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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第一章    戦乱の大地    《紫電清霜》
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第六七話    軍事と仁義




「我等は殿(しんがり)となる。まぁ、勝算はある」


 トウカはそう口にすると卑しく嗤う。


 征伐軍の装虎兵と戦車の混成部隊が接近している中にあって、トウカが指揮権を受け取った〈第一装甲聯隊『ラインバッハ』〉の将兵は愛車に乗り込んだままに困惑顔で耳を傾けていた。


 傲岸不遜に、そして何よりも卑怯未練に。


「あらゆる手段を以て装虎兵に抗する。野良犬が殺せて野良猫が殺せぬ道理はない」


 指揮型Ⅵ号中戦車の天蓋に立ち、車長用司令塔(キューポラ)から上半身を出して耳を傾けている装甲兵に、トウカはベルセリカの手を恭しく取って見せる。


「我等には無双の騎士殿も居る。機動師団を撃破した装甲部隊として戦史に名を残すだろう」


 実際のところ勝算はないが、少なくとも負けない戦闘は不可能ではないと、トウカは踏んでいた。


 平均的な能力を有した装虎兵の魔導障壁も決戦距離ならば重砲の至近弾やⅥ号中戦車の長砲身砲、Ⅵ号自走対戦車砲の対戦車砲の直撃で致命傷を与えられることは性能試験の結果から明らか。効力射さえ行うことが叶えば一方的な砲戦さえ可能である。


 無論、それは限りなく不可能に近いことであった。


 トウカの知る主力戦車とは、高度に電子的な指揮、射撃統制装置を装備している。走行中であっても主砲照準を目標に指向し続ける自動追尾機能を実装し、液晶入出力画面(タッチパネル)操作でも主砲砲射が可能であった。故に大きく左右に蛇行しながら正確無比な行進間(スラローム)射撃すら可能としており、敵の機動力に関わらず高い砲安定化能力に依って立つ砲射は決戦距離内での百発百中を可能とした。


 当然であるが、装甲兵器に莫大な資金を注ぎ込んでいるヴェルテンベルク領にあっても、その様な装備を戦力化する目処はなく、また計画すらされていなかった。


 装甲兵器とは、無数の技術大系の集大成である。


 その装甲や火砲、駆動部を構成する部品は複雑な計算によって設計され、高度な冶金技術によって製作される。そして製造された兵器を維持する為に練達の技術者を必要とし、時代に合わせた改修と改装を行う必要性すら生じた。細々とした技術の集大成であり、実情としてトウカの知らない技術の割合は遙かに多く、それは各国の軍隊が築き上げた技術史の集大成なのだ。


 技術とは正式な道を辿らずして実用化されることはない。


「さぁ、諸君。戦争だ! |戦車、前へ(Panzer vor)!」トウカは両手を広げて命じる。


 隣のベルセリカは大太刀を振り上げる。


 戦争だ。


 戦略的価値のない、戦術的勝利を得る為の闘争。


そんな闘争で失われる命。責任の全てがトウカに帰属する。


 トウカはマリアベルを信じすぎたのだ。


 あれほどに周囲を疑っていたトウカだが、マリアベルにだけは警戒はしても不信感を抱かなかった。それは復讐という目的に溺れず、冷徹にして冷静な意志の下に判断を下し続けているという評価に依るところであったが、この大規模な内戦に於ける転換期となるべき一戦に対する考え方は大きく違った。


 トウカは征伐軍枢機の瓦解を狙い、マリアベルは征伐軍戦力の漸減を意図した。


 過程は類似しているように思えるが、その目的と結果は大きく違う。回天を意図した前者に対して、堅実な結果を求めた後者。


 異邦人は廃嫡の龍姫に信頼されてはいなかったのだ。


 上手く掌の上で踊らされていたことは疑いない。戦闘団の作戦準備全般をトウカに任せ、一切口を挟む事はなかったのは、信頼ではなく戦線に突破口を生じさせることが出来るならば後は興味がなかった故であろう。或いは好きにすると良いと考えていたのかも知れない、とトウカは双眼鏡を強く握りしめる。


 ――負けない戦闘はできる。だが、それは最終的に戦力を保持したままの後退になる。


 戦闘団の戦闘能力を維持したままに戦線を突破することが目的であったが、それはもはや敵わない。例え、ベルセリカを前面に押し立てて突破したとしても、装甲部隊の被害は甚大なものとなる。強大な個人であっても集団を一人で守護することは容易ならざることであり、相手が装虎兵であれば尚更であった。


 故に作戦目標は撤退に切り替わる。


 既に小隊長以上の立場に在る野戦指揮官には伝達済であり、ザムエルとリシアも渋々ながら了承しており、二人はⅥ号自走対戦車砲やⅥ号対空戦車などを率いて両翼の森に伏兵として展開していた。


 トウカの搭乗する指揮戦車を追い抜き、前進を開始する。


 車長用司令塔(キューポラ)からその光景を眺め、トウカは背後にも目を向ける。


 Ⅵ号自走重榴弾砲を有した重榴弾砲大隊が展開しており、弾薬運搬車を有する為に長時間の砲撃支援も行えた。


「本車も前進する。セリカさんはそのままで」


「うむ、承知した」


 砲塔に腰を下ろしているベルセリカだが、振り落とされる心配はなく、寧ろ敵の砲弾や砲撃型魔術など容易に叩き落としてくれるとトウカは期待していた。何よりもトウカよりも先に優れた感覚器官で接近する敵を早期発見できるという点が重要である。


 重低音と衝撃を響かせて前進を開始し指揮型たⅥ号中戦車。


 トウカはひっそりと溜息を吐く。


 聯隊司令部付きの戦車も既に投入しており、周囲に展開している友軍がいない為に、気取られることはない。


「旗色は悪くは御座らんであろう」


「ですが、初期作戦目標の達成は不可能となりました」


 決定的な火力があれば可能かもしれないが、“戦艦”でも引っ張ってこなければ勝利は覚束ない。装虎兵という存在を撃破するにはそれほどの火力集中が必要であり、その上、密集していないならばその量は飛躍的に増大する。


 威力を伴った面制圧砲撃。その様な状況を戦場で演出するには巨大な組織とそれを運用し得る人材に、入念な準備と何よりも“運”が必要であった。


「御館様、上を見よ」


 不意に口を挟んだベルセリカの言葉に、トウカは氷雪が降り続ける空を見上げると、そこには小さな龍影があった。


「単騎……偵察騎か」


 この戦域の制空権は完全にヴェルテンベルク領邦軍が有しており、上空を飛来する航空騎はその全てがヴェルテンベルク領邦軍騎であるはずであった。無数の戦闘爆撃騎と対空戦車が跳梁跋扈する戦域に、集団での航空作戦という概念に薄い皇国陸軍の航空部隊が進出してくる可能性は限りなく低い。近接航空支援の有効性と重要性に気付いている者がいない世界で陸上戦力だけが戦端を開くということは、航空騎が存在しないということに他ならない。防空戦闘にも少数しか表れなかったところを見るに、陸上部隊と航空部隊の連携体制自体の確立が成されていないということも有り得た。


 ――俺を疑うか、マリアベル。


 遙か高空の御目付け役に、トウカは失笑を零す。


「逃げはしない。せめて一撃は加えてやるさ」


 押し上げた戦線を消費する形で後退しながらの戦闘を続け、敵機動師団の戦力を削ぎつつも持ち堪えねばならない。


 それがマリアベルの意志なのだ。


 両翼の〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉と〈ヴァナルガンド軍狼兵聯隊〉のどちらか、もしくは双方が駆け付けて機動師団側面を突くか、或いは航空部隊による大規模な空襲を意図して体勢を立て直しているのかまではトウカの判断の及ぶところではないが、何れにしても少なくない時間を稼がねばならないことは確かであった。


「俺は試されているッ!」トウカは歯噛みすると砲塔の天蓋に拳を振り下ろす。


 マリアベルは決して無能ではなく、同時に必要以上の被害を嫌う人物であるとトウカは考えていた。少年一人の覚悟を試す為だけにヴェルテンベルク領邦軍将兵を必要以上の危険に晒すことなどあってはならず、この期に及んで無数の作戦目標をこの一戦に詰め込まんとするその姿勢にトウカは失望するばかりであった。


「……下らぬことを考えるでない。敵が近づいておるぞ」呆れた様なベルセリカの声。


 トウカが双眼鏡を手に取り、前方を見据える。


 遠方に立ち昇る雪の飛沫。


 装虎兵と戦車、そして合流した残存軍狼兵を加えた機動師団の実動戦力のほぼ総てを投入したその偉容は言い知れぬ威圧感を放っている。装虎兵や軍狼兵は戦車よりも小型であるが、その威圧感は決して劣るものではない。


「ッ! 分散した! 後退だ!」


 遠方で舞い上がる雪の飛沫が両翼を左右に伸ばして、一部が森林へと差し掛かったのを見咎めたトウカは大音声で怒鳴る。


 トウカは指揮官席脇に掛かっていた小型擲弾拳銃(カンプフピストーレ)を手にして、真上へと銃口を向けて撃ち上げる。


 タンネンベルク28.0㎜小型擲弾拳銃。


 開発以前より、信号拳銃は戦場で銃口に手榴弾を取り付け、即席の擲弾発射器として運用されていた。


 そこで皇国陸軍は、この信号銃を擲弾発射器に作り変えることを要求し、タンネンベルク社は滑腔式の銃身に施条(ライフリング)を入れて小型榴弾発射器として開発した。これが|擲弾拳銃(Kampfpistole)と呼ばれる、後の携帯型擲弾発射機の嚆矢であるが、外見は従来の信号拳銃と変らず皇国陸軍に於いて主力とはなり得なかった。


 それは、射出される手榴弾とも言える擲弾発射機の能力を、その腕力だけで実現できる数多の種族が皇国陸軍には数多く所属していたからである。


 しかし、種族的な能力に起因する戦闘を行い続けることに対して、近代化の停滞という閉塞感を懸念していたマリアベルは擲弾発射機の研究開発を継続させていた。


 結果として、開発当初は信号弾程度の小型榴弾のみが使用可能であった。後に銃口側から差し込む大口径で威力の高い榴弾が使用可能となった弾頭の大型化に伴う炸薬量の増大によって小型迫撃砲に準ずる大威力を持つようになる。小型の対装甲車輛兵器としても期待された。代償として弾頭の大型化で反動が強くなったが、折り畳み可能な銃床や照準器を装備した発展型戦闘擲弾拳銃(シュトゥルム・ピストーレ)も製作され、北部貴族領邦軍では広く運用されていた。


 撃ち上がる信号弾の色は後退を表すものである。


 目論見は崩れ去った。


 対戦車陣地(パックフロント)とは敵戦車を待ち伏せ小隊単位で互いの死角を補い合い、単一の敵に集中砲火を浴びせ確実に仕留めていく戦術で、|パック(PaK)とは対戦車砲を指し、|フロント(Front)は前線という意味であった。


 ザムエルとリシアは、それぞれが戦車駆逐大隊、自走対空砲大隊、自走対戦車砲大隊を二分して指揮していた。〈第五〇一機動師団『ヴェルゼンハイム』〉側面に集中砲火を加えて、一騎ずつ仕留める予定であったが、敵が交戦を前に戦力を両翼へと分散させた為に〈第五〇一機動師団『ヴェルゼンハイム』〉の進撃路と予想される地点を襲撃可能な場所に展開したことは無意味となった。森林地帯であることや、前衛軍狼兵聯隊との戦闘によって血と硝煙に満ちた戦場は軍狼兵であっても大きく索敵能力を減じる事は疑いないが、対戦車陣地(パックフロント)の欠点がここで露呈した。


 敵戦闘単位の行動予測をある程度、正確に行わねばならないのだ。


 奇襲の要素が強く、受動的な戦術である対戦車陣地(パックフロント)は敵方の予想外の行動に対して対応できない。自走化による機動力向上を以てしても、装虎兵や軍狼兵を主体とした戦力の前では相殺されてしまう上に、障害物の多い森林地帯では、小回りの利く装虎兵や軍狼兵は装甲兵器よりもその機動力は勝っていた。


 故にザムエルとリシアが率いる双方の部隊の撤退は間に合わない。


 ――如何するべきだ!? このままではッ!


 先の戦闘による血と硝煙によって生じているであろう索敵能力低下の為か、ザムエルとリシアの率いる部隊に気付いた動作を見せてはいないが、共に両翼の森林地帯を通過する事を意図している為に接触は時間の問題であった。


「御館様、御指示を」


 ベルセリカの声に、トウカは双眼鏡を下ろす。


 見捨てるべきか。そんな選択肢がトウカの判断を鈍らせる。


 二人が指揮している戦力を統合した数以上の戦力が、この戦域正面に位置するトウカの旗下には集められており、戦力の保全を考えれば軍人としての判断として決して間違ったものではなく、二人も納得はできずとも理解はするだろう。


 軍に於いて特殊な事情がない限り、指揮官が旗下の戦力の保全に努める事は正しいことであったが、自らの指示によって生じた責任を二人が蒙るという事実は余りにも重くトウカに圧し掛かった。


 トウカの胸中では、打算と効率、そして己の意志が鬩ぎ合う。


 通常の軍隊ならば可能な限りの戦力保全は指揮官として当然であるが、領邦軍は貴族の子弟や領内の近しい者達ばかりで編成されており、正規軍以上に同胞を見捨てるという行為に敏感であった。そして〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉は、電撃戦というその攻勢縦深から突発的状況が発生し易く、現場の独断が多分に求められる戦闘教義(ドクトリン)を実施する為に下士官などの中堅層が極めて厚く、それらの喪失は後の再編成にも大きく影響する。


 否、言い訳である。


 この場からの撤退は有り得ない。


 これから先、味方を見捨てたという看板を背負ったままに仔狐の前に立てる度胸を異邦人は持ち合わせていない。最低でも体裁を整えねばならなかった。


 そして、決して多くの物事に対して懐疑的であるトウカを戦友だと言ってみせたザムエルと、銃口を向けても尚、トウカに従い続けるリシアという得体の知れない健気を見せる女性を純粋に死なせてはならないと思った。


 二人はこの一連の戦闘に於いて、トウカを信じて事実上、その意見の多くを受け入れていた。ザムエルは勿論であるが、リシアもトウカと意見の衝突を繰り返していたものの最終的にはそれに従った。


 トウカは二人の挺身に応えねばならない。その義務があった。


 ――しかし、勝算はない。


 勝算なき戦いに将兵を投入することは憚られる。


 打算と感情。

 勝算と意地。

 義務と私情。


 あらゆる感情が異邦人の胸中を掛け巡り続けていた。










「支援はならぬ。今少し見極めよ」


 マリアベルは長年の盟友の言葉を切って捨てる。


 次々と上がる報告からは〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉の劣勢を伝えている。クラナッハ戦域後方に特設されたヴェルテンベルク領邦軍前線司令部の司令席で、煙管を片手に紫煙を吐き出すだけのマリアベルは、胡乱な瞳で作戦参謀が地形図に書き込む情報と動く駒を見つめ続けていた。


 魔術によって自動で戦況の変化と共に配置し直され続ける駒は、まるで遊戯盤の様ですらある。酷く現実感を欠く光景であった。


「中将閣下、早急な支援を行わねば〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉は壊乱いたしますが? 別働の装甲大隊も付近に展開しております。それを向かわせるべきかと」


 地形図に右手を振り下ろして力説する領邦軍司令官にして盟友である女性の冷厳な声音に周囲の者達が肩を縮ませる。生来は温厚にして女性的な佇まいだが、戦野に於いては悪鬼羅刹の如き線を身に纏うことで北部貴族の中では有名であった。優秀な人材が多いヴェルテンベルク領邦軍にあってもこの褐色の肌に銀糸の様な長髪を持つ女性は愚直なまでに軍人であり、何よりもヴェルテンベルク領邦軍を発展期より支え続けていたという自負を持っている。



 イシュタル・フォン・イシュトヴァーン。



 ヴェルテンベルク領邦軍司令官であり、この内戦と同時にクラナッハ戦域に投入されたヴェルテンベルク領邦軍の大部分を直率してクラナッハ戦域の維持に努めていた。後方指揮をマリアベルが行い、前線指揮をイシュタルが行うという分担は既にヴェルテンベルク領の発展期以前より続いていたことで、二人は互いの偏屈なまでの在り様を深く理解しあっていた。


「妾にも、あの阿呆ぅ共が危機であることくらい分かっておるわ」


 状況が一刻を争う事態であることは次々と耳に入る戦況と、地形図の上で進撃を続ける駒を見れば嫌でも理解できる。 


 これは戦闘団を実質、指揮しているであろうトウカのこれ以上ない危機である。


 マリアベルが最前線にある〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉の情報を然したる時間差もなく入手できているのは〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉上空に、ヴェルテンベルク領内に数人しか存在しない高位魔導士を搭乗させた偵察騎を投入していたからであった。比較的、魔力濃度が低く、主戦場となっていない高空は膨大な数の魔術行使によって生じる著しい能力低下に見舞われておらず、高位魔導士であれば長距離思念波や魔導通信の運用によって戦域内程度の範囲であれば通信可能であった。


 ――イシュタルめ、分かっておる癖に言いおるわ。


 偵察騎を投入することは戦況確認という観点からすると間違いではないが、常に一つの戦闘単位の上空に偵察騎を展開させ続けていることはマリアベルの関心が著しく強いということの表れでもあった。


 それを盟友が理解できないはずがない。その点を指摘しないということは、マリアベルの考えを相応に察しているということであろうが、それでも尚、諫言を続けるのはその生真面目な性格故でもあった。


「では、支援を」


「ほぅ、紫煙のぅ」


 咥えていた煙管を離し、紫煙を吐き出すマリアベルにイシュタルの頬が引き攣るが、その程度で憤慨するほどに気の短い女性ではなかった。そうでなければ、マリアベルという名の無邪気な暴君に何百年と仕え続けることなどできはしない。


「これは分水嶺でな」


 北部蹶起軍の起死回生の一手。


 それはイシュタルも理解しているであろうが、マリアベルにとっては蹶起軍如きの進退などよりも遙かに重要な問題の結末が訪れようとしている現状では、諫言など煩わしいものでしかなかった。


「はっ、確かに蹶起軍の分水嶺です。しかし、ここで〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉が壊乱した場合――」


「蹶起軍など如何でもよいわ」一言で斬って捨てるマリアベル。


 信頼の置ける将校で編制された領邦軍司令部でなければ一悶着起きたであろう一言にイシュタルが顔を引き攣らせる。


「閣下、斯様な事を言われては戦野の将兵が余りにも不憫かと」


 同じく司令部に詰めていたヴァイトリング砲兵中佐の宥めるような言葉に、マリアベルは興奮しすぎたかの、と薄く嗤う。


 これは分水嶺である。


 《ヴァリスヘイム皇国》という国家の興亡。


 ヴェルテンベルク領の鎮護。


 遙かなるクロウ=クルワッハ公爵への報復。


 それらマリアベルが永きに渡り掲げ続けていた大願。


 しかし、マリアベルにはその手段がなかった。ヴェルテンベルク領の発展の為に四〇〇年近い時を消費したが、その過程で得た答えは一地方領主や一地方の地力では己が悲願を叶える事など叶わないという事実であった。


 故に、それらを補う優秀な人材が必要となる。


 そして何よりもその人材の中核となる人物。


 即ち、己の意志を継承する後継者。


 自らがその目的の一つすら叶えられないと識ったのは、龍の一生にして瞬きするだけで戻れる程に近い過去。時間に追われるように後継者を求める中で見つけたのがザムエルやリシアであったが、何れもが非凡なる潜在能力を有しつつも、その全てを満たし得る存在ではなかった。だが、その過程で、只、(いたずら)に永き生を紡ぐ長命種よりも、短命種……それも、明日をも切り開く力を与えられたと創世神話にある人間種が遙かに強い意志を持つと察するに至ることを悟ったのは大きな収穫と言える。


 その短くも、儚き生であるからこそ、一途に、そして何よりも苛烈に歴史上を駆け抜ける。


 奇蹟とは起き得ないからこそ奇蹟と言うという持論を持つマリアベルだが、人間種とは往々にして奇蹟を起こす種族であった。その代償として己や最愛のヒトの生命を失う結果すらも恐れず、受入れ、尚も前に進まんとする姿勢。


 振り返れば歴史上で名を遺した人物は、他種族に対して人間種の総数が勝っているという事実を差し引いても人間種にこそ多くあった。


「見極めねばならぬ。あれが皇国の、いや妾の」


「報告! 〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉隷下の装甲聯隊が移動を開始!」


 その言葉に司令部に沈黙が降りる。


 息の詰まる様な沈黙。


 〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉の壊乱や後退は、クラナッハ戦域の失陥に繋がることは容易に想像できる。


 狂信的な火力集中によって戦域中央に破孔を生じさせ、突破を試みていた〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉だが、マリアベルの上位命令のよってその急進撃の立役者となっていた近接航空支援を両翼へと割り振られて、その進撃速度に翳りが出た。そうして戦線突破に手間取る間に、征伐軍の予備戦力である〈第五〇一機動師団『ヴェルゼンハイム』〉が来襲。


 〈第五〇一機動師団『ヴェルゼンハイム』〉の意図は明白であり、突破された戦線の補強に留まらない。攻勢の中核を担っている〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉を押し潰した余勢を駆って戦線を突破。〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉や〈ヴァナルガンド軍狼兵聯隊〉が攻勢を担う両翼の何れか、或いは両方への後背へと機動することが目的であろうことは明白であった。折しも〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉は両翼を伸ばしている。〈第五〇一機動師団『ヴェルゼンハイム』〉も〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉を半包囲せんと両翼を伸ばしたことにより蹶起軍側は急速に不利となりつつあった。


 それでも尚、マリアベルは支援を行わなかった。


 そして、正確な友軍の位置すら〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉には知らせていない。クラナッパ戦線に配置されているのは、〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉と〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉、〈ヴァナルガンド軍狼兵聯隊〉だけでなかった。


 支援の手段は複数ある。早期の支援が戦線全体の犠牲低減に寄与することは疑いないが、マリアベルにとってはそれよりも遙かに重要なことがあった。


「陣形は? どの様に後退している?」


 イシュタルの疑問の声に、報告に訪れた兵士は姿勢を再度正す。


 しかし、その顔には困惑が見て取れ、それを察したからこそのイシュタルの疑問であった。


 装甲車輛の移動速度は機動師団の進撃速度に劣っており、後退は装甲部隊の連携や相互支援などを行いながらでなければ難しい。砲兵戦力や航空戦力による支援があると大きく状況は変わる。


「はっ、……それが」


「どうした? 報告を続けよ」報告の兵士に先を促すマリアベル。


 内心では大凡の見当は付いていた。


 ――兵士が報告を躊躇うような所業を行ったのであろう、異邦人(エトランジェ)は。


 〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉の基幹戦力である〈第一装甲聯隊『ラインバッハ』〉の指揮官をトウカが務めていることは偵察騎の報告によって既に判明していた。指揮官旗という伝統が健在なことが幸いしてトウカが率いる部隊は、トウカが指揮官の位置が露見する指揮官旗を疎んじて黒一色の指揮官旗を選び、それを後衛の車輛に装備させていた為、上空偵察によって容易く露見した。


 吹っ切れたかの様に叫ぶ報告の兵士。


「装甲聯隊は装甲楔陣形(パンツァーカイル)を以て前進を開始! 突撃です!」


 その報告に司令部の面々が絶句する。


 イシュタルに限っては溜息と共に司令部の天井を見上げており、マリアベルに長く付き従うことで不屈の忍耐と大海の如き広き心を獲得した稀有な人物にしては珍しい光景と言えた。


 機動師団相手に一個装甲聯隊で挑むという所業は、戦史上にすら記されておらず極めて無謀であった。陸の王者である装虎兵と軍狼兵を基幹とした機動師団は、皇国陸軍にあって最強の戦闘単位であり軍団規模の敵を瓦解させた実例すらある。魔導防禦術式の刻印された装甲を有する戦車であっても、至近距離での戦闘ではその牙や魔術によって装甲を貫徹されることは避けられない。


「自殺行為であろうて……」


 だが、その表情はこれ以上ない程に喜悦に歪んでいた。


 その尋常でない歓喜に打ち震えるマリアベルに、周囲の将兵は姿勢を正すと、小さな布の擦れる音と共に敬礼する。


「なれどその意気や良しッ! 彼奴(あやつ)め、やりおったわ! それでこそっ! それでこそ継承者じゃ!」マリアベルの呵々大笑が司令部を席巻する。


 そう、これこそマリアベルの求めていたものだ。


「支援じゃ! 予備戦力を手当たり次第に投入せい! 総力戦ぞ! 長距離砲撃も行うが良い!」


 マリアベルの大音声の命令に司令部が活気を帯びる。


 北部蹶起軍に於いて最大戦力を有するヴェルテンベルク領邦軍が、今、この時、動き出した。











「|戦車、前へ(panzer Vor)!」トウカが叫ぶ。


 車長用司令塔(キュポーポラ)から上半身を乗り出し、最大戦速で雪原を駆け抜ける指揮型Ⅵ号中戦車の上で、トウカは喉頭音声機(タコホーン)を一層強く喉に押し当てて指示を出す。揺れる戦車上からの指揮は著しく集中力を削ぐが、勝算の低い戦闘に赴かんとする中で指揮官が後方にあっては部隊全体の士気が低下する為に自ら身体を張らない訳にはいかなかった。特に取り立てた作戦もない以上、各々の将兵の士気と勇気に期待する他なく、トウカはこの場に於いて英雄足らねばならない。


 そうして、トウカは戦車上にあって軍刀を振り上げる。


 漆黒の刀身の大部分が陽光を受けて輝くことはない。


 刀身の大部分を占める平地は漆黒に染められており、白金に輝くのは刃だけであった。戦野で不用意に日の光を受けて使用者の位置が露呈することを避ける為、乾留液(タール)で平地を塗装するという徹底した実用重視の軍刀。


 大日連陸軍の士官用に量産されている七〇式軍刀であっても刀身への塗装はされていない。武士の魂や誇りとしても例えられる刀に乾留液(タール)を塗装することは大和民族の武士ならば忌避するほどの所業に他ならない。世界に限らず多くの文明で力の象徴として特別視されている刀剣は皇国に於いても例外ではなかった。


 それが漆黒に彩られるなど本来であれば看過できないはずであった。


 しかし、そこには心を惹き付けて止まないナニカがある。


「進め、進め! 我等こそが皇軍ぞ!」トウカは叫ぶ。


 その大音声に多くの装甲兵が顔を顰めているであろうことは容易に想像が付いたが、同時にこれ以上ない程に感情を昂らせていることをトウカは確信していた。


 ――俺がこれだけ感情を発露させているんだ! これが戦争か!


 何と心地良いものか、とトウカは嗤う。盛大に。


 懸架装置(サスペンション)で低減しきれない衝撃がトウカの身体を揺らすが、車長用司令塔(キューポラ)の端を掴みそれを堪える。上半身を乗り出したトウカの事など無視したかのような最大戦速だが、背後を振り向けば〈第一装甲聯隊『ラインバッハ』〉の健在な中戦車の全てがトウカに追随していた。その更に後方では停車した自走重榴弾砲が砲身を振り翳して砲撃支援の準備を進めており、その周囲では砲兵の姿が散見される。


 確かに、これから行われる一戦に確たる勝算はないが、戦友を護る盾となるというこれ以上ない大義がある。戦力保全の建前の下に〈第一装甲聯隊『ラインバッハ』〉だけを後退させることは軍人として確かに正しいことかも知れないが、助け得るかも知れない同胞を見捨てては最愛の人に笑顔を向けすることが出来ない。少なくともトウカにはその自信がなく、ミユキはその蔭りに気付いてしまうだろう。


 ――いや、俺はミユキがいなくともこの(みち)を選んだ!


 健気に自身の指揮に従い続けた将兵を喪うことへの忌避感もあるが、偏屈な己を受け入れてくれたザムエルを始めとしたヴェルテンベルクに住まう者達を見捨てることはできない。


 これは最早、仁義の問題である。軍事ではないのだ。


 履帯で雪を巻き上げて突き進む無数の中戦車。


 突撃隊形である装甲楔陣形(パンツァーカイル)の先端を進む指揮戦車にあってトウカの心には一片の曇りもなかった。


「始まったか……」


 遠方に見えた炸裂音と閃光に、リシアとザムエルが攻撃を開始したのだと悟る。共に機動師団相手では逃げ切れないという判断から、一撃を加えた隙に混乱に乗じて後退する腹積もりなのだろう。


 ミユキと接するとき以外に、これほどの心晴れやかであった事など皇国に訪れてから初めての事であり誇らしさすらあった。


 戦友を救うという行為は、それほどに抗い難い魅力を持っていた。


 トウカは自分を信頼しないからこそ、周囲の者達を通して己の姿を顧みる。故に相手から裏切らない限り苛烈な対応は行わないが、敵対が明確となった時は苛烈無比な行動となる。


 慎重ではない。強いて言うなれば臆病。


 天性の才覚か斯様な己を隠蔽する術は徹底していたが、老獪な長命種が相手となると粗が目立つと言わざるを得ない。それは、トウカのある種の虚勢であるし、数少ない矜持である。周囲の者の一部はそれに気付いており、高い観察眼を有する者ならば今後気付く可能性はあった。


 その最たる者がマリアベルであるという事実を、トウカは気付いていない。


 そして、そんなマリアベルの影響下にある領邦軍を率いているからこそ、己の策がマリアベルの方針の範疇でしか採用されないことを理解できなかった。


 諸侯軍……領邦軍であるヴェルテンベルク領邦軍はマリアベルの私兵である。


 そしてトウカは、皇国正規軍以上に近代化という名の機械化に成功しているヴェルテンベルク領邦軍が、それに応じた戦術的視野を有していると判断していた。決してマリアベルの一存だけではなく優秀な司令部によって運用されている……つまりは戦力に見合うだけの意思決定能力を司令部が持っていると考えていた。


 しかし、実情は大きく違った。


 戦術とは実戦によって研鑽され、総合的視野を有した集団によって編纂することによって無駄を削ぎ落とし、効率的な部隊運用へと昇華される。ヴェルテンベルク領邦軍は二〇年前の帝国軍による侵攻の際、小規模な機甲戦を経験して以降は、北部各地での匪賊討伐が主任務であった。今内戦に於いては大規模な消耗戦を継続中であるが、それは大規模戦力同士の衝突ではなく多くは小競り合いであった。


 マリアベルは確かに優秀だ。


 しかし、それは政治手腕や軍事行政に特化しており、軍事的才能は卓越したものではなかった。それでも尚、領邦軍指揮を行うだけの軍事的才能を有していたが、中央貴族を相手取る為に領邦軍指揮官職に対して妥協しなかった。トウカは見ていないがヴェルテンベルク領邦軍司令官には、少なくともマリアベルの目に適った人物が配置されているだろう。


 それでも〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉を支援しないということは、そこにマリアベルの意思が介在し、領邦軍司令部もそれを容認しているということになる。


「御前の意思など俺は知らん。これは俺の戦争だ!」トウカの咆哮が戦野に轟く。


 護るのだ。己を個性的な各々のやり方で迎え入れてくれた者達を。


 なれど、マリアベルはトウカの想像を超えていた。


 その時、大気を裂くかの様な轟音が響き渡る。


 そして只管(ひたすら)に大質量を伴ったナニカが、トウカの頭上を飛び越えた。






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