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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》

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第三九九話    空挺作戦 前篇





「うーん、殺意が高い」


 この憲兵徽章と捜査令状が目に入らぬか、入らぬと嘯くならば物理的に節穴の目に捻じ込む所存である、と言わんばかりにフェルゼン内の非合法組織の巣窟へと雪崩れ込む憲兵隊の姿に、クレメンティナは法律と法規が不在の状況を憂えた。憂える余裕があるともいえる。


 端的に言うならば他人事である。無論、金銭と名誉になるならば記事とする。記者なのだから当然である。


 隣に立つアリカは腕を組み双眼鏡で突入の様子を確認している。


 クレメンティナは背後の軽迫撃砲陣地を一瞥した。


 ――憲兵が迫撃砲を装備して、しかも街中でなんて凄い時代だなぁ……


 何ならば、不在確認の為に扉を叩く役目は榴弾を装備した対戦車迫撃砲(パンツァーファウスト)である。


「兵器品種を絞っての大量生産とは言え、憲兵の装備も充実したものね」


「生かして捕えるって前提がなくなってる気がします。野蛮ですよ」


「危険を冒してまで捕えるなんて偽善の為に憲兵を危険に晒すのは愚策よ。相手の罪が確定しているなら距離を取って始末してしまう方が安全でいて時間も掛からない。まぁ、人質が居たり、情報を聞き出さねばならない場合は話が変わるのだけど」


 今回も情報を聞き出す為”ある程度”は捕縛者が出ると指摘するアリカ。


「もう五件目なのにそれらしい情報が出ませんね」


「ラムケ少将の大暴れで目立っているので、任務としては成功でしょう? 上は目立って欲しい見たいだから」


 ラムケは突入作戦に参加しており、今も視線の先で人相の悪い面々を殴り付けている。


 三人は目立つ事を目的とした特設調査班としてかなりの裁量を与えられた為、怪しい情報のある、或いは非合法な活動をしている組織の拠点を憲兵隊と共に急襲している。憲兵隊も特設調査班に協力するという形で踏み込む為の手続きを大幅に短縮できると協力的であった。


 特設調査班は統合憲兵総監であるクレアの命令によって成立し、ヴァレンシュタイン上級大将暗殺未遂事件の調査である事からトウカの影も窺える。権限と権威の面から掣肘を加え難く、憲兵隊も諸問題解決に至るまでの時間と手間を大いに削減できるならばと、初日こそ現場は否定的であったものの、その事実に気付いた二日目からは大いに乗り気になった。


 特設調査班と聞けば特殊な組織に聞こえるが、所詮は三人で指揮系統上はクレアの直率であるとはいえ、連携組織など皆無に等しく受動的であれば情報など入ってこない。故に積極的に他組織と連携し、情報を得ていく必要があるが、特設調査班に差し出せる対価などありはしない。なので直接関係性の乏しい案件での突入作戦への協力で、諸般の手続きを特務という扱いにする事で大幅に簡略化するという実利を提供した。


 憲兵隊に特設調査班の曖昧な立場を最大限に利用させ、任務を簡略化させる事で対価とし、各種情報を用意させる。無論、戦力が必要となる場合も拠出させる。アリカの考えた方法であり、当人曰くクレアの手を程々に煩わせる点が良いとの事であった。


「高官であるラムケ少将が黒と言えば黒になりますもんね……現場は血で真っ赤ですけど……」


 限度はあるだろうが、非合法組織を叩いて耳目を集めるという役目は果たしている。とは言え、完全に無関係な案件ばかりでは問題なので、憲兵隊も暗殺未遂事件に関連があるかも知れないと見た案件を幾つか見繕っていた。


 投げ出され、有刺鉄線の柵に叩き付けられた怪しげな人型を尻目に、クレメンティナは良い様に使われている、と撮影機で写真を撮る。


 フェルゼンの領都憲兵隊から首都憲兵隊に改編された憲兵隊の活躍が明日の朝刊で大々的に報じられる事は間違いなかった。


 元々、フェルゼンはヴェルテンベルク領であるものの、皇州同盟軍最大の策源地でもある為、領都憲兵隊はヴェルテンベルク領邦軍ではなく皇州同盟軍に属していた。内戦中からの編制と指揮系統であるが、当代ヴェルテンベルク伯マイカゼが異を唱えなかった為そのままとなっていた。領地の枢機を護る領都憲兵隊が領主貴族の指揮下にないという例は他に存在しないが、マイカゼからすると予算を拠出せずに治安維持をしてくれるのだから悪い事ではないと丸投げの構えであった。最悪、何かあれば責任を負う必要もないという打算もある。苛烈なまでに割り切る辺り、マリアベルを彷彿とさせるが、彼女は指揮権だけは必ず握り締め続ける。


 憲兵隊一つ増えたところで帝国軍や皇州同盟軍、陸軍と対峙して寡兵である事に変わりはないという割り切りもある。他者を頼る……利用する事に長けたマイカゼらしい判断と言えた。


「御給金は良いですけど、こう名が知れ渡る様な写真も撮りたいですね」


「ふむ…….そうね。一つ、踏み込んだ動きをしてみるというのも有りかも知れない」


 クレメンティナの望みに、アリカは一考の余地があると否定はしない。


 頭を髪が派手に乱れるまで撫で回されると思って身構えていたクレメンティナは拍子抜けするが、同時に乱暴に構って貰えなかった事を少し残念に思う。


「今朝に聞いた話だけど空挺の連中が慌ただしいそうよ。しかも、兵站統括部からの命令でかなりの量の兵器と弾火薬が航空基地に運び込まれるみたいね」


 空挺作戦であれば各方面への大きな影響が予想される為、クレメンティナも記者としての腕が鳴る所である。あまり嗅ぎ回ると落下傘なしでの空挺降下を強要される可能性はあるが、ラムケはああ見えても空挺軍に属する将校でもある。滅多な事はないとの打算もあった。


「考えられるのは、南エスタンジアか連合王国の端で奇妙な動きをする貴族領か……後者ね」


「えぇ? でも、大きな戦闘が起きているのはエスタンジア側ですよ。空挺作戦で支援するって事じゃないんですか?」クレメンティナはそう考えた。


 彼女自身、それなりに軍事方面の知識を得ようと最近は書籍を幾つか読んでいた。よくわかる近代戦入門。それによると空挺作戦を軍組織として大規模に行ったのはトウカが初めてである。


 古来より龍系種族を利用して敵軍後背の輜重線などを焼き討ちするべく少数を浸透させる手段は時折、利用されていたが、それは平地に龍を着陸させてのものであった。落下傘を用いて大々的に降下するというものはなかった。


 これは偏に空挺兵は装備重量に限りがあり軽歩兵であるという事実から逃れられない為である。しかも、後方に進出、敵地に降下すると言えば聞こえは良いが、実情としては敵地での孤立が前提の作戦である。全滅の公算が高い。


「南エスタンジア軍を支援すべく、北エスタンジア後方の輜重拠点への空挺降下と言えば勇ましく聞こえるでしょうけど、それは敵地での孤立を意味する上、支援に動ける付近の陸上戦力は他国軍である南エスタンジア軍のみ。そうなると連携は覚束ない。天帝陛下は投機的な作戦を望まないでしょう」


 犠牲を前提にしなければならない程に困難な状況ではない事も大きい。


 防空も未だ御座なりな相手である以上、航空戦力だけの支援でもかなりの被害を与え得る事は明白であった。空挺作戦を選択せずとも勝利は手にできる。しかも、火中の栗を拾う役目は南エスタンジア軍である。


「そもそも、航空艦隊が支援をしている上に戦艦まで展開しているのよ? 十分よ。これ以上は面倒を見切れない……負担を増やしたくないとでも考えているでしょうね」


 クレメンティナはアリカの言葉に頷く。


 軍事方面の知識を学ぶと、トウカは非常に苛烈な攻撃を行う様に見えるが、同時に被害に対してかなり神経質な面が見受けられる事も確かであった。無論、内戦や南部鎮定軍との決戦を見れば、必要とあらば莫大な犠牲を厭う人物ではないが、必要でない出費は極端に渋る人物でもある。


 ――帝国侵攻の為に戦力を失いたくないって事なんでしょうけど……


 全てはそこに帰結する。


 憎悪を撒き散らして軍備拡大を推進するのはその為であり、それ以外の軍事行動で予算と兵力を消耗させるべきではないとの思惑がある様にクレメンティナには思えた。 実際、そうした側面もあるが、トウカは納税者減少を問題視している部分が大きいので、クレメンティナの推測は部分的正解でしかない。


「うーん、でも、あの変な……なんていうのかな? 独立宣言? 堂々たる売国? みたいな動きを真に受けて動くんですか? あんな真似をしたヒトを信用するのってどうかと思うんですけど……勿論、謀略って考えるには明後日の方向過ぎる気はしますけど……」


 クレメンティナは胡乱な表情を隠さない。


 クローベル辺境伯ミュゼットによる周辺諸国への合流宣言。


 即座に軍事的防衛の意思と実力を見せる国家があるならば喜んで帰順するという泣き言。


 当然であるが、現状それに応じる国家は存在しない。交戦国である共和国は愚か自国である筈の連合王国にまで黙殺される始末で、窮状が過ぎて狂ってしまったのではないかという市井の声もある。


「足掛かりにする気になったとかですかね?」


「理由はわからないけど、その辺りでしょう。頭の悪い寡婦如き何とでもなるでしょうから」


 嫌な話であるが今は戦国乱世。


 力ある者の庇護の代償が無能な主であるなら家臣団も諸手を挙げて賛成するかも知れない。


「最近は連合王国方面も胡散臭いですよね……なんか匂うんですよね」


 連合王国は共和国との戦争で防御側に回っているが、攻め入った挙句に敗走するという無様を見て国際社会から冷たい視線を向けられている。積極的に支援する国家は存在せず、背後に存在するであろう帝国も今は支援する余裕がない。


 しかし、連合王国を取り巻く状況は急速に変化している。


 周辺諸国との国境沿いでの通信量が激増し、一部の大使館が戦乱を理由に退去し、資産の避難が相次いでいると聞けば現状の共和国との戦争だけでは済まないのではないかと疑念を抱くに充分であった。


「昨日、一緒に風呂に入ったでしょう? 洗ってあげたじゃないの」


「そういうのじゃないです! みんな聞いてるんですよ!」


 心底と呆れて吐き捨てたアリカの脛を蹴るクレメンティナ。脛は鋼鉄の様に固く、軍用衣類の耐衝撃術式は憎らしい程に健全に機能していた。


 隣に展開している通信装置の横で要らぬ半畳を挟むのは世間体に致命傷を加えかねない。只でさえ特設調査班の動きは変人ばかりの珍道中扱いされており、クレメンティナの体面を大いに傷付けていた。このままでは変態戦場記者一直線である。突き抜ければ食うに困らないという職場の先輩も居たが、突き抜ける方向にも限度というものがある。


「臭い連合王国は兎も角として、向こうに何かしらの糸口がありそうではあるのよ。 あの文章の事もあるし」


「胡散臭い団体のものですよね? 確かに連合王国方面の傍証にはなるでしょうけど攪乱かも知れませんよ?」


 とは言え、それ以外に証拠がある訳でもない。兵器と弾火薬に関しては陸軍が回収して情報部や製造企業と共に解析と流通経路を調査している為、クレメンティナ達の出る幕はなかった。地力がある組織と専門家に任せるべき案件であり、個人の調査能力が活躍する場面ではない。


「踏み込むしかない。もし、攪乱にしても罠にしても、連合王国方面に視線を向けさせる理由があるかも知れないなら探っておくべきでしょう」


「うーん、初めての海外旅行先なのに連合王国かぁ……」


 今この時代、海外への旅行というのは金持ちの道楽に他ならず、そもそも海外に赴くのは軍人や商人が大部分を占める。前者は外征で後者は商売であった。


 無論、連合王国は海外旅行先として人気がない。


 異なる文化の下で大きく発展した共和国や神州国が人気であり、牧歌的な景色ばかりが続く連合王国は魅力のない土地と看做されていた。発展していてる都市でも古臭く目新しいモノが見受けられないという現実。独占的に商売を展開し、経済発展まで持ち込む事で利益を享受するには封建貴族の干渉が邪魔である。よって国外からの投資は低調であった。


「命懸けの仕事よ。観光の暇がある様に見えて、問題を招き寄せる嵐を呼ぶ従軍神官が居る事を忘れて貰っては困るわ」


 突入した家屋から響く野太く邪悪な奇声。


 クレメンティナは、救いがない、と天を仰ぐ。


 突き抜ける様な青空を巨大な航空騎の群れが編隊を組み飛行していた。










「そうはならんでしょ?」


 クレメンティナは座席に括り付けられている己の不遇を呪う。


 連合王国直行便を用意したぞぉう!とラムケが渾身の笑みで用意した航空券は、航空券などではなかった。強いて言うなれば軍内での横紙破りである。


「早くて費用も掛からない。挙句に護衛付き。良い事尽くめでしょ?」


 そうは言えども同じく横の座席に座るアリカは溜息を吐いており、それはクレメンティナを咎めるばかりのものではない事は明白であった。少し足が震えている。


「震えてますよ?」


「武者震いよ」


「高い所。駄目なんですか?」


「駄目じゃない。この横紙破りの後始末に怯えているのよ」


 クレメンティナの想像とは異なる方向への怯えであった。


「急過ぎて捜査報告書も書いていないし、勝手に国外に出る事になるし、挙句に荷物扱いで軍用騎に積み込まれる……昇進終わった……」


 そう言われると、軍規に色々と抵触する気がするが、クレメンティナの場合は軍属という色々と不明瞭な立場なので当然ながらそうした部分には詳しくない。ただ、勝手に軍人が国外に移動するというのは機密保持の問題から厳しいというのは納得できた。


「でも、搭乗前に読んだ新聞で皇国がクローベル辺境伯領を併合する意向があるって書いてましたよ? もう実質的に皇国領土みたいなものですし怒られないんじゃないですか? あ、もし駄目そうなら軍事法廷でも頑張って弁護しますね」


 根拠はないが、それらしい弁護ができる自信があるとクレメンティナは薄い胸を張る。


 皇城府からの発表ではクローベル辺境伯領併合の意向となっており、それを喧伝する各新聞社の下で皇国内では話題として市井を賑わせていた。クレメンティナとしては聞いたこともない僻地を領有してどんな意味があるのか?と首を傾げる所であるが、領土が増えれば喜ぶ単純な生き物は世間が考えるよりも遥かに多い。


「突然過ぎる事を考えたら急に動いたと考えても不思議じゃない。先方の合意を経たか怪しいものよ。どう考えても法的にはまだ皇国領土じゃなない」


「法的な部分って重要ですか? 天帝陛下のお気持ちが重要だと思うんですよね」


 専制君主制を地で行く発言だが、現在の皇国は急速に天帝であるトウカに権力が集中しつつある。以前までの、歴史と伝統に鑑みて天帝に全権がある様に見える……という建前の下での体制ではなく、実際に天帝に全権があり国内法の全てを覆し得るだけの果断が許されるような体制に見えていた。実際のところは支持者の意向と常識の範疇から逸脱することは難しいが、それを理解する者は少ない。 絶対的権力も結局、国家の一部であるという事実からは逃れ得ない。


「気にするなぁ! 儂がなんとかしてやるうう!」


 酒精(アルコール)で頬に朱の散ったラムケがのそのそと近づいてくる。飛行中の航空騎の鉄籠内で歩き回るのは褒められた行為ではないが、周囲の空挺兵達もそれを咎める事はない。 寧ろ頼もしそうな表情が各所で散見される。勇者と蛮族の見分けなどそう簡単に付くものではないのだ。


「空挺降下に失敗しても酒精が入っていれば痛くない感じですか?」


「馬鹿ね。失敗したら地面に叩き付けられた蕃茄(トマト)になるわよ」


 クレメンティナの指摘にアリカが残酷な現実を指摘する。


 実際のところ空挺訓練中の事故は多発している。


 しかし、他国と異なり皇国は魔導資質に優れた者が多く、魔導障壁を翼状に展開して滑空して着陸。着陸時も魔導障壁を橇の如く利用する事で衝撃を緩和して被害を押さえていた為に死者は少ない。陸上で魔導障壁を利用した滑空の訓練なども行われているが、そうした魔術の多用は敵地上空では探知される為、可能な限り避ける事が推奨されている。


 無論、残酷な事故もあった。


 特に空挺降下地点から大きく外れ、落下傘が風車の羽根に絡まった空挺兵が救助されるまで凄まじい遠心力で回転を続けた話は有名である。実戦経験を経ない儘に二つ名を拝命した事で少しばかり有名人となった。


「どうも空挺兵には任務前に適量の飲酒が認められているみたいね……恐怖を紛らわせる為……あと防寒対策という側面もあるのでしょうけど」


 魔術的な防寒対策を踏まえると蛇足に過ぎず、やはり最重要視されているのは恐怖心を低減するところにあった。そもそも、酒精(アルコール)による体温上昇は放熱に依る所であり、中長期的には体温を奪うものであり暖かいのは短期的なものに過ぎない。


「成果をあだせばぁ万事かいけつよぉ」


 哄笑と共に酒を煽るラムケ。空挺兵からが囃し立てる声。


 ラムケは微妙な立場であるが、空挺軍創設時には指揮官として辣腕を振るっていた。トウカも指揮官や組織人として期待していた訳ではなく、敵地への降下任務という特性上、孤立しがちな部隊に精神的支柱が必要であると見た故の人事である。


 意外にもラムケは人気があった。


 面倒見が良いのは当然だが、どの様な状況でも臆する事はなく、そして皇国最初の空挺降下作戦にも従事している。実績のある人物が同乗するのだから士気も上がろうというものである。


 何よりも敵地とは言えない地域への空挺降下であるという不安がある中では意義が大きい。敵地なら武装した者は全て敵兵という扱いで射殺しても咎められる事はほぼなく、民間人でも怪しい人物であると言えば不慮の事故として済ませられる余地はある。


 しかし、今回はクローベル辺境伯領を警護する為の機動的展開という名目の下での空挺降下である。敵を打ち払うのではなく政治的演出の為であった。


 領民に囲まれた場合の対応は? 共和国軍が進出してきた際の対応は? 辺境伯領邦軍との偶発的戦闘時の対応は? 弾火薬が不足した際の対応は?


 それらの対応の全てが決まってはいるが、総じて攻撃的な対応でありそれが空挺兵達を不安にさせた。政治的意図を持つ軍事行動であるが、トウカは政治の為に戦場で案山子になれと命じる程に兵士の心情に無理解ではない。


 だが、大いにやって宜しい、と言われてしまうと部下も困惑してしまうものである。


 理解の良過ぎる上司というのは逆に困惑を齎す場面もあるのだ。自身の戦闘結果がトウカに迷惑を掛けるかも知れないと考えれば尚更である。当人が問題ないと言ったとしても、それが負担でない事を意味する訳ではない。無論、そうした点までを考えるのは空挺兵の領分ではないが、彼ら彼女らはトウカが軍隊の良き庇護者であると確信している。故に背を向ける可能性に怯える。


 ラムケの豪放磊落な姿は、そうした空挺兵を勇気付けるであろう事は疑いない。


 現在、輸送騎間が通信接続によって会話できるように為されれているのは、ラムケの声を僚騎の空挺兵にも届ける為であった。魔導通信で複数の輸送騎を結合するのは当然ながら魔導波を出力する為に位置情報が露呈する。加えて航空灯も追加で装備され、輸送騎の群れは地上から見上げれば観艦式も斯くやという派手な姿であった。


 位置情報の露呈は迎撃の難易度を低下させるが、今作戦には戦闘航空団と戦闘爆撃航空団が国境を超える前から合流、随伴する予定となっており、目標地域に有力な航空戦力が存在しない事から、政治的喧伝の意図を以て位置情報が容易に観測できる事が優先された。これらの対応は今回に限っては寧ろ存在を示す事で偶発的戦闘に陥り難い様にする為の方策でもあった。事前発見が早期である程、意思決定機関への伝達時間は確保され、それは空挺部隊の安全を相対的に増加させた。


「八時の方角より、多数の航空騎が接近。航空装備から友軍騎と思われる……識別照合は……〈第一五七戦闘航空団〉及び〈第二四二戦闘爆撃航空団〉。随伴予定の航空部隊です」


 通信士の報告に輸送騎内に緊張が走り、そして弛緩した空気に変わる。


 事前に説明を受けた随伴する航空部隊の様子である。


「新編の航空部隊が何処まで役に立つのか……どちらがお守りか分からないでは困るところね」


 窓越しに、接近する航空灯の光点を一瞥したアリカに、クレメンティナは新人達なのかと一緒になって光点を見つめる。夜景を見に来た恋人達みたいだとは思えども口にはしない。


 実情として、皇国では航空戦力の大部分が練成状態にある。


 軍用騎に耐え得る竜が用意できるからと急激な航空隊の規模拡大をした結果であり、その練成は遅延気味であった。龍系種族も練成に加わっているが、錬成すべき航空部隊が多い事に加え、未だ航空戦の戦闘技術自体が不明瞭な部分が多い事も影響していた。トウカは現状では飛行時間を可能な限り増やして練度向上を図るしかないと見ており、その為に新編の航空部隊が各地で編制されるに至った。未だ周辺諸国に有力な航空戦力が存在しない事から情勢に余裕ありと見て錬成を優先した結果であった。


 最大の脅威である帝国方面に経験豊富な航空部隊を集中させざるを得ないという実情もあれば、皇国で近代航空戦の経験が最も豊富なのは皇州同盟軍である事も影響している。


 しかも、現在はエスタンジア地方の軍事衝突に各種航空支援を行っており、そこに実戦に耐え得る航空部隊が集中している実情もあった。


「でも、連合王国ってあんまり有力な航空騎持ってないですよね?」


「向こうは未だ魔導士を搭乗させた竜騎兵と聞くが……共和国との戦争で大部分を消耗したとも聞く。それ故に頭数を揃えればよい、と見たのでしょう」


 空挺兵達の両肩を叩いて激励して回るラムケを他所に、アリカは冷静に要撃騎不在、或いは壊滅状態を推測する。


 何も航空戦力は皇国軍だけのものではない。


 皇国軍の航空戦力の規模が絶大である為に印象が薄いが、各国も航空戦力は皇国と比較すると小規模ながら以前より運用している。共和国も皇国による航空優勢の原則による優位性確保を見て航空戦力の集中運用を開始しており、連合王国方面でも運用されている公算が高い。そうなると軍の機械化以前に活躍していた連合王国側の竜騎兵では分が悪い。


「示威行為なのでしょうね。エスタンジア側を含めて二方面で航空戦を展開できるというのはかなりの圧力になる」


 トウカの思惑をアリカはそう判断した。


 実際、トウカにはそうした意図もある。


 これに合わせ、共和国との協定の端緒として、五個戦術爆撃航空団を主体とした航空戦力が皇国本土から共和国の対帝国戦線の砲兵陣地を爆撃しており、実質的に三方面での航空戦が展開されていた。砲兵陣地と弾薬集積所を中心とした爆撃であり、相応の戦果を挙げているものの、これは練成途上の航空戦力も含まれる為、命中精度の平均値はエスタンジア方面に於ける航空部隊よりも低い。


 未だ練成途上の航空部隊が多数を占めるものの、潤沢な航空戦力があると示す事で周辺諸国の要らぬ軍事的蠢動を抑えようとの意図があった。無論、敵軍の迎撃が乏しい実戦経験を以て練度と実績を積ませようとの意図もある。


 しかし、アリカにはそうした意図までは分からない。


 帝国の勇者の運用を見極める意図などもあるが、その辺りは想像の埒外ですらある。


「うーん、動きが早い。なんか付いていけないですよ」


「まぁ、軍の兵士も似た様な事を零す者が多いらしい。新技術を学びながら、その余力で戦っている気がするなんで泣き言を零すとか」


 新兵器が次々と出てくる現状、そうした声が出ても不思議ではないとはクレメンティナも納得する。皇州同盟軍工廠では戦車の自動照準が実用段階に入っているという噂もあり、それなら撮影機の倍率調整も自動でできる時代が来るのではないか?とクレメンティナとしては期待するところ大である。無論、その習熟に苦労するであろうと考えると兵士達の嘆きも理解できないではない。撮影も技量が伴わねば見苦しい結果としかならない。


「軍神の時代。そう嘯く憲兵総監も居るくらいなのだから、これからは目まぐるしい変化を迎えるわよ」


 あらゆる部分で大きな変化が当然の日常になるというのは嘗ての皇国臣民が望んでいた事でもある。天帝不在の時代に在っての停滞は世間に大きな閉塞感を与え、経済的後退も続いていた。これを忽ちに打破したのがトウカであり、序でとばかりに相容れない政治思想を振り翳す帝国に甚大なる被害を与えている。時代の変化をこれ以上ない程に感じる事はトウカに批判的な者でも認めるところであった。


「この落下傘も新しい技術が入ってるんですよね? まあ、そもそも私は重くて立ち上がれないんですけどね!」


 クレメンティナも身体強化術式は運用できるが、それは民間で利用されている術式であり、それも簡易的なものに留まった。等級としては低く、習得が容易であるという利点があったが、そうしたものすらもクレメンティナは平素から利用する事が少ないので使用には少し自信がなかった。


「貴女は私が抱えるから落下傘は要らないわ。どん臭いんだから落下傘を開けなくて有機物爆弾になって地面を汚すだけでしょう?」


 中々酷い事を言われたが、クレメンティナとしては否定し難いものがある。そもそも軍事行動に於ける最先端に近い空挺降下任務に随伴する一般人記者というのが無理のある話であった。無論、アリカも憲兵隊であり空挺は任務に含まれない筈であり、クレメンティナとしては共に初心者なのに大きな態度だと眉を顰める。


「憲兵だって空挺なんてしたことないでしょ?」


「我ら皇州同盟軍よ。憲兵だから空を飛ばずに済むなんて甘い考えはしていないわ」


 航空騎と砲弾と首と……色々と飛ばす軍人という職業だが、トウカが皇国軍を統率する様になり、様々なモノが宙を舞う様になった。実は憲兵隊も例外ではなく、シュットガルト湖上の小島を拠点とする非正規組織の鎮圧に当たって空挺降下が行われた過去がある。アリカも参加しており、帝国の間諜と思しき面々との銃撃戦に参加している。


「もうそろそろよ。準備なさい。その商売道具も落とさない様に縛り付けておくのね」


 クレメンティナが見た事もない小銃自動小銃の動作確認をするアリカに抜かりはなく、周囲の空挺兵達も装具点検を開始している。クレメンティナも慌てて支持紐(スリングベルト)を締めて撮影機(カメラ)を身体に固定して手袋を付けた。


 いそいそとアリカに近付き、自動小銃を押し退けてその膝に座るクレメンティナ。 アリカは特に何かを言う事もなく軍帯(ベルト)で自身とクレメンティナを固定し始める。二人揃って降下するなら当然で あるが、クレメンティナは慣れない空挺降下用装具を身に着けているので身体が締め付けられる様な感覚を覚えていたが、更に締め付けられて息苦しさを感じた。


「硬くならないで。固定できない」


「苦しいんですよ。軍人の携行糧食が多過ぎるんです」


 先程、食べた携行糧食の量が原因だとクレメンティナは言い募る。肥ったと思われては心外だとの乙女心あっての主張である。


 因みに空挺部隊向けの第二種戦闘糧食は敵地での孤立を考え、特に高熱量(ハイカロリー)な一品であり、棒状の焼き固めた洋餅(パン)であった。それが四本。砂糖や諸々の栄養素を混ぜ込んであり、金属管容器(チューブ)に入った砂糖煮(ジャム)を付けて食べるというものである。口の中の水分が忽ちに持って行かれる上に食感も固い。幸いな事に砂糖煮が二種類付属しているので味に飽きる事はなく、味自体も駄菓子の様な感覚であり、クレメンティナは子供時代の下校時に買い食いをしていた記憶が脳裏を過った。


「他の戦闘糧食も油と塩と香辛料が多い。軍人は肉体労働者なのよ。海軍は幾分かましとは聞くわね。次は軍艦に乗るといい。向こうは羊羹(ようかん)と聞く」


 初代天帝の頃からの習慣であり、海軍と言えば羊羹という印象が広く根付いていた。


 戦闘糧食についてはトウカの下でかなりの研究開発……民間企業主体で採用試験が繰り広げられており、ただ単に種類が増えただけではなく、特定の兵種を前提としたものまで採用され初めていた。これは兵士の衣食住を改善しなければ民間企業との人材争奪戦に負けるとの判断からであった。愛国心や敵対心を理由に無用の苦難を強要する愚を陸海軍府もトウカも犯さない。愛国心にも限度はある。


 とは言え、特に携行量に於いて制限の多い空挺兵。


 戦闘糧食に対する製造企業の創意工夫にも限度がある。新兵科である空挺に対する理解が乏しい事も影響した。


「私、泳げないんで海軍はちょっと……密閉空間にずっと居るのも嫌ですし……」


 贅沢な事を言う、とアリカが呆れるが、クレメンティナは乙女とはそういうものだと突っぱねる。クレメンティナの場合は我儘に過ぎないが、そうした意見を全て無視できない事情が実は皇国軍にはあった。


 実際、種族的に閉所空間に難色を示す者や水泳が困難な者も存在する為、皇国軍人事の複雑化を招いており、陸海軍府は軍拡に伴って大きな困難に直面していた。規模拡大により以前までは軍役にほぼ従事しなかった種族が加わった影響もあれば、併合政策により増加した民族の民族的常識……習慣宗教価値感が人事を妨げる場合もある。


 華やかなりし軍備拡大。


 その陰で戦死者が生じかねない程の激務に晒されているのは人事と兵站を担う者達であった。


「先行する偵察騎からの報告。目標降下地点上空に敵影なし。対空陣地なし。陸上部隊の展開を確認できず」


 通信士の報告が騎内に響く。周知の為、放送しているのであろうが、クレメンティナは少し旅行気分の感覚となる。迎撃されないならば気楽なものである。


「でも、こんなに急ぐ必要があったんですかね? 政治的なものなら、別に事前にちゃんと連絡して合意を経てから空挺降下してるって演出をして、なんか凄いって感じを出せばいいと思うんですよ」


 政治の都合であるならば、軍事的成果など二の次であり、クレメンティナとしてはクローベル辺境伯の合意を経てからでも良いのではないかとふと思った。


「さて、そこは何とも。他国の機先を制するという事か、或いはクローベル辺境伯の変節を許さないという姿勢を示すという意味合いも有るかも知れない」


 兵士に領都を占領され、後から合流……併合の条件を野放図に追加しようなどとは思わない。有利な交渉の延長線上に、空挺降下があると考えるというアリカの意見にクレメンティナとしては交渉に直ぐ武力を持ち出すとげんなりする。気が付けば殴り合いながら交渉する事が一般的になっている雰囲気すらある。


 そうした遣り取りを続ける中でも、空挺部隊を搭載した輸送騎は進む。


 過ぎ去る雲を窓から眺めるクレメンティナは、序でに地上を見るが、縁ばかりで代り映えのない光景でありつまらない。細い街道や集落もあるが、ほぼ森林地帯や草原ばかりで文明の痕跡は乏しい。


「いや、見えてきた、領都クーリエだ。皇国の基準で言うならば、小都市と言うにも烏滸がましいが……石造りか……銃弾が貫通し難いのは幸いだな」


 クレメンティナが窓からの景色を眺めるので、身体を固定したアリカも共に景色を見る羽目になったが、彼女は目敏く目標を発見する。


「総員、降下用意」


 遂に降下の時が近づく。


 鉄籠後部の扉が開け放たれ、寒風が駒内へと流れ込む。


 アリカは鉄帽の顎紐を締めると、クレメンティナも鉄帽を被せられて顎紐を締められる。髪が乱れるので避けたいところであるが、生命を賭してまで騒ぐ場面でもない。空挺兵が奇妙な掛け声を上げて整列を始めるが、最も声の大きいラムケにアリカが眉を潜めているのがクレメンティナには見ずとも分かった。


 敬礼と共に開け放たれた扉へ次々と消えていく空挺兵達。


 クレメンティナやアリカ、ラムケの番は最後である。


 よし、と気合を入れるクレメンティナだが、アリカの身体に固定されているので、アリカに両脇から抱えられて進む形になった。今一つ緊張感のない光景であるが、クレメンティナは緊張でそれどころではない。有翼種ではないクレメンティナからすると空という空間は生存環境ではないのだ。術式による滑空などは存在するが、それは航空行政に関わる職業の者が身に付ける事はあれども、新聞記者が利用するものではない。落下傘による降下は魔術使用による索敵網への探知を想定したものであるが、魔術使用による滑空と比較すると安全性と安定性に劣る。


 開け放たれた扉の縁に立つアリカと抱えられたクレメンティナ。


 下を見れば、地上の風景が緩やかに流れている。


 模型の様な光景であり、それが現実感を失わせるが、頬を打つ寒風が現実を教える。


保護眼鏡(ゴーグル)は付けた? 竜の尻尾に接触しない様に祈りなさい。あと、私が死んでいた場合、銃声がある内は隠れて動かないこと。いいわね?」


 鉄帽越しに頭を撫でられたクレメンティナは渋々と頷いて文句を言おうとするが、 突然の浮遊感がそれを阻む。







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