第四一三話 共同演習
「向こうは随分と急いている様だな。状況は理解できるが維持管理できるのか?」
ヨシカワは双眼鏡越しに朋友となりつつある隣国海軍の姿に一抹の不安を覚える。
総じて旧式化が目立つ艦艇からなる部族連邦海軍の艦隊を見たヨシカワは、有事の際には役に立たないだろうと看做す。兵装の違い以前に速度が異なるので連携すら困難である。
「とはいえ、複合装甲の艦艇も見受けられます」
重雷装艦〈ロスヴァイゼ〉艦長のエメリッヒ中佐の指摘に、ヨシカワは海軍大学時代の講義で紹介された過去の艦艇説明を思い出す。
「あの木材を鋼鉄で挟んだ装甲か。歴史上の艦艇だぞ」
複合装甲と言うものの、それは木材を鋼鉄製の装甲で挟み込んだものに過ぎない。火砲の貫徹力が乏しい時代に、小口径砲は鋼鉄の装甲で弾き、大口径砲は装甲で受け止めつつも木材の弾性も利用して弾くという概念の下で生産された装甲の一種である。これは材料工学上の限界や生産効率、そして鉄鋼資源の消費の低減を意図したものであり、諸外国でも一時期、流行になった。五〇年以上前の話であるが。
とは言え、木材の弾性で弾ける程度の火砲を撃ち合う時代ではなくなり……そもそも、登場した時代でも効果は怪しかった代物である。流行の理由は安価で済む事も影響していた。
「巡洋艦辺りならば、規定通りの調定では魚雷が突き刺さるだけに終わるやも知れんな」
鋼鉄の装甲が薄く、木材部分にも弾性があるのだから意外と信管の動作不良の誘発は有り得る話であった。去りとて、軟装甲への設定というのは過ぎれば波浪を受けての早爆を招く恐れがあった。当時は存在しない魚雷という兵器との相性は未知数である。
想定していない相手に対し、水雷長が思案顔となる。重雷装艦にとっては主兵装の魚雷が通用しないというのは死活問題である。
だが、現在の部族連邦海軍は敵という訳ではない。
そうした飛び交う意見の中、女性の柔らかな声が響く。
「しかし、そう軽視できるものでもありませんよ。部族連邦には軽合金に匹敵する強度の木材があるとの事ですから」
「アルトシェーラ大佐……貴官は装甲に詳しいのか?」
驚きと共に航空参謀として臨時で着任した天使系種族のアルトシェーラに尋ねるヨシカワ。
「いえ、航空装備の材質選定に際して木材も俎上に上った事で調査したのです。特殊な木材を高圧圧縮した上で魔術刻印による構造強化をして積層化すると相当の強度となるとか……」
技術的に詳しい訳ではないものの、木材の兵器利用は盛んに研究されている事がアルトシェーラの意見から窺える。皇国は各種資源に恵まれているが、鉄鋼に関しては産出量が永続的に保証されている訳でもなく、一つの資源に依存した量産を危険と見る向きもあるのだろう、とヨシカワは納得する。
「そう言えば、艦政本部でも遊撃艦なる高速艦の建造に木材を利用するという話が出ていた気がします。製造単価の切り下げと量産性に加えて、磁気機雷の反応を避けたいとか」
エメリッヒがふと思い出したのか謎に包まれた噂の小型艦艇の話をする。
実際、遊撃艦という公式には存在しない艦種であり、大規模な就役を予定しているとの噂ばかりが先行しており、海軍軍人達の間では一体どの様なものかと宴席で話題に上る事も少なくない。
遊撃艦は魚雷艇や掃海艇、駆潜艇などの船体や装備の共通化を図る動きが取られており、機雷除去を行う駆潜艇などは磁器探知を避ける為、木材による船体というのは珍しい事ではない。それ故に木製船体の可能性が調査されていた。
無論、そこにはトウカによる総力戦に於いて鉄鋼資源を常に潤沢に用意できる訳ではないとの意向がある。加えて、消耗が大きいと予想される小型艦艇の資源と予算を低減したいとの海軍の思惑もあった。三人は首筋が寒くなる話だと揃って溜息を吐く。
軍令部が消耗抑制を真剣に考えているというのは、戦機が近いという事でもある。具体的な戦争計画があるのか、他国の軍事行動を予期しているのか艦艇勤務の佐官達には分からぬ事であるが、戦争が近い事だけは感じられた。
「偵察騎より神州国艦隊見ゆとの報告。一三時の方角、二〇〇〇」
通信士の報告に、アルトシェーラが眉を跳ね上げる。
皇国海軍の素敵能力を踏まえると、かなり近い距離であり、同時にそれは予期されていた事でもあった。
「申し訳ありません。やはり、早期発見は困難でありました」
アルトシェーラの謝罪を、ヨシカワやエメリッヒは鷹揚に受ける。
「騎数が足りぬのでは致し方ない。元より水雷戦隊の偵察騎では広範囲の索敵は困難だろう。貴官の責任ではない」ヨシカワはアルトシェーラを慰める。
女性でいてしかも天使が落ち込むとなると男は罪悪感を覚えるものである。
アルトシェーラは水雷戦隊の索敵に関する研究と実情把握の為に派遣されていたが、ヨシカワとしても必要であるが現状では致し方ないと考えていた。
だが、聯合艦隊司令部はそう考えなかった。
水雷戦隊は旗艦である軽巡洋艦一隻に駆逐艦四隻からなる駆逐隊を四個、指揮下に加える有力な水上打撃戦力である。艦隊の先鋒を担い、平時では哨戒任務にも充てられており、その所属艦艇が総じて高速である事から、即応性の高い戦力単位として重用されてた。それでいて、大型艦を編制に加えていない為、他国を刺激し難いという事もあり、政治的に見ても派遣が容易な戦力として見られている。現在の部族連邦東岸沖合に皇国海軍は二個水雷戦隊と一個重雷装戦隊を派遣している。
しかし、水雷戦隊は索敵能力に欠ける。
現在も哨戒任務に利用されているが、航空戦力という新たな要素が重視される様になり、要求される哨戒範囲は拡大した。艦艇と航空騎の運用による奇襲攻撃の可能性を踏まえた結果であり、それを実施したのは自国軍閥の水上部隊であるが、類似した真似を他国が為さないとは限らない。
故に哨戒を担う艦艇への偵察騎の搭載や基地航空隊との連携が重要視された。
そうした問題や限界を把握する為のアルトシェーラの臨時着任だが、やはり模索段階である為に無理があった。
「出歯亀か。想定されていた事ではあるが、我が重雷装戦隊の四隻と二個水雷戦隊の旗艦である軽巡洋艦の二隻で合計六騎となれば索敵網の常態的な形成は困難と言えるな」
索敵を進行方向海域に絞ったとしても交互運用の面では無理があった。ヨシカワとしては以前までの各艦艇による有視界での索敵を知るので、それに航空騎による索敵が加わる形と考えれば、選択肢が増えると考えたが、聯合艦隊司令部で航空参謀を務めるアルトシェーラや聯合艦隊司令部は異なる見解を持っている。
「航空索敵が万全であるならば、早期発見が叶います。先手を打つ事も引く事も容易となるでしょう。本来なら、そうした編制を各戦隊にまで普及させたいところですが……」歯切れの悪いアルトシェーラ。
ヨシカワとしては、そうだろうが随分と高望みをする、という心情である。
「高位種や中位種などの転化可能な龍兵を搭乗させれば艦内容積の専有は最小限で済ませられる事を踏まえると、遣り様はあると思いますが?」
エメリッヒの言葉に、ヨシカワは有事にはそうした編制になるだろうと見ていたが、今は平時であり、運用面で試行錯誤できる内容は先に済ませておくべきと考えられているのだと納得してもいたが、それだけではないとも見ていた。
「消耗率の高い小型艦に高位種や中位種の龍兵を搭乗させたくはないのだろうな。それなら空母に限界まで数を乗せて航空攻撃の最大化を図りたい……辺りの意図があるのだろう」
有力な航空戦力を分散した挙句、消耗率の高い艦艇に搭乗させるのは軍事学上の集中の原則に反する。攻めるに当たっても守るに当たっても、航空戦力の集中運用の有効性を目の当たりにした皇国軍とし ては神経質とならざるを得ない。
「ああ、いえ……はい、一面に於いてはそうでありますが、小型艦の消耗だけでなく、 高位種や中位種の龍兵の消耗も問題視されておりまして……これは至尊の御方の懸念という噂があります」
最後の小さな言葉に、ヨシカワは苦笑するしかない。
龍系種族の消耗を厭うとは、中々どうして御優しいではないか、とヨシカワは平素の政治的緊張から想像できない配慮であると見た。
実際のところは逆であり、トウカは航空戦での度重なる消耗で龍系種族の配備が全ての艦隊や戦隊に為せる状況ではなくなる……それ程の消耗を航空戦で想定している為であった。先々が死屍累々である為、戦局が継続するに当たって潤沢な編制を維持できないという話に他ならない。
「とは言え、小型艦で竜を飼うというのは中々に負担です。後部砲塔の連中が臭いと文句を言っておりますので」
エメリッヒの言葉に視界の隅で砲術長が頻りに頷いている光景に、ヨシカワは狭い艦内で巨大生物を飼う事の難しさを痛感する。
巨大生物がかなりの食糧を貪り糞もする。病気にもなれば、体調を崩す事もある。それらを踏まえると人員と物資の増加の必要性もあり、艦艇側の負担は更に増す。容積に限界のある小型艦ではかなりの負担であり、駆逐艦などでの運用は現実的な範疇には収まらないだろう事は疑いない。
「本格的に運用するならば後部砲塔は全廃して容積を確保する必要があるかと。ただ、本艦は重雷装艦です。ただでさえ少ない火砲を更に削減するのは好ましくないかと思います」
エメリッヒの指摘に全力で頷く砲術長。機関砲と対空機銃が増設されたのだから職務内容としてはそれでも増加傾向であるが、大砲屋とはより大きな砲を撃ちたがるものである。
こうした会話をする程度には余裕のある艦橋。平時であり、未だ演習が始まっていないからこそである。
「偵察騎より神州国艦隊の規模報告。戦艦二、巡洋艦三を含む二〇隻程度の艦隊との事です」
通信士の言葉にヨシカワは、大物まで連れてきた、と意外の念を覚える。
「気になって仕方がないのだろう。領土的野心を露わにしたが、その結果が大陸国家の連携だ。海上戦力で優越しても国力では大幅に劣る状況になる」
「何としても妥協を迫りたいという事ですか。相対する身としては迷惑極まりない事です」
エメリッヒの苦言に、ヨシカワは大いに同意する。
水雷戦で戦艦を葬るのは水雷屋の悲願であるが、主砲や副砲の射程距離まで踏み込んで雷撃するという戦術は大いなる勇気と野蛮なる無謀の境界線を渡り歩く様なものであり、相当の損傷と犠牲と覚悟で為される。人生で幾度もするものではないというのが経験者であるヨシカワの所感であった。
「ここより二日の距離に航空巡洋艦からなる〈第三七偵察艦隊〉が展開しております。 支援を求める事も可能ですが」アルトシェーラの意見具申。
航空巡洋艦とは最近登場した艦種で、重巡洋艦の後甲板に装備した主砲塔を撤去して飛行甲板を装備した軍艦で計一二騎の戦闘攻撃騎を搭載している。発艦を射出機で行い、着艦を飛行甲板を魔導障壁で延伸して行う形の特異な運用が為されていた。
〈第三七偵察艦隊〉は主力艦隊前方の偵察を担う為に編制されており、航空巡洋艦一隻、防空巡洋艦二隻、駆逐艦四隻からなる小規模な艦隊であった。規模は小さいが、いざ交戦ともなれば、その戦力は貴重である。
「いや、其方の艦隊の存在まで気取られるのは避けたい。一二騎の対艦攻撃可能な航空騎だ。いざ、戦闘となれば奇襲的に運用したい。無線封止と戦闘に備えた対艦攻撃準備を偵察騎で伝令すべきだろう。艦長、どうだろうか?」
「良い判断かと思います。ただ、神州国艦隊側に演習中であるとの通達も再度、行うべきかと。現場は預かり知らぬとばかりに動かれるのは望ましくありません」
エメリッヒの同意と指摘にヨシカワは道理であると同意する。現場まで通達がなかったなどという言い訳の余地を残してく利点はない。
しかし、偵察騎を伝令に出す事には懸念点もある。
「航空参謀、航行中の〈第三七偵察艦隊〉を偵察騎が補足できるだろうか?」
「任務内容に変更がないとなると、本土の航空基地からの索敵圏内に展開している筈です。航空基地に照会したならば、ある程度の位置は把握可能かと」
アルトシェーラは、一拍の間を置いて答える。
電子通信技術の場合、無線封止の相手が発信せず受信に留める限りに於いては位置が露呈する事はないが、魔導波による魔術的な通信の場合、長距離となると制御と強度の面からある程度の収束した発信が必要となる。これにより規模や正体は不明のままであっても、敵側にある程度の位置が露呈する事になり好ましくない。無論、理論上は全方位に魔導波を発信したならば位置の露呈は避け得るが、それには莫大な出力が必要となる上、発信側の位置が正確に露呈する問題もあった。
無論、本土まで届く大出力で本土との通信と誤認させる事も可能であるが、そうした手段は一般化しており警戒を招く事に変わりはなかった。
「なら、その方針で行こうか。艦長、対応を頼むよ」
ヨシカワはエメリッヒに命令すると、次はアルトシェーラへと視線を向ける。
もし、交戦ともなれば一方的な敗北はないが、かなりの被害を被る事は疑いなく、それならば相手に容易に手出しし難い状況を作るしかない。去りとて艦隊の逐次投入を行いながらの睨み合いではヨシカワの権限では手に余る上に時間を要するので現実的ではない。即応性と短時間で戦力投射可能な戦力ともなれば航空部隊しか存在しなかった。
「航空基地と通信を密にする事で航空戦力の存在を神州国艦隊に意識させる事は可能だろうか?」
「それは……神州国海軍が、航空部隊の対艦攻撃をどれ程の脅威と見ているか次第ですが……いえ、航空母艦の就役を急いでいるとも聞きますので、相応の規模ならば脅威と見るかと」
ヨシカワはその返答に満足する。
しかし、結局のところは上級司令部次第である。
「聯合艦隊司令部に通信をする。航空部隊の演習を指定空域で実施される事を望む、と」
部族連邦沖合で艦隊が孤立していると見られるべきではなく、即応性のある増援が存在する事を示すべきであるというのがヨシカワの判断であった。
だが、アルトシェーラは危険性をも指摘する。
「提案としては良いかと思いますが、距離を踏まえると想定される空域での滞空時間はそう長くありません。ここで航空隊を投入すると再出撃までの時間を要する事になります。聯合艦隊司令部がどの様に考えるかは不明ですが、そうした示威行動を行う場合、航空隊による支援を前提とした交戦は考えるべきではないかと思います」
アルトシェーラの意見は一面に於いて正しい。
示威行為に出撃した航空戦力の間隙を縫う形で戦闘が始まれば、再出撃から戦闘海域まで飛来するまでには相当の時間を要する。艦隊戦には間に合わない公算が高い。
無論、聯合艦隊司令部が事態を重く見た場合、他地方から対艦攻撃航空団が近傍航空基地に対して増派される可能性は十分にあり、飛来させる航空戦力も絞った規模であれば、航空基地に待機状態の航空戦力を出撃させる事で再度の航空攻撃までの時間は増加しない。その場合、示威行為の航空戦力は減少する事になり、
しかし、その判断の是非はヨシカワに、艦隊側にはない。
ヨシカワは已む無しと判断する。
「選択肢はあるまい。打てる手は全て打つべきだが、聯合艦隊司令部からの別命がないというならば、我らは演習を開始するまでた」
首に下げた双眼鏡を手に取り、ヨシカワは艦橋内右舷側へと移動する。部族連邦海軍艦隊の様子を双眼鏡で確認しようとする。
「部族連邦海軍は配置に手間取っている様です。神州国側に無様を見せるのは避けたいところですが……」命令伝達を終えたエメリッヒが部族連邦艦隊の練度不足を指摘する。
練度不足であるからこそ戦える様に鍛えるべきで、軍艦を輸出しても扱い切れないのでは意味がない。戦える友好国が皇国には必要である。
「故に教育せねばならない。無論、我々の軍事常識に基づいた訓練と運用を、だ」
そうした命令であるのだから当然であるが、同時にヨシカワは将来的な部族連邦併合を視野に入れた動きではないだろうかとも見ていた。軍の統合の失敗は禍根を残す。 無論、軍を強化すると併合に当たって障害になる公算が高いが、トウカであれば上手く詐欺紛いの真似をして併合まで進めるだろうという実績からなる確信があった。
――まぁ、そもそも国家と言うには紐帯が緩い。隙も多ければ無駄も多い。
それは、艦隊の練度向上などできるのだろうか?という話でもある。
「防護巡洋艦が遅れている様子です。旋回性能と速力から止むを得ないと思いますが……」
「遠慮は不要だぞ、航空参謀。艦種や性能ではなく、部族毎に戦隊を編制しているので艦隊行動など無理だと言ってやればいい」
艦橋に複数の苦笑が響く。
困った事にヨシカワですら、それを咎める事が難しい程度には部族連邦海軍の内情は酷い。
トウカは陸軍が酷いのだから海軍も酷いに決まっているだろう、と見ていたが、皇国海軍府軍令部はその酷さに教育制度の抜本的見直しが必要と上奏する事となった。トウカの予想すら悪い方向へ上回っていたと言える。
部族連邦側も神州国との関係悪化を踏まえて強い危機感を抱いており、皇国海軍との軍事演習を受け入れた。実際のところは神州国に危機感を覚えて部族連邦海軍が皇国軍から兵器有償供与を受けて近代化に乗り出した形である。内情としては部族連邦側からのものであるが、対外的には皇国側からの強い要請となっている。これは神州国側からの視線を気にした為であり皇国はこれを受け入れた。悪名を恐れないトウカらしい判断と言えるが、同時にトウカが神州国の懸念や敵意を恐れない……勝算があるとも大陸諸国からは見られていた。
無論、対決姿勢を露わにする事で、神州国の海洋戦力に圧迫される大陸諸国の支持と好意を取り付けようとの意図もあった。
故にヨシカワは水雷戦隊の指揮官としてこの場に在る。
部族連邦海軍艦隊を錬成する。
そして、部族連邦海軍側も危機感を有している為か有力な艦艇は全力出撃しており、 その総数は五〇隻を超える。両軍を合計すると一〇○隻近い規模であった。
「取り合えず、口も開けなくなる程度には格の違いを見せる。そうでなくては此方の言葉に耳を貸さないだろう」
接待や友好など考えずとも宜しい、というのが聯合艦隊司令部からの命令であり、 ヨシカワとしても完勝し得る相手に下手を打つ事で査定が下がるのは断固として阻止しなければならないので相当の緊張感を持って臨んでいた。周囲の緊張を解するべく冗談を飛ばせども内心は憂鬱である。
「部族連邦艦隊より通信。配置に就いたとの事です」
「宜しい。では、始めるとしようか」
仮想敵国に見られながら、殴り付けた友好国との大規模演習。
ヨシカワは敵でも見方でもない国家と相対するという感覚に未だ慣れなかった。
「それで衝突事故か……いや、衝突事故が発生する程の熾烈な演習という事だろうね」
エッフェンベルクは部族連邦海軍との演習結果を聞き、懸念と困難に眉を顰めるものの、好意的に捉える言動だけは忘れない。
周囲の海軍高官達への配慮である。上官の不機嫌や不満というものは伝染するものであるが、それ以上に職場の雰囲気というものまで悪くする。風通しが悪くなれば意思疎通が阻害される為に不利益しかない。
「天帝陛下は何と?」
海軍府軍務局第四課課長である天使系種族のエルザスレイ少将が、エッフェンベルクの問いに答える。
軍務局第四課は国内に於ける国防意識の啓蒙や海軍への理解増進を図る為の部署であり、国民への情報公開を担う事もある部門であった。
「演習で死者を出すべきではないが、平時に惜しんだ汗は戦時に血で補う事になる。彼らの劣後は来るべき戦時にまでに汗を流す程度で間に合うだろうか? そう仰せであったと聞きます」
緩やかな笑みに軽く波打の掛かった金髪に愛らしい顔立ちは、正に対外的な印象操作を図るに適したものであるが、エッフェンベルクは彼女が海軍航空歩兵として苛烈な移乗攻撃の指揮官であった事を知っている。
天使系種族の紐帯は強く、その伝手で入手される情報も多い為、それを期待して天使系種族を要職に就ける組織は多い。無論、見目麗しい天使を広報の統率者に据えるというのは対外的な露出を想定した人事でもある。
「厳しい事を言う……我々も無関係ではいられないか」エッフェンベルクは嘆息する。
部族連邦海軍艦隊側の防護巡洋艦と駆逐艦が衝突事故を起こし、一四三名の死者が出た。その死者の大部分は沈没した駆逐艦の乗員である。神州国海軍が窺う中で派手に下手を打った為、トウカの面目を潰した、と皇国海軍府は見た。
しかし、トウカは怒る事はなかった。
「厳しい訓練は必要だが、今後は訓練で死者が出ぬ様に、と陛下は申された。友好国と共同で訓練に於ける規定を作るべきだろう、と」
事の上奏に当たり、エッフェンベルクはトウカからそうした下知を与えられた。死者に対する哀悼の意や見舞金などに関する言及もあった。見舞金に関しては他国への拠出を政治的合意もなく早々に決めてよいのかという意見が海軍府内にあった為、トウカの言及は渡りに船であったと言える。
部族連邦と皇国で見舞金の額が異なると角が立つというのは在り得る話であり、海軍府が主導すべき案件ではない。有志の海軍軍人から集めた義援金という形にしてはどうかとの意見もあったが、他国との関係に関わる話でもあり、枢密院に諮る必要があるとエッフェンベルクは判断していた。
それ以前の上奏でトウカより明言があった以上、トウカの意向を以ての対応という大義名分ができる。
「意見を分ける事で、心配をしているという風間を流布させつつも、同時に練成状況への懸念も示す。市井と軍関係者への意見を分けた形でしょう」
エルザスレイが耳にした言葉は、有事までに錬成が間に合うかという個人的懸念であり、エッフェンベルクが伝えられた言葉は事故対応に関するものであった。
恐らく、エルザスレイの言葉は海軍に対策を求めるものであり、エッフェンベルクへの言葉は市井への喧伝に使われるものである。
「陛下は友好国と合同での海難救助訓練なども実施すべきだろうと仰せだ。複数の政策を以て話題性の分散を図るという意図もあるだろうが、軍事分野以外での友好の演出として、これ程の好機もないだろうね。いや、抜け目のない事だよ」
エッフェンベルク個人としては、事故の原因を神州国艦隊に求めて非難をするかと考えていたが、そうした動きは一切なかった。
それは海軍府高官も同様であった。
「神州国を非難する材料とすると考えておりましたが……二正面は避けたいとの意向でしょうか?」
海軍府経理局長、クルストフ中将の言葉に頷く高官は多い。
エッフェンベルクとしては頷きたいところであるが、同時に別の考えを持っていた。
「無理をする必要はないと考えたのだろう。何せ神州国の領土的野心……いや、熱狂かな?……兎に角、植民地が欲しくて堪らない姿勢は明白だからね。これに対抗するには近隣で最も有力な海軍を持つ皇国に近付くしかない」
意外と穏当な判断をするという意見が飛び交う中、エッフェンベルクは既に大勢は決している、と言い放つ。
皇国に近付く友好国とは南エスタンジアと部族連邦である。ロマーナ王国への働き掛けも近々、実施されると聞くので、大陸の神州国に近しい沿岸諸国の連携を考えている事は明白であった。
「領土的野心を見せるんだよ。それを指して脅威と囁いて団結を促すだけでいいのだから、この期に及んでの更なる声高な非難など状況を制御する上では不確定要素にしか成り得ないと見たのだろうね。博打をする状況ではない、と」
トウカは思慮深い男である。そして執念深くもある。
主敵は飽く迄も帝国であり、神州国とは軍事衝突の機会もあるだろうが、二正面での戦争は望まない筈であった。戦力分散の愚を犯さないという前提もあるが、予算と資源の分散を避けたいとの意向が大きい。帝国であれば陸戦主体であり、対する神州国は海戦主体の戦争となる事で陸海軍の棲み分けが可能であるとの意見もあるが国庫は一つ。 戦力の整備と補充には上限が付く。
――とは言え、最悪を想定しているのだろうね。
沿岸防衛の作戦計画策定が海軍府に命じられ、皇州同盟軍隷下の潜水艦隊でも急速な増強が続いている。沿岸部の直撃を避けつつも、潜水艦隊で商用航路を脅かす事で帝国を撃破、乃至無力化するまでの時間を捻出するというのはエッフェンベルクにも予想できた。
潜水艦隊こそが海洋作戦に於ける隠れた切り札である。
トウカが潜水艦隊の隠匿に神経質になっているところ見ても理解できるが、潜水艦隊の存在は秘中の秘である。最重要軍事機密であり、潜水艦隊の為に専用軍港や閉鎖都市を造成し、シュットガルト湖内で訓練水域を指定している事からも、それは窺い知れる。海軍でも潜水艦の存在を知る者は少なく、噂が実しやかに囁かれている程度であった。関係者と爆発的に増加する配備数を考えれば、相当に隠匿に注力していると言えた。
エッフェンベルクは瞳を眇める。
「最悪は想定しているが、今は争うべきではないという事だろうね。勝てる準備はしたい……いや、植民地に資金と資源、何より人材を投じさせた後に仕掛けたい。その辺りだろうか」
大陸に植民地を築いても航路を維持できないのであれば、陸上戦力を増派できない上、産出した各種資源も輸送できない。莫大な資産を投じた植民地運営を頓挫させる事が可能であり、投じた資産を皇国側が接収する事も状況次第では叶う。無論、現地の叛乱勢力を支援して植民地の荒廃を誘うというのも手である。荒廃していれば梃入れに国力を消費する上、策源地としての利用は困難となり皇国への不利益は最小限で済む。
とは言え、この辺りがエッフェンベルクの限界であり、トウカは聖母なる人物の成立を他大陸からの干渉によるものと見ており、ただ荒廃に任せては付け入る隙……橋頭保とされかねないと危険視していた。トウカは最悪でも、ロマーナ王国を同盟国とするか版図に加える事で大陸南方を抑える必要があると考えていた。
「取り敢えずは、海難救助訓練と見舞金だろう」
飛躍した話を戻そうとするエッフェンベルクだが、 更なる飛躍した意見が出る。
「何ならば、海難救助訓練には神州国も巻き込んでは如何でしょうか? あの国は世界最大の海上戦力を有する海洋国家です。海難救助に於いて大きな役割を果たすべき立場にある」
エルザスレイの言葉に、一同が騒めく。
理屈としては正しいが、政治力学の面から生じた合同海難救助訓練なのだから、政治色が付く事はやむを得ず、故に参加国が偏る事は避け得ない。救命や救助も少なくとも現状では国籍を選ぶものである。国家という枠組みは斯くも強力で残忍なものであった。
「いや、これは妙手かも知れませんぞ?」
海軍府軍務局長であるクルシマ上級大将が同意する。
新任の軍務局長として就任したクルシマはトウカによって抜擢された人物であり、 同時に奇人としても知られた人物であった。そして、内戦前よりトウカに対して好意的な老将でもあった。力量ある若人が御国の為に奮起する姿は微笑ましいという放言が許されたのは、当時、予備役であった為であるが、トウカの即位によって状況が変わった。
クルシマの抜擢は、現状の海軍府は若手の将官が多く、トウカがそれを懸念した経緯がある。
エッフェンベルクは当初、自身に好意的な人物を海軍府内に増やすべきだとトウカが考えたのかと見ていたが、トウカは軽挙妄動を抑えるべき精神的支柱の役割を果たす老将が居た方が良い、と指摘してクルシマを推薦した。
エッフェンベルクも人間種であり、その年齢から見ると初老であるが、高位種のクルシマの見せる巌の如き佇まいを前にしては居住まいを正したくなるものがある。
クルシマ自身は天狼族で、六〇〇歳を超える。妙に嗅覚が鋭く、艦隊司令官であった際、帝国海軍艦隊に奇襲を幾度も成功させた実績を持ち、その実績と気風の前に襟を正す将兵は多い。尤も、奇襲という投機的な作戦に拘った人物でもあり、エッフェンベルクからすると技量の面で偏りのある人物であった。しかしながら部下の面倒見がよく、軍務局長も大過なく勤めている。
しかし、トウカが言う所の軽挙妄動を抑えるという点では、時に機能しない事があった。
寧ろ、若手と共に騒ぐ。渦中にある。
エッフェンベルクとしてはトウカの人物眼を疑わしく思える話であるが、考えてみれば知将どころか恥将のザムエルを重用している時点で擁護し難い。品位を疑われる様な国軍の高官が存在する事は好ましくない。
しかし、場数を踏んだ老将である。
「考えてみて欲しい。神州国海軍が参加するならば内情を探る好機であるし、拒絶するなら人道的協力を一度は拒んだという事実ができる。後々の事を踏まえれば、損失にはならぬと見る」
一理ある意見である、とエッフェンベルクも納得しそうになる。
だが、トウカがその辺りを踏まえた判断をしないとも思えない。
「しかし、天帝陛下であればその辺りも勘案していると思うが……」
政戦両略の軍神である。敵を貶め、殺戮するという点に置いては有史以来、 右に出る者は居ないという評価もある人物であり、 敵国に対して相対的優位を確保する機会を見逃すとも思えない。
「ならば、上奏を以て確認すべきだと思うが、その前に……ここには海軍の枢機が一堂に会している。より良き提案となる様に議論するのは建設的で好ましい事だと思うが?」
擬音が鳴りそうな目合わせをしたクルシマに、エッフェンベルクは意図を察する。
議論を以て交流を深めようというのだ。
最近、海軍府は大幅な人事刷新が行われた。
トウカとの対立や距離に伴う政治的な理由からのものではなく、寧ろ軍事的に見て軍備拡大を続けるのであれば、そうせざるを得なかった。
艦隊の改編や規模拡大、それに伴う人材育成……挙句に新機軸の兵器や既存の知識大系の延長線上にある様には見えない軍事戦略や戦術、運用……海軍府はそれらに対応する必要に迫られた。折しも、その時期は南大星洋海戦による艦艇の被害と損傷により、 大規模な人事変更が行われおり海軍府もそれに伴い大幅な刷新が行われた。
高官を増加した艦隊や戦隊の司令官として転属させ、海軍府要職には比較的若く頭角を現しつつある面々を抜擢したのだ。これには指揮官が新たな各種要素を知らぬ儘では困るので現場で実際に投げ込めとのトウカの勅命もあった。そして、増加した艦隊は現状では定数を満たしていたないものの新造艦が順次配備される。これの規模を踏まえると艦隊司令官は艦隊によるものの最低でも中将以上となるが、そもそも皇国海軍には中将以上の階級の者が少ない。これは要職への抜擢に応じて昇格させる為であり、少将の層を平時では厚くしており、有事では増加した役職にその少将の層から任に耐え得ると判断した人物を抜擢し昇格させるという制度となっていた。これは先皇の御代で限られた人員しか用意できない中、有事の際に急速に戦力増強を叶える為であった。勿論、少将以上の役職が少ない事に不満は出るが、背に腹は代えられない。
しかし、トウカの即位で状況が変わった。
否、変わり過ぎたと言える。
兵士や下士官だけでなく少将ですら不足した。
嘗ての海軍府が有事に想定する艦隊の三倍の数となり、挙句に基地航空隊まで次々と新設され、軍港も増加した。挙句に国営商船団も揃えるという話となり、退役軍人の一部がそこに充てられた為に人材不足に拍車が掛かった。
客観的に見た場合、陸軍よりも海軍は技術職の傾向が色濃く、錬兵期間を多く割かねばならならず、急速な人材確保は困難であった。加えて、艦船勤務の場合、搭乗艦艇に慣熟するには更なる期間を要する。
よって海軍は各所で育成しながら組織運営をする事となった。海軍府も例外ではない。
急速に層を厚くする為には致し方ない事であるが、現状の海軍は向こう二年は戦争できる状況になかった。
「何時までも職域内の問題に汲々としているだけでは困る。因みに儂は昔馴染みの若い奴をら引っ張ってきたので問題は起きておらんが」
クルシマは海軍大学時代の後輩や艦隊勤務時代の部下を複数人引き抜いて軍務局に配属させた為、意思疎通という面では気心が知れており、互いの力量や癖も把握していた。そうした時間を省き、職務に慣れるまでの時間を短縮できるのは大きい。無論、 人間としての相性も問題も起き難い。
無論、人事局は難色を示した。
個人的に近しい面々を集めた場合、不正や不祥事があった場合でも問題が表面化し難く、把握や解決でも身内同士の連携によって時間を要する場合がある。無論、軍とは巨大な官僚機構としての側面を持ち、当初の予定を覆される事を労力と面子の両面から忌諱する傾向にある事も関係していた。
それでもクルシマが押し切った形である。端的に言えば、老兵を再び引っ張り出すのだから、介護する輩くらい選ばせろ、と要求して押し通した。
軍務局は陸海軍に存在する軍政分野を管轄し、府としての政策立案、人員や予算を獲得する事を役目としてた機関である。よって、クルシマは海軍府長官に次いで政治敵折衝を担う役目を負った。無論、海軍府長官の軍政面での補佐が主な役目であり、軍務局長自身に絶大な権限があるとは言い難いものの、国会が機能を停止している事もあり軍による政治的な動きを取らざるを得ない場面が頻出していた。
そうした中で、明らかに艦隊勤務一筋であったクルシマや、彼が引き抜いた士官が、そうした分野に明るい筈もない。彼に求められていのは、重鎮として海軍府で存在感を示し、若手将官達の心理的支柱となる事、そして軽挙妄動を押し止める事であった。寧ろ、トウカは現状で海軍府や陸軍府が政治に口を挟む余地を増やす事を避けたいと考えており、それは外務府の役目の一部を両府が担う事になった事も大きい。軍が政治を担う事は健全ではないが、それ以前に現状では手に余る状況であった。皇国軍は政治をする様にはできていない。
実情として、陸海軍府は政治に関わる事に否定的であり、軍務局設立に関しても嫌な顔をすること甚だしかったものの、将来的に再建される国会や中央政府に対して意見を通す必要性があると言われては引き下がるしかなかった。先皇時代に不遇を強いられたのは理論武装と政治への無理解があった事は否めない。
そうしたトウカの配慮を陸海軍は無下にできなかった。そして、議会や中央政府の再建を望む貴族や元議員も陸海軍府内での軍務局設立なくば、再建は認められないと見てこれを積極的に推す構えを見せた。
陸海軍府は内心では遺憾の意であったが、現状の外交に関わらざるを得ない状況を是正する準備であり、そしてトウカの配慮を前に抗えなかった。
しかし、軍務局が軍内で認められないでは意味がない。
よって陸海軍府が隷下軍務局の軍務局長に宿将を充てたのはそうした経緯もある。未だ中央政府や国会という唾競り合いをする相手もない状況で優先されるのは、まず軍務局という組織が軍内で軽視されない事が肝要であると判断された結果と言えた。
故に良くも悪くも彼らは宿将であった。
「下町に繰り出して宴席で中を深めるというのも有りだろうが、将兵が揃って忙しなくしている時節に上が揃って宴席では示しが付かん」
全軍に広がる話ではなくとも、軍高官たるもの何処でその立ち振る舞いが流布するか定かならぬものである。印象程に曖昧模糊としながらも個人の評価を左右するものはない。そして、そうした印象こそが指揮統率に於ける分水嶺になるやも知れないのだから軽視できない。
無論、天帝であるトウカの如くアルフレア離宮の地下総司令部に籠る真似は鼎の軽重を問われかねず、それが許されるのは帝都で火遊びをする程の武勇在っての事である。軍事的合理性と大多数からの印象は時に相反するものであった。
「ならば忌憚のない意見を以て皇国海軍の未来を……と言うには、明日に起きるやも知れぬ可能性だが、これを語り合うのも良かろう」
互いの適正や方向性を知る機会として丁度良い。
道理であった。
「成程、道理ではありますね。皆はどうかな?」エッフェンベルクは皆へと問う。
クルシマをエッフェンベルクは心配していたが、彼は年長者として若手の交流を進め、時には軽挙妄動を一括する役目を自認しているのかも知れない。同意の声が次々と上がる。
エッフェンベルクは新たな組織に手応えを感じていた。
レビュー、ポイント評価などお待ちしております。




