第四〇五話 共同幻想
なんかブクマ急伸したので投稿します。
「どうしろと言うのか……狐を神様の類と勘違いしているに違いない」
ネネカが諸々の書類に目を通し終えて、執務椅子に深く腰掛け直す。身長が足りないが為、執務椅子に敷かれている座布団が悲鳴を上げる。
協商国からの悲鳴染みた外交要求。
既に皇国にも送付されているそれにネネカは目を通していた。
一言で言えば、法外極まりないな要請が並んでいる。
意味が分からない水準の要求であり、恐らくトウカは拒絶するであろう事は疑いない。
「三個航空艦隊と一個軍団の派兵要請か……挙句に二〇個師団を編制可能な武器弾火薬の購入。装甲兵器も欲しいとは……」
派兵の諸経費は全額払う上、武器弾火薬兵器も定価で即決購入という文言に協商国の大きな動揺が見られると、ネネカは憂鬱になる。
恐らく、兵器売却であれば合意するだろうが、それはセルアノ辺りの強固な賛成在ってのものであり、トウカとしては悩ましい所であるが外貨獲得の為に賛成するだろうとは予想できた。
結果、帝国との戦争は更に遅れる事になる。
とは言え、トウカが帝国と雌雄を決すると宣言している事は大陸各国の知る所である。それを遅延してまで協商国の軍備拡大に協力するのだから、これは大きな貸しを作ったとも言える。来るべき帝国侵攻で協商国戦線で帝国軍地上戦力の拘束を確約させる事が可能かも知れない。帝国侵攻を行う国家は多い程に良い。その数だけ戦線が増加し、帝国軍は兵力分散せざるを得なくなる。
「この程度で騒ぐなんて……戦争から遠退いた弊害か……」
ネネカとしては今迄の平和の代償が今回の一撃であったと考えていた。
帝国は重戦略破城槌の奇襲効果を最大化すべく、今まで協商国の要塞線に大規模な攻撃を加えなかったのではないか?という予想。
重戦略破城槌という兵器が完成しても、その規模から十分な生産数と機密理の前線配備までは相当な時間を要した事は疑いない。ネネカの直感的な推測では五年から八年は準備期間が必要だった。量産し、恐らくは一度分解した上で前線後方の物資集積所などに保管して隠蔽を図った筈である。
量産した戦略破城槌を順次利用するのではなく、対処方法を模索する時間を与えず、その上で迎撃が飽和するだけの数を一度に投入する。
珍しくもない発想であるが、そうなると皇国のエルライン要塞で使用したのは好ましい事ではない。
協商国はエルライン要塞突破を問題視せず、皇国も重戦略破城槌という兵器を他国に積極的に伝える様な真似はしなかったが、もし協商国が危機感を抱いた場合、対策を講じられた可能性もある。深い塹壕や対戦車阻害を更に大型化するなど、対策は考えられない訳ではない。
――エルライン要塞に投入されたのは初期型? 小型で形状も違った。
試作型や初期型、或いは訓練に使われていたものを転用し、エルライン要塞に投じた可能性は十分にある。そして、恐らくはエルライン要塞で戦闘証明を行った。要塞規模や要塞に偏重した国防を考えると、協商国は要塞線さえ突破できれば抵抗は限定的であり、それを為せるという確証をエルライン要塞に求めたという可能性。
――皇国を撃破して転戦を考えた……いや、その次は共和国かな?
協商国を先に撃破した場合、十分な兵器生産量と兵力を持つ皇国や共和国が派遣軍を投入して協商国内で遅滞防御を行うだろう。共に他国である以上、協商国の事情など斟酌せず防御縦深を取る事は疑いなく、その主目的は帝国軍の消耗を誘う事が主眼となる。
故に、先に皇国を潰そうとした。
共和国との戦線は長きに渡り千戈を交え続けたが故に堅固である。よってエルライン回廊を突破できるならば意表を突いてかなりの被害と占領地拡大が期待できそうな皇国に侵攻し、ある程度の領土を得て、敵軍主力を撃破後、野戦軍を協商国に転載させる。無論、エルライン要塞で使用された重戦略破城槌の戦闘証明を経ているので、帝国としては都合が良い。思う様な効果がないのであれば、皇国占領地から共和国西部を突く。
――悪くはない。全ての国を比較的少ない被害で下せるのであれば、だけど。
実際、皇国相手に手痛い反撃を受けた上、今でも戦略爆撃が都市を焼いている。最初から盛大に躓いたと言えた。
だが、奇襲効果の最大化という点では内戦直後の時期と重戦略破城槌の運用は最良と言えた。
ただ、全てを糾合し、防御縦深に引き摺り込んだ上で帝国軍将兵を可能な限り殺傷するという方針を打ち出し、それを陸海軍にまで同意させたトウカの存在が誤算であった。恐らく、帝国は皇国内の軍事勢力が一つの指揮系統の下で運用されないと見ていたのだ。挙句に航空戦力が戦線後方までをも戦場とした。
帝国も皇国も協商国も、揃いも揃って予想外の状況に頭を悩ませていた。
戦争で真っ先に戦死するのは戦争計画である。
ネネカは参謀飾緒を撫でる。
「あら、考え事? 神算鬼謀の参謀将校殿?」
満面の笑みで退廃的にして華美な衣装を纏う愛らしい女性がネネカを揶揄う。
面白くないという表情を隠さずネネカは告げる。
「協商国がどう滅亡するか考えていた」
状況次第では有り得るとネネカは見ている。
周囲の協商国将官が唖然としている。
「ここで、それを言うの?」
「貴官が聞いてきた。私は答えた。責任は貴官にある」
ユウカが頬を引き撃らせるが、ネネカとしては冗談ではない。
帝国は皇国や共和国との戦線での攻勢を諦めた可能性がある。
共和国との戦線は膠着しており、連合王国の始末が付くまでは寧ろ安定が期待できる。皇国は軍備拡大に苦戦しており、戦略爆撃による都市や工業地帯への爆撃を主軸にしていた。
もし、野戦軍の再編が叶うならば、協商国の混乱に付け入る事は可能である。今一度、無理を通せるなら、という前提があるが、正直なところネネカとしては十分な戦力でなくとも良いと見ていた。
――擾乱それ自体が目的なら、足の速い師団……一〇個師団もあれば十分。
結局、要塞線は三つの戦区で防護壁に穴が開いた。
去りとて城壁の如き防護壁だけではなく、その後方にも十分な防御施設がある。
そもそも、アトラス要塞線というのは三五〇もの主要塞を長大で堅固な防護壁で連結した構造をしている。防護壁後方は人工的な丘陵となっており、そこには無数の特火点が用意され、突破を受けた際にもこれを高所から撃ち下ろせる構造となっていた。 防護壁に破孔が生じても規模が小さければ突入した部隊は忽ちに十字砲火を受ける事になる。しかも、この特火点も地下連絡路で連結されており、迅速な兵力移動が可能であった。
しかし、重戦略破城槌は城壁を破壊し、その破孔を超えて丘陵や特火点をも大きく抉った。
協商国陸軍総司令部は、三つの戦区の破孔に予備戦力と他戦区からら抽出した師団を充て、ここの防衛に当たっている。大きな破孔が侵攻路になるとの懸念からである。
ネネカはそれを懸念していた。
「あの破孔に戦力を集中させるのは好ましい事ではない。他戦区が手薄になる。第一撃でそれを狙ったという可能性がある……皇国への侵攻もそうだけど、帝国には油断ならない戦略家がいる」
一度たりとも突破された事のないエルライン要塞を突破し、帝国の言う所の南部鎮定軍も基本戦略は間違っていなかった。
ただ、相手が悪かったという話である。
――そもそも、天帝陛下は即位後の軍拡が一筋縄ではいかない事を朧げながらに察していた様に見えるし……だから帝国人を殺せるだけ殺すという方針になった気がする。
逆を言えば、大幅に弱体化した帝国でも軍拡が成らねば一筋縄ではいかないと見ているといえ、その根拠が帝国側の油断ならない戦略家にある可能性はあった。だからこそ国力漸減を意図した戦略爆撃に切り替えたのではないかと、ネネカは疑い始めていた。
だが、トウカにとっても即位が想定外だった事は、内戦中の政府や中央貴族に対する対応から明白であった。即位を想定していたならば、その資格があると知っていたならば、内戦の趨勢など幾らでも好転させられた事は疑いない。錦の御旗を掲げて進むのだ。事実上の皇軍であり、天霊神殿によって為された征伐軍など賊軍扱いを受けて早々に空中分解した事は疑いない。それを事実として万人に納得させる事には相当の工夫が必要であろうが、謀略の一端として機能するだけでも相当な混乱を期待できた。混乱は時に機会を招くものである。
少なくともトウカにはその力量がある。暗躍や謀略で名を馳せたマリアベルの後継者という事実もあった。
だからこそ、現在のトウカは内戦中の苛烈な対応もあって諸勢力に警戒されて国営に支障が出ている。何より、その苛烈な対応を支持した北部貴族を支持母体をする以上、最早、 態度を転じる機会を逸していた。
内政面で手間取るとの推測があったトウカは戦略爆撃などによる帝国人の殺傷に重きを置いた。政治都合もあるかも知れないが、軍備拡大の遅延在れども、座して帝国軍再建を待つのは悪手である。都市や工業地帯を爆撃し、国力を削ぎ、帝国臣民に権力者への不信感を与える方針に切り替えた。
――恐らく帝国の戦略家は皇国戦線での挽回は不可能と見たはず。
為すとしても十分な軍備拡大を経ての侵攻には相当な歳月を要すると見て方針を切り替えた。
その結果の協商国との戦線である。
「でも、破孔をそのままにはできないでしょう?」
「そこは義勇軍でも用意して配置すればいいと思う。帝国も兵力は苦しい。防衛なら練成に不安がある戦力でも後方の特火点陣地を利用して対応できる。ここで野戦にも耐え得る予備戦力を投じるべきじゃないと思う」
協商国は破孔の全てになけなしの予備戦力を分散して充てた。
馬鹿げている、とネネカは溜息を吐いた。
「当官も反対したのですがね。財界の面々が五月蠅く、総司令部は押し切られた。ただでさえ少ない予備戦力を早々に全力で投じては苦しいと自白している様なものだと言うのに」
入室早々、憔悴した顔のアスターが言い放つ。
長い会議が終わったようだ、とネネカは立ち上がり敬礼する。
「苦しい、と言ってみせてはどうでしょうか?」
実情を言ってしまえばいい、とネネカは言う。
「言ったとも。軍は苦しい状況にある、と。他の計略があった場合、対応できず本土侵攻を許しかねない、と」見目麗しさと涙が不足していたらしい、と肩を竦めるアスター。
「返答はいかがなものだったのでしょうか?」
「経済はもっと苦しいぞ。このままでは本土決戦の死者よりも不況で首を吊る人数がの方が多くなる、と返されてしまってね」
アスターは天を仰ぐ。
協商国の株式市場は連日、落下傘なしでの空挺降下を続けており、早々に実体経済にも影響を及ぼした。金銭遊戯による好景気の演出は確かに効果的であり、多くの分野の発展を牽引してきたが、それが盛大に圧し折れたのだ。
協商国は安全だと考えて世界中の投資家は投資を推進していたが、そうではなかった。金銭が金銭を呼ぶ動きは、アトラス要塞線という共同幻想が吹き飛んだ結果、瓦解したと言える。ありもしない安全という資産を根拠に各分野に投資を行い、発展を続けていた協商国の経済成長計画は根本から修正を余儀なくされた。
「僅かな予備戦力を動かした程度で恐慌に駆られた投資家を鎮静化できる、と? 今朝の新聞の株価を見た限り効果は感じられませんが」
投資家に軍事の機微が分かる筈もないが、同時に国境線を突破されないと確信を抱かせるだけの材料を協商国は持たず、結局のところ切羽詰まって切り得る最大の手札を切った……予備戦力の投入を図った。
しかも、ただでさえ少ない予備戦力を三分割している時点で始末に負えない。
挙句に義勇軍の編制の動きすらない。
戦時動員は経済に響く為、避けたいとの思惑が滲むが、株価急落で失業者が国内に溢れ返れば、結局のところ治安悪化を避ける為に公共事業として軍備拡大をするしかない。まさか、この期に及んで大規模工事に失業者を充てるなどという馬鹿をするはずもない。
とは言え、その失業者を見込んだ戦時動員が間に合うかという話である。協商国首脳部は失業者が増え、戦時動員已む無しと言う世論が朝野に満ちた時期に戦時体制に移行したいと考えている事は明白であった。財界への言い 訳が欲しいのだ。
「政治家は最善を尽くしている、という事実を行動で示すべきだと考えている様だ。つまり、軍事的妥当性より政治的正論を優先した……実情としてはそうなる」
国家滅亡の実情。
アスターも憂色に包まれており、祖国の末路が見えているのだろう、とネネカは次善の策を提案する。
「貴国の主要工業地帯は南部に集中しているので、北部の失陥は許容できると御考えなら、中央部沿いに国家を横断する塹壕線を事前に形成するのは如何でしょうか? 最悪の事態に備える、という名目で首脳部を説得するというのは有りかと思います」
国土の放棄。
ユウカが息を呑む。アスターが連れ立ってきた将校達も目を見開いている。国防を預かる軍人としては最も避けたい決断である。
「貴官、無礼ではないか!」
大佐の階級章と参謀飾緒を付けた小柄な男性士官が声を荒げてネネカを非難する。名を知らぬ将校であるが、ネネカとしては首を傾げるしかない。
「無礼? いま無礼と言いましたか? 軍人が軍事的妥当性に基づいた発言をする事を無礼だと? 無礼というのはですね、軍人が軍事的妥当性に基づいた動きをしない事を指すのですよ」
相手は早々に鼻白む。
ネネカは事実しか口にしていない。受け入れられるかは別として、敵軍には合理性が最も良く打撃を与えるのだ。正しさ。正論。妥協点を探る。大いに結構。その時間的余裕と兵力的余裕があるのであれば。
ネネカは現実主義を隠さない。
「祖国への無礼、俗に言う売国奴というものですよ。結果として国家は滅亡する」
「しかし、 国土の放棄など――」
「――天帝陛下は為さいました。防禦縦深を捻出し、その上で当該地域の被害を最小化させる為、敵に拙速を強いた。当官は天帝陛下の現在の政治姿勢に対して大いに含むところがありますが、その軍事的決断だけは身命を賭しても良い程に信頼しております」
軍事的判断だけはネネカもトウカを認めている。
大きく残酷な決断ができる。
それは戦乱の世に在って得難い資質である。
ネネカの参謀将校として教育を受け、形作られた理性が叫ぶのだ。あの男に傅け、と。そして、生まれてから皇国人として父母と幸せに過ごした時間が、あの男は危険だ、とも叫ぶ。きっとこの先、今迄の皇国の価値観や文化、日常というものはトウカの現実主義と合理性によってその多くが破壊される運命にある。
困った事だ、とネネカは腕を組む。
アスターも困り顔である。大佐の階級章を付けた参謀将校を咎めはしないところを見るに、一度は言わせた方が良く、そして現実に直面するべきとの判断があるのかも知れないが、ネネカとしては心底と目障りであった。他国の将 校を利用し進めるべき内容ではない。
ネネカは急速な崩壊に巻き込まれて出国の機会を逸するのは避けるべきだと、 駐協商国大使に進言し、避難の為の輸送騎を共和国の飛行場にまで派遣させていた。いざ、崩壊ともなれば協商国中央部の飛行場に駆け付け、大使館職員とその家族達を避難させる手筈となっている。
ネネカはどうしたものかと尻尾を一振り。
そうした中、騒々しい足音が響く。木製の廊下を軍靴が踏み付ける音。余程に慌てていると周囲に知らしめるかの様ですらある。
「元帥閣下!」
「なんだ、騒々しい!」
扉を開け放った士官……少佐の階級章を付けた年若い女性将校。協商国では珍しい佐官の女性将校である。
「また、あの滑走爆弾の襲撃があったとの事です!」
室内が騒がしさを増す。
ネネカは溜息。
帝国は随分と戦略破城槌を備蓄していたらしく、慌てる程の第二撃という事は、第一撃と同様かそれ以上の被害があったという事が予想できたが故の溜息だった。
「襲撃地点は前回と同様ですか?」
「あ、いえ、異なります。別の戦区で一二か所の直撃を許し、防護壁が崩れたと……その上、騎兵師団に動きありとの報があります」
ネネカの質問に女性将校が答える。他国将校に逡巡もなく報告をしてしまう辺り、未だ動揺は抜けていない様子であった。
周囲の呻き声。
ネネカは奇妙だ、と片方の狐耳を寝かせて試案する。
――私なら、昨日の三つの破孔の中央以外に第二撃の破城槌を集中させて破孔拡大と、その後方の特火点陣地の破壊を試みる。
三つの破孔の内、中央を避けるのは左右一方、或いは左右に攻撃を試みる事で兵力の再配置に特段の時間の浪費が生じ、負担を強要する事ができる為である。左右の破孔への攻撃に時間差を加えた場合、戦力の移動や分散を強要できた。
その後、騎兵師団で甚大な被害を受けた特火点群に取り付いて残存する特火点を破壊して回れば良く、 騎兵に歩兵も騎乗させて無理やり移動させても良い。時間との勝負である。どの道、 魔導防禦の御座なりな通常の騎兵師団など一度の騎兵突で大きく消耗する。歩兵を送り込む事に使い切ると割り切っても良い。無論、それが乾坤一擲の侵攻であれば、という前提が付く消耗の許容がなければ取り得ない選択肢であるが。
しかし、そうした動きはない。
どう見ても突破が目的ではない。
「騎兵師団……騎兵砲兵の拡充すら擬装だった?」
まさか騎兵砲を防護壁の先に送り込んで特火点と盛大に砲戦を行うという事は有り得ない。騎馬の牽引重量制限を踏まえると、魔導技術である程度の底上げが為されているとはいえ、口径と砲身長に劣る事には変わりない。貫徹力や威力で劣り、しかも特火点という堅牢な練石型の永久陣地に据えられた火砲と撃ち合うのでは生存性に雲泥の差が生じる。
機動力のある戦力に火砲を追加する事で砲兵火力の底上げするというのは確かに有効ではあるが、それは主目的ではなかった可能性がある。無論、浸透して戦果拡大を図る為の装備としても活躍が期待できたが、突破できなければ意味はない。
「ああ、そういう……隙のない事だ」
防護壁突破の機動力。そして突破後は残存した騎兵を騎馬砲兵として転用。歩兵師団の戦闘序列に組み込む心算なのだ。
帝国は火砲の移動手段としての車輛が致命的に不足している。そして、騎兵が近代戦に対応できない事が明確になりつつある以上、その騎兵を火砲の輸送に利用するというのは騎兵科からの反発を抑え得るなら合理的な選択と言えた。
――待って待って先走り過ぎ。帝国側の情報が不明瞭なのに……
ネネカは己の勇み足を諫める。
皇国は帝国の情報を断片的にしか獲得できていない。先皇の御代より他国との関係悪化を招く可能性を低減する動きは慎まれ、トウカが政戦を差配する現在でも防諜が主体となり、国外での諜報活動は限定的であった。 諜報網は一朝一夕で構築できるものではない。
「しかし、そうした相手が共産主義者の跳梁を許すとは……いや、陛下は貧困に根差す人工宗教だと……そう簡単には……」
帝国の戦略家がそこまでの力量の人物であるならば帝国内の共産主義者の排除を試みている筈であるがその気配はない。労農赤軍なる武装集団の補足殲滅くらいは有り得そうなものだがそうした情報はない。大軍が動くならば流石に構築途上の諜報網にすら引っ掛かる。
「うーん、辻褄が合わない。帰りたい。フェルゼンなら――」
「――天帝陛下と議論できる」
「うん、有象無象と話すよりも有意義だし楽しい……何を言わせる」
ユウカの指摘にネネカは眉を始める。独り言に割り込まれるとつい本音が出てしまったが、人前で思考に耽るのは好ましい事ではないと狐耳を揺らして腕を組む。
「纏まったかな?」
アスターの問い掛けにネネカは応じる。
「申し訳ありませんが、あまり纏まりません。余りにも情報が不足しています。貴国に近い地方貴族の領邦軍を動員して攻め込ませるくらいはあると思いますが、目的が軍事的なものではないのかも知れません」
奇襲効果を最大化するならば、軍事行動は連続したものである事が合理的であるが、重戦略破城槌の攻撃で第二撃が五日後であった事を踏まえると奇襲効果を求めている様には見られない。運用に手間取るならば準備期間を延ばしてでも集中投入を実現すべきであり、五日という時間は協商国の動揺が帝国軍の攻撃効果に加算される千金に勝る期間でもある。
「まさか、予備戦力の動員を待った?」
予備戦力を充てる程度では足りぬ破孔の数。
更に予備戦力を分散するとなれば、最早、聯隊規模を下回りかねない。それでは効果的な防衛はできないだろう。無論、帝国軍は戦力を分散して攻撃するはずもなく、一点集中させるはずであった。
その場合、協商国は兵力移動に手間取り予備戦力の集中が間に合わない公算が高い。
とは言え、纏まった戦力が索敵網に捕えられたとは報告されていない。ネネカは別の意図が在るのかも知れないと疑う。
去りとてアスターに言うべき事はある。
「我が国としても貴国が崩れる事は望みません。それは我が国や共和国への負担増大を意味する故に。しかし、軍事的妥当性を大きく曲げてまで自国の事情を押し通そうとするならば、負担が勝ると見るかも知れません」
そう見るのはトウカである。ネネカではない。
「そこは交渉するしかない。政治家は大規模な支援在らば、市場が落ち着くと見ている」
そこを見ているからこそ、衝撃のある大規模な支援を合意させたいとの意向があるという指摘に、ネネカは中身が伴わない内に先々の話だけを見て金銭遊戯に耽るが如き無意味を笑う。
軍事力に踏み潰されては、市場など纏めて形骸の堕するというのに。
厳しい交渉になるだろう、とネネカは見た。
しかし、それは覆る。
大使館職員が一礼して入室し、ユウカに通信書類を手渡す。
「これは本物なのね? そう、分かったわ」
ユウカは困惑した表情になる。
予想外の通信が来たという事になる。
「天帝陛下は地上軍派遣以外の全ての協商国の提案を全て承認するとの事です。しかし、兵器は五年間で順次引き渡し、三個航空艦隊は練成中のものを協商国本土で練成する形とする、とのこと。ただし、後の条件変更は受け付けない……驚いた。これでは帝国との戦争は遠退く」
アスターが引き連れていた将校団から喜色の声が上がる。
ネネカは動きの速さに疑問を覚えた。急進的な動きは奇襲的な動きの必要性があるという事でもある。そうでなければ交渉の中で時間を掛けてでも利益を拡大しようとするはずであった。
「しかも、大使館と協商国外務省には先に話を通したみたいね。今頃、協定締結が為されているでしょう」
「早い。そこまで急ぐ理由が……」
「かなり譲歩して頂けたという事ですか。これで経済も持ち直すやも知れませんな」
「あら、昨日、有り金を協商国軍需企業の株に投じた甲斐があるわ」
公務上で得た情報を根拠とした投資は皇国で禁止されているが、未だ株式市場とは制度的に成熟しておらず抜け穴は多い。皇国公務員も他国での株式売買では然して制限が付かない。
一方のネネカはそれどころではなかった。
「経済か、そうか経済……機会を最大限に利用した、と。帝国も皇国も……」
軍事行動ではあるが政略に近い目的を以て行われたのだろうとネネカは見当を付ける。重戦略破城槌の一撃目と二撃目で間が開いたのは、第一撃で協商国の予備戦力を防護壁に張り付け、予備戦力を正面戦力とさせ、予備戦力を枯渇状態に追い込む為である。その後、第二撃を以て他戦区の防護壁に複数の破孔を生じさせる。協商国とその市場には予備戦力の払底した状況で第二撃を受けたという事実が突き付けられる事になる。
それは、更なる経済的混乱を招く事になる。
「経済面での打撃が主目標であるならば、恐らく帝国は侵攻はしてこないかと。或いは、経済の破壊それ自体が帝国の利益に繋がる計略もあるのかも知れませんが、少なくとも継戦能力は削ぐ事が叶う」
経済情勢が著しく悪化すれば、外征などできなくなるし、その上、政治家の目は国内に向けざるを得なくなる。対外的に強硬姿勢を取って支持を集めるというには被害が甚大に過ぎ、目を逸らすだけの衝撃など期待できない。取り敢えずは、市場の混乱を抑えるしかない。
「だが、我が国の外征能力は限定的だ。危険視する程では……いや、帝国はそこまで追い詰められているか……しかし、天帝陛下の御配慮で経済が持ち直せば、経済の持ち直しも破城槌への対策も叶うのではないかな?」
アスターの指摘に、ネネカは、どうだろうか?と首を傾げる。
投資家の考える事は分からないというのが本音である。
ネネカは軍人である。俸給も様々な方法で積み立てているが、株式の割合は三割程度であった。リシアはトウカに泣き付けば良い投資先を教えてくれる、などと得意気に言うが、国家規模の株価操作をした相手と一緒になって無作法をする事は憚られた。
そもそも、自身と父母を養う程度には俸給を得ており、父母も未だ働き盛りである。 欲を掻いて後ろ指を指される真似をするのは父母を悲しませる事になりかねない。
しかし、そんなネネカでも分かる部分がある。
「そうでしょうか? 失礼ながら貴国の経済構造には脆弱性があり、実体経済が伴ってない事実に投資家は気付くのではないでしょうか? しかも、安全だという神話は過去のものとなった。持ち直せても一時的なものでしょうし、その持ち直した利益も安全を買う為の出費に転じるのではないでしょうか?」
勿論、出費として毟っていくのはトウカである。
ネネカがその辺りに詳しいのはトウカの影響である。軍備拡大とその維持に予算が必要だからと外貨を稼ぐ事に注力する辺り軍人の発想ではないが、軍に限らず組織の者達には予算を引っ張ってくる存在は何時の時代も英雄である。
無いモノを有るかの様に嘯いて、それで利益がある様に見せかけ、その現物として存在していない資産で更なる投資を呼び込む事で利益を上げる。
トウカの経済手腕とはつまるところそれである。
ネネカの見たところ、協商国は株式市場を利用し、それを行う事で発展を遂げた国家である。トウカはそこに軍事力が付随した演出を為せるだけに更に強力な演出ができるが、協商国は長年の商業活動で信頼を得る事でそれを為した様に見える。共に為す事は国家規模の詐欺であるが、不都合を軍事力というより強力な手段で排除できるだけにトウカは協商国よりも選択肢が多い。
しかし、共に国家がその価値を保証するのだから、その利益は本物である。金銭は有力な後ろ盾の推認と、それを認める多数によって初めて価値を持つが、株式市場もそうした側面がある。多数の企業が上場すれども、それは国家の枠組みの下で経済活動を行っており、その国家が経済活動を保証できなくなれば企業価値自体も失いかねない。
企業が忽ちに人材と資産と工場、設備を持って国外脱出できるならば話は変わるが未だそうした仕組みはない。 そして、複数国家を跨ぐ大企業というのも現状では乏しい。一国での損失を他国で挽回するという真似ができる企業など存在しなかった。
国家の安全保障は経済保護に繋がる。
協商国は安全保障をアトラス要塞線に依存し、今まさにそれを打ち砕かれ有力な代替手段を持ち得ない。
国内企業の経済活動を保証できなくなったのだ。少なくとも投資家達はそう見た。だからこその大暴落である。
しかし、トウカはそこで利益を得る方向に動いた。
「協定締結の際、爾後に条件変更を受け付けないと付け加えたのは、要塞線が完全ではないという事実が風化して諸々の費用の支払いを渋ると見たのでしょう。兵器が即座に用意できない以上、時間経過は危険性を伴う」
そうまでして利益を求めるのは各種政策を推進するにあたって多額の予算を必要とするからであろう事は疑いないが、それについては為政者の器量でもあるので非難されるところではない。
「とは言え、我が国は飛び付かざるを得ない提案であり、渡りに船と言える。何せ貴国の支援なくば国防が成り立たない」
さて、どうだろうか?とネネカはアスターの言葉に納得しない。
帝国が協商国に踏み込むだけの戦力を用意している様に現状では見えない。協商国の諜報網にも察知されていない様に見受けられるが、大軍を編制し、再配置するには多大な人流と物資集積が必要であり、それを擬装するというのは現実的ではない。
内戦前の皇国の様に諜報網がほぼ用意されず、協商国が情報収集を怠っている訳ではない現状、大軍による奇襲は困難である。その上、大規模な軍事演習や他国国境に配置された兵力が移動するという話も存在しない。何より、皇国付近や皇国寄りの共和国戦線周辺では、皇国陸軍航空艦隊が鉄道路線や鉄道結節点、鉄道施設を各所で爆撃しているので短期間の兵力移動は困難となる。
大規模な兵力移動以上の困難は軍事に於いて存在しない。
大軍が進軍する移動経路の策定に、消費される食糧を含めた各種物資を移動経路近傍に輸送し、兵力が就寝の際に利用する兵舎や野営地の準備……鉄道や海路が利用できない場合、期間短縮が困難である為、その必要数量は期間に応じて増加する。
鉄道施設をトウカが吹き飛ばすのは物流網の麻痺だけを目的にしたものではないのだ。帝国軍の大規模攻勢……人海戦術を戦線で行使する当たっての兵力移動の負担を増大させる意図もあった。輸送量の上限を超えた兵力移動はできない。それは大規模な輸送を必要とする軍事戦略を基本とする帝国に大きな足枷を付ける事に成功している。
――経済的に一撃を与えて国力と兵力を削ぐだけかな?
中々に辛辣と言える方法であるが、確かに協商国を支えるならば皇国は多大な無理をする必要が生じる。
これは皇国に負担を強いる謀略でもあるのだ。
もし、皇国が協商国を支援しないならば、両国の連携は困難となり、足並みを揃えた軍事行動は現実的ではなくなる。
皇国と帝国が知らぬ間に水面下で激しい唾競り合いをしている事をネネカは確信する。
よって、ネネカは皇国の利益を最大化しなければならない。
無論、協商国側にも利益が出る形で。
そうなると手は限られる。
「そうですね。取り敢えず、感謝の印に国債を譲渡してはいかがでしょうか? そう、大陸横断鉄道建設の保証金という名目が宜しいかと」
ネネカは自身が商人になったかの様な気がしたが、特使という曖昧な立場を与えられた身としては持ち得る力量を以て祖国に最大限の利益を引き込まねばならない。後で非難される点があったとしても、それは任命責任としてトウカを盾にする心算であった。
背後の将校団も同様であるのか顔を見合わせているが、アスターは理解したのか鷹揚に頷く。
「その量が多い程に、天帝陛下はそこから得られる利益を惜しいと感じ、しかも我が国の通貨価値が戻れば償還期限で更に利益は増える。なれば協商国が致命傷を受ける動きを抑制する立場に回る、と?」
「……失礼ながら、閣下は政治家の才能も持ち合わされている様ですね」
貴方が軍事蜂起を以て政府首班に就いた方が話が早い、とはネネカも口にはしないが、軍備を疎かにした商人達が政権に巣食うよりは遥かに救いはある。無論、国内の商人達が抵抗し、経済悪化が目に見えているので先の見えるアスターであれば取り得ない選択肢である事は容易に想像できた。
「先が見えても解決する力量がないというのは不幸なものだよ」
「成程。そうやも知れません」
先の破滅を知りながらも対処できないならば、それは絶望へ向かって緩慢に歩き続ける事に他ならない。
だが、アスターは皇国を支援を得た事で楽観的でもあった。トウカへの期待が過剰に見えたがネネカがそれを指摘する事はない。外野に実情は見えぬものである。
「しかし、貴国の支援で致命的な事にはならぬだろう。南方での完全武装の野掛けは帝国次第だろうが……ふむ、牽制かな?」
「さて、些か効果に乏しいとは思いますが、副次効果くらいは期待しているやも知れませんね」
或いは、連合王国への共同出兵計画への牽制という事も有り得るのではないかとネネカも考えはしたが、実情として共和国に圧力を掛けるよりも効率が悪い。当事者であるという上に動員兵力の差もある。ましてや、神州国の動向を牽制できる訳ではなく、結末としてはそう変化するものではなく費用対効果に乏しい。
兎にも角にも、協商国との合意が必要である。
「国債に関しては当官が責任を以て首脳部を説得しましょう。なに、貸し付けた、と舞い上がって影響力の獲得など夢想するので容易でしょう」
アスターもトウカが必要とあらば権利や権益を粉砕する人物であるという認識はあるのか、首脳部の皮算用を予想して肩を竦めている。そもそも、影響力など相手が認めなければ存在し得ない。
「できれば、大陸横断鉄道の件も尻を蹴り上げていただけると幸いです。それはもう穴が増える程に蹴り上げて頂きたい。鉄道があれば兵力輸送なども容易となりますので」
ネネカとしては、本命は大陸横断鉄道にある。
正直なところ、ネネカトウカも協商国の軍事力には然して期待しておはおらず、寧ろ経済的な部分に期待していた。その経済分野での皇国との結合に必要な大陸横断鉄道に対して協商国は前向きであるる様な言動をするものの、実行力が伴ってない現状が続いていた。粘る事で予算配分で優位を得ようと試み、未だ協商国内では着工すらしていないのだ。
トウカは協商国のそうした振る舞いに渋い顔をしているが、最悪の場合、今回の一件に関しては協商国が帝国軍との戦争で泥沼化しても良いと割り切っているという可能性もあった。
失陥しても国境が隣接せず、武器を投じて不正規戦を頻発させて進駐した帝国軍兵力の消耗を誘う。他国の地で帝国を消耗させられるならば、経済的連携が得られずとも最低限の利益にはなるという判断。
怒れる天帝の不興を買う事は得策ではない、という事実を協商国の有力者には理解して貰わねばならない。
この状況を最大限に利用し、協商国と皇国が共栄する道筋を付けるべきだろうと、ネネカは考え、そして一軍人には過ぎたる役目を負わねばならないと溜息を吐く。その為には大陸横断鉄道に熱心に参加して貰わねばならない。
「当官と此方のシルトライヒ少佐も同行して説得に参加致します」
ネネカとしては他国が帝国に滅ばされる事を望まない。
防げる悲劇を座視するのは気が咎めた。その為にユウカを巻き込む事は気が咎めないが。
「それは……有難い」
「いえ、任務でありますから……恐らく」
特使としての視察だけでなく、足りぬ部分を適度に梃入れしてこいとの仰せであるが、トウカのその足りぬ部分を明言しなかった。
ネネカはその命令書に激怒した。
力量より生じる合理性と、己の理性や品性を天秤に掛けて決めるといい。そう言われている気がして酷く不愉快であったが、無能の誹りを受ける事は我慢ならない。
結局のところ上手く利用されている気がしたネネカは、尻尾を揺らして憤怒を胸の内から出さぬ様に務める他なかった。
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