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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》
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第四〇四話    模倣体





「これは……随分と入念に機密処理を行っている。油脂焼夷(ナパーム)弾を使ったな……」


 トウカは特異な臭気に、油脂焼夷弾の運用試験の立会い時の香りを思い出す。地下という密閉性の高い空間だからこそ臭気も残っているのであろうが、空気を焼き尽くす程の燃焼を地下で求めた辺り、確実に燃やし切るという執念を感じられる。航空兵装として採用するべく開発した油脂焼夷弾だが、確かに機動列車砲や重迫撃砲での試験運用も行われていた。加害範囲の広い兵器に対するマリアベルの拘り故である。


 ――試験運用に供されたものを流用したのだろうが……抜け目のない事だ。


 領主であるマリアベルの言葉に否と言える筈もなく、トウカの目には触れない形で人員や兵器が運用されるのは在り得る話である。そもそも、トウカは指揮権を与えられ、 兵器開発や編制にも意見する事を許されたが、それはマリアベルの権力と推認の下での事に過ぎない。 マリアベルの命令や行動の全てを把握する立場ではないのだ。


「へや、 まっくろ」


「そうだな。油脂焼夷弾を複数回使用した可能性もある」


 シラユキの頭を撫でつつ、トウカは嘆息する。


 相当に重要な研究開発していたのであろうが、焼け落ちて黒一色に染まった部屋から読み取れる情報など限られる。魔導の神秘息衝く国家であっても念入りに焼却処分された物品から情報を読み取る事は困難である。一部には時間を巻き戻すなどの神秘を行使する者も居ると噂されるが、それにも諸々の制限は付くであろうし、それを困難と為さしめる様な焼却方法が為されていても不思議ではない。建造物の規模を見れば、機密処分が御座なりであるとは考え難い。


 書架に研究器具が乗せられていたと思しき作業机。そして、研究器具の一部であったと思しき硝子と鋼鉄の溶解物。それらはトウカが軍刀の鞘の石突で叩くと姿を崩す程には焼け焦げていた。


 そして、中央に鎮座する四つの培養槽。


「培養槽か……あまり大きくはないな」


 マリアベルならば巨大生物兵器を駆使して大勝利などと考えそうなものだが、とトウカは訝しむ。


 床と天井に同規模の円筒容器(シリンダー)が設置されている事が見て取れる為、恐らく、その円筒容器の間には硝子貼りの培養槽だったのだろうと容易に推測できる程には分かり易い形状をしていた。当然であるが、円筒の中には何もなく有機物であったであろう炭化物の影すらない。


「有力な生物兵器の研究開発でしょうか?」


 アヤヒの問い掛けに、トウカは一拍の間を置いて答える。


「あまり大型では整備性の問題もあるが、この培養槽の規模(サイズ)を考えると生体兵器は人間程度の規模(サイズ)だ。培養槽の数を踏まえると、量産性は度外視している様にも思えるが、研究段階であるからか、そもそも運用が少数を想定しているからか……その辺りも不明瞭では判断し難い」


 つまりは分からないという話である。


 とは言え、研究段階でこれ程の規模の構造物を用意する必要があるとなると、量産段階で用地取得と建造資金で躓く様に見える事も事実である。少数生産で小型の生体兵器にそれ程の予算を割くのは道理が通らない。そうなると少数での運用を想定した生体兵器という事になる。


 生体兵器としては聞かない話である。


 ――軍事目的ではないという事か?


 その場合、高度な思考や形状を必要とする為、更に量産性に困難を生じさせかねない。軍事用途であれば、戦闘任務の場合、猟犬程度の形状や知能でもよい。機械に為せる程度の単純な作業なら機械化で済む話であるが、敢えて生体兵器を利用するというには相応の理由があるはずであるが、トウカには費用対効果の面で帳尻が合うとは思えなかった。


「不老不死でも研究してたのかしら?」


「まさか。禁術ではあるが記憶の転写などがあるだろう。まぁ、あれも個性の転写ができているかという疑義はあるが……導入(アプローチ)としては下策だろう」


 マイカゼの声にトウカは胡散臭い感情を隠さない。


 地球世界でも不老不死などの研究は古来より為されていたが、実現したという話は聞かない。桜城家の古文書には不死者が歴史の影で争ったなどという眉唾な内容などがあるものの、トウカは血縁に中学生の時分に生じる精神的傾倒の一種を後々にまで持ち合わせた人物が居るのだろうと看做していた。


 しかし、異世界があり神々も実在すると知った今では眉唾と切り捨てられない話でもある。


 ――アイヌ王国の開祖も異様なまでに文明を発展させたからな。あの時代に銃床と銃剣の付いた現代に近い形状の火縄銃など……


 考えてみれば胡散臭い出来事は地球世界にも多い。


 羅馬(ローマ)帝国など存在からして異様な文明で爆発的な発展を遂げた国家であり、そもそも演算機(パソコン)の開発などもこれ程に早く誕生するものかと胡散臭く思える。何かしらの関与があったと言われても、現在のトウカであれば一笑に付す事はできない。不老不死もないとは言い切れなかった。


 だが、この世界には存在しない。


 少なくとも有機生命体の永続性を担保するだけの仕組みは未だ存在……一般的になっていない。


 しかし、マイカゼの考えは異なる部分にあった。


「天帝陛下を量産しようと為されたのかも知れませんわ。ほら、師団長を全て陛下にした皇州同盟軍とか強そうではありませんか?」


 偉人や達人を培養して量産というのは小説などでは珍しくないらしいが、トウカとしては、遺伝情報なども影響がないとは言わないが、やはり環境と教育がヒトを形成する要素として大きいと見ていた。ましてやトウカの場合は神々の意向も滲む。量産に成功しても恐らくその能力には大きな振れ幅が出る事は容易に想像できた。


「ヒトの力量は血ではなく生い立ちに負う所が大きい。科学的に増やしても無意味だろうな。身代わりなら似た顔立ちの者を探す方が早いだろう」


 量産されても身代わり程度にしか役に立たないというのがトウカの総評である。それならばベルセリカ辺りであれば余程に戦闘能力の面で有益であった。種族特性はある程度引き継がれる。無論、魔導資質はその限りではなく、武芸も修練あってのものであるが。


「振る舞いに血縁を観るのは、実際のところその血を継承しているという認識と自負が大きい様に見える。統計のある話ではないので印象ではあるが」


 武家社会を見てきたトウカは、血縁という遺伝子がそうさせるのではなく、その血縁が歩んできた歴史や伝統を背負うという自負心在っての成果に由来するものである様に見えた。それは恐らく血ではなく、血縁の実績や意志を根拠としたものであり、多くの者はそれを錯覚している様に感じられる。


「あら? でも、四人なら陛下を加えて五人で御座いますゆえ。ミユキと私、先代ヴェルテンベルク伯、憲兵総監、総統閣下で丁度ですわ」


 無茶を言う、とトウカは顔を顰める。周りの鋭兵も神妙な顔をしていた。どの表情に固定すべきか悩んだ末の事である。


「皆で仲良く分割するという訳か……貴女が加わっている点はどうかと思うが」


 そこはリシア辺りを加えた方が収まりが良いのではないか、とトウカは思うが、口にすると面倒が増えかねないので指摘はしない。


「しかし、ヒトか……いや、重要施設と繋げる経路と研究施設を結合する……転用……同時運用か?」


 同時期に運用されていれば最近、生物兵器の研究開発が為されていた事になるが、一方の目的が先で、もう一方が後となると話は複雑になる。調査次第という事になるが、地下遺構の存在を思えば生物兵器研究が先である様にも思える。


 複数人の足音。駆け足。


 皆が入室した出入り口に視線を向け、鋭兵達も警戒する。


「陛下、我が陛下」


「……憲兵総監か」


 クレアが一個分隊の鋭兵を率いて駆け付けてくる。


 新しい情報が判明したのか、或いは国内外で大きな動きがあったのか。その辺りだろうと、トウカはクレアの言葉を待つ。


「建造経緯を突き止めましたので御報告を、と。かなり複雑な経緯の様です」


 想像したよりも踏み込んだ情報が判明した、とトウカは驚きを示す。纏まった資料か建造に携わった関係者か。どちらかを見つけたのかも知れない、とトウカは瞳を眇める。


「端的に申しますと、フェルゼン自体が元より存在した地下遺構を利用するべく、この地に造成されたと思われます。地下遺構の目的は当初、広範囲から魔力蒐集を行い、それを以て地下中央で発見された有機演算機を運用する事に在ったとの様ですが、発見された時点で既に停止していた様です」


 フェルゼンが都市として成立する以前から地下遺構がある事は、警護として随伴した魔導士が壁面に刻まれた術式を見て旧文明時代の術式に近いと口にしていたので、有り得る事だとトウカも納得できた。そもそも、フェルゼンという都市はマリアベルの即位前より存在したが、皇国史から見ると最近になって歴史書に姿を見せた都市でもある。皇国の命脈の長さを思えば、そうした都市は珍しくなく、遺跡などの異なる文明の異物を利用した都市というのは他に存在しない訳でもない。霊都などは最たる例である。

 

 近代に造成されたという事は相応の理由があるという事であるが、フェルゼンという都市は経済的に見ても軍事的に見ても半端な位置にある。


 そして、地下遺構を利用した特性がフェルゼンに付与されたという話を、トウカは耳にした事がない。利点がなければ、そこに都市を造成する理由とはならない。


 ――発展や積雪を考えればシュットガルト湖南岸でも良い筈だ。


 それを避けた理由をトウカは以前より疑問に思っていた。


 フェルゼンは大星洋から見てシュットガルト湖の最奥……西岸に造成されており、積雪も流通の面でも最善とは言い難い位置にある。以降の歴史で中央地域との確執が顕在化する事を思えば、南岸は距離的に近くなる為、防衛という意味では不利であるが、フェルゼン造成当時の醸成に将来的に中央地域との確執が顕在化する萌芽すらなかった。それならば、南岸にフェルゼンを造成して中央に可能な限り近い位置とし、流通網を整備する事で経済発展を試みる事が賢明と言える。


 逆に何かしらの懸念から中央地域との軍事的衝突を予期していたならば、シュットガルト湖北岸が最善である。シュットガルト湖自体を天然の要害とする事もできる上、シュットガルト運河を閉塞すれば、シュットガルト湖内に有力な水上部隊が侵入する可能性を潰し、シュットガルト湖の湖岸各地に強襲上陸を試みて敵の輜重線を遮断する事が容易になる。ましてやエルネシア連峰も北方に存在し、敵の侵攻経路を制限できた。エスタンジア方面との距離が近くなる為、大星洋との接続を運河のみに頼る事も避けられる。


 折衷案として西岸という事も考えられたが、その場合、将来的に中央地域との衝突を予期し、経済発展も必要であると考えたという事になる。


 それは、些か未来が見え過ぎる。


 トウカならば、防衛を最優先で考えて北岸にフェルゼンを造成し、海路を主体に輸出入を発展させる判断をしたであろうが、それも将来的な中央との衝突を予期してのものではない。地下遺構が理由であるならば納得できると、トウカは長年の疑問の答えを得た心情となる。


 地下遺構をフェルゼンの発展、或いは私的な問題に利用しようと考えたのだ。


「それを都市発展に利用する訳か……都市の防護障壁か?」


 旧文明の有機演算機も気になるが、水路が用意されている点は演算機の排熱に利用されていたと考えれば辻褄は合う。排熱対応として効果的な水冷を考えるのは不思議ではない。


 トウカは皇国では然して珍しくない城塞都市の魔導障壁を思い出す。魔力蒐集と備蓄があれば、より強力な魔導障壁を展開できる。或いは長時間の展開も可能となる。


「それも可能でしょうが、長距離攻勢術式の補助が主な利用目的の様です」


「ああ……そうした攻撃手段が過去に在ったとは聞くな」


 クレアの言葉に、トウカは火砲の発達と共に廃れた攻撃手段の存在を思い出す。


 多数の魔導士による集団詠唱を以て、長射程の魔導攻撃で広範囲の敵を撃破するという攻撃手段であるが、多数の魔導士を必要とする上に詠唱時間の都合から予備動作が大きく、魔術的な探知が容易、速射性に乏しく、魔導士の集中運用前提であるが故に、各部隊に配置する魔導士が減少するという問題があった。


 火砲……それも大口径砲であれば、その問題は解決する。


 皇国で列車砲という兵器が特段の発展を遂げたのはそうした理由がある。魔導資質に優れた者が多い皇国であればこそ、各軍事勢力はより多くの部隊に多数の魔導士を配置したいと考えた。攻撃も防禦も擬装も部隊への各種支援術式も運用できる魔導士の数は部隊の戦術運用能力を左右する。


 魔導技術を併用した冶金技術や設計、運用を踏まえると、列車砲という規模が制限されつつも重量物のある兵器が他国よりも比較的容易に生産と運用ができた事も大きい。錬金術の発展もそこにはある。継ぎ目のない砲墳火器は何時の時代も砲兵の憧れである。


 斯くして皇国で長距離攻勢術式は近代に差し掛かるに当たって急速に廃れた。


「廃れた攻撃手段を運用する為の遺構という訳か……それを転用し、何かしらの実験をしていた、と? 加えて、軍事目的の秘密通路の運用としても考慮していた可能性」


 再利用で予算削減を図るというのは珍しくない話であるが、今回の一件は中々に話の大きいものであり、関係者も少なくない筈であった。無論、相当の歳月を経ているので、恐らく人間種を始めとした皇国では比較的短命な種族に工事に当たらせ、現在は軒並み天寿を全うしているという事も有り得た。


 しかし、トウカにはそうした予算圧縮を行う剛腕に心当たりがあった。


「短時間で随分と詳しい話が出てくる……誰だ?」


 経緯を踏まえれば相応に生きた人物であり、予算を采配する立場の人物でもある。


「蔵府長官です」


「……やはり、セルアノか」


 あの妖精ならやりかねない。


 予算の吝嗇(けち)な扱いと寿命、フェルゼンで影響力があるという点を踏まえれば容易に想像できる話である。


「あれは何と言っている?」


 トウカは行われた研究開発内容を気にしていた。油脂焼夷弾を使用した機密処理を行う以上、相当な理由があるのは間違いなく、それが公務上の機密書類にすら記載できない内容というのであれば、慎重な判断を要する事になる。


「失礼、どうか御耳を……」


「遮音術式か。そこまでか」


 権能が魔術感知を告げ、それが攻撃的運用ではなく、特定の音波を遮断するものだと知らせる。他者に聞かれるのは憚られるという事である。クレアとトウカはマイカゼやアヤヒ、鋭兵達に背を向ける。口元から会話内容を見られて情報を掠め取られる事を憚った。


「蔵府長官曰く、その成果物は貴方の傍に既に在る、と」


「リシアか……」


 トウカは憂色の表情を務めて隠す。


 リシアの出自は不明瞭なままである。


 ザムエルも奇妙な経緯から判明したが碌な事にはならなかった為、リシアの出自も統合情報部から枢密院経由で調査依頼が出た。トウカに近しい者で出自の定かならぬ者が存在する事を、枢密院はザムエルの暗殺未遂を契機に問題視した。


 トウカは「俺の出自も定かならぬという事になっているが、その点は問題ないのか?」と肩を竦めたものであるが、枢密院の面々は揃って「知れば統治に協力する気が失せるかも知れないので」という内容の返答をするので曖昧なままであった。


 しかし、トウカの見たところ大凡の予想は付いている様に見受けられた。要らぬ確執が増える可能性を嫌って積極的な情報開示を求めなかったのだろう、とトウカは敢えて何かを言及する事はなかった。


 ただ、セルアノに関しては「神の悪意か、悪魔の善意か」などと、トウカの出自を詰るので、信心深い者と衝突していたが。


 結論として、リシアは全く出自が分からなかった。


 突然、現れた、そう評して差し支えのない程に何一つ手掛かりがなかった。挙句に当人が「機械仕掛けの女神が私を遣わしたのよ」と宜うものだから余計に調査は混乱したと言える。英雄願望どころか神使願望まであるのかとトウカはそれを聞いて呆れたものであるが、今となってはそれが真実の一端に触れているのではないかと思わざるを得ない。


「何故……何故……そこに……」


 継承者を求めたのかとも考えたが、ヴェルテンベルク伯爵の後任はマイカゼが指名され、リシアに何かしらの権力の配当があった訳ではなかった。政戦の都合から見ればリシアの存在意義がある様には見えない。


 ――いや、当初は後継者として考えていたが、状況が変わったのか?


 狐系種族を本格的に引き入れる都合上、ヴェルテンベルク伯爵にマイカゼを据えた方が良いとの判断があったのかも知れない。内戦後期はリシアの佐官として相応の立場を得ていた為、爵位を与えずとも生きていけるとの考えもあったとも考えられる。自身を棚に上げてマリアベルが、リシアが上手く政治権力を使えるかと懸念したというのも有り得た。


 クレアが一礼して一歩下がる。


 自身が口を挟むべきではないとの判断であり、彼女自身もリシアとどう接するべきか悩む部分があっても不思議ではない。生まれ落ちた瞬間から天涯孤独を宿命付けられていたとも言えなくもない事を踏まえると親近感を覚えても不自然ではなかった。


 トウカはマイカゼやアヤヒ達へと振り向く。


「何もなかった。訳の分からぬ施設だが廃棄されていた。それが公式見解だ。ここは処分しろ……いや、手直しして地下通路として一般開放するというのもありだな」


 下手に処理して要らぬ勘繰りをする者が出るくらいならば、何かしら利用して誤魔化すしかない。地下道や防空壕としてのが妥当である。


「重要施設への通路は練石(コンクリート)を流し込む事で封鎖すると宜しいかと愚行致します」


 クレアが条件付きの賛意を示す。


 妥当な提案であり、フェルゼンの住民も地上よりも複雑な経路を必要としない移動手段として利用率もそれなりにあるのではないかと、トウカも考えた。


「もう少し通路が大きかったならば地下鉄でも良かったのだが」


 地下鉄を通すには些か通路の幅と全高が小さく、拡大は予算の面から現実的ではない。


「地下鉄……ですか?」


「ああ、鉄道路線を地下に埋め込むのだ。都市の地上を圧迫せず、都市内の要地への接続を容易にできる。地下の大規模建築ゆえに多額の予算を必要とするがな」


 地下鉄という概念はあるが、未だこの世界での実用化はない。これは技術的な問題よりも、予算の都合上、未だ間に合っていない地域への鉄道敷設が各国でも優先されている為である。惑星が地球よりも大きく、居住可能面積が広い為、交通網整備により多くの予算を必要とする事も大きい。


「予算を出していただけるなら賛成致しますわ」


「出さんぞ。そんな金はない。そんなものはヴェルテンベルクの人口が一〇〇〇万を超えた辺りで考えればいい話だ」


 そもそも土地が余っており、余裕のある都市設計を今から心がければいい話でしかなく、何処を見ても名分が立たない。都市交通は自動客車(バス)を整備して対応すると良いとすら考えていた。


「はぁ……内容が気になる所ですが……知るべきものではないという事でしょう」


「つまんないー」


 狐二人が揃って不満気な表情をするが、トウカは肩を竦める。


「夕飯にしようか。好きなものを用意しよう」


「いいの?」


 先ずは子狐から狙う。母狐を射んとすれば、まず子狐を射よ、とはこの事である。


 早速、興味を示し、トウカの身体をよじ登り肩車の位置に付いたシラユキ。


「いなりずしがいい!」


「おお、そうか。そうだろうな。魚も用意しよう。栄養が偏ってはならない」


 トウカは進み出す。


 それに仕方がないとマイカゼが続き、アヤヒを従えたクレアも帯同する。鋭兵達も慌てて警備体制を取るべく駆け足で動き出した。








「危ない所だったわ……」


 愛らしい妖精は盛大に溜息を零す。 その姿は幻想浪漫が吹き飛ぶような社会人染みた仕草に見えるが、それを目撃した者は幸いな事に存在しない。


 セルアノはクレアからの突然の連絡に驚き、そして慄いた。


 都市開発の過程で露呈するとは考えていたが、想像よりもかなり早い段階で地下研究施設の存在が露呈した。経緯は聞いていないので……聞ける状況ではなかったが、憲兵総監であるクレアは幾つかの情報を突き合わせた結果、セルアノが知っていると踏んで緊急通信で連絡を取ってきた。


 非常時の緊急通信を利用しているのだから、定かならぬ情報で動いたとは考え難い。天帝の住居となったアルフレア離宮付近の地下に安全に関わるかも知れない建造物があった為、緊急で行政府の長官に連絡をした事には大義名分もある。


 それ故にセルアノも”ある程度は”正直に話すしかなかった。


 既に地下研究施設建造に関する調べは付いていると考えたのだ。


 研究内容は確実に機密処理しているので、それらしい嘘を吐かねばならないとセルアノは考えた。


 研究施設として閉鎖したのは内戦勃発直前の事であったが、研究者も現在はとある企業で日の目を見ない研究に従事している。関係資料や実験器具は油脂焼夷弾を複数回使用して焼き尽くした為、現地に残されておらず、後は頃合いを見て実験室自体を練石(コンクリート)を流し込んで隠蔽してしまおうと考えていたが、内戦勃発によって石の需要が急速に拡大して不足した為、作業は中止となった。挙句、内戦後も帝国との戦争があり、その被害からの復興の為、練石の不足は続いた。


 研究施設区域だけを練石で固めてしまい、後は遺構が見つかったと適当な調査をした上で、都市開発をする過程で地下遺構諸共に破砕処分していけばいいとセルアノは考えていた。練石で固めた後に破砕してしまえば只の不純物交じりの廃棄物である。気付ける者は稀であった。


 ――マリィとも合意していたけど、まさか今、見つかるなんて。あの子、本当に運がない……


 とは言え、セルアノもヴェルテンベルクの政戦に在って場数を踏んだ妖精である。


「咄嗟の出まかせにしては、中々の出来栄えだと思うのよね」


 リシアの出自は不明瞭なままである。


 セルアノはマリアベルから聞かされており、リシアにも伝えてあるとは聞いていた。皇都でアーダルベルトがリシアに良く構われると聞かされて、まぁそうなるだろう、と肩を竦めたものである。


 実際、研究内容を踏まえても、やはり類似している。


 当初はマリアベルの模倣体(クローン)を作り、そこに病によって身体を蝕まれたマリアベルの意識を移し替えようと試みる研究を行っていたのだが、形状が同様でも、短命であり疾患に対して脆弱という傾向を打破できなかった。製造に当たり疾患も再現されてしまうのだ。その疾患は龍系種族の資質とも密接に絡み付いた存在である。どうしても安定した製造が叶わなかった。


 そもそも、マリアベルの模倣体を作るという段階でも躓いた。高位種は魔導生物的に見て複雑な遺伝子特性を持つ為に模倣は現実的ではない。成体へと成長させる過程での死亡率と、意識の移し替えに於ける負担に耐え切れないという判断が下された。尋常ならざる大量生産を行った場合、良品を確保できるかも知れないが、育成過程で判明する問題もある。つまりは判明するまでに時間を要するという事であり、予算だけでなく多大な時間まで必要となる。その時間的余裕をセルアノは……マリアベルは捻出できなかった。寿命は金銭では買えない。


「世の中、上手くいかないものね……」セルアノは辟易とする。


 特にマリアベルに関する事で物事が想定通りに進んだ事は少ない。嵐を呼ぶ女は予想外を撒き散らす。


「あの小娘の事もそうよ……まさか使えないなんて……」


 セルアノは馬鹿ではない。失敗に際して次善の策を複数用意するだけの理解はある。研究開発は常に成功するとは限らず、適正な経緯を経た研究結果が不可能だと告げているなら失敗を咎めても意味はない。次に生かせ。不可能であるという知見を蓄積した事実を関係各所が容易に接続(アクセス)できる様にすべきであり、不可能と判明した事もまた成果であるのだ。


 そして、その次善の策はリシアであった。


 リシアはそもそもマリアベルの意識移し替えの素体として想定していたのだ。


 機巧女神の遺された力を利用した模倣体作製。


 これを運用可能なステアなる胡乱な女性の力を借りて作製されたのがリシアである。


 最近、ヴァレンシュタイン上級大将暗殺未遂事件の影響から枢密院で天帝であるトウカに近しい人物の経歴調査があったものの、リシアだけが孤児院に預けられる以前の足跡が一切れなかったと枢密院で問題になった。実際のところ模倣体として生産されたのだから調査できるはずもない。両親など居ないのだ。


 マリアベルの隠し子ではないかという意見も出たが、紫苑色の髪は遺伝性のものではなく、それが継承されるなど天文学的確率だという意見が出て話が紛糾した経緯がある。


 そして、リシアの正体はマリアベルの母に当たる人物の模倣体である。


 紫苑色の髪を得たのは天文学的確率を引き当てたという意味では事実だが、それは子を為す事による継承ではなく、母の模倣体作製に於ける偶然からのものであった。マリアベルの母の髪は紫苑色ではなかった。全くの偶然である。


 神の悪意か悪魔の善意か。


 セルアノはそう訝しむが、そもそもリシアというマリアベルの母の模倣体に、マリアベルの意識を移し入れる事は不可能だと判明した。


 マリアベルの模倣体の生産を機功女神の力で行わなかったのは、マリアベルの龍族特有の病まで模倣してしまう為である。良くも悪くも古き女神の力は強大であり、模倣体などと呼べるものではなく、因果や宿業などという胡乱な要素まで模倣するとなればマリアベルの模倣体を生産するという選択肢はない。


 ただ、マリアベルの母に当たる人物の模倣体……リシアを製造するに辺り、龍系種族の因子を可能な限り弱体化させる変更だけは無理をして加えられた。高位種の複雑な要素を可能な限り削ぐ事で意識の移し替えの成功確率を向上させようと試みたのだ。その為、リシアは皇国の法的区分上、混血種という扱いとなる。魔導資質、身体構造、外観上の龍系種族の特徴を弱体化させたが寿命には手が加えられておらず、少々の低下はあれどもリシアもかなりの長寿命となる事が予想された。現在のリシアはその影響で徐々に老化が緩やかになりつつある。当人は未だ気付いておらず、胸周りがもう少し欲しいなどと口にしているが、それは成ったとしても当人の想像よりも先の事になる筈であった。


 その後、目的に利用できないリシアは孤児院に預ける事となった。


 セルアノや当時からヴェルテンベルク領邦軍司令官であったイシュタルなどは、育成すれば容姿が近しくなる公算が高いのだから継承者として育成してはどうかと意見したが、マリアベルが、担ぐ者が出ては敵わん、とこれを拒絶した為である。


 リシアの以降の価値は、マリアベルが気に掛ける妙に容姿の似た紫苑色の髪の孤児が居る、という事実の喧伝となった。マリアベルの後継者を求める家臣団の動きを牽制する為であり、マリアベルはその辺りについて抜かりがなかった。後継者の存在を匂わせつつも、明言せずに性急な動きに掣肘を加えた。実情が分からぬ内に動く程度の面々であれば、そもそも内政上の脅威ではない。


 後継者争いで予算と時間を浪費する真似をマリアベルが極端に嫌った結果そうした経緯となった。


「結局のところ、最終手段を使う事になったのだけど」


 セルアノが数百年掛けて利用する事で、徐々に遺伝子構造と魔導資質を変質させた素体。元より、その為に妖精本来の身体ではなく、人間種に近しい身体を得ていたのだ。


 それでも、成功確率としては決して高くはなかった。


「まぁ、何とかなったからいいのだけどね……知られる訳にはいかないでしょ」


 禁術にして外道の扱いであり、捕虜とした匪賊を利用した人体実験も相当な回数が行われた。必要な薬剤研究の過程で進展した研究もあるが、その陰には人体実験による無数の死がある。


 何よりマリアベルの結末は決したのだ。


 今後などない。


 それが公式見解であり歴史的事実である。


 異論の余地となりかねない要素を知られる事は許容できなかった。


 因習と遺恨を振り切って好きに生きて好きに死ね。


 セルアノはそう願っている。


 そもそも、マリアベルは自身の死によって有形無形の負債の悉くを踏み倒す構えである。その邪魔をする訳にはいかなかった。


「それなのに、あんな事に……ちょっと意味が分からないわ」


 髪を黒く染め、深紅の軍装を纏い、共産主義を掲げて暴れている。


 言える訳がないし、万が一にも露呈する訳にはいかない。


 嘘を隠すなら嘘の中である。


 ステアに詳細を教えずに利用したので、情報は確実にリシアで途切れる。


 数百年という歳月を掛けて準備した計略。


 易々と崩されてなるものか、とセルアノは断固たる決意で隠蔽する決意を新たにした。






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