩兵戦の指揮もできるのかその指揮は的確であった。特に手榴弾の使い方に関してはトウカも唖然とするほどに練達していた。廊下での戦闘の際、リシアは手榴弾を窓から外に投げ、外に展開した魔導障壁に弾かせることで対人阻害(バリケード)先の敵がいる地点付近の窓から再び室内へと投じたのだ。局地的な運用に過ぎないかも知れないが、それでもその能力の高さは十分に窺えた。


 降下猟兵(ファルシムルイェーガー)達が手当たり次第に部屋を開け、手榴弾を投げ込み、短機関銃を掃射していく様を眺めつつ、トウカは斃れ伏す多くのの遺体の間を縫う様に歩む。


 多くの遺体は司令部要員なのか戦闘服ではない軍装で、奇襲が成功したことを暗に示している。市庁舎突入時点で空からの襲撃に混乱していた征伐軍総司令部。その警護の任に就いていた中隊は有効な反撃もできず壊滅状態に陥った。無論、これはトウカ達とは反対側から滑空輸送機で突入したラムケ隷下の特務降下猟兵小隊と挟撃することに成功したからでもある。ちなみに残りの一機であるエップ隷下の滑空輸送機はベルゲンの主塔出入り口を担う大正門に対する攻撃を敢行していた。退路の確保に加えて装甲部隊が突入するという危機感を煽る為である。実際、遮蔽物の多い市街地では歩兵の接近を見落としやすく、戦車にとって理想の戦場とは言い難く突入は予定していない。


 無論、大正門に注意と危機感が向くことで、市庁舎に増援が向かうことを阻止するという目的もある。しかし、それ以上に退路を確保するという目的もあった。


 通信設備も大規模な物は破壊している以上、増援を呼ぶことは難しく、何よりも爆撃によって生じた弾火薬庫の火災の消火活動や戦闘爆撃騎への対空迎撃も行われている。市庁舎への攻撃など気付きもしていないという可能性すらあった。


「この階の上が最上階……敵総司令部よ。トウカも黄昏れてないで指揮しなさい」


「あんな巫女を相手にするのは御免だが、まぁ、仕方ない」


 トウカはげんなりとしつつも、リシアの言葉に頷く。


 最上階へと続く階段で抵抗を続けているのは巫女であった。降下猟兵(ファルシムルイェーガー)の面々は彼女達と何の呵責もなく、激しい銃撃戦と魔術戦を繰り広げている。


 物陰に隠れながらも三人は対処法を打ち合わせる。


「あれは神殿魔導騎士団の戦巫女よ。大御巫の護衛にして神祇府の唯一の実動戦力ね」


「数は少ないが……どうも戦い難い」


「同感ですぅねぇ。あの緋袴の隙間から覗く地肌がぁ何とも……大御巫のぉ陰謀か。全く以て度し難いぃぃ」


 全面的に同意するラムケに、トウカも鷹揚に頷く。


 莫迦がいると言わんばかりのリシアの視線を無視しつつ、トウカは思案する。


 時間的猶予がないので突破は可能な限り早期の方がよく、少々の犠牲も許容せねばならない。だが、戦巫女はリシアが精鋭というだけあり隙は窺えない。使われている対人阻塞(バリケード)も市庁舎の備品を扱ったものではなく、戦闘車輛の装甲を思わせる光沢をした鉄板が使用されている。


「しかし、中佐殿の開発した短機関銃は大活躍ですぅな。……その投射量を前面に押し出して突入すれば押し切れるのでぇは?」


「あの戦巫女とやらは近接戦が得意だそうだ。あんな直剣引っ下げている以上は近接戦に自信があるのだろう。俺は問題ありませんが」


 背負っている軍刀を揺らし、トウカは皮肉げに顔を歪める。魔導障壁を問答無用で斬り裂くことのできる軍刀を以てすれば意表を突くことは容易い。無論、近接できることが最低限の条件であるが。


「ふむ、某の出番では御座らんな」


 背後からひょっこり顔を出したベルセリカが詰まらなそうに呟く。


 確かにベルセリカは、この一連の戦闘で出合い頭の近接戦以外は然して出番はなかった。実は滑空輸送機が市庁舎に突入した際、機首に魔導障壁を展開して衝撃を軽減したのはベルセリカなのだ。頼もしい存在であるが銃火器を扱わないベルセリカは、基本的に近接戦以外は行わない。無論、魔術の扱いも秀でているのだが、余りにも強大な手札の存在をしられると大御巫に早期の段階で逃げる算段を付けさせてしまう可能性があった。そして何よりもベルセリカは切り札であり安易に頼ることは憚られる。


対戦車擲弾発射器(イェーガーファウスト)を使います。対戦車猟兵!」


 トウカの言葉に二人の降下猟兵(ファルシムルイェーガー)がしゃがみながらも進み出てくる。


 二人の降下猟兵(ファルシムルイェーガー)は三本の大きな筒を背負っていた。


 対戦車擲弾発射器……イェーガーファウストと名付けられたそれは、鉄筒製発射筒の上面に簡素な照準器と発射装置を備えている。発射筒内には発射薬として少量の黒色火薬が充填され、安定翼を折り畳んだ棒が付いた弾頭を先端に装着していた。構造としては無反動砲であり、弾体自体に推進力はなくその能力は安定性に欠ける。


 トウカはそれを見て、複雑な表情を浮かべる。


 ヴェルテンベルク領でトウカは数多くの兵器の発案、設計、開発に携わってきた。深い部分については知らないが、革新的な発案がそれらを補って余りあり、挫折なき開発という驚異的な兵器開発を実現したトウカ。


 だが、一つだけ深く苦悩することになった兵器がある。


 それが対戦車擲弾発射器であった。


 マリアベルは対戦車擲弾発射器(イェーガーファウスト)の設計図を見て、歩兵の火力が驚異的なまでに向上すると喜び勇んで即時の量産を宣言したが、トウカはこれに断固として反対した。これは揉めに揉めて、最終的にはマリアベルが折れるまでトウカは頑として首を縦に振らなかった。妥協として極一部が試作されるだけに終わった幻の兵器である。


 トウカは決して対戦車擲弾発射器(イェーガーファウスト)の能力に不満がある訳ではなく、寧ろその有効性は重々承知していた。しかし、未だ時期的に対戦車擲弾発射器の“歩兵全般が個人で戦車を撃破し得る”という能力を有した兵器が戦場に出ることを忌避したのだ。


 それはヴェルテンベルク領邦軍の主力が装甲兵器だからであり、それを打ち破る兵器が広く知られることを何よりも恐れたのだ。今暫く戦車は鋼鉄の野獣として近代兵器の象徴となって貰わねばならない。そして何よりも歩兵主体で国力に勝る帝国に対戦車擲弾発射器(イェーガーファウスト)が知られることは何としても避けねばならない。大事を取って関連技術である成形炸薬弾の取り扱いですら慎重を期している状況からもそれは見て取れる。


 この対戦車擲弾発射器(イェーガーファウスト)に関しても技術的には決してトウカが実現できる最上位のものではなく、弾頭に噴進推進機能のある携帯無反動砲などの発案も無理ではなかった。それを行わないのは一重に技術の拡散による不利益を忌避したからである。


「弾頭は榴弾だ。曲射の要領であの小娘共の頭上に見舞え」


 二人の降下猟兵(ファルシムルイェーガー)が、対戦車擲弾発射器(イェーガーファウスト)を構える。


 照準器に空けられた四角い穴を照門、穴から見える弾頭の頂点を照星とする簡素な構造となっているそれを覗き込んだ二人の降下猟兵。それを援護するために、トウカやラムケも短機関銃で制圧支援を行う。周囲の降下猟兵と共に短機関銃や機関銃、小銃による全力の射撃に、流石の戦巫女も阻害に身を隠すしかない。


 畳まれた状態の照準器を兼ねた安全装置を射撃位置に引き起こすし、撃発操作可能な状態で構える姿に一抹の不安を抱くトウカ。使用後は爆破処分する予定だが、戦場では万が一というものが数限りなく転がっている。


 撃発装置の上部にある発射(ボタン)に力を込める降下猟兵(ファルシムルイェーガー)の二人。試射の経験はあるはずだがその表情には緊張が見て取れる。


 一層の力が発射釦(ボタン)に力を込められた。


 炸裂音。銃火器よりも野太い火薬の炸裂音が響き、発射煙が周囲を満たす。


「あ、不味い」


 着弾の轟音が響き、周囲を熱風が満たす。


 そして、吹き飛ばされたリシア。


 後方噴射(バックブラスト)の注意点を教えていなかった為に、運悪く対戦車擲弾発射機の運用を担った二人の降下猟兵(ファルシムルイェーガー)の後ろにいたリシアが背後に吹き飛ばされる。携帯型対戦車兵器というものが一般的でない世界において後方噴射というものは一般的ではない。起き上がったリシアを見る限りは防弾障壁を展開していたのか外傷はないが、その表情はどう見ても怒っていますというものであった。


「そ、総員突入! 敵に態勢を立て直す暇を与えるな!!」


 トウカは抜刀して叫ぶと、其々の武器を手に突入を開始した降下猟兵(ファルシムルイェーガー)に続く。


 決して逃げ出したのではなく、これは明日への進撃である。


 それがトウカの決断だった。











「戦わないと」


 〈中央軍集団〉軍狼兵参謀であるヴォルフローレ・フォン・ハインミュラーは白銀の髪を掻き上げて髪留めで固定すると、腰に佩用した曲剣(サーベル)を抜き払い刀身を眺める。手入れを怠っていなくとも武器というものも物質である以上、劣化は避けられない。


 曲剣(サーベル)をぶんぶんという擬音が出そうなほどに振り回す。瑞狼族の膂力はそれを容易く実現する。


「バウムガルテンは隅で隠れてて。弱い、邪魔」


「言われずともそうさせて貰うよ。二度ならずも知らず知らずの内に君の未来に影を落とす様な真似はしない」


 同僚にして戦友、そして嘗ての恋人という複雑な関係を持つ男は然して異論を挟むこともなく、鷹揚に頷いた。それは悲しいことでもあるが、同時に自らが捨てた未来であり、それは何としても納得せねばならない現実である。


 ――オスカー……私は貴方を……


 その時、一際大きな爆発音が響く。


 下階に繋がる階段から噴き上がる黒煙。そして、ヒトだったものの破片。


 ヴォルフローレは飛来した戦巫女の千切れた片手を曲剣(サーベル)の峰で叩き落とし、右手で再び曲剣(サーベル)を構え直す。発破でも投げ込まれたのか、飛び散るヒトだったものの破片に顔を青くする者もいるが、ヴォルフローレにとっては驚くに値しない。軍狼兵として実戦経験は豊富であり、隣国の《リルハイム王国》で発生した動乱の鎮圧でも活躍し、装虎兵指揮官としては《ヴァリスヘイム皇国》有数であった。


 黒煙を突っ切り極めて速射性の早い銃を手にした兵士達が突入してくる。同時に魔導士も突入し、魔導障壁を展開すると銃火器を構えた兵士の楯となる構えを見せた。その動きは素早く、閉所戦闘を前提とした部隊なのか突入に合わせて生じた間隙を突く形で混戦に持ち込もうと目論んでいたが、止むを得ず引き倒されて阻害と化したノルンヴァルト樹の会議机に身を隠す。


 初撃の速射に押された為に斃れ伏した司令部要員の遺体を押し退けて、転がっていた小銃を手に取ると槓桿(コッキングレバー)を引いて初弾を薬室に叩き込む。


 隣では虎の子の機関銃を三人がかりで射撃している参謀飾緒を付けた将官がいるが、突入してきた漆黒の軍装の兵士の中に混じった複数の魔導士が長大な魔導杖を手にして魔導障壁を多重に展開している為、集中しても貫徹には至らない。


 だが、戦況は膠着しない。


 一人の女騎士が悠然と銃弾と魔術の飛び交う戦場に降り立つ。


 強い。


 ヴォルフローレは小銃を置き、再び曲剣(サーベル)を手に取る。


 銃という武器は汎用性に富んだ武器であるが、未だ皇国にとって力の象徴とは剣である。魔術的な優位性に加えて、神話上の刃が数多く残存しているという現状もそれに拍車を掛けた。


 神を殺し得る剣は在れども神を殺し得る銃は無し。


 総合的な能力の差異が大きい剣だが、確かに神に届く一振りは存在する。その一点だけは銃どころか地上に存在する大多数の武器、兵器が実現できない現実であり、他のあらゆる利点を凌駕し得る長所でもあった。


 だからこその象徴。


 そして、それらに届けと多くの剣を生み出し、研鑽を続けたのが皇国の歴史でもあった。神には届かずとも高位種が命を遣り取りすることに耐え得る剣も少なからず存在する。


 ヴォルフローレが手にしている曲剣(サーベル)もそうした一振りであった。


 その時、疾風が吹き抜ける。


 咄嗟に巨大なノルンヴァルト樹の会議机を無理やり押さえ付けて何とか耐えるが、隣で機関銃を扱っていた将官達は対人阻害(バリケード)や機関銃諸共後ろへと吹き飛ばされる。対人阻害(バリケード)として使われていた会議机はかなりの重量物であり、背後の味方に少なくない被害が出たことは想像できた。だが、ヴォルフローレは部屋の隅の柱の陰で長剣を手にしているバウムガルテンの気配を感じ取るだけで背後を顧みることはない。


「ふむ、御主は中々の手練れと見た。残念ながら某は名を名乗れぬが、今時では然して珍しくも御座らん。許されよ」


 大太刀を肩に担いで猛々しい笑みを浮かべた戦狼に、ヴォルフローレは無言で曲剣(サーベル)を構え直す。


 膠着状態になろうとしていた戦場が、たった一人の介入によって傾いた。


 そんなことは皇国の有史以来幾度もあった事象であり、その一端を担う高位の種族としてヴォルフローレはこの状況に対して全力で立ち向かわねばならない。


 無言のままにヴォルフローレは構えた曲剣(サーベル)の切っ先を小さく揺らす。交わす言葉などない。


 先に動いたのはどちらか。


 ヴォルフローレは先に踏み込んだ心算であったが、対する女騎士もほぼ同時に踏み出し、二人は直線状の中間地点で刃を合わせることとなった。確かに先手を取ったが相手は同時に踏み出したと思えるほどに素早く即応した以上、この斬り合いに先手という概念はなきに等しい。


「――――ッ!!」


 一撃。

 二斬。

 三突。


 ありとあらゆる部位に刃を向けるが、女騎士はその全てを大太刀だけで受け流して身体を捻るなどの動作は一切行わない。種族としての差も然ることながらその剣技には一切の無駄がなく、皇国にあるどの流派の剣術とも違った。高位種の中でも長きに渡り生命を紡いだ者は己に最適な様に剣技を変質させるからであり、それは眼前の女騎士が長命な高位種であるということを示す事実に他ならならない。


 名のある騎士。


 だが、それならばそれ相応の名声と共に軍人であるヴォルフローレの耳には届くはずである。眼前の女騎士の容姿は、今まで耳にした練達の戦技を有した高位種達のものとは当て嵌まらない。


 遠き日の伝承にも記された曲剣(サーベル)だが、耐えかねて悲鳴を上げ始める。相手の大太刀も決して通常の刀剣ではなく、恐らくは名のある一振りなのだろうと推測できる。名刀や名剣は相応しき者の手中に収まるのが定め。


 敵わない。


 銃声と魔術が飛び交い、悲鳴と呻き声の満ちた小さな戦場で二人は剣戟を続ける。


 ――手を抜かれてるッ!!


 焦りが生じたヴォルフローレだが、その隙さえも突かれることはない。


 だが、両翼から速射性と魔導障壁を前面に押し出して前進を始めた敵兵士達に、自身が拘束されていることを悟る。司令部要員と兵士では戦技に大きく差があり、その上装備も大きく劣る。高位種や中位種は師団長に多く、司令部にいる高位種や中位種はその多くが前線に視察や折衝に出ていた。


 実質、この場にいる征伐軍の高位種はヴォルフローレのみ。


「――――――――――!!」


 体当たりを前提とした突撃。最早、手段を選んではいられない。


 退路がない以上、ここで敵を殲滅乃至、撃退するしかない。外部への通信が、飛び交う魔術の影響と通信設備を手当たり次第に破壊された影響で不可能な以上に、周辺は空襲と火災の為に救援どころの騒ぎではなかった。


 腹部に鋭い痛みが走り、ヴォルフローレは倒れる。


 転がる曲剣(サーベル)を視線で追うが、腹部に生じた傷がそれを許さない。腹部を振るえる手で抑えるが、生暖かい血は止まる気配を見せない。余りの激痛に簡易的な回復術式の展開もできず、ヴォルフローレは血の混じる咳を吐きながらも小さく笑う。


 神経の集中している部位を咄嗟に展開した魔導障壁すら粉砕して蹴り抜かれたことは一目瞭然で、脂汗が額に滲むがそれを努めて無視して相対していた女騎士を見つめる。


 何の感慨もなく、脚甲の爪先に付着した血を振り払う女騎士。


 正道の剣技ではない邪道の体術に負けることを恥ずかしいとは思わない。ヴォルフローレとて戦場が綺麗事の通じない場所であることなど疾うの昔に理解している。


 悪くない人生だった。愛する人がいて、それを護って戦い、しかも相手は命を散らすに相応しい者だった。


 ――でも、叶うなら……


 謝りたい。何も言わずに去ってしまった私の不義理をあのヒトに。


「……でも、いいや……」総てを諦める。


 徐々に霞む視界のなか楽しくも滑稽な、それでいて何処か暖かな日々が脳裏を過ぎるが、その時、不意に翳が射す。



「申し訳ないがここは通せない。皇国は貴殿に借りがあるが、この仔犬は私のモノなのだ」



 悠然と進み出る中年も半ばの男。


 オスカー・ウィリバルト・バウムガルテン。


 長剣を構えた最愛の人は、ヴォルフローレの前に立ち長剣を構える。


「斯の身を楯にすることも叶わない老い()れだが意地がある」


 裂帛の気合いを漲らせたバウムガルテン。先日まで老体には冬の風が滲みると呻いていたその面影は見られない。在りし日の、堅物で当然の様に気障ったらしい言葉を吐くどうしようもないヒト。


「やらせはせん……愛する者を護れず何が男だ」


 吐き捨てるように紡がれた決意。


 それは遠き日に諦めた言葉。胸に仕舞い込み、永遠に聞くことはないと誓った一言。


 今更。


 何故、追い掛けてその言葉を囁いてくれなかったのかと思う一方で、自ら身を引いた以上聞くことは許されないと、在りし日に見て見ぬ振りをした言葉にヴォルフローレは肩を震わせる。


「だめ……逃げて……」血塗れの手でバウムガルテンの脚を掴む。


 女騎士の戦技は卓越しておりその魔術も未だ片鱗すら見せていない。ヴォルフローレの剣技に応じる形で合わせてくれたことは称賛に値するだけでなく騎士道の発露とも取れた。


 恐らくは英雄の類。


 敵わないとヴォルフローレは刃を重ねる前に思ったが、それ以前に土俵そのものが違ったのだ。羽根虫が獅子に立ち向かうが如き無謀であったかも知れないが、ヴォルフローレは英傑と戦えた奇蹟に感謝はしても後悔はない。だが、その結末にバウムガルテンが立ち塞がるというならば、それは断じて認められないことであり万難を排して阻止せねばならない。


 不意に女騎士が動く。


 くの字に身体を折られたバウムガルテンが片膝を突く。


 霞む視界だが女騎士が刃物を投げたことは分かった。興味などないと言わんばかりの振る舞いであり、バウムガルテンの決意は何ら興味を引くに値するものではなかったのだろう。幾多も戦場を駆ければこの程度の決意は掃いて捨てるほどあり、戦場で情に流される理由とは成り得ない。


 ヴォルフローレは脇腹を押さえて片膝を突くバウムガルテンの肩を掴み、やっとの思いで上体を起こすと残った力を振り絞って抱き締める。


「死なせ…ない……」


 女騎士に背を見せる形になる。背後から聞こえる溜息に不興を買ったのだと理解するが、そうぜずにはいられなかった。ここで散り往くとしても一人では逝かせないという決意。少なくとも一人ではないなら、今までのように寂しい思いをさせずにすむという死に際に見つけた一筋の希望。


退()け……ローレっ! 君は男の……私の矜持まで奪うのかッ!」


 言い返したいことも謝りたいこともあるが、血の滴る口元は最早上手く動かない。指先が震え、最愛の人の悲痛な表情すらも霞み始める。


 背後では小さく風を切る音が響く。


 振り上げられた刃。


 最期の刻が迫ろうとしていた。





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