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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第一章    戦乱の大地    《紫電清霜》
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第四八話    新たなる旅立ち




「やっぱり、もう往っちゃうのね」


 マイカゼが淋しそうな横顔で呟いた一言に、ベルセリカは黙って一礼する。


 ベルセリカに宛がわれた一室に訪れたマイカゼは、部屋の主に是非を尋ねることもなく部屋に上がり込み、座布団を勝手に用意して座り込んだ。ベルセリカが皮肉を漏らす間もなく「貴女も座りなさい」という視線を巡らせてきたマイカゼに成す術はない。


(ミユキが時折見せる強引さは、マイカゼ殿の血であったか)


 思わず笑みを零したベルセリカ。


 その様子に小首を可愛らしく傾げたマイカゼの姿がミユキに似ていて、ベルセリカは自らの顔が歪むことを止められない。


「それで、如何召された? 残敵は全て掃討したはずであるが、もしや」


 話題を逸らす意味も兼ねて疑問の声を上げるベルセリカに、マイカゼは首を横に振る。


 無論、マイカゼの言いたいことは察していた。


 ベルセリカ達は、今日中に里を離れる。これはトウカとマリアベルが決めたことで、ベルセリカも詳しい話は聞いていないが、二人の雰囲気を察するに辺り、大博打でもやらかそうとしているのではないかと考えていた。


 名目上は戦車を連れ、哨戒を兼ねての移動とトウカは説明していたが、マリアベルと行動し続ける以上、思惑が別にあることは明白である。


(歓心を買うことによもや成功するとは……世の中とは相変わらず儘ならぬものでは御座らんか)


 確かにベルセリカは「歓心を買って魅せよ」とトウカに発破を掛けたが、それはマリアベルへの顔覚えを良くしておけば、今後何かしらの役に立つという不透明な打算程度のものに過ぎなかった。寧ろ、現状でマリアベルに抱き込まれてしまうということは、北部の蹶起に巻き込まれるということと同義である為に反対である。時代のうねりに個人で正面から挑む真似をするのは得策ではない。


 しかし、トウカはマリアベルに与する道を選んだ。


 勝算があるのか、或いは北部そのものを足掛かりに大事を成そうとしているのか。ベルセリカには分からない。トウカが伝えていないということは、剣聖の協力できる範疇になく、また全容を知ったとしても不利益にしかならないと判断したのだと敢えて口を挟む気はなかった。少なくともベルセリカの武が必要となれば、その際に助力を乞うだろうことは疑いなく、それだけで十分である。


 しかし、ベルセリカはトウカの内心に渦巻く違和感に懸念を抱いていた。


 猜疑が埋め尽くした心に覗く僅かな慢心。


 トウカは長命種とて幾重もの物理的、精神的な罠を仕掛ければ容易く撃破できると考えているだろう。それは在る意味に於いては正しく、そして間違っていた。


 長命種……高位種は理屈ではないのだ。


 外観と能力が違うだけではない。その本質や行動原理に於いても、トウカの知るものとは全く違う。それを理解していない。本来ならば、限りなく頂点に近い高位種とトウカが接触する機会などありはしない。


 だが、ベルセリカには確信があった。


 異邦人(エトランジェ)は、これから幾多の高位種と衝突する、と。


 この大陸に生を受けた者ならば、少なくとも高位種と単体で相対しようという者はいない。幼少の頃より如何に高位種が強大な種族であるか耳にしてきたからであり、その行動や意志を妨げてはならないという意識を精神に刷り込まれていた。それは、高位種が《ヴァリスヘイム皇国》という多種族国家を運営にするに当たり、短命種の無自覚な意思が国家を弱体化させぬようにする為、短命種達に植え付けた意識でもある。


 無論、軍や政府は統制上の問題から例外であるが、同時に工夫が凝らされてもいた。そもそも前者は上級将校に於ける高位種の割合が半数以上であり、それは経験や能力の総合量を考えると自然とその様な編制となる。何よりも長命であればある程に長きに渡り軍役に就くことができ、才能を磨き続ける事が可能で、それは短命な種族では成し得ない事であった。そして、後者は貴族院と衆議院に分かれており、これは貴族と臣民に分かれていると思われている事が多いが、実際は叶う限り長命種と短命種を分ける為の工夫でもある。貴族院の権限が衆議院と比して強い事からも分る通り、政治に於いての優先権も長命である高位種が握っているのだ。


 全てを有する高位種が長きに渡って皇国を運営し続けたという事実を、トウカは本当の意味で理解していない。或いは、軽く見ていた。


 《ヴァリスヘイム皇国》とは天帝の下に全てが平等であり寛大な国家であるが、同時に高位種にとっても都合の良い国家であるのだ。


 それこそがベルセリカの不安であった。


 高位種は皇国の在り様を脅かそうとする存在を許しはしない。帝国のような国家規模で相対するならば兎も角、トウカは個人に過ぎず、抗うには余りにも脆弱。


 ――御屋形様よ、驕ることなかれ。所詮、我等は時代という大海に揺蕩う小舟に過ぎぬのだ。


 多くを知るトウカだが、高位種という理不尽は隙の有無に関わらず、ただ一言で個人を圧殺する。


 ――(それがし)で思い知った心算であろうが……


 ベルセリカは不安だった。


「あら、顔色が悪いわ。御気分が優れないのかしら」


「いや、問題ない。用件を御聞き致そう」


 マイカゼが何故、訪れたのか。少なくともある程度は察することができよう。娘を心配しない母はいなのだ。


「貴女に御礼を言っておこうと思ったの。里を飛び出したミユキを拾ってくれたようだから」


「それは……ただの気まぐれに過ぎん」一瞬の逡巡と共にベルセリカは呟く。


 仔狐と剣聖との出会いは実に締まらないものであった。


 ある昼下がり、ベルセリカが縁側で何時も通り緑茶を片手に至福の一時を過ごしていた時である。庭の草むらに倒れる狐耳の少女が視界の端に映った。


 そこでベルセリカは倒れた少女を眺めながら茶を啜り、逡巡する。


 ――何処に埋葬すべきで御座ろうか。


 耳を澄ませば心臓の鼓動が聞こえたかも知れないが、ベルセリカは迫りくる眠気に負けて倒れていた少女が生存しているかすら確かめなかった。


 しかし、少女は池で跳ねる魚の音を聞くと、おもむろに立ち上がり池に飛び込む。


 これにはベルセリカも驚いた。


 ――むっ、生きていたか。それはそれで面倒で御座ろうか。


 そして、少女が池の観賞用の錦色をした淡水魚に食らい付いていたことに更に驚いた。


 けばけばしい色をした魚に食指が動くかどうかは甚だ疑問であるが、現に齧り付いていたので、これは拙いとベルセリカはすかさず距離を詰めて少女を蹴り飛ばす。


 無論、心配したのは観賞用の錦色をした淡水魚であって、狐耳の少女ではない。


 実はベルセリカはこの時、つい反射的に殺すつもりで蹴っていた。


 しかし、見た目以上に頑丈な狐耳の少女は、枯山水の砂利を巻き上げて立ち上がる。


 そして魂の叫び声を上げる。


『お腹減ったよぅぅぅぅぅぅぅぅ!!』


 それが剣聖と子狐の出会いであった。


 雌同士で色気のある出会いも困るが、食い気しかない出会いもそれはそれで悲しい。この後、ベルセリカは仕方なくミユキの腹を満たす為、飯を用意して気が付けば懐かれていた。何のことはなく、ベルセリカからすれば道端で腹を空かせていた猫(狐だが)に餌付けをしたら懐かれてしまったという感覚でしかない。マイカゼに感謝される筋の話ではなかった。


「某にしても有意義な一時であった。礼には及ばんよ」


 今にして思えば多大な迷惑を掛けられたようにも思えるが、ミユキと共に過ごす時間は穏やかながらも騒々しく、孤独な隠居生活に吹き込んだ一陣の風であった。礼や謝罪を受けるほど不愉快なものでも、或いは面倒なものでもなく、寧ろ後になってみれば愛おしく感じられる。


 穏やかなる日々を思い出し、剣聖は穏やかな笑みを浮かべる。そんなベルセリカの表情にマイカゼも笑みを零す。


「あの子には人を笑顔にする才能があるわ。だから、あの子をこれからも好きにさせてあげてくださいね」


「それは……引き止められぬのか?」


 ベルセリカは、マイカゼがミユキを里へ留め置こうと画策しているのだと考えていた。


 極めて不透明な北部の情勢は、娘を好きに旅させるには余りにも危険であった。例えベルセリカがいたとしても四六時中護持できる訳ではない。個ではなく群として動く者達の闘争に巻き込まれれば、個の抵抗など然したる意味を持たず、強大な意志の前に踏み潰されるだろう。


「ミユキはね、自由気ままに吹く風なの。例え、家族と言えども引き止めては可哀想よ」愁いを帯びた瞳で、呟いたマイカゼ。


 引き止めたいという想いも少なからずあるのだろうが、ミユキが自由であり続けることを後押しする姿勢は、本当にミユキのことを考えているのだと思わせるだけの思い遣りがあった。

「風は趣くままに吹いてこそ、か。仔狐は愛されおるではないか」


 親が子を蔑ろにすることもあるという事実を知るベルセリカにとっては、ミユキが如何に多くの者に支えられているのだと実感した。


 ミユキは魔導技能に傑出したものを持っていたが、それ以外に然したる技能を持っている訳ではなかった。しかし、唯一つ仔狐にはベルセリカすらも瞠目する才能がある。


 人が集まるナニカがあるのだ。


 軍略も政治もミユキは門外漢であるミユキ。だが、彼女の下には人が集まる。ベルセリカやトウカなどを見て分かる通り、癖があるものの優秀な技能を持つ人材が集まっていた。そして、集まった者達に対して隔意を持つことなく接する器量がある。当人は自覚していないものの、トウカはこれを見越してミユキに爵位を与える判断を下したのかも知れない。


「あの子は無自覚だろうけど、きっとミユキは天狐族だけに収まる子じゃないの」


「やもしれぬが、シラヌイ殿は如何する?」


 そう、それが最大の障害であった。


 シラヌイが認めなければ些か面倒なことになる。トウカは「セリカさん、意識を刈り取ってください」と冷笑と共に強行突破を謀るだろうが、それではあまりにも外聞が悪い。だが、感情的な理由で反対するシラヌイに、理詰めで抑え込むことを得意とするトウカを当てること自体が下策である以上、ここは間を取り持つ誰かが必要になる。


 ちなみに仔狐は除外される。


 ここで仔狐が仲裁に入ると、父狐は異邦人の差し金だと判断し、余計に(へそ)を曲げるだろう。仔狐を利用しての仲裁は、逆にこれを拗れさせることは容易に想像できた。ミユキは二人に対しては最強の切り札であるが、二人の間で使うと間違いなく火に油を注ぐ事態となる。


「確かに困ったわねぇ。二人の作戦が対立した時、あの娘が割って入って、とんでもないことになったものね」


「御主とて止めなかったで御座ろうに」思わず苦笑が漏れる。


 マイカゼもトウカとシラヌイの意見の衝突を見ていた一人だが、止める気配すらなかった。これは喧嘩するほど仲が良いということを期待してではなく、意見の衝突によってトウカの感情の発露を見たかったのだろう。無論、結果としてはミユキを傷つける結果となっただけであり、トウカは意見を容易く曲げた。


 サクラギ・トウカという捻くれ者は、最善を提示したに過ぎない。そして、意見を曲げて、浮足立った仔狐を叱り付けただけ。マイカゼは、さぞ不満であっただろう。


「あら、私は満足よ? トウカくんは、あの娘を本当に心配しているし、いざとなれば(いさ)めてくれるだけの器量を持っている。その上、優しく受け止めてくれるから……若い子っていいわね。主人さえいなければ私が囲うのに」


「不義理はならんぞ。女ならば一人の男を生涯愛してこそなれば」


 そうは言うものの、その言葉の真意の半分は自らに言い聞かす為にあった。


 ベルセリカとて、トウカに対して複雑な感情を抱いていたが、それを発露させるほどに幼くはない。在りし日の主君との義理もあり、トウカが存命している内に他者に気取られる事すらないだろうと考えていた。

 人の想いとは単一の感情によって構成されるものではない。


 恋心や恋愛感情とて肯定的な感情だけでなく、否定的な感情が入り混じっている事すらある。ミユキのトウカに対する恋愛感情などは良い例であり、憧憬や渇望が少なからず入っていた。恐らく、自らにはない計算高さや意志に対して思うところがあるのだろう。


「まぁ、あんなに面白い子を捕まえてきたミユキはきっと幸運なのでしょうね。本来なら吹き荒ぶ風かもしれないけど、トウカくんなら或いは引き止めることができるかも知れない……私はその可能性に賭けてみたいの」


 優しげに呟いたマイカゼ。


 対するベルセリカは、その言葉に戸惑っていた。出て往くトウカに対して、マイカゼができることなど知れており、或いは怒り狂うシラヌイを押し留める役目を負ってくれるのか考えたが、それはベルセリカでも可能である。


 そして、次の狐母の言葉は剣聖にとって青天の霹靂と言えた。


「天狐族はトウカ君とミユキを全面的に支援します」


 何事もないような顔で言い切ったマイカゼだが、その言葉の意味は重い。それは二人の恋を天狐族全体の意志として認めるというということに他ならず、族長であるシラヌイを通さずに決めた越権行為の以外の何物でもなく、全面的という言葉が示す通り、それは恋だけを指すものではないだろうことは疑いなかった。


 ――もしや、ミユキを貴族にすることが露呈したのではなかろうな。


 ベルセリカも、トウカからミユキに爵位を与えるという話は聞いていた。全面的な支援とはそれを指す事ではないのかと考えた事は当然の帰結と言える。


「そ、それは、軍事的にも政治的にもと捉えて相違ないで御座ろうか?」


 真意を推し量らんと尋ねたベルセリカに、マイカゼは苦笑する。


 二人の意見は、何処か食い違っていた。


 それもそのはずで、二人はミユキを通して見たトウカの肩書を別のものとして捉えていたのだから。


 だが、不審に思いつつも双方は確認と提案を優先した。それが、己の目的であると察したからであり、長命種故の無駄のない会話。


「? そんな難しく考えなくてもいいわ。少なくとも二人の危機には駆けつける、そう取ってもらうくらいかしらね」


「ならば良い。だが、無茶はならんぞ」


 事が露呈した訳でないとベルセリカは、内心で安堵の溜息を漏らす。


 今の今まで天狐族はあらゆる勢力に対して中立であった。皇国建国時に政治的な難題を知恵と勇気と恫喝で抑え切って見せて、初代天帝の信頼を得た当時の天狐族代表であったケマコシネ=カムイ公爵であっても、国営が軌道に乗り始めたと見るや否や、間を置かずして皇国中枢から去った。天狐族は外界との接触に極めて否定的である。皇国建国以降、歴史の表舞台に天狐族の名が出ていないということは、四〇〇〇年以上に渡り、外界との干渉を最低限に留めていたという事実でもあり、それは病的、或いは狂信的なほどの決意がなければ成し得ないものであった。


 当代、ケマコシネ=カムイ公爵が秘匿されていることからも、その偏執的な秘匿性は窺い知れる。


 優しくも臆病な狐達は、他種族を恐れているのだ。代々そう教育していたからこそ若き狐達も外界を望むことがなかったが、ある日、ミユキという例外が出来てしまった。


 そして、他種族を里へと招き入れ、里の危機を救う一因となった。


 少なくとも時代の変化をその痛覚で感じ取り、マイカゼは無干渉ではいられないと判断したのだろう。他の狐達もベルセリカ達や戦車を見てそう感じ取ったのかも知れない。


「夫は私が説得するから大丈夫。あ、でも、トウカくんには言っちゃ駄目よ。無意識に頼りにされちゃうと成長の妨げになっちゃうかも知れないもの」


 その言葉は正しいかも知れない。


 トウカは、利用できるモノを全て考慮した上で行動する。天狐族の支援が期待できると考えれば、余計な隙が生まれないとも言い切れない。


 聞きたいことはまだあるものの、マイカゼの貴婦人の如き余裕のある微笑は、全ての問いに対しての答えであると判断した。


「承知した。御屋形様に代わり、お心遣い感謝する」


 ベルセリカは、武士の佇まいそのままに頭を下げた。









「本当に困ったわねぇ……」


 マイカゼは渡り廊下を歩きながら、曖昧な笑みを浮かべる。


 庭先では小さな狐達に集られたトウカとミユキが顔を引き攣らせていた。子供は好奇心の塊であり、既にトウカに対する不信感よりも好奇心が上回っていた。無論、その要因の一つが稲荷寿司であり、大人達もそんな美味なるものが溢れ返っている外界に対して少なからぬ興味を抱いただろう。


 最早、狐達を里へ縛り続けることは不可能であった。


 外界がどれほどに恐ろしく、そして魅力に満ち溢れていることは、ミユキの表情から察することができる。そして、他の天狐にもマリアベルや戦車兵達との交流で色々な知識が流入した。

 実はマイカゼはこうなることを予期していた。


 それでも尚、マイカゼは外界からの者達を招き入れた。


 無論、トウカ達はマイカゼの独断であったが、マリアベル達はシラヌイも是とせざるを得なかった。敵襲の報を伝え、機甲戦力を支援に差し向けてくれた者を邪険に扱えるほどにシラヌイは不心得者ではないし、心強い戦力を逃す手はない。結果として招き入れた全ての者が勇戦して難局を乗り切ったことを考えれば、その判断は決して間違ってはいなかった。


 その辺りも十分に予期していたが、ミユキの言葉がマイカゼの予想を大きく乱した。



 今代の天帝さまが即位する前に、恋人がいたらどうなっちゃうのかな?



 狂おしいまでの情熱を瞳に潜ませた娘の問いにマイカゼは、一拍の間を置いて忌憚のない意見を述べた。


「七武五公は必ず、排斥に動くわ」


 その時のミユキの表情は、家族であるマイカゼですら見た事がないほどに落ち込んだものであった。初代天狐族族長を見て分かる通り、天狐族には政治的才能を持つ者が代々に少なからず存在していたが、目まぐるしく変わる仔狐の顔は、その才に恵まれていない事を示していたが、マイカゼはそれを好ましく思えた。打算ばかりの恋ではなく、本心でぶつかりあえるならそれは喜ばしい事に他ならない。


 しかし、激しく浮き沈みする感情は途方もない可能性を示してもいた。


 トウカが次代天皇大帝……天帝である可能性。


 或いは、次代天帝に近しい位置に存在する者である可能性。これに思い当たったマイカゼは、ミユキがとんでもないモノを釣り上げようとしているのではと冷や汗をかいた。トウカが天帝を僭称している可能性も考慮したが、ベルセリカがそれを見抜けないはずもなく、ましてや付き従っている以上、只事ではない。寧ろ、死んだとまで噂される程に長きに渡り隠居していたベルセリカが、今この状況下で外界へと降りてきた理由も説明が付く。


 結局、マイカゼは真実を尋ねることができなかった。剣聖であり、今回の防衛戦での立役者の一人でもあるベルセリカに、話は終わりだと言わんばかりに一礼されてしまえば、話を続ける事などできようはずもなかった。


「人の気も知らないで……あ、稲荷寿司の作り方を聞いておかないと」


 雪の積もる庭先で小さな狐たちの襲撃を受けて、氷の張った池の上を滑りつつも逃げていたトウカに視線を巡らせて、マイカゼは溜息を一つ。


 トウカを支援するとは、ミユキが政治の舞台に立たねばならない状況に対しての布石であった。最悪、マイカゼ自身がミユキの代わりに采配を振るう覚悟ですらある。


 ミユキは、他の小さな狐達を外から持ち込んだという飴で餌付けしており、母の胸の内の苦悩など感じさせない天真爛漫な笑みで幼き狐達と戯れていた。


「まぁ、考えすぎかしらね……」


 天狐達が外界へ雄飛できるならばそれでいい、とマイカゼは小さく笑う。


 その先には、池の氷が割れて、寒空の下で濡れ鼠になっているトウカがいた。











「北部は、お鍋が美味しいんですよ、主様」


「そうなのか? なら、食材と相談しないとな」


 ミユキの言葉に、トウカは「それは一大事だ」と答える。ミユキが話題に出すという事は食べてみたいということであった。トウカの心の内では、背嚢に入った油揚げと厚揚げを中心とした鍋料理が何通りか考えられており、ミユキがどれを一番好むかと吟味していた。一瞬、鼠が入った鍋が脳裏を過ぎったが、トウカは首を振っておぞましい光景を払う。背徳的で冒涜的な料理は断固として避けねばならない。


「まずは酒であろうて。妾の酒倉は世界中の酒が貯蔵されておるでの」


「それはまた魅力的ですね。料理に合うものを探すのも悪くありませんね」


 マリアベルの言葉に、トウカは頷く。


 米に近い穀物が天狐の里で振る舞われており、マリアベルは自ら持ち込んだという米酒を振る舞っていた。ならば焼酎に近い酒くらいはあっても不思議ではない。寧ろ、これほどの寒気であれば蒸留酒を熟成させる蒸留所が幾つも乱立している可能性もあるのではないかと、トウカは睨んでいた。


「楽しみだな。囲炉裏で鍋を囲みながら、酒精を嗜む。これ以上の贅沢はない」


 その様な日常が長く続かないであろうことをトウカは理解していたが、それでも尚、この日常が一日でも長く続くようにと願わずにはいられなかった。


「主様、……その、頬の怪我は痛くないですか?」申し訳なさそうにするミユキ。


 トウカは湿布が貼られた頬を掻いて苦笑する。


 それは父狐に殴られた傷跡であった。


「痛い。凄く重かったからな」忌憚のない本心を異邦人は呟く。


 そう、シラヌイの拳は異邦人には途方もなく重く感じられた。


『ミユキを悲しませたら殴るぞ!』


 既に一発殴っているではないか、と普段のトウカであれば皮肉げな笑みと共に言い返しただろうが、その拳には仔狐の恋人である異邦人にとって決して無視し得ない感情が宿っていた。

 言葉では表現する事も叶わない娘を任せたという感情の奔流。


 黙って殴られるしかないではないか。


 殴られたのは三発。


『ミユキを悲しませたら殴るぞ!』突然の鉄拳。


『ミユキを傷つけたら殴るぞ!』避け得ない鉄拳。


『ミユキを不幸にしたら殴るぞ!』避けてはならない鉄拳。


 トウカの身体能力でも避けられるほどには手加減された鉄拳だが、その全てに万感の想いが籠っており、それを避けるなど考えることすらなかった。シラヌイは決してトウカに良い感情を抱いている訳ではなく、明らかに嫌悪していた。だが、同時にミユキが選んだという事実も理解しており、少なくとも二人の決意を己が曲げる事のできるものではないという事も察していたのだ。


 認める気持ちと否定する気持ち。肯定と否定。相反する二つの感情に彩られた重く……心に響く鉄拳。


 甘んじて受け入れねばならない理不尽。痛かった。頬よりも、心が。


 本当にミユキという仔狐は家族に愛されていたのだ。そんなミユキが羨ましくもあり、不幸にはできないという想いがトウカの胸中で一層と強くなった。


 だがら――

『当然だ。糞親父ッ!』

 ――と全力で殴り返した。


 痛みに対する報復という気持ちがなかったとは言い切れないが、少なくともトウカはシラヌイの想いに全力で応じた。渾身の鉄拳であり、己の拳の脆弱さすら考えずに振り抜いた一撃。何一つ構えず、展開していなかったシラヌイは驚いた顔のままに後ろへと倒れた。


 そして、シラヌイが立ち上がる事を見届ける事もなくトウカは大外套を翻した。


「だ、大丈夫ですか? 薬塗りましょう!」


 涙目のミユキの頭を撫でて、問題ないとトウカは伝える。実際は、殴った右手も頬に負けぬほどに痛いのだが、恋人にやせ我慢するのもまた恋であろうと自己完結する。


 頬の傷など物の数ではない。寧ろ誇らしくすらあった。これはシラヌイが二人の仲を認めたという証でもあるのだ。トウカは努めてそう思うことにしていた。


「御屋形様――」


 三人の遣り取りを苦笑交じりに見守っていたベルセリカが、トウカへと頷く。その意味するところを察して、トウカは背の小銃に手を掛ける。


「数は?」


「……魔導機関の駆動音が聞こえるが……かなりの数で御座ろうよ」


 トウカ達は、マリアベルが搭乗してきた中戦車の車体後部に腰掛けている。ヴェルテンベルク領へ向かっているのだが、北部でも最東端に位置するヴェルテンベルク領へ徒歩で向かうのは時間が掛かる。よって戦車跨乗(タンクデサント)による移動を試みていた。戦車兵が車内にいる以上、車体に乗るしかなく、もし席に空きがあったとしても、ミユキは尻尾に油と汗の臭いが移ると嫌がるので元より選択肢はない。


「既に妾の領地であるからの。演習中の装甲聯隊であろう」


「……どうやらその様ですね」


 双眼鏡で前方を確認したトウカは、雪を巻き上げて進む複数台の戦車を視界に捉えた。聯隊と言うだけあり、その規模は大きく、遠目に見ただけでも一〇〇輌近くの車輛が見られた。


 トウカ達が旅客車(タクシー)変わりにしている中戦車と同型の、この世界では珍しい回転式砲塔を備えたその姿は間違えようもない。



 シュパンダウ Ⅵ号中戦車 |NordGespenst(北の亡霊)。



 それが中戦車の名であった。


 マリアベルがヴェルテンベルク領の特殊軍需区画であるシュパンダウ地区を統一して立ち上げたシュパンダウ社によって開発、製造されているⅥ号中戦車は、その六番目という名称が示す通り六番目に開発された中戦車で、マリアベルが量産を初めて許可したものでもあった。戦車が戦野に現れて四半世紀近くが経過するが、シュパンダウ社では皇国陸軍工廠とはまた違った発展を遂げていた。


 対歩兵戦や対戦車戦、対装虎兵戦、対軍狼兵戦の全ての戦局に一定以上対応できる万能型巡航戦車を求めたのである。


 周辺勢力との戦力差を考慮した結果、全ての任務に対応できる兵器の開発が急務であるとの判断であり、鉄鋼、魔導資源に優れた北部にとって量産し易い戦車が多くの任務を兼ねるということは理に適っていた。


 北部は無数の小さな湖と密林が乱立し、冬季には深い雪に包まれる天然の要害に他ならならず、奇襲や伏撃(待ち伏せ)に適した土地であることを考慮して、皇国陸軍正式採用歩兵戦車クレンゲルⅢ型に比べてかなりの小型化が図られていた。歩兵戦車と中戦車では目的が違う為に大型化する必要がないということもあるが、軽量化が高機動化に繋がるという理由もある。


 そうしてⅥ号中戦車は北部諸侯の中でも、機甲戦力を保有する貴族の領邦軍には必ず配備されている。


「むっ……、あの軍旗はヴァレンシュタインかの」


 直接、輪郭が見える程に接近してきたⅥ号中戦車の一輌が掲げている軍旗を見てマリアベルが深く頷く。策源地であるヴェルテンベルク領内にいる事考えれば演習中であることは容易に想像ができたが、それにしては仰々しい。


「友軍じゃな。やはり妾の装甲聯隊であろうて」


「鉄の箱が沢山ですね、主様」


 ミユキの無邪気な言葉に「箱で悪かったのぅ」とマリアベルが不貞腐れる。トウカは「撃破されると、それはそれは高価な棺桶になる。無駄がないだろう?」と口を突いて漏らしそうになった言葉を慌てて飲み込んだ。また、マリアベルに殴られては堪らない。


「斯様な機械に頼るのは好かんが、やはり時代の流れには逆らえぬので御座ろうな」


 自らが駆け抜けた騎士の時代が終焉を迎えつつあることに、ベルセリカは万感の想いが籠った言葉を投げ掛ける。


 だが、天狐族の隠れ里であるライネケで、擱座した敵方のクレンゲルⅢ型歩兵戦車が通行の邪魔だということで、大太刀で解体して撤去したのがベルセリカだった。動力である魔導機関が停止しているので対魔導防禦術式は無効になっていたが、それでも鋼鉄の装甲を大太刀で斬る姿には一同が唖然とした。


 ――砲身を斬り落とした挙句、装甲まで斬って見せた剣聖なら、我が道を貫き徹すも容易かろうに。


 通常、時代を逆行することは個人であれば死を、民族であれば滅亡を、国家であれば亡国を意味する。だが、ベルセリカという名の剣聖は、個人の影響範囲という条件付きであれば、時代の波に抗うだけの力を有している稀有な人物に他ならない。


 マリアベルは隷下の戦車三輌に停車を命じる。


 徐々に速度を下げて停車したⅥ号中戦車。戦車跨乗(タンクデサント)で乗るトウカやミユキ、ベルセリカに配慮して、その挙動は急激なものではない。装甲車輌自慢の瞬発性を発揮されれば、高位種のミユキやベルセリカは兎も角、トウカであれば確実に振り落とされる。マリアベルに関しては、砲塔天蓋に固定された椅子に座して身体を固定している為に問題はない。寧ろ、寒くないのかとすら考えてしまう光景であった。無論、指揮棒を手に厭世的な姿で座るマリアベルは、それはそれで心を惹かれるものがある。


「散開しましたね……」


「む、生意気な。妾を挑発しておるつもりか? ええい、よう考えてみれば、この辺りで演習をするなどと(さえず)っておったな」


 忽ちの内に接近してくる五〇輌を超えるⅥ号中戦車の大群。鋼鉄の野獣が雪を巻き上げ、雪原を疾駆する様は壮観の一言に尽きる。トウカはここで気付いた。トウカは皇国が第二次世界大戦初期相当の技術を有していると考えていたが、その速度と瞬発性に限っては遥かに優越したものがある。魔導技術による補助と、乗員が運用に優れた種族であるが故の芸当なのだろう。砲手が射撃に優れた資質を持つ耳長族(エルフ)であることはトウカも聞き及んでいた。


 ライネケに於ける戦車戦では、本来であれば命中など期せるはずもない行進間射撃を前提としてⅥ号中戦車は運用されていた。トウカは遅まきながらに気付く。


 トウカは想像以上に装甲車輌に有利な技術が揃っていると感じた。


 次々と速度を落として停車するⅥ号中戦車。


 周辺警戒の為か、散開を続けている車輛もある。マリアベルの座乗するⅥ号中戦車を中心にした輪陣形を形成する動きである事は明白。トウカは敵対行動ではないと一安心する。


 正面に小隊規模のⅥ号中戦車が停車する。


 掲げられた無駄に大きな聯隊旗は、黒地に戦乙女が大剣を掲げる形に金糸で縫い上げられている。指揮官は演出家の素質もあるのかも知れない。


 対面した小隊規模のⅥ号中戦車……その中央に停車した車輌から一人の歳若い士官が降りてきた。


 精悍な佇まいを演出するかの様に短く刈り上げられた黒髪に、皇国では然して珍しくもない碧眼をもつ男性将校。だが、印象的なのは勝気な表情に、両の瞳に湛えられた隠す心算もないであろう稚気である。傾いで被った軍帽と首に掛けられた頭部音響通信具(ヘッドセット)も余すことなく若さを強調していた。


 近所にこんな糞餓鬼がいたな、と思わせる雰囲気。


 トウカは胡散臭い顔を隠さない。


「若く見えますが……まさか人間種ですか?」


「うむ、低位種以外は戦車に乗りたがらぬ故の」


 ゆったりと、自信の滲む足取りで近付いてくる男性将校。


 装虎兵や軍狼兵が花形兵科とされている以上、未だ陸の覇者の立場を示していない装甲兵に志願する中位種や高位種は稀であると安易に想像できる。そして、砲手以外は生まれ持った資質に左右され難い装甲兵は低位種にとり将来的に活躍の機会を得られるかも知れない潜在的な花形兵科であった。砲兵より攻撃的な任務に就く可能性が高い以上、活躍の可能性はより高い。


 そして、装甲兵科は皇国に於いて極最近に成立した兵科でもある。若手将校が野戦指揮官の中核となる事は何ら不思議ではない。成立したばかりの兵科とは、いつの時代でも人材的な偏りを有しているものである。他の兵科が優秀な将兵を拠出するはずもなく、集められるのは問題児と新兵、極少数の奇特者と相場が決まっていた。


 眼前で立ち止まり、戦車上の椅子に気紛れの女神の如く厭世的に座したマリアベルを見上げる男性将校。


 問題児か奇特者のどちらか。


 装甲聯隊の陣形の乱れなき様をみれば、新任士官とは思えない。


 年齢は三〇に届かぬ顔立ちで、トウカよりも高齢であることは疑いないが、外見の上でも性格の上でも若さを隠さない将校は稀である。威厳を求めて髭を伸ばし、風格を求めて口調を変えるなど軍では珍しいことではない。


 勝気でいて無謀と権威への挑戦を履き違えた表情の男性士官が、憎らしい程に様になった敬礼を以てマリアベルを見上げる。


「ザムエル・フォン・ヴァレンシュタイン装甲兵中佐。伯爵閣下の御帰還を演習を進めつつも“ついで”にお待ちしておりました」


 上官を上官とも思わぬ将校であった。


 分類上は間違いなく問題児である。ヴェルテンベルク領邦軍がヴェルテンベルク伯爵たるマリアベルの隷下にある。無理無謀無茶を突っ撥ねるだけの意思と度胸を持ち合わせた将校は決して面倒な存在であるとも言い難い。何よりもマリアベルが装甲聯隊指揮官であること“黙認”している以上、それ相応の理由があると見るのが自然であった。


 マリアベルは指揮棒を掌へと打ち付け、溜息を一つ。


「変わらぬのぅ。若造め」


 マリアベルの嘆息交じりの一言に、男性将校……ザムエルは唇の端を吊り上げる。母子の会話にも思えるが、口にすれば指揮棒で打ち据えられるに違いないと、トウカは無言を貫く。


 しかし、無言であることもまた宜しからざるものであったのか、マリアベルの指揮棒がトウカの背を叩く。


「ほれ、トウカ。御主の同僚じゃ。挨拶せぃ」


 母に急かされて挨拶をする子供の心中とはこの様なものであるのかと毒づきつつ、トウカはⅥ号中戦車の天蓋から飛び降りる。


「サクラギ・トウカ。ただの異邦人です。以後お見知りおきを」手を差し出したトウカ。


 軍務に関わる事はマリアベルと合意している。以後がある事は確実で、装甲部隊指揮官となれば面識があって損はない。


 トウカは不興を抱かれないであろう笑みを作る。


「野郎の名前なんてどうでもいい! そっちの狐のお嬢さん(フロイライン)の名前は!?」


 ぱしり、トウカの手は打ち払われる。


 この糞餓鬼ぃ。とはトウカは思わない。


 欲望に忠実である相手であれば容易い。尤も警戒すべきは遍在の性質を持つ相手である。権力に癒着し、体制や世論に寄り添う相手こそが警戒すべき相手であった。正体が見えず、誰しもが仮想敵足り得る要素を備えていては敵対すら難しい。地方の領邦軍、それも装甲部隊の佐官程度を恐れる理由などなかった。寧ろ、軍人であるが故の隙は多い。無論、情報分野に関わる将校であれば、トウカは素直に泣き付いていたが。


「軽妙な方だ……仔狐は怯えている。そちらの怖いお姉さんに串刺しにされたいか?」


 ベルセリカが背負う大太刀が硬質な音色を零す。


 酷く暴力の気配が匂い立つベルセリカの笑みに、気圧されたザムエルだが、そこで諦めるようではマリアベルに横柄な振る舞いなどするはずもない。


 一転してトウカの手を握ると、そのまま引っ張り迎え入れて肩を組む。戦術の転換……変わり身の早さに、トウカは感心する。命令墨守よりも独断専行の恣意を必要とすることもある装甲部隊指揮官としての性質が碌でもない形で発露している点は、友軍として慙愧に堪えないものがある。当然、トウカは表情に感情を乗せる愚は犯さない。


 トウカに顔を近づけるザムエル。


「女は星だろう。皆で見上げて美しさを讃えるべきだぜ?」ミユキを差し示すザムエル。


 日輪が中天にある最中(さなか)に、辰星の瞬きなど窺えようはずもない。大層な老眼と言える。ミユキは敢えて言うなれば日輪そのものである。星ほどに慎ましやかではない。


「ははは……失礼。愉快な方ですね。……ヒトの手は星には決して届きませんが」


 トウカは、ミユキへと差し出されたザムエルの腕を掴む。


 二人が睨み合う。


「そこまでにせぃ。阿呆どもが」椅子の肘掛に煙管(キセル)を打ちつけたマリアベル。


 領主の制止の命令にザムエルはトウカの手を振り解く。


「辛いなぁ。この俺の妖しい魅力が伝わらねぇなんて」


「堕ちてきた流星を受け止める覚悟で出直して来るんだな」その流星の名はベルセリカという名である。


 マリアベルとベルセリカが苦笑し、ミユキは戦車を降りてトウカの腰へと抱き付く。ザムエルの眼付きが険しさを増したと見たトウカだが、腰の仔狐という日輪を背にした己に後光でも差して直視し難いのだろうと納得する。


此奴(こやつ)は同僚ぞ。睨み合ってなんとするか」そうは口にしつつも苦笑を一層と深めるマリアベル。


 トウカはその言葉に眉を跳ね上げた。


 同僚となれば同格の階級が与えられることになる。流石に下士官であるとは考えておらず、精々が尉官であるとトウカは考えていた。マリアベルに従卒となって進言する立場になれば、領邦軍の戦略や家臣団の政略にも影響力を及ぼせると、トウカは踏んでいた。その前提が崩れた。ヴェルテンベルク領邦軍に於いて、佐官とは上位の野戦指揮官に与えられる階級である。


「ヴァレンシュタイン中佐が? では、中佐の階級を貰えると?」


「然り。御主であれば風当たり如きを気にせぬであろうが、我が領邦軍は実力主義での。一度、己の才覚を戦野で示すがよい」


 マリアベルは奇襲をに成功したと言わんばかりに得意げな表情をしている。


 トウカは天を仰ぐ。


 信頼関係の構築された部下もいない状況で戦野に赴くはずもなく、部隊編制と訓練は多大な時間を要求することが目に見えている。その上で影響下に置ける人員は、中佐であるならば大隊規模か聯隊規模。それでは来るべき決戦に間に合わない。


「おいおい、冗談だろ? 新参が行き成り俺と同じ階級だって? この若造に兵の指揮なんてできるのかよ?」


 トウカに続いてザムエルも天を仰ぐ。両手を空に伸ばしていた。


「いや、全くです中佐殿。俺が……小官が求めるのは戦略と戦闘教義(ドクトリン)に干渉できる立場であって、戦場の片隅で蛮声を上げる立場ではない」


 名声や武勇などトウカは望んでいない。


 そんなモノは欲しい新進気鋭の若手将校にでも押し付ければいい。トウカは結果のみ求めており、道具でしかない名声や武勇などは必要とした際に“借り”ればよいと割り切っている。


 ザムエルは、舌打ちを一つ。


 心情としては、自身こそが舌打ちをしたい立場である。トウカは眉を顰めた。


 だが、次の一言で打開策を見だした。


「よぅし、御前! 俺が御前の能力を見極めてやる。演習だ!」

 







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