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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》

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第四一七話    クローベル辺境伯ミュゼット Ⅰ



「報奨を頂いてしまったわね。これ、服務規程違反になるのだけど」


 アリカは、困った、と連合王国政府発行の金貨が二〇枚入った小袋を掌上で弄ぶ。


 端的に言うと、ラムケが大暴れして非合法組織を粉砕。それによりクローベル辺境伯やその家臣団に気に入られた。


 アリカとしては意味が分からないが、場末の酒場で情報収集という名の飲酒をしていたラムケが難癖を付けてきた破落戸(ごろつき)達と大立ち回り。破落戸は増援により忽ちに数を増やしたが、ラムケはそれを千切っては投げと正面から排除。余勢を駆って、 破落戸(ごろつき)(たむろ)する拠点に踏み込んでこれも粉砕した。


 結果としてクローベル辺境伯領領都の非合法組織は壊滅状態となった。戦争による政情不安定の下、規模を拡大していた非合法組織は併合を繰り返してある程度の規模の組織は一つとなっていた為、これにより大部分を排除した形となった。


「でも、いい絵が撮れましたよ。進駐した皇国軍、現地の非合法組織を成敗!みたいな見出しになりますね。違いないです」


 隣のクレメンティナがそう意気込むが、アリカは金貨の詰まった小袋を懐に仕舞い込み、軍帽の上から頭を掻く。


 ラムケはヴァレンシュタイン上級大将暗殺未遂事件の調査の過程で見つかった怪文章を手に堂々と聞き込みをしていたのだ。幾ら目立つ事が目的であるとはいえ、余りにも正面切ったものであり、これでは煽っているに等しい。


 逆にその胡散臭いヨルダなる組織は挑戦と見るやも知れない。


 調査中であり、未だにその末端を掴んだ程度の状況でしかないが、宗教に根差した秘密組織という側面があると見られている以上、こうも大声で存在を流布しながら調査?を図る相手を素直に調査中とは看做さな筈であった。


 存在を認識している。或いは国家の敵と看做しているとの牽制と捉えられる公算が高い。


 ――確かに目立つ事が目的であるとは言え……ここは未だ敵地に等しいというのに……


 いや、だからこそね、とアリカは厳しい状況だと見た。


 取り敢えず、引っ掻き回して動き出した相手の尻尾を掴もうという意図が透けて見える。無論、引っ掻き回す部隊が特設調査班であり、恐らくはその引っ掻き回した事で姿を見せた尖兵を確保する別動隊が存在する筈であり、それは〈第一二航空艦隊〉や〈傭兵師団〉の人員として紛れ込んでいるだろう。移動経路の面で皇国との交流に乏しいクローベル辺境伯領では皇国人は目立つ為、最終的には三〇〇〇〇名近くなる駐留兵力の中に紛れ込ませたならば、駐留した将兵からの猜疑の視線を躱す事も可能である。皇国軍人から見ても、クローベル辺境伯領に軍人でない者が存在するのは奇異に映るのだ。


 或いは、既に水面下で相手の関係者を捕縛している可能性とてあった。


 ――まぁ、クレメンティナが喜んでいるのだから良しとしましょう。


 文屋の機嫌が勝手に維持されるというのであれば、これ程に楽な事はない。


「私の写真、新聞社で凄く評価されてるみたいで来期の給料が凄く増えるみたいです。 勝ち組ですよ」


 渾身の得意気顔(ドヤ顔)をするクレメンティナに、アリカは文屋が調子に乗ると碌な事が無いのだけど、と早々に鬱陶しくなる。文屋の得意気な表情を喜ぶ軍人など存在しない。


「貴女、この土地で一番狙われやすい皇国人なのよ? 物取りの犯行に見せかけて処分して警告とする、なんて相手が考えても不思議じゃないのよ?」


 路地裏に引き込んで慰み者にした挙句に殺害するという事も有り得た。露骨な関与を見せず、警告の為の殺人など水面下で争う組織の手段としてはありふれたものである。特にヴェルテンベルク領邦軍時代から情報部が多用していた手段であり、シュットガルト湖に浮かぶ水死体など珍しくもなかった。漁師が、今年の豊漁は餌(人型)が多いのだろう、と宣う程度には日常的である。


 しかし、クレメンティナは恐れない。


「でも、守ってくれるんですよね?」


「……まぁ、そうね。夜具がなくなるのは困るもの」


 正面切って尋ねられると弱いものがあるが、それを認めるのは不愉快なのでアリカは黙ってクレメンティナの肩を抱いて引寄せた。


 朝の大通りであるが、元よりヒトが疎らなクローベル辺境伯領の領都である為、それを目にする者は極僅かである。


 クレメンティナは黙っている。耳が赤くなり、緊張している様子を見たアリカは満足するが、流石にきな臭くなってきた状況は懸念せざるを得ない。特段の注意を要する状況となりつつある。無論、順次〈傭兵師団〉が領都の治安維持に加わる事となるのは明白だが、それは今日のフルンツベルクとクローベル辺境伯ミュゼットの会談次第では状況は変則的なものとなる可能性もある。


 通常であれば、領地内を軍人が闊歩する事を貴族は望まないであろうが、ミュゼットは軍事的脅威を打開する為に皇国軍を呼び込んだ経緯がある。思い切りの良さを踏まえると、領地の治安維持に関わる一切の権限をフルンツベルクに与える可能性は高い。 領地の騎士団主力が先の共和国侵攻の結果、壊滅状態にある事を踏まえると選択肢は限られる。


 去りとて辺境伯領である。


 広大であり、周辺貴族の軽挙妄動を抑える必要性を踏まえると〈傭兵師団〉も兵力は分散せざるを得ず、領都防衛は一個大隊が精々である。領都の規模を踏まえると戦力的に見て不足ではないが、それはその規模の将兵が領都の構造を理解していた場合である。突然、進駐する事となった以上、理解は望めない。


 ――防衛を担う騎士団との混成で治安維持を担うのでしょう。


 慣れるには時間を要するであろう事は確実であるが、共に治安維持に当たる事で不測の事態への対処が容易になる。騎士団が地理と住人を知り、この伝手で〈傭兵師団〉将兵も領都を知る切っ掛けとなるので避けては通れない判断と言える。


「今から辺境伯の邸宅に向かうのだけど……こうした場合、どう振舞うべかしらね」


 アリカはフルンツベルクからミュゼットとの会談への帯同を命令された。


 統合憲兵隊司令部隷下の特設調査班としては、指揮系統が異なると突っ撥ねる事も可能であるが、クローベル辺境伯領に駐留する部隊指揮官の不興を買う程の予定はなく、クレメンティナが興味を示した為、アリカは命令を受領した。独自判断で現地部隊との協力の権限がある為に問題とはならず、アリカ自身もフルンツベルクの今後の方針を知りたいと考えていた為、渡りに船であったと言える。


 ――バルトシュタイン中将は大層な狸だった。


 計画内容が白紙に等しいのだから答え様がないと明言されたが、大凡描いている計画はあるだろうとアリカは見ていた。フルンツベルクに火中の栗を拾わせる心算なのか、或いはフルンツベルクと方針が異なる場合、それを不和や軋轢と取る者が出てくる可能性を重く見たのかも知れない。


「〈傭兵師団〉師団長とクローベル辺境伯領様の会談を取材できるなんて光栄です!」


 アリカはクレメンティナの言葉に顔を顰めるしかない。


 実はフルンツベルクの評判は、意外な事であるが皇国内外で好意的なものが多い。アリカを含め皇国軍人から見ると傍若無人な粗忽者でしかないが、国際的に見ると正義の味方の如き行動が幾度もあった為である。


 傭兵ではなく正義の味方を名乗ってはどうだ?というのは陸軍府長官の言である。


 〈傭兵師団〉は現在では一個増強師団一五〇〇〇名相当の人員にまで膨れ上がっているが、内戦以前は皇国軍の平均的な師団編制と同様に一〇〇〇〇名程度であった。 この数でも世間的に見て十分に傭兵団という規模を逸脱しているが、基本的にはこの中に三個聯隊が存在し、各聯隊に三個歩兵大隊が基幹戦力として存在する。傭兵としての派兵は基本的に大隊規模が多く、稀に聯隊規模となる程度であった。師団規模の運用は内戦勃発までなかった。


 そうした〈傭兵師団〉派遣隊は大陸各地で勇名を馳せた。


 死屍累々の後退戦に身を投じた事もあれば、困難な救援任務へと参加した事もあるが、それ以上に評価が高いのは、主君足るの、指導者足るの振る舞いに在らずと見た場合、戦線を離脱する……だけでなく雇用主を殺傷する例もあった。これだけであれば傭兵以前の問題であるが、〈傭兵師団〉は国外での叛乱鎮圧の際、正義なしと見て叛乱側に付くという例もあった。独裁政治による困窮著しい中、領民を弾圧するのでは先がないと見た為である。そして、踏み込んできた近隣貴族の領邦軍も粉砕している。中にはなけなしの予算で叛乱軍側が〈傭兵師団〉を雇用する例もあった。


 本来、その様な真似をする傭兵を雇うなど不確定要素でしかないが、〈傭兵師団〉の場合、尋常ならざる戦闘能力の為、そうした点に目を瞑ってでも雇用する者が現れた。無論、善政を敷く貴族や指導者からすると背を向けられる公算は低く、寧ろ彼らは勲の為に勇んで挺進を為す。結果として〈傭兵師団〉は内戦勃発以前までの被害だけでも、もう一つ〈傭兵師団〉を編制できる程に犠牲者を出している。


 故に〈傭兵師団〉の名声は大陸に鳴り響いている。北部出身者が多い為、マリアベルとの対比を以て語られる事が多いという理由もある。〈傭兵師団〉最大の出資者がマリアベルと知られていない事もそれを助長していた。


 文屋が目を輝かせて活躍に胸を躍らせるのだから相当なものである。


「偏屈な武辺者よ。貴女が思う様な話は聞けないでしょう」


 巨漢の敵の如き佇まいに髭面もあって正に頑固な様に見えるが、その外観を裏切らない性格をしているフルンンツベルクは、内戦中〈傭兵師団〉を率いて各地を転戦した。


 実際、〈傭兵師団〉とは内戦の為に設立された経緯がある。


 粗忽者でも名声を受ければその気になるものであるし、失うのは惜しいと考えるものである。何のことはない。古来よりある名誉で武芸者を縛り、統治に影響が出ない様に試みたという話に過ぎない。それは最大の出資者であるマリアベルの意向であり、粗忽者を戦力化し、叶うならば高い戦技と実戦経験を持つ兵力とする事を望んだ。


 それ故に〈傭兵師団〉は表向きは独立した傭兵団として大陸各地で傭兵として活躍したが、その実戦経験はヴェルテンベルク領邦軍の訓練で還元され、時には〈傭兵師団〉に紛れてヴェルテンベルク領邦軍部隊が派遣される事もある。戦地で兵器の運用実績を確認し、戦術面での知見を獲得した。〈傭兵師団〉は、そうした動きへの隠れ蓑であったとも言える。そうしたマリアベルの後ろ盾があったからこそ、時に採算度外視の”正義の味方”が許された側面もあった。


 ヴェルテンベルク伯爵マリアベルの影の暴力装置。


 それが〈傭兵師団〉の実情であった。


 これは公表されてはいないが、軍人で勘の良い者であれば気付く程度の話でもあった。


 内戦勃発時に〈傭兵師団〉がヴェルテンベルク伯爵マリアベルに雇用されて市井が動揺した際、軍人の中には、何を今更、と吐き捨てる者は多かった。国外で好意的な評価を勝ち得る〈傭兵師団〉を先皇や政府は放置していたのだ。無論、それまで国内の政戦に関与せず排除する大義名分がなかったという点が大きいが、陸軍軍人達はその甘さに失望を隠さなかった。


「それに貴女の嫌いな軍神様と仲が良いわよ?」


 意地悪な質問であるが、トウカとフルンツベルクは意外と仲が良い。トウカは武辺者を好み、そうであるからこそ北部統合軍時代に有力な将官や佐官と友好的な関係を築けたと言える。北部は尚武の地であり、領邦軍指揮官や有力な指揮官は武辺者が多く存在した。トウカと相性が良かったと言える。武功在るならば従うという部分が北部統合軍成立を支えた。決して北部貴族の支持だけでは各領邦軍は納得しなかった。


「アリカさんの友達はみんな清廉潔白なんですか? 友人関係なんて変なヒトが一人や二人居るものじゃないですか」クレメンティナは奇妙な顔をする。


 中々に言う、とアリカは苦笑するしかない。天帝陛下を変な人呼ばわりである。尊崇の念が欠片もない。敢えて軍神と評した為、直截的なものではないが窘めるべき場面ではある。


 クレメンティナからすると交友関係に変わった人物が複数人存在する事は当然であり、それで一々、他者を避けていたら際限がないとの事で、アリカは娑婆の娘はそう考えるのかと感心する。


「私は仕事上、友人とかは持たない様にしているの。付け入る隙にしかならない上、 憲兵と友人なんて首筋が寒いでしょう?」


 アリカに友人など居などおらず、作る心算もなかった。まさか憲兵という職業を選択して友人まで欲しいなどという軟弱な輩が憲兵隊で立身出世を望める筈もないという確信がアリカにはある。


 憲兵という立場は日常生活を良く狙われる。非合法組織からすると家族や友人などは狙い目であり情報収集や人質として拉致される事もあれば、気が付けば非合法組織に金や恫喝で操り人形にされている事もある。アリカが実際に幾度も目にした光景であり、ヴェルテンベルク領邦軍憲兵隊は都度、凄絶な報復に乗り出していたが、そうした行動を経ても尚、時折、発生するのだから治安機関関係者の宿命である。


 よってアリアは友人を作らない。


 無論、学生の頃から友人らしい人物が存在しないままヴェルテンベルク領邦軍に入隊し、憲兵隊へと配属されたという経緯が最大の理由であるが、当然ながらそれを口にすると憐れまれるので、アリカは口にしない。


「とか言っちゃっても、端から友人なんていなかったんですよね? そんな皮肉ばっかり言ってると軍神様みたいになっちゃいますよ?」


 嘘吐きは軍神の始まり、みたいな事を言う、とアリカはげんなりする。


 文屋だから仕方がないと諦めているが、あまり口が過ぎるとアリカにまで飛び火しかねない。寝台の上で躾けるしかないか、とアリカは胸衣嚢(ポケット)から取り出した煙草箱から煙草を一本抜き取る。


「仕方ないから私が友達になってあげますよ」


「夜具が友人になるのは筋が通らないでしょうに」


 指先に具現化した魔導仕掛けの火で銜え煙草の先端に火を灯したアリカは、紫煙を目一杯に吸い込み、そして吐き出す。


「友人なんて要らないわ。人肌恋しいなら世間を知らぬ娘を捕まえればいいだけのこと」


「うわぁ、最低……」


 心底と汚らわしいものを見たという視線を向けるクレメンティナだが、その汚らわしい生き物に汚された貴女は更に汚らしいのではないか?とアリカは楽しくなる。


「そんな汚い生き物に触れられて汚くなった貴女は私と堕ちていくしかなくなったのよ。 精々、覚悟しなさい」


 特設調査班に選ばれてしまった以上、国家権力はクレメンティナを掴んで離さない。状況次第ではクレメンティナは死を選択せざるを得ない立場に追い遣られるであろうし、国益という化け物は常に血涙を望んでいる。ラムケの如く天帝の覚え目出度い人物であれば兎も角、アリカやクレメンティナとなると立場以上の意味はない。憲兵中尉は憲兵中尉でしかなく、新聞記者は新聞記者でしかない。加護など望むべくもなかった。


「うーん、汚れちまった悲しみにー」


 これは救いようがない、と嘯いたクレメンティナが鼻歌と共に先行する。アリカも警護の必要性から距離を詰める。


 そうした茶番劇を経てクローベル辺境伯の邸宅が姿を見せる。


 辺境伯という肩書と比して華美な印象は抑えられているが、その理由が国境沿いであり隣国の侵攻の際に保持できない可能性があるので贅を凝らすのは不毛であるとの割り切りがある。そう昨日に家臣団から聞かされていたアリカは容易ならざる人物の居城と見えなくもないと、印象次第で建造物の印象が変わる事に奇妙な感覚を覚えた。


 ヴェルテンベルク伯爵の邸宅が、マリアベルの精神性を大いに反映した外観であった為である。居城が家主の印象を反映した外観であるのではなく、家主の印象に引き摺られる事もある。


 機嫌の良いクレメンティナを他所に、アリカは歩兵戦闘車と兵員輸送車からなる車列を一瞥する。二輪車(オートバイ)騎兵が先導し、厳重な警戒をしているところにヴァレンシュタイン上級大暗殺未遂事件の影響が出ていると見た。


 魔導機関の冷却器による重低音の多重奏が響き、周囲に重々しい気配が満ちる。従軍して久しいアリカには馴染みの光景だが、近くの領民達も物珍しいのか興味深げな視線を向けてきた。警戒よりも興味が先行する辺り、最近までは戦乱から掛け離れていた事を想起させる。


 兵員輸送車や歩兵戦闘車から降車した兵士達が手際よく展開し、中には魔導杖を抱えた者まで見受けられた。


 ――重武装機関銃まで用意しているのね。しかも、車輛と魔導士の展開する魔導障壁で警護対象への射線を確実に切っている。


 〈傭兵師団〉の練度は内戦と対帝国戦役による被害を経ても十分な水準にある事が窺える光景であった。陸軍や皇州同盟軍には被害を受けた事で往時の練度を取り戻していない部隊も少なくない。


 警護対象……特段と大きな体躯を持つ大男を認め、アリカはクレメンティナの肩を掴む。安易に飛び出して、銃火に晒されては余りにも馬鹿らしい話である。


「彼方の御方がフルンツベルク将軍。いいわね。撮影機(カメラ)を構えずに、ゆっくりと近付くのよ。貴女、地雷犬と勘違いされて撃たそうなのだから」


「わんわん!」


 犬にものを教える様に諭すと、案の定、犬の様な返答で応じられたアリカは軍帽の上から頭を掻く。理解しているか怪しいところである。


 去れども、地雷犬の如く駆け出す様子はないので一安心である。


 皇国軍に於いて地雷犬の運用は狼系種族や犬系種族の根強い反発を受けて禁止されるに至ったが、それが敵軍の戦車運用が想定される地域エルライン回廊に限定されていた経緯もあった為である。しかし、エルライン回廊は突破され、一時は地雷犬の運用も改めて俎上に上がったが、トウカによる、動作が確実ではない生物の運用は可能な限り避けるべし、という鶴の一声で、携帯型対戦車擲弾筒(パンツァーファウスト)による歩兵への対戦車攻撃力付与に注力した経緯がある。その為、狼系種族や犬系種族のトウカに対する信頼の一助となっていた。


 しかし、地雷犬と勘違いされる懸念は、フルンツベルクの隣に立つ兎系種族の士官の指摘によって霧散した。耳打ち、というには身長差が在り過ぎる為、士官がフルンツベルクの袖を引っ張り、二人の方を指し示しながら何事かを口にしている様子である。


 アリカも敬礼をしながら近付く。


 当然ながら警護の兵士が警戒感を示すが、同時にそれ以外の方角を警戒する兵士も存在した。陽動による他方向からの攻撃を警戒したものである。精鋭なればこそ、その動きに無駄がない。序でとばかりにアリカはクレメンティナを左の小脇に抱える。


 胡散臭い民間人が隣に居るのでは無用の警戒を招くので、私物ですとの意思表示であるが案の定、揃って怪訝な表情が幾つも生じる。


「久方振りに御座います、フルンツベルク閣下」


 何一つ可笑しなところはないと、アリカは今一度、敬礼する。


 アリカとフルンツベルクは面識がある。


 アリカがヴェルテンベルク領邦軍憲兵隊の頃、〈傭兵師団〉と閉所戦闘訓練の際に言葉を交わした過去があった。閉所戦闘の機会が多い憲兵隊の中でもアリカは特に屋内戦闘の経験があり、路地での咄嗟戦闘なども経験豊富であった事から、〈傭兵師団〉兵士を教導する機会があり、その際にフルンツベルクとの意見交換の機会を得た。


 故にフルンツベルクもアリカの事を覚えていた。


「そうか、やはり中尉だったか。名を聞いた際にそうではないかと思っていた。飛び地までとは苦労するな」


 飛び地で一個増強師団の人員の面倒を見なければならない立場と比較すると然したるものではないが、フルンツベルクが或いは特設調査班の設立経緯を把握しているやも知れないと考え、アリカは軽はずみな言動は控えねばならないと肝に銘じる。


「御呼びとの事で参集致しました。ラムケ閣下は……家臣団の方と宴席を囲んだ後、家臣団の面々と諸共に体調が思わしくないと寝込んでおります」


 何だこいつら要職者の自覚がないのか、という意見が関係各所から飛んできかねない状況だが、家臣団側も特設調査班側も互いに相手の情報を欲している状況であり、今後の関係を踏まえると良好である必要があるので、宴席という話が出ては避ける事は出来なかった。非合法組織の排除に活躍したラムケに対して家臣団が好意的であった以上、猶更である。


 しかし、共倒れになるまで飲酒しては情報など頭から零れるのは確実だが、少なくとも両者共に胸襟を開いて語り合ったという事実は残る。職務上の遣り取りに留まらないところにまで踏み込んだのだから、少なくとも今後の遣り取りで、それなりに建前を省ける公算が高い。


 故にアリカとしても、咎めるべきか悩むところであった。


「ふむ、神官殿には気を使って頂いた様だな。家臣団を道連れにしたか」


 快活に笑うフルンツベルクは熊が笑ったかの様な印象を受けるが、隣に立つ兎系種族の士官……参謀飾緒を見るに師団参謀であろうが、その対比を考えると捕食者と非捕食者の関係に見えて仕方のないものがある。


「辺境伯の本音を引き出すには副産物が多くては邪魔だろうと参謀と話していたのだ」


「ええ、これは願ってもない好機です。辺境伯側の本音を聞き出し易いでしょう……ああ、中尉。私はミラン中佐です。以後お見知りおきを」


 好機であると兎耳をぴんと伸ばす兎系種族の士官……ミラン中佐の言葉に、アリカは何とも言えない表情をしつつも社交辞令染みた挨拶と名乗りを済ませる。


 ラムケが意図して家臣団を撃破(飲酒)したのかは疑義がある。北部臣民はどうもラムケの行動に対して好意的に取る傾向があるが、ヴェルテンベルク領でマリアベルに比較的近しい立場だったフルンツベルクはその辺りを理解している筈であり、理解した上での好意的意見なのだろう。


 宗教勢力への配慮なのか、或いはマリアベルに大手を振って意見できる数少ない人物への配慮が形式的に続いているのは判断が付かないが、将官がそう振舞うのだから尉官はそれに乗るしかない。


 結果論であるが、好機が来たというのであれば成果である事に違いはない。偶然など世には掃いて捨てる程にあった。


「我々も動向せよとの仰せですが、ラムケ少将は宜しいのでしょうか?」


 指導者は帯同者が増える程に建前と方便が増えるものである。


 帯同者の支持母体や所属会派、派閥への配慮や建前の必要性が生じる為であり、それにより俎上に乗せられない意見も出てくる。誰しもがトウカの如く合理性がある、で押し切って尚、不満から生じる諸問題すら押さえ切って見せる覚悟をした者ばかりではない。


 そうした事実を踏まえれば、帯同者が少ない方が好ましいのは確かであるが、対する 〈傭兵師団〉……フルンツベルク側の数が多いのでは圧迫感を与えかねない。


「むさ苦しい男は当官一人で十分だろう。後は参謀と中尉と……その噂の文屋か? その四人で良いと考える」


「この文屋も宜しいのですか? 報道されかねないと見れば萎縮しかねないかと思いますが?」


 私利私欲に塗れた無秩序な拡声器こそ報道の本質である。権力者が危険視する事は当然であり、幾ら連合王国が時代錯誤な体制であっても好き勝手に情報を垂れ流す輩の脅威は貴族であれば理解している筈であった。


 アリカの左脇に抱えたクレメンティナが、滅相もないと意見する。


「もう私は御用記者ですよ。汚れちまった国家の拡声器ですよ。御国の不利になる事は書かないです。そもそも、郵送した記事は検閲されてるから御気になさらず、どうぞどうぞ」


 小脇に抱えられたまま、器用に敬礼する新聞記者。


 身も蓋もない話をするが、そもそもクレメンティナと統合憲兵隊との契約が支障のない範囲にて報道を許可するというものであった為、至極当然の話に過ぎない。


 そして、実はクレメンティナは現状に満足しつつあった。


「なに、貴女、不満ばかりだったじゃない」


 報道に制限が付く事に対して不満があり、特種を世に報道する機会を幾度も逸した事に、クレメンティナは日頃より不平を零していた。とは言え、在野の記者では近付けない国家の枢機や暗闘の渦中に近付けるのだから十分に採算は合うだろうと、アリカとしては強欲に呆れたものである。


 そのはずであった。


「報道はね、金払いの良いヒトの味方なんですよ? 知らないんですか?」


 特設調査班の成果を記事にする事で評価され、有名記者となり高給を得たクレメンティナすっかり俗物となり果てた。


「給料明細を見たら報道姿勢なんて変わりますよ。報道の自由でお腹は膨れないんですよ?」知らないのか、と言わんばかりのクレメンティナ。


 フルンツベルクとミランは顔を見合わせている。直截的に過ぎる意見であり、周囲の兵士達の表情も何処か奇妙なものとなっている。


「貴女、新聞記者に向いてるわ」


 恥を知らないのだから間違いなく新聞記者の才能がある、とアリカは確信する。恥を知っていると今一歩踏み込みが甘くなる。勿論、北部では踏み込み過ぎれば水死体になるが。


「一皮向けたんです……剥いたのは貴女ですけどね」


 意味有り気な視線をアリカへと向けるクレメンティナ。


 服は剥いた記憶があるが、職業倫理まで剥いた記憶がないアリカとしては遺憾の意を表明したいところである。去りとて将官を前に莫迦をするのは憚られる為、アリカは右手でクレメンティナの顔を掴んで黙らせる。


「貴族を待たせる事は憚られます。そろそろ、向かうべきではありませんか?」


「そうだな。仲が良い様子で何よりだ」


 フルンツベルクは動じない。





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