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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》

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第四一八話    クローベル辺境伯ミュゼット Ⅱ



 ミランはクローベル辺境伯ミュゼットを一目見て、気立ての良い妙齢の御夫人という印象を抱いたが、同時に帯同者が女騎士一人である事に、胆力のある人物なのか、そもそも統治に疎いのか判断が付かなかった。


 皇国はクローベル辺境伯の為人を未だ掴み切れていない。


 世間的風評というものすら乏しく、穏やかな性格をしており、特段と連合王国政治や外交の場で名を見る様な人物ではないという評価程度が皇国の知る全てであった。 何分、連合王国辺境で動きを見せない人物であり、皇国へは愚か連合王国中枢に対しても影響力を行使した過去も確執のある動きを取った過去もない。皇国が情報収集をする上で全く重視されなかった人物と言える。


 陸軍府もクローベル辺境伯ミュゼットに対する姿勢(スタンス)を決めかねている節がある。為人が不明瞭な中で行き成り奇抜な動きを取った以上、当然と言えた。


 ミランとしては、天帝であるトウカがそうした部分に言及せず、陸軍府内で飛び交う意見に対しても放置している事からミュゼット自身の去就に興味がないと見ていた。


 ――彼我の戦力差が隔絶している中で軽挙妄動の可能性は低いと見たのでしょう。例え、激発しても鎮圧できるとの判断もあるのかも。


 一個増強師団と一個航空艦隊。


 未だ一部のみが進出しているに過ぎないが、逆を言うならば進出していない戦力は後詰と捉える事もできる。その兵力は隔絶しており、 周辺貴族の領邦軍を糾合しても対抗は難しい。皇国軍側に地の利がない点や正確な地図を持たない点などの問題もあるが、そもそもクローベル辺境伯領や、その周辺貴族の領地も森林地帯や未開拓地が多く、大部分の土地が軍事行動には適していない。経路が限られる以上、軍事行動の選択肢も限られた。歩兵による浸透も考えられるが、それも策源地からの距離的に見て限界がある。


 トウカはその辺りを踏まえて決断したと、ミランは見ている。


 ミランとしては、この判断までの時間が空挺部隊を搭乗させた輸送航空団の出撃を踏まえれば極僅かである点に眉を顰めていた。


 戦場の霧に背を向けた即決ならば事は単純だが、元より周辺諸国に対して占領併合する為に現地情報を収集する動きを取っていた可能性がある。正確とまでは言えぬが、初期調査の段階での概要程度ならば既に把握していた可能性。


 参謀本部勤務の友人が、そうした話は聞いた事が無い、と口にしていたが、ミランとしては、そうであるからこそ問題ではないのかと考えていた。


 陸海軍府の上位に統合参謀本部という国家全体の軍事組織を統括指揮する組織があり、これは枢密院の隷下に在るが、統合情報部や統合憲兵隊司令部という各府の情報部や憲兵隊を統括する組織も枢密院の隷下となっている。枢密院の隷下にある統合参謀本部、統合情報部、統合憲兵隊という三つの組織は、組織編制上、横並びであり情報共有に於いて問題がある可能性があった。これは陸軍府長官や海軍府長官が統合参謀本部や枢密院にも属する為、問題ない様に見えるが、枢密院を経由する際に情報や命令が二人を通す規定はなく、多忙な要職者が欠席する枢密院会議もあれば、そもそもトウカが統合情報部や統合憲兵隊司令部へ直接命令する事を阻む規定も存在しない。


 無論、神聖不可侵という立場の天帝の行動を掣肘する事など難しいのは、以前の組織編成でも同様である が、以前と異なり組織編制上、トウカが望めば直接、情報部や憲兵隊を動かす事が容易になった事も確かである。以前は陸海軍府や参謀本部、軍令部を経由する為、その動きを把握できたが、現在の組織編制では、そうした組織を経由せず各府の情報部や憲兵隊を運用する事が容易になった。


 陸海軍は組織内である筈の情報部や憲兵隊の動きを把握し難くなったと言える。状況次第では二つの指揮系統があるに等しくなる危険があり、指揮優先権は統合情報部や統合参謀本部にある為、自軍内の情報機関や憲兵隊が把握しない動きをする余地もできた。


 ミランも各府の情報組織や憲兵隊の連携に乏しい事は問題であると考えていたが、天帝による独自運用の余地ができた事もまた問題であると考えていた。ミラン自身はトウカの政治体制を支持しているものの、陸海軍内に与り知らぬ動きが生じる事もまた懸念している。それ故にミランは複雑であった。


「この度は会談に応じて頂き感謝致します」


 フルンツベルクの言葉に、ミュゼットは緩やかに微笑む。


「良いのですよ。これから守っていただこうと言うのですから。齟齬や懸念があっては要らぬ確執を招いてしまいますものね」


 大らかな佇まいのミュゼットは声音も言動もそれを裏切らないものであった。市井の者が曖昧に抱く貴族令嬢という印象と言える。


「そう仰っていただけると幸いです。何分、無礼な押し掛け方でしたゆえ」


 空挺降下を無礼な押し掛け方と表する辺りは物は言い様と言えるが、国境を面していない以上、選択肢は限られる。そしてミュゼットの突然の動きに即応できなければ、 連合王国や周辺貴族が鎮圧の為に軍を差し向ける可能性もあったので迅速な軍事行動が求められた事も確かである。


「空を見上げて騒がしいと評する者も居りますが、龍の大軍を見て攻められる筈がないと安堵する者が殆どなのです」


 愉し気にすら思える声音に不安の色は窺えない。


 ――龍の大軍……龍を大規模に運用しない連合王国の貴族から見れば、それのみを取っても抑止力にはなるのでしょうか?


 航空戦力の誇示……というには経空脅威の乏しいクローベル辺境伯領周辺を飛来する航空騎の大部分は輸送騎であるが、その識別が可能な者が連合王国に存在するか怪しいものである。無論、輸送騎自体が戦術爆撃騎に近しい外観である事も大きく、飛行中のこれらを地上からの観測で識別するのは訓練と知識なくば困難であった。


「それは……では、周辺貴族は怯懦なること甚だしく蠢動すら手控える。そう御考えですか?」


 フルンツベルクの問い掛けに、ミュゼットは困った顔をする。


 逡巡と願望。


「そうあって欲しいと願っております、中将閣下」


 確証はないという事であり、ミュゼット自身が周辺貴族との戦闘を望んでいない事が窺える。それを迂遠に察して欲しいとの意思表示やも知れぬが、その理由だけは確認しなければならない。


 ミランはフルンツベルクの袖を引っ張る。その意図を察したフルンツベルクは眉を跳ね上げながらも、ミュゼットへと問い掛ける。


「それは血縁として相打つなどの……貴族的な同情でしょうか? それとも、新たな騒乱を呼び込む事への御懸念があるとの事でしょうか?」


 貴族相手にそれらしい言葉を使えるようになった、とミランはフルンツベルクから一歩引いたところで鷹揚に頷く。


 ミランがフルンツベルクに貴族社会の礼儀作法を教えるに至った経緯は、そもそもフルンツベルクが礼儀作法を不要と考えて身に付けていなかった事に起因する。


 先代ヴェルテンベルク伯マリアベルは、フルンツベルクが粗忽者である事を面白がる事は在れども咎める事はなく、そもそもラムケの様な人物が当然の様にヴェルテンベルク伯爵邸を闊歩している中では問題視されなかった。北部に於ける尚武の気風……武功在らば粗忽も赦されるという部分も大きい。


 物覚えの悪い熊に兎が芸を仕込んでいる、と揶揄される事になる貴族社会の礼儀作法教育は斯くして開始された。


 結果として、その成果は今一つであったと言わざるを得ない。ぎこちない部分は多分にある。


 フルンツベルクとミュゼットの遣り取りで明確となった事は多いが、ミランにはフルンツベルクは重要な部分に踏み込む事を躊躇している様に見えた。ミュゼットの様な貴族令嬢ではなく、マリアベルの如き暴君ばかりを相手にしていたのだから貴族女性に気を遣う機会などそうある筈もない。


 〈傭兵師団〉としての任務上、国外で高貴な血筋の者との会話の機会はあったであろうが、傭兵としての働きを求められて雇用された以上、粗野であっても許される部分があった。寧ろ、そうした部分にこそ頼もしさを感じるものであり、雇用した傭兵が御上品では槍働きを不安視しかねない。


 今回はそうした場面ではないとフルンツベルクが考えている事は明白であった。自国に併合された以上、国内の他貴族という扱いをしているのだ。


「その様な事は一切御座いません。領地守護を為して頂けるのであれば、皇国軍の軍事行動に要らぬ半畳を挟む者など此方で処罰致します」


 ミュゼットの背後に控えた女騎士から断固とした声音での主張。


 釣れた、とミランは確信する。


 方針を領主貴族の頭越しに言い放つ辺りに、焦燥と自身の立場への自信が窺える。 恐らくは彼女が……女騎士がミュゼットの政治判断に深く関わっている人物だろうとミランは見た。それはフルンツベルクも同様なのか鷹揚に頷いている。


「失礼、領邦軍司令官のテレサ・クローベルです。以後お見知りおきを」


 一分の乱れもない敬礼に、ミランは国軍所属の経歴があるのだろうと当たりを付ける。或いは彼女がミュゼットの政略に当たる部分を担っているのかも知れない。連合王国は前時代的な組織が多く政戦の境界線が曖昧であり、軍人もまた政治的である。無論、皇国に於ける各貴族の領邦軍もそうした部分がある為、連合王国のみに組織的不備を見るのは公平性に欠ける話であるが。


 ――盛大な身売りの話が軍人から出ても可笑しくはないですが……


 それでも思い切った決断であり、それに同意したミュゼットも貴族としては信じ難いものがある。他国への合流などただの叛乱よりも尚、問題視される話であった。


「皇国に合流するという提案は彼女が……テレサからなのです。私も当初は大層と驚きました」


 隠す心算はないのか、或いは信頼関係を築く上で疑問は少ない方が良いと考えているのか、ミュゼットは詳らかにする事を躊躇する様子はない。


「……果断に御座いますな」フルンツベルクは頬を引き攣らせる。


 二人の遣り取りから相応の信頼関係がある事は明白であった。クローベルという姓名から親類縁者である事も察せる。


「追い詰められての稚拙な判断の笑って頂いても構いませんわ。皇国の善意がなければ、我が領は戦火に焼け落ちていたでしょう」


「……それでは軍事行動の裁量は此方に在ると見て宜しいですかな?」


「ええ、勿論です。皆様は皇国軍……天帝陛下の軍勢なのですから」


 フルンツベルクの問いにミュゼットは軽やかに応じる。


 ――天帝陛下の軍勢か……物は言い様ね。


 そうであるからこそクローベル辺境伯領を守れなければ、天帝の権威に傷が付くと取れなくもない発言である。〈傭兵師団〉や 〈第一二航空艦隊〉の力量及ばずなどという風評を所属将兵一同が厭う事も確かであるが、同時に天帝であるトウカからは予め撤退も許可されていた。


 トウカは抜き差しならぬ状況ならば、機材は一切合切捨て置いて人員だけを輸送騎で皇国本土に撤退させても良いと封緘命令書をフルンツベルクに手渡しており、これはミランも知らされていた。


 知る者が増え、将兵にまで知れ渡れば信頼や苦戦への推測から戦意低下を招きかねないと見て、トウカはフルンツベルクに信頼の於ける者だけに知らせろと撤退命令を記した封緘命令書を手渡したのだ。封緘命令書は、受領者は設定された開封規定を満たしたと判断した時点で開封し、その時点で命令が有効化される。この開封規定はフルンツベルクの判断に委ねられており、恣意的運用の余地があったものの、天帝の裁可を経た封緘命令書である。これは〈傭兵師団〉や〈第一二航空艦隊〉の戦力保全の面から見れば妥当であり、その判断を現場指揮官のフルンツベルクに委任し、トウカもそれを追認するという証拠でもある。


 無謀な命令ではあるが、その判断と失敗時の責任を明白にした書類とも言えた。


 ミランとしては、天帝であるトウカの失敗になるという点を見ても、余りにも軽率な判断だと考えていたが、同時に天帝のそうした姿勢を好ましく感じている事も確かであった。国家指導者が明確に現場を守るという姿勢を見せるのだから邪険にも無碍にもできない。


「ですが、周辺貴族領と比較すると領地と人口の規模はかなり大きいと言えますが、正直に申しますとそれだけです。とは言え、実情として未開の地が多く、軍の行動には多大な支障が出るでしょう。軍事行動は現実的ではないかと」


 テレサの指摘に、フルンツベルクが同意しつつも問う。


「それは此方も認識している。街道の拡幅工事について同意いただきたいが……」


「交通網の整備をしていただけるのですか?」驚いたミュゼット。


 ミランは、その言葉に長期的な展望など元よりなかったのだろうと推測する。直近の共和国軍という軍事的脅威避けるべく……当座を凌ぐという点にのみ注力していた事が窺える言葉であった。


 皇国は現在、トウカの下で皇民化政策を実施しているが、これは国民の帰属意識発揚のみに留まらず、公共施設(インフラ)整備や発展もこれに含まれる。


 ――天帝陛下は愛国心は良き日常生活の積み重ねにより生じると御考えですから、僻地である事を理由に不便や低賃金を放置する心算はないでしょう。


 トウカによる南域保護領への大規模な交通網整備や投資を見れば明白であり、南エスタンジア方面への鉄道網も拡充を開始している。植民地としての搾取を考えていない事はそれらを見ても明白であった。これは、極端な思想に触れた者が感染症に罹患するかの如く爆発的に増加する事を懸念してのものであり、貧困が却って統治費用の増大を招くという発言は頻繁に行われていた。陸軍府では憲兵隊拡充で手当てすべきという意見もあったが、御簾(みす)の向こう側からの”一々、共産主義者を殺して回るのでは際限がない”との意見に封殺された形である。極端な思想という建前ではなく、共産主義を殊更に敵視する理由をミランは知らないが、トウカは共産主義が貧困に付け入ると断言している。


 トウカの断言は史実に基づくものであり、同時に帝国に対して共産主義という思想を流布させたのもまた自身であるからこそであったが、そうした謀略を知る者は少ない。


 そして、ミラン以上にミュゼットやテレサには皇国の政策が、トウカの政治思想が見えていなかった。


「陛下は国家の発展を怠るは売国奴の所業であると仰せです。既に皇国領となったクローベル辺境伯領も例外ではありますまい。本土からクローベル辺境伯領への道路と鉄道路線の建設計画も承認されると聞きますな」


 兎に角、急がねばならないので見越しで鉄道路線の敷設予定地を決め樹木伐採と整地は先に済ませておけとのばかりに陸軍は工兵師団の投入を開始していた。本格的な戦時並みの無茶であり、予算も予備費から投じられている。それは大蔵府長官が騒いだ事で市井にも知られていた。


「しかし、部族連邦の土地を経由せねば敷設は不可能かと思いますが……」


 テレサの指摘に、そう考えるだろう、とミランも頷くしかない。その仕草に気付いたのかテレサもミランを見つめる。


 ――あ、今、可愛い御嬢さんと思ったわね。


 そうしたものは表情で分かるものである。実際、そうであるのか、或いは、何故ここに幼女が?などと考えていても、それは当人しか分からぬものであるが、少なくともミランはそう考えた。


「部族連邦がクローベル辺境伯領までの領土を割譲するという話も水面下で進んでいる様ですな」


 フルンツベルクの返答にミュゼットとテレサは驚愕の表情を隠さない。


 領土割譲とは、本来それ程の事であるのだ。地政学的要衝でもなく然したる資源算出がなくとも、国土が失われるとなれば騒ぐ者は多く、後々まで遺恨になる事も珍しくない。とは言え、自国領土を占領されても無関心でいられるのは売国奴と相場が決まっている。故に難事であった。長年、偏向報道による売国の常態化が為されない限りに於いては。


 ミランは用意され焼菓子を突匙(フォーク)で突く。


 途端に追加装甲の如き砂糖が零れ落ちた様子を見て、ミランは焼菓子から手を引く。 書類との闘いが多い参謀将校が摂取熱量(カロリー)を超過する事は好ましくないとの判断である。肥えた兎など肉食獣の餌にしかならない。


 アリカが連れてきたクレメンティナという文屋は美味しそうに焼菓子を平らげ、そしてアリカの分まで口に運んでいた。ミランは腹囲を気にせずに済む年齢を羨むが、文屋が肥える分には困らないと、ミランは突匙が刺さったの己の焼菓子を隣席のアリカの方へと片手で卓上を滑らせる。アリカはその意図を察し、申し訳なさそうな顔をしながらも、その意図を察して突匙が刺さった儘の焼菓子の皿をクレメンティナへと滑らせた。


 女は柔らかい方が抱き心地が良いものですから。


 蚊の泣く様な小さな声音が微笑みと共にミランの耳朶を打つ。


 憲兵さん此方です。そう指差した相手が憲兵だった場合はどうなるのだろうか、とミランは溜息を一つ。


 そうした遣り取りの間にも、フルンツベルクがテレサの相手を続けていた。


「しかし、連合王国と部族連邦は小競り合いを繰り返した関係です。離脱したとはいえ、辺境伯領に対する配慮を期待できるとは思えないのですが……」


「部族連邦は神州国との争いに皇国を巻き込みたい。その為なら価値に乏しい辺境の領土など明け渡してもいいと考えておるそうです。天帝陛下は、一杯食わされかも知れん、と仰っておりましたな」


 テレサの問い掛けに、フルンツベルクが自信がある様に見える表情で応じたが、机下の貧乏揺すりを隣席のミランは見逃さない。内心で政治など知らんわ、と吠えている事は違いない。机下でミランはフルンツベルク太腿に手を添えた。貧乏揺すりは止まる。


 天帝陛下と個人的関係がある事を匂わせた発言の効果は覿面であった。


「フルンツベルク閣下は天帝陛下と懇意に為されておられるのですか?」


「ええ、辺境伯様。内戦中は、まぁ色々と無茶を言われたものです。この小僧め、などと吐き捨てた事も数え切れませんな。尤も、それを覚えているのか今でも”小僧の命令を聞いてくれるか、中将”などと仰られる」


 野太い笑声を零すフルンツベルクに、ミュゼットが返答に窮する。その様を見てミランは、不要な事まで喋る、と頬を引き攣らせる。


 トウカが根に持つ男であるというのは周辺諸国では実しやかに囁かれる話でもある。 恋人の戦死の遺恨で帝国の首都を始めとした諸都市に戦略爆撃を行い数百万名の死を撒き散らした様にしか見えない現状がある為であった。


 ミランの場合はトウカに対して恋人を喪った事から気遣わしい感情を有していたが、フルンツベルクの場合は近くにクレアが居る意味を正確に理解していたので殊更にトウカに対して遠慮がなかった。女の傷は女で癒したのだろうという武辺者の解釈。


「しかし、一杯食わされた、とはどういった事でしょうか?」


 テレサの疑念は尤もであり、その点はミランも同様であった。フルンツベルクはトウカと直接遣り取りする機会があった為、本来の職責を超える情報が与えられていても不思議ではない。トウカはクローベル辺境伯の盛大な身売りを部族連邦の謀略ではないのかと疑っていた。


「クローベル辺境伯が周辺諸国への救援と合流要請を行った際、部族連邦の佐官と会合を持っていたそうです。その際、領土割譲の話が出たそうですな」


 ミランとしては、会合に参加していた佐官にその様な権限があるのかと訝しむが、トウカもそうであるからこそ”一杯食わされた”とクローベル辺境伯の合流要請と領土割譲が連動しているのではないかと警戒したと気付く。部族連邦は南溟洋……部族連邦南方海上での神州国との騒乱に皇国を巻き込みたいと考えているのは、最近の外交姿勢を見れば明らかである。行き成り領土の一部を屁理屈と共に切り取られても尚、 更なる割譲をしても巻き込みたいと考えている所に神州国の脅威をどの様に受け止めているか窺える話であった。


 ――部族連邦にも優秀な軍人が居る。独断ではないなら、下手をすると軍事独裁の動きが出ている可能性も……


 近年、突然、政治層の刷新が行われ、軍備拡大に舵を切った事からもその公算は高い。去りとて、無数の部族の集合体であり、国家としての紐帯が緩い部族連邦では部族毎の自治性が高く中央政府の変化には余り注目されていなかった。


 部族連邦軍は皇国による侵攻や連合王国の混乱を理由に部分動員を開始しているが、その実情が神州国に対する警戒である事は明白であるものの、それも上手く進んでいるとは言い難い。抵抗する部族を軍が威圧する事で無理に進めている状況であった。 以前であれば、こうした動きすら難しかったであろうが、風雲急を告げる国際情勢の中、各部族にも国防を重要視、或いは問題視する者が少なくない数で現れた事を背景に為されていると見られていた。


 無論、軍が主導している様に見える動きは多い。


「最近の部族連邦にはその様な潮流があるのですか? 俄かには信じ難いですが……神州国とそれ程に関係悪化を招いているとは」


 テレサは部族連邦と神州国の関係悪化に驚いている様子であったが、ミランは寧ろその程度の認識しかない中で皇国に身売りを図ったのかと驚くしかない。


 だが、クローベル辺境伯領は立地的に神州国と千戈を交える可能性が低い為、無理からぬ事でもある。本来、一辺境伯領の領邦軍指揮官が勘案すべき問題ではない。共和国との戦乱や中央政府の無策に対する危機感が勝るのは当然と言えた。


 しかし、神州国の動きと部族連邦の動きは連動しており軽視すべきものではない。


「……状況次第では部族連邦も軍事的空白と見て我が国……いえ、連合王国に攻め入る可能性があったという事でしょうか?」


「有り得たでしょうな。しかし、現在の部族連邦は神州国への警戒に注力している。新たな戦線を抱える余裕などなく、寧ろ皇国を神州国との争いに引き摺り込む方法の一つとしてクローベル辺境伯領を扱う動きを見せている」


 テレサの可能性の話に同意するフルンツベルクだが、同時に今となって部族連邦にそうした余裕はないとも話す。


 随分と気を使った内容しか話さないとミランは女性の扱いが下手だと嘆く。盛大に怯えさせ依存させれば良いのだ。肉食獣は何時だってそうする。兎は良く知っている。


 ミランは、兎に悪役をさせるのかと、挙措に乱れが出ぬ様に口を挟む。


「しかし、神州国の矛先が連合王国に向く可能性があります。軍主力を喪失し、尚も大軍を共和国との戦線に張り付けざるを得ない現状、海より背後を突くならば容易に占領地を広げられると見ているでしょう」


 大陸地図を頭に入れ、大陸各国で生じている戦争と、その戦況を新聞にて把握している軍人であれば想像の付く話である。


 連合王国と比較的距離の近い大陸各国は、交戦国である共和国を除けば、であるが奇妙な程に連合王国に対して反応が鈍い。複数国が大使館を同時期に引き払ったという事もあり、この状況下で帝国に与する真似をして国際的信頼を損なった連合王国への大きな不満を表明していると市井は見ていた。その市井の考えが正しいのであれば、周辺諸国からの支援は期待できず、共和国との戦争に大部分の兵力を投じている連合王国は神州国が後背を突けば対応できない。


「……神州国が連合王国に侵攻する可能性があると?」テレサは眉を跳ね上げる。


 考えもしなかった視点と言わんばかりである。


 ミランは直前の脅威ばかりを考え、先が見えていない事も致し方ないと考える。それは国家規模の問題であり、辺境、それも正反対の方向に位置する土地の有力者には持て余す話であった。

 

 全方位を脅威と考えて狂気の軍拡に走った挙句、全体主義的姿勢を数百年に渡り維持した皇国北部貴族の様な覚悟を持つ貴族はそう居る者ではなかった。





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