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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》

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第四〇〇話    空挺作戦 後篇




 自由落下が始まった。


「――ッ‼」


 自身が何かを叫んでいるらしいが、クレメンティナにはそれが何か分からなかった。


開いた口から寒風が吹き入り歯茎と喉を冷して痛むので咄嗟に口を閉じるが、頬を打つ寒風ばかりは防げない。風を通し難い厚着をしてこいと言われその通りの服装で来たクレメンティナだが、寒風は問答無用で衣服を侵食する。


 青と緑に区切られた世界。


 空と大地。


 陽光が照らすその光景にクレメンティナは目を奪われる。


 寒風を忘れる程に雄大な光景であった。


 その光景に白い花々が咲き始める。


 先行した空挺兵達の落下傘が開き始めた。


 美しいと素直に思える光景だが、急に上へと引っ張られるような感覚と共にクレメンティナは帯紐に締め付けられて肺の空気を吐き出す。


 アリカが落下傘を開いた為に急減速したのだ。


 忽ちに景色が速度を失ってゆく。


 近づく緑。


 森林ではなく草原に見えるものの、起伏の有無は上空からでは分かり難いが、落下傘による白い花が次々と地に伏せる姿に着地は大丈夫そうだとクレメンティナ気を引き締める。地形的に問題がないというのに派手な怪我をするのでは詰まらない。


 みるみると近づく地面。


 アリカの手がクレメンティナを強く抱きしめる。



 衝撃。



 青と緑が何度も入れ替わる。


 視界が回転する。


 クレメンティナを抱き寄せたアリカが地面を転がり、そして止まる。


 身体の節々への衝撃にクレメンティナが唸る中、アリカは手早く腰に佩いた戦闘短刀で落下傘の紐を切り離すと、自身とクレメンティナを繋ぐ紐も切る。立ち上がったアリカがクレメンティナに手を差し出す。


 その手を取ってクレメンティナも立ち上がる。


 一面の草原地帯。


 遠方に見える都市とそれを取り巻く農地。


 周囲に集まる空挺兵達。


 ラムケを中心に集まっているのは風貌から目印にしやすいのだろうと、クレメンティナはラムケへと近づく。短機関銃を手にしてアリカもそれに続く。


「前進して歩哨とかを拘束したりしないんですか?」


「交戦状態にあるならば、そうするのが正しいのでしょうね。でも、戦争をしに来た訳じゃない」


 そう言えばそうだった、とクレメンティナは思い出す。決して着地で頭をぶつけて忘れてしまった訳ではないが、武装した空挺兵の群れを見ると一戦起きるのではないかと考えてしまう。


「行進して街へと入場するらしいわ。機銃掃射でもあれば死屍累々よ。矢面に立つのはラムケ将軍と空挺兵に任せましょう」


 空挺兵にも魔導士は存在するので魔導障壁の展開は可能だが弾幕による飽和を踏まえると安心できるものではない。遮蔽物に勝る防護措置はなく、そもそも魔導障壁の展開は目立つ為に集中砲火を受けるので結局のところ生存率は低い。


 隊伍を組んで行進を始めた空挺兵。


 軍の近代化は散兵化の歴史であると書籍で知ったクレメンティナだが、状況次第なのだろうなぁ、と牧歌的な光景の中で整列する兵士達の威勢を見て思うしかない。


 何処からか管楽器を取り出して吹く空挺兵に、こうした任務を用意する天帝陛下の国家戦略は大丈夫なのだろうかと不安にならざるを得ないクレメンティナだが、アリカは別の印象を持っていた。


「敢えて所属と場所を示す事で不慮の戦闘を避けようとの判断でしょう。幾つもの軍旗と演奏……命を張るのが兵士の役目とは言え、奇妙な形ね。私は願い下げよ」


 当然ながら憲兵の役目は行進(パレード)の真似事ではないが、空挺兵とてそれは同じであった。


 しかし、当の空挺兵達は愉し気である。軍歌まで歌い始める始末であった。


「空挺なんて目立ちたがり屋がするものなのよ」


 クレメンティナの胡散臭い表情に、アリカが指摘する。


 確かに目立つ兵科である。


 敵地上空で空中に巨大な落下傘で居場所を示しながら降下するのだ。戦場で命懸けの存在証明をしていると行っても過言ではなく、対空砲火の良い的である事はクレメンティナにも容易に察せる。


「確かに天帝陛下も帝国に目立ちに行った感じですもんね」


 政治的演出としては満点であった帝都初空襲。


 今になってみれば、国内諸勢力の蠢動を抑えるという面が多分にある事は確実であった。遠方でも爆弾と兵士が降ってくるという事実の証明。勿論、陸海軍に力量と軍事技術を見せ付ける事で皇州同盟軍が武装勢力として埋没しない様にとの意向もあったのかも知れないが、トウカは燦然と敵首都に降り立ち、乱暴狼藉を働いた。


 そんな真似をする者を敵に回す訳にはいかない。


 端的に言えば、そうした意識が働いた。


 天下に敵対者には容赦しないよ示したのだ。


「意表を突いて相手の動きを委縮、混乱させ、その間に状況の打開や包囲を図る……天帝陛下の得意技ね」


「それ、政治とか外交の選択肢じゃないと思うんですけど?」


 軍事行動なら良いだろうが、政治とは意見交換や議論によって進展させるものである。騙し討ちや恫喝は常道ではない。実情として外道とも言い切れない部分はあるが、少なくとも常態化されるべきものではない。


「理想論ではそうでしょうね。でも、既存の政治家や貴族には経済情勢の悪化を止められず帝国の脅威も排除できなかった。その中で天帝陛下だけが成果を出した。しかも、後者は天帝の立場もなく成し遂げた」


 それが偉業であるのはクレメンティナも渋々であるが認める所である。


 考えてみれば、帝国を退けたのは天帝即位前で天帝の権威なく為したという事であり、クレメンティナは改めて卓越した力量であると認識すると共に、だからこそ陸海軍が従うのだろうと納得した。国軍が即位前の地方叛乱勢力の総指揮官を認め、対等の立場を許容し、即位後はいち早くそれを積極的に支えた。それは紛れもなく軍事力の暴走であり法を逸脱した話である。


 それでも尚、為したのは決してトウカが天帝の資格を携えていたからだけではない。少なくとも半分はその軍事的力量に根差した信任であった事は疑いない。


「それなら選挙でもっと良い政治家を選ぶべきじゃないんですか?」


「それも理想論ね。残念だけど、何度選挙を経ても無理だった。その間にも所得は減り続けた。しかも、そうした問題は国会の権限拡大が必要になる側面もあるけど、議会制度主体の共和国があの無様では、その変更によって諸問題が解決するという意見の妥当性は大いに毀損される」


 そう言われるとそうだった、とクレメンティナは思い出す。


 何ならば、帝国軍撃退後の選挙結果による国会も酷いものがあった。右派議員が幅を利かせたが、何かが解決するという事はなかった。軍事的脅威に対抗すべく軍事費のの大幅な拡充が決まっただけでも救いがあるが、強いて言うなればそれだけである。


「そうなると実績があり、より即効性のある主張をする者が脚光を浴びる。時間がないのだもの。負けが過ぎれば博徒も一発逆転を狙うでしょ?」


 政治は博打ではないが、金銭的余裕がなくなれば即効性のある政策を求めてそれを高らかに主張する人物を支持するというのは理解できる話であった。トウカの経済再建宣言の前には報道の自由など大部分の臣民が気にも留めなかった事実がある。無論、報道の自由に関しての制限は過度なものではなく、報道機関の信頼の失墜を狙うという基本方針であった事も大きく、トウカは直接的な制限が反発を受ける事をよく理解していた。信頼を損ない影響力を削げば同様の効果が期待できると彼は知っていたのだ。影響力無き政治は有り得ない、と。


「うーん、そうなると陛下は一発逆転の大穴狙いですか?」


「そうよ、確かな軍事的力量を持ち、歴史と伝統に裏打ちされた権威を有し、神々の推認を受けた権力を持つそれが一発逆転の大穴に見えるなら」


 臣民がトウカを支持する流れは当然であり、その危険性を主張し、懸念を示す者は即効性のある代案を提示できなかった。


 アリカからするとトウカの躍進は当然であったが、報道関係者のクレメンティナからすると耳の痛い話である。


 臣民は正論や正統性を望んでいたのではない。そんなものに目を向ける余裕などなく、ただ賃金を増加させる経済状況の是正こそを求めていたのだ。無論、クレメンティナも経済状況が問題視されているとは理解していたが、臣民が天秤を見て経済を最優先し、それ以外が乗せられた皿から目を背けたという考えはなかった。正論や正統性、そして自由すら余裕のある者達の玩具に過ぎないのだ。


 余裕がないのだ。


 経済以外は妥協する。


 その結果がトウカの支持である。


「私は天秤に乗せられていて、その上で臣民に選ばれなかったって事ですか……」


 しかも、トウカは表面上、言論や権利の制限をしていない様に見せる事に秀でていた。有事が近く、臣民が制限も仕方がないと考えるであろう部分にすら神経質であったとも言える。


「違うわ。天帝陛下はね、天秤に掛けさせたのよ。選択肢を示し、判断を迫る。実際、その判断自体が必要だったのか。 まぁ、猶予がないと見たのでしょうね。 その辺りを理解して妥協点を探る力量を持つ者が貴女の業界側に居れば少しは風通しも良くなっていたでしょうけど」


 政治との交渉は報道の役目ではないと言いたいが、政治記者が居るのだからある程度の理論武装があっても良かったのは確かである。先皇の遺訓に固執した外務府と心中したのは今となっては明らかに失 策であった。


「天帝陛下に批判的なんですね。記者の私が言うのもなんですけど」


「まさか。評価しているわ。政戦両略の覇者。ただ、実情を客観的に言うとそうなるという話よ。国家にとっての正しさが個人の心情に必ずとも寄り添うものとは限らないという事ね」


 心情に寄り添うという言葉をクレメンティナは言い得て妙だと感心する。


 合理性や同調とは異なる個々人の感情に根差した正しさとの比較というのは突き詰めれば際限がない。


「興味深い御話ですな……」


 背後からの声。


「貴方……いえ、貴官は確か……」


「フランツ・フォン・エップと申します。ああ、其方の憲兵殿は御存じかと思いますが」


 柔和な笑みを浮かべた老人。


 聞き慣れない名前であるが、皇州同盟軍の軍装を纏う姿を見れば立場は明白であり、しかも階級章は中将である事を示していた。


「此方は皇州同盟軍のエップ中将、我が軍では数少ない交渉のできるお方よ」


「交渉……」


 交渉と軍事力行使が等号である皇州同盟軍の交渉とは?という疑問が脳裏を過るクレメンティナだが、他地方、それも中央地域出身のクレメンティに対して敢えて交渉と口にして紹介するのだからクレメンティナの想像する通りの交渉に長けた人物なのだろうと今一度、 エップを見る。


「今作戦では特使を任されましてね。中々どうして天帝陛下も迅速でいらっしゃる。 老人としては若人の無理を支えるは本懐なれど、寝起きの訪問は些か困りますな」


 肩を竦めるエップ。


 天帝陛下が訪問するというのは凄まじい話である。トウカは前線指揮官の経験もあるが指揮官が戦場を歩き回って状況確認をする事と、国家指導者が部下の自宅を気軽に訪問するというのは性質の異なる話である。


 ――とは言え、権威者が自分に合いに来るというのは文句を言えども嬉しいんでしょうね。


 信頼の証とも重用の証明とも取れる上、親類縁者からするとその出来事だけで子々孫々に自慢できる話となる。警護関係者は心労が増加すること甚だしい話でもあるが、 計画的な行動よりも予知し難い突発的な行動の場合、襲撃が難しいという側面もあった。


 少しエップも嬉しそうである。


 トウカが高齢者に好かれるというのは強ち間違いではないかも知れないとクレメンティナは納得する。人間種のトウカからすると恋人のミユキも愛人のマリアベルも年齢的に見て高齢者であるという閃きをクレメンティナは口にせず、そっと胸に仕舞い込む。乙女の年齢を揶揄するべきではない。


「とは言え、突然出た話を纏めてこい、とは随分と御親任を頂いている様子ではありませんか?」


 アリカの指摘に、クレメンティナも同意する。


「去りとて、貴方の良心と、この辺りの予算内で収まる範囲で、と言うのは中々に難しい。安全保障あらば頷くとは思うがね」


 裁量が大き過ぎて逆に困惑しているという話に、クレメンティナは作戦計画が杜撰に過ぎるのではないか?と考えたが、隣のアリカは異なる見解を持っていた。


「他国との競争ゆえでしょう。勿論、共和国が別動隊を以て小賢しく戦争から離脱しようと試みる勢力を粉砕しようと試みる可能性もあります。既成事実化が早いに越した事はないと考えての事やも知れません」


 拙速を尊ぶ状況であるとのアリカの言。


 早い者勝ちってことなのかぁ、とクレメンティナは状況を理解する。


「或いは部族連邦との交渉を有利に進める材料とする心算かも知れませんな。あの国は此方の方面に皇国を関与させたいと考えている節がある」


 エップの指摘にアリカが同意する。


「あり得るやも知れません。咄嗟の作戦とするには些か広く噂されておりました」


「態と広めて交渉の時の圧力にするって事ですか? あ、事前に対応してるから騒ぐなって雰囲気出したりする感じですか?」


 特種であり見逃せない話であると、クレメンティナは胸を高鳴らせる。


 クレメンティナに流れる程度の話であり、そしてある程度の漏洩を前提にした計画であるというならば新聞記事にしても良いのではないかという皮算用。


「あの誇大妄想の戯言も記事にする許可を貰ったでしょう? まだ必要なの?」


「あれは陰謀論なんて掴まされて恥ずかしくないのかって言われて同業者に叩かれたんで、次はもっと良い感じの特種が欲しいんですよ!」


 心からの叫びである。


 幸いにして空挺兵達の軍歌に掻き消されるが、クレメンティナからするとそれどころではない。一応、円満に送り出されて軍属になったというのに、胡散臭い情報と写真ばかりを送り付けていては沽券と給金に関わる話である。新聞記者と軍属で二重取りをしている給金も減ってしまえば台無しであった。


「ふむ、ではクローベル辺境伯との談話の際に聴取(インタビュー)でもいかがかな?」


「……うちの子犬を甘やかして貰っては困ります」


「くぅん」


 アリカがクレメンティナの頭をぞんざいに撫でる。鉄帽の上からなのでいつも以上に揺れが酷い。


 しかし、クローベル辺境伯との対談の場に加わる機会があるというのは、新聞記者としても軍属としても望ましい話であると、クレメンティナは見た。幼い子を抱えた妙齢の貴婦人の苦節という特種の好機であるし、軍属としても皇国の南方政策の要衝となる上、ヴァレンシュタイン上級大将暗殺未遂事件に関連した情報収集を踏まえると連合王国領土であった点は大きい。


「貴官らの噂は聞いているよ。耳目を集めるなら盛大にせねば」


 エップが肩を竦める。


 良からぬ噂である事は間違いないが傍目にはとてもそうは見えない柔和な仕草でエップは指摘して見せる。茶目っ気がある仕草でもあり、クレメンティナは北部にも皇州同盟軍にもこうした人物が居るのかと驚く。


「それは……そうですね……ですが、話が上手く纏まればの事です」


 アリカは行進する空挺兵を一瞥する。


 早々に集結を終えて行進して見せる空挺大隊は高い練度を窺わせるが、所詮は軽歩兵の一種であり、聯隊規模の兵力との衝突では練度と装備に差があっても危ういとのアリカの懸念はクレメンティナにも伝えられていた。


「航空支援は期待できますが、市街戦ともなれば困難も多い。市街戦は兵士を溶かすというのは天帝陛下の意見でありますから」


「爆撃しちゃうと民間人の死傷者も一杯出るから併合の話も御破算になっちゃう気がします」


 偶発的な戦闘が拡大して飛び地に戦線とも呼べない戦域が形成されるという悪夢。


 一応、部族連邦経由でクローベル辺境伯領とは街道が接続されているが、部族連邦の街道は耐荷重と幅の面で難がある。皇国陸軍の大型輸送車輛では満載状態で通過できない上、隘路が多く事故の多発が予想された。そうした地形的要因を鑑みて追加戦力も輸送騎で工兵を派遣し、飛行場を整備してから往還輸送で展開するという計画となっていた。


「そこは不慮の戦闘が起こらぬ事を祈るしかないでしょうな。起きても最小限に留める努力をしなければなりますまい」


 中々難しい事を言うというのがクレメンティナの正直な感想であった。


 ラムケなどはそうした手加減ができる人物ではなく、そもそもそうした配慮を想定した面々である様にクレメンティナには見えなかった。


 ――最悪、全滅してもその非を咎めて爆撃で市街地を灰燼にするとか考えそう……


 土地だけあればよいので理由を付けて現地住民が居住できない環境にしてしまえば良いという考えがあっても不思議ではない。敵は屍の山として積み上げるものであるというのが当代天帝の方針なのだ。実際のところ、戦闘状態となった場合は隣接する部族連邦領土に航空支援を受けながら後退する事になっており、無策という訳ではなかった。


「その懸念は杞憂に終わりそうです」


アリカは双眼鏡で領都である城塞都市を覗き見て溜息を吐く。


 クレメンティナはアリカから双眼鏡を受け取り、エップは首に掛けていた自前の双眼鏡を手に揃って城塞都市を観察する。


「城壁の上の兵士……時代劇で見る騎士とかみたいです……しかも、弓矢とか持ってますよ。城壁の対空砲? あれって連弩ってやつですよね?」


 驚くべき時代錯誤である。


 戦闘教義や武装、兵器が違うという話ではなく時代が違う。本土決戦にしても酷いのではないかと思うが、何よりも目を引くのは全身甲冑を纏う騎士である。無論、皇国にも装甲兵という魔導甲冑を装備した兵科が存在するが、それと比較しても余りにも時代錯誤な形状をしている。近代魔術を用いた各種強化が施されている様には見えない。


 弓矢も刻印可能な面積が多い為、銃器に一方的に劣るという訳ではないが、そうした強化は近代兵器と比較すると高価となり、それらを主兵装とする国家は存在しない筈であった。よって大部分が飛び道具として弓矢を手にしているという事は、費用対効果から考えて近代軍の軍用相当の強化が施された弓矢とは考え難い。


「二〇年程度の技術的劣後があるとは聞いていたが、その程度では……あの城壁の魔導障壁は年代物ですな……歴史の教科書に載る類の」


 エップは眉を潜めているが、クレメンティナとしても壊してしまうと寧ろ歴史的価値のある建造物の破壊という意見が飛んでくるのではないかと思える程の光景だった。


「騎士は兎も角、兵士の軍装も統一されていない。掻き集めたという実情を隠す余裕すらないという事だ。誰かに縋りたくなる……交渉などしている余裕すらないということだろう。ここまで深刻とは……」


 もし戦闘になれば、異文化衝突よりも異時代衝突と言うべき案件である。


 クレメンティナは粗末な光景に憐れみを覚えた。この有様を見れば、他国に縋りたくもなるし、トウカが軍備拡大による国防に邁進する理由も理解できなくはなかった。


 面白半分に追い回されて殺されるに終始する程の兵器技術の差。


 落下傘で投下された物資には、対戦車小銃や重機関銃、小銃擲弾、対戦車擲弾筒もある為、十分以上に対抗できる。城壁はあるが、壁外に利用できる遮蔽物が見受けられた為、一方的に撃ち下ろされる可能性を軽減できた。


「天帝陛下の高度な柔軟性と臨機応変な対応は正しかったという事ね」


「失敗しても航空艦隊で挽回できますからな。事を損じても全て焼いてしまえば宜しい」


 アリカの言葉に、エップがどの道、許容範囲に収まるとと断言する。


 クレメンティナとしては草原を流離う風が首元を撫でるが、それが首筋を刃が撫でている様で居心地の悪さを覚えた。


「行き当たりばったりも焼いて隠滅できるなら収支が合うって事ですか? 酷い話です」


「御嬢さん、国家指導者なのだ。酷いくらいが丁度よい。先皇は優しさに付け込まれたゆえ」


 残酷なまでの現実主義。ヒトの生命までをも数値化して国益に変換しようという狂信。以前のクレメンティナであれば反発心を覚えたであろうが、アリカと近しい関係になって以降は遣る瀬無さが勝る。


 ――生命を賭す機会が日常になって、自他関係なく生命を客観的に扱う事に慣れちゃった人達なんだ。


 皇国北部は長きに渡り準戦時体制を維持していた。帝国と中央政府を仮想的と想定した絶望的な挟撃に対応すべく防衛計画の準備を二〇〇年近く続けていたが、そこには幾度もの小競り合い……軍事衝突や治安戦が存在した。その経緯から、死線を渡り歩く事は北部貴族の各領邦軍から戦力抽出をして成立した皇州同盟軍の軍人達にとっては日常に等しかった。特にヴェルテンベルク領などは輸出入の一大拠点であった為、匪賊や間諜の跳梁跋扈著しかった。帝国は傭兵を海路で機密理に送り後背を乱さんとし、匪賊に資金を与えて重武装化を図った。中央政府も査察や威力偵察を前提として中央貴族の領邦軍との小競り合いを黙認する事があり、北部貴族の各領邦軍は実戦経験という意味では豊富である。


 その環境に合わせて北部という共同体を存続させる為、死生観も変質した。


 北部の共同体の為という概念が常に念頭にある。


 道理や政治思想は後付けに過ぎない。


 それは、外からは狂信性に見えるだろう。


 だが、北部の、それも将校からすると異なる見解がある様にクレメンティナには見えた。彼らはその姿勢に合理性を見ている。


 効率的な死こそが被害……死者数の最小化に繋がる。


 そう信じて疑わず、そこに自らも含まれる事を理解している。


 確かに狂信と狂気を感じるが、彼らはそれを軍人としての冷静や冷徹だと確信している。


 他地域や陸海軍と精神性(メンタリティ)が決定的に異なる訳である。無論、軍事組織であればそうした傾向はあるかも知れないが、戦死者の出る日常が常態化していた皇国北部ではその傾向に大きく拍車が掛かる。ある種の全体主義であるが彼らにそうした意識はない。


 戦争遂行に当たっての合理性の産物なのだ。


 しかも、その軍人達に合わせて政治と経済を変質させる事二〇〇年近くそれが北部全体の総意となるのは自明の理であった。


 ――だから、北部臣民はこうなんだ……


 ほぼ志願兵だけで大規模な内戦と帝国軍による侵攻を乗り切ったのは、北部臣民もそうした総意の下での戦いに慣れ、受容しているという事である。


 場末の居酒屋の大将も肉屋の店主も肉体労働に勤しむ工夫も作付けに励む農民も工業製品の生産に従事する工具も日々数字と相対する小役人も……そうしたものと割り切っているのだ。


 北部が生き抜く為、種の存続の為、死に向かって隊伍を組む事を必要であり仕方のない事だと割り切っている。


 狂っていると評するのは容易い事だが、それを必要とした状況を思えば非難する事は難しく、同時に内戦と帝国軍の脅威を乗り越えた実績がある。成果あるものを否定するにはそれ以上の成果が必要があった。


 故に北部臣民はこれからも変わらない。変わった様に見えても本質は変わらない。


 北部は皇国とは異なったままであり続けるのだ。


 一度、成功したのだ。それを踏襲する事に何の憚りがあるというのか。


 クレメンティナはそれを悲しく思うが、きっとそれはどうにもならないとの諦観もあった。常識にまで昇華した日常が変わる事を彼女には想像もできない。自らの職業である報道という業界に関してですら、何時か不誠実の代償を払う事になるだろうという予感はあったが、その日を想像できなかった。そして、彼女自身それまでには十分に稼いで業界から逃げ出せばいいと考えていたのだ。


 尤も、責任を取れ、と強要した若き天帝の神速の政策の下での転換の前には業界から逃げ出す余裕もなかった。専門性などない報道関係者を前職とする者を雇用するならば他にも人材はいるとばかりに雇用条件は悪くなる。クレメンティナも逃げ遅れた一人であり、だからこそ特種で一発当てて状況の打開を図ろうとした。


「戦闘となれば森林地帯に逃げ込んで遊撃戦が妥当と考えておりましたが、踏み込んでも良さそうですね。あの様子なら城壁も脆弱な部分があるかも知れません。探してみるべきでしょう」


「周囲の農耕地に農民の影があるので聞き込みも叶いますな。逃げ出す気配もない。長閑なものです」


 アリカとエップは揃って絶望的な撤退戦の可能性は乏しいとの見解を示す。


 確かにクレメンティナから見ても牧歌的な光景であり戦火の印象には繋がり難い。何なら行進する空挺兵に手を振る農民の姿も見受けられる。敬礼で応じる空挺兵。軍事行動というよりも兵隊ごっこである。


 こうなっては離れる方が危険だと三人は空挺兵達の後を追うが、クレメンティナとしては写真を撮る為に先行したいところであった。しかし、アリカがそれを許すとは思えず、仕方なく行進する空挺兵達の後ろ姿を撮影する。領都クローベルをも収めた一枚は後に皇国で紙面を賑わせる事になるが、現在のクレメンティナはそれを知らない。


「城門から集団が展開しつつありますね」


 双眼鏡を覗くアリカの言葉に、クレメンティナも城門と思しき通用口を凝視するが、確かに人影が蠢いているのは窺えるものの、それがどの様な職種と人数かまでは把握できなかった。余りにも遠く、そして魔導封止の影響から遠視の術式を利用する事は許されない。


「使用人? 上等な身形の者も居ます。これは……」


「辺境伯本人やも知れませんな。阿呆ではないという事でしょう」


 アリカの観測に対し、エップが感心する。


 交渉に於いて主導権を握ろうと考えてるのか、或いは歓心を買う事でより良い条件を引き出そうという試みの一環なのかまでは判断が付かないが、クレメンティナとしては特種の好機だと張り切る。三人は空挺兵による隊伍の後を進む。


 徐々に鮮明となる人影。


 確かに先頭に立つ者達の身形は良く、恐らくは貴族だろうと察せるが、その周囲の者達も帯剣しているものの甲冑ではなく一般的な軍装なので戦闘の意思がある様には見えない。


「ここからは当官の出番ですな。では、これにて」


 駆け足で空挺兵の隊伍、その先頭へと向かおうとするエップ。


「私達も行きましょうよ」


「まぁ、大丈夫でしょうけど……どの道、不良神官を抑えないといけないわね」


 アリカが溜息と共にクレメンティナへと同意する。


 二人も駆け足でエップを追い掛ける。


 ラムケが無意味に軍旗を振り回している光景が見えるが、それを無視してその横に立つ士官へとアリカが駆け寄る。


「空挺大隊指揮官殿……意見具申宜しいでしょうか?」


 敬礼と共に問いかけるアリカは、一瞬の驚きを見せた壮年に差し掛かろうかという顔立ちの空挺大隊指揮官が一拍の間を置いて頭を掻こうとするが、鉄帽の上からと気付いて彷徨う手を敬礼へと転じさせる。


「おや、昇進した同期の名は呼びたくないか? 中尉」


「いえ、ヘイルマン少佐。素行の悪い同期を知らぬ存ぜぬで済ませたいという可能性に配慮したまでです。他意はありません」


 あくまでも善意であるから邪推するなという中々に横柄とも取れる形で応じたアリカ。 女性関係だけが昇格を阻む理由ではない傍証がそこにあった。


「寡婦との遣り取りに加わりたいという話か? それは特使殿に聞くといい。私はあくまでも要請在って暴力を振るう立場に過ぎない」


「ええ、同意します。しかし、事前に話を通すという配慮と健気は必要かと」


 なんて酷い言い草だとクレメンティナは顔を引きならせる。


「という訳でありますが、特使殿に在っては宜しきを以て受け入れられましょうか?」


 隣を歩くエップに雑に同意を求めるアリカ。


「構わないとも。貴官らの役目は理解している。目を引くのは良い事でしょう。それに陛下も見栄えの良い写真を望まれるに違いない」


 エップは容易く受け入れる。


 それを望んでいたとはいえ、中々に居た堪れない場所に席を用意されたとクレメンティナはアリカを睨む。


 少し距離を置いた二人。


「彼、士官学校の頃に同期に恋人が居たのだけど、その恋人が私に懸想したの……だから色々と楽しんだのだけど……彼には同性だから気にしないで、と言ったのだけど何故か気に入らなかったみたいで」小さい男よ、と肩を竦めるアリカ。


 恋人が同性に懸想した挙句に寝取られるというお話。


 クレメンティナとしては全面的にアリカに非がある話でしかないので、同意できる部分が一つとしてなかった。女だが女の敵である。そして、男の敵でもある。つまり全人類の敵である。


「その一件があるから中古品は嫌なのよ。狭量な男に繋がっているなんて面倒極まりない」


 精神的に他者が触ったものを厭うような感覚から男性経験のある女性を嫌厭していたものとばかり考えていたクレメンティナだが、事実はそれよりも更に自己中心的なものであった。清々しいまでの外道である。


「それに比べると自己中心的な貴女は男も面倒も寄ってこないから良いわ」


「え? それ貴女が言うんですか?」


 酷い女に酷い女と言われたクレメンティナは大きな心障を負った。


「貴女の方が酷いですからね? 胸に手を当てて罪を数えてくださ、違いますよ自分の胸です! 私のじゃないです阿保なんですか⁉」


 クレメンティナは渾身の当身を御見舞しようとするが、容易く捕まえられて小脇に抱えられる。


「まぁ、碌でなし同士で傷を舐め合っているという事でいいでしょう?」


「なんですかそれ! どっちも悪いみたいな落としどころ止めて貰えます?」


 喧嘩両成敗の如き発想であるが明らかに無理のある話であり、クレメンティナナからするとアリカの落ち度を折半するようにすら聞こえた。


 アリカの腕から抜け出そうとするクレメンティナだが、エップがその光景に首を傾げる。


「二人はどの様な御関係で?」


「お気になさらず、これは私の寝具です」


「違いますよ。人様を嗅ぎ回る薄汚い野良犬です」


「……取り合えず、交渉の際は口を挟まないでいただけるかな?」


 これは拙いと見たエップは早々に交渉時の沈黙を要求する。


 屈折した関係を理解するよりも、早々に沈黙を要求するところに即決即断を旨とする皇州同盟軍らしさがあるが、アリカとクレメンティナは顔を見合わせる。


「閣下、御心配なく。寝具は言葉を話しません」


「わんわん!」


 話が通じないと見たエップはラムケを一瞥するが、どうにもならないと見て沈黙を余儀なくされていたが、二人は押し切ったと揃って得意気な顔をする。


 特設調査班は大いに耳目を集めていた。



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