第四〇九話 皇妃の資質 後篇
「狐を身内に入れるのは、まぁ何というかある意味負担は少ないかも知れないけど、政治の舞台に連れ出すのは苦労するだろうねぇ」
エッフェンベルクの言葉に、ファーレンハイトも胸中で同意する。
ファーレンハイト自身、狐の種族特性を生かした猟兵出身であるが、それでも軍隊生活に向いた狐というのは稀であるので同意せざるを得ない。
狐系種族は生物的に見て行動範囲が広く、自然の中に溶け込んだ生活をするかと思えば、都市での生活に転じる事もある。一か所に留まらず、各地を転々とする事も有れば、気に入った森林地帯を根城にして、収穫物を都市で売り生計を立てるという事もあった。
近代化に当たり最も生活習慣に規則性がなくなった種族と呼ばれる所以である。
そうした種族が心身共に拘束時間の多い軍隊生活に適している筈もなく、猟兵としては狐系種族よりも身体能力に劣るものの索敵能力では比肩し得る耳長系種族が重用される傾向にあった。無論、前提として種族数が多く身体能力と索敵能力の双方で優れた狼系種族が存在する為、そもそも狐系種族の存在が軍内で話題になる機会は極めて少なかった。魔導将校や輜重将校として少数ながら従軍しているものの、それは存在感を示す程ではなかった。強いて言うならば、兵站部門で携行保存食の種類増加に尽力した実績があるが、それは実力組織である軍であるが故に武功の前に霞む傾向にある。
そうした狐が政治の舞台で如才なく振舞えるかと言えば否である。
勤勉で慎重な動きを見せるのかという点で疑問符が付く。勝手に何処かへ行ってしまい、その内に気が向けば顔を見せるなどという生活をされては貴族家としては堪ったものではない。
「とは言え、ヴェルテンベルク伯は元より陛下に近しい。利用しようなど考えては却って利用されかねん。危険だろうな」
ファーレンハイトとしては、マイカゼは油断ならない人物である。
中々に立ち回りが上手いという評価もあるが、狐にしては珍しく政治的な動きに隙が無い。トウカの警護を担う鋭兵を狐系種族で固める動きを見せ、政治的には狐系種族の色を見せない姿勢を堅持している。多数ではないと理解し、そして多数派にはなれないと判断しているからこそ要所のみを固める動きを取っている。それでいて、 ヨエルやクレア、リシアと重複する分野には決して踏み込まず、飽く迄も一人の女伯爵という立場を崩さない。
多くを求めないが、多くを求められる立場を示す事で権勢を堅持しようとの意図。
――そうした手合いは往々にして水面下で動く。
政治ではなく権威者のみを狙い撃ちにして事を運ぼうとするのだ。
公爵達の様に合意形成を図り多数派工作を試みるという真似をせず、完全に権威者との人間関係のみで物事を動かすというまさに権威主義体制下の政治。あまり好ましい事ではないのは確かだが、それを乱用している訳ではなく、それも可能であると見せる事での権勢に留まる以上、非難はし難い。そして、そうした配慮を為せるならば、もし権威者との人間関係で事を運ぶにしても国益を重視した非難の余地に乏しい動きである公算が高い。
「あの伯爵も法的には一伯爵に過ぎないが……権力を持っている……様には見えないな。奇妙な人物だ」
レオンハルトが腕を組み、マイカゼが奇妙だと宜う。
ファーレンハイトやエッフェンベルクからすると今更な話である。二人はフェルゼンが軍事的要衝であると理解し、以降も順次軍事施設が増加する予定のヴェルテンベルク伯爵領を重視していた。せざるを得なかった。現時点ではヴェルテンベルク領で生産される戦車や艦艇の主な購入先は陸海軍であり、兵器の共同開発も閉鎖都市では開始されており、最終的に研究開発などは統合される計画であった。
内戦直後の皇州同盟軍で余剰となった兵器の購入だけではなかった。内戦終結により総力を挙げた生産体制を行っていたヴェルテンベルク領は、次の稼ぎ時である帝国侵攻が予想される中で陸海軍に兵器売買を積極的に推進していたが、それ以降が続かないとも見ており、トウカの軍備拡大と帝国侵攻の路線を熱烈に支持している。帝国を相手にするだけでは済まなくなるという期待。
そうした意向もあり、マイカゼを通してトウカの意向を確認し、政策に影響を及ぼす事を北部地域の軍需企業は望んでいる。他地域の軍需企業が北部地域に軍需工場の新設を始めつつあるのは、トウカの策源地である北部地域の経済に影響を及ぼし、地域の貴族や軍需企業と連携してトウカに影響を及ぼそうとの意図もあった。
何も帝国侵攻に当たっての策源地として有望であり、帝国本土への兵器輸送が容易であるという理由だけではない。
そうした中でマイカゼの影響力は増大しつつある。
軍需企業が頻りに御機嫌伺をする程には重視されているのだ。
この流れは加速するとファーレンハイトは見ている。
軍備が拡大する限りに於いて、マイカゼの権勢は拡大する。軍事力の一翼を担うエッフェンベルクやファーレンハイトもマイカゼには特段の配慮を示さざるを得なかったが、それを問題視する軍高官がほぼ存在しないのは一重にマイカゼが権勢を用いて権力を得る動きを取らない為である。
「断言はせず、便宜を図る訳でもないが、配慮するとそれとなく利を得られる様になる。少なくとも表面上は当人が関わっていない様に見えるのだから中々に手強い人物だろう」
アーダルベルトの指摘に皆が頷く。
初代天帝の下で辣腕を振るった狐娘とは対照的……恐らくはそうした失敗を鑑みた上での立ち振る舞いで在ろう事は疑いないが、あまりにも鮮やかであるが故に目を引くものがあった。
しかし、バルトシュヴァルツァーには異なる見解があった。
「公爵方が揃って攻め殺した先代伯爵の様を見ての事やも知れませんのぅ」
一同揃って沈黙する。
アーダルベルトの前でそれを言うのかとファーレンハイトは戦慄する。老い先短いと生命が惜しくなくなる手合いかという疑念。
「あれは……巡り合わせの問題だった」
「そうだ。病である以上は止むを得ない」
アーダルベルトとレオンハルトが抗弁するが、ファーレンハイトとしては戦時下の精神的負担も大きいのではないかと見ていた。
戦時下の精神的負担は尋常ならざる者がある。
直接、砲火に晒される野戦指揮官は勿論、数十、数百万の将兵の生命を左右する総指揮官や指導者、それに近しい立場というものは精神を摩耗させる。実際、ファーレンハイトもそれを実感するところであり、それ故にそれを無いかの如く振舞うトウカを畏れてもいた。人でなしというには真摯であり、その容赦なき真摯は良く生命を奪った。
「そうですかのぅ。外圧が寿命を縮めたやも知れぬと考えておりましたが……」
確証はないが、状況的に見て外圧による精神的負担が病をより重症化させたのではないか?と問われては否とは言い難い。療養の余裕もないという端的な事実もある。
――中々に食い下がる。二人に接点があるとは思えないが……遺恨でもあるのか?
マリアベルに同情的である様子はないが、アーダルベルトに敵対的な様子もない。椅子に座りながらも杖を突き、淡々と家族関係の傷を抉る姿は、その仙人の如き眉毛や髭もあって存念を推し量り難いものがある。
「何が言いたい? 貴族政治の如き迂遠は困る」
ファーレンハイトは結論を急かす。このまま不毛な議論を座視すると子爵と公爵の言い争いに発展しかねないという懸念もあった。論争は長期化する程に合理性が欠如する。
「そうですな。まぁ、陛下の皇妃にマイカゼ殿が使えぬならば、他の狐を充てるしかありますまい。そういう話に過ぎませぬ」
その意見にファーレンハイトは虚を突かれる。
まさかマイカゼの二人の娘を言っているのか、とファーレンハイトはその二人の年齢と現在の容姿を踏まえると政略結婚の面が色濃く出るので国民への印象が宜しくないと考えた。
「莫迦な。恋人が死んだからとその妹を嫁にするというのか? 印象が悪いだろう……いや、母を嫁にするのも大概だが……」レオンハルトが渋い顔をする。
それはファーレンハイトにも同意できる意見であった。対する隣席のエッフェンベルクは、そこに嫌悪感を示していない。彼は人間種であり、同時に若かりし頃はザムエル程ではないものの色を好む人物であった。美しければ見栄えがしてよい程度に考えていても不思議ではない。
しかし、バルトシュヴァルツァーの思惑は別にあった。
「シャルンホルスト大佐などは如何ですかのう? 政戦両略であり狐でもある。常識的で後宮を上手く切り盛りできるのでは有りますまいか?」
なんて事を言うのか。
陸軍が言わせたかの様な提案をするんじゃないと、ファーレンハイトは眉をめる。
「ハルティカイネン大佐……今は少将だったかな? 彼女も陸軍であるし、天帝陛下の周囲を陸軍が押さえている様に見えるのは独占と見えて印象が良くないと思うね」
エッフェンベルクの側面支援にファーレンハイトは鷹揚に頷く。陸軍としては海軍の提案に賛成である。
周囲の反応は様々であった。
しかし、様々である事が問題である。一様に否定的に見ている訳ではない。
軍の突出に対して懸念を示すよりも、天帝の周囲の安定を優先するというのは一見すると止むを得ない様に見えなくもないが、それしかないという視野狭窄に陥っているとも言える。選択肢が無いかの様な流れを作るバルトシュヴァルツァーの言葉に靡いているに過ぎないのだ。有効に見える提案を幾つか出した後に否定し、最後の案に話を進める。他に案がない様に見えるものである。
「献身的に夫を支える幼妻。良いですぞぉ。世間の受けも宜しかろうと思いますな」
微笑ましい光景を政治利用するべきだというバルトシュヴァルツァーに、これは幼妻を推したいという私情が混じっているのではないか?と、ファーレンハイトは呆れ返る。 仙人が若さを吸い取るかの様な笑声に隣席のエッフェンベルクも顔を顰めている。
「もし、シャルンホルスト大佐が陛下の寵愛、独占したいと望むとしても宜しいではありませぬか。元より陛下は女で国政を曲げはしますまい」
バルトシュヴァルツァーの言葉に、大部分の者は、それはそうかも知れないが、という表情をしているが、ファーレンハイトとしては、それはどうだろうか?という心情であった。
ファーレンハイトの見たところ、トウカは私情と国益の同一化に類稀なる才能を持つ。私情で政戦を為すのではなく、私情と政戦が同一化して不可分な程とし、正しく見える様な状況に持ち込む事に長けているのだ。自己の方針と国益の同一化を当然の如く為す辺りに独裁者としての器量を窺わせるが、彼自身にそうした自覚はない様に見えた。
しかし、そうなると猶更、トウカの意向に沿わない動きをしかねない女性を傍に置く事は望ましくない。
国益と私情。
どう見ても方向性として異なる部分が出た場合、どうなるか分からないのだ。
思いもよらぬ方向に話が転がる可能性を捨て切れず、そしてトウカには政戦に於いて自らの果断により先手を打つ先例が多々ある。どうしても事を進めるに当たって首を縦に振らない皇妃や側妃の首を先んじて物理的に飛ばすという真似をしてもファーレンハイトは驚かない。
意思決定を担う枢機を破壊するのは政戦の常識であるが、柵や道理を踏み越える事を呵責なく行える者は歴史上でも稀有である。
「シャルンホルスト大佐は天帝陛下の力量を認めているが、同時に強引であるとも非難している。皇室内に不和を持ち込むが如き人選であろう。何より、支えると言えば聞こえは良いが、見方次第では陛下の振る舞いを抑える真似を期待しているに等しい。それは不敬であろうし、そもそも陛下が意見を変えるならば、それは相応の理の提示あってのこと」
嫁に言われたので意見を変えますなどという人物ではなく、それはミユキという仔狐でも例外には見えなかった。無論、ミユキが強固な意志で政戦に口を挟む機会が乏しかった故に可視化されなかった可能性もあったが。
「第一に、ああした女子は理詰めで攻められて抗し切れずに心を病むんじゃないかな? なまじ優秀なだけに認めざるを得ない……佐官ならいいけど、伴侶とそうした衝突は碌な事にならないと思うけどね」
エッフェンベルクの意見に、未婚の癖に良いこと言うじゃないか後で秘蔵の一本をくれてやる、とファーレンハイトは感心する。
「貴官は未婚だろうに。随分と詳しいじゃないか」
レオンハルトが要らぬ蒸し返しをする。
物腰柔らかいエッフェンベルクだが、軍人であり戦略指導に関しては苛烈な人物でもある。人間種を軍の要職にするという意図を以て親補せられたエッフェンベルクだが、 彼の海軍戦略は常に攻撃的であった。そうした人物が、そう言われて沈黙するはずがない。
「はっはっは、未婚だからですよ、神虎公。色々な女性と情を交わして経験を経るには既婚では角が立ちますからな。それに長命種はその辺りに疎くていけない。知らぬ者が雁首揃えて至尊の紫苑色の嫁を心配するなど片腹痛いと言えましょう」
全方位に喧嘩を売りに行くに等しい発言。
流石、神州国といざ戦争となれば、開戦劈頭に他国船籍の商船に爆薬を満載して軍港に突入させ、軍港機能に致命傷を与える計画を立案した人物である。国際条約は脇に置き、先ずは勝たねば意味がない、と宣う手合いである。
この場の要職者の大部分は高位種や中位種である。
長きに渡る治世の下での実績の数々がそうさせるが、それ故に見えぬ事があるのは確かである。去りとて真正面から言い放つでは角が立つ。
「これならばヴァレンシュタイン上級大将のほうが余程に役に立つだろうね。何せ、陛下と色街に繰り出した男だよ?」
腕を組み、朗々と実績を語るエッフェンベルク。
端的な事実であるが、それは即位前の話である。即位前でもトウカを連れ出して色街に足を運ぶ事のできる人物がどれ程に存在するかと言われれば稀有であるとしか言い様がない。そして、ザムエルに関しては今現在の立場でもそれを為せる……やらかしかねない部分がある。
「因みに僕も陛下と色町に繰り出せとれと言われれば遣れる自信がある」
渾身の得意顔で宣言する海軍府長官。陸軍としては海軍の提案に反対である。
「そもそも、陛下は女性関係について意見される事など望まないだろうに。世継が欲しいというなら、天狐族の隠れ里にでも逗留して頂けばいいのさ」
莫迦な思案をする暇があれば、気に入った天狐をお手付きにする機会を最大化させるべきであり合理的という話。早い話が狐の巣穴に投げ込めという話であり、ネネカを宛がう等という御上品な話など片腹痛いという発想。
バルトシュヴァルツァーの表情は優れない。狐の物量の前には分が悪いと見たのか。
「何も言わずとも、数か月もすれば腹が膨らんでくる狐娘の一人や二人出てくるかも知れない。まぁ、そもそもね、陛下の傷が癒えたと思っているのかい? 莫迦な事を言っちゃいけない。心傷なんてのはね。癒えるものではないし、死ぬまでそのままだよ。そこに女を無理に宛がうなんて傷口に塩を塗り込む様なものだ」
偽らざる本音なのだろう。
トウカに対する憐憫ではなく、その事実を理解できない長命な種族達への苛立ち。盟友と言えるファーレンハイトにも推し量れない心情がそこにはある。
「陛下が未だ傷を引き摺っている、と?」
「公の御同僚は家庭内の諸々の悲劇を未だ引き摺っている様だけど、聞いてみたらどうかな?」
レオンハルトの言葉に、アーダルベルトに亡き妻と派手に莫迦をした二人の娘に関して未だ思う所がありますか?と聞いてみたらどうかと嗤うエッフェンベルク。
レオンハルトも流石に閉口する。序でにアーダルベルトも沈黙を余儀なくされる。
人間種よりも心身共に遥かに頑健とされる者達でも異性の問題では心を病むのだから、人間種のトウカが傷を負っていない筈がないという主張。筋は通っている。周囲は戦々恐々である。
「それでも、女を宛がって天帝陛下を落ち着かせたいなんて思うなら、それこそ女に溺れて昔の女に顔向け出来なくする程の真似をする他ないよ。即効性があるのは憚られる様な経緯を経た達観だけだよ」
中々に酷い物言いであるが、そこには確固たる確信が滲む。
皆が揃って返答に窮する。
そうした屈折した実体験を参考にされては困ると言い切れない相手がトウカである。一般的なヒトとは乖離した存在であり、エッフェンベルクの提案には残酷なまでの合理性と情け容赦の無さが際立つが、それ故に一理ある様に見えた。
「世継が欲しいなら確率を最大化する為に周囲を狐塗れにするくらいしかない。何処かの佐官を輿入れらせるなんて半端な真似をするくらいなら何もしない方が良い。それが心障に触れず、世継を望む最も穏便な方法だよ。ああ、これはね実体験に基づく意見だからね」
どんな実体験をしているのだと、盟友としては聞きたくなるファーレンハイトだが、数々の浮名を流す中で得た知見もあるのだろうと考えるしかない。少なくとも今尋ねる事は憚られた。
「我々が唸っても意味がないし、第一に世継が生まれれば、天帝陛下を弑逆した後に世継を担いで専横を振るおうと試みる者が現れるかも知れない。勿論、その点を懸念して陛下自身が世継が現れぬ様にしている可能性だってある。いや、或いは既に世継が居るけど、公表していないって事もあるかも知れない」
エッフェンベルクは苛立ち交じりに吐き捨てる。
その点を懸念していたか、とファーレンハイトは納得する。
「何を莫迦な……」
「莫迦な? 最近、国軍の上級大将が暗殺未遂に晒されて、その副官である妹は戦死している。その妹、上級大将の立場を踏まえれば陛下に近しいとは言えないかな? 何某かが望む女性を宛がう為、陛下に近しい、或いは近しくなる可能性のある女性の排除を試みているなんて事はないかい?」
些か論理の飛躍があるのではないかと、ファーレンハイトはエッフェンベルクの意見に疑問を覚える。
ヴァレンシュタイン上級大将暗殺未遂事件に於ける副官エーリカの戦死は状況的に見て偶然性が高く、犯人側が意図していたとは考え難い。エーリカの行動を前提にした暗殺など投機的に過ぎる上、暗殺を試みるならば一人で行動している所を襲撃するという選択が妥当である。
――いや、ヴァレンシュタイン上級大将が暗殺されれば、有力な後ろ盾を失い天帝陛下に侍る可能性はなくなるに等しい、か。
ザムエルの死はエーリカの天帝に侍る可能性を失わせる。失脚という訳ではないが、可能性を致命的なまでに削ぐという意味では有効と言えた。その中で、ザムエルが死なず、エーリカが命を落とすというのは過程は異なれども結果は達成されたと言える。
「そうした考え方もあるだろう……うむ、信頼されていないならば世継在れども伝える真似はしないか」
アーダルベルトが一理あると理解を示す。
一大事である。
トウカに既に世継があるかも知れないという可能性。
この会議を終えた後、諸勢力がその確認の為に動く事を思えば国力の浪費でしかない為、ファーレンハイトとして憂鬱にならざるを得なかった。
「北部に現れる前の足跡が掴めない以上、あの天狐の娘が一人くらい世継を産み落としていてもおかしくはないというのもあるね。ああ、次点で病を理由に身を隠していた先代ヴェルテンベルク伯が子を為していたというのも有り得る」
龍系種族特有の病であったが、その場合の妊娠や出産に関する知見は乏しく、体力的な問題のみであるならば無いとも言い切れない話である。或いは、無理な出産が直接の死因であるからこそ遺体を早々に荼毘に付した可能性とて在り得る。
ミユキとマリアベル。
どちらにも可能性がないとは言い切れない。
エッフェンベルクの指摘に、揃って怪訝な顔をするが、ないとは言い切れない事も事実であり、混乱ばかりが増えては困ると、ファーレンハイトが口を挟む。
「天帝陛下に近しい女性の排除を試みようと……いや、一部の陣営が自らに望ましい女性を近くに置こうと試みている動きがあるかも知れない事は念頭に入れるべきだろう」
バルトシュヴァルツァーの動きなどまさにそれであり、そう考えると怪しく見えると一同が揃って彼を見る。
「推測だろう」レオンハルトが一笑に付す。
しかし、エッフェンベルクが抗弁する。
「かも知れないを読み解くのが宮廷政治では?」
先代天帝の頃、海軍府は特に予算を削られた経緯がある為、その一翼を担ったレオンハルトやアーダルベルトには厳しい姿勢で臨んでいたが、そうした事情があるが故に海軍を背負う身として安易な姿勢を見せていないと周囲に示している心算であるやも知れなかった。
そうして喧々諤々の論争が巻き起こる。
特にアーダルベルトが何か知っているのではないかと問い詰められていた。娘であるマリアベルの動向を以前より注意深く見ていた人物であり、その周囲に間諜を放っていたであろう事は疑いない為である。因みに陸軍も間諜を放っていたが、早々に二重間諜が増え、驚いた事にそこには互恵関係も存在した。
混沌とした状況で諸問題の根源……帝国の間諜の浸透が顕在化。
それ故に間諜同士が共闘する機会もあった。そして、共闘する事で得られる情報量が勝る為、奇妙な互恵関係は拡大し、対照的に北部で帝国の間諜と三つ巴の乱戦となる機会も相次いだ。
陸軍は投じた間諜は相応の数であったが、それは帝国の間諜の排除や、その諜報網帰還する情報を得る事に傾倒した。
そうした経緯もあって、ファーレンハイトはマリアベルの周囲にについての情報を持たない。
「貴官ら、こんなところで何をしている。良い歳をした面々が青空の下で身を寄せ合うなど如何わしい」
通り掛かる、まだ何も知らない天帝陛下。
それは意図しないものであった。
軍需工場建設現場の視察と聞いていたが、気が付けばその時間は過ぎてアルフレア離宮に戻っている時間となっていた。移動時に群がる有力者の一団を見て声を掛けた辺りだろうと、ファーレンハイトは間の悪さに頬を引き撃らせる。
「これは天帝陛下。御機嫌麗しゅうございます。ところで、臣エッフェンベルク、畏みて御尋ねしたい事が御座います」
トウカの下に進み、膝を突いて家臣の礼を取るエッフェンベルク。
皆が、あ、という言葉を唱和しそうな口元になるが、声を出す程に迂闊ではない。 権力に迂闊は死を招く。そして、宮廷政治を生き抜いてこの場に在る面々である。
トウカは怪訝な顔をするが、構わない、と頷く。
「何か? 申せ」
「陛下は何処かの娘を孕ませましたでしょうか?」
真正面から切り込んだ。
堂々たる中央突破であり、忠勇無双の振る舞いである。皆が一様に神妙な顔をする。
トウカの周囲に立つ狐耳の鋭兵達が佩いた軍刀の柄に手を掛ける。
「止めよ。狐に血化粧は似合わない……貴官らは暇が過ぎて妄想が捗る様子だが……経緯を聞かせると良い」
エッフェンベルクがトウカの求めに応じて経緯を説明する。
勿論、迂遠に公爵達に落ち度があるかの如き言い回しであり、一同の顔色が歓楽街の照明の如く頻繁に変化する。対するトウカは怒るでもなく、頭を掻いて何とも言えない表情をする。
「これは、あれか? 北部の在郷軍人会の如く子を為すのが遅いと、種無し野郎だと詰られる流れか?」
北部在郷軍人会の面々の発言にそうしたものがあるのであれば情状酌量の余地のない不敬罪に等しいが、その点を指摘する者は居ない。指摘すれば大事になりかねず、そしてトウカがそれを望まないと明白な為である。北部の退役軍人にトウカは諧謔味を覚えるのか、大らかに困った老人達として遇していた。
「先程の視察でも退役軍人共に言われた。御世継は何時になりましょうか? とな。揃いも揃って……」
困った奴らだ、とトウカは呆れ返る。
この辺りの言葉に対して権威や不敬を持ち出さない辺り、意思疎通に於いてこれ程に家臣と恙なく為せる天帝は歴代でも限られるのではないかという所感をファーレンハイトは抱くものの、同時に果断を躊躇わない覇者であるという認識を忘れてはならないとも戒める。
トウカは庭に指す木漏れ日を背に応じる。
「皇国に於いて血縁による権力継承は平時を想定したものではない。言うなれば非常時の控えに過ぎない。そう重視するべきものではなく、事があれば枢密院議長や宰相も控えている……そうした言葉は何度も口にしている心算であるがな」
揃って話を聞かん、とトウカは呆れている。
同時にそれを咎める様な気配に乏しい事は幸いであるが、それは世継をあまり重視してないとも受け取れる。
「まぁ、隠し子の話も否定したところで納得はすまい。ミユキは有り得ないが、マリィに関しては病を理由に距離を置いていた時期もある。あの一夜からであるならば辻褄が合うとも思うが……ヒトを謀るに長けた女だからな」
内戦後期に病の進展による不調を理由に療養したマリアベルが、その際に子を産み落とした可能性への言及。
不調を理由にして諸々を隠すというのは有り得る話である。高位種の出産が人間種と比較して無理が通せる傾向にある事も大きい。妊娠期間が合わぬとも言い切れないのは、その辺りの影響もある。
「陛下、笑い事では有りませぬぞ」
「構わない。いずれ挙兵して俺の首を取りにきても良い。後世の歴史家が大層と喜ぼうな」
窘めるアーダルベルトに、トウカは上機嫌で応じる。
「まぁ、その様な子が在らば、俺の頭ではなく公の頭を狙うだろうな」
トウカがアーダルベルトへ肩を竦める。
マリアベルとアーダルベルトの確執を考慮すると無いとは言い切れない話である。トウカからすると冗談の心算で在ろうが、笑ってしまえば各所に角が立つので一同は沈黙するしかない。
「御落胤の話は兎も角として、陛下に近しい立場の女性の身の安全は図らねばなりますまい」
「警護でも付けては心配でならないと触れ回っている様なものだ。その程度の困難は己の力量で切り抜けて貰わねば困るという事もある。特別扱いするべきではない」
突き放したかの様な物言いだが、その酷烈な姿勢こそがある種の公平性の源泉とも言える。悩ましい所であった。天帝主権の皇国の実情を踏まえれば、女に警護を付ける程度の話で権威が損なわれる事もない。
――恐らく、自前の兵で為せと言いたいのだろうな。
クレアは統合憲兵総監として指揮下の憲兵を警護任務に充てる事が可能で、リシアにも胡乱な武装集団の取り巻きが存在する事は不明瞭ながらファーレンハイトも掴んでいた。
「手籠めにして後宮に押し込めなどと言いたい面々が居る様ですが……」
エッフェンベルクが一同を一瞥する。
一同は揃って視線を逸らす。
飛び火を恐れた事も有るが、堂々と真正面から火種を投げ付けてくるエッフェンベルクを恐れての事でもあった。
「捨て置け。余りにも騒ぐならば、その莫迦を牢に押し込む他ないが」
エッフェンベルクの意図を察したであろうトウカは朗らかに笑う。
ファーレンハイトとしては、エッフェンベルクがトウカを狐の巣穴に投げ込めと言い放った直後である為、なんと早い変わり身かと呆れるしかなかった。
「他所の伴侶の心配をする余裕があるのだ。今の皇国には大いに余裕があると言える。敵を殺して回る事で得た安寧を臣下が享受している様で喜ばしい事だ」
トウカも相当に酷い物言いをするが、暗に必要な殺戮まで文句を付けるなと言われている様で皆が揃って沈黙を余儀なくされる。
昼下がりの皇国は安寧を享受していた。
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