第三九六話 鉄道行政全般の問題Ⅲ
「いや、流石に無理か。結婚生活が可能な人間性……いや、身体もか」
すぐさま思い直したトウカだが、フェンリスは首を傾げる。
「陛下、我が陛下……妖精種は必要に応じて身体の大きさを変更できるのです」
「ああ、いや、そうか……そうらしいな。だが、あれは容姿も変化している、単なる妖精の特性だけとは思えないが……」
そう言われるとフェンリスも疑問を覚える話である。擬装術式であるならば高位種のフェンリスが気付かぬはずがない。高位種は魔導という人工の軌跡だけでなく、神秘や幻想にも敏感である。そうではないというのであればそれこそ胡散臭い。
「全く……直ぐに質量保存の法則を無視する連中だな。空間が不安定になったりしないだろうな……考える事が多い……そうだ、ヴィトニル公、貴官、ザムエルの嫁にならないか?」
何を馬鹿な。
そうした言葉は咄嗟に出なかった。当然、それはフェンリスがザムエルを想っていたからではなく突飛な意見だからである。
アーダルベルトも開いた口を塞ぐ事に失敗している。
「……好き合うもの同士で家庭を持っていただくのが一番かと思いますわ。その身に起きた不幸を思えば、無理に女性を用意するのは寧ろ傷を深くしかねません」
「そういうものか……ただ、政治的な立場を用意せねば、要らぬ真似をする者も出るだろう。独身である事を隙と見る者は多い」
トウカの場合、強権的で情け容赦のない性格であり、アリアベルへの仕打ちからもその配偶者としての立場を望む者は極めて少ない為、隙と見られる事が無い。対するザムエルの場合は性に奔放であるものの、強権的という訳でもなければ貴族との関係が特段と深い訳でもなく、狙い目と感じる権力者が存在しても不思議ではなかった。最近、言い寄る者が少ないのは偏にザムエルが陸軍管轄の敷地内から出ない為である。近づき様がなかった。陸軍もその辺りを配慮しており、装甲軍集団司令部に特定の貴族の意向を受ける様な人物を入れる人事を認めていない。
「我々も流石にああした悲劇に見舞われた人物を利用しようとは考えません。当人の為にも安静にしておくべきかと」
アーダルベルトの発言には重みがある。近しい者を喪うという娘二人の境遇に重なる部分が在っての事であろうが、フェンリスはその甘さが嫌いではない。
「だが、ああした手合いは放置すると一生独身だぞ? 軍ではよくある話だ。有能であるが上官や周囲が世話せねば結婚しない人物だ。何より、独身で困るという訳ではないが、面倒を見なければならないという気にさせる。困った奴だ」
年齢としてはトウカよりもザムエルが上だが、ザムエル自身が同期という扱いを望む為、トウカは同期として振舞っているが、フェンリスには、これが同期の桜というものね、と感じ入るものがあった。
初代天帝の頃より同期の桜という事は良く使われている。本来の意図は不明であるが、現在の皇国では華やかなりし同期生を思う言葉として扱われている。
フェンリスとしてはトウカの主張にも頷けるものがあった。
ザムエルに奇妙な女を用意しようと動く権力者が出れば血の雨が降りかねないという事もあるが、トウカに近しい軍高官を押さえるというのはかなりの魅力である。先手を打ってその危険性を封殺するというのは政治的意義がある。
そして、軍人だけでなく貴族にも放置すると結婚しない人物というのは少なくない。家が決めた結婚が多いという事もあるが、貴族に長命種が多い事も要因の一つである。フェンリスも親族の独身に気を揉む事が多い。種族人口の少ない種族であり、その族長ともなれば神経質にならざるを得なかった。
「外聞を無視するならアリアベルに女児を産ませて、それと婚約させるべきなのだろうが……」
心底と酷い話であり、フェンリスは女として嫌悪感を覚えるが、政治的有効性としては絶大なものがあるので否定はできない。
幼児趣味とすら言えない程の落差があるが、アーダルベルトは意外な事に前向きであった。
「それは歓迎すべき事です。皇統に御世継が生まれ、新進気鋭の将軍を取り込む事も叶う。尤も、子の性別が女とは限らぬ点が問題ですが、それは陛下が女が生まれるまで励まれれば宜しいかと」
御世継についての話など不敬どころの話ではないが、次はトウカが憂鬱になる。
「マリィの妹か……気が咎める部分があるのだがな」
勿論、それがアリアベルに対する感情ではなくマリアベルに対するものであるのは誰の目にも明らかなので異を唱える者は居ない。
長年の付き合いからフェンリスには、アーダルベルトがトウカとアリアベルの冷え切った関係を動かすには何であれ近づく理由が必要だと考えたと察する事ができた。そして、そうした考えをするからこそ娘達に距離を置かれているという自覚がないとも思う。
とは言え、トウカとアリアベルに接触に機会すらないという状況を変えようという考えも理解はできた。遣り取りが無ければ良くも悪くも進展しない。
「揃って惨い事を仰られるのですね。年若い娘が聞けば引っ叩かれましょう」
フェンリスは心底と呆れ返るしかない。トウカもアーダルベルトも政治が絡むと一片たりとも女心に配慮する必要が霧散すると考えている節がある。見上げた権力者ぶりであるが、ここでフェンリスの娘達が話題に上がらない理由も情けないものであるのでフェンリス自身が女性として二人を詰る事も出来なかった。
フェンリスの娘達は揃って何かに熱中して専門家の道を進んだ。
叶うならばトウカの皇妃か側妃として交友関係?のあるヘルミーネを推挙したいところであるが、当人が恋愛というものに興味が薄く、貴族の義務や政治というものに全く頓着していなかった。挙句に内戦中は皇州同盟軍に在籍していた。フェンリスは天を仰いだものである。自由が過ぎて危ない娘達。しかも揃って自覚がない。トウカがヘルミーネの名をザムエルの花嫁として挙げないのもその点にあるのは明白であった。
「ヴィトニル公の娘はな……セリカ……枢密院議長の事もある」
そちらね、とフェンリスは少し気を取り直す。
ベルセリカとフェンリスは遺恨がある。止むを得ない事であったが、当事者が納得するかは別問題であり、これは時間が解決する気配もない。
「レオンディーネも考えたが、あれは猪の類だ。虎であるが」
公爵位を持つ貴族の血縁と繋げようとのトウカの思考に、フェンリスは公爵達の連携を阻もうとする意図があると考えた。抱き込みではなく分断を図ろうとするところが軍人の思考であるが、それもまた有効である為に油断はできない。
しかし、少なくともフェンリスやアーダルベルト、レオンハルトの三公爵に近しい血縁に婚約に適した人物はいない。性別や年齢だけを見れば存在するが、結婚生活が難しい面々しか残ってないのだ。ザムエルの傷心を癒すという条件が付くと忽ちに選択肢は皆無となる。
寡婦であるフェンリスの名が挙がるのだから相当な問題である。
「まぁ、良い……それは此方で考える。貴官らは中央貴族を抑える事に忙しいだろう」
対応は自身の一存で為すとの宣言。
確かに三人の公爵は中央貴族の焦燥や動揺、激発を押さえる為、かなりの労力を割いていた。
先皇の遺訓を忘れない貴族が多く、トウカの方針への反発もある上、政策で頻繁に挑発されている現状は、フェンリスにとっても頭痛の種であった。
既に民衆はトウカの実績を認めている中で、中央貴族が一つの意思の下に統一した行動を試みても、ならば戦争だ、とトウカが応じるだけであった。定期的な挑発には中央貴族を排除したいと、排除の大義名分を求めての意図が在る事は透けて見える。陸海軍が敵に回り、策源地が北部にある以上、中央貴族に軍事的勝利は有り得ない。公爵達が存分に暴れたならば、相応に被害を与えられるが、荒廃した国土を前に大義名分を失う事は避けられない。
――とは言え、暗殺もできない。
陸海軍が暴走しかねない上、枢密院議長を宰相が支える形で政治は動き続ける。しかも、報復の大義名分が発生する。帝国も中央貴族も敵対する公爵も纏めて関係していたと軍事力による排除を避け得ない。
「酷い事を仰られます。私めの赤心を陛下に曝け出す事を拒みはしませんわ。少しは信頼していただきたいのです」
「信頼しているとも。どの公爵も国家を論ずる力量がある」
それ故であると存外に匂わせた言葉に、フェンリスは辟易とする。皮肉は多いものの社交的に見える振る舞いとは対照的に、その実、猜疑心が強い面はマリアベルを思わせる。実利の為に遺恨を棚上げにできる人物でもあるが、中央貴族や公爵が相手であると中々に頑なであった。無論、それは北部貴族に対する義理や支持を気にしての側面もあるとは推測できる。
面倒を見ると決めた北部貴族に対してトウカは甘い。
その北部貴族と確執のある中央貴族や公爵達に対する姿勢として妥協が難しいという事もあるだろう。
――そうなると北部貴族との関係改善が先ね……大丈夫かしら?
狂信的精神主義を以て綱紀粛正を図り北部を維持しようとした姿勢は、未だその傾向が少々減じた程度である。北部を支持母体とするトウカが即位した故に精神的余裕が出たからであろうが、根本的な他地方に対する敵意は消えていない。
トウカによるフェルゼン遷都もそうした影響が大きい。
独立を叫ぶ北部貴族や臣民も存在する中で、北部の大都市に遷都する事で皇国の中心であるという見栄と誇りを与える事でそうした意見を掣肘したのだ。単に帝国との戦争を見据えた軍需発展や指揮系統の再構築というだけではない。経済的に見ても資本を北部に引き込もうという意図が見え、フェンリスとしては遷都は良く考えられていると感心したものである。皇国の歴史と伝統の断絶に目を瞑るならば、であるが。
――まぁ、怖い独裁者がいなくなれば中央貴族も激発し易くなるという期待もあったんでしょうねぇ。
アーダルベルトとフェンリスが抑えたものの、権威的に皇国の中心ではなくなったという動揺に加え、政策変更を求めた軍事的挑戦の準備の好機ではないのかという意見が出ている。
それもまたトウカの意図だった事は明白である。
航空戦に於いて中核を為す航空艦隊が現在、中央地域に展開していない事が傍証である。混乱で身動きが取れず、或いは地上撃破される可能性を重く見たことは間違いない。そして、いざ叛乱となれば各地方から航空艦隊が中央地域に押し寄せる事になる。中央地域は複数の航空艦隊の航続距離圏内であり包囲されているのだ。火砲の射程より遥かに長大な航続距離がそれを実感させないが、それもまた思惑の範疇にある事は間違いない。
トウカの政策は隙がなく、複合的な意図が在る為、フェンリスとしても考えさせられること頻りである。
――考えてみれば、この子……帝国軍との戦いでも焦土作戦だけはしなかったものね。
支持する者や己の判断に命運を賭す者に対しては情に厚いのか、帝国軍が北部へと侵攻した際、食糧と民間人の避難だけで都市や村落を焼く事はなかった。これは現在でも異論がない訳でもない。実情として皇州同盟軍が焦土作戦命令を受容しないと見たのかも知れないが、それでも一部の指揮官は理解を示すであろうし確実に不可能という訳ではない。
フェンリスはトウカが焦土作戦を選択しなかった事を情が厚いと見たが、実際のところ戦争が長期化した場合、帝国軍が大軍の駐留や療養、輜重拠点として接収する都市や村落は残した方が把握が容易であるとの意図もあった。
帝国軍が接収して利用する都市や村落は、帝国軍前線を飛び越えて爆撃騎によって破壊すれば良いとトウカは判断していた。実施よりかなり早い段階で、かも知れない可能性に言及して士気低下をさせる必要はないと口にしなかっただけであり、トウカにとって焦土作戦は情によって避けたものではないが、それを知る者はトウカ当人だけである。
政戦に於いて口にする必要がない事までをも口にする程にトウカは迂闊ではなかった。
アーダルベルトは話題を変える為か列車の行く先に言及する。
「しかし、陛下の巡幸先は東部ですが……暗殺未遂事件に関わった貴族を訪問する御心算ですか?」
突如決まった東部巡幸を知る者は少ない。
「情報だけなら報告書で上げさせるが、東部貴族から発展に対して何が足りないかその口で言わせる。当事者意識と意欲を満たす為に必要だろう」
フェンリスやアーダルベルトは直近で知る事となった。機密性保持の為であり、公爵とはいえ国家の要職ではない以上知らないというのは不自然な事ではない。爵位が国家の要職を決める訳ではないのだ。
実際、枢密院では事前に合意があった事であるが、自身の提案が聞き入れられたならば意気軒高となるであろうし、政治中枢と接続されているという実感は国家の一体感醸成には必須である。端的に言えば歓心を買う。外聞悪く言うならば人気取りである。
「臨時予算もあることだしな。少々の我儘なら聞いてやれるとも。勿論、国益に叶う事が前提だが」
肩を竦めたトウカに、フェンリスとアーダルベルトは顔を見合わせる。
軍備拡大に交通網整備という大事業だけでも湯水の如く予算が消費されている中で、まだ予算を用意できるのかと二人は呆れるしかない。
トウカが帝国との戦争を利用した株式売買で尋常ならざる資金を手にした事は知られているが、その正確な規模は不明瞭であった。ないものをあると口にして空手形を使う真似をしているとは思えないが、フェンリスとしては心配するところである。
胡乱な目をする二人に、トウカは愉し気に説明する。
「セルアノが御小遣いをくれた訳だ。財布を握られた亭主の気分だが、国家指導者と金庫番の関係などそんなものだろう」
国家の命運を担う国家指導者も金庫番には叶わない。
財政を司る者としての実力と姿勢に関しては、フェンリスもセルアノを認めざるを得ない。予算を根拠にしているとは言え、トウカの政策に口を挟んで認めさせるのだから誠に端倪すべからざる人物であ る。
「協商国からの臨時収入の前借りだそうだ。我が国の軍備拡大を担う武器や兵器は別として、旧式化しつつある兵器の生産設備の稼働延長と生産した武器や兵器の売却を願われたらしい」
「成程、旧式化した軍需工場の稼働延長と兵器輸出ですか……我が国も死の商人が板に付いてきたと」
アーダルベルトとしては国家の印象を損なう為かあまり歓迎できる話ではないらしいが、その利益で国土の開発が進められるのであれば、フェンリスとしては否定し難い。 今迄はそうした予算すら捻出できなかった為、地方からすると渇望している筈であった。
「学校か病院か商業施設か……工場誘致や発電所も有り得るな。救難隊の整備も有るかも知れん」
国民生活に必要不可欠な施設建設の請願が多いだろうと見ているトウカに、フェンリスは、どうかしらね、と思う。部族連邦北部を切り取ったが、より良い暮らしを求めた住民が北上している可能性もある。先手を打って流入への対策を要求されるという事も有り得た。トウカは貧困層と言える生活環境の情報に乏しい為、段階的に移住が始まると見ているが、世の中、想定外というものはある。移民問題の話を聞かされた後では、併合しても異なる文化と生活水準を持つ者達ならそれは移民に等しいのではないかとフェンリスは考えた。地図上で国境線を引き直したところで文化と生活水準が忽ちに変わる訳ではない。
「旧部族連邦領からの移民流入による混乱はないのでしょうか?」
「未だ突然の事で、そうした潮流が形成される段階でもないが……そうだな、労働環境を用意すべく企業誘致も有りだな。東部で必要な物品を新領土の軽工業で賄えば経済的交流も増えるか?」
建設的な意見が咄嗟に出てくる辺り、元よりある程度の想定はあるのだろうとフェンリスは看做していた。
商業と物流に於ける経路ができれば民間交流も自然と促進されると考えるトウカの姿勢は各公爵も共有するところである。領地で完結する傾向にある領主貴族では出てこない発想であり、フェンリスとしてはその点に関してはトウカを高く評価している。
――戦争程の異文化交流には劣るが、とは言うのでしょうけど。
帝国本土への都市爆撃を”相互理解の促進”と銘打つ辺り、大規模な交流には流血が付き物だと考えている節がある。
「良いのではないでしょうか。私も投資する事は吝かではありませんよ」
収入の多角化という意味もある。トウカの政策を踏まえると中央地域主体の商業では今後の利益の頭打ちが予想される。収入源は手広く用意すべきである。
「他地方での影響力拡大か? 良いだろう。所得と生活水準が向上するなら少々の揉め事も見逃すとも」
そうは口にしつつも、公爵が後ろ盾として存在している事を匂わせ、新領土の開発事業の正統性を担保するくらいの計算は既にしている筈である。
「そう警戒なさらずとも。それに資金が中央から流出すると思えば望ましい事でしょう?」
人口偏重を気にする以上、資金の偏重も理解している筈である。どちらか一方が集まるという事はなく、どちらも纏めて集まるものであり、資金が流出するなら人口も流出するものである。
尤も、公爵であるフェンリスの資産は莫大であり、流出を統制する事も容易である。
「どちらでも構わない。どの道、人口も資産も国土に広く点在する様になる」
俺がする、と存外に言われた気がしたフェンリスは苦笑するしかない。自負心や義務感があるように思えるが、話してみればどちらかと言うと必要性を思わせる。その点のみを見ているのはある種、誠実であるとも言えなくもないが、そうした純化した意志こそが最も混乱を招く事も確かである。
「判断材料は与えている。神州国の動きも連合王国の胡乱な連中の話も伝えた筈だ。 路傍の野良犬が懐かないと言わんばかりの視線は心外だな」
面倒臭い、とトウカは頬杖を突く。
「いけませんわ、クルワッハ公。その様な目で主君を見ては」
「御前もだが?」
トウカの胡乱な表情。
フェンリスとしては甚だ遺憾である。
「乙女を手酷く扱った殿方を警戒するのは女としての本能でありますゆえ、どうか御赦しを」
ヴァンダルハイム侯爵令嬢の一件を持ち出したが、トウカは口にするほどの価値もないと見たのか黙殺した。フェンリスも追撃はしない。政治に性別を持ち出す程に不毛な事はないのだ。
「とは言え、クルワッハ公はグリムクロイツ総統に詰られたと聞きいておりますわ。 陛下に負けず劣らず女性に酷い男なのですよ」
「人聞きの悪い……巡り合わせが悪かっただけだ……嫁と娘二人と」
それは家族の女性全員では?とフェンリスは思いはするものの、巡り合わせが悪い、というのは確かに言える事であった。立場と柵と因習がアーダルベルトの家族愛を妨げた事は確かである。誰しもが、文句を言う輩は同意するまで殴ればいい、という発想にはならない。
一人で落ち込み始めたアーダルベルト。
意外と打たれ弱い事をフェンリスは知っている。
グレーナーは手酌でウィシュケを楽しんでいた。
面倒事は御免蒙ると酔った振りをする心算と見えた。
トウカはヴィルヘルミナの話題として、思い出したかのように告げる。
「グリムクロイツ総統は今頃、鎮圧を終えているところだろうが、北エスタンジアとの軍事衝突もある。暫くは掛かり切りとなるだろう」
叛乱鎮圧後の政治的安定と治安維持、そして北エスタンジアとの軍事衝突。容易に解決する問題ではなく、軍事衝突については皇国が主導権を握っていると言っても過言ではない。エスタンジア両国としても意図しない状況での軍事衝突であり、去りとて既存計画に基づいて対応しているであろうが、皇国も関わる以上、落としどころを見つける事は難しい。帝国も本腰を入れて関わるというのであれば均衡状態を作り出す余地はあるが、現在はその比重が傾いている為、一方的なものとなる公算が高い。無論、北エスタンジアは反発し、停戦は用意に纏まらないだろう。
――押し切る心算なのでしょうね。惨いこと。
フェンリスは北エスタンジアを南エスタンジアに併合させた上で、皇国に組み込む事を考えているのだろうと見ていた。
「想定外の事態だが、有力な航空支援があれば軍事作戦の障害の大部分は排除できるだろう。総統にも花を持たせねばなるまい。海軍の言い出した結納の費用を回収しつつっも耳目を集める。流動的だが、その辺りが最適解だろう」
北エスタンジアは然したる航空戦力を保有していない為、護衛戦闘騎がなくとも対地攻撃が可能である。地上襲撃騎や戦闘爆撃騎であれば航続距離に不安があるが、戦術爆撃騎であれば皇国本土からのエスタンジア地域全域での航空作戦が可能である。新たに南エスタンジア国内に航空基地を造成する必要はなかった。緊急時の着陸は民間飛行場を利用すれば良い。
「戦艦の結納は驚きましたが……あれは皮算用ですが宜しいのですか?」
「構わない。心情は理解できぬでもないし、エスタンジアにせよ部族連邦にせよ相応の海洋戦力により為せる事もある」
アーダルベルトの問いに、トウカは問題ないと明言する。
三国共同での海洋演習辺りだろうとフェンリスは推察するが、それはあくまでも演出でしかない。エスタンジアも部族連邦も然したる海洋戦力を持たず、神州国との軍事衝突では頼みにはできない。トウカは神州国と大星洋を挟んで対峙する国家が連携したという事実を求めているのだ。圧力の形の一つである。フェンリスもこの点は賛同していた。多数派工作は重要である。
――耳目を集める、というのは連合王国に対する謀略なのでしょう。
流石の公爵達も、そうした動きを捉えていた。
酷い話であるが、同時にフェンリスは外交上の危機を認識していた。
皇国は連合王国分割を経て周辺諸国とより友好的な関係となる。
共に他国を分割するという悪事に手を染め、揃ってその正統性を叫ぶのだ。連帯感が生じる事は疑いなく、揉めては正統性が揺らぎかねない。神州国が絡んでくる以上、その意図は複数の大陸国による海洋国家の誘引に他ならず、消耗を誘うならば連携は短期間とはならない。
外務府が友好の演出に勤しんでいた頃よりも遥かに連帯感は増すだろう。
悪事は結束を強くするという訳ではないが、結束がより利益を齎す状況になる事は予想できた。
それは、外務府が嘗て掲げていた外交政策が真の意味で終焉を迎える事を示している。
より強力な紐帯を示し、より優れた外交方針があるという証明にもなる。節々に問題点が出ようとも、表面上の成果が相応のものであれば大部分の者達は勝算するものである。
――外務府は苦境に立たされるわね……少なくとも、先皇の遺訓を叫ぶ面々は悉くが公職復帰は叶わないでしょう。
その辺りを理解した上でのトウカの判断だったとはフェンリスも考えない。外交に対する優先順位の低さを見れば副次効果に等しく、それですら外務府の嘗ての外交政策を上回る連携が生じつつあるのだから皮肉という他ない。
――とは言え、これ程までに明確な敗者が存在する外交も珍しい。
連合王国である。
亡国は確実であり、その分割を以て周辺諸国に友好と安寧を実現する。大きな成果には代償が必要であるとはいえ、国家の滅亡を近代に見る事になるとはフェンリスは思いもしなかった。
「しかし、併合への動きに泥が付きましたわ……我が国に叛乱勢力を支援した者が居たのではないか、と言う者もおります」
エスタンジアの叛乱を指してそうした疑念を抱く者は少なくない。
トウカなら躊躇しないだろうという憶測であり、その力量と果断が彼にはあるが、フェンリスはこの可能性は低いと見ていた。
そもそも、混乱に合わせた進駐を行うには陸上戦力の準備が全くできておらず、現状は航空支援に限られている。挙句に他国で謀略を行うには情報部の人員不足は深刻であった。そうした余裕はない上、叛乱の内容が胡乱に過ぎた。莫迦でももう少し真っ当な内容を掲げる筈である。
「あの叛乱は重視すべき内容ではないが、暗殺未遂と連動している可能性は捨て置けない。何より、総統の失点にならぬ様にという事もあるが、その調査が注目されぬ様に盛大な問題の解決を図る事になる」
盛大な問題の解決とは、戦略爆撃航空団や戦術爆撃航空団による北エスタンジア国境線地帯への爆撃を指しての事だろうと、フェンリスは察する。その爆撃によりエスタンジア両国の国境線では大規模な軍事衝突に発展しつつあった。
「奇妙な動きでありながら上手く進んでいるという共通点はありますが、関連するものでしょうか? 胡乱な連中の影がちらつくとは聞きますが?」
アーダルベルトの言葉にフェンリスも頷く。
ヨルダという組織に二人は聞き覚えがない。
為した事を思えば、相応の基盤を持つ組織であり、水面下で各地に根を張っている事は疑いなかったが、そうした組織の名が耳に届くことは一切なかった。少なくとも皇国が主な策源地ではない事は確実であるが、トウカが怪しむ連合王国とも限らない。 連合王国自体も利益を得る為の草刈り場でしかない可能性はあった。
とは言え、手を突っ込んで動きを誘発する事で尻尾を掴める可能性もある。
――連合王国分割には、そうした意味もあるのでしょうね。後から追加された副次目標でしょうけど。
「混乱の中であれば、証拠隠滅を焦る事はないだろうという皮算用もあるが、実際のところエスタンジア統一後に併合する方が望ましいのも確かだ。我々は帝国に対する経路を新たに得る事になる」
その事実が重要であり、実際に運用できるかではない、とトウカは肩を竦める。
帝国南東部は森林地帯であり交通網も貧弱で都市も少ない。大軍の移動も展開も現実的ではなく、実際のところ侵攻路の敷設工事から始める必要があった。莫大な予算を必要とする難事であり時間も要する。
しかし、政治的に喧伝できる。
「基本的な国家戦略に影響はない。予算超過著しいが、それも予想された事ではある。それは将来の利益と歳出削減の為であり避ける事はできない。銭に関してはないならあるところより引っ張るだけだ」
国家指導者というより経営者染みた物言いだが、大事業を立ち上げて予算を手当てできるのだから名君という他ない。
ただ、その金策によって得られた金銭が血涙に塗れている事だけはフェンリスにも確信できた。
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