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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第一章    戦乱の大地    《紫電清霜》
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第六三話    偉大なる義母の掌中




「ふむ、敵ながら中々にやるではないか」


 老将は双眼鏡で、熾烈な砲爆撃に晒されている友軍部隊を眺め、不敵な笑みを浮かべる。


 トウカがその姿を見ればさぞや驚いたであろう。


 その老将はベルゲン近郊でトウカと邂逅した人物であった。


 老将は城塞都市ベルゲンに駐屯する〈第九歩兵師団『スカンテンベルク』〉の師団長で、北部方面軍の一軍集団である〈アウレリア軍集団〉隷下の師団に他ならない。しかし、本来は西部方面軍隷下で、神州国の強襲上陸に対応するための師団の一つだったが、天帝不在で国事が半身不随の今、帝国への脅威に対抗すべく城塞都市ベルゲンに再配置され、戦線が北上するにつれて兵力を増強する必要に迫られた為に〈第九歩兵師団『スカンテンベルク』〉は前線配置を命じられた。


 西部方面軍の将兵は神州国の影響を受け、伝統的に具足(外観は和式甲冑)が基本装備となっており、老将は北部の肌寒い外気に溜息を吐く。


「全く……ヴェルテンベルク領邦軍はあの小娘の玩具箱ではないか」


 老将は敵の機甲部隊に所属しているであろう複数の装甲兵器を見据える。


 マリアベルが科学技術に対して非常識な予算を投じていることは皇国では有名であり、その恩恵と“趣味”は商業面や産業面、軍事面などに大きな影響を齎していた。


 そのヴェルテンベルク領邦軍が受け持つ戦域に、征伐軍側は三個師団を投じている。高度に機械化されたヴェルテンベルク領邦軍だけでなく、〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉を警戒してのことであったが、同時にこの戦域に楔を打ち込む為の作戦行動が実行されようとしており、それに合わせて戦力が集中し始めていたという理由もある。


 しかし、先制攻撃を受けた。


 好機だと戦線を受け持つ陸軍中将の言葉に、三個師団の戦力は押し上げた戦線を利用しての縦深防禦を展開し敵戦力の漸減を図ろうとした。


 だが、ヴェルテンベルク領邦軍の装甲部隊は想像を遙かに超えた火力と機動力で防禦縦深を突破しようとしている。その上、後続には〈傭兵師団〉が詰めているとの報告も上がっている。戦果拡大を意図していることは明らかであった。


 しかし、現在猛攻を受けている戦域司令官直卒の一個師団……〈第一六歩兵師団『フロイデンシュタット』〉は左右に分散し、両翼と合流しようと後退を続けている。


 その判断は正しい。


 両翼は森林地帯が広がっており、装甲部隊は機動に大きな制限を受ける。対する歩兵主体の〈第一六歩兵師団『フロイデンシュタット』〉にも一個独立戦車大隊や三個対戦車砲中隊などが配備されているものの、様子を見る限りは初回攻勢で大半を喪っていた。事前の徹底的な砲爆撃によって牽引式の重、軽の四個砲兵大隊を喪失しており、〈第一六歩兵師団『フロイデンシュタット』〉は火力を大きく減じている。自走化していない砲は後退時に足手纏いになり放棄されることが多いのだ。


 短時間での陣地転換を重視するトウカと違い、この世界に於いて機動力は重視されながらも瞬発的な陣地転換に対する配慮は然してなされていなかった。瞬間的に敵に叩き付けられる兵力と火力こそが最も求められているのだ。そして機動力はそれを補助する要素として認識されている。つまり砲兵に対する機動という要素は戦略にこそ取り入れられるが、戦術には適応されていないのだ。それ故に鉄道網の構築が発達しつつも火砲の自走化は遅れていた。


「我が師団は後退してきた〈第一六歩兵師団〉を収容しつつ後退を続ける。早う準備せい!」


 森林を利用して展開している〈第九歩兵師団『スカンテンベルク』〉は未だ大規模な攻撃を受けていないが、航空騎があれほどに乱舞している以上、隠蔽に成功し続けるはずもない。


「何としたものか。……気付いておると思ったが……」


「ハルダー少将。……敵の航空騎が我が師団上空を通過。残念ながら発見されました」


 副官であるシュナイダー少佐の言葉に老将……フランベルク・ハルダーは優しげな笑みでその言葉を聞いた。温厚で知られるハルダーだが、実戦では狂った程に戦意を滾らせることでも有名である。


 彼は七武家の一翼を担うハルダー家の当主である。


 しかし、名将としても名が知られている通り戦術規模でも優秀であった。その勘が告げている。敵の機甲戦力は此方に興味を持っていない、と。


 興味という言葉は些か不謹慎であるように思えるが、ハルダーが口にすると不思議と似合っており咎める者はいない。


「閣下……」


「ええい、そんな目で見るでない。……可笑しいとは思わぬか? 戦域内の戦力は敵も把握しておるはず。だが、此方に対しては何ら行動を示さん」


 そう、蹶起軍の野戦指揮官は余りにも基本を逸脱している


 軍人として優秀であることは疑いようもないが、戦火拡大に拘っていない様に見えた。通常であれば〈第九歩兵師団『スカンテンベルク』〉も攻撃を受けているはずであり、無視するかのような行動は側面を突かれる可能性が増大するので不自然であった。


 ――もしや、あれは本当に此方を無視しておるのか?


 理由は不明であるが、この戦域に対して然したる興味を持っているようには見えなかった。


「或いは別に目的があるのやも知れんのぉ」


 楽しそうに笑うハルダーに対して、シュナイダー少佐は溜息を吐く。


 指揮官として優秀であり、敵に対して決闘を挑みかかる癖があるハルダーだが、この非常識な現状にあっても然して動揺してはいなかった。軍人である以上に騎士であるハルダーは、その矜持と誇りを以て感情を押さえ付けることなど容易かった。


 否、心の何処かでこの内戦に対する疑問を抱いていた。


 内戦などより天帝陛下となるべき御方を探し出すべきではないか。少なくとも生死を確認することが最優先であると考えていた。だが、内戦という事実が、秘匿されている天帝招聘の失敗を完全に隠し、目を逸らさせているという事実は余りにも皮肉である。


 ――或いは、内戦自体が天帝陛下となるべき御方の行方不明を隠す為に仕組まれたものやもしれん。


 ハルダーはそう考えていた。この攻撃が行われるまでは。


 確かに征伐軍は戦線を押し上げ、蹶起軍は後退を続けていたが、大規模な戦闘で師団規模の纏まった戦力が壊乱して蹂躙されることは双方共になかった。密林や湖が多く地形的に大軍の衝突が起き難いということも一理あるが、どちらの軍の総司令部も相手に致命傷を与えることを避けているように感じられる。戦後を見据えていると考えている者もいるが、ハルダーはそうは思わない。


 眼前で膨大な死と破壊を振り撒き、戦後の禍根など知ったことではないと言わんばかりに敢然とした攻勢を続けていることがそれを否定していた。


「叶うならば〈第一六歩兵師団〉の残存を収容した後、敵を挟撃したいが……」


「敵の進撃速度は異常です。後背に回られるかと」


 シュナイダー少佐の言葉に、ハルダーは頷く。


 歩兵戦力を戦車の車体に乗せるという非常識な戦術を以て部隊の機動力を底上げするという相手に、通常の歩兵師団が優位な位置を維持し続けられるはずもない。初撃は成功するが、直ぐにその機動力を以て戦域を駆け、有利な位置から再攻撃を加えるだろうことは疑いなかった。


 戦域左翼に位置している〈第九歩兵師団『スカンテンベルク』〉。

 戦域右翼に位置している〈第一八歩兵師団『エルゼンラント』〉。


 中央に位置していた〈第一六歩兵師団『フロイデンシュタット』〉は既に壊乱しつつあり、敵の装甲部隊は突破を果たさんとしている。残敵掃討に興味はないのか、装甲部隊は両翼の両師団と合流しようとしている〈第一六歩兵師団『フロイデンシュタット』〉の残存を無視して急進撃を続けている。


「敵装甲部隊は突破後、我が師団か〈第一八歩兵師団〉の後背に回る心算であろう」


「恐らくは。後続の〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉と挟撃……或いは一方の師団と〈傭兵師団〉の衝突を邪魔されぬように拘束する意図があるのかと」


 相も変わらず正しい判断だが、この予想は後に裏切られることになる。


 一戦域だけを戦場とする指揮官と、戦争という枠組み全体を俯瞰する指揮官の違い。


 トウカは実質的に方面軍指揮官の視野で戦争計画を練っていた。無論、影響下にあるヴェルテンベルク領邦軍だけしか運用できないとはいえ、戦略に影響を及ぼすことは可能であった。


「さぁ、まだ戦は終わっておらんぞ」


 未だこの戦域に於ける戦力は征伐軍が勝っており、〈第一六歩兵師団『フロイデンシュタット』〉残存を糾合したならば、勝利も不可能ではない。


 ハルダーは深い笑みを刻む。











「さて、我らも動くとするかの」


 マリアベルは次々と上書きされる地形図の戦況を眺めて、好機じゃのぅ、と扇子を閉じる。


 地図上では戦線で最も戦力が集中している個所を突破しつつある〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉の駒から無数の赤い線が伸びており、その快進撃を示していた。


「彼奴らの戦闘団に助力は請えぬ。……が、この戦域は現在、妾の指揮下にあるのもまた事実。……どうじゃ、楽しかろう?」


 マリアベルの笑みに、腕を組み仁王立ちしているフルンツベルクが笑う。


 野獣の豪快な笑みに美女は頷く。


 トウカは想像以上の勇戦をして見せた。


「ヴァレンシュタインの小僧も予定通りに動いたようですな」


 そう、ザムエルは、マリアベルの指示を果たした。


 実はザムエルがトウカに戦闘団の指揮を押し付けて前衛部隊を指揮したのはマリアベルの指示であった。当初からトウカに戦闘団のことは任せたいと考えていたが、只でさえ優遇している上に軍の指揮権まで委譲してしまうと自領の政務官連中が黙っていない。この時期にヴェルテンベルク伯爵家の結束を揺るがす訳にはいかないという理由もあるが、それ以上に先を見据えていた。


 ――妾の死後……トウカが迫害されることなどあってはならん。


 孤独の異邦人(エトランジェ)


 それが、マリアベルが初見でトウカを見た際の感想だった。


 確かに優秀な戦士であり、戦術家、戦略家としても際立った才能を有しているトウカだが、その精神に関しては極めて不安定であった。そもそも基準としての常識が欠落しているトウカという存在は極めて異質である。


 ミユキという枷がトウカを人間足らしめていたが、あれは人間ではない。それがマリアベルの結論であった。


 だが、可愛い息子分でもある。


 しかし、己を枷とさせることはできない。ならば少なくともヴェルテンベルクそのものがトウカにとっての依って立つところとならねばならない。愛する者が住まう大地にして、己が率いることになる領地。それが唯一にして最大のトウカの枷にならねばならない。決して仔狐という不安定な個人が枷であり続ける訳にはいかないのだ。


「妾はヴェルテンベルクをあれの鞘にせねばならぬ」


「小官に難しいことは分かりませんな。……しかし、あれはそれほどの存在ですかな?」フルンツベルクが呈した疑問。


 それは誰も抱く疑問であった。


 トウカは後ろ盾がなければ支持者もいない。であるからこそ、この一戦に於いてトウカが英雄になる必要があった。トウカをヴェルテンベルクに住まう誰もが認める英雄に。それがマリアベルの思惑であった。


 この戦域……クラナッハ地区はそれを実現する為の大地なのだ。


 クラナッハ地区は、この内戦によって生じた一二の戦線の内の一つであり、ヴェルテンベルク領邦軍に任された戦域でもあった。他の戦域は複数の領邦軍に任されているが、クラナッハ戦域に展開している戦力はヴェルテンベルク領邦軍が八割を超えており、事実上、マリアベルの影響下にあった。


「マリアベル様、シュトラハヴィッツ領邦軍司令部から入電!」通信士の報告。


 マリアベルは顔を顰める。


 予期していたことであるが、実際に直面するとやはり鬱陶しいということは往々にして存在する。勿論であるが、マリアベルは面倒事全般が嫌いであり、部下に押し付けられる分は叶う限り押し付けていた。そこには将来、自身が失われた際、可能な限り多くの者が職務を代行できるようにという思惑も絡んでいるがそれを知る者はいない。


「失礼する! ヴェルテンベルク伯にお聞きしたいことがある!!」


 シュトラハヴィッツ領邦軍の軍装の上から具足を纏った狼種の女性が天幕内に入った瞬間に怒鳴る。


 面倒な者が来たと、マリアベルはフルンツベルクに視線を投げて寄越す。


 アンゼリカ・リラ・フォン・シュトラハヴィッツ。


 シュトラハヴィッツ伯爵領、領邦軍司令官にして北部を代表する騎士の一人であった。シュトラハヴィッツ伯爵としての第一継承権を放棄して司令官に就任するという変わった経歴の人物である。弟がシュトラハヴィッツ伯爵位を継承して以降、領地の治政が上向きであるという事実を鑑みれば、その奇行も賞賛されるに値する行いとなる。猪は政治を行えないのだ。


「失せぃ、小娘。妾の戦争に野犬などいらぬわ」


「これは北部の戦争だ! 貴女だけの戦争ではない!」


「気分悪いわッ」と牙を剥くマリアベルだが、アンゼリカも眉一つ変えずに敢然と言い返す。


 文句が飛んでくることは承知していた。


 戦域の一端を担うシュトラハヴィッツ領邦軍には、今回の一連の戦闘行為を行うことを伝達していなかった。実際のところシュトラハヴィッツ領邦軍はおろか蹶起軍総司令部ですら把握しておらず完全なマリアベルの独断である。後者は軍の指揮系統が一本化されていない為、戦域での指揮権は各々の両軍指揮官に委ねられていた。違法性の余地が生じる訳ではない。


 しかし、魔導通信と共に天幕に押し入ってきたということは、シュトラハヴィッツ領邦軍司令部もアンゼリカが急に飛び出して騒ぎになっているという可能性に思い当たったマリアベルは再び溜息を吐く。


「妾はこの戦線の一端を担う指揮官として職務を果たしておるだけであろうて」


「だが、総司令部は防禦に徹しよと言っていたではないか」納得できないと尻尾を盛大に振るアンゼリカ。


 大太刀を杖代わりに近くの椅子に腰を下ろしたその様子を見て、マリアベルは如何したものかと思案する。これから〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉による二次攻撃開始という愉快な状況であったが、アンゼリカの乱入で著しく気分を害したマリアベルは、いっそのことヴェルテンベルク領邦軍の天幕へ向かう途中で有力な敵戦力と遭遇して武運拙く……という演出をやらかそうかという考えすら脳裏を過ぎった。


 マリアベルは、アンゼリカが嫌いである。


 融通が利かず柔軟性のない堅物。つまりマリアベルとは対極に位置していた。年齢が近いものの、親しくなることは決してない。


「これは、積極的防禦であろうて。ふん、姉がみれば失望ものであろうてな……」


「何か言われましたか!?」


 無駄に大きい声で尋ねるアンゼリカに、首を横に振りつつも、フルンツベルクの手から指揮棒を奪い取り弄ぶ。


 ――いっそこの猪騎士も巻き込んでしまうかの? 楯くらいにはなるであろうしな。


 扇子で隠した口元を歪め、マリアベルは指揮棒で地形図の一角を指し示す。


「シュトラハヴィッツ領邦軍には、右翼の〈第一八歩兵師団〉を攻撃して貰おうかの」


 そう、シュトラハヴィッツ領邦軍の戦力もまた強大なものであった。


 一個軍狼兵聯隊。


 機動力に優れた軍狼兵という単一兵科で統一された一個聯隊。極めて偏った編制と言えるが、〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉が歩兵と砲兵を主体としている以上、戦域全体で見ると決して無謀な編制ではなかった。形成された戦線の中でもこのクラナッハ地区は激戦区であり、敵にも三個師団が集中していた為、マリアベルが投入した〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉と共に、シュトラハヴィッツ領邦軍に在って虎の子……狼の子の〈ヴァナルガンド軍狼兵聯隊〉が配置されていたのだ。


「莫迦な! 私の聯隊だって連日の戦闘で疲弊している! 〈傭兵師団〉も同じだろう!?」


「だからこそ当面の脅威を今ここで取り除くというわけであろうて」


 この場にいる征伐軍の三個師団を完全に包囲殲滅する。


 それがマリアベルの目的であった。


 そしてこれはトウカの作戦によって生じた戦果であると宣伝されることになる。見方によっては、トウカのベルゲン強襲の作戦の一部であるとすることも不可能ではなく、副次的な効果としての戦果には違いなかった。もし、トウカがベルゲン強襲に失敗したとしても、敵三個師団の壊滅という戦果があれば十分に軍事的勝利と宣伝できるので損失にはならない。


「〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉はどうかの?」


「既に砲兵の支援の下、前進を始めております。小官も赴きたいと思うのですが」


「好きにせい」とマリアベルはフルンツベルクを促す。


 この野獣の如き戦士に後方指揮など似合っていない。生来の気質や戦士としての気概を鑑みれば司令部である後方陣地に縛り付けていることは当人の能力を十全に生かしていると言い難い。


「ここは妾が見ておる。……存分にの」


 その言葉にフルンツベルクは喜色を浮かべて敬礼すると、天幕を飛び出す。野獣が檻から放たれた瞬間であった。


「さて、わんころは如何する? 見ておるならそれで構わんが」


「ちっ、貴官の悪巧みに乗ってやる! それとわんころ言うな!」


 アンゼリカは咆えると、フルンツベルクに続いて天幕から去って行った。


 悪は去った、とマリアベルはほくそ笑む。状況はマリアベルに味方していた。


 〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉は火力偏重ながらも平均的な師団編成であり、そこに〈ヴァナルガンド軍狼兵聯隊〉を合計すると敵に対して数の上でも劣らぬものとなる。更にはマリアベル直率であり、ヴェルテンベルク領邦軍司令部付の装甲大隊と偵察軍狼兵小隊、装虎兵中隊などを合計すれば完全に優勢となった。


 そして、何よりも――


「わざわざアレを引っ張ってきたからには負けては堪らぬわ」


 マリアベルも立ち上がると天幕を出た。


 この一戦の為に各種兵器を持ち込めるだけ持ち込んだのはトウカだけではなく、マリアベルもまた同様であった。兵器による状況の打開など三文小説の軍隊の活躍のようでもあるが、兵数に劣る北部蹶起軍は兵器性能と防禦戦闘の徹底によって劣勢を補っている。マリアベルによる攻勢の、新兵器の集中投入で現状打開するという手段は、止むを得ない手段であり大いに苦悩した末の選択でもあった。本来、新兵器を初投入する際は“決定的瞬間”が最も望ましい。マリアベルはこの一連の戦闘を“決定的瞬間”する心算であることは、ヴェルテンベルク領邦軍の七割近い戦力を動員したことからも窺い知れる。だが、勝利するかは別問題であった。


「ヴァイトリング砲兵中佐」


「ここに」


 天幕の外で待機していた壮年の男性が、敬礼を以て応じる。


 実はヴェルテンベルク領邦軍は、兵力に対する砲兵の占める割合が皇国陸軍の三倍近く、それを長躯戦場へ投入する必要性に迫られたからこそ機械化する必要があった。野砲はトウカが自走砲という兵器を提案するまでは基本的に牽引式であり、牽引する軍馬、或いは魔導車輛が必要であった。それらを達成する為の技術力と資源力の底上げを目的としてのヴェルテンベルク領の重工業化であったが、それは多くの副産物を齎している。


「こちらです、ヴェルテンベルク中将閣下」


 小高い丘陵の下りに差し掛かると、ソレは見えた。



 二〇ほどの巨大なナニカ。



 巨大な二〇余りの物体は、その全てが防水布を掛けられているにも関わらず不気味なまでに圧倒的な存在感を放っている。鋼鉄の野獣と評される戦車も中々の威圧感を放っているが、それを遙かに上回るナニカ。


「偽造解除! 全砲、実働体勢に移行!」


 そのヴァイトリング砲兵中佐の一言に、野戦砲兵司令部として運用されている建造物の前に整列していた夥しい数の将兵が巨大なナニカに取り付く。


 次々と巨大な防水布が兵士達の手によって取り払われていく。


 姿を現す廃嫡の龍姫が|報復兵器(Vergeltungswaffe)の一つ。



 タンネンベルク 五五口径、四一㎝ Kanone一(E) 機動列車砲。



 ヴェルテンベルク領邦軍はシュットガルト湖が運河によって大星洋に繋がっていることに目を付けて、鉄鋼資源による造船事業を目まぐるしい速度で拡大させるに至る。同時に運河という限定空間の防衛の重要性が増したことからヴェルテンベルク領邦軍警備艦隊が設立された。それは他の運河に面している貴族領が海上戦力を有していないことから、海難救助や哨戒警備を広範囲に渡って行わねばならならず短期間で急速に拡充される。折しも皇国憲法では陸上兵力こそは制限されていても、艦艇保有に関しては触れられていないことから建造と編成に関しては制限を受けず、速やかに建造は実行された。


 そして、戦艦の建造計画が上がった。


 哨戒艇や警備艇だけではなく、波の強い運河の大星洋出入り口付近の哨戒と防衛の為に、ある程度の凌波性を有した巡洋艦と駆逐艦の建造も始まっていたことからもその流れは自然と言えた。


 五五口径四一㎝砲を複数搭載し、尚且つ、水陸両用戦車を搭載できる新型戦艦二隻の建造。


 しかし、その二隻は巡洋艦や駆逐艦と共に艦体や上部構造物が完成しただけで、軍港沖合に係留されることとなった。マリアベルが下した建造中止の決断に依るところであったが、急速に悪化する中央と北部の現状を鑑みて、予算を陸上戦力に集中させようという至極正しい判断からである。


 しかし、それらの為に製造された各種兵装が余剰として余ることとなった。


 それを利用して作られたのが、四一㎝機動列車砲であった。


 超長砲身砲として開発、製造された艦載砲は予備砲身を含めて四〇本近くあったことから二〇輌製造され、四一㎝機動列車砲として完成した。弾薬運搬車輛や牽引車輛、兵員車輛などは別であるが、砲搭載車輛に限っては重量が極めて大きい為に通常であれば不可能であった。しかし、幸運なことにヴェルテンベルク領が自領産の軌条(レール)軌間(ゲージ)が広く取られたものであった。それにより有効積載量(ペイロード)は大きく、重量物である艦載砲が余裕を持って乗せることができたということが幸いした。こうして野戦で運用できる火砲としては最大の口径を持つ四一㎝機動列車砲は完成したものの、今の今に至るまで運用されることはなかった。


 前線まで軌条(レール)を敷くという難事を嫌った為である。


 敷くこと自体は容易いが、〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉投入前のクラナッハ戦線においては敵の浸透を度々許していたこともあり、極最近まで軌条敷設作業は行われなかった。軌条という移動できない戦略目標は敵の攻撃を受けやすいのだ。


「しかし、よう間に合ったの。これだけの数を運んで来ようとは……」


「〈野戦鉄道聯隊〉がおりますので」


 マリアベルは唸る。


 〈野戦鉄道聯隊〉とはヴェルテンベルク領内での鉄道運行の一切を取り仕切る鉄道警備隊を有事の際に領邦軍に編入した際の名称であった。


 ヴェルテンベルク領邦軍の編制は複雑怪奇であった。


 内訳としては四個装甲大隊に二個装甲擲弾兵大隊、五個歩兵大隊、四個航空大隊を中心として、通信、工兵、補給などを司る各部隊を保有していた。装虎兵や軍狼兵なども仮想敵(アグレッサー)部隊として運用されており、野戦鉄道聯隊自体も一個の完結した有力部隊として機能している。


 だがそれだけではない。


 兵力制限を躱す為、平時では領邦軍ではなく警備隊や予備役、郷土防衛隊などの官僚や民間の下で編制された部隊があった。その一つが鉄道警備隊の部隊であり、平時ではヴェルテンベルク領の広大な領地に張り巡らされた鉄道網の整備や警備、運用を一手に担う部隊であるが、この内戦に伴い二個野戦鉄道聯隊として領邦軍に組み込まれたという経緯がある。


 そして管轄の上でも、鉄道警備隊に所属していた二〇門の四一㎝機動列車砲も領邦軍へと組み込まれた。北部貴族領では兵数制限を躱す為に様々な手法で軍属ではない戦力単位が編成されていたが、ヴェルテンベルク領は特にそれに対して熱心であった。正規戦力よりも非正規戦力の占める割合が倍以上も上回っていたことからもそれは窺い知れる。


「まぁ、良い。……やれるのぅ?」


「御命令とあらば、いつでも」


 砲兵司令部前まで迫ったマリアベルは大外套を翻し、今一度、長大な砲身を鎮座させている列車砲の砲列を眺める。


 戦艦一隻の砲撃支援は三個師団の火力に勝るという言葉があるが、二・五隻分の火力であれば軍集団規模の支援と同等であろうことは疑いようもない。


「砲撃指示に即応できるようにしておくがよい」


 直ぐに砲撃を加えるという真似はしない。


 クラナッハ戦線にある敵戦力は三個師団であるが、その後方には複数の戦線に対しての火消し役として一個機動師団が展開している。戦線を突破した敵に対する対策としては妥当であり、それこそが〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉の焦点となる。〈傭兵師団(ランツクネヒト)〉は〈第九歩兵師団『スカンテンベルク』〉を攻撃する必要があり、アンゼリカ旗下の〈ヴァナルガンド軍狼兵聯隊〉は〈第一八歩兵師団『エルゼンラント』〉を相手にせねばならない。


 砲身に仰角を掛け始めた列車砲を見上げ、マリアベルは息子達の戦いに思いを馳せる。


 機動師団は装虎兵、軍狼兵、戦車を一個聯隊ずつ有した戦力を中核とした編制であった。索敵を含めた前衛としての軍狼兵に、突撃と決戦を意図した装虎兵、そして戦果拡大を行う戦車は実質的には歩兵戦車なので歩兵部隊を伴っており完全な攻勢の為の戦力と言える。戦線後方にあって崩壊した戦線や浸透してきた敵に対処する部隊として戦線後方に配備されている機動師団。


 龍騎兵による伝達、或いは魔導探針儀によって異変を察知し、現在駆け付けている最中であろう。


 トウカは機動師団到着の前に戦域を離脱しようと目論んでいるが、それが成功するか否かは極めて微妙なところである。


 ――さて、どうするかの? 


 近接航空支援も反復攻撃を繰り返し、敵の三個師団の上空を乱舞しつつ敵の直掩騎と巴戦を繰り広げ、或いは火砲を対地機関砲で掃射しており、機動師団に対する攻撃を行う余裕はない。征伐軍火砲全体への奇襲が成功した今、戦闘爆撃航空団の任務は牽制し続けることで、〈ヴァレンシュタイン戦闘団〉へ砲門が向けられぬようにという当初の作戦目標を果たしている。


 ――トウカであれば、何か考えておるであろうが……


「なに、莫迦息子共。この心優しいお母さんが助けてやろうではないかえ」マリアベルは楽しそうに嗤う。


 後に余計な御節介でしたと言われることになる凄まじい母の助け。


 そう、全ては偉大なる義母の掌中にあるのだ。





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