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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》

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第四一一話    南部巡幸





「満足な様子で何よりだ」


 トウカはシラユキが車内で(はしゃ)いでいる姿に満足する。


 南部巡幸の為、皇室専用列車の座席に収まるトウカは外の流れる風景に喜ぶシラユキの姿に連れてきて良かったと心底と思う。


 陸海軍府の各広報課が、シラユキを社会教育という体で広報にその姿を利用した為、マイカゼから教育が偏っているとトウカは苦言を呈された。故にこの辺りで貴族令嬢らしい教育を為さねばならないという事もあり、シラユキを南部巡幸に同行させる事にした。アルフレア離宮内の同じ光景ばかりでは飽きるだろうとの判断もある。


「しかし、鉄道で移動なさるとは……危険ではないでしょうか? やはり航空騎を利用すべきだったかと思いますが……」隣席で表情を曇らせる清楚華憐な氷妖精。


 トウカとしては、輸送騎を利用しても要撃されては同じく危険がある上、そもそも龍系種族が程度の差こそあれアーダルベルトの影響下にあるとも言える現状、空が特段と安全であるとは考えていなかった。


「そうした懸念に配慮して装甲列車を連結している。そう容易く撃ち負ける心配はないだろう」


 計四三輌編制の重量編制だが、その大部分は装甲列車であった。


 戦車砲を転用した主砲や機関砲を搭載した砲座、無数の機銃座を持つ戦闘車輛、鋭兵や魔導士の搭乗する兵員輸送車輛、損傷や保線作業を想定した工作車輛に加え、つい昨日に実戦配備された車載型防空探信儀(レーダー)を搭載した車輛も連結されていた。


 それは正に走る黒鉄の城と言える威容であった。


 当然、装甲も軽砲に耐え得る規模のものを装備し、各種魔導防護術式による防護も充実している為、公称性能(カタログスペック)の上では重砲の直撃にすら耐えられた。


 何より戦闘航空団と戦闘爆撃航空団が常時一個航空団で防空を担っており、交戦時には戦闘爆撃航空団による近接航空支援も期待できた。無論、航続圏内の航空基地や駐屯地も非常事態に備えた体制に移行しており、即応可能な状況にある。


「天帝が怯えている様に見えるという話もこれで消えただろう」


 トウカはそうした意見を封殺する方法を知っている。


 そうした意見をできぬ規模の戦力を張り付ければ良い。


 中途半端な規模の警護を行うからこそ、そうした意見が出る。大戦力で行えばそうした意見は封殺され、寧ろ演出となり怯懦などという印象は雲散霧消するものである。所詮、怯懦も話題の一つに過ぎず、話題とはより大きな話題に圧し潰されるものであった。


 結果として物見雄山の種になる事はトウカとしても思うところがあるものの、理があるのであれば致し方ないと割り切っていた。


「この編制を見ようと沿線に集まる民衆も多いと聞きます。こうも客寄せになるとは思いませんでした。駅舎周辺の宿などは繁盛していると聞いております」


「警務官だけでは足りず、憲兵隊にまで応援要請が出て手当てする必要が出たと聞くが?」


 ヒトが集まるという事は問題も増加するという事であり、その仲裁や統制の為、官憲を相応の数、配置しなければならないのは止むを得ない事である。無論、南部巡幸を万人に下知したのだから物見雄山で一目見ようと試みる者が無数と生じるのは予想できたが、その規模は予想を超えた。


 ――皇城府が五月蠅いから行事となる様にしたのだがな。連中は、そうではない、と言うだろう。


 どうしても歴史と伝統を前面に押し出した企画を実施したくて堪らない様子であるが、トウカとしては明らかな無駄に付き合う心算はなく、何より天霊神殿に花を持たせる機会を与えたくなかった。皇室の行事は宗教と密接に絡み合っている為、天霊神殿の関与を避け得ない。


 巡幸に合わせ、訓練を兼ねた航空艦隊の編隊飛行……名目上の展示飛行や皇海艦隊による観艦式、装甲師団を含む部隊による観兵式などもなども企画されており、御祭り騒ぎになりつつあるが、それは志願者獲得や軍への理解を得る為の行事という側面もある。


「はい、陛下。流石に要らぬ負傷者が出ると皇権に差し障りが出ますので代案なく拒絶はできません」


 大規模化したのだから致し方ないが、憲兵隊にまで苦労を掛けるのはトウカの本意ではなかった。予想よりも大きく盛り上がりを見せた事も大きい。陸海軍はここぞとばかりに張り切った。そこに沿線を領する貴族も経済効果を鑑みて迎合する動きを見せた。南部巡幸に託けて個別に行事を始めた為、収拾が付かなくなっている部分もある。


 しかし、トウカとしては一概に否定的には見てない。


「だが、ここまでの催事になったのだ。これを邪魔立てする真似をするならば酷く恨まれるだろう」


「問題が生じれば敵対者の責任追及に弾みが付くと御考えですか?」


 クレアの、酷いヒトですね、という視線にトウカは肩を竦めるしかない。


 襲撃が起きれば物見雄山の臣民にも負傷者や死者が生じる可能性が高いが、その場合は実行者やそれを支援しているであろう組織を非難する事で国民意識の結束と潜在的脅威の排除を図るのは既定路線である。枢密院もこれには同意しており、寧ろ催事として大きくなったのはセルアノが経済活性化の為、臨時予算を利用して人流促進を図った影響もあった。枢密院はどちらでも国益に叶うという構え。


 ――権威とは移動するだけで経済活性化を図れるものなのか。


 御祭り騒ぎは些か軽妙に過ぎるのではないかと思うが、トウカ自身が言い出した事である為、非難し難いものがある。


 車窓を流れる光景。


 その光景を見るシラユキの姿を一瞥し、トウカは満足している様で何よりだと胸を撫で下ろす。胡散臭い地下施設や軍事施設を案内するばかりでは些か外聞も悪い。


「こうした緩やかな時間も悪くない……と言いたいが、落ち着かないな」


 鉄道車輛内部とは思えない執務席に座するトウカ。皇室専用車輛として採算度外視で製造されたが故に走行時の振動すらほぼ感じられない車内である為、移動しているという感覚に乏しかった。車窓を流れる風景も実際は画像が映し出されている為、 硝子越しの光景ではない。防弾の都合上、窓という弱点は徹底的に廃されていた。


 窓に頬を押し付けているシラユキはそれに気付いていないが、実際、投影された景色の精度を踏まえれば致し方ない事である。


「小説を読まれてはいかがですか? 余り無意味なものを読まれるのはお勧め致しませんが」


 クレアが半眼で読書を勧めるが、恋愛小説の描写について一々聞かれて難儀した過去を思い出したのか、本の種類(ジャンル)にも制限が付けられる。


「憲兵の検閲か。表現の自由への危機だな」


「? 国民生活に無用の混乱を招く要素は排除するのは普通ではありませんか?」


 クレアは、陛下はそれが得意では御座いませんか、と首を傾げる。


 重大な認識の齟齬があると、トウカは憮然とする。


 トウカは特定の表現を弾圧した事はない。反国家前提の偽情報を垂れ流す組織や企業の財政基盤を攻撃して排除する事が主体となっており、表現それ自体に打撃を加えた事はなかった。


 異世界はそうした時代であるのでクレアに苦言を呈する真似はしないが、トウカとしてはそもそも強固な義務教育があれば諸問題は最小化できる上、然したる問題でもないものを槍玉に挙げて大衆の耳目を集めると下手に大事になるとも理解していた。知覚する機会が増え、却って広く知られるのでは本末転倒である。


 捨て置くのが一番で、国家として目に余る様ならば有害部分を堂々と公表して法的制限を加えるだけで良いが、そもそも表現程度であればそこまでの労力を費やす意義は乏しい。表現を規制しても得るものは乏しく、そもそも馬鹿げたモノに群がる馬鹿は規制しても別の馬鹿げたモノに群がるだけであり千日手としか成り得ない。然したる不利益がないならば捨て置け、という話。


 結局、義務教育による地道な思考の画一化こそが最も有効であり、愚かな振る舞いをする面々の母数を減少させる。無論、その様にクレアを諭す真似は無意味である。


 今、存在する馬鹿を殴り倒すのが憲兵の役目なのだ。


 トウカとしても恋愛小説の理解度を見せて欲しいと言われては藪蛇なので妄想染みた政治哲学書を手に取るしかない。


「噂を聞くに原理共産主義とルカシェンコ農法が合体した様な内容らしいが……」


「何でしょうか。名前を聞くだけで不安を覚える主義主張ですね」


 トウカが手にした政治哲学書を一瞥したクレアが、事案ですか、と怪訝な顔をする。


 妄想癖が転じて政治思想を語り始める輩は多いが、それは経済状況が悪化する事で問題となる。金銭的余裕のある者は胡散臭い妄想に賛同しないものであり、結局のところ正常な判断は余裕のある環境でしか維持できない。


「これは帝国で流布し始めたものらしい。経済的苦境だからな。馬鹿げた話にも支持が付く。捨て置いても良いが、経済が永遠に発展を続けるなどと考えては暗愚の誹りを免れない。事前に対策を講じておくべきだと考えている」


 過激な思想や破滅しか齎さない主義に対する予防措置の事前準備は為されているべきであるし、対応部署を情報部に用意するべきであるとトウカは考えていたが、現状の情報部は諸問題で余裕がない為に提案を避けていた。


 ――カナリス中将には踏み止まって貰わねば。


 老人でも使えるならば大いに使う所存だが、さしものトウカも情報部に不都合な状況が連続している為、現状で職務を追加する真似はできなかった。


「世論の誘導ですか? 新設する国家保安府辺りの役目ではないでしょうか? いえ、統合情報部は国家保安府に組み込む心算という事でしょうか?」


「そうだな。いずれはそうなる」


 理解が早くて助かる所であるが、トウカとしては国内の緩やかな情報誘導に関しては匙加減が難しい為、そうした人材を育成するところから始める必要があると考えていた。


 規制による強要よりも、緩やかな指向性を伴う情勢を形成する事で民意の大多数を国家指導者の望む状況に置くべきという考えがあり、それを為すには広範囲に影響を及ぼす立場が必要である。同時に各機関の情報組織が取得した情報を精査し、繋ぎ合わせ、多角的に見た情報を用意する組織としても重要である。これを所属関係者の数から陸軍府の影響が多い現状は健全ではなく、どうしても軍事情報に偏重するという問題もあった。


 クレアは思案の表情をしているが、トウカは大方、査察が憲兵隊に回ってくるのだろうと考え、情報部と憲兵隊の関係が難しくなると見ているのだろう、とトウカは嘆息する。


 考えるべき事は山積している。


 そして、市井で発刊される書籍はそうした考えるべき問題の一端に触れている場合がある。分野毎に傾向などを踏まえた上で要点を纏めて情報部に提出させているが、特に問題が大きくなりそうな部分ではトウカは直接、書籍に目を通していた。無論、理解し得る分野に限るが。


 そうしたトウカの下へとシラユキが駆けてくる。机に飛び付いて机上に上半身を投げ出した姿は何処か既視感がある。


「へーか、きかんしゃをみたい!」


 確かに機関車は子供には受けの良さそうな機械であり、走行中はトウカも見た事が無いと思い出す。走行中でも機関車への移動は可能である。


 列車砲とその弾薬運搬車輛、兵員輸送車輛を編制に加えた重量編制の列車砲中隊を牽引する為に実戦配備された陸軍所属の魔導機関車は大出力を誇り、かなりの生産数となっていた。皇室専用列車として装飾を施され、形状も優美なものへと一部が変更されているが、性能と基幹部品は同等であった。それ故にトウカも外観を見る機会は多いが、車内まで見る機会はなかった。何より、北部は軌条(レール)規格が異なるので同型の車輛を運用できない。


「そうだな……まぁ、良いだろう。社会見学にもなる」


「鉄道事業に関わりたい、そう仰られてはグレーナー中将がヴェルテンベルク伯に睨まれる事になりそうですね」


 そうは口にしつつも、立ち上がりシラユキを抱き抱えるクレア。シラユキは為される儘であり、尻尾が揺れてるので満更ではないらしい。


 トウカはシラユキが差し出した手に、困ったと、頭を掻いた後、握り返す。


 クレアが姿を見せた天狐族の鋭兵に車輛内の見学の準備を指示する。


 恐らく、陸軍の御用記者が嬉々として撮影に励むであろうが、皇城府の関係者は同乗していないので天帝の動向は軍から発信される事になる。トウカとしては問題はないが、皇城府の再編は遅々として進んでいないと報告を受けているので、或いは一度解体すべきかと思案する。


「陛下、御用記者は呼び付けずとも宜しいでしょうか?」


「ああ、そうだな……ああした輩は嗅ぎ付けて勝手に付いて回るものかと思っていたが」


 行儀が良い記者がこの世に存在するなどとトウカは考えない。もし存在するのであれば、ヒトとして真っ当な人物であり、それ故に機会を掴む機会に恵まれず、遭遇の機会すらないだろうとの判断もあった。


 クレアは上品にロ元を隠し、涼やかな笑声を零すが、トウカとしては冗談の心算ではなかった。


 トウカとしては写真撮影というものを受ける事に慣れていない為、記者が居ない事は喜ばしい。別に撮影機に魂を吸い取られるなどという古典的発想を持つ訳でも、暗殺の為の武器が仕込まれている事を警戒している訳でもない。ただ、現像された写真が明らかに鏡で見る顔立ちと乖離がある様に思えて違和感を覚えるだけであった。


 そこで、ふと、トウカは思い出す。


「そう言えば、ザムエルが口にしていたが……決まって同じ所作(ポーズ)で撮影を受ける女は、見られる事やより良く見せる事に慣れているから気を付けろ、と言っていたな」


 相手も異性との遣り取りに慣れているので寝技に持ち込む事が難しく、着飾る事で心身共に実情から乖離して相手を捉え難いとの事であるが、トウカの場合は頻繁に被写体となる機会がある女性や頻繁に化粧をする女性が周囲に居なかった為、そう言われても理解の及ぶ所ではなかった。


 自身を良く見せる事に腐心し、それを武器にする事に慣れた女は手強い上に実情を見誤ると気分が萎えると、ザムエルは考えていた。


 トウカとしては皇国は性別種族関係なく顔立ちに秀でた者ばかりであるという印象を受けており、そこまで気にする必要があるのか疑問を覚えたものである。顔佳人ばかりが蔓延るのだからそこまで厳しく見るのは贅沢が過ぎるというものである。


「さて、それは状況次第ではないでしょうか? 市井の女性の感性は当官も持ち合わせていると言う程に自信が御座いませんので……ただ、ヴァレンシュタイン上級大将も被写体としてはそれなりの実績があったと思いますが……」


 ヴェルテンベルク領邦軍で従軍を促す貼紙の主役を飾ること数回。余りにも品のない殺意溢れる手振り(ジェスチャー)をするので、年若い子を持つ保護者から、子供が真似をして困る、と苦情(クレーム)が入るまでが定期的な流れであった。


「成程……ところで、手振り(ポーズ)というのは女性軍人の敬礼も含まれるだろうか?」


「公務上の答礼は例外かと。……ただ、ハルティカイネン少将が聞けば、ヴァレンシュタイン上級対象は暗殺未遂で拾った生命を確実に取り落とす事になるので当官は聞かなかった事に致します」


 リシアも従軍を促す貼紙などで引き合いがあり、その貼紙も度々、剥がされて窃盗に合う程には人気が高かった。宣伝に於いて敬礼を多用したリシアが聞けば機嫌を損ねる公算が高い。


「そう言えばそうだな。しかし、そうなると総統はどうだろうか? 考えてみると、一面を見れば、見られる事やより良く見せる事で国家指導者に上り詰めた人物ではあるが、少なくとも当人が好んでそれを武器にしている様には見えなかった」


「陛下は直接、武器を携えておられますゆえ。借りてきた猫を演じていたのやも知れません。陛下には諸々の実績が御座いますゆえ」


 利益が勝るなら、その場で斬殺していたのではないかと言われた気がしたトウカは、酷い事を言うと苦笑するしかない。武器に怯えたと言えば当たり障りはないが、クレアの場合、トウカが殺害に及ぶ可能性を考えたに違いなかった。


 トウカはクレアを一瞥し、 困った事だと肩を竦める。


「御前、そんな男に惚れてしまったのか」

「貴方、そんな男だから惚れたのですよ」


 互いに虚を突かれる。


 そして、苦笑した。


 世の中には酷い話が満ちている。


 愛すべき酷さであるが。


 互いに何も言わず、そしてそれを不思議そうに見上げるシラユキを伴い。二人は前方への移動を始めた。









「車掌……と言うべきなのか? それとも聯隊長かな?」


 若き天帝の問い掛けに、壮年の中佐の階級章を付けた士官は直立不動で応じる。


「はい、軍の規定では聯隊長でありますが、皇室専用列車を接続するに辺り、所属を一時的に皇城府へと変更しております。曖昧な立場でありますゆえ……陛下の一声で(いず)れかに決まるかと愚行致します」


 陸軍から臨時編入され皇城府所属となった彼だが、何かを教えられて新たな業務を任されたという認識はなかった。陸軍の影響力拡大を印象付ける事は好ましくないという体裁に基いた枢密院の要請による臨時編入であり、皇城府関係者との接触の機会すらなかった。


「では、シュテルエーダ車掌。見学許可を頂けるかな?」


 トウカはシラユキの前では軍事色を弱める選択をする。今更であるものの、母であるマイカゼの苦情を踏まえれば善処しているという姿勢は重要である。


 〈第一野戦鉄道聯隊〉聯隊長から車掌となったシュテルエーダは、最敬礼を以て応じる。


「勿論に御座います、我が陛下。案内は……必要でありましょうか?」


 鉄道車輛の構造は複雑ではない為、案内が必ずしも必要という訳ではなく、公務ではなく私的な形での見学を望むのであれば自身が却って邪魔になるのではないかというシュテルエーダの配慮。トウカは、確かに多くの鋭兵が詰める車輛は皇室専用車輛よりも後方に連結されている為、前の車輛の見学であれば多数に気を使わせ、業務が止まる心配もない。前方は機関車と砲撃車輛、探信儀車輛、祭礼に必要な物品やそれを扱う人員が詰めるもう一輌の皇室専用車輛だけであるので、業務上の差し障りは限定的であった。


「いや、不要だ。貴官の職務を圧迫するのは本意ではない」


「了解致しました。では、前方車輛に連絡を致します。暫しお待ちを」敬礼したシュテルエーダが前方車輛の扉へと消える。


 トウカは改めて皇室専用車輛を見回すが、豪華という訳ではなく品の良いと評されるであろう内装と調度品に囲まれた空間に溜息を吐く。余りにも慣れない空間であり、トウカとしては居心地の悪さを覚える。執務の都合上、執務机と椅子に関しては決して安価なものを利用している訳ではないが、それ以外は銭を掛ける必要はないとアルフレア離宮の執務室は迎賓館の頃から利用されていたものを継続してい利用していた。 当然、それは迎賓館でありながらも有事の利用を想定した施設であった為、機能美が優先されている側面があった。


 ――合金製作業机も多いからな。


 食卓布(テーブルクロス)が掛けられているが、捲って見れば、研究開発企業で利用されていそうな合金製の作業机も散見される為、マリアベルの合理性が窺えた。


 無論、舞踏会でも瀟洒な食卓布を掛けられて利用されているが、先のフェルゼン攻防戦では迎賓館が野戦病院となり、合金製作業机は手術台として利用されていた経緯を知ると、それが食卓にもなっている事実には諧謔味を覚える話でもある。


 アルフレア迎賓館の質実剛健……それなりに取り繕う事で対外的にも表面上は問題にならない程度で納めている点は、トウカにとって好ましいものであり、居心地の良いものであった。


「落ち着かない車内だな。まぁ、新造する費用を踏まえると継続して利用するしかない事も事実であるが」


 トウカのぼやきにシラユキが首を傾げる。トウカはシラユキの頭を無造作に撫でた。 されるが儘であるが、尻尾は大きく揺れているので満足している様子であった。


 クレアは苦笑と共に提案する。


「主要路線の軌条規格を北部のものに合わせるという話でありますから、どの道、新造する必要はあるかと。その際は軍用装甲列車の設計を転用する形に為されば良いかと思います」


 道理であった。


 皇室専用車輛は中央を始めとした地域で採用されている軌条を走行する事を想定した構造をしており、将来的に全国展開が予定されている北部鉄道規格に合わせたものではない。軌条の再敷設で利用できなくなる為、これに対応した車輛は必須であった。


「それは良い判断だ。かなり後の話だろうが、先に計画立案させておくべきか」


 要らぬ横槍が入る前に計画を準備すべきだろうとトウカは判断する。権威を利用しようと目論む面々が干渉する事で要らぬ議論と労力と予算が投じられる事を阻止すべきであり、行政とは事前計画を覆される事を何よりも嫌う。先手を打てば大凡の干渉はされないものであった。


「シラユキは鉄道に何が欲しい?」


「んー、いろり」


「いろり……囲炉裏か? それは……そうか」


 予想外の要求が来たのトウカは、これは用意できるものなのだろうかとクレアを見るが、クレアも首を傾げている。


 考えてみれば天狐族の隠れ里でも囲炉裏があった為、恋しくなるのだろうとトウカは納得する。囲炉裏を家族で囲むというのは天狐族には珍しい事ではないのかも知れず、何よりシラヌイやミユキが行方不明となり、マイカゼがヴェルテンベルク伯爵として辣腕を振るう中で家族の形は失われてしまった。幼娘には囲炉裏が家族団欒の象徴に見えても不思議ではない。


 本土決戦の代償は那辺に転がる。


 自身の決心と決断に於いて生じた悲劇に対する責任や自責の念はトウカに乏しい。 悪化し続ける状況を放置し続けた先代天帝や政府閣僚、政治家にあるという話であり、寧ろトウカはその代償を支払う立場である。それは大局的に見て正しく、同時に一般市井では賛同を得難い正論であるが、その正論を自身に対して最大限に適用するからこその指導者の資質である。


 故にトウカの代案の提示は迅速である。


「それならば、アルフレア離宮の一角に用意しよう。滅多と利用しない鉄道車輛に用意するよりも良いだろう。何ならば形と材料にも拘れば良い。皇室予算は手付かずに等しいからな」


 皇室予算は皇室の私的な予算であるが、当代天帝のトウカの下では微々たる出費のみとなっていた。現状で皇妃が一人しか存在せず、それは清貧を旨として大御巫を勤め上げたアリアベルであった。天帝であるトウカも浪費する様な趣味を持たない為、出費が僅かであるのは当然と言える。遷都に伴う諸経費もアルフレア迎賓館の転用であった為、新規購入した部資材は少なく、強いていうなればトウカは採用された銃火器の一部を購入して自身で利用している為、その辺りの費用程度のものである。酒類などは北部在郷軍人会が次々と献上する為にトウカは一切、身銭を切ってはいない。寧ろ、在郷軍人会経由で蒸留所や酒蔵が頻りに感想を求めてくる事が負担であった。あわよくば皇室御用達を狙っているのは明白である。


 予算は潤沢にあり、シラユキが少々、贅沢をした程度で問題となるものではない。


「蔵府長官辺りが予算に余裕があるならば来期からは他に転用するべきだ、などと言い出しかねませんから、ある程度は消費しておくべきかと思います」


「それはどうだろうか? 皇室予算は蔵府の管轄では……ないが口を挟むのは躊躇しないだろうな……」


 クレアの指摘にトウカは、有り得る事だ、と眉を顰める。


 トウカは対帝国戦役に於いて株式売買を利用する事で莫大な利益を上げたが、その利益の大部分を国庫に納め、それを景気発揚や公共事業に利用して状況を好転させた経緯がある。増大した適切に配分し、経済を上向きにした実績のあるセルアノだが、 彼女としては予算は未だ全く足りていないらしく、常に金のなる木と削減可能な予算を探していた。


「他人の財布を充てにする女は嫌われると聞くが、ああした女を指すものなのか……」


「国家予算は市井とは隔絶した規模でありますので……」


 トウカの所感に、クレアはどうだろうか?という表情を隠さない。


 共に市井の感性とは掛け離れた人物であり、そして掛け離れていると自覚する二人でもある。


 何より、二人は金銭に困る立場ではなく、必要とあらば資産を築く事のできる力量を有している。トウカの場合、法律に抵触していなければ許容できるという点に限界まで寄せる事で利益を最大化するであろうが、クレアであれば遺恨や嫉妬も最小限にしながら順当に資産形成を為せる事は疑いない。


 金銭に頓着する人物達の心情に二人は疎い。


 無論、それが国家や組織を動かす為の予算となれば獅子奮迅の働きをする人物であり、予算を最大限に引き出せる上長は何時の時代、何処の集団でも仰ぎ見るに値する人物である。無論、近代ではそれこそが英雄の意義であり、広告塔の如き扱われるが故に色褪せて虚像となった節があった。


 クレアは、そもそも男女の金銭問題それ自体を胡散臭いと見ていた。


「男女の仲に於いて金銭の話で揉めるのは……そもそも男性の財布の紐を緩める器量を持たない女性と、女性の為に相応の金銭を割ける収入のない男性との言い争いの産物に過ぎないとは思いますが……」


「ふむ、元より議論の土台に立てぬ輩の諍いという事か」


 他人の懐を充てにして生きるなどという話自体が負け犬根性の染み付いた話であり、己の力量を恃みに未来を切り開く事に難のある人物と言える。負け犬の諍いを持ち出すなど不毛な話であった。


 何より、トウカは旗色が悪いと見た。


「危うく君に養われる人生となる所だった身としては、深く追求すべき問題ではないのだろうな」


「今からでも遅くは御座いませんよ? 男を抱えて妖精の国に逃れる準備は常に」


 微笑むクレアにトウカは、本心か冗談か判断しかねた。


 妖精の国が実在するかは脇に置くとしても、秘境で逼塞するくらいの準備はしていても不思議ではない。


 皇国の情勢が進退窮まったと見ればトウカを鞄に押し込んで逃亡しかねない果断がクレアにはある。クレア自身はリシアと比較して果断の不足を口にするが、トウカから見るとリシアの果断とは打開策が尽き、勝算の低い可能性に全力で飛び付くものであった。逃げ道を残しておき、最悪の状況を避ける力量のあるクレアは、そもそも果断を要求される状況に陥る事が少ない。それは決して恥ずべきものではなく、寧ろ組織人としてはより重視されるべき点である。勇ましさに晦まされるモノは多いが。


「残念だが行き着く先まで駆け抜ける心算だ。まぁ、世界が終末を迎えるかも知れないが」


 核兵器開発を経ても尚、世界の主導権を握れないとなると、不幸な事故で還らざる焼畑農業を為さねばならなくなる可能性は十分にある。相互破壊確証は兵器や軍制の運用に負うところが大きいが、ヒトが設計、生産した兵器と、ヒトが構築した軍制である以上、不確実性を伴う事は避け得ない。ましてや相手がいる以上、運用体制維持の為には無理をせざるを得ない状況が常態化する公算が高い。致命的事故は常に隣に在る。


 トウカの皮肉にクレアは淡く微笑む。


「陛下は乱世を上手く切り抜けられるでしょう。寧ろ、平穏では軋轢ばかりが生じるかと」


 乱世だからこそ必要とされ強権も已む無しと見られているとの迂遠な意見に、トウカは自己の無謬性を恃みにできる立場ではないな、と肩を竦めるしかない。


 トウカの周りには物言う権力者が多い。それは彼自身が望んだ事でもあり、そもそもトウカは曖昧な意見を望まない。寧ろ、隠蔽や装飾語による本質の取り違えを恐れたからと言えるものの、元より皇国という国家は権力者の不和同来に厳しい社会構造をしている。多種族国家を維持する都合上、その枠組みを断固として保全する為に積極的な行動が求められる為であった。それを国是が推奨する以上、権力者は他国よりも遥かに能動的である。


 これは一見すると良い様に聞こえるが、この国是こそがトウカに対する中央貴族の抵抗を招いており、トウカは端的に言えば多種族国家という枠組みの破壊者の側面を持つ。政治改革と経済発揚、軍制刷新などは良きにつけ悪しきにつけ各種族の種族的地位を大きく上下させる。


 全体的に見て国力増進は間違いなく、所得や人口も増加し、近代化も推進される。


 しかし、種族的に見て数に勝る人間種や人間種に近しい混血種……比較的人口比率の高い種族に富の分配が優位になる傾向となる事が明白な政策が多い。


 高位種や中位種の種族特性による職業の固定化や独占的な業種に於いて、科学技術による汎用化により就労可能な種族を増加させようと試みている事を隠していない為である。


 実際、トウカは各分野の就労可能種族の人口増加を推進している。


 国家の拡大と近代化に伴い大部分の分野で数が不足すると見ているからであり、種族的独占こそがそれを阻むと考えている為である。無論、独占による発展や改良、改善が停滞を、そして何よりも市場原理の働かない状況がある事を問題視してもいた。


 トウカは止まらないし顧みない。


「シラユキは将来、何をしたい?」


 トウカとクレアに手を繋がれたシラユキが二人を見上げる。


 将来の夢。


 子に問うには在り来たりなものであり、トウカとしても中々どうして人間らしい振る舞いをすると自身の言葉に苦笑せざるを得なかった。


「えらんでいいの?」


「……ああ、そうだな。勿論だとも」


 選択の余地があるのかという問い掛けか、或いは親が選択するものと考えているのか。トウカは判断できなかったが、それは重要な事ではなく、シラユキの未来が彼女自身の手の内にある事だけは示さねばならないと考えた。


 案の定、クレアから諌める声がある。


「陛下、それは……」


 シラユキを一瞥し、クレアは告げる言葉に窮する。


 国家の要職たるヴェルテンベルク伯爵位の継承を考えるならば、トウカの発言は好ましからざるものであり、或いはマイカゼが苦言を呈する事もあるかも知れない。しかし、隠れ里がつまらないと飛び出したミユキの事を思えば、幼少の頃より義務や権力を語ったところで反発を招きかねない。何より、各公爵家の令嬢も中々に奔放な面々が多い為、シラユキだけをあまり厳しくするのは不公平と言えた。


 とは言え、マイカゼが神経質になる事も理解できない訳ではない。


 ヴェルテンベルク伯マイカゼの誕生は、政治的に見れば権力基盤の脆弱な有力貴族が突然誕生したと言える。マリアベルから継承したモノは多いが、同時に負債も継承しており、トウカによる後ろ盾も翻って見れば、トウカの弱点として扱われかねない。


 付け入る隙を与えるべきではないというマイカゼの動きは随所に見られる。 継承した家臣団の懐柔にかなりの労力を割きつつも、トウカの近くに侍り権威を以て他貴族の干渉を抑止しようとの動きに余念がない。そうした動きは費用対効果の面で大きく、そして復興事業の負担がそれ以上の動きを行う余裕を失わせてもいた。


 ――それらを為せるだけでも大した力量と言えるのだがな。


 とは言え、前任のマリアベルとどうしても比較される事は避けられない事も事実である。


 華麗で壮烈に生き急ぎ、良くも悪くも余人に大きな印象を遺した人物である。


 比較して隙があると見られる事は致し方ない。要らぬ手出しをするならば殺すとばかりに軍事力を振り翳した真似は今となってはマイカゼには取れぬ選択である。ヴェルテンベルク領邦軍の兵力は大部分が移籍し、その軍事費削減による復興事業の加速が為されている状況。振り翳す軍事力など存在せず、将兵を服従させる実績も権威もない。


 その苦節、分からぬでもない、というのがトウカの印象である。


 マリアベルは恐らくマイカゼがトウカに依存せざるを得ない状況を見越しており、そして家臣団や領内の権力者の懐柔、掌握に時間を要するとも理解していた筈である。


 ――領内に奇妙な連中が徘徊しているとも聞く。まさか、死後に怪し気な連中の動きを容易ならしめる為という……流石にそれは考え難いか。


 逸れる思考を引き戻し、トウカは情勢の犠牲としてシラユキの感情が犠牲になる事に殊更の警戒感を示していた。


 飛び出して尚、戻ってるなどというミユキの様な幸運があると考えるべきではなく、何よりミユキに許された自由をシラユキに否定する事を不公平と感じかねない。トウカは若き日の経験がヒトの性質を形成すると実体験として理解している事もあり、シラユキの行動に今以上の制限が付く事を望まなかった。


 しかし、子供とは想定外が服を着た生き物でもある。


「きつねうどんをつくりたい!」元気に願いを叫ぶシラユキ。


 眩しい瞳がトウカを見上げる。


 予想外の言葉を聞いたトウカは咄嗟の返答に窮するしかない。


 今日の夕飯の話をしただろうか?と、トウカは言葉を間違った可能性すら考えたが、クレアも眉根を寄せているので意図を読み取れていない事が見て取れる。


 トウカとクレアは顔を寄せ合う。


「料理人という事か?」


「経営者かも知れません」


 どちらも将来の夢としては予想しなかったものである。


 無論、ミユキの印象に引き摺られて食べる側であるという認識があった事も否めないが、確かに食に拘るのであれば調理する側に立つというのも理解はできた。


「そばでもいいの! きつねそば!」


 蕎麦でも良いらしい。


 益々と曖昧になる。


「蕎麦か……いや、確かに存在はするが……」トウカは首を傾げる。


 実際のところ、寒冷耐性のある蕎麦は皇国北部でも各所で栽培されている。特定品種に傾倒し、気候や病気で全滅して収穫高を急激に減少させる様な農業政策を北部でエルゼリア侯レジナルドが認める筈もなかった。蕎麦は汁物(スープ)洋餅(パン)の材料になる事もあれば、焼酎の原材料に利用される事もある。勿論、麺類への利用も広く行われている。寧ろ、皇国北部に於いては麺類の消費量として見た場合、饂飩(うどん)よりも蕎麦が多い。より料理への汎用性が高い小麦を利用する饂飩(うどん)は近年まで料理としては好ましからざるものと見られていた経緯がある。


「いっぱいきつねのご飯を増やしたい」


 狐系種族の食糧事情への心配だろうか?とは考えるが、トウカとしては貧困層の経済状況底上げに注力している上、そもそも狐系種族の者で貧困というのは珍しい。種族的に狩猟が得意であり、自然豊かな土地で農耕を行う者も多く、加えて手先が器用な者も多い。一人でも放浪生活が叶う程度には日銭を稼ぐ方法はある。世間知らずのミユキでも狩猟で得た鳥獣や魚類を燻製にして売り歩いて生活できていたのだから間違いはなかった。


「食卓の充実を図る、という事でしょうか?」クレアも困惑している。憲兵も子供の真意は専門外であった。


 現状、食うに困る程の貧困は都市部にこそ多い。余剰人口を都市部が吸収し、それを利用した労働が都市部で幅を利かせている以上、当然の帰結である。都市やその郊外の労働環境は労働人口に余裕がある為、賃金は上昇せず、それによりトウカの即位以前は経済活動の停滞を招いていた。


 現在は経済活動の活発化や労働法の改定により是正により状況は劇的に改善している。経済発展で労働力が必要となり、労働人口は寧ろ不足し始めていた。賃金を上げざるを得ず、そこに労働法改定で最低賃金や労働時間の制限、一定数の休日の確保などが相応の水準で明記された為、雇用側の資金的余裕はなくなり企業の浮沈が激しいものの、企業が倒産したところで労働人口が不足している為、他企業に転職するだけであった。


 そもそも、労働者の余剰があるならば公共事業に充てるだけの話である。


 よって、都市部の貧困ですら改善しつつあるのだ。シラユキの周囲で貧困……食うに困る状況は払拭されている筈である。


「そうだけどそうじゃないの。みんなきつねのごはんでしあわせになるの」楽しそうに告げるシラユキ。


 貧者救済でもしようというのか?とトウカは幼子の論理を欠いた言葉に苦戦する。


 前提として、皇国の貧困層は激減している。経済的停滞が是正され、発展傾向に転じつつあるのだから当然である。


 トウカは、そもそも低賃金労働で利益を得ていた企業、そして低賃金労働ですら利益を上げられない企業の大部分を倒産させる心算で経済改革をしている。染み付いた企業姿勢は治らない。労働者に無理をさせても利益を上げられない企業の上層部には自浄作用などない。潰して新たな可能性のある企業に労働者が再配置させる事がより効率的な判断というものである。


 そうした目まぐるしい社会の変化の中で職を失う者は居るが、次の職は直ぐに見つかる状況である。若いならば軍も門戸を開いていた。労働により心身に問題を生じた者への政策も講じられつつある。貧者や障害のある者を其の儘にする程、現在の皇国には余裕はない。 頑健な心身、或いは少々の問題があっても在って尚、労働に従事しないならば野垂れ死ねという話でしかなく、救うに値しない輩は何時の時代も存在するものである。そうした輩に幼い娘の無邪気な善意は向けるに値しない。


 しかし、シラユキはやはり狐である。


「きつねうどんにきつねそば。きつねおむらいす……きつねどん、きつねまき。きつねのごはんをいっぱいつくる!」


 次々と出てくる奇妙な食品名。


 食べ物にきつねの名前を付けたいらしい。


「狐の名を付けた色々な食品を世界に知らしめたい……という事か?」


 これが文武の高官であれば、端的に説明しろと窘める場面であるが、未だ義務すら知らぬ幼娘となれば、トウカとしても鷹揚に応じる他ない。


「そうなの!」シラユキ満面の笑み。


 トウカとクレアは視線を交わす。


 食に於ける謎の狐優越主義。


 意味が分からなかった。


 それを為して何の意味があるのか。そして、どの部分に満足感や充実感、達成感などの肯定的な感情を覚えるのか。或いは屈折した感性からのもであるのか。奇妙に種族優越主義が捻じ曲がったという可能性も有り得た。


「敢えて世間の職業に当て嵌めるならば、料理研究家……という事でしょうか? 自作した料理に命名権があると言えばあるのでしょうが、世間がその名で呼ぶかは……どうなのでしょう?」


「その辺りは専門外だな。まぁ、兵器名に狐の名を入れると言われるよりは良い。戦場で混乱が起こるのは御免蒙る」


 戦艦も巡洋艦も駆逐艦も艦名が狐では、一々どちらの狐様でしょうか?という御伺いまで立てねばならなくなる。酷一刻を争う戦場では致命的な無駄である。


「料理でもきつねの名が多ければ困るでしょうか……市井の事ですからね」


「そうだな。料理の栄枯盛衰は当事者の好きにさせれば良い」


 責任の及ばない所で勝手に工夫して勝手に解決するだろうという判断。


 市井の料理の命名にまで権力側が介入するなど馬鹿らしいという真っ当な感性と妥当性からのものであった。


 シラユキの野望?を聞いた二人は振り返ってみれば子供の夢を真に受け過ぎたと二人して笑声を零す。


 先頭車輛へと向かう三人。


 鋭兵達はその姿を親子の様だったと回顧する。


 そして、後にきつねの名の付いた料理が増える事を止める者はいなくなった。






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