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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第一章    戦乱の大地    《紫電清霜》
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第四四話    七武五公




「済まん。娘が迷惑を掛ける」


 男は年代物の座席へと収まっている二人の貴族へ頭を下げる。



 アーダルベルト・ラウ・フォン・クロウ=クルワッハ公爵。



 《ヴァリスヘイム皇国》が七武五公の一角にして、龍種の頂点に君臨する神龍族の長であるアーダルベルトが頭を下げる意味は重い。その噂が流れるだけでも権勢に大きな傷が付くことは疑いなかった。威厳に満ちている、人間種の容姿では四十路を過ぎた程の佇まいのアーダルベルトが頭を下げる姿は極めて珍しいものと言える。


 そして、頭を下げた相手もまた同等の権勢を誇る者であった。


「別にかまわないさ。俺は寧ろ将来が楽しみだからな」


 外見は三十路を過ぎた程度の容姿をした男が野性的な笑みをもって応じる。その笑みは歓喜以外の感情は見受けられず、全くの他意がないことを何よりも教えてくれた。そんな快活さと、ある種の若さをアーダルベルトは好ましく思う。



 レオンハルト・ディダ・フォン・ケーニヒス=ティーゲル公爵。



 虎族の頂点である神虎族の長であり七武五公の一柱を担う若き虎であった。


「私も気にしてはいないわ。あれは国家の視点からすれば間違いなく最善だったわ。でも、当人にとっては悪手でしょうね」


 柔らかな笑みに妖艶な雰囲気を同居させた美しい妙齢の女性が苦笑する。その苦笑の意味するところが娘へと迫る難局に対する危惧であろうことを察して、アーダルベルトはぎこちない笑みを浮かべた。



 フェンリス・ルオ・フォン・フローズ=ヴィトニル公爵。



 狼種の全てを従える女傑にして七武五公の精華。


 アーダルベルトの領地である公爵領の公都ドラッケンブルクの中央に位置するクロウ=クルワッハ公爵邸宅の最上階に近い一室で、三人は窓際で小さな円卓を囲み相対していた。


 落ち着いた造りの部屋は明かりが点けられておらず、窓から差し込む月光と眼下に見える大規模な城下都市の照明が三人の顔を照らしている。


 トウカにとって、三人の評価は限りなく低いが、城下都市の隆盛を一目見ればその評価は変わるかも知れない。


 例え皇国の宮廷序列で頂点に近くとも、それだけでは説明できない隆盛がそこにはあった。夜の帳が下りても尚、市場では多くの商人が街灯と店先の照明を頼りに商いを続けており、民衆や旅人達はその活気に足を止めて大いに飲み、大いに食していた。道端の廃材に座り賭け事に興ずるものもいれば、色町区画で客引きに導かれて娼館へと誘われる者もいる。


 そこには大都市と評しても何ら差支えのない光景が広がっていた。それはアーダルベルトのたゆまぬ治安維持と整備計画、企業誘致、税制効率化と何十年という長き時間を消費することによって実現された繁栄の結果である。


 公都ドラッケンブルクだけではない。ケーニヒス=ティーゲル公爵の公都であるパンテルハイトも、フローズ=ヴィトニル公爵の公都であるヴォルフスシャンツェもこれに負けず劣らずの隆盛を誇っていた。


 皇国が国難にあって尚、これほどの隆盛を誇っている事実は七武五公が如何に内政に注力していたかという良い証明でもある。そして、天帝不在による不安定化によって経済の硬直が始まっている中では異常な光景とも言えた。それは国内を見渡せば一部に過ぎないが。


「あの白鴉は動は今回もだぜ」レオンハルトは吐き捨てる様に呟く。


 白鴉とは、熾天使族の頂点たるヨエル・リエ・フォン・ネハシム=セラフィム公爵を指す異名である。天使種の血統でありながら、国家と国体の為ならば手段を選ばない事からの名であった。


 ヨエルは、アーダルベルト達が行っている種族的連帯すら行わず、親族すらいないことも相まって貴族内では孤立している。無論、それは権勢の脆弱化を意味する訳ではなく、絶大な権勢は衰えなく国内諸勢力を睥睨していた。


 玉座に侍る彼女は皇城府長官でもあった。彼女は所領を持たず、皇都を護持する熾天使は天帝の権威に寄り添うのみ。その彼女ですら動きを見せない。


「皆が皆、動かなかったようだが……やはり考えることは同じか」


 アーダルベルトの疲れたような言葉に二人は苦笑する。


 二人は先日に南北エスタンジアより帰還していた。


 ケーニヒス=ティーゲル公爵レオンハルトが、自領の領邦軍から〈重装虎兵師団『インペリウス・ティーガー』〉を、フローズ=ヴィトニル公爵フェンリスから〈大軍狼兵師団『カイザー・ヴォルフガング』〉を基幹戦力とした戦力を率いて防衛支援の目的で、《南エスタンジア国家社会主義連邦》陸軍と共同して防衛任務に就いた。侵攻してきた《北エスタンジア王国》と《スヴァルーシ統一帝国》の連合軍と対峙したが、峻険な山岳地帯もあって膠着状態に陥っている。


 最終的に皇国が投じる戦力は、中央貴族による領邦軍連合と陸軍二個機動師団を含め十五万を超える大軍となった。後者の再配置の第一陣の到着を見届けた後、レオンハルトとフェンリスはこの場にいる。


 撃退は叶わなかったものの、戦線の構築に成功し安定しつつある。南エスタンジアの英雄として名高いモーデル将軍の手腕も大きい。


 だが、皇国の諸勢力は気付いた。


「エスタンジア戦線は安定したけど、我々は少なくない戦力を張り付けざるを得なくなったわ」


「戦力を釣り上げられた形だぜ。それも踏破性に優れる軍狼兵と装虎兵が多い」


 レオンハルトが手元にウィシュケの酒瓶を引き寄せ、フェンリスが肩肘を突いて微笑む。


 帝国軍の目的が戦力の誘引であることは明白であるが、皇国側にそれを座視するという選択肢はなかった。南エスタンジアと北エスタンジアの戦力は拮抗しているが、帝国の戦力が加われば後者に天秤は傾く。


 エスタンジア地方の陥落は帝国と直接領土を接する事に繋がる為に放置できない。その為に南エスタンジアの成立を黙認し、軍事同盟まで締結したという経緯がある。結果として戦力の分散をせざるを得ない状況に追い込まれた。


 そして、北部を除いた貴族による領邦軍の連合の展開は、大御巫による征伐軍と陸海軍の連携を牽制する戦力の減衰を意味する。


 その代償は、既に表面化している。


 大御巫が陸軍と海軍と競合してベルゲンに戦力を集中させつつある。


 その兵力、推定二〇万。


 中央軍集団が完全にベルゲンに到着すると間違いなくその程度の戦力になる。



 中央軍集団。



 それは、皇国の国防戦力上で重要な打撃戦力であった。


 基本的に各方面軍に任されている国境防衛であるが敵の圧力が増大し、これに対応できなくなった際の即応予備としての一面を持つ。皇都を含む中央部を策源地とする強力な打撃戦力。三個突撃師団に二個騎兵師団、一個装虎兵師団、一個軍狼兵師団、一個魔装砲兵師団、一個機甲師団、一個航龍師団を基幹戦力として構成されている。火力と機動力を重視した戦線への火消しを前提とした高機動打撃戦力であり、皇国有数の大兵力でもある。複数ある軍集団の中で兵力では最も少数であるが、随一の魔導戦力と火砲戦力を有するそれらを投入すれば蹶起軍を短期間で瓦解させられるだろう。


 間違いなく大御巫……アリアベルは短期決戦を意図している。


 帝国を筆頭とした周辺諸国の介入を恐れているからこそであり、一時的に実働予備である中央軍集団を引き抜いてまでの強硬手段は決して間違いではない。付け入られる期間を最大限に減少させるという意味では極めて有効ですらあった。


 同時に、陸軍は一定の規模を持つ領邦軍を有する貴族に対し、南北エスタンジア地方への共同派兵を持ち掛けた。


 戦力が枯渇しているという主張は、中央軍集団を北部貴族に当てるからこそであり、アーダルベルトとしては噴飯ものであった。しかし、南北エスタンジア地方からの帝国軍の侵攻を見逃すことで、蹶起軍の戦力を分散させ、各所撃破。然る後に帝国軍を北部で撃破すると宣言されれば頷かざるを得ない。


「アリアは目に見える力ばかりに頼り過ぎている」アーダルベルトは兼ねてより思っていた。


 確かに一連の動きは疾風迅雷と評して差し支えない。中央貴族も政府も伝達される情報を得た時点で後手に回っていた。既に動き出した中央軍集団は異論を許さないという決意以上に、それ以外の選択肢を喪わせていたのだ。


 何処であれ程に難儀な考えを持つようになったのか、アーダルベルトには分からない。


 否、立て続けに起こった、長男の死と長女の廃嫡が関係していることは容易に想像が付いた。それは、アーダルベルトとしても痛恨の失態であり同時に大きな悲劇である。


 長男であるリヒャルトは帝国軍の航龍隊との交戦の末に撃墜されている。エルネシア連峰を長躯飛翔してきた帝国軍航龍隊、約一〇〇騎に対して皇国軍は初動が遅れ、北部でエルネシア連峰の麓に位置するシュトラハヴィッツ伯爵領が空襲を受けた。


 当時は、現在配備が進んでいるような爆撃騎や輸送騎用の鉄籠(騎体下部に装備する積載装置)は開発されておらず、龍騎兵が直接降下しての魔導射撃による攻撃であったが、騎数が多い為に甚大な被害を及ぼした。


 その一報を耳にしたリヒャルトは、ドラッケンブルクでクロウ=クルワッハ公爵爵家の領邦軍の即応状態にある少数の航空戦力を引き連れてシュトラハヴィッツ伯爵領への防空戦闘に赴いた。


 クロウ=クルワッハ公爵爵家領邦軍は創設当時より極めて強大な航空戦力を有していたが、シュトラハヴィッツ伯爵領空襲時は、その多くが大星洋上に於いての飛行訓練の最中であった為、引き連れていた龍騎兵の数は三〇騎足らず。無論、ドラッケンブルクからシュトラハヴィッツ伯爵領までの距離を考慮した結果、高位種の龍以外の航続距離が足りなかったという理由もあり少数にせざるを得なかったという理由もある。


 せめてもの救いは、リヒャルト隷下の航龍隊の乱入により、民衆の避難する時間を稼ぐことに成功したことであった。これ程の数的劣勢の中、圧倒されることがなかったのは高位種であるからこそ可能な芸当であるが限界はある。


 結果としてリヒャルトは北の空に散った。


 その際、増援として対空魔導射撃が可能な魔導士を領内から掻き集めたマリアベルが、騎兵隊を率いてシュトラハヴィッツ伯爵領へと駆け付けたが時既に遅く、戦闘は集結していた。


 しかし、波乱はそれだけでは終わらない。長男であるリヒャルトの死によって次期クロウ=クルワッハ公爵爵としての継承権がマリアベルに移ったのだ。


 マリアベルの母は人間種であり、アーダルベルトが初めて愛した女性であった。しかし、他種族との混血化による次代の能力低下を恐れた親族の強固な反対もあって正室に迎えることはできなかった。


 結局、親族の強い推挙もあって神龍族の女性と婚儀を結ぶこととなり最愛の女性……そして風の便りで聞いた自らの娘とは然したる接点を得る事が出来なかった。


 転機が訪れたのは正室に迎えた神龍族の女性との間にリヒャルトが生まれた事であった。


 その時既にマリアベルの母は大地に還っており、アーダルベルトは酷く落ち込んだが、せめて忘れ形見であるマリアベルだけでも護らねばならないと思い立つ。親族の反対をリヒャルトの継承権を上位にするために長男であるとすることを条件に周囲を抑え込んだ。アーダルベルトは止む無く当時の天帝に願い出てマリアベルを全く開発の進んでいなかったヴェルテンベルク領主として伯爵位を授けることによって遠ざけた。当時、マリアベルという若き龍が、頭角を現していなかったことから多くの龍に侮られていた為、爵位を与えることにはリヒャルトの誕生も相まって反発を受けなかった。


 当時は辺境と呼んで差支えない土地に追い遣られたマリアベルには様々な制約が課されたが当人はそれを甘んじて受け入れた。その頃は少なくともまだアーダルベルトに信頼を寄せていたのだろう。時折、忍びで顔を出したこともあった。


 制約を課された理由は、継承権争いが起きることを恐れた親族がマリアベルの力を削ごうとしたからであった。同時期に帝国の大規模侵攻があり、国内に火種を作れば神龍族の権勢の衰退に繋がるという思惑もあったのかも知れないが、その遣り様が余りにも直接的過ぎた。


 本来、辺境伯の位を与えられるはずが伯爵位に留まり、経済的交流までにすら制限を掛けた。ヴェルテンベルク領は、その位置と将来の発展性から統治するには最低でも辺境伯の位は必要であり前任者も辺境伯であった。そして、経済的交流の停滞は初期のヴェルテンベルク領発展を妨げた。


 この采配によって継承権を巡る問題は一応の決着を見たが、時が巡りリヒャルトが戦死した事によって状況は変わる。


 人間種の血が半分流れているマリアベルが、次期公爵へと継承権が繰り上げられたのだ。


 これに親族一同が反発した。


 クロウ=クルワッハ公爵は神龍族族長であり、全ての龍の頂点に立つ存在である。その地位に立つ者が能力に疑いを抱かれては神龍族の権勢に大きな傷が付くというものが親族一同の主張。事実無根という訳ではなく、その言葉には理があった。人間種の権力継承と違い、高位種は男女に関わらず同等の力を有している為、性別による継承権の変動はないことが混乱に拍車を掛けた。その時、生まれていたアリアベルが男子であったとしてもマリアベルの継承順位は揺るがないのだ。


 ここまでがアーダルベルトの限界であった。


 故に廃嫡を宣言した。御前は最早家族ではない。血の繋がった肉親ではないと父親が言い放ったのだ。それが子供にとってどれ程の衝撃であったのかアーダルベルトには分からない。


 だが、何よりもマリアベルが同族に暗殺されることを恐れたアーダルベルトにはそれ以外の手段を持ち合わせていなかった。当時、ヴェルテンベルク領もそれ相応の発展を見せ始めており継承権の繰り下げでは他の龍が納得しなかった。マリアベルがアリアベルを害する可能性を考えていたのだろう。


 マリアベルの継承権を剥奪するしかなかった。半端な対応では他の龍が納得しない。


 あの頃の龍は半端者に対する侮りがあったのだろう。一応はそれで決着を見た。


 しかし、アーダルベルトは忘れない。マリアベルと最後に交わした言葉を。


『妾こそが皇国の末路なれば……ゆめゆめ忘れぬがよい』


 母の遺骨の収められた木箱を抱いて大外套を翻したマリアベルの後姿をアーダルベルトは一生忘れる事はないだろう。龍の生は長いがやはり忘れえぬことはある。


 憎悪や悲観ではなく、何一つ感情を映す事のない瞳に実父の領地には眠らせてはおけないと持ち出された最愛の人の遺骨。


 あれは、マリアベルの決意だったのだ。悉くを打ち滅ぼすという。


 現にヴェルテンベルク領はそれ以降、凄まじい速度での発展を遂げた。マリアベルが退廃的であるという噂は間違いで、親族を欺きつつも力の増強を図っていることは間違いない。何を意図しているかまでは口にするまでもない。


 結果としてヴェルテンベルク領の発展の恩恵を受ける形で北部は大きく発展した。マリアベルからすれば中央部との経済摩擦が生じており、それに対抗するには北部でのブロック経済しかない。北部を一つの自己完結した経済圏にしようと目論んだのだ。


 ブロック経済とは本来、自国と友好国をブロックと称して関税障壁を張り巡らし、他のブロックへ需要が漏れ出さないようにした状態の経済体制である。だが、マリアベルは中央に対抗する形で反発が起き難い様に緩やかな経済封鎖を行った。そして、東部の一部貴族と結託し、造船用の鉄鋼を扱って莫大な富を得てからの急成長は目を瞠るものがある。他大陸との交易の為に大量の船舶を必要とした時代の需要に答えた慧眼は流石という他ないが、その富は北部の軍備増強となって中央を脅かした。


 北部との摩擦はなにも最近の出来事ではないのだ。


「今にして思えば、あの経済交流の制限が北部との軋轢の始まりであった」


 北部との軋轢が決定的になったのは、マリアベルが継承権を失って以降であった。北部が強力な武装の開発を独自に行い始めたので中央貴族と政府が警戒し始めたのだ。


「でも、兵力は増えていないわ。蹶起(けっき)する以前までは確かに兵数制限を順守していたようにみえたけど」


 フェンリスが妖艶な笑みを浮かべたままに呟く。しかし、その瞳はアーダルベルトの心中を見透かさんばかりに鋭い。アーダルベルトが北部の軍拡を故意に見逃した可能性を考慮しているのだろう。


「馬鹿なことを言うな、ババァ。俺だって警戒は怠っていないぞ」レオンハルトが憮然とした顔で呟く。


 三人とも七武五公であり、それぞれ貴族として大きな権勢を誇っているがレオンハルトだけは年齢が若かった。先代神虎公が以前の対帝国戦役初期に討死した結果、予定よりも早く神虎公の座を継いだのだ。アーダルベルトやフェンリスからすれば息子と呼んでも差し支えない若さであり、それ故の活動的な姿勢は好ましく感じられた。


 確かにレオンハルトからすれば、フェンリスは年齢的には“ババァ”に他ならない。人間種の外観では三〇代半ばの妙齢の妖艶な雰囲気を持つ女性である。対するレオンハルトは三〇代に差し掛からんとしている程にしか見えないことから十分に“ババァ”呼ばわりする権利はあった。


 無論、権利はあっても行使することはまた別である。


 鈍い音が響き、レオンハルトの顔に冷や汗が浮かぶ。脛でも蹴られたのだろう。


 笑顔で腕を組むフェンリスの顔に一瞬、形容し難い感情が浮かび上がった気がしたアーダルベルトは口を挟まない。巻き添えとなることを避ける為であり、口の良く回るフェンリス相手の口論は無意味だと悟っている。寧ろ士官学校時代に散々蹴られた身体の節々に幻痛が走った気すらした。


 これもまた若さか。


 この点に関しては、決して羨ましいとは思わないが。


「結局、だ。エルライン要塞が突破される可能性をアンタのところの娘は考えてない」


「そうねぇ、エスタンジア方面からの帝国軍の撃破は難しくないかも知れない。でも、それは相手に増援がない場合」


 もし、エルライン回廊側の帝国軍が要塞攻略に成功し、両方面軍の合流したら相手の戦力は膨れ上がることになる。或いは、南北エスタンジア方面の帝国軍と交戦中、エルライン回廊側の帝国軍が戦場に姿を現せば挟撃の危険性が生じかねない。


 二つの侵攻路から侵攻してきた帝国軍の一方を助攻と考える事は危険である。一方を突破した方面軍がもう一方の方面軍支援の為、皇国軍の後背に回る可能性は高い。それを阻止する事ができるか、アーダルベルトは危ぶんでいた。地形的制限のない地域での戦闘であれば、浸透や突破の可能性は十分にあり得る。


 共に主攻であると見るべきである。否、共に主攻と成り得る要素を兼ね備えている。突破は断じて赦されないのだ。


 アリアベルも陸海軍も陽動だと考えているかも知れないが、何百年と領土的野心を燃やし、失敗し続けた帝国は皇国という国家の多くを学び続けているはずである。


 勝算と打算があるからこその侵攻なのだ。甘く見るべきではない。


「叛乱さえおきなければ、な」アーダルベルトは天を仰ぎ、右手で顔を覆う。


 否、帝国が軍事行動の気配を見せ、一方に戦力を集中する事ができず、国内問題の解決を急がねばならない状況に政府が迫られたからこその蹶起なのだ。


 だが、帝国の動きは予想よりも早く、誰しもが予想しない規模で、その行動も不可解なものであった。叛乱も燎原の火の如く拡大した。


「でも、不思議よねぇ。北部を三〇年足らずで急成長させたあの娘がこんな軽挙に出るなんて……勝算があるのかしら?」


「いや、それはないだろうよ。最悪、俺達が各領邦軍を率いて敵対する可能性を考えないはずがないと思うが」


 突然話を切り替えたフェンリスに、冷や汗を流したままにレオンハルトが応じる。脛の痛みは重症化している様子である。痩せ我慢は若者の華であり傍目に見ても微笑ましい。


 二人の遣り取りを横目に、アーダルベルトは一つの可能性を考えていた。或いは、マリアベルは北部貴族の激発を押さえられなかったのではないか、と。


 マリアベルはヴェルテンベルク領だけの発展では、挙兵時に総兵力で余りにも不利と判断して北部全体の発展に力を入れたのだろうが、同時にそれは北部貴族の欠点も抱え込むことになった。


 《スヴァルーシ統一帝国》という国家への恐怖心。 


 長命種は確かに人間種と比して強大な力を持っている事が多いが、その出産率から人口そのものが急激に増大することはない。そして生物の根源的な恐怖の一つである種としての滅亡を帝国の国是が意図している。長命種一人の死と短命種一人の死は、国力という面から見ても大きく違う。戦闘能力もあるが出産率に劣る前者の損耗を国力として捉えた場合、その回復には膨大な時間が掛かる。現に帝国成立前は緩やかとはいえ上昇傾向にあった長命種の数が今では完全に横這いとなっていた。


 このままでは長命種の種としての滅亡が始まる。これは在りし日のマリアベルの受け売りであった。


 理路整然とした事実は貴族社会にも大きな波紋を及ぼした。それを見越してマリアベルは貴族社会でその事実をぶちまけたことは疑いようもなく、中央貴族の中にも北部貴族に対して同情する者は少なくない。対帝国戦争における戦いはエルライン回廊に限定されていると言っても過言ではないが、寒冷地帯である戦域での戦闘ゆえにその多くが北部出身の将兵で占められている。経済発展も隣に好戦的な国家があれば難しい。


 北部ばかりに犠牲を押し付けている現状で、その上、先代天帝からの軍備縮小や融和路線が北部に更なる不満を植え付けた。


「あれほどの不満……押さえ付けていただけでも驚異的だ。抑えきれなかったと見るべきだろう」アーダルベルトは溜息を吐く。


 もしかすると、マリアベルは不満を制御できると考えたのかも知れない。不満にある程度指向性を持たせることによって意識を一方向に誘導し、統率し易いようにして自らが意図した時期に暴発させて見せようと目論んでいたのだろう。


 しかし、アリアベルは長命種達の恐怖心を侮っていた。


 或いは自らに子を成そうとする意識がなかったからこそ種の滅亡に対して無意識の侮りがあったのかも知れない。最終的には北部貴族の暴発を無理に押さえ、自らに非難が向くことを恐れて比較的早い段階で蹶起したのだろう。


 有り得ることである。


「そこに“運悪く”帝国の侵攻が重なったわけね」


「幸いにして北の連中が一番帝国の恐ろしさを理解している」二人の言葉にアーダルベルトも頷く。


 帝国がエルライン回廊に侵入したという一報を聞いた瞬間、北部貴族はエルライン要塞への増援と補給のみ北部の通過を許可すると宣言した。或いは帝国と皇国陸軍を衝突させて正面戦力を減衰させるという思惑もあったのかも知れないが、早期に要塞への増援を許可したことは大いに評価できた。


 だが、帝国軍は増援が北部へ向かう途上に撤退を開始し、北部も増援の必要なしと判断して北部通過を認めなかった。最終的に間に合った増援は輸送騎による一部少数の増援だけである。


 その為に、北部外縁まで進出した増援は蹶起軍と睨み合うこととなった。行き着いた先は戦線の形成である。


「それで、皆が何とする気か聞いておきたい」答えは分かり切っていたが、聞かずにはいられない。


 現状でアーダルベルト達が蠢動すれば、北部のマリアベルは兎も角としても、ベルゲンに展開しているアリアベルの征伐軍が反応する可能性が高い。現に海軍の二個陸戦艦隊(陸軍編制に於ける師団相当)が政治的中枢である皇都近郊で野戦陣地を構築しており陸軍一個増強師団が皇都内で警戒を続けている。


「取り敢えずは放置、それ以外にないと思うが」レオンハルトは、渋い顔で呟く。


 そう、今この時、状況解決の為に兵を動員すれば皇都で戦闘になり皇国の首都が灰燼に帰す可能性がある。長い歴史を誇り、皇国の政治中枢にして歴代天帝陛下の意志の総算である皇都が焼け落ちるなど天帝陛下の藩屏とし断じて許容できない。


 アリアベルは事実上、皇都を人質に取っているのだ。


 そもそも、南北エスタンジア方面への増派の為、戦力が不足しており勝算も乏しい。


「貴方の娘達は、十分に国を動かし得る逸材だったという訳ね。私達を動けなくしちゃうんだから大した策士よ。……本当に残念ね」フェンリスは薄く微笑む。


 嫌味ではない純粋な称賛に、アーダルベルトは複雑な顔をする。


 二人の姉妹が手を取り合って皇国を繁栄させるという在りし日に夢想した未来は既に遠い思い出に過ぎない。そして、あろうことか今この時姉妹は互いに命を奪わんと戦備を整えんとしている。


 一体、何が間違っていたのか?


 神龍の長には分からない。


 マリアベルの母を最愛の者とした事か?

 リヒャルトが北へ赴くのを止めなかった事か?

 マリアベルを北の大地へ封じ込めた事か?


 否、アーダルベルトはその全てを一人の男としても、クロウ=クルワッハ公爵としてもそれらを後悔することは許されなかった。


「蹶起軍にも備えと謀はあろうが、征伐軍の戦力の前に敗北は必定。我らが動き出すのはその後……それで良いな?」


 その言葉に二人が頷く。


 現状で鎮圧を開始すれば征伐軍と蹶起軍の双方が敵に回る可能性があり、三つ巴となったとしても姉妹共々、漁夫の利を意図して様々な謀略を繰り出すだろう。マリアベルは謀略を多用する傾向があり、アリアベルは当人に謀略の才がないものの側近に老獪なリットベルクがおり隙はない。


 国内で疑心暗儀に陥ることは何としても避けねばならない。


 一番、被害を少なくする方法は征伐軍が蹶起軍を降伏させた後、可及的速やかな大戦力を率いた七武五公を中心とした盟友達と共にアリアベルの身柄を抑えることであった。征伐軍は特徴として、アリアベルの今代天帝陛下の第一皇妃であるという仮初の立場を以てして賛同した部隊を動員している。


 逆にアリアベルさえ失えば蹶起軍は掲げるべき大義を失い空中分解する。


 その後、陸海軍長官と協議して征伐軍として動員された将兵の全てを原隊復帰させれば被害は最小限で収まるだろう。


「良いの? 貴方はアリアを……いえ、二人の娘を失うことになるわ」真意を見定める為かフェンリスの視線には探る様な色が窺えた。


 マリアベルが降伏することは有り得ない。最後のその一瞬まで征伐軍の将兵を一人でも多く殺す為に動き、思考し続けることは疑いようもなく、降伏を迫ったとしても間違いなく自決するだろう。皇国の手によって散るを潔しとするはずもない。


 対するアリアベルは捕縛するだけで十分であるが、その処遇は難しい。


 叛乱鎮圧の功を以てして皇妃僭称を相殺することはできない。次代の天帝到来まで拘禁し、追って処遇を決めるしかなかった。下手に処罰すると、今一度、アリアベルを仰いで戦った将兵達が激発する危険性もある。アリアベルを救うにも、殺すにも次代天帝陛下の御聖断という免罪符しかない。


「まだ、次男がいるとはいえ……私の子らに何の罪があると……いや全ては私の見通しの甘さが原因か」


 自嘲するように呟き、小さな円卓に置かれていた酒瓶を手に取ると木栓(コルク)を龍種自慢の膂力で無理やり引き抜く。


 その酒はドラッケンブルクの蒸留所で作られた一本で、芳醇な香りと種類が多いことで有名であり、皇国に於けるモルトの消費では一番に立っている銘酒でもあった。そして、それはドラッケンブルクの蒸留所で作られた五〇年物の一本であり最も高価な一本でもあった。


 酒瓶の注ぎ口に口を付け一気に煽る。


 紳士的、模範的と称される壮年の男であるアーダルベルトには似合わない飲み方。口元から黄金色の雫が零れ落ちるがお構いなしであった。


 既にアーダルベルトは家庭の崩壊によって心が参っていた。


 娘が騒乱に関与しているにも関わらず、アーダルベルトがこの時まで冷徹とも取れる対応を取っていたのはクロウ=クルワッハ公爵としての義務感と使命からであったが、盟友しかいないこの状況で取り繕う気など全くなかった。


 一息に半分ほど飲み干して、酒瓶を円卓に叩き付ける。


 口元に流れた酒の雫を袖で拭い、アーダルベルトは嘆く。


「私の責任だ……マリアもアリアも本当は優しい子なんだ。でも私は怖かった。リヒャルトが散って、マリアが北の大地に押しやられた日からアリアは変わってしまった」


 マリアベルは北の大地に追い遣られる以前より北部の開発に携わっていたが、ヴェルテンベルク伯爵位を拝命してからは、それを更に加速させたことからもその意味するところは明白である。


 円卓に上半身を投げ出して唸るアーダルベルト。


 神虎の長と神狼の長は、その愚痴を黙って聞いてやるしかなかった。











 ――ああ、本当に面倒ね……


 フェンリスは頭を押さえ、小さく嘆息する。


 神狼公という立場は決して楽なものではないが、決して不満がある訳ではない。狼種の頂点に立つという重圧は龍種や虎種の頂点に立つアーダルベルトやレオンハルトほどではなく、あって無きが如しであった。狼という生物は、基本的に二~一五という他種族と比してかなり少数で群れを形成しているが、同時に少なくない数の狼種が単独で過ごしている。無論、群れの中で争いに負けて去る者も含まれるが、元より単独を好む者が多い。これが一匹狼の語源であり、軍に於いて索敵が軍狼兵に任されているのは単騎での戦闘に馴れているという点が大きかった。無論、それだけでなく鼻が利き、感覚が鋭いという点もあるが、敵中で孤立する可能性が高い威力偵察や強襲前衛としても用いられることからも分かる通り戦闘能力は絶大なものがある。


 当然であるが龍種も虎種も同様に秀でた部分があり、それ故に狼種を含めた三種は強大な種として其々の分野で活躍していた。


 活躍している……のだが……。


「マリアちゃんはぁなぁ、一言も口を聞いてくれなんだのだ。六〇年も!」


「うちのレオたんだって最近、家にも寄り付いてくれないんだぞ!」


 男二人が酒を煽りながら娘が構ってくれないと嘆くその姿は年頃の娘に悩む父親そのものであった。文句と不満を垂れ流す二人にフェンリスは容赦なく席を立つのだが、席を立とうとする度に袖を掴まれる展開が何度も続いており、いい加減に勘弁して欲しいと思っていた。


 ちなみにフェンリスにも娘が二人いるが、その内の妹のほうは文字通りの一匹狼で絶賛行方不明であった。無論、それなりの能力があるので許しているのだが、この御時世に一匹狼は宜しくないと家に連れ戻そうと画策しているが居場所すら分からない。


 だが、別に心配はしていない。狼種は教育に於いても自由奔放なのだ。何処かで旧文明の機械でも見つけて夢中になっていることは容易に想像ができる。一年ほど前に「今、北部の戦車が熱い」と言っていたことから察するに北部に居る可能性も捨て切れない。無論、何気に世渡りの上手い狼でもあるので心配はしていない。


「私とてマリアの母を直ぐに迎えに行きたかった! しかし、公爵として容易に動くことができなかったのだ! アリアにも冷たい目で見られるし、終いには公爵やめるぞ!」


「俺だってなぁ! 最近、レオたんがぁ、装虎兵中隊が欲しいって言うからあげたら、次の日には中隊諸共、陸軍の所属に書き換えられていたんだぞぉ! その上、勝手に匪賊討伐なんて危険なことを!」


 アーダルベルトとレオンハルトは、酒を注ぎ合いながら娘が関わる不幸自慢を延々と続けていた。


 鬱陶しいことこの上ないが、よくよく考えればマリアベルもアリアベルも、そしてレオンディーネも十分に同情に値する運命を背負っている。フェンリスの次女は背負っているモノに然したる興味がないのか、婚約の話が出ても黙って頷くだけだった。だが、皆が運命を受け入れることを良しとするはずもなく、マリアベルは廃嫡姫という運命を、アリアベルは皇国の停滞という運命を、レオンディーネは生まれながらにして課せられた神虎姫という束縛の運命に抗おうとしている。


 娘達は突き進む。その先に一体何が待ち受け、誰が志半ばで斃れるかフェンリスには分からないが、叶うならば最後の時に至るまで悔いなく生きて欲しい。


 そうフェンリスは考えていたが、同時に娘達の生存よりも悔いなき死を望む己の業の深さに思わず苦笑を零す。


 翌日、クロウ=クルワッハ公爵爵家の一室から一夜明けても主が出てこないと心配した戦闘侍女達が、扉を爆破して突入し、二日酔いの公爵三人を救出したという噂が一部貴族の間でまことしやかに囁かれたが真偽のほどは不明である。






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