第四〇二話 地下遺構
「可愛い……お持ち帰りしてもいいですか?」
シラユキを膝に乗せたクレアがトウカへと尋ねる。
諸々の懸念は早々に吹き飛んだが、女性の可愛い生き物に対する情熱にトウカは別の意味で懸念を抱いた。
「残念だがその娘は非売品だ」
展示品につき非売だ、とトウカが溜息を吐く。
実際、触れてしまえば諸問題など容易く消え失せるものであるというのは、何処かの酔っ払いの言葉だったか、とトウカはベルゲンで言葉を交わした男を思い出そうとするが、残念ながら既に面影すらも記憶には残っていなかった。
「うー、くるしー」
「あ、御免なさい」
クレアが両手を放すとシラユキは狐であるが脱兎の如く駆け出してトウカに抱き着き、そして身体をよじ登ろうとする。
トウカは致し方ないとシラユキを抱える。
「マイカゼが多忙だからな。少なくとも寂寥感を覚えぬ程には多くの体験をさせてやりたい。……もう一人いる娘との経験の差が生じるのは好ましい事ではないと思うが……」
悩ましいところである、とトウカは独語する。
マイカゼにはもう一人、幼い娘が存在するが、その娘はシラユキと双子であるが対照的に引っ込み思案な性格をしており、あまり外に出すのは憚られるとシラユキがトウカに預けられた経緯がある。二人ともトウカに預けるというのは政略上の問題もあり叶わない以上、シラユキは双子の娘よりも多種多様な経験をする事になった。無論、トウカに娘を二人とも預けない方便かも知れないが。
「政治上の被害統制ですか……天帝陛下の御傍に立つ以上、大事在らば巻き添えを免れないとは思いますが……」
クレアは奇妙な真似をすると言わんばかりの困惑を示すが、トウカとしては分からないでもない。家を血族を保つという事に敏感なのは貴族も武家も変わらない。桜城家は闘争と勝利に拘り、家の存続への意識に乏しいが、武家社会の中に在る以上、武家の血脈を保つ努力を目撃する機会は多々あった。
「可能性があるならば為しておくべきという事だ。貴族とはそういうものだ……狐ゆえの臆病と猜疑あってのものであるかも知れないが、慎重であるというのは政戦の上では誹りを受ける類のものではない」
御家存続の可能性を僅かでも上げる為の努力を理解できないでもないが、軍人であるクレアの視点もトウカは理解できない訳ではなかった。寧ろ、トウカもクレアに近い意識を持っている。
確実性の高い博打なら一点集中で然るべき。
戦力分散にしか見えず、信頼を置かずに蝙蝠をしている様にも見えるというのは軍人が嫌うものである。
――貴族かと考えたが、幼い頃に皇国に難民として逃れたならば、貴族の価値観など持ち合わせていないか。
ヨエルも貴族としての価値観をクレアに与える程に酔狂ではない。そもそも天使系種族は社会的地位よりも種族的価値観を前提とした存続を重視している。そうした環境下で貴族というものを教えるという機会があるとは思えない上、クレアは確かにヨエルの養女となったが、セラフィム公という特殊な立場と爵位を踏まえれば継承など起き得る筈もない。
セラフィム公という立場は特殊な階級構造を持つ天使系種族の頂点という側面もあるのだ。氷妖精であるクレアに継承できるものではなく、天使系種族内にも認めない者が多いのは容易に想像できる。天使系種族の特性を踏まえると当然と言えた。
「権力者の被害分散は歴史上では珍しくない」
第二次世界大戦の最中、枢軸国と連合国陣営の相応の同じ起源を持つ国家が存在した様に。或いは、天下分け目の戦いに在って双方の陣営に同じ家名の武家が存在した様に。歴史上には、一方が敗北しても、もう一方の陣営で存続するという手段を講じる例は少ないながらも存在した。
トウカとしては、それでも龍や虎や狼との婚約に走らないだけマイカゼは理性的だと考えていた。止むに止まれぬ状況を形成して主要陣営に分散するならば角は立たないが、無理に為そうとすると反発を生み、信頼を損なう。
「消極的な御家存続の為の努力ということでしょうか?」
クレアは言い難い事を卒直に指摘する。
物言いとしてどうなのか?とトウカとしては思わないでもないが、単純明快にして明朗闊達なのが望ましい軍人の姿である。
「そうだな。まぁ、だからこそ可愛がるのは御家存続の意向を汲んでの事であって私情ではない訳だ」
トウカシラユキを床に下ろし、頭を撫でる。公務である。有力貴族の意向に配慮しての公務であるから仕方がない。トウカはそう考えていた。
「私も陛下の公務を知る良い機会です」
シラユキを抱き上げたクレア。
美しい生き物に抱き上げられて気分が良いのかシラユキの尻尾は揺れている。クレアは愉しそうであるが、トウカとしては釈然としないものがあった。
「娘ですか……」
そのクレアの瞳に宿る情念を見たトウカは沈黙を余儀なくされる。
自ら口にすべき話題ではなく、婚儀もなく子を為せば皇室典範の上では私生児という扱いになるので判断が難しい。トウカの失脚を望む勢力の標的になるようにも捨て置かれる様にも思える。機密としてもこうした事実は露呈するものであり、トウカの子を望む者達も大いに喧伝して敵対勢力を炙り出した上で始末すればよいと考えかねない。トウカの支持者は揃って武断的である。
クレアの心情を思えば、自身の血を分けた血縁を欲するというのは理解できなくもない。ヨエルは愛情を注いだであろうが、血を分けた母ではない。その事実は大きい。血は時に何よりも大きな影響を及ぼす。
「権力を得るという事は不便を受容するという事でもある」
心得違いをすると死ぬことになる、とはトウカも言わないが、それはクレアが理解しているであろうと考えての事である。
「ええ、勿論です。心得ています」
シラユキを抱き締めて頬擦りをするクレア。
トウカは問題なさそうだと胸を撫で下ろす。
そもそも、皮算用の類である。
異種族間に子を設ける事は同じ種族間よりも難易度が高く、特に高位種ともなれば尚更である。一方が高位種であった場合、元より出生率の低い種族との混血なのだから当然と言えるが、出生率の低い種族同士よりも出生率は低下する。
何より、トウカは神々の意向が子を為す事にまで影響を及ぼす可能性を排除できないでいた。
――アリアベルで試せば良い、とはならないからな。
それは感情や政治の問題ではなく、神々がアリアベルとクレアを天秤に掛けたならば”実験”は水泡に帰す為である。神々は有力な立場を将来的に得る可能性のある私生児の誕生を望まないかも知れない。権力の分散、政争の火種になりかねないという懸念を持つ事は、トウカとしても妥当なものがあると否定できない。神々を主導とした天帝即位があるとはいえ、先皇の権威の一部なりともを継承する遺児の影響力は無視できず、利用しようと試みる者が出ても可笑しくない。
神々の影響力が何処まで及ぶのか?
それは、トウカの懸案事項であり続けている。
皇国の拡大……信仰の増加と信仰に害を及ぼす勢力の滅亡を望む神々からすると皇国内での勢力争いは避けたいところであろう事は疑いなく、信心篤いアリアベルを推している公算が高い。後継者に要らぬ対抗馬が現れる事を神々が望まない可能性はある。その場合、波風が立ち難い流産という形で始末を付けてくる可能性があった。
無論、それはトウカの杞憂である可能性もある。
天帝は基本的に血による継承ではない。
トウカの子など眼中にないというのも有り得た。
後継者は自ら選定すればよい。
トウカをそうした様に。
万が一の為に力を割いて赤子一人殺すのは採算が合わないと考えていても不思議ではない。
勇者という個人の召喚を存在を阻止できなかった神々に何処までの影響力があり、どの様な意向を持っているのかトウカは測りかねていた。
――親父は神々の力が相当に衰えているとは言っていたが……
だからと万が一の為に子供は寧ろ多ければ多い程に望ましいなどと考えているとは、トウカには思えなかった。
それならばミユキ一人助ける事で為せる公算が高いのだ。
可能性と公算ばかりの話であるが、トウカは子を為す事に消極的であった。
そもそも、出産に要らぬ干渉を図るのが神々だけとは限らない。
トウカの立場は軍事力による後ろ盾在ってのものである。
政治勢力には信が置けない者が未だ多く、干渉を図る事は十分に有り得た。何千年と紐帯し、根を張ってきた者達も存在し、トウカが認識していない集団の気配もある。
「シャルンホルスト大佐で我慢します」
「あー、そうだな。それでいいんじゃないか?」
その考えはなかったと、トウカはクレアの意見を雑に認める。
外見としてはシラユキよりも若干歳を重ねている様に見えるものの、クレアとしては十分に許容範囲らしいが、トウカとしては以前からそうした目で見ていたのだろうかと思わずにはいられない。
「ねねかちゃんしってる!」
「あら、そうなのですね」
ネネカがシラユキと遊んでいる……厳密には絡まれているという感じであるが、その微笑ましい光景を喜ぶかも知れないと、トウカはネネカを帰国させる理由が増えた。
「そうだっ……わたしせんかんにのったの!」
クレアに抱き寄せられたまま、トウカの袖を掴んだシラユキの自慢。
トウカは搭乗したどころか戦闘指揮を執る事になった過去があったが、幼女と張り合う趣味はないので話を合わせる。
「そうか。そう言えば、そうした話があったな。次の海軍の兵役募集に関する掲示紙の撮影に参加したと聞く……」
海軍は幼女まで持ち出して兵役募集を乗り切ろうとしている。
際どい奇妙な軍装の見目麗しい女性を利用した掲示紙もあれば、筋肉美を初老の将官達が褌一つで勇ましい姿をしている掲示紙もあり海軍の宣伝は混迷を極めていた。最早、何か一つ当たれば良いと言わんばかり の有様であるが、実際のところ海軍はそれ程までに追い詰められている。
より実績の大きい陸軍に人材が流れる傾向にあるのだ。
トウカとしては祖国が海洋国家であり、曖昧でありながら海軍は陸軍よりも規律正しく垢抜けているという印象があったので、海軍は陸軍よりも就職先として人気があるだろうと見ていた。
しかし、皇国は大陸国であり、実績は陸軍が多く、挙句に神州国という圧倒的優位な海洋国家との唾競り合いもあり海軍は陸軍よりも人気が劣った。海洋に面している国土が東部だけであり、海への親しみに欠けるという問題もあり、海軍は焦燥感に駆られていた。
何ならば、毎日、皇都に面する軍港で戦艦の見学会を開催している。
形振り構わない姿勢であり、トウカに妙案を尋ねる程には追い詰められている。
トウカとしては、無茶を言う、という話である。
当座は艦艇や基地の省人化を進めるしかなく、そもそも陸軍にも余裕はない。機械化による人員削減は大艦隊の編制や兵器の高性能化を考慮すると必要なものである為、前倒しで研究開発を進める程度の提案しかできなかった。当然ながら即効性はない。
「御前も一緒に掲示紙作成に協力してはどうだ? 憲兵隊の掲示紙には私服で出たと聞く」
高官の対外的な露出に対してトウカは思う所があるが、咎める程ではない為に放置している部分があった。軍は総じて兵役募集に苦労している。対案なき儘に苦言を呈する事は躊躇われた。
労働力不足は経済成長を阻害しかねない為、企業と軍との人材の取り合いにトウカが肩入れする訳にはいかない。労働環境の改善を図った事で企業の浮沈が激しいが、労働者からは概ね好評であり経済活動は活発になっている。市場の流動資金増大には必須であり、トウカとしては選択肢がなかったが、軍隊とはそもそも肉体労働の類であり苦しいどころか状況次第では戦死するという事実がある為、どうしても労働環境としては不利である。
愛国心を叫んで入隊する若者の数は知れている。
寧ろ、帝国軍による本土侵略によって国防意識と愛国心の発揚があって軍の志願者数自体は以前と比較すると激増と評して差し支えない規模となっている。
問題は軍拡による軍の規模拡大がそれを遥かに上回っている点と、元より軍が慢性的に人材不足であった点にある。
そして、トウカとしては段階的に定数を満たせばいいと考えていたが、軍は陸海軍はそう考えなかった。
陸軍は何処かで予想外の戦争が起きるのではないかと訝しんで兵力増強に余念がなく、海軍は定を数割り込んでいるのだから旧式艦艇売り払ってしまえという大蔵府長官の声に怯えていた。暫くは平和だと言うのに有りもしない幻影を見て踊る事になると、当時のトウカは陸海軍に対し”困った奴らだ、という心情であった。
その後、連合王国に派兵する羽目になり、南方政策の為に旧式艦艇売却の話が持ち上がった。
陸海軍の懸念は的中した形となる。
トウカの判断で影響は最小限に抑えたものの、陸海軍府長官の恨めしい視線が枢密院会議でトウカに刺さったものである。
陸海軍は準備が整うまで戦争など始めたくはないのだ。トウカもであるが。
古今東西、準備が整っていない戦争に喜んで突入する軍隊など存在しないのだから当然であるが、政治が関わると軍事的妥当性だけで済むものではない。それでもトウカは軍事に理解ある人物であり陸海軍もそれは理解しているが、納得できるかは別問題である。無論、そうした姿勢を見せる事で組織を宥める意図もあると理解してトウカも反論はしなかった。
「掲示紙ですか……最近は陸海軍が競っている様ですが、憲兵隊としては品位を疑う内容のものには苦言を呈したいところです」
際どいものがあるとは聞いていたが、それ程なのか、とトウカは驚く。同時にクレアは氷妖精という種族は、そもそも数が少なく皇国を主な居住地としない種族なので生態や伝統が判然としない。そうした価値観に基づいた苦言であるならば、厳しい事を言う、と応じるだけで済むが、皇国の多種族国家という奇妙な枠組みの中で形成された伝統的価値観に基づいた意見であるというならば捨て置けない話である。
「それ程に酷いのか?」
「陛下は妙に露出の多い水着の女性士官を多用する事に問題がないと?」
もしかしてそうした好みが在ったり為されますか?という表情のクレアに、トウカは要らぬ誤解だと頭を掻く。
陸海軍の怪しげな掲示紙問題は兎も角、トウカはクレアが要らぬ配慮をしかねない事を恐れた。
「衣装で身体付きが変わる訳でもあるまい。俺は御前の身体を良く知っている」
「……子供の前ですよ。そうした睦言は二人の時に御願いします……」
シラユキの狐耳をぺたんと押さえ付け、クレアは朱の散った顔で苦言を呈する。部屋の隅で控える警護の狐達も狐耳と尻尾を立てて視線を逸らしていた。
「貴方達、何を馬鹿な事をしているの?」
侍女が開けた扉からマイカゼが入室する。
その顔は呆れ返っている事が一目で分かるものであった。
「男なら衣装なんて一緒に買いに行って女を着せ替え人形にする甲斐性を見せるべきでしょう? 貴女も男が興味あると見て取ったなら不意打ちで扱うべきとろこでしょう?」
トウカとクレアに対する容赦ない駄目出し。
そうではない。
――いや、そうかも知れないが。
トウカはそうかも知れないと思い直す。
「そういうものでしょうか? 気恥ずかしいのですが……」
「若いわねぇ若いわねぇ若いわねぇ」
クレアの言葉にマイカゼは頬に手を当てて若さを羨む。マイカゼ自身も外見上は三十路を過ぎたかという程度なのでトウカからすると奇妙な会話でしかない。そもそも、皇国では種族差が著しい場面が多く、年齢を語る事は無意味であるという風潮がある。 そうした中でも長命な種族は長命であるが故に年齢に頓着するという意識が摩滅する為、年齢の話を厭う者は逆に少なかった。寧ろ、通常の寿命を持つ種族が逆に配慮して敢えて年齢の話題を避ける傾向にあるのだ。
トウカは、マイカゼの登場の理由を問う。
「ところで何用か? 謁見の予定はなかった筈だが……」
アルフレア離宮へ足を踏み入れるには事前の要請が必要となる。娘に会いに来たら偶然出会ったという形にはならない。それにマイカゼの衣装は煤けている。
――何をしたのか……領邦軍が叛乱でも起こしたのか?
戦火から逃れたのならばその装いも納得できるが、トウカにそうした報告はない。そもそもヴェルテンベルク領邦軍は、その大部分が皇州同盟軍に編入されており、治安維持に必要な最低限すら欠いている有様である。皇州同盟軍最大の策源地である為、防衛と治安維持を押し付け、復興と経済発展に集中するという判断。合理的であり皇州同盟軍を直卒するトウカへの信任を示すという側面もある。
ヴェルテンベルク領邦軍は、既に有力な兵力を持たず、その戦意も乏しい。
挙句に駐留する皇州同盟軍部隊とは大きな兵力差がある。
叛乱は実力と意欲の面から現実的ではない。
マイカゼは困り顔。
「……実は伯爵邸の地下通路が見つかったので探検という話に家臣団となりまして……」
「家臣団との関係が良好な様で何よりだ」
そんな事は領邦軍の歩兵から鼻の利く種族を集めて調査させればいいではないかというのがトウカの思う所であったが、血縁でもなく種族も異なる後任として爵位を継承したマイカゼが家臣団と上手く?信頼関係を築けているようでトウカは安心感を覚えてもいた。
「先代伯爵の隠していたものとなれば家臣達も気になって仕方がない様子でしたので、その様な流れに」
マイカゼとしてはちょっとした息抜きや人間関係構築の為の共同作業程度の心情であったに違いない。或いはマリアベルの埋蔵金や地下に眠る超兵器でも期待した可能性もある。トウカをしても、そうしたものがないとは言い切れないのがマリアベルという女であった。
警備と防衛、防諜に関わる重大事である。
隣のクレアの眉が徐々に吊り上がっていた。
知る者が居り、それを悪意ある者に知れれば、暗殺や諜報に利用されかねない。フェルゼンでの市街戦となった場合、奇襲などに利用される可能性もある。憲兵隊としては捨て置けない案件である。
「何処と繋がっている?」
トウカとしても好奇心を掻き立てられる案件である。
複数の重要建築物を繋ぐ地下連絡通路というのは在り得る話である。猜疑心の強いマリアベルであれば、指揮機能を持つ重要施設を連結していても不思議ではない。そして、それは複数あり別で脱出路なども用意されている筈であった。
「庭園の隅にある悪趣味な像の足元です」
「あの庭園の隅にある邪神像か」
アルフレア離宮の庭園には何故か背徳的で冒涜的な石像がある。トウカもマリアベルの要望で設置されたとは聞くが、きっと誰かに対する嫌がらせの類だろう、としか考えていなかった。悪運強く庭園の端であった為、内戦でも砲撃を受ける事もなく、対空陣地増設に邪魔となると撤去される事もなかった。
「宗教屋が銭の無心ばかりしてくるのが鬱陶しいから魔除けとして用意した、と先代ヴェルテンベルク伯は仰っておられました。聞いた覚えが御座います……市内にも幾つかあったかと……陛下」
クレアの補足に、トウカも鷹揚に頷く。
国防上の諸問題だけでなく、都市計画で誤算が生じかねない地下構造物があるというのは事故の要因となりかねない。放置という選択肢はない。
「対応すべきだろう」
「転用を考えるべきでしょうか?」
「不要だ。関係者が不明となれば、何処に知る者が居るかも不明瞭だ。危険を冒す場面ではない」
クレアの提案をトウカは拒絶する。
有線通信網の敷設に利用できるかとトウカも考えたが、有線通信の敷設は別で行われており更なる増設は費用対効果に乏しい。本来の用途として利用するにも知る者が何処にいるか不明瞭であるというのは危機管理の面で問題である。
「他にもあるだろうな。調査させる必要がある」
トウカは溜息を一つ。
困った置き土産であり、機密や念の為、こんなこともあろうかと、を好むマリアベルであれば、他にも地下通路があっても可笑しくない。今回発見された地下通路が見せ札に過ぎず、本命が別にあるという事も有り得た。
「埋蔵金を期待していたのですが」
マイカゼの暢気な言葉に、トウカは的外れだと断言する。
マリアベルとトウカの精神性は極めて近しい。トウはマリアベルがフェルゼンの地下に資産隠蔽を図るとは考えなかった。
「馬鹿な事を……俺がマリィなら貴金属はシュットガルト湖上の島にでも隠す。都市の地下では再開発で面倒事になりかねない……まぁ、紙幣は他国の銀行に他人名義で分散して隠すだろう。預けられない資産は……そうだな。船舶に隠すというのも有りだな」
沈没の危険性はあるが、船倉最奥に仕舞い込んで封鎖しておけば、そう簡単に露呈するものではない。民間船舶であれば、有事でもない限り沈没の可能性は極めて低い。 有事に陥ったとしても遠方の国家間の貨物輸送に従事していれば戦火からは容易に逃れられる。
マリアベルの動きをトウカは推測する。
それは凡そに於いて間違っていなかった。
そうした事実を知らず、トウカはマリアベルの置き土産に思いを馳せる。
「退屈させない女だな、本当に」
クレアが調査を命じる為に退室する背中を眺めつつも、トウカは死して尚、困り事を持ち込むマリアベルを想う。
「わたしもたんけんしたい」
「ああ、そうだな。マイカゼと後で見に行くといい」
危険はない、とトウカは見ていた。
発見された地下通路の性質上、迅速な移動を重視して要らぬ障害物や防護扉の設置はしていない筈であった。マイカゼも危険源があったとは言及していない。敵との遭遇戦など考えず、迎撃するなら出口を爆薬で破壊する。複雑化で工期の長期化を招いて関係者が増えて機密保持が画餅に帰す事こそを恐れるだろうとのトウカの見立て。
「母娘水入らず、だ。政略とは言え、本来は離れるべきではないのだ。偶にはこうした機会もいいだろう」
地下通路で家族団欒というのは実に奇妙であるが、そもそも皇国北部が特異な地域なのでトウカは容易に割り切れた。
「あら? では陛下も見学に入らっしゃいますか?」
マイカゼの提案。
家族水入らずに加わるのは憚られると考えたトウカだが、シラユキが袖を掴んで見上げてくるので一緒が良いらしいと嘆息する。家族みたいに見えるな、という言葉が脳裏を過ったが、トウカはマイカゼの嫋やかな笑みに裏がある様に見えて腰が引けた。
「……まぁ、マリィの遺品と言えば遺品か……仕方ない。居城であるし確認しておくべきか……護衛の準備を。閉所戦闘を想定した装備で一個小隊を庭園に至急派遣」
トウカは仕方ないと、扉に控えていた狐系種族の鋭兵に命令を伝える。
閉所であるので小銃などは取り回しに難があると武装まで指定したが、トウカとしてはマイカゼと家臣団が通路として利用し、死者や負傷者が出たとは聞かないので念の為という以上の意味はなかった。
「じゃあ、しゅっぱつ!」
シラユキがトウカとマイカゼの手を取る。
微笑ましいと周囲の鋭兵達が向ける視線の中、 三人は部屋を出た。
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