第三九五話 鉄道行政全般の問題Ⅱ
フェンリスは戦慄を覚えていた。
皇国の発展と将来がトウカー人の手によって運命付けられようとしている事に。
勿論、天帝にはその権利と権限があり、それは国是である。
しかし、合意形成の余地がないというのは以前までにはなかった。諸問題が大小様々であれ多くの関係者の議論と意見を元に形成され、天帝が最終的な裁可を下すというのが通例であった。例え、天帝の発案であっても、否、そうだからこそ合意形成は入念に図られていた過去がある。天帝は失敗してはならないのだ。
トウカは懸念すれども失敗は恐れていない様に見受けられる。
己の正しさを確信しているのではなく、敵対者がより大きな失敗を犯しているという確信に近い様にフェンリスには思えた。それは似て非なるものであり、自己の無謬性を恃んでいるのではなく、合理性の欠如や権力者の怠惰を憎悪している事に端を発している様に見える。
「グレーナー君の意見は理解した。君が言うのであれば、有事の鉄道運行の時刻調整の複雑化に目を瞑ってでも鉄道運営を分割すべきだという事か……そうか趣味者か……確かに厄介そうだ……特に鉄道を趣味とする者は、な……」
心底とうんざりとしたトウカだが、口元には笑みがある。事前に問題点を認識できた事を喜んでいる様に見えた。
――この子、有用な意見には耳を貸すのよね……
そこが救いであるが、能力と職責の釣り合わない者にはかなり辛辣である。
尤もトウカは直接顔を合わせての会議は好まず、遣り取りを書面で行う事を重視している為、その洗礼を受ける者は今となっては少ない。
トウカは自身へと送られる書類形式も策定した。
装飾語不要、結論、要点、経緯の項目に分け、結論から記されている事に拘った。端的に言えば、皇州同盟軍時代にトウカが論文に使用した形式である。フェンリスとしても権威者に対して要らぬ能書きを記して書類枚数を増やす手合いには頻繁に遭遇しているので、中々どうして理解できる話でもあるが、そこまで徹底する者は初めてであった。
そうした経緯もあり、トウカの手元には書類が多く届く。
会議が少ない代わりと言える。下問も書類で行うのだ。まるで上位者との文通の如くであり、いきなり書類で下問される各府の部門などは気が休まる事がない。トウカ曰く、日程調整が必要なく呼び付けるより早い。それでいて書面として残るので確実との事である。
――貴方相手に言った言わないの押し問答をする勇気のある者はいないでしょうに。
フェンリスとしては理解はするが呆れもした。
「良い写真を撮る為に路線に侵入したり、障害物を置いて鉄道運行を妨害する様な手合いだからな」
「いや、そこまでする者は聞いたことがありませんが……」
トウカの鉄道趣味者への印象が頗る悪い事は嫌でも理解できる発言である。報道関連に比肩し得るやも知れない嫌悪がそこには滲む。
フェンリスとしては人間による鉄道車輛の運行妨害はあまり聞くものではなく、寧ろ牧場から逃げ出した家畜の群れに運行を妨げられる例がより多い。
「畜生の如く一々轢き殺せとも言えないか」
「轢き殺せとは流石に……とは言え、北部規格の鉄道は車輛が大型なので制動距離が長く、先頭車輛は季節問わず排雪板を装備していますので……」
どの道、運悪く轢き殺す……先頭車輛に排雪板が装備されているので跳ね飛ばす事になる公算が高いと言いた気なグレーナー。実際、排雪板はそうした理由もあって北部鉄道では通常装備とされている。
北部に於ける鉄道路線は自然豊かな土地を運航するが、それ故に動物との衝突が多い。ならば一々、車輛を止めるのかと言えばそうではなく、冬季装備であった排雪板を装備して跳ね飛ばす選択をした。緊急停車と確認による時間遅延や車輛下部へ付着した死骸の清掃などの手間を踏まえた結果である。故意の轢殺は明言された訳ではなく、公式見解では停止が間に合わなかったとなるが、平素より緊急停止する気配などない。
当然であるが言い出したのはマリアベルである。これではどちらが暴走列車か分からない話であるが、問題となる事もなかった。省人化と運航予定が優先された為であった。実益の問題もあるが、そもそもマリアベルという女は自身の計画や予定が妨害される事を嫌う女である。
「この話は擦り合わせる必要があるな。組織の意識分断が生じず、人材交流が生じざるを得ない形にしなければならない……」
「それが宜しいかと。人材交流の為の行事などは確実性がありませんので」
トウカとグレーナーは頷き合う。
フェンリスは大いに疑問を覚えた。
「人材交流を規定化すれば宜しいのではありませんか?」
「予算が減れば何かと理屈を捏ねて打ち切られるだろうし、人材補充が追い付かなければ時間的余裕がないと中止されるだろうな。行事として強要するのは不安定であり無意味だ。組織編制上、人材が遣り取りせざるを得なく様に仕向けるべきだ。組織をヒトの善意で動かすのは下策に他ならない」
トウカの返答にアーダルベルトが鼻白んだ。
ヒトの善意を信頼しない。
組織運営上の最低限の道理だと口にするトウカに対して、フェンリスも反発を覚える部分はあるが、官僚の屁理屈に直面する事も多い身である為に否定はできない。善意で政治を動かされるよりかは遥かに救いがあるが、本音と建て前は分けるべきであるとも考えていたが。
「言葉とは砂糖菓子の如く甘く包んでこそ通りが良くなるものですよ、陛下」
フェンリスは、この言葉がいかに絶大な効果があるか実体験に基づいて理解している。
トウカは鼻で笑う。
「男女の仲以外で本音と建て前を分ける必要性は、まぁ……経験に学んだが、政治に関しては本音が重要だ。それとも市井の小娘の如き察して欲しい手合いとの遣り取りで時間を浪費しろとでも? 迂遠な意思疎通は判断を過つ要因となる事もあるだろう」
本音は誠実に他ならない。装飾と建前は侮辱である。相手の時間と予算の浪費を最小限にしないのだから間違いない、とトウカは断言する。
「という事だ、グレーナー君。本音を言うとだ……やはり鉄道府設立だろう」返す刀で本音を口にするトウカ。
「やはり、そうなりますか……これは説得に苦労しそうです」脂汗のグレーナー。
鉄道府と聞いてフェンリスとアーダルベルトは揃って嫌な顔をする。建前は忽ちに何処かに消えた。
「以前は意見が纏まらず立ち消えたと聞く……あまり情報も残っていない。禄でもない事になったのだろうが、それ程か?」
トウカは良く知らない様子であるが、フェンリスとアーダルベルトは鉄道府設立が以前に草案に上がった際の混乱を把握していた。
「……陛下は中年の取っ組み合いを会議と仰られる方ですか? 当官にはどうしても……」
「それは、あれか? 鉄道趣味者ゆえに意見が飛び交い、それを曲げず争いになるという事か?」
皇国鉄道は国家も出資しているが、その方針について今迄は大きく関与する事はなかった。これは鉄道が軍事輸送主体であり、その軍事輸送も平時では低調であり貨物輸送を加えても余裕があった。しかし、トウカは経済発展による貨物輸送の増大と旅客輸送の利便性向上を望んでいるので以前と同様の運営では早晩に破綻する事は明白である。
「黙らせればいい……と言いたいが、趣味者であり専門家でもある。臍を曲げられては支障が出るという事か」
「仰る通りに御座います。今迄は余裕があったので許されていましたが、鉄道事業の拡大ともなれば組織の再編制は免れませんが……あの面子ではどうも……」汗を頻りに拭くグレーナー。
トウカはウィシュケを口に含む。硝子杯からの香りを楽しむ姿。自然体にも見える姿だが、次の言葉は正に独裁者のそれであった。
「鉄道府成立は天帝の大命を以て為す。この決断に君や他の有象無象は関与させない。俺が責任を負う。まぁ、国土開発府辺りが言い掛かりを付けるだろうが、鉄道事業の面倒を聞けば笑顔で引き下がるだろう」
現状では鉄道事業は国土開発府の所管である。
開発途上にあり、他の公共事業と同一に扱われているが、先々の運用を踏まえると開発事業主体の国土開発府の下で運用する事は望ましくない。
「鉄道府は主要な鉄道路線の完成までの一時的なものだ。後々、道路事業と統合する」
「国土開発府は建設事業のみを行うという形でしょうか? 抵抗を受けそうですが宜しいのですか?」
フェンリスが問うものの、トウカは断言する。
「構わない。交通手段の建設と経営を一つの組織でするのは発展期だけで良い。後々、癒着などで問題になるのは明白だ。何より、建設と運営を組織として一括にすると、どうしても採算を過剰に考慮するだろう。必要な視点ではあるが、採算を叫ぶ連中は往々にして予備戦力と無駄の区別が付かん」
採算よりも交通網敷設による国土内の生活環境の格差を重視……問題視しているのだろう。
「そもそも、交通網それ自体で儲けようなどという発想自体が間違いなのだ。効率化や省力化は必要だろうが、交通網は利便性向上による民間経済の発展による税収増加を以て利益と考えるべきだ」
理解はできるが難しい話だとフェンリスは考える。
経済効果の波及が期待できる、という話であるが、それは往々にして理解を得られないものである。明確に利益として提示し難い為であり、複数要因からなる結果と看做される傾向があった。よって利益を構成する一部という扱いを受け、その割に交通網は維持管理に予算を必要とする。予算削減時に真っ先に槍玉に挙げられる事実は変わらない。
「可視化し難い利益だから敢えて見ないというのでは統治の才覚に欠けると言わざるを得ないし、先々の人口問題が見えないなら精々が地方政治の一議員止まりだろう」
厳しい意見であるが、トウカが指摘した人口問題を考えれば鉄道事業を採算のみで考える傾向を組織に与え得る要素は分けるべきであるというのも理解できる。
「軍と同様に看做すべきなのだ。軍の予算は消費が当然で有事のみに可視化される利益だ。平時には理解を得難い。対する交通網は日常の継続と利便性向上それ自体を利益とすべきだ」
複数要因が密接に絡み合う為、数値化し難い以上、それを周知させるのは中々に時間を要する事であるが、トウカは遅滞なく進める心算に見えた。
「貴官らも協力しなければならない」
「中央貴族の説得でしょうか?」
中々に難しい事を言うわね、とフェンリスは胸の内は憂色に包まれる。
「そうだな。騒ぐなら国費での交通網整備は中央の優先度が最も低くなるだろう。そもそも中央は最も発展している。元より優先度は低い。御行儀良くしないなら現状維持だ」
トウカは現状維持と言うが、他地方の利便性向上と発展があれば中央から人口が地方へと流出する事になる。
――厳しいわね、この子。
フェンリスは露骨な恫喝だが最大の工業地帯でもある中央への交通網整備を後回しにするというのであれば利益の最大化を図れないのではないかと中央貴族の大部分が考えると見ていた。
だが、トウカは人口の偏在による人口減少を最も危険視している。
経済発展だけの問題ではなく、中央貴族が強気に出れば確実にそれを根拠にして交通網整備と企業誘致を露骨な地方優先で行うだろう。
トウカの中で経済発展と人口問題は連動しているが、大部分……恐らくは皇国の権力者の殆どは未だ人口問題の重大性を理解していない筈であった。フェンリスも指摘されなければ気付かなかった。種族人口それ自体に気を取られていたとも言える。経済発展という視点のみで見て、トウカから譲歩を期待できると中央貴族の大部分が見れば手痛い一撃を受ける事になりかねない。
「ですが、駅舎や物流拠点を作らないなら中央に鉄道を敷いても意味はないと抵抗する貴族はどうするのですかな? 中央地域に利益を与えぬにしても資源や農作物や工業製品の輸送を踏まえると鉄道路線を全く敷かぬという訳にもいかないかと」
自領に駅が無ければただの障害物で利益を齎さないと言われれば否定し難い。実際、鉄道路線敷設で最も揉める部分であった。アーダルベルトの憂慮は正しい。そうした抗弁と抵抗は有り得た。
「叛意在りと見て死を与える。領地は天領とする。土地は適正価格で買い上げる事になるだろう」
潰す、と明言されたアーダルベルトは溜息を一つ。不敬であるがトウカはそれを咎めない。
「人口を憂慮為さるならば、移民を募れば宜しいのではないですか?」
アーダルベルトの移民という提案は皇国では特段と珍しい意見ではない。皇国自体、初代天帝と共に移り住んだ者達によって始まった為、元より住まう者達とは言い難い。 去りとて既に数千年の時が経過した為、原住民と移住者の区別など付かないのが実情である。皇国はそうした経緯から移民の存在には比較的慣れていた。
「論外だ。もし、移民となれば賛成した貴族の領地に纏めて送り付ける事はあるだろうが、我が国は基本的に野放図な移民受け入れを認めない。技能と学歴のある者に留める」
中々に厳しい基準であるが、そもそも人材不足はそうした技能職ではなく、頭数を必要とする分野であり、それでは移民の意味がないとフェンリスは考えた。
「近代の移民の意味を分かっているのか? 昔とは違うぞ? 問題のある貧者を押し付けられる上、その面倒を見なければならない。それとも何か? 御前は移民が敬遠される仕事に就いて従順に働くとでも考えているのか? 馬鹿を言え。直ぐに群れて権利を主張するし、現地文化には馴染まないし、保障に飛び付くし、法を守らず地元民と軋轢を招くぞ」
トウカの断言。
協商国ではそうした移民問題が生じており、確かに国費を割いて対応を迫られているという実情があった。銃口を突き付けて移民に沈黙を強いれるような時代ではなく、労働力確保の必要があるならある程度は許容しなければならない問題である。対応が厳しければ移民が流入しなくなるという部分もあった。
「移民は治安悪化を招く上に、労働力としては疑問符が付く。中期的に見ても出費の方が大きくなる。それなら継続的な人口増加政策の実施と機械化と省人化を産業全体で推進する事で応じる方が余程に良い。産業機械は現時点では文句を言わないし、権利も主張しない。保守点検費用など移民による負担と比べるべくもない」
成程、人口問題への対応は、その点にも連動しているのかと察する。トウカは已むに已まれない移民という選択肢を避けようと試みている。
フェンリスは思う。
移民ともなれば、これから混乱する連合王国、元より政情不安定なエルゼジール連合国から辺りであろうが、前者は教育水準が低く、後者に関しては主要宗教まで異なる。就職で格差が生じ、文化的宗教的軋轢も予想される。皇国は長きに渡りそうしたものを内包し無理なく取り込んできたが、トウカは近代ではそれが不可能だと考えている様子であった。
「押さえ付けられる時代ではない。情報は直ぐに広がる上に非難も容易だ。同情する輩も出るだろう。効果的な対応ができずにただ移民が増え続ける事になる。移民の間に子ができれば、そこでも権利などと騒ぎ始めるぞ?」
確信……恐らくそれも実体験なのだろうと、フェンリスは推測する。
しかし、トウカは武断的な独裁者である。
国益の為、酷烈にして苛烈な判断を先延ばしにしない。
「俺はそうなると重装憲兵大隊を投入して群れた移民連中に突破破砕射撃を行うぞ? 決して甘い顔はしない。自国の利益と財産と国民を守る。それを乱すなら容赦はしない。その為に俺は天帝と成った」
トウカの自負心は憎悪に燃えている。皇国の非効率を罵倒している様ですらある。
「御前ら高位種は人口問題など気にしないだろう。どうせ、人口全体が減少傾向になれば、相対的に高位種の人口は増えて政治力が増加するとでも考えているだろうが、国力低下を招く以上、俺は人口減少を断じて認めない。その為の政策を阻む連中は全て殺す」
その割には不採算極まりない戦争という消費行動に随分と熱心ではないかと、フェンリスは思うものの、内戦と帝国軍による侵攻を除けば一方的な戦争であり、兵力の消費は限定的であった。トウカが最初期から関与している軍事行動で被害が大きかったのは帝国軍による皇国本土侵攻のみであるが、それは皇国側に主導権がなかった。
――成程、随分と慎重ね。
エスタンジアに部族連邦北部……南方新領土よりも人口を求めての併合だろうと、 フェンリスは確信する。移民と併合による人口増加では変わらないのではないかと思うが、現状では比較的文化的差異の少ない地域を狙っている事も確かである。何より皇国本土へ労働力を無理に招き入れる真似はしていない。野放図に流入する難民とは異なり、段階を踏んで皇民化を推進する意図はそこに在るのだろう。寧ろ、労働力の不足する産業を占領した土地に進出させる意図もある。何も現状の皇国本土で労働力を運用する必要はないのだ。
「やれやれ、我らが天帝陛下は苛烈でいらっしゃる」
「あら、でも確かに問題よ? 税収の低下に治安維持に割く費用の増加。国内分断。我々の政治力なんてその対応で簡単に浪費される事になる」
聞いてしまえば高位種の政治力など気にしていられない。
実際にそうした未来があるかと言えば、フェンリスとしては納得できない。去れども、未だ推し量れない部分はあるが、政戦両略の天帝が確実視した上で危機感を覚えているという事実は重視すべきであった。何より大筋ではフェンリスにも齟齬がない話に見えた。
「ですか、中央が最も発展している訳です。その各種資源を使わずに進めるには些か苦しいのではないのでしょうか?」
鉱物資源に労働力、予算……特に労働力は中央がなければ不足する事は目に見えている。面従腹背では要らぬ無駄が生じる事は容易に想像が付く。
トウカは鼻で笑う。
「人口問題が内政で持ち直せないと見たら俺は併合政策を加速させるぞ? 未だ併合に見合うだけの土地はあるのだ。ヒトが居ないならある場所から収奪するしかない。それは資源の話だけでは……いや、ヒトも人的資源だな。 何より、安価な労働力の溢れる土地が地方に組み込まれるのだ。中央の産業は生産移転を行うだろうし、俺はそれを積極的に支援する」
抵抗するならば、中央の産業構造を空洞化させるという宣言。
高度な技術が必要な産業や生産が複雑な物品の生産施設などは移転が難しいが、産業全体で見ればそうした物品の比率は限られる。軽工業や重工業向けの部品生産を担う企業の流出だけでも中央からすると甚大な産業流出である。
「少なくとも、この辺りは布告する。莫迦でも協力せざるを得なくなるだろう。まぁ、暗殺未遂事件の事もある。抵抗する連中が可視化できる利点もあるのだ。為さない理由はない。しょげ返った老人を少しは手助けしてやらんとな」
しょげ返った老人とは統合情報部、部長のカナリス中将の事だろうとフェンリスは辺りを付ける。暗殺未遂事件を失点と見る者は多く、捜査も思う程に進展しておらず、 鉄道憲兵隊設立の話も警務府の抵抗を受けて上手く進んでいない。挙句に統合憲兵隊司令部総監のクレアは適度な協力に留めていた。
「では、人口問題を広く知らしめれば宜しいのではないでしょうか?」
周知徹底を図り国家全体の問題とすべきだとアーダルベルトは指摘するが、トウカの表情は否定的であった。
フェンリスは大方の予想が付いた。
――他国にまで気取られたくないのね……つまり、これは皇国だけの問題ではない。他国が併合を警戒する事を恐れて? それとも近代化に出生率低下を招く理由がある?
トウカは全てを語っている訳ではないだろう。後々、公爵を集めて議論する必要があるとフェンリスは考えた。
――それにしても中々、信用していただけない。
トウカには公爵達が基本的には潜在的脅威だという認識があるのだろう。フェンリスとしては敵対の意思はなく、協力する事で繁栄を確実なものとできると考えていたが、トウカにその様子はない。一度、敵対した者を安易に信用しないのは政治的に見て信頼できる姿勢だが、自身がそうなると中々に対応が難しいとフェンリスは苦慮する。
トウカは新しい硝子杯にウィシュケを注ぎ、グレーナーへと手渡す。
陛下からの勧めとあらば任務中でも致し方ないですそうですそうにちがいないと、 視線を彷徨わせて自己弁護しながらウィシュケを飲み始めるグレーナーに、フェンリスは気が弱いのか図太いのか判断に悩む。
「現状を見て過敏に過ぎると笑われるだけだ。そして気が付いた時には手遅れだ。それに株価の問題もある。この経済発展が始まった時期に要らぬ情報を市場に与えたくない。増加しつつある投資を遮る真似ができるものか」
トウカはアーダルベルトの提案を拒絶する。
道理である。
経済発展で躓く事は許されない。
天帝不在の御代に於ける不況を払拭したばかりであるというのに、進んで再び危険を取るべきではない。不況は税収と治安の悪化を招く上、他国の侵攻まで招きかねない。帝国による侵攻には、そうした部分があったとの指摘もある。
――情報が洩れたら、そこから探り出す心算なんでしょうね。
トウカは酒を楽しみながらも誰に聞かせるでもなく呟く。
「業腹な事だが、蔵府長官は人口減少を理解していた。先々の投資と産業分野の人材不足は避けられないと言っている。まぁ、あれはマリィの下で北部全体の経済を見続けていた。緩やかな人口減少に知見があるという事だ」
驚くべき事実である。
大蔵府長官であるセルアノが将来的な人口の不安を理解しているというのは、トウカと同等の力量……国家の行く末に対しての先見の明があるという事になる。
「戦争を嫌がるのは人的資源を戦場で名もなき草花の肥料にする事を望まないという部分もあるのだろうな。渋々だがその力量を認めてやらない訳にもいかない。あれが他国に逃げるなら鎖で繋ぐなり後宮に押し込むしかない」
大胆な意見であったが道理でもある。
トウカという武断的な天帝を相手にしても意見を簡単に曲げないのは、そうした危機感を以前より持ち続けていたからであるというのであれば納得できる。フェンリスとしては、金銭に五月蠅いセルアノが公爵達を政策に引き込んで国益の最大化を図らない事を以前より不思議に考えていたが、人口減少の圧力に晒された経験と、そうした方向に誘導した過去のある公爵達を危険視しているという可能性がある。
「ああ、武器輸出に拘るのは他国を争わせて人口と経済の面で相対的に有利に立ちたいという思惑が……いや、蹶起以前の兵器輸出もそうなると周辺諸国の不安定化で政府の負担を強いつつも経済格差を是正するという意図が在ったのかも知れんな」
北部は貧しかった。冬場に餓死者が出る事は稀であったが、そこまで追い詰められなかったのは北部貴族の独裁的な手法と焦燥の賜物である。しかし、公爵や中央貴族が政府を通して北部の影響力低下を試みていた以上、発展は困難である事も確かで、そうなると相手にも貧困を強要するしかない。
相手の経済力が低下すると相対的に経済格差は縮まる。
事実とするならば神算鬼謀の類である。
自身よりも他人がより大きな不幸や困難に直面したならば、その格差は少なくなるという人類史の業を煮詰めたかの様な発想。
セルアノに対しての高評価に、アーダルベルトとフェンリスは顔を見合わせる。
「あいつをザムエルの嫁にできないだろうか?」
独語したトウカに誰しもが応じない。
最近の口癖であった。
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